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はてなキーワード: 1937年とは

2024-02-04

1924年に生まれた人は1937年には13歳、1945年には21歳になったか、なるはずでした

2024年に生まれた人は2037年には13歳、2045年には21歳になる可能性が高いです

平和を考えましょう

2023-12-03

総統フリーレン

FDR「キンメルはもういらないじゃない」

「…ふざけるな。我軍は1939年から参戦しているベテランだ」

RAF、お前の前にいるのは、1937年から戦争している飛行機乗りだ」

「これはどういうことですか?…今のは通常攻撃計画です」

「あれが電撃戦ブリッツリーグ)だよ」

アカってのはね、こういうトラック渡しておけば喜ぶんだよ」(盛るトラック

九七式中戦車の主砲を見て

「ちっさ」

ヒロヒトならそうしたってことだよ(忖度)」

「アドルフ、自害しろ

「我々は何か選択を間違えてしまったようですね」

2023-10-19

anond:20231018220727

後世いわゆる太平洋戦争日中戦争エスカレーションと見るべきであり、日中戦争の端緒である盧溝橋事件軍部の独走によるものなので、開戦に限れば民意はそこまで重要ではないと思う。

日米開戦日中戦争の長期化で戦時体制を構築し世論工作が浸透した後の話。

あの敗戦回帰不能点は、盧溝橋事件に決めた時点。1937年7月中旬に、軍部政府天皇が待ったをかけていれば良かった。

2023-08-16

anond:20230816130252

1919年から1937年までの戦後は、

起訴便宜主義改正とか、国際連盟日本脱退とか、ワシントン軍縮条約廃止日本弁護士会活動するとこうなる)

今は、ロシア憲法改正ウクライナ戦争だから

自民日本国憲法を改正できたらだな(おそらく無理だろう

いつまで「戦後」やるの?

そろそろよくね?

ほそぼそとやるのはいいよもちろん

 

 

______

 

バズったから何か書こうかな

年表でも書くか

 

2023年

|(53年)

1970年 沖縄返還

|(25年)

1945年 太平洋戦争終戦

|(4年)

1941年 太平洋戦争

1937年 日中戦争

1931年 満州事変

|(9年)

1922年 シベリア出兵終わり

1918年 シベリア出兵

1918年 第一次世界大戦終戦

|(4年)

1914年 第一次世界大戦

|(9年)

1905年 日露戦争終戦

1904年 日露戦争

色々

1895年 日清戦争終戦

1894年 日清戦争

 

20世紀前半は戦争し過ぎだな

20世紀後半はその後悔の半世紀って感じだったけど

現代もっと現代戦争を学ぶべきだと思うわ

 

比較として地震を持ってこようとして調べたんだけど

災害としての地震ってさ

1896年 明治三陸地震

1923年 関東大震災

1995年 阪神淡路大震災

2011年 東日本大震災

だいぶ飛び飛びなんだよね、昭和割りと奇跡だったんだな

あ、てか関東大震災からちょうど100年か

なんか色々イベントやるらしい、シンポジウムとか

2023-08-10

LK-99 にかこつけて物質探索としての機械学習

増田マテリアルインフォマティクス超伝導専門家ではないんだけど。

雲行きがあやしくなってきか

専門家からすると、常温ながら高圧下で超伝導存在ですら怪しいのに、高圧ですらない報告は眉につばも付けたくなるだろう。(LK-99は本当に常温常圧超伝導を達成しているのか - 理系のための備忘録)

Cu_2S の一次転移を常温超伝導と見間違えたのでは?との報告が上がっている。(https://twitter.com/tjmlab/status/1689076343114493957])

機械学習物質探索

LK-99に関連して、常温超伝導を示す物質機械学習を使って見つけられないのかという疑問をはてなブックマークTwitterなどで見かけた。

端的に述べると、機械学習を用いた物質探索は既に広く行われているが、今回のような未知の性質を有する物質の探索には不向きである

物質探索で機械学習が注目されるようになったのも最近のことだ。

2019年には選択性の高い触媒機械学習予測する研究がScience誌に投稿されている。(高選択的な不斉触媒系を機械学習で予測する | Chem-Station (ケムステ))

