はてなキーワード: 悪い男とは
バイキンマンのような敵キャラに位置する存在がいわゆる拗らせた弱者男性なのだ。
一方的に女性に付き纏ったり、変な歌を送ったり、変なメールを送ったり、しつこくデートに誘ったり、誘拐したり、女性に彼氏ヅラをしたりして、ハッキリとキレられている。(女性を恨んだりはしないが愛してくれないと泣いたりしている)
いきなり知り合いでもないのにしつこく声をかけるだけで女性は悲鳴を上げ、逃げ惑い、攻撃し、助けを呼ぶ。周りの男性は引き剥がす。
全体を通して住人のほとんどに嫌われる気持ち悪い人として描かれている。
正義のヒーローは、女性たちを虐めて嫌がらせばかりする男を女性を守るためにやっつけているのだ。
同じくらい気持ち悪い男キャラばかりだが、セクハラをしても怒らない女たちを周りに置き、
「冴えない男」が「いきなり現れて、何の努力もしてない主人公を何の理由もなく好きになり、斜に構えて関係維持の努力もせず相手に与えることもしない幼稚な男を嫌うことがなく、一方的に好きでい続けてくれる女」という完全なる嘘のファンタジーの物語ばかり描く。
人に愛されるような人物でなければ女性からも当然愛されることはない。この当たり前のことを描けない。
この描き方は有害なファンタジーであるから、丁重に避けられているのだというのがわかる。
「悪い男」に押し上げられる周囲は、それをよしとする「悪い男」の社会でしょ。
(園監督みたいな例はあるけど、それは周りの人も実際悪い男だったし。だから今制裁受けてるんだし)
確かに悪い男に惹かれる女はいるけど、それこそ子供の頃から「男は強いのがいい。女は弱い生き物」みたいな価値観で生きててそれが無意識に染み付いてるバカ女じゃん。自分が虐げられることを男の強さ=魅力と勘違いしてるだけ。自分で自分の価値を下げていることにも気づかないバカ女を相手にする必要ある?
わかる。上のやりとり見てて、何回か「男全員を敵対視してるわけじゃない」とか言われてるし元の文にも「悪い男を批判しろ」って書いてあるのに頑なに女を敵にしようとしてて謎。話聞けよな。
■いい人はなぜ女に選ばれないのか
いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。
女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。
実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。
やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。
女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。
あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。
そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。
つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。
これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。
まるでそういった所謂「悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。
女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体の関係や交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際やセックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ。
ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。
特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプの去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。
もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。
実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要な問題であるのにも関わらずだ。
しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである。
理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実を直視するところから始めていこうと思う。
男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。
「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。
ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男の彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。
そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである。
この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子は別に今恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。
「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。
この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男に男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。
男性としての魅力がないから女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないから彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。
そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし、言語道断な悪手である。
「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。
一度女性の言うことや、一般的な常識から抜け出した視点で現実を見てみよう。
大学の課題に困っている女の子に課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。
デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。
「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。
筆者は女の子の死にたいラインを一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。
一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。
チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。
女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。
自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。
学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。
仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。
こういった、一般的な常識や女性の意見と現実との乖離はなぜ起こるのか。
これを説明する答えは単純明快だ。女性は本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのである。
しかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。
「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性が本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。
これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。
どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。
ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサルの時代のことを考えてみよう。
ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為を交渉していたのだろう。
そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。
逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。
しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。
群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。
産むだけであればなりふり構わず性行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。
セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。
なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合は遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味で遺伝子を残すのに有利に働く。
この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙なバランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。
弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。
運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子どもの世話役をしていたのではないだろうか。
これが所謂、good genesとgood dadの関係である。
そして雌は雄の性質を本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである。
この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合は日本では20人に1人程度らしい。
これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。
皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である。
文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。
だがしかし、収入や肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性が結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。
少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。
そして雄としての力が弱い状態で結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実は残酷だ。
そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。
これも群れの繁殖に都合がよいからなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。
