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はてなキーワード: ターザンとは

2021-03-25

anond:20210325164319

雑誌ターザンバックナンバーでも読んだらどうだ?

 

正直なところ、初心者筋トレなんて何をやってもプラスマイナスになりようがない。

調べるどうこうで考えるよりは、何でも継続してやってみたまえ。

2021-01-23

anond:20210123114020

そういう人にならないようにしようって思う。

それがターザン意思

2020-12-08

anond:20201208190859

せっかくなので20年前のベスト10も見てみたが

家族テーマにした作品ポケモンドラえもん短編映画「おばあちゃんの思い出」ぐらいしかないぞ

グリーンマイルトイストーリー2は少し違う気がする)

やはりだんだん家族テーマにしてヒットする作品は増えてないか

M:i-2

グリーンマイル

劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王

ホワイトアウト

パーフェクト・ストーム

トイ・ストーリー2

エンド・オブ・デイズ

ドラえもん のび太太陽王伝説/ザ・ドラえもんズ ドキド機関車大爆走!/おばあちゃんの思い出

ターザン

名探偵コナン 瞳の中の暗殺者

2020-10-09

夫婦リングフィットで変わったせいか

ご時世であったり、流行であったり、詫びであったりが重なって、夫婦そろって半年リングフィットを続けた。最初は続けるのがつらかったのが、今となっては日課である

お互いに、骨格がわかる箇所がでてきたり、筋肉、というか、内側から張りがでてきたりしてきて、目に見える成果があると、もはやゲームではないような気もする。

で。セックスがすっごくよくなったんですよね。これはもうすっごく。

あとで疲れなくなった。贅肉が薄くなったので、より密着している実感がある。なんなら私の愚息は長くなったような気がする。さすがにここに筋肉はつかない。以前は、お互い体に張りがないと自覚があり、隠したい気持ちがあり、また、肌が触れ合うのもちょっと気持ち悪かった。リングフィットちょっと重くすると汗をかくのが通常営業になるので、この不快感が消えた。汗はかくもんだ!

お互いの体を見たいし、見せたいし、自分の体も見たい。触りたい。実に原始的欲望だと思うが、コミュニケーション以上に、触れ合うのが体感気持ちよさだけではなく、精神的な充足すら与えてくる。

こうなると、リングフィットを続け、ターザンでも読み、自分の体をどうしたいか、どう見せたいか、どのように動かせるようにしたいか、と欲が出てくる。その中にセックスが隠されている。

で、終えてから、この筋肉を使った状態からリングフィットでもうひとつ追いこみだ! と全裸フィットアドベンチャー

2020-09-14

anond:20200914143403

ターザンにつかえなものITはいわん。ICTとよべ。あーあああ

ああああ

区別もつかない

ものITとはよばん。

2020-08-22

募集が0人に限りなく近づく仕事を考えろといわれたので、人食いライオンパンチする仕事という募集を出したら、頭の悪いターザン募集してきた場合空気読んで・・・コロナ

2020-05-09

1年ぶりぐらいに、女を見た ターザン

2020-03-02

野田秀樹はようするによくいる体育会系のノリが嫌いな人

Tarzan books

体でっかち

野田 秀樹【著】

マガジンハウス(1988/12発売)

内容説明

スポーツマンバカだ!こんな、神をも恐れぬ暴言が、果たして許されるのか?ターザン連載〈頭で体操〉がついに登場!

目次

スポーツ界のタブーに肉薄する

今、水球が一番ハヤッてるんだって

夏がくれば思い出す、はるかバカ、遠い甲子園

これが、スポーツマンシップだ!?

プレッシャーってなんだ!?

一流選手ものういモノダ?

