はてなキーワード: 野良犬とは
箴言は古代の「知恵文学」の一例であり、人間の行動に関する観察と実際的または徳の高い生活のためのアドバイスが含まれている。
ユダヤの伝統によれば、聖書のこの書は、知恵で知られる聖書の人物、ソロモン王によって書かれたとされている(列王記上 5:9-14)。
箴言は古代の知恵の書とされるが、現代の技術的に進歩した社会にとって役に立つ内容も含んでいる。
例として、SNSアカウントを持つ人にとって役に立つ引用を箴言から8つ紹介する。
ソーシャル メディアは、怒っている人々を引き付けることがある。中には、蜂の巣を蹴飛ばしてでも甘い「いいね」やリツイートを獲得したいという目的しかない人もいる。
箴言6:12-15 | 彼は、口汚い口調で歩き回り、悪意に満ちた目でウィンクし、足で合図し、指で身振りをし、心の中では欺瞞をもって悪事を企てる、問題を起こす悪人であり、常に争いを起こす者である。そのため、一瞬にして災難が彼を襲い、救いようもなく突然滅ぼされる。 | אָדָם בְּלִיַּעַל אִישׁ אָוֶן הוֹלֵךְ עִקְּשׁוּת פֶּה: קֹרֵץ בְּעֵינָו מֹלֵל בְּרַגְלָו מֹרֶה בְּאֶצְבְּעֹתָיו: תַּהְפֻּכוֹת בְּלִבּוֹ חֹרֵשׁ רָע בְּכָל עֵת מִדְיָנִים יְשַׁלֵּחַ: עַל כֵּן פִּתְאֹם יָבוֹא אֵידוֹ פֶּתַע יִשָּׁבֵר וְאֵין מַרְפֵּא: |
正義の怒りから共有されたセンセーショナルなストーリーが、基本的な事実確認の誤りだと暴かれることを考えてみたほうが良い。
箴言6:16, 19 | 主が憎むものが六つあり、主にとって忌み嫌われるものが七つある。... 偽りを吐き出す偽証人と、社会に争いを起こす人である。 | שֶׁשׁ הֵנָּה שָׂנֵא יְקֹוָק וְשֶׁבַע תועבות תּוֹעֲבַת נַפְשׁוֹ:…יָפִיחַ כְּזָבִים עֵד שָׁקֶר וּמְשַׁלֵּחַ מְדָנִים בֵּין אַחִים |
すべての問題に意見が必要なわけではなく、すべての発言に返答が必要なわけでもない。
箴言 26:17 | 野良犬の耳をつかむような人は、自分と関係のない争いに突入する人である。 | מַחֲזִיק בְּאָזְנֵי כָלֶב עֹבֵר מִתְעַבֵּר עַל רִיב לֹּא לוֹ: |
ラビの教えには、話すことに報酬があるように、沈黙にも報酬があるという教えがある ( Zevahim 115b )。いつそれをすべきかを知ることは、難しいことであり、また重要である。
箴言 10:19 | 罪は言葉を増やすことによって終わるものではないが、賢明な人は口を閉ざす。 | בְּרֹב דְּבָרִים לֹא יֶחְדַּל פָּשַׁע וְחֹשֵׂךְ שְׂפָתָיו מַשְׂכִּיל: |
ソーシャル メディアは、知的で生産的な会話をするのに必ずしも最適な場所ではない。
会話を公開から非公開にすると、理解が深まることがよくあることが分かる。
しかし、建設的な意見の相違どころか、思慮深い会話さえできない人もいる。
箴言 18:2 | 愚か者は理解することに喜びを感じず、自分の意見を表明することに喜びを感じる。 | לֹא יַחְפֹּץ כְּסִיל בִּתְבוּנָה כִּי אִם בְּהִתְגַּלּוֹת לִבּוֹ: |
箴言 9:7-9 | あざける者を戒める者は侮辱を招き、悪者を叱責する者はののしりを受ける。あざける者を叱責してはならない。さもないと彼らはあなたを憎むようになる。賢い者を叱責しなさい。そうすれば彼らはあなたを愛するようになる。賢い者を指導しなさい。そうすれば彼らはさらに賢くなる。正しい者を教えなさい。そうすれば彼らは知識を増す。 | יֹסֵר לֵץ לֹקֵחַ לוֹ קָלוֹן וּמוֹכִיחַ לְרָשָׁע מוּמוֹ: אַל תּוֹכַח לֵץ פֶּן יִשְׂנָאֶךָּ הוֹכַח לְחָכָם וְיֶאֱהָבֶךָּ: תֵּן לְחָכָם וְיֶחְכַּם עוֹד הוֹדַע לְצַדִּיק וְיוֹסֶף לֶקַח |
