はてなキーワード: 単純明快とは
フェミが動けよな
「男の事は男でやれ!フェミはお前らのママじゃない!」とか言って男が育休取らないことに関してなんも動かない結果妻が家庭内で疲弊していく
男は稼いでんだから女が家のことやるのは当たり前のことだが
そこをどうにかしたいんなら男に育休を取って「いただく」のが一番だよね?女だけじゃなく男もキャリアを損なわないで済むように上級国民の資本家に働きかけるべきだったよね?
でもお前みたいなフェミがやってることと言えば下級国民同士の争いをたきつけたりAVやらアニメやらを規制して男女の分断を煽ったりすることばかりなんだよなあ…
えっなんで男が動かないといけないの?男はこのままでもいいんだが?女が家のことやれよ。嫌なら給料ダウン受け入れろよ?それ無理ならフェミが動けよ?
大学に入って、ひとり暮らしするようになっても料理をしようとは思わなかった。
おおよそ外で食べるか、持ち帰りの弁当。
流石にコスパの悪さに気付くと米を炊くぐらいはしたけど、料理は全くだった。
けどこのままじゃイカンと2年になってようやく料理に挑戦した。
くそ不味かったね。
野菜炒めすら、不味かった。
それに尽きるのだと友人から言われ、じゃあレシピ通り作ってみるよと挑戦することにした。
それがカレーだった。
どうせレシピ通り作るなら、スパイスから作る本格カレーにしよう!
そう思って、各種スパイスを用意した。
で、実際レシピを見ながら作ってみたんだが……思いのほか面倒くさい!!
途中でもう嫌になってきてスパイスをどんどん目分量で入れて、あとは感覚で作った。
あーやっちまったな……こりゃまたきっと駄……なんて思いながらも喰ってみたんだよ。
そしたら!!すげー美味かった!!!
これまで生きてきた中で一番美味くて、絶妙な辛さと甘さに香辛料の香りも絶妙で、美味過ぎて「……っ!!」て漫画みたいに何にも言えなかったほどだった。
あまりの美味しさに驚いて、作る量もそんなに多くなかったらその晩と翌朝で食べ切っちゃったんだ。
でだ。翌晩、またあのカレーを作ろうと思って今度はちゃんとレシピ通りに作った。作りながら口内でよだれを垂らすほど期待して作ったわけなんだよ。
でも違ってた。
喰ってみると昨日と今朝に食ったカレーとは似ていた。けど違う。別物だったんだ。
あれは俺が適当にスパイスを入れたからこそ出来たカレーで、それをメモしているわけでもなかったから再現するのはもう無理だった。
絶望した。
俺が作ったのはレシピにない”何か”だった。
増田いいこと言ってると思うけどあんま響いてないっぽいので支持トラバ
俺も今回の事故について、別報道できになったコメントがあったので補足させてもらおう、と言っても増田と違って素人だが(ちょっとだけそういう学校で航海術とか勉強したことのあるリゾートダイバーです)
…
あれは浮くのがいいんだ
頑張らなくても浮いて救助を待つことができる
救命胴衣がなければ頑張って浮いて救助を待たなきゃいけない(一応何もしないでも人体は浮くが、救命胴衣をつけたほうが圧倒的に楽に「なにもしない」をできる)
生存のボトルネックが「いかに楽に浮いて救助を待てるか」のときは救命胴衣が生死を分けるぞ!
今回のボトルネックは低い水温だった
保温のための機能はついてないので、結果的に救命胴衣があってもだめだったね…
あと救命胴衣をつけてない状態で見つかった乗客がいたが、可能性としては
・つけてたけど脱げた
あたりで、救助要請から考えると後者のほうが可能性高いんじゃないかと思う
きちんと装着できればそこまで簡単には脱げないはずだけど、続報によると船に異常が起きてからあわてて装着させた様子が伺えるのでそういうこともあるだろう
とにかく救命胴衣は悪くないよ
「救命ボートはなかったのか」
…
あのサイズの小型船舶ならまず載せないだろうなあというのがひとつ
あと救命ボートそんなに万能じゃないよ
まず今回一番やばいと思われる高波や寒さにはそれなりに無力(ぺらいし軽いし)
あと広げるの大変だし、5人くらいしか乗れないから船員2人じゃ手が回らない
素人考えだが、その時間をきちんと救命胴衣を装着するほうに費やしたほうが生存確率高くなると思う
他にもあった気がするけど忘れた
同じような状況でも幸運が重なれば楽しく帰ってこれただろうし、不幸が重なるとこうなってしまったって状況に見える
人災要素があったとして、自然相手の事故で、まだ報道も乱立して一部の遭難者を救助した段階では明らかにおかしい!みたいな単純明快さはないと思うな
素人でしかない俺は、船も人も全部見つかって、情報が整理されて、再発防止につながることを切に祈るのみだ
みんなも素人だろ?一旦落ち着いて、救助にあたってくれてる人たちを信じて見守ろうぜ
好きな桜餅は長明寺です!
あのさ!
「星のカービィ・ディスカバリー」めちゃくちゃ面白いわよ!!!
これ何が楽しい!かって言うと、
で、でよ!
それぞれのステージクリアのコンプリート条件がなんだか再プレイを燃えるほど促すというか、
各ワールドの各ステージコンプリートちゃんとやっていくにはなかなか手応えのあるプレイが必要なのよ。
接近してソードで倒せ!とか、
ボス戦のそう言うテクニックじゃないとどうにもならないお題はちょっとスルーさせてもらってるけど、
まあそんなに燃えなくとも、
ほおばり変形がいろいろと目も楽しませてくれて、
もう逆にステージをクリアしていくのが惜しくてもったいないぐらい、
もうずっとここで遊んでいたい!!!って
子ども心に戻って、
本当にここでずっと遊んでいたい!って思わせるぐらい楽しい世界観。
3つ目のワールドに行ったところなんだけど、
まだまだ先は長そうで面食らうんだけど、
じっくり1ステージ1ステージを堪能して隅々まで遊び尽くせるから、
もうタイムアタック要素満載で
サクサクとごり押しで進む分にはすぐに全ワールドクリアして終わっちゃいそうなものだけど
すごい思考を凝らしてるなーって丁寧で、
だからなんか作業的になりがちなこう言う再プレーとかも苦なく楽しく進められて
カービィこれすごいなぁって初めて触れて思い知らされたわ。
でもさ、
グラフィックが緻密になればなるほど、
ハンマーで敵を殴るカービィがちょっとやり過ぎじゃないの?って
ショッピングモールで楽しく美味しそうにハンバーガーを食べているところを襲いにかかるとか、
なんだか逆にちょっと可愛そうになるんだけど。
気にしすぎかしら?
もうカービィが敵に囲まれて可愛そうだからってレヴェルじゃないぐらい敵には容赦ないカービィは塩いわ!
でもこれまだまだ先は長そうだから相当楽しめそうね。
で、でよ。
パーディー全滅しちゃって、
またパーティー組んで再出発できるんだけど、
前のパーティーが残していったアイテムとか所持金とかはそのまま引き継げるの!
レヴェル1にしていまの最強の装備で敵を蹴散らせる!って思ったけど、
装備ポイントがあって
強い装備ほど装備ポイントが高くなっていて、
レヴェルが低いと
装備すらなにも出来ないのが辛いわ!
割とサクサクと地下に潜っていけるんだけど、
そうね、
いままで歩いたところもそのまま引き継げるので、
分かる!?