負けるなソフトボール。下には下がある

あの…僕はじめてなんです

日本人の勤勉さと、相撲とりのただならぬ仲

重量挙げマンガを無理矢理考える〔ほか

2020-02-25

[]コリの酷い増田さん達へ

首まわりの軽い凝りをほぐしたい。ならば「ホットタオル×スタティックストレッチ」 | Tarzan Webターザンウェブhttps://tarzanweb.jp/post-182904

2019-08-21

メンタル豆腐な僕たちのために。

増田のみんなーッ。

Tarzan(ターザン) 2019年8月8日号 No.769 [自律神経セルフケア。]

みたいだよ。

2019-07-05

アメリカ映画を観た思い出について約10年前祖父に聞いてみた記録

※本人より聞いたまま書いたため何処まで正確な事柄なのか不明

祖父、当時83歳)

――初めてアメリカ映画を観たのは何才頃でしたか

映画昭和14年の10月ごろから観はじめた。当時14歳で静岡県浜松市の卸問屋丁稚として働き、主にそこの配達仕事をしていた。その仕事にある程度の余裕ができてきたので、暇なとき映画を観に行けるようになった。映画館で映画を観たのは海兵に志願する前の18歳頃までだった。行っていた映画館は何軒かあって、機場町か塩町にあった「浜松アズマ座」、連尺町の「松竹館」、「浜宝映画」に主によく行っていた。その中でもアメリカ映画などの洋画は、「浜松アズマ座」でのみ見ることができた。映画会社の協定か何かで決まっていたらしいね映画館には、フィルムの新しい、最新映画を見せる封切り館と、何ヶ月かまたは何年か前の映画を見せるところと二種類あったが、「アズマ座」は封切り館ではなかったので、たまにエノケン榎本健一)の、まげものコメディ映画らしいです)を最新作として上映していたほかは、何ヶ月か、または何年か前の古い映画の、特に洋画を流していたよ。当時映画は2本立てが普通で、それに加えて短いニュース映画がついていた。(ニュース映画は、戦時中だったためかなりプロパガンダ色のつよい内容だったようです。)邦画邦画邦画の2本だったけど、洋画を見るとき邦画洋画一本ずつがセットでの2本立てだった。洋画の方が邦画に比べて長かったからじゃないかな、だいたい洋画が1時間半くらいで、それに短めの邦画が一緒にやっていた。

――洋画を観に来ていた人達の年齢層は?

洋画を見に来ていたのは、若者が多かった。英語を習っている学生なんかも多かったよ、映画字幕だったから。自分も観ているうちに「カモーン」などといくらか覚えた。昭和12年頃はトーキー(声が入っている映画)と無声映画に弁師がいたのと半々だったけど、自分映画を見はじめた頃にはもう大体今みたいな映画だった。あと、洋画は、高校生以下は保護者同伴でないと観に入ってはいけないという決まりがあった。自分学校に行ってなかったか関係なく観ていたけども。

――どんな映画を観た?

初めて観たのは「ターザン」。20世紀フォックスだったかの、ハリウッドもの映画だったよ。主演のターザン役が何回も変わっていて、ターザンシリーズは4本くらい観たことがある。バスタークラブがやっていたのは覚えている。(バスタークラブが主演を演じたのは「蛮勇タルザン」(1933) Tarzan the Fearlessターザン役をやっていた奴は皆、オリンピックとかでメダルを取った選手だったみたいだよ。でも、「ターザン」を観た、と言ったら「そんなもの観るなんてガキだ」と奉公先の年上の人たちに馬鹿にされた。その次に覚えているのは、「ジェロニモ」。昭和15年に観た。タイロンパウアーが出ていた。(タイロン・パワーのことだと思いますしかタイロン・パワーは「ジェロニモ」に出ていないようなので人違いでしょう。)アメリカマフィアやなんかのギャング映画あんまり受けてなかったなぁ。よくわからなかった。見た中で一番印象に残っているのは「再会」(1944制作原題TOGETHER AGAIN日本公開は1947年。このため、祖父が実際にこの映画を観たのは戦後であるのかもしれない。) シャルル・ボアイと、女の方がアイリン・ダンがやっていた。記憶喪失した女性が何年かして再び記憶を取り戻す話だった。

――その後は観る機会はなかったのですか?

19歳から兵隊として海軍へ行っていたので観られなかった。横須賀の竹山海兵団に3か月、そこで試験の成績がよかったので、飛行機整備学校へいって飛行機の整備についての勉強をしたよ。戦争も終わりの方だったから、整備学校では4か月ですべての事を勉強させられた。そして海軍整備士として働いていたのだけど、そこで娯楽として洋画が観られた。教育間中や、新兵にはみせなかった。「進め竜騎兵」(1936年制作)「ドナウ川さざなみ」(詳細不明)「青きドナウ」(1963年公開のためこれも記憶いか?)などを観た。あまり色んな種類がなかったらしく、同じ映画を何度も観せられた。

――なんで軍隊の中で観ることができたの?

