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はてなキーワード: 方略とは

2024-11-08

anond:20241108004527

略称を「民主党」にしたのは国民民主党の方が先やで(2021年衆院選以降両方略称を民主党にした)

https://www.asahi.com/articles/ASPBQ55PXPBNUTNB02V.html

2019年参院選では旧立憲の略称は「りっけん」、旧国民は「民主党」で区別できていた。

だが今回の衆院選では、分党結党を経て新たに誕生した「立憲」と「国民」が、それぞれ比例代表での略称を同じ「民主党」として総務省に届け出た。

2021-08-03

anond:20210803195010

バナナ神話みたいなもんで

自分が譲れない条件(お金職業安定性や外見的優位さ)を選んだことによって

結婚生活の維持で最も必要になる部分(相手への寛容さ、精神的な安定性、子育てへの志向経済観念価値観マッチング)を選ばない

という選択をしたんだろう

いわゆる男らしさや格好良さ、リーシップやそれに伴う経済的な優位性というのは

共感性のなさや攻撃性(広義の攻撃性ということにしておく≒自己主張性)がベースになるところがある

いわゆる、狩りをバンバンするような個体


また、フリーライダー問題・働きアリの法則という視点もある

自分遺伝子をばら撒くという方略を持つオス個体にとって、メス個体を上手く騙して自分遺伝子を残すことが至上命題になる

進化を経るごとに、そうしたタダ乗り志向のオス個体はメス個体を騙す技能をどんどん先鋭化させ、それに対抗するようにメス個体は騙されないように進化していく

まりいたちごっこである

タダ乗り個体遺伝子は、それ単体ではメス個体側の資源(資産や、メス個体の近親者=子育て協力者)に頼ることしかできない

まり、俗な言い方で言えばヒモなので、生産性がない=経済力がない=養育能力がない

なので、通常はそうしたタダ乗り個体遺伝子は育たないため、遺伝子としては少数派になる


しかし、福祉国家である日本(あるいは現代世界)においては事情が違う

人権公共利益追求という名の弱者救済によって、そうした生産性のない個体でも生き残れるようになった

かくて、タダ乗り個体、すなわちメス個体を上手く騙してコントロールすることに特化した「幼稚な夫」が結婚して子供を産ませることに成功する

そして、メス個体への訴求力こそない代わりに、知的経済的・性格的に安定した、いわゆる「理解のある彼君」が托卵されるわけである

ここに、システムとしての綺麗な循環がある

あらゆる個体がそれぞれに任じられた役割を全うし、種としての繁栄と存続の礎となる

そこに、個々人の不幸や嘆きは勘定されない

産めよ、増えよ、地に満ちよ。

あらゆる地の獣、あらゆる空の鳥、あらゆる地を這うもの、あらゆる海の魚はあなたがたを恐れ、おののき、あなたがたの手に委ねられる。

命のある動き回るものはすべて、あなたがたの食物となる。あなたがたに与えた青草と同じように、私はこれらすべてをあなたがたに与えた。

旧約聖書 創世記 9章

2021-07-20

anond:20210720164718

同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

これ自分も聴いてた。面白いほど現状に当てはまる

未だに怒りが収まらないお馬鹿さんたちは、公正世界信念が揺らぎ続けているので、

燃料投下をやめられずに自らをも悪魔化させてしまうんだ

小山田圭吾氏と「公正世界信念」と「防衛帰属」(7/19 Session #ss954)

荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547

荻上チキ氏)

この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。

1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回インタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。

そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピックパラリンピック楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難さらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。

90年代音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。

この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。

今回のは、過去いじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。

そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去インタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめ手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。

そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。

過去いじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所データなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。

やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的あだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。

ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。

ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめ文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。

インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。

他にも様々なダウン症児童などに対する侮蔑的発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。

こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。

なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります

これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。

内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。

逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。

良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。

そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。

その不安感は、要は「もしかしたら自分努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。

その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害非難被害者が悪いというんですね。

どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。

こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。

でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要動機づけを与えるし、社会適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。

ただ、こうしたような「被害非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。

加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果かいうのを社会拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。

今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。

ではその回復手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復手段ほとんど難しいんですね。

例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪たからといって回復できるとは限らない、つまり加害者被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。

一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。

少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。

一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。

そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています

から今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントひとつになるわけなんですよね。

で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさら助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。

から今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。

ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。

これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。

例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。

それを見ると、結構典型的な「防衛帰属」だなって思うわけです。

どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしま可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分防衛するために、責任所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。

そういうふうに、どこに責任帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。

からネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というもの擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分メディアの振る舞いとか、90年代表現かいものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。

そういうような「防衛帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。

そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね

ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。

それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。

それが行われてない現段階においては、このオリパラテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。

ではその後どうするのか。

これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識かいろんなことが必要になりますよね。

どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います

いろんなものを浮き彫りにした一件でもありますよね。

80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。

今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います

2021-07-18

どうしようもない希死念慮から逃れる方法

ここ数週間死にたくて死にたくて、死ななくては!!という強迫観念で頭が支配されていた。

このたびなんとか死にたみ地獄から帰還したので、記念に書く。

死にたくてどうしようもない。

こういう時はまず専門家相談すべきである

しかし、通っている精神科医師相談したら、まったく取り合ってもらえなかった。私が話を聴いて欲しいのに、なぜか医師講釈を傾聴していた。諦めた。

次に、唯一の親友相談した。

頭のいい人なので、私の話を黙って聴いたうえで、いい意味で当たり障りないアドバイスをくれた。

私が「死にたい人の気持ちがわかるか」と問うと、親友は「全くわからない」と率直に答えた。加えて、死ぬくらいなら状況が変わるように努力するか、心機一転どこか知らない場所に行って人生やり直す、という。

前にも後ろにも進めない私の立場では、そのアドバイスは乾いた言葉しか聞こえなかった。困った。

どうにもならなくなった。このままだと私は4連休最初の日に山で首を吊るコースを確実に歩む。

回らない頭でウンウン考え、私はとりあえず死ぬ以外でこの苦しみや焦燥感から逃れる代替手段を見つけようとした。そこでひらめいたのが「ごっこである。わかりやすくいえば、現実的には行動すると取り返しがつかない行動について、実際にやらないまでもそれに近い何らかの行動をして一時的に今の衝動性を逃すという方略である

私は3つやった。

1つ目は自殺企図ごっこ。近くのホームセンターロープを購入し、インターネットで解けにくい紐の結び方を習得した。自殺する場所を下見し、自殺する予定の時間(朝方)に実際に現地に行き下見する。これで少しスッキリした。(しかしこの方法自殺するリスクをより高めるのでお勧めできない。マジで最終手段として捉えて欲しい)