それやっちゃって、
辛い辛すぎるわ!
そう思った矢先に救済の光が差し込んできたエンジェルのハシゴのようなものがあって、
レヴェルはそのままで最初のメンバーで一切合切新しく再開するか、
の2種類の再開方法があって、
戦闘不能になってメンバーは地下に残したまま再開なのかな?って思うんだけど、
1つめの「レヴェルはそのままで最初のメンバーで一切合切新しく再開」で再プレイ始めちゃって、
装備せず真っ裸でも
少々の攻撃ではビクともしないんだけど、
何せ装備がないので、
グループ固定ダメージで攻撃できる魔法を買いそろえるまでが辛いわ。
あとはやっぱり
初回より慣れてきている分、
進み具合も早いけど、
なにしろ
いままで歩いてきてマップを埋めてきた実績も全部一切ゼロから始まる再開が一番堪えたわ。
いままでの費やした時間なんだったの?って
心を折られるような、
これもまたチクチク深部に向かって
進んでいる感じだけど
なにしろ装備は弱くて体力ヒットポイントだけはやたらあるって、
なんだかよく分からない強いのか弱いのか、
そんな状況で、
また骨の折れるプレイが続くわ。
こっちのダンジョンエンカウンターズは悲しくてもプレイが止まらなくなるほど地味にハマる
決して、
ワーイ楽しい!って心境ではないけれど、
また最深部に突き進んでいくって単純明快な目標に向かうだけなので、
まあ頑張って進めているわ。
うふふ。
とは言える状況じゃないけどね、
明るく平和なカービィの世界とダンジョンエンカウンターズとを行ったり来たりよ。
残りのポテサラだけ食べて出てきたわよ。
私好きなのよね
ポテトサラダも。
キュウリが嫌いなわけではないけど、
柚子茶があったので、
これもあったらすぐできるから
便利なマストアイテムね!
なんだか
朝また寒い感じがするし
寒がぶり返してきた感じで
略して寒ブリね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・はじめに
優しくていい奴はモテない、とことんモテない。これはいったい何故なのだろうか。いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。これはとんだ誤謬である。
女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。だが現実、彼女たちは普段どんな男を選んでいるだろうか。あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。
まるでそういった所謂「悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体の関係や交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際やセックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ。
ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプの去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要な問題であるのにも関わらずだ。しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである。理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実を直視するところから始めていこうと思う。
・優しい男の悲惨さ
男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男の彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである。
この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子は別に今恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男に男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。男性としての魅力がないから女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないから彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。
そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし、言語道断な悪手である。「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。モテないスパイラルに陥ってしまうのである。
一度女性の言うことや、一般的な常識から抜け出した視点で現実を見てみよう。大学の課題に困っている女の子に課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。筆者は女の子の死にたいラインを一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。
一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。
こういった、一般的な常識や女性の意見と現実との乖離はなぜ起こるのか。これを説明する答えは単純明快だ。女性は本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのである。しかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性が本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。
まず第一に、人間だって動物なのである。どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサルの時代のことを考えてみよう。ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為を交渉していたのだろう。そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。
しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。産むだけであればなりふり構わず性行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。
なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合は遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味で遺伝子を残すのに有利に働く。この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙なバランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子どもの世話役をしていたのではないだろうか。
これが所謂、good genesとgood dadの関係である。良い遺伝子であることと良い親であることは異なるのだ。そして雌は雄の性質を本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである。
この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合は日本では20人に1人程度らしい。これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である。文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。
だがしかし、収入や肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性が結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。そして雄としての力が弱い状態で結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実は残酷だ。
そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。これも群れの繁殖に都合がよいからなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略を女性は本能で取り続けているのだ。実際に言葉で説明できる女性はほとんどいないだろうが、それを感覚で理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである。
・おわりに
優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的に男性としてモテることはない。これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度や女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである。
男が恋愛や結婚といった男女の関係において充実し、人生を幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。
最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性と幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである。
これ何がいいかって言うと
村人がいないことよ!
これに尽きるわ!
いちいち全員にお話聞かないと行けないイベントが発生しない案件もあったりするじゃない。
地下に突き進むだけ!って単純明快な進め方が
ストーリーとか全く全然人の名前とか覚えられ無い私にはピッタリなのよね!
そんで、
戦い方もだんだん分かってきたわよ。
ヒットポイントを削っていくって仕組みなので、
最初よく分かってなかったけど、
だんだん戦い方に慣れてくると、
攻撃する順番だとか倒す順番だとか綿密にやってかないと楽に倒せないところが
防御力を崩す攻撃で150喰らってもお釣りでヒットポイントまで削られないので、
ガンガン攻められる思い切ったバトルも
でね、
「01」「02」で地下に潜ったり地上まで戻ったり
「05」「06」があればホッとする
とにかくこれらの数字を見たらなんかホッとするのよね。
だんだんと普通に賑やかな街にちゃんと見えてくるから不思議よ!
あとアビリティで見下ろしマップの俯瞰がもっと広い範囲を見ることが出来るアビリティ拾って使えるようになった時は笑っちゃったわ。
ドラクエで言うとたいまつ使ってマップがよく見えるようになった感じがして、
全くエフェクトがないのに、
わーい!ってなる変なゲーム!って思うわ。
あとグループ攻撃の魔法だとか物理攻撃の武器だとかを手に入れたので、
だいぶバトルが楽になってきたけど、
どっちかに決めて敵を撃ち叩き込まないと
こっちのパーティーのどちらの攻撃が得意かってちゃんと考えていかないといけないところが、
でもそんなに複雑ではないから
一応私戦略考えてやってる感じもするのでバトルの充実感もあるわ!
でも!
あのこっちのお金盗んでいく敵がいて
こっちの所持金以上盗んでいって、
高を括りまくって括っていたのに
残金がマイナスになってしまってこれこの多額の借金をどうやって返済したらよいのか?って
バトル戦闘をチクチク繰り返していくだけじゃ到底返済しきれない金額になってしまって
あの敵が唯一にくい存在よ!
もうお金ないしこれ以上盗めないもんねーって思っても
毒くらって1歩ずつ歩いてヒットポイント削られるより
なんだか凹むわー!
凹むわ~!
