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はてなキーワード: 禁止カードとは

2024-04-14

共同親権のせいで「欧米では」が禁止カードになったのちょっと面白い

日本人嫁による実子連れ去りという人権侵害をなんとかせーや

欧米人先進諸国から外圧に屈して日本共同親権になってしまった。

いま共同親権に反対している人たちの多くは、「欧米では~という人権擁護制度があるのに日本では無いので遅れている」みたいな主張が好きな人たちと被っている気がするけど(違ったらゴメン)、

これからはそういう物言いをする度に「そうですね。欧米では共同親権ですよねw」と憎たらしいネトウヨに当て擦られてしまうので、二度と「欧米では」が使えなくなっちゃったね。

2024-01-10

死ぬほど仕事するか会社潰すか

仮に個人事業主だとして

体壊して死ぬまで仕事するか

諦めて会社潰して就職先を探すか

あなたならどっちを選ぶの?

 

そもそもそんな無理しないと成り立たない会社会社じゃない」は禁止カードしま

2023-10-29

娘が父親を毛嫌いするのを「成長」だけで済ますのさすがにおかしくねぇか

父親汚物のように扱い関わりを拒絶し、最低限の会話もするかしないか程度。なにか会話するにも緊張を強いるのは会社ならパワハラだよね。

そういうものに対して世間は「成長だからしょうがない」として我慢強要し、果ては「そういう人間関係を作ったお前が悪い」とする。そりゃ子供産まないのが正解になるわな、人格として異なる人間一方的な拒絶までこちらの責任にされるんだから

誰のおかげで飯食えてんだを禁止カードにする前にもっとあるだろ。

息子が母親ババアとか言ってやることなすこと否定するのも同様だよ。

ちゃんと「そういうのは人間としての尊厳を踏みにじる行為である」という雰囲気世間も醸成すべきびゃないの?今は親が子供に対して立場が弱すぎるだろ。

もちろん親側が本気出したら子どもが辛くなるのでそれは防がないといけないが、弱者強者の今の世の中の風潮はおかしい。ダメものダメだとしないといけないよ。成長の過程でそういうことはあるけれど行為としてただしいことでは決してないぞと。違うか?

2023-08-08

草ァ!

正論で泣いちゃった

パワーワードきちゃー

これは禁止カード

事実陳列罪

キレッキレで草

火の玉ストレートすぎる

やめたげてよお!

もう少しこう何というか 手心というか…

人の心とかないんか

辛辣ワロタ

地球は青かった

それ以上いけない

エグすぎる

ちくちく言葉

わかりみしかない

これofこれ

思ってることを言ってくれた

言語化してくれて助かる

効いちゃった…

2023-07-03

男は楽だが女性交通事故並みの怪我をしながら子供を産むんだって

それを盾に無限配慮を求められるとどうしようもないしお互いイライラを募らせるだけの禁止カードな気がする

2023-05-06

anond:20230506001208

銃社会終わってるよな

どれだけ日本disられてもこれ一本で禁止カード級だわ

2023-04-24

花札における「菊に盃」とかいう壊れ性能KYクソカード

花札に狂っている。

もともと正月家族でやったり龍が如くミニゲームを本編そっちのけでやったりするぐらいには好きだったが、アプリネット対戦をするようになってから完全に狂ってしまった。

やっているのは先月か少し前ぐらいに出た「えとはなっ」というアプリで、美少女のガワを使って「こいこい」の対人戦を1試合5分ほどで遊べてしまう。花札をやる前にハマっていた雀魂と比べるとより対戦時間がコンパクトで、だからこそどんな隙間時間にも遊べてしまい、危険である事実、私は先週から余暇時間ほとんど花札に溶かしている。いや、ここのところはもう花札をやる合間に人生をやっていると言っていいだろう。

そもそも花札中毒性が高いのだ。麻雀と同じく、運の要素が強いながら戦略次第で勝率を微増させられるため、熟練者にも初心者にも楽しみ甲斐がある。

4枚1組の同柄の残り枚数を見て自分の手札が何とセットになっているかを考えたり、相手の持ち札を読んで役の成立を妨害したり、取る札の優先順位を決めたりと、お正月だけの遊びにするには勿体ないほど高いゲーム性を有しているのだ。