2つ目は失踪ごっこ土曜日に早朝から思いつくままに電車にのり、とりあえず行ける範囲で知らない場所へ行った。自分の知っている人がいないところに逃げると少し楽になる。腰が痛くなるまで電車に乗り続けて帰ってきた。

また、死にたい時って死にたい意識ばかりに囚われて頭と身体乖離している状態だとおもうから、余裕があれば出先で身体感覚を取り戻す経験をしてくるといい。私は砂浜を歩いたり川の中をじゃぶじゃぶ歩いたりして身体感覚意識を向けたら、頭の中の絡まった糸が少し解けるような感覚がした。

3つ目は転職ごっこ。今も進行中。明後日ハローワークにいって、とりあえず求人情報みてくる。

こうやって、鬱屈した気持ちを外に逃すチャンネルを一個でも見つけてみると、希死念慮が少しずつ縮んでいくと思う。

このご時世、死にたい人は日本にたくさんいるいるはず。

死にたくなるほどの問題なんて早々解決策は出ないもの。ならばとにかく今の辛さから逃げることを優先すればいい。

意見として参考にしていただけると嬉しい。

2021-07-08

パ字書きのススメ

 二次創作小説をたしなむ皆様、特に書き手の皆様は、周囲の作品を読んでいてこんな風に思ったことはないだろうか。

『こいつ、文章ぱっとしねぇのに、毎回妙に数字伸びてんな』

 明らかに文章が厚くて、読みやすくて、最高な作品が他にあるというのに、そちらよりもそのぱっとしねぇ小説の方が伸びている……そんな場面に立ち会ったことはないだろうか?

 恥も外面もなく言うが、私はその『ぱっとしねぇ文章を書く字書き』である

 この『ぱっとしねぇ』の部分には、物議があるだろう。面白い尺度は、人それぞれだ。ただ、ここで言う『ぱっとしねぇ』というのは、主に次の要素が含まれる。

・全部ではないが、やや文章に読みづらさを覚えることがある。

・誤字や脱字が地味に多い。

表記ゆれを気にしていない。

伏線の張り方が甘い。

投稿する作品面白さにむらがある。

 “やや”とか“地味に”とか曖昧表現だ。ただ、そこがミソである。『ぱっとしねぇ字書き』(長いので以後『パ字書き』)は、完全に面白くない文章を書くわけではない。ある程度は面白い文章を書く。ただし、圧倒的に“こだわり”に欠ける。

 昨年2020年Twitter上でオタク女たちの感情について描き、人々の心を動かした作品があったが、あそこには“神字書き”という存在が登場する。その神字書きとパ字書きの間にどのような差があるかと言われたら、この“こだわり”であろうと感じる。

 神字書きの文章というのは、作品全体からその人の色とこだわりを感じるのだ。読むと「あっ、〇〇さんの文章だ」と感じることが出来るし、表記にも推敲の跡が見られる。読みやすさが意識されており、文章の端々からこだわりを感じる。

「この人は本物だ。こんなものがタダで読めていいのか……?!」

 そう感じることだろう。私は感じる。さてはあなた方はそれで飯を食おうとしたことがあるな?

 しかしながら、パ字書きこと私の文章からはそれが感じられないのである自己評価が低いのではない。私は私の文章が大好きである。何度も読み返しては「オホ、なんか知らんがおもろいなこれ」とニヤニヤする。しかしながら、同時に表記ゆれや誤字脱字は多いし、そこかしこ伏線は甘いし、急展開だし、作品ごとに文体やら調子バラバラ自分の“カラー”などあったもんじゃない。

 しかしながら、私の文章はそこそこの数字を稼ぐのである

 数字を稼ぐとはなんぼのもんじゃい、と感じるだろう。

 身バレをしない程度に、どのくらいで数字を稼ぐ、と言っているのか述べるならば、現行ジャンル所謂社会現象アニメではないにしろアニメやグッズ展開が活発に行われているジャンル)の二番目くらいに支部投稿数の多いCPで、常に100~1000程度のブックマーク稼ぐくらいである。投稿作品10本。

 ほほーんすごいじゃねぇか、と思ってもらえるだろうか。だがこの数字、もう少し続きがある。

推しCP小説投稿数は4000程度、このうちブックマーク100以上の作品数は2000程度(特定されないようにある程度数字は変えてあるが、だいたいこんなもんだ)。つまるところ、おおよそ50%はブクマ100以上なのである投稿された小説の半分以上はブクマ100以上。意外に感じた人もいるのでないだろうか。こうしてみると、ブクマ100以上とは、あまりすごくはない。2分の1に滑り込むだけだ。まぐれ当たりもあり得る。

しかし、私がそこそこの数字を稼いでいると自負する点は、10連続、という点だ。10連続で2分の1に滑り込んでいる。単純に考えるなら、2分の1の10乗なので、1024分の1。これならば偶然ではない数値だ。

そんなこんなで、そこそこの数字を稼いでいると思っている。

 さて、ここまでは長い前置きである。『パ字書き』こと私が、どういう存在であるかをざっくり知ってもらうための、長ったらしい説明であった。

 ここからが本題で、パ字書きがどうして数字を稼いでいるか、という自分なりの考えと、パ字書きなりの苦悩についてお話したいのだ。

 先程ざっくり神字書きとパ字書きの違いをお話したが、もう一つ気になるのは、神字書きとの違いではなく『パ字書き』と『そうでない字書き』の違いだろう。

『そうでない字書き』という新しい概念が出てきた。これは『パ字書きと同じくらいの文章を書いている筈なのに数字はいまいちで思い悩んでいる字書き』のことだ。長いので『ソ字書き』と言う。ネーミングセンスについては言及しないでいただきたい。

ソ字書きは思うことだろう。

「神字書きの文章がハネるのはわかる。あれは素晴らしい。でも自分とパ字書きの文章にそんなに差があるだろうか? なのに何故パ字書きの文章はハネて、自分のはハネない?」

 ごもっともだ。それは悩むだろう。だって、ソ字書きの文章も、パ字書き程度には面白いのだ。そうでない場合もあるが、ここで言うソ字書きは、パ字書きと同等くらいの文章を書く人々のことだ。

 統計をとったわけでもなし、根拠はないが、このソ字書き、結構多いのではないかと思う。そして思い悩むことだろう。ここで悩まない人間はそれでいい。その人たちはソ字書きではない。

 そんな『パ字書き』と『ソ字書き』の差だが、ここにあるのは単純明快自己プロデュース力』だ。

 ここで一つ、これを読んでいる人(二次創作作品投稿している人)にたずねたいのだが、皆々様は、支部やらTwitterやらへの投稿を何を楽しみに行っているのだろうか?