実際語られるかのように数字でモノいわれるので
本当にアールピージーの村人とおしゃべりするのがあんまり苦手な私にはとっても楽しいのよ。
出てくるの数字だけだけどね。
目的も明快だし
未踏のマスを埋めるのと
地下に潜っていくってだけだし。
あと地下99階まであるようだけど
相当遊べそうよ。
まだまだ地下は深いけどね。
うふふ。
キッチンが見えて
見ていて楽しいわ。
お姉さんモーニングで毎日毎日玉子何枚焼くんだろう?って思ってしまったわ。
鉄のフライパンもなんか変形していて年季入っているし
ふーふーして
ゆっくり飲むホッツ白湯ウォーラーはいい祝日の始まりがしていい感じだわ。
良い休日を!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
本当に怖いのは、働けなくなった時。
病気や事故で働けなくなる場合は、団体信用生命保険の適用範囲内であれば完済できる場合もあるけど、死ねずに生きているパターンだと完済にはならない可能性がある。
それよりも怖いのは失業した時で、いつクビになるか、いつ会社が倒産するかもわからない。こういう危機を予測しない人が大半。
単純明快に余裕がなくて有事の際にはピンチに陥るんだから、年収500万で3000万借金するなんて正気じゃない。
と言っても、低金利の今は借入可能額が大きくなるから「これから頑張るぞ!」なんて考えで借りちゃう。
目一杯借り入れして、失業したり、病気や怪我で働けなくなったりして家や土地を売らなきゃいけなくなる。
売らなきゃいけなくなったのが購入してから10年そこらだと金利がまだまだ残っていて、土地と建物合わせても完済できる金額じゃない。
売却益全額を借金返済にまわしても借金が残ってしまって、あと数年返済しなければならない。
全体のごく一部とも言えるけど、こういう人はいっぱいいる。
タレーッス
ちゃんと導かれるし現実にもピッタリ合うようになるじゃんって思います
そうならないのは不確定要素があるからなんでしょうけど、その数が少ない場所で求めたいものがわかりやすいものであれば無理せず簡単に導けたりします。
逆を言えば、そうやって簡単に導けるものすらよくわからない理由が重なると導かなくなったりするんですね。
不確定要素を潰すことにはなるんですから、毎回毎回対症療法してたら薬の効きも悪くなるってもんです。
そして根本が夜になったら暖かくして寝れば代謝が高まって病気にならなくて済むとかならいくら効果が高くてもアホらしくて仕方がないです。
でもそんなことが山ほどあります。
そんなことで参りそうになった時はちょっと息抜きをするのも大事でしょう。
一文目からここまで訳のわからないことを書き続けてみました。いつも通りでした。
これ、HALOファンだけが面白いゲームじゃないですかね、というのが正直な感想。
Betaもやっていたが、正式リリースに伴いプレイ時間が消えたので何時間やったかは不明。リリース後は4時間。
クラッシュやチーターなどの問題点は散々言われてるので、主にゲームプレイについて。
いくつかAPEXと比較することを書いたのでエペガキのネガキャンなどと言われそうだが、普通にプレイしての感想であることだけは断言したい。
まず体力については、HALOプレイヤーは(なぜか自慢げに)このゲームは固いんだと言う割に、「中途半端に」固いなという印象。
他の豆腐FPSに比べれば固いだろうが、今現在日本で人気のあるAPEXは初心者でも上級者でも複数マガジンで倒すことが前提なので、APEXの方が普通に固い。
武器にもよるが、APEXでいえば白アーマーか、白アーマーとアーマーなしの中間くらい。(HALOには最強パンチもある)
HALOはそれなりに上手い相手(あとPAD)はワンマガジンで倒してくるが、初心者のこちらは倒せない嫌なバランスに感じた。
APEXならば固さを生かして立ち回れば一人で複数人との撃ち合いをすることも可能だが、このゲームでそういうプレイはほぼ無理。普通に二人にパンチされるだけで終わる。
体力が多いのに、自分の体力・相手へのダメージ表記が見辛いのもイライラする点。
中途半端な固さのためにAPEXほどのキャラコンは求められず、かといって即死即殺ゲーほどの爽快感や緊張感もなく、どっちつかずの半端なゲームというのがまず思ったこと。
スナイパーの狙撃(これはある種当然だが)、ビークル、グレ、あとなんだかんだ色んな武器で一撃死がある。
これらのワンパン要素がやたら多いため、(中途半端に固い)相手と銃で撃ち合うことの価値が下がっている。
強武器がないから仕方なく銃で撃ち合う、ではFPSとして魅力に欠ける。
例に出したので引き続き比べるが、APEXと比較してとにかく音がしょぼすぎる。
キルを取ってもアーマーを割っても、全然気持ちよくない。普通に銃を撃つ音ですらも爽快感が薄い。
敵に弾が当たってるかどうかも見えづらい。
銃を撃つ快感が、圧倒的にない。
そのくせ、自分がパンチで殴られたときだけやたらと音がでかく、パンチ自体の不愉快さと相まってストレスが溜まる。
あとアナウンサーの声にクセがありすぎて、こいつのボイスを消す機能が欲しくなる。
毎回ゲーム開始時に聞かされる音楽も、音に奥行きがなくて安っぽい。
味方プレイヤーもすぐ横で敵が走っているのに無視することが異様に多いので、自分の耳が悪いわけではないはず。
上述のように、複数人相手では勝ちようがないのに足音でそれを判別できない、味方がまるで気づいてくれないのは非常に萎える。
味方が青・敵が赤のハイライト表示のため、味方に赤系・敵に青系のスキンをつけられると戦闘時に判別がつきにくい。
フレンドリファイアのあるゲームでこの仕様は、上記の足音の問題と相まってかなりストレスフル。
※リリース後にはあまり見間違えることがなくなったので、改善されたのだろうか?
詳しく調べていないのでただ単に偶然かも知れない。
死んだあと即スポーンではないし、カウントダウンが始まるまでも余計な時間があったりと絶妙にテンポが悪い。
これは個人の問題だが、武器の切り替えをマウスホイールに割り振ってると本当にクソ。
戦闘中にホイールで操作すると武器が切り替わらないことが多すぎる。他のFPSではなかった現象。
ホイール判定が軽すぎてトグルが一周しているのだろうか。ならばVALORANTのように一周しない設定が欲しい。
操作の話でいえばスライディングについても、ダッシュを「切り替え式」にしておかないとほぼできない設計。
移動ルートや位置取りが重要なバトロワゲー・攻守の読み合いで戦う爆破ゲーはどんなに雑にプレイしても必然的に戦略性が求められるが、このゲームはそうした要素が薄い。
本来戦略性がないわけではないのだが、ノーコミュニケーションで連携が取れるほどの単純明快なルールではなく、
かといってピンが豊富なわけでもなく、足音で位置を特定することもできず、致命的に連携が取りづらく、戦略性が死んでいる。
カバーについても爆破FPSのように「釣り」などの連携テクニックを使うわけではなく、ただ突っ込んでパンチするかグレを投げるのが最適解。
雑に戦闘してデスしてまた戦闘してカバーしない味方にイラつく、の繰り返しになっている。
こうしたゲーム性なので、負けた際に「味方クソすぎだろ」以外の言葉が浮かんでこない。
マルチのFPSをやってればそう思うこともあるが、毎回こんな気分になるゲームは流石に初めて。
上述のように銃を撃つ爽快感もないため、最終的になんでこのゲームやってるんだろうという気持ちになってくる。
戦略性が死んでいるため、マップについてはあまり言うことがない。
ただ、ビジュアル的にはそれほど魅力がないと感じた。
リリースに伴いキーバインドが初期設定にリセットされた。腹立たしい。
しかも設定画面に行くと、「PADの設定」が最初に表示される。
PADを優先するなということではなく、自動判別するか、別の画面を最初に開けという話。
キーマウ画面と間違えて変えたい項目を探して、ただでさえバインドが変わってイラついているのに数秒無駄にするストレスがあった。
勝敗すらチーム表示が逆になるのは本当に謎。
どんなシステム?
