はてなキーワード: 思慮深いとは
アメリカ合衆国大統領による
西暦1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領より、特に以下の事項を含む宣言が発せられた。
「西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされている すべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。陸海軍当局を含む合衆国の行政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために..行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。
行政府は、前記1月1日に、宣言によって、人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域を指定する。また、同日時点で、州またはその人民が、その州の有権者の過半数が参加する選挙で選出した議員を、誠意を持って合衆国議会に送っている場合には、これを否定する強力な証言がない限り、それをもってその州およびその人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にないことを示す確実な証拠とみなされる」
これにより今、私、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、合衆国の権威ならびに政府に対する武力による反逆が実際に起きたときの合衆国陸海軍の最高司令官として私に与えられた権限に基づいて、またかかる反逆を制圧するための適切かつ必要な戦争手段の1つとして、前記の日付から丸100日間の全期間にわたり、そうすることを公式に宣言してきたことに伴い、本日1863年1月1日、本日時点でその人民が合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域は、以下の通りであることを定め、明示する。
アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)。そして例外とされた地域は、差し当たり、本布告の対象外とする。
前述の権限に基づき、また前述の目的のために、かかる指定された州および州の地域内で奴隷とされている者はすべて自由の身であり、今後も自由であることを、そして陸海軍当局を含む合衆国行政府が、かかる人々の自由を認め、これを維持することを私は命令し、宣言する。
そして私はここに、今自由であると宣言した人々に対し、自衛上必要でない限り、いかなる暴力も慎むよう申し渡す。また、あらゆる労働の機会において、正当な賃金を得るために誠意を持って働くことを推奨する。
さらに、適切な健康状態にある者は、要塞、陣地、駐屯地、その他の場所を守備するために、あるいは種類を問わず軍隊の船舶に乗り組むために、合衆国軍隊に受け入れられることを宣言し、周知させる。
そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。
id:agricola 日本の「歴史とイメージを尊重しろ」勢は、昔のハリウッド映画のリメイクにチビで出っ歯でメガネの日本人男性がドブネズミ色の背広を着て首からカメラぶら下げて登場しても「歴史を尊重してる!」と感激するんか?
( https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/308501/ より )
原作のイメージやファンの愛着を尊重考慮し、差別を意図したものでないと伝わる十分な配慮があるなら
もちろんキャラ設定を再解釈・変更し現時点での社会正義に強く配慮し、より多くの人が楽しめ、弱者を勇気づけ、新しい価値を示そうとする姿勢もまた同様に尊重されるべきものです。
創作は大なり小なり作りて側のステロタイプや差別や誤解や配慮不足が反映されますし、過去の作品はとくにその傾向が強いです。
しかし、生み出されたキャラへのファンの愛着は罪であると断言することはできないでしょう。
正しさだけでなく、暴力を代表に正しくなさも価値になるのが創作です。
正しさを追求する姿勢も尊いものですが、「正しくなさをどこまで排除していいか」「どこまで配慮が必要か」は
きわめて難しく繊細な問題です。
そこを「とにかく正しさに従えばいい」「従わないのは悪だ」とファンの愛着すらくだらないものと排除しようとするのは
創作自体を社会正義の下位のくだらないものと扱うことに繋がりますし
強者の正しさで弱者を攻撃排除する過去の差別の再生産的とも言えます。
創作に関する愛着や自由や衝動の概念はまだまだ未整理で未成熟ですが、
あくまで現時点だけの正しさに従い切り捨てられるべきくだらない悪と扱うのが
将来問題になりうる差別を回避しうる、または過去に生きてたとして差別への加担が回避できたと言える思慮深い態度でしょうか。
元の記事は会員制のため全文読めてないので後半でファンの愛着への言及があってバランスがとられているのかもしれませんが、
繊細な心理を反政治とレッテルを貼り単純化し悪と軽々しく断じ切り捨てるのではなく、
今までの作品のイメージや愛着は尊重されるべき、新しいものもまた両立する形で尊重されるべき、というメッセージを共有するのが思慮深い「正しさ」ではないでしょうか