純粋二次創作が好きだから、その投稿先を求めて』これはあるだろう。みんなそこから入っている人が多いだろうと思う。

『せっかく書いたから、自分が書いた作品を多くの人に読んで欲しくて』これもあると思う。

『同じ趣味の人と交流したくて』なんと社交的なことだろう。素晴らしいと思う。

 私とて同じだ。だけど、私にはもう一つ大きな動機がある。

自己プロデュース』が楽しいのだ。

 そして、これが、おそらく私をパ字書きたらしめているのだと思う。

自己プロデュース』が楽しい、とはどういうことかと言うと、私は商売が好きなのだ

 世間ニーズ調査して、そのニーズを満たす商品仕入れ又は開発し、プロモーション計画して、結果を出す。次の商品展開につなげる。ブランドイメージを築く。

 こういう流れが大大大好物なのだ。大好きなのはヒマワリの種。へけけ

 正直、私が重きをおいて楽しんでいるのは『二次創作』ではなくこの『商売』だ。

 小説面白さは同じくらい。だけど、その小説商品をどのように売り出すかによって数字は変わる。このことが、最高に私を興奮させるのだ。

 支部に関して簡単な例をあげるとするならば、それは“サムネ”だ。

 絵描きの皆様の方が、サムネに対する意識は高いのかもしれないが、字書きとてこのサムネは軽視できない要素だ。

 支部には、絵を描けなくても利用できるテンプレの表紙というのが存在する。しか最近はおしゃれな新しいテンプレが出てきて、それを利用している人も多いのではないだろうか。

 しかしながら、このテンプレいかんせん使う人が多い。

 使う人が多いということは、それだけ“埋もれる”ということだ。

 自ジャンルでは、そこそこの頻度で小説投稿される。社会現象ジャンル程ではないが、平均したら1日に2作くらいだろうか。特に週末は投稿が集中する。その全てを見る人というのは、そんなに多くない。みんな、興味を引くもの面白そうなものを選んで読む。

 ここで、表紙を差別化して目を引く、というのは大切な要素である

 さらに、統一感があればなおいい。一作目がハネた場合二作目も似た表紙であるならば「あっ前面白いの書いてた人の作品だ」と言う形で、そちらも読んでもらえる確立が上がる。

 それからもう一つ。支部で言うなら、字数も大切な要素だと感じる。

 これは、ある程度ジャンルにもよると思うし、自身体感の話だが、支部で読む際に丁度いい字数と言うは『7000~15000字』くらいだと感じる。

 短すぎると物足りなくて、長すぎると敬遠する。特に『ぱっとしない文章』を書く人間には、この字数がよい。私は、文章力のない人間に困難なことは二つだと思っている。『短い文章で上手くまとめること』と『長い文章を飽きさせずに読ませること』だ。それが出来るのは、神字書きの領域だ。それができる貴方ならば、私は貴方を神字書きと呼ぼう。

 キャプションも大切だ。なるべく、話を端的に表現すべきだ。何せ、そんなにくどくど長い文章を並べ立てたら、それだけで飽きる。一文でそれがどういう話かアピールするべきだ。かつ、面白そうと思ってもらえる一文。その引きが重要だ。例えば『イエス・キリスト仏陀が、地上の安いアパートで二人暮らしをする話』。ほら、すごく面白そう。

 それからTwitter

 これは大切なオタク交流コンテンツだ。

 最近フリートかいうインスタ気取りの機能を搭載し、オタクおもちゃにされがちなTwitterだ。

 ここに広告を打つ。

 しかし、このTwitterというコンテンツ、どちらかと言えば相性がいいのは絵描きだ。どんぶらこっこどんぶらこっこと次々ツイートが流れゆくTL。断然目を引くのは絵である。パ字書きがフォロワーを稼ぐのは結構難しい。『字書きは基本支部でのフォローで十分。Twitterフォローしない』そういう人、多いだろう。正直、私のフォロワーも、支部の方が多い。最近ようやくTwitterフォロワー数が追いついてきた。

 ではどうしたらいいか。ここで味方につけるべきは、そう。絵描きの皆様方である

 やめてください。引かないで。別にそういう打算的な目で見てるわけではないんですって。ただ事実を語ってるのよ。

 というより、ちょっとしたお願いに近い。思い悩むソ字書きがいて、貴方絵描きで、その人の文章面白いと思ったならば、そのソ字書きを救うのは紛れもなく、貴方である貴方広告塔だ。

 Twitterにおいて絵描き拡散力というのは、程度は違えど絶大である絵描きはまた絵描きとつながっており、そこからまた拡散が生じる。私はこれを『絵師ブースト』と呼んでいる。字書きにはありがたいものだ。

 また、これは今まで私がいたジャンル特有のものかもしれないが、絵描きは絵を摂取しRTするより、小説摂取しRTする方が抵抗が少ないらしい。これも統計に基づくデータではない。周辺の絵描きへの聴き取り調査によるものだ。ある一人の絵描き発言を借りるのならば『オタクというのは、戦闘民族なので、同類絵描きは友でありながら同じリングに上がる宿敵である』という事らしい。オタクは戦う。その点、字書きはリングが違う。だから絵描き応援やすい。そういう事らしい。

 Twitterでそういう絵師の目に留まって、広告塔になってもらえれば数字は伸びやすくなる。あわよくばつながっていければベターだ。そんなに難しいことではない。一点、性癖を刺激する部分を意識しながら、小説を書き続ければいい。

 それから、もう一つ大切なのは検索”を意識することだ。

 例えば、『小×大(通称ショウダイ)』というCPの「はす向かいトロロ」と言うタイトル小説を書いて、支部にあげ、そのリンクTwitterに貼るとする。ただし、ここでタイトルが「はす向かいトロロ」だけでは、『ショウダイ』で検索したときに引っかからない。これでは、貴方フォローしている人間の目にしかまらず、新規の獲得は難しい。なのでタイトルに【ショウダイ】とでも入れておくか、ツイート自然な流れでショウダイというワードを入れ、ショウダイ検索する興味のあるユーザーの目に留まる確率を増やすことも必要だ。やっている人、多いだろう。

 こういうことを考えるのが、私は好きなのである

 そして、こうすることで目に見えて成果が出るのが楽しいR-18と全年齢のブクマ数の違いを分析したり、ジャンルで人気のある文体を調べてみたり、フォロワーの多い人のツイートに刺激を受けたり。そうやって、実際にフォロワーブクマ数の変動を見ているのが楽しいである

 勿論上手くいかない時もある。全てを自分コントロールできるわけではない。自身投稿が、神字書きの投稿に被さって、完全にそっちに持っていかれたり、公式から重大発表があってツイート爆速で流されていくこともある。