物質の探索の他にも、生データ帰属やそこから得られたデータ同士の解析などにも機械学習が用いられている。

暗黒大陸が広がっていた

機械学習によって、経験によると勘とマンパワーと一握りの運で支えられていた「予測→合成→測定→解析」のサイクルを早められるようになった。

その一方で、より広大な未踏の探索領域存在し、さらなるマンパワー必要であることが明確化された。

HUNTER×HUNTER暗黒大陸が明かされた状況に似ている。


機械学習暗黒大陸の道案内役になりうるが、より効率的な探索のために実験や測定の自動化必要となり、そのような研究も始められている。

予測した物質を合成できるか

機械学習が様々な物質予測しても、その合成できるかは別問題だ。これは機械学習に限った話ではない。

理論的にすばらしい性質が予想された物質であっても、技術的に合成できない、合成できても予想された性質を示さないことは科学世界ではあるあるだ。

原因は様々である解決のためには、技術進歩ブレイクスルー必要となるし、そもそも予想が間違っている可能だってある。

たとえば、2000年ノーベル化学賞を受賞したポリアセチレンは、古くから量子化学的に導電性を持つだろうと予想されていたが、合成する方法がなかった。

1958年にナッタらが開発した触媒によって初めて合成されるが、粉末しか得られず電気特性を測定することができなかった。得られた粉末は溶媒にも溶けず熱で溶融もしないためフィルムにできなかったのである

その後の1967年白川らがフィルム化に成功金属光沢を示すもののほぼ絶縁体であった。電気を流すにはドーピングという更なるブレイクスルー必要だった。

超伝導やばい

機械学習は、目的とする性質を持った物質を探索することは可能だが、全く新しい性質を示す物質予測には向いていない。

過去の結果から高い転移温度を有する物質類推可能だが、これまでの超伝導とはメカニズムが異なるであろう常温超伝導を示す物質を予想することはできない。せいぜい異常な振る舞いを予測するくらいだ。

超伝導の恐ろしいところは2000年以降も様々な性質が予想され発見されていることだ。

例えば、ワイル金属1937年予想、2016年発見)、トポロジカル絶縁体2005年提唱2007年確認)、ネマティック超伝導2016年発見)などなど。

全く新しいメカニズムによる性質に関するデータが無い以上、このような性質を示す物質機械学習で探索するのは無謀だ。

もちろん、既存データをよくよく洗い出してみると、新しいメカニズムで上手く説明できるケースもあるが、それを機械学習へ利用するには・・・・・・。

最後

というわけで、常温超伝導を示す物質機械学習で探すのは得策ではない。

2023-07-29

大粛清

大粛清(だいしゅくせい、露: Большой террор)とは、ソビエト連邦ソ連)の最高指導者ヨシフ・スターリン1930年代ソビエト連邦および衛星国モンゴル人民共和国等で実行した大規模な政治弾圧を指している。スターリンからすれば、粛清とは、党の浄化意味した

日本人からは、

山本懸蔵(日本共産党員。1937年11月逮捕1939年3月銃殺)、

伊藤政之助(日本共産党員。1936年11月逮捕1937年銃殺)、

国崎定洞(ドイツ共産党所属ソ連移住した元東京帝大医学部助教授1937年8月逮捕、同年12月銃殺)、

杉本良吉(演出家日本共産党員、女優岡田嘉子愛人1938年1月逮捕1939年銃殺

などソ連亡命中の共産主義者を中心に10-20名前後が粛清されたと見られる。

共産思想に心酔し、わざわざソ連移住するほどまでに熱心な共産党員が、別の共産党員の密告によって処刑されたこ事件

銃殺される直前は共産思想のことをどう思っていたんだろうか。。

2023-07-27

[] HoI4 v1.12.14 ドイツ 実績 "True Blitzkrieg" 取得

1940年1月1日までにポーランドフランス降伏させれば達成できる。

1936年ポーランド自力正当化して1937年併合1938年1939年フランス戦(連合国戦)やって降伏させて達成。

1936年

NF

ラインラント」は取らない。戦争することで非武装地帯が解除されるので自動達成できるため。

「四ヶ年計画から始まる工場がもらえるツリー適当に取る。あと「陸軍の諸改革」を取った。師団速度が上がる陸軍長官が好きなので。

政治力用途

政治力+15% の閣僚を二人雇ったらポーランド正当化、という手順をやった。でもこれ、たぶん閣僚雇う前に正当化始めたほうがよかった気がする。その後は「労働条件改善」をしたり、陸軍長官空軍長官を雇ったり、「幻惑の紳士」を雇ったりする。

建設

最初になんとなく民需工場を二つ建てて、あとはずっと軍需工場を立てた。たぶんずっと軍需でいいと思う。

徴兵など

歩兵装備の出る数だけ歩兵徴兵する。ポーランド国境に並べる。開戦までに歩兵24師団の追加を目論む。

空軍パイロット訓練させる。海軍適当に訓練。

諜報

諜報機関設立して暗号部門を五つ強化するまで進めて、諜報員を二人出す。その後はしばらく強化しない。アンシュルスなど済んで民需に余裕が出来たら再開する。諜報員ポーランドに仕込む。