https://mainichi.jp/articles/20220920/k00/00m/040/205000c
この毎日の記事についてたブコメだけど、バス釣りは釣っても食わないからサイコパスの趣味なんだとよ
別に俺は釣りはしないが、別に人間の楽しみのために他の生命を犠牲することなんてバス釣り以外にごまんとあるだろ
美食だって生命活動とは関係のない娯楽だろうが、そのために余計に殺される生き物はいいのか
お前の好きな漫画本の原料は木だよなとか、不快害虫を平気で殺したりとかさ いろいろあるだろ
魚がビチビチしててかわいそうだからバスフィッシングはサイコパスの趣味、なんて短絡的な主張は思慮深いブクマカはしてはいけない。
「メスは限られた数の子しか持つことができないが、オスは実質的に無制限な数の子を持つことができる。オスが、誰と交配しても構わないと思っているメスを見つけられるかぎり」 「その結果、一般に、メスはだれと交配するかに関してより強く選り好みする」 -キャスパー・ヒューエット(2003)
「オスは彼が受精できる卵子の数を遙かに超えた数の精子を容易に生産することができる、…したがって、求愛や縄張り争い、その他のオス同士の争いが展開される」 -ジョージ・ウィリアムズ(1966)
「ほとんどの動物では、メスの繁殖は卵に多くの栄養をつぎ込まなければならないことによって厳しく制限される。哺乳類では、それに相当するのは胎児の養育と母乳の生産である。しかしオスの場合は精子の生産で繁殖が制限されることはめったにありそうにない。むしろ彼にとって制限となるのは、受精させる機会か手の空いているメスの数で… そして、一般的には、メスの繁殖はオスと比べて大きく制限されることになる… これはほとんど常にオスの無分別な熱意とメスの思慮深い受け身の組み合わせが見られる理由を説明している。」 -A・J・ベイトマン(1948)
「一夫多妻の種の中では、オスの繁殖成功度における差はメスの繁殖成功における差より遥かに大きい傾向がある」 -ジュリアン・ハクスリー(1938)
「メスは(まれな例外はあるが)オスほど熱心ではない… 彼女たちは内気で、長い間オスから逃げようと努力しているのがしばしば見られる」 -ダーウィン(1871)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220714/k10013716551000.html
本やテレビ見れば分かる事だから、テレビで報道してもいいじゃん的なノリのブコメがいくつかあるけど。
「本やネットで調べよう程度の事すらしない」と「テキトーに火薬作って気軽に破壊しよう」って『短絡的である』という共通点があるので、
みたいな、ざっくりした住み分け?ができてる様な気がして、そしてテレビ報道はその垣根を超えてしまう、短絡的な人に知識を授ける効果があると思った。
みたいな感じで大きく分類できるじゃないですか。もちろん例外は無数にいる。
仕事と家庭について、未来を模索している女の子たちへ。将来、家庭をもち、子供を育てながら、やりたい仕事でも成果を出したいと思う女の子たちへ。
この国は、そんな女性に決して優しい国ではありません。
どうしたって、ほとんどの場合、家事と育児は女性が担当になります。同じくらい優秀で、同じくらい活躍していた同期の男性は、そのままのスピードで走り続けます。
女性は出産をします。産前産後で体は激変し、生まれる前から子供の成長に合わせて身体も生活も変化させなければなりません。この時から、同期男性とは条件が違います。
つわり、体重の増加、ホルモンの変化、そして出産。そうやってお腹の中にいた赤ちゃんがこの世に生まれた時、お母さんであるあなたはすでに10ヶ月子育てを体内でしてきています。
だから、泣き出す赤ちゃんに誰よりも早く反応し、誰よりも早く世話をします。そこからスタートのお父さんには、手出しができません。当然です。
お父さんは、そんなお母さんを気遣い、自分は外でしっかり稼いで、家族が安心して暮らしていけるように頑張ろうと決心します。ますます、仕事に精を出します。
あなたが仕事をお休みし、慣れない子育てと大ダメージを受けた身体を癒す間、あなたの同期男性はそうやって加速していきます。
出産を境に、男性をライバル視するのは一切やめましょう。心が折れます。それまで同じコースを走っていた彼らとは、あなたはもう別の競技に入っているのです。
男女の違い、子持ちか否かはキャリアに関係が大有りです。出産を選んだ女性は、仕事での評価という競争において、ずっと後ろでストップさせられていることを自覚するべきです。それは、自分の心を守るためです。
仕事に邁進する同期男性の傍、子育て中の女性は、これまでやってこなかったタスクが鬼のように押し寄せます。しかも、やり方を教えてくれる人がそばにいない。日々成長する赤ちゃんに合わせたお世話、作ったこともない離乳食、延々と続く目的の見えない遊びや、泣きわめく子供に付き合う時間。
昔持っていた仕事への夢や希望は、ここで一旦見えなくなります。少しは仕事に自信があった人も、ここで自信は地に落ちます。
だんだんと、世の中の男性への怒りがこみ上げます。それは、仕事への評価を得るために必死に努力してきたから。受験も、就活も、残業も、男性と同じくらい頑張ってきたのに、出産を機に無に帰します。その怒りの矛先は、夫にも、同期男性にも、世の中にも向かいます。
もっと子育て世帯に優しくなればいい?お母さんに優しい世の中になればいい?