それが逆になるなら、スコア自体も本当に合ってるのかどうか疑問に思えてくる。
初心者としては、HALOプレイヤーが絶賛していることに首をかしげたくなる出来である。
HALO固有のクセ(固さなど)は仕方ないにしても、いろいろお粗末な部分が多いと思うのだが。
「シンプルでいい」と半ば呪文のような誉め言葉を散見するが、門外漢からすればシンプルゆえに爽快感やサウンドの品質など、他の人気FPSに激しく見劣りしていると感じる。
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く
「マスク着用での入店はお断りします」居酒屋店主の男性が、新型コロナの感染対策を拒否する貼り紙をしたのは、今年3月のことだ。
<実はコロナは世界の富裕層の仕業><小さな自営業者を潰し、資産を吸い上げるのが真の目的だ>
客がいない店内で妻と2人、スマホを手にひたすら情報を集めた。同じような説を唱える投稿ばかりが芋づる式に目に入ってきた。「今までだまされていたのか」と憤りが募った。店のツイッターで「うちはマスク不要」と発信を始めると、遠方からの客が増え、売り上げは持ち直した。店主の行動は感染を広げかねない危険なもので、一部の常連客は離れた。だが店主は意に介さない。
「コロナ騒動は仕組まれたものだ。国や役所に従ったら犠牲になってしまう」
人間は自力ではどうしようもない状況で、強い不安にさらされると極端な言説を信じやすくなる――。
米国の心理学者の研究では、こんな結果が出ている。社会学者の辻隆太朗さんによると、過去にも海外でエイズやエボラ出血熱の流行時に、「黒幕がいる」「人口削減を画策している」とのデマが広がった。
先行き不安が高まると、誰かのせいにできる単純明快な解釈を受け入れることで、「『自分は真実を知っている』という気持ちになり、不安定な心理状態が緩和されると考えられている」と辻さんは説明する。
「コロナは富裕層の仕業」投稿に引き寄せられた居酒屋店主…[虚実のはざま]第4部 深まる断絶<2> : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン
アフガニスタンでの自衛隊が、まともに邦人輸送できなかった件がリベラルの間で批判されている。
その中に「現地に外務省職員が残るべきだった」的な意見が、リベラルの間で人気を集めている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4707516352093983522/comment/honkon17
今回の作戦失敗は自衛隊の問題ではなく、大使館の問題だよ。残って交渉すべきだったし一時的でいいからアフガン人スタッフと家族も受け入れるべきだった
これは一見するとまともに見えるのかもしれないが、実はかなり鬼畜な意見であると言える。それをここで説明したい。
単純明快な理由だが、そもそもアメリカやフランスなどが退避を進めている間、日本だけが残るのは危険すぎる。
リベラルの間では韓国の「ミラクル」が褒め称えられているが、韓国も当初は外交部職員を退避させていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/10fcfa50f00616eb681edf57dc4fb10a4c1df4bf
韓国大使館の職員ら3人と現地在住の韓国人1人が17日午前(日本時間)、首都カブールから国外退避した。これで韓国国籍の保有者全員がアフガニスタンを離れた。
ニュースでは「韓国は外交部職員が連携して」という記事があるが、アフガニスタン人輸送を決めた後、一旦国外脱出させた職員の数人をアフガニスタンに戻したのである。
では、なぜ日本は同じことが出来なかったのか。これは法律の壁が影響している。「現地の安全が確認できない限り、自衛隊は輸送できない」などという、意味不明な法律である。
もし日本大使館の職員を戻す場合、彼らにこう伝えて仕事をしてもらう必要があるわけである。
「お前たちは、現地の避難民をまず呼び寄せてくれ。そもそも自衛隊が来ない可能性すらあるし、下手すると避難民を輸送するどころか、お前たちも現地に残されるけどな。あ、この場合、自衛隊の支援は当然無理なので、外国軍の力を借りてくれ」
こんな危険極まる戦地に、丸腰の職員を戻すように強要し、しかも軍事的支援の確約すらしない。こんなとんでもないことを日本のリベラルは堂々とネットに書き込んでいるのである。
なぜ韓国は外交部職員を戻せたのか。それは、いざとなれば自国軍の兵士が責任を持って、輸送するという確約があったからである。
韓国軍は、当然、日本のように「現地の安全が確認できない限り、輸送できない」などという、意味不明な法律は存在しない。軍自らが、かなりの裁量を持って、事に当たる体制が構築されている。
ところが、日本はそんな事ができない。「現地の安全が確認できない限り、自衛隊は現地に入れない」ので。
つまり、外務省職員が韓国と同じようにバスを予約し、空港に大量のアフガニスタン避難民を呼び寄せたところで、下手をすると「乗る機体がありません」という事態になりかねない。この可能性は、かなり高かったはずである。実際に、8月26日にISIS-Kによる攻撃があったが、もしこの攻撃が数日早ければ、自衛隊はパキスタンあたりで足踏みし、アフガニスタンに入ることもせずにトンボ帰りしていた可能性がある。
現地のちょっとした変動で、自衛隊を法的に送る根拠を失う。これでは、日本政府や日本外務省が慎重になったのも当然だったと言える。
なぜなら、最悪の場合、次のような異様な事態になりかねないためである。
この状態になると、日本大使館職員はそのままアフガニスタンに置き去りにされるわけである。まさか「アフガニスタンにずっといろ」と命令することも出来ないので、外務省は職員に帰国命令を出すだろう。この時、職員が頼るのは外国軍である。それも、大量の難民を押しのけ、軍用機に乗る必要が出てくる。
「大量の難民を押しのけ、自分たちが呼び寄せた避難民も見捨てて、外国軍によって移送される日本大使館職員」という絵面が世界に配信されるわけである。下手をすると、「軍を送ったけど、ほとんど移送できませんでした」よりも、国際的イメージの失墜に繋がる可能性すらある。
これも全て「危険がある地域に自衛隊を派遣できない」という意味不明な法律があるためである。
こんな状態なのに「職員が残れば良かったのだ」「政府が頑張れば出来たはず」と言い出す日本のリベラルは、ほとんど何の根拠もなく「元来日本人は草食である、然るに南方の草木は全て即ち之食料なのである」と言い放ったどこかの司令官と同じだろう。
流行りのVALORANTでいえば、13点を取ったチームが勝ち。
お前は都合よくカーリングを単純化し、都合よくeスポーツのルールを複雑化してる。
日本ではApex Legendsが流行ってるから、FPSに触れたことのある人間が多い。
eスポーツはアメフトやバスケのプロスポーツ業界を脅かす存在になっていることが判明
https://gigazine.net/news/20170605-traditional-sports-have-esports-problem/
ミレニアル世代(All millenials)では「eスポーツより従来のスポーツが好き」という層は合計42%で、「従来のスポーツよりeスポーツが好き」という層は合計して40%
二次創作小説をたしなむ皆様、特に書き手の皆様は、周囲の作品を読んでいてこんな風に思ったことはないだろうか。
明らかに文章が厚くて、読みやすくて、最高な作品が他にあるというのに、そちらよりもそのぱっとしねぇ小説の方が伸びている……そんな場面に立ち会ったことはないだろうか?
恥も外面もなく言うが、私はその『ぱっとしねぇ文章を書く字書き』である。
この『ぱっとしねぇ』の部分には、物議があるだろう。面白いの尺度は、人それぞれだ。ただ、ここで言う『ぱっとしねぇ』というのは、主に次の要素が含まれる。
・全部ではないが、やや文章に読みづらさを覚えることがある。
・誤字や脱字が地味に多い。
・表記ゆれを気にしていない。
・伏線の張り方が甘い。
“やや”とか“地味に”とか曖昧な表現だ。ただ、そこがミソである。『ぱっとしねぇ字書き』(長いので以後『パ字書き』)は、完全に面白くない文章を書くわけではない。ある程度は面白い文章を書く。ただし、圧倒的に“こだわり”に欠ける。
昨年2020年、Twitter上でオタク女たちの感情について描き、人々の心を動かした作品があったが、あそこには“神字書き”という存在が登場する。その神字書きとパ字書きの間にどのような差があるかと言われたら、この“こだわり”であろうと感じる。
神字書きの文章というのは、作品全体からその人の色とこだわりを感じるのだ。読むと「あっ、〇〇さんの文章だ」と感じることが出来るし、表記にも推敲の跡が見られる。読みやすさが意識されており、文章の端々からこだわりを感じる。
「この人は本物だ。こんなものがタダで読めていいのか……?!」
そう感じることだろう。私は感じる。さてはあなた方はそれで飯を食おうとしたことがあるな?