敵の情報を知るため、というのが名目だった。でも、軍でみているということは他言してはいけないといわれていた。アメリカ映画を娯楽として観ることができたのは海軍だけだったみたいだ。映画フィルムは、映画から取り上げたものを上映していたらしい。映画を見るときは夕食を30分早くやって6時以降に観た。右舷、左舷と二つのグループに分かれていて、交替で観ていた。その頃は就寝が8時、飛行機の整備のためにパイロットの連中よりも1時間早く朝2時に起こされ飛行機の整備をしていた。

――戦争が終わった後は観に行った?

戦争が終わった後は、映画なんて見ている余裕がなかった。戦後すぐは警察官になっていたので、仕事の見回りで映画館にも観に行ったことはあった。でも昔ほどは興味がなくなり、外でたばこを吸ったりしている時間が多かった。

2019-06-27

ターザン駆除剤を買ってきた

放置すると畑を荒らすからしゃーない

2019-01-09

ウキ

サルの鳴き声って、どうしてウキーとかウッキッキーとかで表されるんだろう。

あいつら実際はキーキー甲高い鳴き声を出すし、場合によっては犬と聞き間違えそうな声出すのに。

文章表記になると、途端にウキウキしだすのはなんでなんだろう。

あれかな、犬の鳴き声だって実際にはワンワン言ってないはずなのに、そう表記してるのと同じなのかな。

それとも、昔の日本人にはサルの鳴き声が確かにウキウキ聞こえていたのかも。

ちょっと脱線するけど、ゴリラってウホウホ言ってるイメージがある。なぜそんなイメージが生まれたんだろう。いつたくさんの人たちにその鳴き声が共有されるようになったのだろう。

よくよく考えてみると、熱帯のジャングルに住む類人猿、要はオランウータンなんだけど、彼らはどういうわけか空気を含んだ声を発する傾向がある気がする。

あくまでもそんな気がするってだけで、実際にどうかは面倒だからかめないけど、もしかしたらゴリラオランウータンなどに関するウホウホは、実際に鳴き声の映像が流れたから生まれたのかもしれない。

ムツゴロウさんがテレビ活躍していた影響か、はたまた生き物地球紀行が放送していたためなのか。

とにもかくにも、メディアを通して類人猿がウホウホ言ってるって認識が広まったために、サルの鳴き声も相応に形成されていったのかもしれない。

もしそうなら、サルウキウキしだしたのは比較最近になってからなのかな。だとしたらいつ頃からなんだろう。

あるいは、ターザンの影響もでかいのかも。あの映画で描かれた類人猿の鳴き声が震源地なのかしらん。ともすると、サルウキウキアメリカ由来ってことになる可能性があるのかも。