そんなこと言ってるんじゃないんです。まるっと入れ換われって言ってるんです。一度、男たちが全部の立場を女性とまるっと入れ替えろと。できないだろうと。むちゃくちゃしんどいぞと。
男女平等なんてうそです。無理です。赤ちゃんが女性から生まれてくる限り、そんなことはありえません。じゃあ、そんな苦しい気持ちはどうやったら救われるのでしょうか?
それは「人生に大切なことは、仕事だけではないこと」を教育することだと思うのです。
良い学校、良い会社に入ることだけを目指すと、苦しくなります。それを目指して子供時代に頑張った真面目な女性たちは、出産により仕事に邁進できなくなった結果、それまでの努力が握りつぶされるのです。
美味しいご飯がつくれること。美しい絵が描けること。歌が上手なこと。いるだけで場が明るくなること。ひかえめで思慮深いこと。元気で大胆であること。
そういった、その人らしいことそれ自体が、価値があると伝わる教育が必要です。付加価値なんかじゃない、人として本質的な部分の価値です。お金を稼ぐことや、仕事で評価されること以外でちゃんと自分を認められる価値観を、育てることが必要です。
残念ながら、そんな教育を受けていない今のお母さんたち。これからは女性も社会進出だと言われ、必死で勉強や仕事をしてきたお母さんたち。たくさん努力してきたのに、活躍できない悔しさを、子供たちにまで引き継ぎたくないですよね。
家庭をもち、子供を育てながら、やりたい仕事でも成果を出したいと願ってきた女性のみなさん。私も同じ気持ちです。でも、現実はそんなに甘くない。一部のスーパーウーマンか、稀有な環境の人しかできない。変えられるとしたら、私たちの子どもの代からです。
生きるために必要なことが、人間にとって大切なことや価値あることは何か、私たちが実感し、私たちを肯定できること。その姿を子どもたちに見せられること。
そうして、世の中全体が、仕事以外の大切なものを実感できたとき、成果至上主義は終わり、みんなが子育てに参加したくなる時代がくるのではないかと思います。
ふわっと?ですが思っている限りで書いておきます
まず、
性同一性障害(及び性別違和)の性別移行者は世間の認識上トランスジェンダーに含まれているが、
ということをご理解ください
その中で、トランス女性は女性、というようなことを仰る方が居るのはご存知かと思いますが、
「(元)性同一性障害の女性と同じトランスジェンダーなのだからトランス女性は法的に性別変更できるべきである」
というように
法令には「『性同一性障害者』の性別の取扱いの特例に関する法律」と書いてあるにも拘らずです
トランス女性含むトランスジェンダー全体のための法律ではないし、
性同一性障害の当事者は、生活する上で生まれの身体/性別では一人で居ようが精神的苦痛などの障害があるから性別移行するのであって、
自ら好き好んで苦難の道を選ぶわけではありません
別に生まれの身体で問題ないのであれば、障害はないことになりますから、
それはつまりご趣味・嗜好で性別移行をなされる、ということに他なりません
自らしんどい道に突っ込んでおいて「苦しいんですー!!だから認めろ」と言ってる
苦しいから性別移行するのと、性別移行しようとしたから苦しい、の違いです
自分の身体(の性別)が嫌で仕方ない当事者がその最たる部分を他人に認識されて気分良い訳がないですよね?