一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略を女性は本能で取り続けているのだ。
実際に言葉で説明できる女性はほとんどいないだろうが、それを感覚で理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである。
優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的に男性としてモテることはない。
これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度や女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである。
男が恋愛や結婚といった男女の関係において充実し、人生を幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。
そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。
最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。
優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性と幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである。
・はじめに
優しくていい奴はモテない、とことんモテない。これはいったい何故なのだろうか。いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。これはとんだ誤謬である。
女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。だが現実、彼女たちは普段どんな男を選んでいるだろうか。あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。
まるでそういった所謂「悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体の関係や交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際やセックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ。
ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプの去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要な問題であるのにも関わらずだ。しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである。理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実を直視するところから始めていこうと思う。
・優しい男の悲惨さ
男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男の彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである。
この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子は別に今恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男に男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。男性としての魅力がないから女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないから彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。
そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし、言語道断な悪手である。「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。モテないスパイラルに陥ってしまうのである。
一度女性の言うことや、一般的な常識から抜け出した視点で現実を見てみよう。大学の課題に困っている女の子に課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。筆者は女の子の死にたいラインを一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。
一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。
こういった、一般的な常識や女性の意見と現実との乖離はなぜ起こるのか。これを説明する答えは単純明快だ。女性は本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのである。しかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性が本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。
まず第一に、人間だって動物なのである。どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサルの時代のことを考えてみよう。ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為を交渉していたのだろう。そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。
しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。産むだけであればなりふり構わず性行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。
なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合は遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味で遺伝子を残すのに有利に働く。この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙なバランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子どもの世話役をしていたのではないだろうか。
これが所謂、good genesとgood dadの関係である。良い遺伝子であることと良い親であることは異なるのだ。そして雌は雄の性質を本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである。
この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合は日本では20人に1人程度らしい。これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である。文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。
だがしかし、収入や肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性が結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。そして雄としての力が弱い状態で結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実は残酷だ。
そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。これも群れの繁殖に都合がよいからなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略を女性は本能で取り続けているのだ。実際に言葉で説明できる女性はほとんどいないだろうが、それを感覚で理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである。
・おわりに
優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的に男性としてモテることはない。これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度や女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである。
男が恋愛や結婚といった男女の関係において充実し、人生を幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。
最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性と幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである。
https://anond.hatelabo.jp/20220329212048
https://miyearnzzlabo.com/archives/80196
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5909563.html
このへんを読んでの感想。
どうやら、アメリカ国内では「ウィル・スミスが悪い」という論調が圧倒的多数らしい。
それは、アカデミー賞やウィル・スミス自身の反応を見ても明らかだと思う。
その背景として、アカデミー賞では慣例的にブラックジョークが披露されていたこと、出演者はそれを受け入れていたことなどが言及されている。
また、「妻を馬鹿にされて暴力を振るうのは悪い男性性の発露である」といった解釈もあるとのこと。
ここで、外部の目線として「そういった慣例や解釈自体がおかしい」という評価はできると思う。
しかし、重要なことは「事実としてアメリカもしくはアカデミー賞ではそういったコード(規範)があり、ウィル・スミスは当然それを熟知していた」ということだろう。
例えて言えば日本で育った日本人が他人の家に土足で上がり込むようなもので、外国人が「家は土足で入るものだから日本のコード自体がおかしい」と言ったところで、「日本のコードを熟知している人間が日本の家に土足で上がり込むのは非常識である」ということは変わらない。
要するに、物事を捉えるときには前提となる背景やコードの理解が必要だし、(上記の記事に書かれているコードが概ね正しいとすれば)コード自体を批判することはできてもウィル・スミスを擁護するのは無理じゃない?と、そんなことを思ったりした。
●異性としての魅力がない弱者(格下)がビジネス・経済的に優遇(格上扱い)されていることが許せない
っぽいんだよね。
要素別にみれば、
●組織内集合知の結果で選定される、組織の機能に支配的影響を与える人材に男が多いこと
●その他の大半の男は上記人材とのコミュニケーションコストが低い、いわば組織内サービス業として評価されていること
こんなこと一瞬で理解できるはずなのにね。
(なお常識だけどサービス業の労働付加価値は周囲の生産性に強く依存する。)
人は衝動的な感情に支配されている時に対象をひとつの物差しで測る傾向があるけど、フェミはその傾向が特に強い。
なお、一般論としてこの行動様式自体は一概にデメリットばかりではなく、愛(ここでは欠点すら愛おしく感じること)の由来でもあり人々の集団生活に寄与してきた一面もある(緊急性の高い状況で損得を素早く判断することに優れる)が、当然万能ではなく特にワイルドカード的な処理(次の茸が致死性の毒を持つ場合)には向いていない。
崖の上で蝶を追いかけることには恐怖という機構で制限をかける一方で、女性が男性を選別する場合については衝動的な判断が許されてきた。なぜなら良い男を掴むことも悪い男を掴むことも自身と子孫の生存に致命的ではなく、そもそも良い男は環境的な選別に生き残る(遠征で死なず成果を持って帰ってくれば良い男である)ことでバイアスがかかっているため女性が良い男を見抜く能力はそれほど重要ではなかったから。
とはいえ過去においては上記が正しかったとして、現代においてはどうだろうか?