しかしながら、パ字書きこと私の文章からはそれが感じられないのである。自己評価が低いのではない。私は私の文章が大好きである。何度も読み返しては「オホ、なんか知らんがおもろいなこれ」とニヤニヤする。しかしながら、同時に表記ゆれや誤字脱字は多いし、そこかしこの伏線は甘いし、急展開だし、作品ごとに文体やら調子がバラバラで自分の“カラー”などあったもんじゃない。
身バレをしない程度に、どのくらいで数字を稼ぐ、と言っているのか述べるならば、現行ジャンル(所謂社会現象アニメではないにしろ、アニメやグッズ展開が活発に行われているジャンル)の二番目くらいに支部投稿数の多いCPで、常に100~1000程度のブックマーク稼ぐくらいである。投稿作品は10本。
ほほーんすごいじゃねぇか、と思ってもらえるだろうか。だがこの数字、もう少し続きがある。
当推しCP小説の投稿数は4000程度、このうちブックマーク100以上の作品数は2000程度(特定されないようにある程度数字は変えてあるが、だいたいこんなもんだ)。つまるところ、おおよそ50%はブクマ100以上なのである。投稿された小説の半分以上はブクマ数100以上。意外に感じた人もいるのでないだろうか。こうしてみると、ブクマ100以上とは、あまりすごくはない。2分の1に滑り込むだけだ。まぐれ当たりもあり得る。
しかし、私がそこそこの数字を稼いでいると自負する点は、10本連続、という点だ。10回連続で2分の1に滑り込んでいる。単純に考えるなら、2分の1の10乗なので、1024分の1。これならば偶然ではない数値だ。
そんなこんなで、そこそこの数字を稼いでいると思っている。
さて、ここまでは長い前置きである。『パ字書き』こと私が、どういう存在であるかをざっくり知ってもらうための、長ったらしい説明であった。
ここからが本題で、パ字書きがどうして数字を稼いでいるか、という自分なりの考えと、パ字書きなりの苦悩についてお話したいのだ。
先程ざっくり神字書きとパ字書きの違いをお話したが、もう一つ気になるのは、神字書きとの違いではなく『パ字書き』と『そうでない字書き』の違いだろう。
『そうでない字書き』という新しい概念が出てきた。これは『パ字書きと同じくらいの文章を書いている筈なのに数字はいまいちで思い悩んでいる字書き』のことだ。長いので『ソ字書き』と言う。ネーミングセンスについては言及しないでいただきたい。
ソ字書きは思うことだろう。
「神字書きの文章がハネるのはわかる。あれは素晴らしい。でも自分とパ字書きの文章にそんなに差があるだろうか? なのに何故パ字書きの文章はハネて、自分のはハネない?」
ごもっともだ。それは悩むだろう。だって、ソ字書きの文章も、パ字書き程度には面白いのだ。そうでない場合もあるが、ここで言うソ字書きは、パ字書きと同等くらいの文章を書く人々のことだ。
統計をとったわけでもなし、根拠はないが、このソ字書き、結構多いのではないかと思う。そして思い悩むことだろう。ここで悩まない人間はそれでいい。その人たちはソ字書きではない。
そんな『パ字書き』と『ソ字書き』の差だが、ここにあるのは単純明快『自己プロデュース力』だ。
ここで一つ、これを読んでいる人(二次創作作品を投稿している人)にたずねたいのだが、皆々様は、支部やらTwitterやらへの投稿を何を楽しみに行っているのだろうか?
『純粋に二次創作が好きだから、その投稿先を求めて』これはあるだろう。みんなそこから入っている人が多いだろうと思う。
『せっかく書いたから、自分が書いた作品を多くの人に読んで欲しくて』これもあると思う。
『同じ趣味の人と交流したくて』なんと社交的なことだろう。素晴らしいと思う。
私とて同じだ。だけど、私にはもう一つ大きな動機がある。
そして、これが、おそらく私をパ字書きたらしめているのだと思う。
『自己プロデュース』が楽しい、とはどういうことかと言うと、私は商売が好きなのだ。
世間のニーズを調査して、そのニーズを満たす商品を仕入れ又は開発し、プロモーションを計画して、結果を出す。次の商品展開につなげる。ブランドイメージを築く。
こういう流れが大大大好物なのだ。大好きなのはヒマワリの種。へけけ。
正直、私が重きをおいて楽しんでいるのは『二次創作』ではなくこの『商売』だ。
小説の面白さは同じくらい。だけど、その小説、商品をどのように売り出すかによって数字は変わる。このことが、最高に私を興奮させるのだ。
支部に関して簡単な例をあげるとするならば、それは“サムネ”だ。
絵描きの皆様の方が、サムネに対する意識は高いのかもしれないが、字書きとてこのサムネは軽視できない要素だ。
支部には、絵を描けなくても利用できるテンプレの表紙というのが存在する。しかも最近はおしゃれな新しいテンプレが出てきて、それを利用している人も多いのではないだろうか。
使う人が多いということは、それだけ“埋もれる”ということだ。
自ジャンルでは、そこそこの頻度で小説が投稿される。社会現象ジャンル程ではないが、平均したら1日に2作くらいだろうか。特に週末は投稿が集中する。その全てを見る人というのは、そんなに多くない。みんな、興味を引くもの、面白そうなものを選んで読む。
ここで、表紙を差別化して目を引く、というのは大切な要素である。
さらに、統一感があればなおいい。一作目がハネた場合二作目も似た表紙であるならば「あっ前面白いの書いてた人の作品だ」と言う形で、そちらも読んでもらえる確立が上がる。
それからもう一つ。支部で言うなら、字数も大切な要素だと感じる。
これは、ある程度ジャンルにもよると思うし、自身の体感の話だが、支部で読む際に丁度いい字数と言うは『7000~15000字』くらいだと感じる。
短すぎると物足りなくて、長すぎると敬遠する。特に『ぱっとしない文章』を書く人間には、この字数がよい。私は、文章力のない人間に困難なことは二つだと思っている。『短い文章で上手くまとめること』と『長い文章を飽きさせずに読ませること』だ。それが出来るのは、神字書きの領域だ。それができる貴方ならば、私は貴方を神字書きと呼ぼう。
キャプションも大切だ。なるべく、話を端的に表現すべきだ。何せ、そんなにくどくど長い文章を並べ立てたら、それだけで飽きる。一文でそれがどういう話かアピールするべきだ。かつ、面白そうと思ってもらえる一文。その引きが重要だ。例えば『イエス・キリストと仏陀が、地上の安いアパートで二人暮らしをする話』。ほら、すごく面白そう。
最近フリートとかいうインスタ気取りの機能を搭載し、オタクのおもちゃにされがちなTwitterだ。
ここに広告を打つ。
しかし、このTwitterというコンテンツ、どちらかと言えば相性がいいのは絵描きだ。どんぶらこっこどんぶらこっこと次々ツイートが流れゆくTL。断然目を引くのは絵である。パ字書きがフォロワーを稼ぐのは結構難しい。『字書きは基本支部でのフォローで十分。Twitterはフォローしない』そういう人、多いだろう。正直、私のフォロワーも、支部の方が多い。最近ようやくTwitterのフォロワー数が追いついてきた。
ではどうしたらいいか。ここで味方につけるべきは、そう。絵描きの皆様方である。
やめてください。引かないで。別にそういう打算的な目で見てるわけではないんですって。ただ事実を語ってるのよ。