つまり、トランス女性云々訳の分からない事を言っているのは大抵女装おじさんであり、
人の褌で相撲を取ろうとしているに過ぎない、ということです
というか、性別違和持ってたら自分のこと「トランス女性/トランス男性」って自称しないと思うんですよね
健康上の問題があるのならともかく、出来るのにわざわざしない選択をした人を心削ってまで慮る必要ないのでは?と私は思いますね
知人が妊娠した。友人といえば友人だが、別の友人を介さなければ年に1回も会わない間柄なのでやっぱり知人でいいだろう。彼女と最後に会ったのは、コロナ禍に入る前…別の友人の結婚式だ。それ以来、顔や名前を思い出すことはほとんどなかった。
それがここ最近、彼女をネタにめちゃくちゃオナニーしている。シコったと表現したいところだが、私は女なのでシコるモノはない。とにかく、ひたすら彼女の妊娠に興奮しているわけだ。
大体、昔からそうだった。有り体にいえば、「不美人のセックス」が好きなのだ。私はレズビアンでもバイセクシャルでもない。女性の妊娠をおかずにできるくらいだからバイの気はあるのかも知れないが、基本的に好きになるのも付き合うのも、突き合うのも男性だ。
だけど、AVを見るときは、女優さんばかり見てしまう。あんまり人にはいえない趣味だけど、だらしない体型の女優さんや、可愛くはない女優さんが出ている素人ものが好きだ。綺麗な女性と綺麗な男性のセックスより、ちょっと残念なカップルのセックスに興奮するのだ。そして、そんな私にとって、性の気配のない知人の妊娠は格好のおかずなのである。
彼女はとても優しくて穏やかな女性だが、美人ではない。合コンだったら、「性格が良い」「優しい人だよ」と紹介されるタイプの容姿だ。知り合ったのは社会人になってからだが、おそらく学生時代はクラスの隅で、密やかに過ごしていただろう彼女。
最後に彼女と会った、新幹線のホームでのことだ。それまで暗い色の服が多かった彼女は、珍しく派手な色の服を着ていた。彼女に華やかな印象はなかったけれど何だかサマになっていて、「かわいいね、そう言う色の服も似合うんだね」と声をかけたら、「実はわたし、『ハイキュー』にハマってて…」と恥ずかしそうに教えてくれた。いわゆる推しカラーで、同人活動もしているのだという。半年前に結婚したと言っていたから「ご主人の理解もあるの?一緒に趣味ができるのはいいね」と伝えると、相手もオタクだったから…と、やっぱり嬉しそうだった。はにかむ彼女は可愛らしくて、純粋にいい人生を送っているんだなぁ、と思った。
私自身、ひとさまの容姿をどうこう言えるような美人ではないし、可愛くもない。だけど、付き合う男性は顔で選んでしまう。私にとって恋愛とは好きになってくれる数少ない相手の中から、できるだけ顔がいい相手を選ぶ、という作業だ。だから、彼女がいい恋愛をして、いい結婚をしているんだろうなぁ、と言うのは羨ましくもあり、また自分にはできない芸当だなあと諦めるような感覚もあった。
それから直接会ってはいないけれど、彼女は転職したこと、同人活動のこと、思い出したように連絡をくれた。私も仕事の話やコロナ禍になって一気にハマったアイドルの話をした。趣味が被らないおかげで、面倒ごともなくゆるやかな付き合いができていると思う。
そんな彼女が、妊娠したという知らせをくれた。おめでとう、体に気をつけて過ごしてね、と返事をしながら、私はべしょべしょに興奮していた。あの朴訥としたご主人と、中出しセックスしたんだね、ナマでズコバコやったんだね。彼女が中に出して、って言ったのかなぁ。射精されたあと、どろりと流れ出る精液を、どんな気持ちで拭いたんだろう。めちゃくちゃエロい。
同人誌を描いてイベントに出る、と言っていたから、きっとえっちな漫画も描いていたんだと思う。そりゃ結婚してるんだから、セックスはしているはず。でも、彼女自身は性とは無縁の雰囲気を纏っていた。切り揃えただけのボブヘア、ファンデーションを塗り眉を描いただけのうっすらとしたメイク、無印良品が似合うタイプの彼女。お互いの趣味については話すけれど、プライベートに侵入するような下世話な話をする間柄ではなかったから、全てを飛び越えた「妊娠」の知らせに、びっくりするほど興奮した。彼女の前におかずにしていたのは別の知人(やっぱりモテそうにないタイプの女性だった)の「結婚」だったから、突然いやらしさに厚みが増して左手に握るテンガデルタが止まらない。DMMで、彼女に似ているAV女優を探してしまう。スレンダーというよりちょっとたるんとした痩せ型でアンニュイな雰囲気の“ちょいブス”、なかなかいないんだよな……。