男への環境的選別は文明の進展に伴い減少し、かつてはその悪影響を無視できるほどであった悪い男の家庭内暴挙が自身とその子孫の生活に致命的であると考える人も既に多い。
既に、異性を選別する決断は衝動的判断に基づくべきでないとする変化は起こりつつある。その時に異性選別において衝動的な判断を是とする人はどのような扱いを受けるだろうか?集合知はどう振舞うだろうか?今はまだ本当の弱者は分からない。淘汰されてからでなければ。
迷惑な男性客がいるなら被害を受けないように警戒するのは当然だ。
ただ、その警戒は等しく客全員に向けるべきなのだ。少なくとも表面上は客の属性によって警戒心の濃淡をつけてはダメだ。
悪い男性客が増えたと考えるのではなく、客全体の平均的な治安が悪化したと考えるべきだ。
女性にも警戒のポーズをとってそっけない接客になり売り上げが落ちるなら、それは正しい社会を作るための正当なコストだ。
中国人窃盗団のピッキング被害が多いなら、建物に立ち入る中国人にのみ入館記録簿へ記帳させるのではなく、訪問者全員に書かせるのが正しい。
属性による差別を仕方ないと正当化する考え方もあり得るが、その場合当然逆の差別もなくならない。キャリア形成や給与待遇で差別をこの先も受け入れることと表裏一体だと認識するべきだ。
推敲もしていないし、考えがまとまらないまま書いているので読みにくい乱れた文を書いていると思う。その点だけ先に謝っておく。
私の悪い点として、自分が招いた窮地を他人のせいにしてしまう所がある。
自制心が弱く自己管理が出来ないので、大学生になって親や教師から管理されなくなった途端、生活リズムが破綻して授業をサボりがちになってしまった。そのツケが三年生になったときに押し寄せて来たのである。自分が悪いということは自覚していたがその事実から目をそらすために、「自分の大学生活が上手くいかなくなったのは当時の彼氏から受けたストレスのせいだったのだ」と自分に言い聞かせて彼氏との縁を切った。元彼氏は確かに束縛が激しく試し行為のために自作自演をしたり思い通りに事が進まないと号泣したり、人前でも幼稚退行して奇声を発する上に語尾が「にゃ」の大変気持ち悪く、私にストレスを与えて来る人間だった。しかし、そもそもなぜ私がそんな人間と付き合っていたのかと言えば、気持ち悪い男と交際するという自傷行為によって自分の置かれた現実から逃避しようとしていたからだ。自分で選んで気持ち悪い男と付き合い必修の授業を切り課題を出し忘れ、全て自分に非があるのだがその全てのストレスを元彼氏に押し付ける形で自分の心の中で折り合いを付けた。
通っている大学の大学院に進学を希望したものの、私のそれまでのGPAは2.0以下(4.0が満点)で内部推薦はもらえない状態だった。そのため、大学院の受験をしなくてはならず、今までサボってきた基礎科目を勉強しなおす必要があった。しかし勉強を始めた時期が遅く院試までに間に合うかどうか望み薄だった事もあり、全くやる気が出なかった。さらに、当時「生活習慣を正す」という目的で通っていた心療内科で睡眠薬をいくつか出されていたのだが、睡眠薬を飲むと夜間だけでなく昼間も頭がぼんやりしてしまい、勉強が思うように進められなかった。
そんな時期に、私のSNSにしつこくDMを送ってくるフォロワーの男がいた。フォロワーとは数回エンカをしたことがあるのだが、何回目かのエンカの後に長文ポエムとともに交際を迫る文言が送られて来たので、あまり刺激しないようにしつつ少しづつ距離を取ろうとしていた。フォロワーは長文DMが鬱陶しかったとはいえ元彼氏のように実害を与えてくる存在ではなかったので、適当に受け流して返信をすれば良かったと思うのだが無性に苛立ちを感じてしまいtwitterやpixivの全てのアカウントでブロックをした。今思うと完全に八つ当たりだったと思う。
また同時期に、学校の女友達とも縁を切った。買い物や通院など日常の些事をラインで何件もわざわざ送って来られる事が負担だった。しかし、これもただラインの通知を切ってあまりみないようにすれば良かっただけの話で、ラインをブロックまでしてしまったのは八つ当たりだった。この友達に関しては拒絶する前に自分の気持ちを話していれば良かったと後悔している。
院進が決まり頭が冷えてきた頃に、悪意があった訳でもない友達を急に拒絶してしまった自分の挙動がおかしかったという自覚が芽生えてきて自分の「ストレスを他人のせいにして相手ごと切り離そうとする」という悪癖に気付いた。
大学院一年生の今、私は就活と研究で行き詰まっている。頭が悪く社会性も低く、これまで何も成し遂げていない自分に入れる企業なんてあるのだろうか?
そして、ありがたい事にこんなクズの私を頻繁に遊びに誘ってくれる友達がいるのだが、やらなくてはならない事が溜まっている時期にswitchのログイン状況を監視されたり何度も遊びに誘われると鬱陶しく感じてしまって、ラインごと消したくなってくる。就活や研究が進んでいないのは自分のせいだし、友達との遊びも強要されている訳でもないのだから適度に断ればいいだけ。何より、クソキモ元彼氏や長文ポエムDM男と違って、この友達のことは大好きなのだ。冷静じゃない時に早まって連絡手段を絶ったら絶対に後悔する。
でもなんだか逃げ出したい