はてなキーワード: リリーとは
①
入江亜季 『北北西に曇と往け』
瀬野反人 『ヘテロゲニアリンギスティコ : 異種族言語学入門』
大前田りん 『ガケップチ・カッフェー』 『十六桜』
②
テリー・ギリアム 『バロン』 (映画、ほら吹き男爵の冒険でビジュアルがよい)
チャン・ジェヒョン 『サバハ』 (Netflix映画、諸星大二郎好きなら)
西東三鬼 『神戸・続神戸』 (エッセイだが幻想がかった筆致)
梨木香歩 『家守綺譚』 『村田エフェンディ滞土録』 (自然と風土と人と少しの怪異、といった小説)
中華SFアンソロジー 『折りたたみ北京』収録の、夏笳 「百鬼夜行街」、「童童の夏」、「龍馬夜行」 (SFと銘打ってるがファンタジー色が強い)
③
テリー・ギリアム 『テリー・ギリアムのドン・キホーテ(ドン・キホーテを殺した男)』 (映画)
イ・ビョンホン(俳優ではない) 『エクストリーム・ジョブ』 (映画)
きのうどよう
ゲオはセールやってるけどもう売り切れてるかなと思ったら普通にたくさん残ってて拍子抜け
まあ年末年始とかの大々的なやつでも無い限りゲオフリークでもなければセールチェックとかしねーからだろうな
ポケモンソードとアルセウスかうかかなり迷ったけど、今まだほかにやるのたくさんあるし評判もいまいちだからまだこれから値下げもされるだろうと思って我慢
バイオRE3(セールで1600円くらい)とオーディンスフィアとエンダーリリーズかった
棒ゲームブログでエンダーリリーズの続編でるってしってpvみていまさら面白そうだなとおもってフリマとかみたけど軒並みたかくて出回ってなかったからちょうどよかった
サントラもほしーがさすがに無理だな
オーディンスフィアはvitaでクリア済みだけどまたやりたくなるかなと思ってかった
十三喜平もセールで4k以下になってたけど1回クリアしたらもういいやタイプでまたやるのはまだずっと咲きだし今ほかにやるのもたくさんあるしーとおもってやめた
それにしてもエンダーリリーズはほんと掘り出し物だたなー
ほしかたジュークのベスト盤青があったのでこれまたラッキーだった
ブックオフの店頭とか通販とかフリマとかみてたけどいまいち安くならなかったんだよなー
最初、02環境でゲートボールをしていたのだけど、あまりにもバランスが悪くて、さすがに蜃気楼とキラスネは縛ろうぜって話から身内で生まれたフォーマットなんだけど、結構バランスよかった。
具体的なルールとしては
って感じ。
メリットとしては
あたり
正直2期はグットスタッフとワンキル、デッキ破壊しかいなかったようなもんなので、理不尽なゲームを押し付けてくるワンキルデッキを締め出して、コントロールとビートダウンとコンボでなんとかメタが回るかな・・・?って感じのレギュレーションになってる。
今30代後半で、昔遊戯王に触れてた人が古いカード使って遊ぶならこれほど楽しいフォーマットもないと思うので、よかったら一度遊んでほしい。
何者なのかよくわからないけどSNSで人気を集める美女もたくさんいる。
SNIDELは着た人に「己は素敵な大人の女性なのだ」という自信を与える魔法を持っている。ように見えた。
そして私はSNIDELが似合わない。
SNIDELは何も悪くない。私がもっと痩せればいい、というわけでもないらしい。
ただ、私はああいったフリルやレース、ウエストを強調する服があまり似合わないらしい、というだけだ。
雑誌で言うなら美人百花みたいなOLの服(?)たちもあまり似合わないらしい。
試着をお願いしては、申し訳なく思いつつもあまりの違和感になにも買えないことが多い。
なんていうか、顔が浮いている。
もちろんそれらのブランドの中にもたくさんの服があるし、着られるものもある。
まだ出会ってないだけでとても似合うものもあるのかもしれない。
あまり似合わない、と自分で思うだけで、ほかの人がみたら別になんとも思わないのかもしれない。
似合う服を着ている私は素敵だし、私みたいな服を着ている美女もいるけど、スナイデルを着ている美女とはやはりジャンルが違う。(なにがどう違うかはわからないけど。)
それと、ブラウスとフレアスカートを着ずにオフィスカジュアルをするのは難しい。
いまところ、スーツをちょっとカジュアルにした人になる以外の方法がない。
ないものねだりなのはわかっているけど、スナイデルが似合いたかったなあ。
似合う人はどんどん着てほしい。