というより、ちょっとしたお願いに近い。思い悩むソ字書きがいて、貴方が絵描きで、その人の文章を面白いと思ったならば、そのソ字書きを救うのは紛れもなく、貴方である。貴方が広告塔だ。
Twitterにおいて絵描きの拡散力というのは、程度は違えど絶大である。絵描きはまた絵描きとつながっており、そこからまた拡散が生じる。私はこれを『絵師ブースト』と呼んでいる。字書きにはありがたいものだ。
また、これは今まで私がいたジャンル特有のものかもしれないが、絵描きは絵を摂取しRTするより、小説を摂取しRTする方が抵抗が少ないらしい。これも統計に基づくデータではない。周辺の絵描きへの聴き取り調査によるものだ。ある一人の絵描きの発言を借りるのならば『オタクというのは、戦闘民族なので、同類絵描きは友でありながら同じリングに上がる宿敵である』という事らしい。オタクは戦う。その点、字書きはリングが違う。だから絵描きも応援しやすい。そういう事らしい。
Twitterでそういう絵師の目に留まって、広告塔になってもらえれば数字は伸びやすくなる。あわよくばつながっていければベターだ。そんなに難しいことではない。一点、性癖を刺激する部分を意識しながら、小説を書き続ければいい。
例えば、『小×大(通称ショウダイ)』というCPの「はす向かいのトロロ」と言うタイトルの小説を書いて、支部にあげ、そのリンクをTwitterに貼るとする。ただし、ここでタイトルが「はす向かいのトロロ」だけでは、『ショウダイ』で検索したときに引っかからない。これでは、貴方をフォローしている人間の目にしか留まらず、新規の獲得は難しい。なのでタイトルに【ショウダイ】とでも入れておくか、ツイートに自然な流れでショウダイというワードを入れ、ショウダイで検索する興味のあるユーザーの目に留まる確率を増やすことも必要だ。やっている人、多いだろう。
こういうことを考えるのが、私は好きなのである。
そして、こうすることで目に見えて成果が出るのが楽しい。R-18と全年齢のブクマ数の違いを分析したり、ジャンルで人気のある文体を調べてみたり、フォロワーの多い人のツイートに刺激を受けたり。そうやって、実際にフォロワーやブクマ数の変動を見ているのが楽しいのである。
勿論上手くいかない時もある。全てを自分がコントロールできるわけではない。自身の投稿が、神字書きの投稿に被さって、完全にそっちに持っていかれたり、公式から重大発表があってツイートが爆速で流されていくこともある。
それでもそういう時は、続編を書いて前のいまいちハネなかった小説のリンクを乗せたり、後からRTしてみたり(自RTはリスクも多いので極力控えるが)、後からフォローを行って、何とか一つ自身のボーダーとしているブクマ100を達成させる。
こうして、自分のアカウントをプロデュースして運用していくのがとても楽しい。
おそらく、パ字書きとソ字書きの差は、ここにあるのだろう。
たまに「こういう事じゃなくて、純粋に文章力を磨くべき」とか「SNSのこういうところに疲れる」という声を聞く。
それも一つ、正しいと思う。そういう人は、パ字書きではなく、まっすぐ神字書きを目指す方針を取ればよい。これも数字を取る方略としてアリだ。むしろ王道だろう。パ字書きはやや邪道だ。私は蛇の道から、神字書きを目指す貴方を応援している。
だけど、皆様、アイドルプロデュース系のゲーム、お好きではないか?
相手の好きなものを分析して、攻略していく系のゲーム、お好きではないか?
それと同じ感覚だ。それと同じで『二次創作アカウントプロデュースゲーム』も楽しい。なんらおかしくはないのではないか。自分のマネージャーになって1000ブクマ目指そう!目指せ最大手!……悪くないキャッチコピーだ。
Twitterは後者の攻略ゲームに近い。周囲の絵描きや字書きの好みを分析しながら、そこに程よく合致する作品を書く。露骨に書きすぎないのがコツだ。ちょっとした“萌え”を刺激する。『ナースのイメプレ読みたいな……』と言っている人がいたら、他のイメプレにするか、ナースの方を拾って看病ものにしてみるのもいいかもしれない。そうしてターゲットを絞って狙っていく。引かないでください。別そういう打算的なことだk……何はともあれ、作戦が上手くいくとそこにはえもしれぬ達成感がある。成果もついてくる。二次創作者攻略ゲーム。楽しい。
それにそうやってパ字書きやっているうちに、作品数を重ねて神字書きになる道もあるだろう。神字書きになっても、自己プロデュースは無駄にならない。
神字書きになる前のちょっとした段階として、パ字書きを経由するのも良いのではないか? そういうススメだ。
ただし、ここでパ字書きの闇にも触れておきたい。
ここまでパ字書き悪くないぞ、という話をしてきたが、問題は、神字書きにはだいたいバレる、ということだ。
バレるというか、ちょっと面白くないように思われているのを肌で感じる時がある。
これは、神字書きにも思われることだ。
たまにまかり間違って、神字書きと投稿時期が被った時、自分の方が数字が大きいとやや気まずい。実際あったが、これは本当に気まずかった。明らか、神字書きの方が文章が上手い。しかもテーマも似通っていて、字数も同じくらい。言わば、神字書きの文章がイタリアンシェフの高級パスタだったのに対し、私のはめちゃくちゃ即物的なカップ焼きそばだった。だけど、その時、ジャンルでウケたのはカップ焼きそばだった。そういう時もある。たぶん、みんな疲れていて、そんなにゆっくり味わう時間がなかった。
その直後、私はその神字書きにリムられてしまった。やられた。せっかく攻略したのに。
上記のことだけじゃなく何か他にも性癖なりなんなり理由があったのかもしれないが、カップ焼きそばを動線の一番いいところに大量陳列して売上を稼いでいることがバレてしまったからだろうと思う。『こいつそれなりの振りしてるが、実のところ文章ぱっとしねぇな』と、気づかれてしまったらしい。パ字書きバレしてしまった。不覚。
こればかりは、自分でも自覚があるからどうしようもない。自分の文章は神字書きと比べてぱっとしない。の割に数字を稼ぐ。これは、本当に文章力がある人からしたら、非常に滑稽だろうし、面白くないだろう。私が神字書きだったら面白くない。
自己プロデュースを楽しんでいる私だが、それと同時に二次創作が好きだし、文章も好きなので、やはり「上手く書きたい」と感じる時もある。オタクは戦闘民族だ。圧倒的火力で殴りたい。こういう時、パ字書きはどうしても『自分は本物ではない』という葛藤に苛まれることがある。足りない文章力を、自己プロデュースでかさまししていることを、自分が一番よく知っているからだ。
その葛藤から逃れるためには、結局のところ、文章力を磨くしかない。それは変わりない。
しかし、数字はモチベーションになる。読者が多いことは励みになる。パ字書きであることは、私の筆の進みをサポートしてくれる。
圧倒的火力を手に入れるその日まで、私は頭を使ってリングに上がる。
こういう楽しみ方や、オタクもアリだろうと、そう思ってくれる人がいるならば、嬉しく思う。
あと、この文章を読んで、周りにパ字書きがいても嫌いにならないでね。結構、面白い文章書いてるはずだから。単純に頭使って頑張ってるだけの奴らだから。
以上、パ字書きのススメでした!