 それでもそういう時は、続編を書いて前のいまいちハネなかった小説リンクを乗せたり、後からRTしてみたり(自RTリスクも多いので極力控えるが)、後からフォローを行って、何とか一つ自身ボーダーとしているブクマ100を達成させる。

 こうして、自分アカウントプロデュースして運用していくのがとても楽しい

 おそらく、パ字書きとソ字書きの差は、ここにあるのだろう。

 たまに「こういう事じゃなくて、純粋文章力を磨くべき」とか「SNSのこういうところに疲れる」という声を聞く。

 それも一つ、正しいと思う。そういう人は、パ字書きではなく、まっすぐ神字書きを目指す方針を取ればよい。これも数字を取る方略としてアリだ。むしろ王道だろう。パ字書きはやや邪道だ。私は蛇の道から、神字書きを目指す貴方応援している。

 だけど、皆様、アイドルプロデュース系のゲーム、お好きではないか

 相手の好きなもの分析して、攻略していく系のゲーム、お好きではないか

 それと同じ感覚だ。それと同じで『二次創作アカウントプロデュースゲーム』も楽しい。なんらおかしくはないのではないか自分マネージャーになって1000ブクマ目指そう!目指せ最大手!……悪くないキャッチコピーだ。

 Twitter後者攻略ゲームに近い。周囲の絵描きや字書きの好みを分析しながら、そこに程よく合致する作品を書く。露骨に書きすぎないのがコツだ。ちょっとした“萌え”を刺激する。『ナースのイメプレ読みたいな……』と言っている人がいたら、他のイメプレにするか、ナースの方を拾って看病ものにしてみるのもいいかもしれない。そうしてターゲットを絞って狙っていく。引かないでください。別そういう打算的なことだk……何はともあれ、作戦が上手くいくとそこにはえもしれぬ達成感がある。成果もついてくる。二次創作攻略ゲーム楽しい

 それにそうやってパ字書きやっているうちに、作品数を重ねて神字書きになる道もあるだろう。神字書きになっても、自己プロデュース無駄にならない。

 神字書きになる前のちょっとした段階として、パ字書きを経由するのも良いのではないか? そういうススメだ。

 ただし、ここでパ字書きの闇にも触れておきたい。

 ここまでパ字書き悪くないぞ、という話をしてきたが、問題は、神字書きにはだいたいバレる、ということだ。

 バレるというか、ちょっと面白くないように思われているのを肌で感じる時がある。

『こいつ、文章ぱっとしねぇのに、毎回妙に数字伸びてんな』

 これは、神字書きにも思われることだ。

 たまにまかり間違って、神字書きと投稿時期が被った時、自分の方が数字が大きいとやや気まずい。実際あったが、これは本当に気まずかった。明らか、神字書きの方が文章が上手い。しかテーマも似通っていて、字数も同じくらい。言わば、神字書きの文章イタリアンシェフの高級パスタだったのに対し、私のはめちゃくちゃ即物的カップ焼きそばだった。だけど、その時、ジャンルでウケたのはカップ焼きそばだった。そういう時もある。たぶん、みんな疲れていて、そんなにゆっくり味わう時間がなかった。

 その直後、私はその神字書きにリムられてしまった。やられた。せっかく攻略したのに。

 上記のことだけじゃなく何か他にも性癖なりなんなり理由があったのかもしれないが、カップ焼きそば動線の一番いいところに大量陳列して売上を稼いでいることがバレてしまたからだろうと思う。『こいつそれなりの振りしてるが、実のところ文章ぱっとしねぇな』と、気づかれてしまったらしい。パ字書きバレしてしまった。不覚。

 こればかりは、自分でも自覚があるからどうしようもない。自分文章は神字書きと比べてぱっとしない。の割に数字を稼ぐ。これは、本当に文章力がある人からしたら、非常に滑稽だろうし、面白くないだろう。私が神字書きだったら面白くない。

 自己プロデュースを楽しんでいる私だが、それと同時に二次創作が好きだし、文章も好きなので、やはり「上手く書きたい」と感じる時もある。オタク戦闘民族だ。圧倒的火力で殴りたい。こういう時、パ字書きはどうしても『自分は本物ではない』という葛藤に苛まれることがある。足りない文章力を、自己プロデュースでかさまししていることを、自分が一番よく知っているからだ。

 その葛藤から逃れるためには、結局のところ、文章力を磨くしかない。それは変わりない。

 しかし、数字モチベーションになる。読者が多いことは励みになる。パ字書きであることは、私の筆の進みをサポートしてくれる。

 圧倒的火力を手に入れるその日まで、私は頭を使ってリングに上がる。

 こういう楽しみ方や、オタクもアリだろうと、そう思ってくれる人がいるならば、嬉しく思う。

 あと、この文章を読んで、周りにパ字書きがいても嫌いにならないでね。結構面白い文章書いてるはずだから。単純に頭使って頑張ってるだけの奴らだから

 以上、パ字書きのススメでした!

2021-05-05

売春風俗規制を説く騎士様に聞きたいこと

売春の何が悪なん?代表的理由挙げてみるわ

女性身体を売り物にしている

 これは労働と同じ。どんな会社でも人間時間を拘束し身体を働かせることを条件にして給料を払うもの。この理由だと労働批判しないといけなくなる。

労働中に性器が使われているのがいけない

 性器使用と腕や足や脳の使用で扱いを分ける合理的根拠不明

③性行為は売り物にしてはいけない

 同語反復になっているか理由として使えない。してはいけないからしてはいけない、では説得力がない。

売春性搾取からだめ

 「搾取」の意味を、本来その人のものであるはずのものが不当に他人に奪われる事態を指すと考える。買い手が売り手の性器使用して快楽その他効用を得ることには金銭が対価として出されており、合意の上であるなら、不当に奪われているとは言えない。無論、金銭の支払いがなかったり合意がないならば搾取であるが、これは売春特有問題ではなく取引不正から生じていることであり、売春不正に由来する不正ではない。

売春の元締めによる働き手の搾取がある

 すべての資本家労働者を搾取しているため、売春固有の問題ではない。労働基準法などで解決されるべき問題であり、売春が悪いことに由来する悪ではない

売春貧困を生む

 売春でも売春以外の労働でも、金銭が獲得可能であり、根拠希薄

貧困売春を生む

 貧困は悪であるが、売春が原因ではない。売春をなくしても貧困はなくならない。

貧困その他の事情により売春しかできない人がいる

 社会保障の充実によって解決されるべき問題売春不可能になればそれらの人々に自動的社会保障がされるようになるわけではない。一旦路頭に迷わせ社会保障対象にすることが倫理的かどうか怪しい。