箴言 29:9 | 賢い人が愚かな人と法廷に行くと、愚かな人は激怒し、嘲笑し、平和は訪れない。 | אִישׁ חָכָם נִשְׁפָּט אֶת אִישׁ אֱוִיל וְרָגַז וְשָׂחַק וְאֵין נָחַת: |
箴言 26:4-5 | 愚か者にその愚かさにしたがって答えるな。そうしないと、あなた自身も彼と同じになってしまう。愚か者にその愚かさにしたがって答えよ。そうすれば、彼は自分の目に賢い者と思わなくなる。 | אַל תַּעַן כְּסִיל כְּאִוַּלְתּוֹ פֶּן תִּשְׁוֶה לּוֹ גַם אָתָּה: עֲנֵה כְסִיל כְּאִוַּלְתּוֹ פֶּן יִהְיֶה חָכָם בְּעֵינָיו: |
たぶん増田の多くが知らないと思うが、ゲームマーケットのサイトが不正アクセスにより、画像をすべて消されてしまった。
ボードゲームが好きな人でも、同人やインディーズのゲームはやらないという人も多いし。
つまり、日本全体で見た時に、ものすごく規模の小さい市場で、影響力も皆無のサイトである。
現に、ニュースにもなっていないし、多くの人がそのことをまったく知らない。
そうなると、何故犯人は罪を犯してまでそんなことをしたのかだ。
データを人質にお金を要求するでもなく、画像を消したところで、人が死ぬわけでもない。
かなり同人ゲームが好きな自分でも、「残念だなぁ」という程度のダメージだ。
言ってしまえば、地味な攻撃だ。落とし穴を掘ったら野良犬が落ちました、みたいな。
どうせ同じ犯罪をするなら、もっと自分の利のある、もしくはもっと被害の大きいことをしそうなもの。
①陰口の標的にされやすくなった
②聞こえる所で悪口が言われるようになった
③対面時の態度が他人と違う
④ありもしない悪評を流されるようになった
⑥露骨なアクション(ブーブークッションを置くなど)が起きるようになった
相手の人生終わらせたいなら⑧・⑨まで泳がせたうえで弁護士読んで示談金をふんだくることなんだろうけど、単に幼稚なだけの相手に対してそこまでやるのは気が引けるときはあるよね。
いやまあ部下の話なんやけどさ。
隣の課に流れてきたチンピラが素行のよろしくないグループを作ってて、ソイツから標的にされかけてるっぽいのよね。
⑤ぐらいまで来たら流石に相手側の上司に注意してもらうように求めた方がいいかな。
野良犬から悪口言われるぐらいは、正直「嫌なことがあってもカっとならない練習だと思えばいい」って俺も考えちゃう。
そこに具体的な被害が出てきたら流石に動くべきだけど。
簡単に増えて生態系を壊された地域がどれだけあると思ってんの?
「ネズミが病原菌を運んで健康被害をもたらすってんで問題になったから猫を外飼いして対策しました」なんて大昔の話で、汚い、糞尿を撒き散らす、畑やガーデニングなんかを荒らす、うるさい、車に侵入して故障を引き起こす、日本の固有種を含む野鳥や小動物を殺す、人の敷地に侵入して家畜のひなを殺した例なんかもある
狂犬病が致死率100%のあまりにも危険な病だから野良犬は駆逐されたけど、正直猫もやっていいと思う
管理が甘くて飼い猫を逃し駆除された飼い主が出たらそいつは自分の無責任さ管理能力の無さを恨めという話で、そんなつまらない事故への配慮はやらない理由にならない
俺自身は反出生主義がそこまでヤバい思想だと思ってない。苦しみを絶対悪としてそれを避けようとするなら、最初っから生まれなきゃいいじゃんって理屈になるのは筋が通ってる。俺自身も、最大の苦痛である死がいずれ必ず訪れると知った七歳のときの絶望感を覚えている。あの時はどうして俺は生まれてしまったんだと叫びたかった。
なぜ生きている/生きてしまっている/生かされてるのかって驚きこそが、哲学の始まりだ。
それに野良犬なんかの管理で「不幸な犬を増やさないために」って去勢するのと理屈とどう違う? あるい出生前診断や重い障害を持つ人々を重荷とみなす世間のまなざしなど、生命が完全に平等で尊いという考えに疑いをさしはさむ発想は結構身近だ。実は言語化されてないだけで、今まで多かれ少なかれ反出生主義的な発想はあったはずだし、自分は出生主義者だと思ってても、反出生主義的な考えをまったくしたことがないってことはないだろう。ちょっとくらい「なんで生まれたんだろ」「生まれさえしなければ」と考えたことくらいあるんじゃない?