気になる気になる。ウキウキウキウキ

2018-11-22

anond:20181122111300

西洋人文化レベルの劣る有色人種をむしろ称揚して味方するっていうのは、

ターザンとかダンスウィズウルブスとかラスト・サムライとか定番ジャンルなんだけど、

未開の土地文明を作ろうとするなろう系の現代知識チートとはちょっと流れが違うんだよね。

2018-01-24

ゴルゴ13に学ぶSEX時のセリフ

  • 「そのかわり、夜のおつとめなら、彼の三年分を俺は三時間でこなせるぜ!触ってみろよ!」「まあ!まるでターザンね!」
  • 「すてき!!ああ……雨のサントロペ!!恋のサントロペ!!」
  • 「……今夜はステージをへらすわ……そのまま待っててちょうだい…………なにも着る必要はないのよ………」
  • 「でも……それ以上におどろいたのはあんたがインポじゃなかったってこと!」
  • 「ねぇ、睾丸ボール)もなめてほしい?」
  • わたし………きんちょうのあとは必ず燃えるの……」
  • 「そ、そこに息をかけられると………しゃべれなくなるの。」
  • 「すぐに出て行かないと……ペニスをふっとばすわよ!」
  • 「……ああっ あ、あなた、あたしの中へ な、何を入れたの!?………」
  • 「おおお~~~っ ち、ちくしょうっ こ、こんなのってあるのォ!! 悪魔!! 人殺し!! あああ~~~」
  • 「オオオッ ハニー、早く!! 早くここへ来てあなたの”火掻棒”で、燃えたたせてちょうだい!!」
  • デューク!!まるで豹(パンサー)よ!! ねぇ言って、私っていい!?」「………」
  • あなたもいい!? あたしの、あなたのを噛んでるみたい!? す、すごいと言って!! アアア~~~ッ!!」
  • 「Ohhh!DukeDukeちくしょう。な、なんて男なのっ。やめたら殺すから!!」
  • ちくしょう! 許さないよ! 絶対その気にさせてやる!」
  • 「シャット ユア マウス(おだまり)!!」
  • 「おおお~っ煮えてるよ!煮えたぎっている! 」

2017-12-09

親戚の青年20代自殺した

思い出す。

の子が幼い頃、私が付き添って近所の公園遊んだ

ターザンロープ遊具で、私が背中を押した。

強く押しすぎて、

向こうの終端に勢い良くぶつかり、

弾みでその子が地面に叩きつけられた。

「やべえっ」と急いで駆け寄ったが、

の子は泣かなかった。

ぐっと涙をこらえていた。

強い子だなあと思った。

の子高校ラグビー部に入ったと聞き、

上の事を思い出して「やっぱり強い子だったんだな」と思った。

の子大学中退し、

数年修行した後で個人飲食店を始めた。

それが上手くいか自殺した。

若い頃の失敗は自分にもある。

配送仕事で、職場のおばちゃんから少しキツイことを言われ、

そのショックで配送車ごとバックレた。

自分も死のうと思ったが、

勇気がなくて2日後に戻り、解雇された。

祖母の事も思い出した。

私が小さい頃の祖母は、どっしり構えて貫禄があった。

実家も嫁ぎ先も農家から、戸惑うこともなかっただろう。

そう考えてた。

ほんの数年前に祖母本人から話を聞いたが、

祖母女学校に通っていて、結婚するまで農作業経験しなかったそうだ。

慣れない仕事だし、ヒルが脚に張り付いて血を吸うのが嫌だった。

何度か実家に逃げ戻ったが、その度に義父(私の曽祖父)が優しく迎えに来た。

この曽祖父は、昔聞いた話では競輪にのめり込んで借金を作ったらしい。

それを祖父夫婦が苦労して返済したというから

ろくでもない人だったんだろうなと思っていた。

が、今回の話で印象が変わった。

父は曽祖父に懐いていたというし。

そして、押しも押されぬ(訂正: 「押しも押されもせぬ」)オフクロといった風格の祖母が、

嫁いだばかりの頃は何度も逃げ出していたということに驚いた。

親戚の青年に話を戻す。

借金もあるだろうから

「周りに相談していれば」「いったん逃げていれば」

などと簡単には言えない。

だが…。

地面に叩きつけられても涙をこらえていたあの強さが、

いさぎよすぎる早まった行動に結びついたのでは、と感じる。

悩みを打ち明けることなんて、自分もできない。

引きこもり中年が板についた自分でも、

恥ずかしくて情けない体験談は、やはり人前では話せない。

だが、ここなら書ける。

自分自殺するかもしれないが、

その前に、ここに失敗談を書き残したい。

技術進歩すれば、

死にたい…」と口にしただけで

ウェブから失敗談を集めて読みやすく整理して、

「開き直ってもいいかもよ」と

助言してくれるようになるかもしれない。

そんな未来のために

の子と私と祖母の話をここに書き残しておきたい。


(追記: 2017年12月12日)