⑨男の欲望が女の身体によって叶えられているからだめ

 通常の交際などのルート欲望を叶えることとの差違が説明できない

売春をすると人格回復不能なほどそこなわれる

 売春は行っていないが性的に奔放な女性存在し、彼女らの人格性的貞淑女性と比べて劣っていると考えることは不当

⑪性を金銭と交換すると人格がおとしめられる

 金銭以外の、例えば人格的な信頼や、相手性的能力と交換した場合比較して金銭にだけ悪性が伴うと考える根拠不明

⑫性は金銭と交換不可能なのに交換しているのが不当

 すべての商品金銭本来交換不能であるのに、金銭の量によって価値がはかられるという性質がある。性を例外にする理由がない。

女性身体男性のものであるという規範再生産しているからだめ

 むしろ、高い金銭を支払わなければ手に入らないものとして大切に扱われている。金銭を対価にしない性行為規制することが帰結する

売春女性身体が主として取引されているものであり、差別

 確かに男性のものは少ないが、それを拡大するという差別解消方略もある。また、女性向けの美容商品があるからといって男性差別されているわけではないように、需要に対して供給があるだけである

売春女性価値を性の対象としてしか捉えておらず、人格的な側面を無視している

 労働人間価値を生み出すためのものとしてしか捉えておらず、人格としての人間のことは無視されている。この理由だと労働も同時に批判なければならない。

貧困女性売春を始めると売春しかやらなくなり、売春からぬけられなくなる

 就労支援などで対処すべき問題であるし、すべての単純労働に同様にあてはまる

 

 思い付くままに書いたが、A.売春労働として認めることで解決するもの B 社会保障を充実することで解決するもの C 性の価値をなんらかの意味特権視している のどれかに分類できると思う AとBは、売春を他の労働と比べて保護に値しないものと考えることが問題悪化させる。Cにおいては、性の価値を異常に高く見積もることは、処女性を重視して女性は性と家事を、男性女性生活全面的保護する、金を渡すという形で家族形成するという社会規範再生産にもなっている。売春批判は、売春とそれ以外の“正当な”性のあり方を切り分け前者を批判貶めることで、現行の保守的家族制度の再生産を意図している可能性もある。神聖化は女性神秘化であり、結婚以外の性を認めない女性管理であって、女性祭り上げながら貶める態度にもなりうる。

他にも理由が挙げられたら教えてほしい

2020-04-30

ハームリダクション岡村隆史

ハームリダクション英語: harm reduction)とは、個人が、健康被害危険をもたらす行動習慣(合法違法を問わない)をただちにやめることができないとき、その行動にともなう害や危険をできるかぎり少なくすることを目的としてとられる、公衆衛生上の実践方略、指針、政策を指す。

ハームリダクションというのは、例えば、エイズ蔓延を防ぐために、薬物依存症者に清潔な注射針を配ることね。

倫理的には、薬中に清潔な注射針配ってどうすんのよ?

と思われがちだけど、不潔な注射針が使いまわされなければ、エイズ感染拡大は圧倒的に抑えることができる。

岡村隆史発言も、ある種のハームリダクションなのである

あの発言真意目的は、今の時期にも風俗に通うことをやめられない人達自粛してもらうためであり、

コロナ終息後に若くてきれいな子が多くなるから、今は、風俗に行くのは止めてお金貯めといたほうがいい。

と言ったのだ。

その真意理解できない馬鹿どもが騒ぎ立てたせいで謝罪騒動にまでなってしまったが、

風俗通いを自粛させる一番の方策はなんだと思っているんだろう。

2019-06-08

anond:20190608110831

これはマジ

レス方略したら逆の意味になるだろ

コードレスコードって略すかっていう

2018-10-11

anond:20181011184334

エビデンス

実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

それこそ、そのエビデンス(論文)でも提示されればいいんじゃないですかね。

この辺りのこと?

Jonathan Shedler,"The efficacy of psychodynamic psychotherapy."(American Psychologist 2010)

Falk Leichsenring,Sven Rabung,"Effectiveness of Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Meta-analysis"(JAMA 2008)


フロイト理論の諸々の失敗

精神分析医のフィーリス曰く(1)、フロイト派のセラピービクトリア時代の人たちには、うまく機能していたが20世紀半ば以降、人々の「性格の鎧」の質が変わり、セラピーはうまく機能せずに行き詰まって失敗することが多かった。

フロイト派の精神分析法は、「幼少期の体験が成人してから人格の基礎となる」というものが骨子の一つ(2)だが、そのことに大打撃を与える調査が出てきた。1990年代マシュマロ実験の文献を詳しく調べたマーティンセリグマンは、幼年期のできごとが成人してから人格に影響を与えるということは、ひどい心的外傷や栄養失調があった場合にはありうるかもしれないが、それ以外では有力な証拠ほとんどないと結論づけている(3)。子供時代と成人してから性質に、ごくわずかな相関は認められるが、それは主に遺伝的(生まれつきの)性質、つまり概して明るいとか気難しいといった性質の反映として説明できるという。

また心理学者のバウマイスター一同がフロイト提唱する理論メカニズムの数々を現代の文献と付き合わせて検証したところ、最も最悪な理論昇華説だということが判明した(4)。そもそも昇華説には根拠がない上、事実はその逆だと考えられる理由が多いからだ。

もちろん、フロイト理論示唆的で興味深いものが多いし、余談だが「快感原則彼岸」については現代思想の中ではかなり重要位置づけになっている。ラカン執拗にこの論文にこだわるわけだしね。

それに、フロイト批判をしたバウマイスターは、フロイト提唱する説でエネルギー重要位置に置かれていることに敬意を表して、フロイトが使っていた自己を指す言葉自我(エゴ)」を使って、「自我消耗」という言葉を「人の思考感情や行動を規制する能力が減る現象」に名付けた。自我消耗に関しては、後に脳波記録検査法(EEG)で脳内の前帯状皮質におけるスパイク発火(エラー関連陰性電位)が対応する脳機能であることが確認された(5)。


科学的な心理学

著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、 今回で言えば「人生全体」「物語の蓄積」「人生の深み」といったことで、科学基本的研究方略である単純化(simplify)」を退けようとしていることに苦言を呈している(6)。 研究対象をとなる複雑な現象をいろいろなレベル単純化し、いろいろなレベルごとに 解明していくことを拒んで、複雑な現象ありのまま理解しようとしていたのでは研究はいつまでたっても現状に停滞したままになる。単純化を嫌って、複雑な現象を複雑なままで捉えようとする人文系学問に多く見られるのこうした研究方略を、ピンカーは完全な正確さを求めて「原寸大の地図」 を作った愚かな地図職人を描いたホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の寓話批判している。

現代心理学の始まりブント(Wilhelm Wundt: 1832-1920)のライプチヒ大学での心理学実験室創設とされるように、そのスタートから科学を目指したものだった(7)。 人文学科学化と言っても、物理学化学実験を導入するのではなく、心理学実験手法神経科学実験手法(EEGfMRIなど)を取り入れればいいのである。また、国際的科学心理学学会APS(Association for Psychological Science)の会長だったカシオッポはこうした点に注目し、心理学科学と他の文系学問とのハブとなるべきであると主張している(8)。

個人的には、人生全体から人間理解フロイト理論人間理解よりも、人類史から人間理解(進化心理学)(9)や神経科学から人間理解の方(10)がより多くのことと整合性が有ると思うし、「物語」を一切考慮しないで休職者の約53%を予測したリシテア(11)といったことの研究心理学がより一層取り組んでいくことを願ってるわ。


▼出典

(1)Allen Wheelis,"The Quest for ldentity"(New York: Norton,1958).