ときどき反出生主義主義者がやべーやつ扱いされるのは、興味ない人を無理やり説得しようとするやつがいるからなんじゃないかって推測してる。
で、当の俺自身は生まれる事の善悪を判断する能力を、そもそも人間は持っていないと思っているんだけど、反出生主義者に聞いてみたいことは結構ある。だからまとめてみた。
セアカゴケグモに自分を噛ませた高校生が話題で、まぁやめた方が良いよとか猫猫の真似する子供が増えたら嫌だなぁとかそういう話はさておき。
毒を試してみようってなったときに、普通は小さな生物から試すだろう。きちんとした研究倫理の教育を受けていない幼児〜高校生であれば、まぁ虫あたりから始めてだんだん大きな生物に発展させるのは探究心の発露として自然な流れだ。それが哺乳類(ネズミ)になる前に止まるのか猫になる前で止まるのかヒトになる前に止まるのかは、誤差でしかない。
自分で試してみる人の中には、こうした動物実験を経る事なくいきなり自分で試す人が結構いる。
一つには他者の観察から得られる情報が少ないからだが(特に、生体信号の測定装置を持たない高校生以下)、他の理由として、動物実験の倫理的問題、というより倫理的葛藤をクリアできるという点も大きいように思われる。
このように自分に毒を盛る人は、他人には毒を盛りにくい。少なくともモルモットに毒を盛る人よりは、他者利用について倫理的葛藤を乗り越えていない。
ところで人体実験といえば華岡青洲である。野良犬での実験では人体に処方するに不十分であるから、母と妻が協力した。己の身で実験したかどうかは定かでは無いが、患者を実験台にするような研究手法では無かったようだ。
「自分」の範囲は社会によって異なる。青洲にとっては母や妻は「身内」だったのかもしれない。現代人であるかの少年は自分の体が自分だけのものと考えているであろう。「自分」を拡張すれば母妻に慎重に毒を盛るし、限定すれば軽々に自ら服毒する。
全く間違っていない。ただ、やりすぎると社会が不安定化するというだけ。
例えば学習障害に対して努力不足だとか、今次の能登地震について「過疎で交通不便地は見捨てろ」という論と同じである。
人間社会を振り返ってみると、何度もこういう話は出てくるし、実際その淘汰圧に何度も負けてる。ただ、やりすぎると社会全体が不安定化する。なぜなら黒い犬は見捨てられ野良犬となり繁殖し狂犬病を持つようになるかもしれない。学習障害を放置すると就職に困難をきたした上で反社会的勢力の食い物やコマになるかもしれない。
そうでなくとも、後天的な身体障害を就職差別したケース(めちゃくちゃありますね)ではだいたい飲んだくれてたりする。
これらを放置すると社会全体が不安定になるし、そうでなくとも普通の人々(自分を普通だと思ってる人々)まで「一歩足を踏み外したら地獄だ」という気持ちにさせ、とてもよくない。
なお、これらは国家規模の作業なので、あなたが寄付をするという行為自体は、あなたが気持ちよくなるという側面が大きい。良いことをした、社会に向上した、という。
もしも可能ならば、黒い犬にもポメラニアンにも平等にする団体への寄付をするか、両者に50円寄付するとか、あなたが気持ちよく安心できる道を選ぼう。社会補助とか公女とかは不幸な人を助けるだけでなく、普通の人々(ないし普通だと思ってる人々)を助けるためにもあるのだから。