下ネタをガンガン言うような知人もいるけれど、そういう人のセックスを想像しても特段興奮しない。いかにも潔癖です、という知人のセックスにも、あまり興味はない。あくまでも、見目麗しくない男女がパコパコ、というところに興奮するんだろう。
数年会っていない私に連絡をくれた彼女はきっと、私にほんのりした友情を感じてくれているんだと思う。私も、あなたの健康と無事の出産を祈る気持ちはある。元気な赤ちゃんが生まれるよう、そっと祈ってる。それ以上に大きな興奮があるだけで……。
興奮をなんとか鎮めようとこうして文章に書き起こしてみたけれど、やっぱりめちゃくちゃ興奮している。彼女はどんな表情で、どんなセックスをしているんだろう。思慮深い彼女のことだから、滅多なことはしないはず。でも、そのうち我慢できなくなって、腹ボテセックスするのかなあ。中出しできないセックスに、もどかしさを感じたりするのかな。私の想像上の彼女は、まんまるになったお腹で、あの地味なご主人の上に跨り腰を振っている。
ミホヨの原神はアニメ調の美麗なオープンワールドを一人で気ままに探索できる本当の意味で素晴らしいゲームですぞ
ただしマルチプラットフォームながら任天堂からは出ていなくて(switch版の噂はあるがサービス開始1年経っても動きなし)
モバイル版はAppleとGoogleのお墨付きを受けているもののスマホでやるには最新機種でも厳しいくらいの性能要求なので
ガチャ自体はあるけれども普段ソシャゲをやらない、なんならソシャゲに嫌悪感を持ってる人にこそ勧めたい思慮深い作りで
昨今のソシャゲ風タイトルの中で最もリッチな体験ができると言っても過言ではない珠玉のゲームですぞ
私は精神疾患と発達障害があり、今までの人生で何人かの臨床心理士さんにお世話になってきた。
臨床心理士のここがすごい
○話の聞き方が神さま
優しい
相槌がうまい
急かさない
穏やか
発達障害の特性ゆえになかなか言葉がまとまらない時も、こちらが言いたいことを整理して復唱してくれる
○顔つきが優しい
今まで会った臨床心理士で怖そうな顔の人は見たことない。穏やか〜な顔つき。人の心理を覗く仕事だからか、物静かそうな思慮深い雰囲気の人が多い。
心理検査の時は、面接官のように真面目なお顔をされて厳格に検査を進めるのに、その結果を伝える際はフランクで話しやすい雰囲気になる。使い分け方が上手だなぁと思う。
たとえそれがお仕事とはいえ、私のような障害がある人間をも優しく導いてくださる臨床心理士という支援者がいてとても救われています。
いつも助けてくれてありがとう。
しんどい時はむりせず、患者さんを大切にするようにご自身も大切にされてください。
通院先が変わったり、転勤で会えなかったりで、直接伝えられないので、ここに記しました。
先日上記のエントリーを書いた者だが、パリピの弟はその後見事陽性となった。
前のエントリーに書いた幼馴染は時系列的に関係する可能性は低いが、結局飲み歩いてたことには変わりないので別の経路から貰ってきてしまったのだろう。
弟は若いので幸い重症という事にもならず、すぐに熱も引き、ただ味覚障害だけは引きずっている様子である。
ただすっかり「ごめんなさい……ごめんなさい……迷惑かけてごめんなさい……」みたいなテンションになってしまっている。
自分で書いていてもなんだこの噓松感の強いエントリーはと思う。だが本当の事だ。
ごめんなさいってお前あの、こういう展開一切想定してなかったのかよ……。
弟はこれでも高学歴で、十中八九「頭のいい大学に入ったんだねえ~」と言われるであろう大学に通っている大学生だ。流石にハーバードとかではないが。
そんな頭のいいはずの若者が
そとにでてひとにあったらころなにかんせんするかもよ!かんせんしたらくるしいし、かぞくにもめいわくをかけるよ!だからおそとにでるのはさいていげんにしようね!
って小学生でもわかりそうなことを理解してなかったという事実に唖然としている。
というより、今までニュースとかで見てきた「油断して感染しちゃって親に移して死んじゃってめちゃくちゃ後悔してる」みたいなエピソードもマジで本当なんだなと思う。
ニュース見る度なんでちょっと考えれば分かるようなことが分からないのアホすぎるだろw自業自得乙wぐらいに思ってたけど、
本当にマジで分かってなくて、事が起こってからじゃないと気付かないんだなって。
世界平和の為にこういうアホ人種もうみんな淘汰されてくれないかな……。
結局弟みたいに一回かかって痛い目見て反省するのが一番早いのかもしれない。
一つ問いたい。
率直に、今でも朝日新聞、読売新聞、日経新聞など新聞紙1紙のみ、1テレビ局のみから情報を得ていると言う人はいるだろうか?