1936年末〜1937年

ポーランド

正当化が終わったらすぐに宣戦。東側飛び地の東プロイセン国境24師団歩兵を並べておき、ここは動かさず固めておく。広い方の国境歩兵24師団を並べて開戦と同時に突っ込ませる。戦車騎兵は別の軍団にして、西プロイセンとダンツィヒ突撃して東プロイセン繋ぎに行く。飛行機を全て西ポーランド飛ばして補助。

海軍特にすることはない。暇なのでバルト海通商破壊したり機雷撒いたりしとく。

ある程度押し込んで東プロイセンと繋がったら、東プロイセン軍団も南下を開始。ワルシャワとあと少しを押さえたらポーランド降伏する。

講和会議では全併合する。国際緊張度が上がるが仕方ない。傀儡化するとたぶん実績が取れなくなる。(一敗)

NF

ラインラント」が自動達成できるので取る。「アンシュルス」が取れるようになったらすぐ取る。

その後は産業系を適当に取って内政。あらかた取ったら「東方地帯の再要求」の後、「ダンツィヒ戦争か」をポーランドがいないので自動達成、「マジノ線迂回」で開戦事由を取りに行った。でも NF で開戦事由取るより、自力正当化した方がよかったような気もする。

諜報

ポーランド戦が終わったら諜報員フランスに仕込む。「協力政府作成」を一段階やって降伏を早めておく。その後はフランスの諜報網は休止、ベルギーオランダ諜報員を入れて開戦に備える。

建設

軍需工場や合成精製所を建てる。対仏戦直前は、レーダー建てたり対空砲建てたりしてた。

徴兵など

歩兵師団と軽戦車師団適当徴兵する。出せれば中戦車を出したかったが、間に合わなかったのでこれで押し切った。

1938年中頃〜

連合国

NFで得た開戦事由で低地地方にまとめて宣戦。すると英仏が宣戦してくるので世界大戦勃発。歩兵師団仏国境に並べて固めておく。マジノ線突撃するのは無謀なのでここは動かさない。残りの歩兵師団戦車師団補給ができそうな数だけ低地地方に突っ込ませる。予備の師団オーストリアで待機。

空軍戦闘機を少しドイツ領の防空に配置し、残りを全部低地地方に飛ばす。

海軍は動かしてもボコボコにされるだけ。交戦を避けながら機雷を撒いたり、スペイン沖の深海ちょっと通商破壊したり位しかできない。

しばらくするとイタリアが枢軸に加盟してくれるので、すぐに予備師団を伊仏国境に貼り付ける。準備ができたらイタリアを参戦させて攻撃開始。

低地地方が終わったら南下。諜報網も再開。フランス勝利点を少し取ったら降伏してくれて実績が達成できた。実績が取れたのでここで終わり。

他の方法など

2023-05-20

anond:20230520173048

1937年から中国戦線拡大して結局何得たんだろうね。寧ろほとんど失った。1955年に、(1937年頃の経済水準に戻ったことで)「もはや戦後は終わった」とか、この期間何かに乗っ取られてたとしか思えない。

2023-02-19

anond:20230218161323

界隈ってそもそも場所的な事を指す使い方だったのが、ネット属性集団を指すようになったじゃん

ネット変異する前にそういう使い方されてる例ってあった?

1つでも良いと言われたから挙げてやったぞ。事例がこれだけじゃ納得できないとか言うなよ

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000182685

> 下記の新聞記事について、正確な日にち・掲載面をご教示ください。

>

> 室生犀星/「情痴界隈」

> 徳島毎日新聞

> おそらく1937年1月2日~5日の間に掲載されている。

2023-02-05

子どもとの結婚多様性だ、などとほざいてる人に見習って欲しい結婚

海外発!Breaking News】85歳の夫はおじいちゃんより年上 24歳妻「何歳だろうと彼のことが好き」(米)

https://japan.techinsight.jp/2023/02/iruy02041111.html

2人の年齢差は61歳とかなり離れていたが、それを感じさせないほど「一緒にいて居心地が良かった」とミラクルさんは付き合い始めた当時を振り返る。ミラクルさんはチャールズさんが高齢であることは分かっていたが、正確な年齢を知らずに一緒に過ごしていたそうで、会話の中でチャールズさんが1937年まれであることを知ったという。「チャールズが100歳だろうと55歳だろうと彼のことが好きなんです。いつも明るく活発なので、最初は60歳か70歳くらいかと思っていましたね」とミラクルさんはチャールズさんの印象を話した。

ちゃんと成人している2人のお付き合いだから、誰も反対なく受け入れられる幸せ結婚となった。

黒人白人という異人種カップルでもあり、そこもまた米国社会が祝福できるタイプ多様性をもった結婚になっている。

2023-02-04

ChatGPTは禁止すべき

Q:

南京大虐殺について教えてください

 

A:

南京大虐殺は、1937年南京現在中国南京市)で日本軍によって実行された大規模な虐殺事件です。数十万人以上の中国市民殺害されました。この事件は、第二次Sino-Japanese War中日戦争)の一環として起こりましたが、国際的には大量虐殺として認識されています

 

Q:

殺害人数は中国プロパガンダとされていますが?