車では彼はボソボソ少ししか話してくれなかったので、喋るのが苦手な私がひたすら頑張って話していた。
に、「女性に慣れていない男性」について、何一つ分かってなさそうなのでコメントしたら、
相手とコミュニケーション取ろうとしない人間がいたって話をどうやったらこんな意味不明に解釈できるん?謎の上から目線といいまじキモすぎる
そもそも「相手とコミュニケーションを取ろうとしない」と受け取る時点で、かなりずれてる。
もちろんそうではない。「女性に慣れていない男性」は話そうとしている。コミュニケーションを取ろうとしてる。
ではなぜ彼は発話しないのか。「女性に慣れていない男性」にとっては、むしろ話さないのが当然なのだ。これにはいろいろな要因がある。が、多い要因としては以下だろう。
男性のほとんどは仕事に費やされる。女性にはわからないだろうが、仕事で「出来ない」という烙印を押される事は死を意味する。割と冗談ではない。仕事が嫌いなのに、仕事に費やさざる得ない苦しさは全くわからないのだろう。好きな仕事をすればいい?正気か?そんなことは不可能だ。そもそもそんな圧倒的な能力があるなら、婚活なんかするわけがあるまい。
結婚すれば家庭に入るのだからという思いで、家庭や親の話をするし、仕事が中心にならざる得ない。それ以外は会話のバリエーションなどあるわけがない。「女性に慣れていない男性」はあまり仕事ではパッとしないことが多い。だからこそ、仕事中心で考えざる得ないのだ。
「女性を意識しすぎる」のは、失敗したくない、付き合いたいというのももちろんある。それと、仕事しかしてなく、慣れてないからだ。慣れてないから、何から切り出していいかわからない。その結果何も切り出すことも出来ない。
え?なんでも気軽に切り出せば良いんじゃないの? と思うこと自体、男性のことを何も分かってない。男性では、女性にとても慣れたやつでないとそんなことは不可能だ。
そう思わない人は、そうじゃないところを見すぎなだけ。普通の男性は女性の状態に合わせて話を変えるなんてことは出来ない。
それが出来るのは女性をくどく気満々で、それこそ恋愛工学なんて、内心鼻で笑えるほど考えきって実践したやつだけだ。人数的にはたくさんいるかも知れないが、そうでない人のほうが圧倒的に多い。
まるで慣れてないから「失敗したくない」という意識で自縄自縛になり、何も話せない。これが普通だ。別にコミュニケーションを取りたくないわけではない。失敗できないから、更に硬くなり、さらに失敗していく。
あと、男性は「興味がない女性にはとことん興味が沸かない」生き物だ。女性と付き合いたいとは思うが、どうでもいいかなーと思う女性には、意識が全く働かない。おそらく男性というのはそういう生き物なのだろう。
にもかかわらず失敗できないので、更に自縄自縛が解けない。なにか話そうと思いはするのだが、実際には大して興味がないので、質問事項を思いつかない。なので沈黙が重なるだけ。
これがわからないと、失敗ばかり重ねていく。
ということで、「女性に慣れていない男性」の内容を説明してみた。これの解消は、単純明快、「女性に慣れる」ことしかない。だから、「女性に慣れていない男性」でないと思える場合、大なり小なり、女性には慣れてる。当然ながら、女性をうまくエスコートでき、それが出来るぐらい時間もカネも投資していることを意味する。
なぜ投資をしているかと言えば、女性とやる気満々だからだ。でなければそんな投資はしない。無駄になるだけだから。
少なくともほんとに浮気するかはともかく、能力的には可能であることを意味する。ほんとにその方が良いの?とコメントした。
ちなみに言っておくが、「女性に慣れていない男性」がそのままでいいなどとは全く思ってない。無知度合いがひどすぎるのでコメントしただけだ。
一部のオーディオマニアは、電源タップやケーブルを「良いもの」に変えると音質が向上すると信じている。
常識で考えて、そんなわけはないのだが、なぜ彼らはそんな荒唐無稽な妄想を抱いてしまうのか。(たとえばケーブルによって変わる電気的な特性は、導線の抵抗値くらいしかないが、それは部屋の温度が数度変わるのと同じ程度の影響しかない)
ここでは、そんな彼らの多くが共通して信じている理論の紹介と、なぜ人はそういうニセ科学を信じてしまうのかについて説明する。
オーディオに関する非科学を信じる人の多くが共通して持っている考えは、電気には「きれいな電気」と「そうでない電気」があるというものだ。これはちょうど、飲料水に「きれいな水」と「そうでない水」があり、きれいな水を飲むと健康に良いと言うようなものだ。電気の場合は当然、「きれいな電気」で駆動したスピーカーからは「良い音」が発せられると彼らは主張する。
彼らによれば、家庭用の電源や大衆向けオーディオ機器に流れる電気は「きれいな電気」ではない。それをオーディオマニア向けの高額製品を使って変換したり、「不純物」の少ないケーブルを通すことで、スピーカーに「きれいな電気」が流れるらしい。
この理論の秀逸なところは、その単純さにある。本来、音質を決定づける要因は無数にあり、それらは複雑に影響しあっている。それらをすべて把握することは容易ではない。しかし、「きれいな電気理論」なら、
「高額オーディオ製品を通す→きれいな電気が流れる→音質がよくなる」
となり、単純明快だ。水質と健康のアナロジーで理解しやすいのもポイントだ。
オーディオオカルトに限らず、多くのニセ科学に共通するのが、問題を過度に単純化して説明を試みる点だ。マイナスイオンは身体に良くてプラスイオンは身体に悪いし、血液型性格判断診断なら人間の性格は4種類に分類できるし、波動測定装置を使えばあらゆる食品が身体にいいかどうかたった1つの指標で判定可能だ。
もちろん、「問題を単純化して説明する」というアプローチ自体は間違っていない。たとえば、力学で摩擦や空気抵抗が非常に小さいならば、それらは無いものとして考える。疑似科学の問題は、その理論を立証する過程で実験者の主観を排除するしくみが備わっていなかったり、そもそも理論中の概念が適切に定義されていなかったりする点だ。オーディオの場合で言えば、音質の評価は聴者の主観や対象製品への先入観に大きく依存するし、そもそも「よい音」とか「きれいな電気」の実態も正確に定義されていない。
だから、この種の「きれいな電気を流せば音質がよくなる論」は疑似科学である。
なぜ、オーディオマニアはこのような疑似科学を信じるのか?結局、人は安易な理屈がつけられるものを信じるということだ。オーディオ機器の内部構造やそれらの音質に与える影響を正確に理解するには、どうしたって大学レベルの物理や工学の知識が要る。一方、オーディオマニアの理論なら
これだけの理解で済む。一部の人達にとっては、小難しい数式を出されるよりも、こちらの方が説得力があるのだろう。
ただ、事実はこの説明の通りにはなっていない。ケーブルや電源タップの変化をブラインドテストで聴き分けられた人は、この世に存在しない。結論としては、音質の向上を期待してそんなところに金をかけるのは、馬鹿げていると言える。
「良い学校や企業に入れる女性の人数を今よりも増やせ」という大きな主張が背景にあり、それにもとづいて個別の主張を行っている。
高校入試の場合、確かに東京の有名私立の女子高に通っている女性も多い。
もっといえば、進学先がなくて中卒になってしまうことに比べたら、高校に進学できるだけでもまだ良い結果だといえる。
だからこそ性別で枠を設けると、学力的に良い都立高校に入れる、あるいはとにかく高校には入れるはずだった女子が弾かれてしまうため、枠を撤廃しろと主張している。