(2)Sigmund Freud,"Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie(『性理論三篇』)"(1905)

(3)M.E.P.Seligman,"What You Can Change and What You Can't :The Complete Guide to Succesful Self-Improvement"(New York:Alfred A.Knopf,1993).

(4)Roy F. Baumeister,Karen Dale,Kristin L. Sommer,"Freudian Defense Mechanisms and Empirical Findings in Modern SocialPsychology: Reaction Formation, Projection, Displacement, Undoing, Isolation, Sublimation, and Denial"(Journal of Personality,1998)

(5)Michael Inzlicht,Jennifer N. Gutsell,"Running on Empty: Neural Signals for Self-Control Failure",(Psychological Science 2007)

(6)Pinker, S."Science Is Not Your Enemy: An impassioned plea to neglected novelists, embattled professors, and tenure-less historians." (New Republic, 2013)

(7)Bringmann, W. G., Bringmann, N. J., & Ungerer, G. A."The establishment of Wundt's laboratory: An archival and documentary study." (W. G. Bringmann, & R. D. Tweney (Eds.), Wundt studies: A centennial collection (pp. 123-157). Toronto: Hogrefe. 1980)

(8)John Cacioppo,"Psychology is a Hub Science"(Observer 2007)

(9)Martin Daly, Margo Wilson,"How evolutionary thinking inspires and disciplines psychological hypotheses." Pp. 15-22 in XT Wang & YJ Su, eds., Thus spake evolutionary psychologists.(Peking University Press,2011)

(10)一例を挙げれば、心の理論(Theory of mind)における神経科学役割とか。サイモン・バロン=コーエンが有名だろうが、研究は色々有りすぎて挙げきれない。

(11)HR テクノロジーで、人や組織パフォーマンスの最大化を図る 「リシテア/AI 分析サービス販売開始(https://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/2016/1201.pdf)

2017-11-23

[][][][]

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/8515013/comment/hisamichi

社会関係資本試金石一般的互酬性の原則である。直接何かがすぐ帰ってくることは期待しないし、あるいはあなたが誰であるかすら知らなくとも、いずれはあなたか誰か他の人がお返しをしてくれることを信じて今これをあなたのためにしてあげるというものである

ttps://www.amazon.co.jp/gp/product/4760129030

また、自分相手も互いに同じグループに属していることが周知されているときには、内集団ひいき的な行動が観察されますが、自分相手が同じグループであることを知っていても、相手自分のことを同じグループの一員かどうかわからない状態では、内集団ひいきは観察されなくなります

まり自分と同じグループの人に対してひいきするのは、見返りが期待できると思うからであって、同胞に心から同情するせいではないということです。

ttp://synodos.jp/economy/10828/2



なぜ北イタリアの経済パフォーマンスが良くて南イタリアはだめなのか。

会社に学閥ができる心理学的な理由と上手な付き合い方 | From G to R

Apo's 心理学 の勉強部屋 内集団ひいきってなんだよ???

泥棒洞窟の実験

自己高揚方略

自分が属する集団を高めることによって、自分評価をも高めること。

ttps://seesaawiki.jp/w/qualia_s/d/%BC%D2%B2%F1%BF%B4%CD%FD%B3%D8



自己高揚バイアス(Lake Wobegon effect)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%A5%89%E4%BB%95%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9





あなたを大切にしない人をあなたが大切にする必要はない

ttps://bit.ly/2K5LWk2

2016-10-02

ピカソの人心掌握技術から学んだ

この本( https://www.amazon.co.jp/dp/4106104911 )、ピカソの人心掌握技術秘密が短いページの中にシャープ考察されている。

要約的なnoteの紹介記事https://note.mu/hoshinomaki/n/nd998e3cd1998 )を見てフムフムと思い、Kindleで購入して実際に読み始めてみましたらば、ピカソさんめちゃくちゃやったるでな感じでそれこそ芸術家たる(以下略ですなぁ、と感服致しました。破壊衝動塊魂

さて、意図的か否かに関わらず、このような不機嫌方略関係を結ぼうとしてくる『巨匠』は社会人生活冒険活劇において少なから存在するのは言わずもがなで、時として不本意にも、本当に不本意にもエンカウンターせざるを得ない、エンカウンターせざるを得ない!わけですが(大事なので2回)、そんなときに武装といえば布の服とひのきの棒しか持っていない、純朴に純粋に、平和を望み穏やかに生きていたい街人たちは、どう対処したらよいのだろう。

規則に仕掛けられる不機嫌魔法に対しての対抗手段を持たねばならないなあと。それを人はスルー力鈍感力大人力と呼ぶのかもしれないですが、そのような魔法はどこで売ってるの、どうすれば身につくの。賢者転職必要ですか?悟りの書どこ。ダーマ神殿どこ。備えあれば憂い無しなんは分かっちゃいるけど相手は不機嫌魔法の使い手、『巨匠』すからねぇ(大事なので2回)。

しかし、繰り返しになりますが、社会に出てみると、もともとそういうキャラなのか戦術としてそのように振舞っているのか個別性はあるにせよ、やたらこの手の方略を取って仕事してる『プチ巨匠』や、感情面に揺さぶりをかける一連の不機嫌プロトコル、それは時として理不尽威圧にまでパワーアップすることもままあるわけですが、それらに対して『ガバナンス』やら『マネジメント』やらという名付けを行い正当化している場面などに出会う事が多くてですね。