たくさんのコメントありがとうございます

感情に任せて投稿した後、後悔したり疲れ果てたりで、しばらくこのページを開くことができませんでした。

気持ちが落ち着いたので、返信と補足をします。

ブコメ: 「辛くて実家に逃げ帰る度に義父が迎えにくるとか最悪」

祖母が私に話した時点では、曽祖父はもちろん祖父も亡くなっていました。

この話は、私が職の定着に失敗し続けていた時期に、祖母と私の2人だけの場で話してくれたことです。

そのような状況で嫁ぎ先に遠慮して、本当は強引に連れ戻されたのに「優しく迎えに来てくれた」と嘘をつく必要はないと思います

また、私がその場で「ひいじいさんは競輪借金を作ったって、昔、聞いたことがあったから、ろくでもない人なんだと思ってた」と言うと、祖母が「そんなことないよー。優しい人でね。あんたの父さんもよく懐いてて、じいさんが死んだ時はワンワン泣いてたもの」と話してくれたので、やはり、強引な感じで連れ戻したのではないと私は思います

ただ、曽祖父が迎えに来た反面、祖父は夫として家の長男としての立場のため迎えには来なかったそうで、「ああ、昔の社会はそういうものだったのか」とは感じました。

ブコメ: 「死のうと思ったけど死ねなかった人が自殺した人をとやかく言っても説得力がない。彼は強いか死ねたんだよ。」

その青年は私よりも背が高く、体つきも良く、身びいき抜きでイケメンでした。

肉体的にも精神的にも、間違いなく私より強かったと思います

しかしどうしても、彼の死について、とやかく言いたくなります

自分能力過大評価したり、目標を高く設定したり、「こうしなければ」と自ら重荷を背負うことは、誰にでもあると思います

特に若い頃は。

私は今でもそうですが、長い引きこもり期間と心療内科への通院を経て、ようやく自分のペースを掴んできたと思います

そして自分若い頃を振り返ってみると、能力のないくせに自信過剰で、何でも真に受けて深刻に捉えてしま人間だったと感じます

暴走して職場迷惑をかけて、辞めて、死のうとして、それを何度も繰り返して、ようやく「根本価値観に無理があった」と気づきました。

嫁いだばかりの頃は何度も逃げていた祖母は、結婚2年目に子供が生まれからは落ち着いたそうです。

それは、祖母が農作業に慣れて体を鍛えて強くなったおかげもあるでしょう。

ただ、私の想像ですが、1番の理由祖母なりのペースを掴んだおかげではないかと思います

私が小さかった頃、盆暮れ正月帰省するほかに春に田植えを手伝うこともありました。

その時の祖母は、よく休憩を呼びかけていました。

もちろん歳のせいもあるのでしょう。

しかし、急がず焦らず、しかしたゆまずに働き続けるあの姿勢が、祖母がたどりついたマイペースだったのではないかと、今、そう考えています

私の父についても話します。

父は自営業で、今も四六時中働き続けています

私はそのおかげでこの歳でも自室に引きこもっていられるのですが、昔はその働きぶりを真に受けて真似しようとして、調子を崩すことがありました。

ただ、ずっと働き通しに見える父も、時折休憩したり、ふらっと散歩に出かけたり、洗車したり、夜には酒を飲んだり、夜中まで仕事した時は遅く起きたりして、極端に疲れないように気をつけているそうです。

私と違って立派に働いている兄も、つらい時は酒を飲むと言っていました。

私の周りの人々の「無理のないマイペース生き方」を思い出すと、あの子マイペースを掴む前に亡くなってしまったのではないかと、そう考えてしまます

借金を抱えた段階ではどうしようもなかったとしても、経営状況が悪くなり始めた時、出店する前、大学中退する前などに、彼が悩みを打ち明けやす環境を整えられなかったのかと考えてしまます

心を病んだ私のような人間が親戚にいるのに、なぜ私はその方面での支援ができなかったのかと悔やまれます

…ただ私は、調子がいい時は無職のくせにお節介を焼きたがって、のめり込みすぎて疲れ果てることがよくあるので、どこまで役に立てたのかは分かりませんが。

上のような事情があり、「親戚の連絡を密にして再発防止を!」などの分不相応な行動を起こすのは控えて、ウェブの力を信じて、この話が誰かの役に立つことを願って投稿しました。

批判的なコメントいただきましたが、「確かに自分思い込みが強すぎる」とうなずくことも多く、自分手綱を引くことができました。

また、「押しも押されぬ」が誤用だとは知らず、びっくりしました。 ( ×「押しも押されぬ」→○「押しも押されもせぬ[=しない]」 | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所 )

そして、暖かいコメントをいただいたことにも、もちろん感謝しています

本当にありがとうございました

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