高校入試で性別枠を撤廃すると、良い高校に入れる女性の人数が今よりも増える。
東大や京大をはじめ、良い大学の女性の割合が低すぎるため、女性枠を作ってでも男女比を均等に近づけろと主張している。
これも女性枠を作ることで、良い大学に入れる女性の人数が今よりも増えるから。
私は30代女医。都内で0歳の子供と夫(東大理系出身会社員)と暮らしている。
義母は60代。非医療職で大卒文系専業主婦。すごくいい人なんだけど不安が強め。
ワクチン接種の予約のお手伝いでもできるかなと思って軽い気持ちで
私「ワクチンはワクチンの成分に対して重篤なアレルギーになった人は要検討ですけど、
雲行きが怪しくなった。
義母「●さん(私)は優秀なお医者様で医大の先生の教えを素直に聞いているからあんなことを言っているけど・・・」
(スピーカーホンですべて聞こえている。夫は聞き流している。)
義母「ワクチンを打った若い看護師が夜勤前にお弁当を作った状態で倒れて発見された」
義母「政府はワクチンとの因果関係は不明といっているが、関連を認めたら保証で何千万も払わないといけないから認めていないだけだ」
義母「ロシア政府がファイザー製ワクチンは危険だと言っている」
だんだん怪しくなってきた。
義母はこれらの情報をYouTubeで得ているらしい。そして得た知識を義父に逐一伝えているらしい。
そして義父も打たないと。
しまいには涙ながらに
義母「○○ちゃん(夫)には絶対打ってほしくない。」と言い出したので夫はハイハイと流して電話を切った。
身近にワクチン陰謀論者がいることに面食らってしまったと同時に無力感に襲われた。
もうこれはだめだ、修正不能だ。私や夫が何を言っても余計に向こうは殻を作ってしまうんだろうな。
上記スペックの夫婦の言うことよりYouTubeで得た知識の方が正しいと思っていらっしゃる。
我々は分子生物学、生理学、薬理学、免疫学、統計学等の基礎知識があって(すべてを覚えてるわけじゃないけどさ)
さまざまな情報を吟味して総合的に考えて正しいと思う選択をしているんだけどな。
義母に言わせると「医大の先生の言うことを素直に聞いている」だけらしい。
YouTubeで「コロナ ワクチン 危険」「コロナ ワクチン 死亡」で検索しても上位検索結果にはそんな陰謀論は出てこない。
けど探したら確かにある。関連動画がサジェストされる。(腹が立ったからYouTubeに報告した)
これは陰謀論から抜け出した高知東生も言っていたな。(参考: https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_601fad66c5b6f38d06e46780)
・孤独
・政治思想
科学の答えは本来一つのはずなのに、今の野党はトンデモ有識者()の意見を参考にしたり未だにPCR拡充とか言っている(この1年間何を見ていたんだ?)のを見ると
政治思想が違うと採用する科学的主張が変わるのだなと思う。(都合のいいことを言ってくれる人を探してくる)
陰謀論はワクチンに不安を覚えている人が、打たない理由を探しているときに単純明快な理由をくれる。
耳に優しいんですよ。
あと「自分だけが知っている感」「隠された事実を暴いている感」が変な高揚感を生むだろうな。
陰謀論を信じている人は悪くない。(流布しだしたら有害だけど)
「時間をかけて話し合う」とか…
そんなことをしたら余計に溝が広がるどころか絶縁もあり得るのではと思う。
さあこれからどうしよう。
義父だけでもワクチン打ってほしいなぁ。そして孫に会ってほしい。
(義父は聡明な人間のできた人なので、義母の話を流しているだけであることを祈る)
お食い初めの時しか孫に会えてなくて、義父は五月人形のロボットを作っていてこれで孫と遊ぶんだぁって言っているらしい。
切ないなぁ。
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コロナのことだけではなく、いろんな偽情報に騙されないための思考法のヒントが書いてあります。
「新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実 (日経プレミアシリーズ) 」 峰宗太郎
https://www.amazon.co.jp/dp/B08PF8LWG8/ref=cm_sw_r_tw_dp_BSJBB10R2ZDKCM5QFNRG
あとコロナワクチンのそのものについてはこちらがわかりやすいです。
「日米で診療にあたる医師ら10人が総力回答! 新型コロナワクチンQ&A100 」 コロワくんサポーターズ https://www.amazon.co.jp/dp/B092PRHC95/ref=cm_sw_r_tw_dp_800G310B8YZ1SN6VTWG2
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
BL同人がネタにされて同人作者からお気持ちされて話題になりましたね。
これは晒しだ、クローズドでセンシティブである同人をネタにしたのだから問題なのだというふうになっていますが、これはただたんに作者にとって不快、要するにネタとして扱ってほしくないという単純明快な話だと思います。
現在だと男性から見てセクシーな女性に対してセクシーだよねというのはご法度ですし、頭が薄い人に対して面と向かってハゲというのもご法度です。アウティングもご法度。相手の気持ちを踏みにじる行為は今後さらに自分自身を痛めつける行為となってしまうでしょう。
そして今回の話題で新しい問題提起になりそうだなと私が思っているのは、「作者にとって不快」であることが今後どんどん発信されていき、バクマンで面白い漫画の特徴の一つとして挙げられていたシリアスな笑いが終わりへと近づいていくだろうということです。
読者にとってネタとして面白く、それをネタとして公に発信してしまった場合、そのネタが作者にとって解釈違いだった場合にそれが問題となりうる時代が来ているのでは?ということです。
少年漫画を例として挙げましたが、実際のところBLでも男性用の成人向けでも18禁の漫画はシリアスな笑いを内包している作品が多いです。
大体の漫画がまぐわうことを軸としているので、展開が強引になりやすくそこがネタとして読者は受け取ってしまうことが多くなってしまいます。
クリムゾン先生の作品がビクビクしまくっているだとか、そこをネタにしてこれ面白いわwとかYouTubeやTwitterで言ってしまった場合、作者がそこを面白いとか言ってほしくないというお気持ちを表明したらもうそこをネタにすることは公の場合で不可能になる時代が来ることが予想されます。
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同人作者のTwitterではお金も入らないしというものもありましたが、果たして今回の問題はお金で解決できる問題なのでしょうか?
私はすべてお気持ちになると思っています。そして、今後二次創作はすべて作者のお気持ち次第になるのでは?と思っています。
二次創作の作者ではなく、二次創作元の作者のお気持ちが今後表明される時代が来る。そして作者が許容している場合のみ二次創作でお金を取ることが可能となる未来が来ると予想しています。
二次創作されてしまっている側の作者のお気持ちが一番になり、いわば自分の作品なのに作者には何にも還元されなく、ある意味転売されている今の二次創作システムが終りを迎えるということです。
私の作品でエロ漫画を描かないでください、勝手にゲイにしないでください。