ステークホルダー間の折衝がこのガバナンスのぶつけ合いから始まってる(ように見える)、もんのすごい不機嫌エネルギーに溢れたプロジェクトもあったりなかったり、そのような生煮えフィールド魔法まだ覚えてないのにアサインされたりされなかったりで、やめてあげて僕らのライフはもうゼロ状態になることもあったりなかったりなわけですが、特に直近の転職におきましては、不機嫌の交感もいずれポジティブ連帯に至るとする、カオスを好む社風になかなか馴染めないでいる自分適応力や心の弱さ、これはもしや何かしらの人間性の欠陥なのかと思い詰めた挙句に、このままではイカン!ということで、今度きちんと異常性がないか専門の心理職に鑑定してもらおうと、心理検査まで予約していたのでありますが。

ピカソさんの方略を知るに至っては、このようなカオスを生み出す、もしくはカオスを感じてしまう・観じてしまうことの原理の一つの解釈として、無意識のうちに手練手管を繰り出す戦術家の魔法ATフィールドに巻き込まれていたのかもしれないなぁ、という貴重な気づきがあり、そんなわけで、期せずして知ったこの新書は、迷える魂において大変に参考になった次第であります

『ご機嫌うかがい』なんて言葉があるけれど(挨拶に顔を出すというのが本来意味ではありますが)、時として、このような心理的葛藤を生み出す見えない装置が、組織組織やその代理たる個人個人関係性において、価値交換の社会的プロセスに厳然と潜んでいるわけで、立ち止まって考えてみれば、これって実はフェアじゃないというか、おかしなことだなぁというのが見えてきました。

そもそも機嫌を伺わなければいけない時点で、現代においてはパワハラモラハラ基準に照らして検討判断するべきで、苦痛を感じるような状況にまで関係悪化劣化しているならば毅然として対処するべき常識なのであった。そしてそれが商取引やその他社会的価値交換の場においてはコンプライアンスの名の下に光あれ!(以下略

とにかく結論として、このようなコミュニケーション特性を持つ相手と不可避的に利害関係が生じる場合は防御策を講じて戦う必要があること、避けられるなら巻き込まれる前にさっさと撤退すること、これらにつきるのだなぁ。

また一つ、大人になれました。魔法も使えるようになるかもしれません。

ありがとうピカソ

2016-06-22

二次創作による一次創作への文化的侵略

著作権というつもりはないが、ここには一つの戦争があるように思える

一次創作から見れば防衛戦で、二次創作からみれば侵略である

通常であれば二次創作とは一次創作の補完を目的とするものである

サイドストリーであり、あくまで枝葉の部分に終始する

しかし、ある種の二次創作はそれを超え、侵略性を持つ

まり二次創作における問題提起が正答性を持ち、魅力に溢れるほど一次創作陳腐になるというもの

主と副が逆転する事は決してない、ないが

二次創作が正しいばかりに「こんな重要問題が起きているのに、一次創作では何も起きていない、おかしい」となってしま

これを防ごうと、一次創作では幾つかの方略が取られるが

最も行われるのが、一次創作の時点で玉瑕を消し去ろうとする事だ

これが、もっと代表的防衛戦の端緒となる

作者は描かれていなかった、もしくは矛盾した作品世界の綻びを事前/事後に対応するが

時として、それを超えてその裂け目を見つけ、補完してしまう者がいる

そして皮肉なことに、その傾向は作者が綻びを消そうとすればするだけ強くなるのだ

なぜなら、人は本質的に粗探しが好きであるし、作品の綻びが少なくなる事は多くの場合作品の魅力を増すことにもつながるからである

ここの、作者の悲劇がある

2013-12-30

ずぼら女子が片づいている部屋に住んでいる方略

基本スペック


一人暮らしを始める際、「ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らしhttp://anond.hatelabo.jp/20110828154004」を大変参考にさせていただいた。

まず、現在も完全に同意の部分。


次に異なる点

  • 服は畳む(byこんまり
    • 女子は服持ちなので、掛ける収納ではスペースが足りず、あとニットが掛けられない。そこで、きちんと畳む。一覧性が良く、意外に多く収まる。冬物も夏物も一気に収まりタンスの衣替えをしなくてよくなる。季節の変わり目の度に部屋が荒れていたので有り難い。
    • ただし、服を畳むのは面倒くさい。逆に言えば、服さえ畳んでしまえば床の表面積が一気に空き、掃除軌道に乗る。その方略として…
      • 定期的に人を呼ぶ:「あと2時間で来る」に勝るものなし。
      • とにかくただ始める:めんどくさいとか頭の中でぐちゃぐちゃ考えずに、とにかく無心で畳み始める。
      • ながら作業をしない:ADHDはすぐ横道にそれる。ながら作業(TV音楽)をすると、そっちの方の探求が始まってしまうことがままある。
      • ごほうび作戦:とはいえ、そうストイックいかないこともある。「洗濯物畳む代わりにTVみながらでも良し!」と自分を釣るも良し。洗濯物畳めたらデザートが食べれるでも良し。

その他付け足し

  • 洗い場の床を毎回拭き取ってから風呂を出る。慣れれば1分。カビ防止で大掃除要らず。

あるとはかどる


オススメレシピ

 

2013-11-20

どうした事だろう

まりは、「自分の満たされないものを相手に押し付ける」という方略を取っているのに過ぎないのだ

例えばロリ

自分より弱い者を守って、好き放題にする

例えばヤンデレ

自分だけを一生愛し、傷つけず、裏切らず離れず、何でも言う事を聞いてくれる

例えばロボット

命令された事を忠実にこなし、あらゆる内部パロメーターは変更でき、行動パターンプログラミングできる

例えば催眠・眠姦・精神超能力時間停止

自分の思う通りに周囲を動かし、自分への印象を書き変え、自分の絶対的優位を確立する事が出来る

例えば、例えば、例えば……

……曰く

「 私は、あの人の代わりをあなたにしてほしいわけじゃない」

「 寂しいからとか、セックスしたいから付き合うのはなにか違うと思う」

「 それぞれを一個人として尊重し、性別を超越した人間としての付き合いをするべきだ」

死 にたい、死 にたい、死 にたい

こんなはずじゃなかったのに

醜いのは嫌だ

2013-08-15

・悲しみ=ax+by+zc・・・・・αω

クライエントがマイナー変数を持っており、その占める割合が多い程、セラピストはその翻訳に苦労を感じる

「どうして"そんな事"に悩んでこだわっているの」というマイナーペインは人を悲観的に、孤独にさせ得る

翻訳者こっち来い、早く来い、抱え込ませてやるな、通じないと思わせてやるな

そいつ(クライエント)はすでに、歩み寄れるほどの体力はないぜ?