さらに「こいこい」という種目では役の点数が7点以上で倍になるというルールがあるため、役が成立した時点でリスクを取って7点以上を目指すか妥協するかという葛藤生まれる。この7点というラインが実に絶妙で、手早く集まるような役ではあと一歩足りず、手札を睨みながら小さい役を併立させるかのジャッジを迫られることになるのである

そして、そのゲームバランスをぶち壊しているのが「菊に盃」とかいう壊れ性能KYクソカードだ。

花札の役をひとつ紹介しよう。

花札には12種の柄があり、うち5種にSR(S級レア)とも呼べる位の高いカードがある。このSRのうち雨札を除いた3枚を集めることで成立するのが「三光」という役である。これが点数にして5点であるということをまず覚えておいてほしい。

次に、花札の役をもうひとつ紹介しよう。

花見で一杯」といって、先述のSRカードひとつ「桜に幕」と、せいぜいHRハイレア)程度のカードである「菊に盃」を組み合わせることで成立する。点数はローカルによって様々だが、もっとメジャーものでは5点である

5点である

SR3枚を汗水垂らしながら集めた5点と、SRにおまけみたいなHRをただくっつけただけの5点が同じというのはどう考えてもおかしくないか

普通なたかだかHR程度の値打ちカードSRカード1枚を味方につけた程度でSR3枚組に喧嘩を売ろうなどとは思わない。しかしこのアル中クソカード「菊に盃」は一切の空気を読まないのである。仮に「松に鶴」とか「桐に鳳凰」がムチャクチャ睨んできても多分退くことはないだろう。この酩酊した泥酔ヤクザには法も常識も通じないのだ。

それだけではない。この環境破壊害悪カード「菊に盃」にはさらなる邪悪な一面が存在する。

ここでまた役をひとつ紹介しよう。「月見で一杯」という役だ。もし嫌な予感がしたなら、それは当たっている。SRカード「芒に月」に対し、己の辞書から遠慮と慎みを削除した傍若無人クソカード「菊に盃」がコバンザメのように追従することで成立する役である

まり、このゲームバランス破壊獣「菊に盃」が手持ちに来た時点で、「桜」か「月」のどちらかを取るだけで5点先取できるという爆アドが生まれしまうのだ。手札と山札がハマれば最短にして1ターンキル。インフレが進んだシャドバでもちょっと引かれるレベルの爆アグロである。これをやられると手も足もでない。

さら絶望的なことに、「花見で一杯」と「月見で一杯」はなんと併立が可能であるルールによっては「のみ」という役に名前が変わり、足すところ10点だ。

桜・月・クソカード、この3枚を集めるだけで10点。SR格のカードが3枚集まってやっと5点の三光さんに申し訳ないと思わないのか。思わないんだろうなぁ。「菊に盃」くんは酒で頭をやられているから。

それから、思い出してほしい。「こいこい」では7点以上の点数が倍になるというルールを。

まり、桜に幕・芒に月・ゲーム設計者の恥ずべきしくじり、この3枚だけで簡単20点が取れてしまうのである。壊れ性能にもほどがある。

ちなみに、このゲームにおいて他の役で10点×2=20点を取ろうと思うと、「五光」というSRカード全集めのアベンジャーズみたいな役が必要であるしかも、相手側に「のみ」が成立してる時点でSRカードのうち2枚が名前言ってはいけないあのカードに寝返っているわけだから対抗手段にもなり得ない。