A:

南京大虐殺殺害人数に関しては、まだ確定的な数字はありません。しかし、多くの報告により、数十万人から数百万人の範囲に及ぶとされています。これは、日本軍による強制連行暴力レイプ、焼き払いなどの報告に基づいています

ただし、この数字国内外歴史学者ジャーナリストNGOなどによっても議論されています日本政府は、公式には低い数字を示しており、中国政府は高い数字を示しています

最終的には、正確な数字が明らかになるまで、南京大虐殺殺害人数は論争の的となることがあります

 

 

 

戦争だろ、こんなもん

anond:20230204091235

南京大虐殺について教えてください

南京大虐殺は、1937年南京現在中国南京市)で日本軍によって実行された大規模な虐殺事件です。数十万人以上の中国市民殺害されました。この事件は、第二次Sino-Japanese War中日戦争)の一環として起こりましたが、国際的には大量虐殺として認識されています

 

ChatGPTも言ってるんだよなぁ

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-06-16

anond:20220616144142

見応え

泉鏡花高野聖

初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂 1900明治33)年

https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/521_20583.html

礫はばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨で伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違いはない。

読み応え

モーリス・ルブラン水晶の栓』

初出:「新青年(第二巻第九號)夏季増刊」1921(大正10)年8月

https://www.aozora.gr.jp/cards/001121/card47067.html

大正10年の「新青年」に一挙掲載された無署名の訳稿。(中略)その号の編集後記には森下雨村の筆で「一方に於て、相当読み応えのする作品を(中略)」と付記されている。

聞き応え

ナサニエルホーソンワンダ・ブック』

1937年昭和12)年9月1日第1刷発行

https://www.aozora.gr.jp/cards/000905/files/18330_14267.html

それは詳しく話す値打があるもので、もしもそうしている時間さえあれば、君達にも十分聞きごたえがあると思うのですが。

腹応え

山本笑月明治世相百話』

1936(昭和11)年4月20日発行

震災後は食味一変、味よりも腹ごたえのある安直ばやり

2022-05-13

何十年前のキャラ映画にして盛り上がってんだよ。もう終わりだよこの国

2021年映画全米興行収入ランキング

2022-02-25

左派ツイッタラーNATO責任の有無で仲間割れ

アメリカ政治ってアカウント左派界隈からよくRTされてたのにこれで村八分確定やろなあ

2022-02-11

anond:20220211114405

1937年と言えば日中戦争の始まった年。4年後にパールハーバー日米開戦

あれだろ。敵性語廃止とやらで無理矢理カタカナ外来語漢字熟語に変えさせられたんだろ。野球用語なんかも「ストライク→よし」とか変えさせられたそうだし。

1937年の第十五回大会アルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。

http://www.ski-japan.or.jp/3791/

おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。

なぜ「スラローム」を「回転」と訳してしまったのか?

スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。

それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である

しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか

スーパー大回転」などと聞くと個人的には、

ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、

実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である

それなら「蛇行」「大蛇行」「スーパー大蛇行」ではないか

いったい誰がこんな訳にしたのか?

遡ってみると、1923年第一全日本スキー選手権大会では、

スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。

http://www.ski-japan.or.jp/3786/

第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、

1937年の第十五回大会アルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。

http://www.ski-japan.or.jp/3791/

おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。

しか第一大会に「スラローム」という競技があったとおり、

その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。

当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。

スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢クリスチアニアウイングであるとかテレマークウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用使用と云うふようなことには全然無關係である

スキーイング初歩 - Google Books

スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である

スキーとスケート - Google Books

クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニアスラロームテレマークスラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。

外来語研究 - Google ブックス

注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。

「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。

上記文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。

まり全日本スキー選手権大会(かどうかは分からないが)も、

スラローム」と「回転」の違いは承知していたはずで、

それで後からスラローム」の訳語「回転」と決めたとは考えづらい。

単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、

「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」

みたいな感じで競技名を決めただけなのではないか

それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、

「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)

さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って

もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。

また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、

今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、

まるで「スラローム」の訳語「回転」であるかのようになってしまった、

ということなのではないか

言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、

えいやで「スラローム」「Gスラローム」「SGスラローム」とかに変更しちゃっていいと思うんですけどね。

それか本当に「蛇行」「大蛇行」「スーパー大蛇行」でもイインダヨ。

2022-01-02

anond:20220102022116

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