・行動分析合致してまな板の鯉になれる人間と、力動的な理論合致してまな板の鯉になれる人間がいる限り精神分析は廃れない

そいつ関数構造に由来し、その親和性が 初動を決める

しかし、異なる関数構造で接することが、歩み寄りを促す事もある

また、マクロ視点でのエビ電すを含んだ治療方略関数構造は、セラピストとクライエントを安心させるだろう

根拠のあるアプローチと共同作業ほど、クライエント関数構造親和性のあるものはないだろう

それは成功体験の次に尊い

SV

「わかったか?」「わかったわ」で済ませるようなSVには賛同しかねる

しかし、意図するところは理解できる

その程度の不明瞭さに耐えられないで、どうしてマイナーペインを理解できるか

しかし、その不明瞭とそこに由来する不快感は、自分自身のパーソナリティ構造を明らかにする

さらに、その不明瞭さそこに由来する不快感は、同じ対応をされたクライエントの疑似体験が出来る

それによって生じるものと生じないものがある、そのないようが治療寄与するものか否かは問わず

2012-06-22

心が健康になればなるほど、葛藤と向き合わなくてはならなくなる そしてそれを為せないと・・・

人は苦しさから逃げ、病んでいく

寂しさから劣等感から挫折から絶望から不安から、恐怖から

逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて

例えば、回避したり、妄想してみたり、思い込んだり、攻撃してみたり、拘ってみたり

他の人が見ると「どうしてそんな事をしてるの?」と思うような行動は

実のところ、当人にとってはより大きな苦痛回避する為に必要な手段であったりする

裏切られた経験を持つ人は、人を信じなくなるか、裏切られると言う行為をできるだけ制御しようとするだろう

制御するために、こちらから裏切ってみたり、わざと裏切られるような事をしてみたり

むしろその逆として、完全に信じきり良い人を演じる事で「ほら、私は悪くないわ。裏切った相手が悪いのよ」と言い訳してみたりする

こうした事は、自分が認められない現実を拒絶するという意味で、回避や逃避と言えるだろう

心が健康になると言うのは、そうした現実自分自身で受け止め、処理するようになるという事だ

辛い現実現実と認め、理性と感情の両面で捉える事だ


葛藤回避するのではなく、処理しなければならないという理由はない

逃避であろうが、直面だろうが

それの是非は当人しか判断できない

しかし多くの場合、直面化する道をとろうとする

それは、直面化したほうがあらゆる現実的困難への対処が簡易もしくは妥当であるからではない

社会、つまり大多数の他者が認めた価値体系へのすり合わせが必要から

社会への適応がなされない場合、それはその固体にとって不利である事は論を持たないだろう

社会との断絶を阻止する為に(社会志向)、直面化する

言い換えるなら、社会適応(社会志向)の必要性があるから直面化という方略を強制されていると考えられる

生きる事と社会適応を分離する事は不可能であり

社会適応現実への直面化の分離は不可能であり

現実への直面化と苦痛出現の分離は不可能である

故に、生きる事と苦痛出現の分離は不可能である


そして、直面化が出来ず、回避・逃避を選択する人にとっての最大の回避とは

生きる事の放棄である

葛藤と向き合う事の正逆に位置するのが自殺

人が可能とするそのあらゆる手段の内で、あらゆる事象・事物から永遠に完全に回避する事を可能するのは死ぬ事だけである

2011-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20110227182503

体調管理モチベーション管理重要性を否定しようとは思わないけど、

仕事上の問題というのは2つしかない」って主張と「作業の優先順位をつける作業」が重要だって主張は矛盾するよなこれ(優先順位の問題もあるんじゃん、って)

あと、リンク先では「気が散るものを遠ざける」って方略実質的に否定してしまってるようだけど、これって普通に有効じゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20110227125155

SFの話をしたいようだから、ちょっと歩み寄って具体的に考えてみようか

例えば現在ある外国語の学術論文が手元にあるとする

これを読むのには少なくとも、「その言語の文法知識」「その言語の語彙」「専門用語意味」「議論の背景の理解」「扱われている理論の理解」あたりが必要

いでに、その論文引用されている文献ごとに、上記のようなものが必要

それでようやく「論文を1本読む」ということが可能になる

さて、現在はそれぞれをある程度学んだ上で、不足部分外部データ辞書とか他の文献とか)参照により補うって方略が採られてるわけだけど、

これらを一瞬で検索できたとして、アタマ処理のほうが追いつくでしょうか?

2011-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20110213104402

生活水準の問題を単なるプライドの問題に脳内変換することで、弱さ貧しさって現実をやり過ごそうって方略なのはよく分かったけど、

それって「実際の彼ら(一般消費者)の内実がどうなのか」ってことから意図的に目を背けて、彼らをプライド奴隷として決め付ける姿勢だよね

その辺に、「清貧を貫く隠者」というのとは違う、歪んだ印象を受けるよ

2010-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20100930171741

金持ちの人は、けっこう節税方略を練ってるよ。会社を複数持つとか。

だから、金持ちの人は高額納税者とは限らない。けど高額納税者は、フロー所得が多いのだろう。

高額納税者の人は、まず日本に生まれたことを感謝すべきと思う。

内戦のある国とかに生まれたらそれほどの金持ちには、なれなかっただろう。

税金を納めるのがいやならば、合法的に回避するか、海外に移住するかだろう。

それぐらいの自由なら日本にもある。

2009-09-11

サマーウォーズみる友愛の気持ち悪さ

この映画を見たとき、

「テンポが良くて解りやすくて面白いのは解るんだけど、何か気持ち悪いなぁ…」

というのが正直な感想だった。

http://www.asahi.com/politics/update/0909/TKY200909090396.html

しかし、鳩山氏のコメントを見て何が気持ち悪いのかはっきりした。

私の感じた違和感、それは「根拠のない友愛」だ。

AI相手にコンピュータによって制御されているゲームの中にもかかわらず、

家族の力をあわせて頑張れば勝てる」という何の根拠もない謂わば根性論があちらこちらに散在している。

OZが頑健であるならば、アカウントが乗っ取られたとしても生活基盤となるインフラは崩さないようにシステムは構築されるべきである。

乗っ取ったAIも、人間の脳でしかも暗算で解読できるような暗号を使って人間を揺さぶるのはおかしい。

AIに勝負を挑む際、あれほど巨大なコンピュータが必要であった意味も理解できない。

物語のすべてが各個人の思いつきで、そして根拠なく、雰囲気だけで進んでいく。

本来必要である問題を解決するための方略戦略がまったく存在していない。

まさにこの映画現在民主党そのものではないか。

キレイゴトを並べてそれに対する方略については一切頭をめぐらせていない。

力押しで愛を描けば良いってもんじゃない

フィクションとして映画を鑑賞するのは楽しい

だが、どうだろう?

1億の日本人の今後を彼らに任せるのは凄く不安だ。

公約を実現する見通しが立たなかった際は一刻も早い解散総選挙を望む。

 
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