まり、「菊に盃」はアグロデッキでもコントロールデッキでもTier1の、本来ならば禁止カードとされるべき禁忌の一枚なのである

しかし、花札界隈では今なお「花見で一杯」「月見で一杯」をナーフせず5点役として採用しているルールほとんどである。一体どこから圧力が働いているのだろうか。

とはいえ正直な話、1プレイヤー視点から見て、初手で「菊に盃」が手札にあるのはブチ上がる。菊に盃のことは嫌いだが、暴力は好きなのだ

壊れカードというもの相手に使われると得てして義憤に駆られてしまものだが、自分が使う際には快楽しかない。

ああ、ちまちまと時間をかけて赤短や青短を集めようとしている善良な対戦相手を酒の力で秒殺したい。あるいは「松に鶴」「桐に鳳凰」を手にして三光を阻止したつもりの相手に終盤ターンで「のみ」をぶつけて絶望させたい。「菊に盃」とは、そうした蹂躙を運の力だけで叶えてくれるカードだ。手にするだけで、相手プライド戦略簡単に粉々にできてしまう。まさにカードの形をした暴力なのだ

こんな話をしていたら、また花札がやりたくなってきた。今はもうとっととこんな文章を書くのをやめて少しでも早く「えとはなっ」を立ち上げたい。

きっと私はまた夜更けまで花札をやるだろう。「菊に盃」という名の暴力魅せられて。それが人間の業なのだ

2023-04-16

ポケカ転売減らす方法思いついた

公式から「今年発売されるレアカードのうちのいくつかを禁止カードにする可能性があります。」って宣言しておけばいいんじゃね?

そしたら転売で高い金だして買っても使えなくなる可能性があるって転売から買わなくなるでしょ。

通常価格でなら別にまぁくらいで我慢できるだろうし転売減る利益のほうが一般購入者には大きいでしょ。

2023-04-10

他者に踏み込まない優しさと勇気を出して一歩踏み込む優しさというのは別種のもので、どちらも大切なもの。どちらが優れているというものでもない。

と思うのだけれど、ネットありがちな非モテ叩きみたいなのを見ると、前者の類はただの自分本意な臆病さで、人との密接な関わり合いでは後者こそが大事なんだ。みたいな事が言われている。

こういう社不適評論シェアして芯を捉えた「禁止カード」だー刺さったわーと卑下してキャッキャするのが流行りのようだが、私は的外れだなと思っている。

まあお説教された通りのような人もいるのだろうけど、そもそもの話として二者択一でないものをそうであるように語っている点が。

ストレートに言えば根本的に非社交的なタイプ人間は、他者への敬意として適度な距離感を重んじるが故にそうあるのではないかと思う。それを嫌われたくないだけの裏返しだ、と一義的結論づけるのは単なる露悪的な邪推ではなかろうか。インターネットクソリプを送り散らかすような類の非社交的な子供はこの話から捨て置く。

基本的スタンスとして適度な距離感を持ち合わせた上、そこで初めて他者踏み込む勇気があると思う。でなければ、それはともすれば自他の区別が未熟で無神経な人間になりかねない。

差し出がましい真似をして、遠回しにでも苦言を呈されたら「良かれと思ってこうしてあげたのに!」と逆ギレするタイプとはそういうことだ。

個人主義(これを利己主義と読み替える人にはこの文章意図は一切伝わっていないと思います)が絶対価値とは言わないけれど、少なくとも今の社会では一定程度支持され基盤となっている価値なので。

まあ一歩踏み込むだって重要な事なので、どちらも大事な態度。なのだけど、世の中両方のバランス感覚を適度に養ってきた人ばかりでもない。

程度の差はあれ、ドライか無神経かのどちらかに偏りがち。その上でドライな方がマシじゃね、という私の素朴の感覚個人主義なんか持ち出して理を持たせてみたという訳だ。

や、人は社会の中で生きるんだからサ、そのヌクモリティに囲まれるのがリアリティってもんでサ。慎重にばっかりなっても仕方ないし、もっと他人に踏み込んでいかないと。失敗しながら人間関係を覚えないとサ、みたいな事言う人もいるんだろうけど。

どちらが然るべき態度かと言い争えば水掛け論にしか

ならないし、みんな愛し合って生きようねという事です。まあ皆さんが信じる愛や誠実さの形が異なるので戦争が起きるんですけど。

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