例えば私であれば、テレビは持ってないから見ないし、同一ニュースは参照できるなら海外のニュースソースも参考にする事が普通になった。
多くの人も朝日新聞だけ、読売新聞だけって情報の受け取り方をしてないだろうと推測する。自分の周りには、自覚的に複数ソースを見る人が多い。
私も自覚してそうしているけれど、その理由は「メディアは嘘をつくし、真実を書かない事もあるし、客観性と言う点では信頼に値しない」と感じているから。
時事通信、共同通信などは、速報性は認めても、事実は後で複数のソースから確認すべき存在としか思えないほどだ。
とは言え、ニュースを伝えるメディアが全く必要ない訳でもないし、多くの情報を集めることは1個人で出来る事ではない以上は、その存在には価値はある。
ただ、自社あるいは記者が都合がいいように曲げた情報を乗せるという前提でしか受け取ってないので海外ソースとも比較は避けられないというだけだ。
特定の報道機関のみを信じてますって人は、もう希少種なのでは?と思うがどうだろう。
自分よりは年配の方はもっと前からそうかもしれないが、自分にとってはこの10年ほどでその傾向は強くなった。
何故か?近いところで例を挙げてみると、コロナウイルス感染者数に関する報道がある。
感染者数の増減が一つの重要な指標であるには違いないが、それ以上に重要なのは、重症者の数、死者の数だ。
しかも、感染者数と重症者数は必ずしも一定の法則で比例する訳でもない。
現に、4000人の感染者がいても現在は死者数名だが、1月ごろは2000人の感染者でも20名から死者がいた。
この間の差はワクチンの接種が、高齢者に対して進んだことで生まれたのは明白だ。コロナ対策は確実に決定的な効果を生んでいる。
このように、何を伝えるかで国民の多くの感じ方を操作できるのは明白だ。コロナ対策関連では、報道の恣意的な姿勢の例は枚挙にいとまがないく、もう全く信頼できない。
今、警戒感と自粛意識を薄くすることは危険なので、特に感染者数にフィーチャーして報道を行うことは理解できる。恐怖で自粛を選ばせる事は全体の利益に繋がる。
だが、一部の報道機関は、この感染者数の増加を一方では死者数が減っているし致命的な結果を招く割合は下がり続けているという状況を伝えることなく、人々の恐怖感を政治的に利用している。
情報を制限し耳目を塞いで起きながら、恐怖をあおり、その恐怖の矛先を自らが望む方向へとむける論調でいる事が、私が報道機関を信じがたくなる理由だ。
コロナに関しては興味も、情報取得に割く労力も高いから、矛盾や嘘に気付けるが、他の興味が薄い案件であれば、私も騙されてしまう事があるかもしれない。
そう考えた時、複数の報道機関の、必要であれば海外ソースをも見て、それぞれに深度に差がある角度付の報道を見る必要を感じることになる。そうでなければ、矛盾に気付くことができない。
良い報道とは
こういう事だと考えるが、限りなくこれに近い事が出来ているのは、現状ではNHKだけだろう。
世の中の事ってのは、何か一つだけを見ていればいい程簡単ではないし、様々な情報を意図的に我々が取得するべきだ。
恣意的に角度をつけて誘導しようとする報道にNGを突き付けて、必要な情報を多角的に取得して、論理的に帰結を考え、合理的な判断を下す事を多くの国民が出来れば
報道機関の側で変わらざるを得なくなるだろう。いいように操れて多額の利益を得られてしまっている間は、報道機関に変わることを期待するのは難しい。
アフターコロナの世界で、メディアを改めて査定すべきだろうと強く思う。だが、同時に我々は自分たちについて考えるべきだ。
報道機関を信頼出来ないという事実は、翻ってみれば、我々自身のお互いの知的能力を信頼出来ないという事でもあると思う。
国民が変わっていくためには、やはり大事なのは教育だ。もっと家庭での教育、学校での教育を改善していくべきだなと感じる。結局は、そこに帰ってくる。