クラムノベル作家 馳星周の自伝的小説。馳星周先生が若い頃にゴールデン街の「深夜プラス1」でアルバイトをしていた頃のことをモチーフとして書かれた。
バブル時代。本好きの大学生・坂本は、ゴールデン街のバー「マーロウ」でバーテンのバイトをしていた。コメディアンで書評家の斎藤顕の勧めで上京し、ハードボイルドミステリや冒険小説好きの本読みが集まるというマーロウで働くことになったものの、斎藤顕の酒癖の悪さとゴールデン街の酔っぱらい達に辟易し、心が鬱屈した中年のように老けてしまっていた。
そんな坂本を、ナベさんやリリー、バイト仲間の田丸や常連客など、ゴールデン街の仲間達が慰め支えてくれていた。
ところが、そんなゴールデン街に暗雲が立ち込める。地上げ屋達がゴールデン街の土地に目を着けたのだ。なかなか土地や店を手放そうとしない、ゴールデン街の人々に業を煮やした地上げ屋が、店に放火しているとの噂が立つ。そこで、坂本の敬愛するナベさんがゴールデン街を守ろうと立ち上がったのだが……。
これが馳星周先生の書いた小説なのか!? 最近の馳先生の作品をさっぱり読んでいなかったので、文体の変わりように驚いた。地の文が柔らかい。トゲトゲしていない。ものを投擲しないし、あんまり呪詛の言葉を吐かない。ひぇぇ、まるで別人! でも根のピュアなところは昔のまま残っている。
ノスタルジックなストーリーだ。昔のこと書いてあるんだから当たり前か。あー、青春だなぁって感じ。同じような経験はないけど気持ちだけは共通するような若い懐かしい時代は自分にもあるから、同時に思い出してしんみりしてしまう。
直近に『鎮魂歌』を読んだので、坂本が犬を飼いたいって思ってるシーンで『鎮魂歌』の主人公の一人郭秋生を思い出してふふってなった。
どうしても斎藤顕をゆるせない坂本、許してやれと諭すナベさんや佳子母さん、どっちの気持ちもわかる気がするのは自分も年を取ったからかな。
JKローリングに出てくるハリーの父親がクズということが一部で定説だ。
その理由が作中人気キャラのスネイプを虐めていたということなんだけど、実際はスネイプもハリーの父親を嫌って呪いをかけたり、マグル生まれを虐めていたりどっちもどっちなんだよね。
それはともかく、何故ハリーの父親が聖人君子では無かったのかと言う理由に、「JKローリングが父と不仲のシンママで、離婚した元夫がクズだから」という人が居る。
しかしそれにしては、リーマスやウィーズリーの父親、マグルの父親など、「父親」というものに対して悪いイメージ自体はつけられていない。
それはJKローリングが「クズ男が好きだったから」のではないかと推測する。
ハリーの父親はヤンチャで自己肯定感が高く、アメリカのカーストで言えば「ジョック」のような人物だったと言える。そういうヤンチャな男が落ち着いて自分の夫になる、というストーリーを描く女性は一部にはいる。
つまり、JKローリングは「自分の理想の父親像」をハリーの父親に投影していただけで、別にハリーの父親を下げようとは思ってなかったのではないか?
スネイプに関しては、逆にJKローリングは彼のことを嫌っていたのではないかと思う。作中の「闇の組織」はヒトラーなどが元になっていると考えられ、JKローリングからしてみるとスネイプは
「一途な非モテで、ヒトラーを信仰している差別主義者」的な存在だ。JKローリングみたいなダメンズ好きは、スネイプのような「一途な非モテ」を毛嫌いする傾向にある。
作中のスネイプは、結局一途故にリリーに人生を捧げ、ボコボコにされて死んでいくという可哀想なキャラだ。あそこまで無慈悲に虐められるのは、JKローリングは恐らくスネイプは異性として嫌いだったからだろう。
作中でハリーの父親がスネイプを虐めていたシーンにショックを受けた人は多いが、しかしJKローリングにとってあのシーンは「そこまでの衝撃」では無かったのではないかと思う。
JKローリングは「いじめ」はいけない事だと認識していうるし、いじめをする人は好きではないが「いじめができるひと」は好きなのだ。
恐らく自分の恋人が過去のいじめを武勇伝のように語ったのにショックをうけた経験でもあるのだろう。しかし彼女が好きなのは、そんな「調子に乗って差別主義者を虐めてしまうが、改心するモテ男」なのだ。
ハリーの父親に関して悪いイメージを抱いてしまう人は多いかもしれないが、JKローリング自体はそこまでハリーの父親を嫌っている訳では無いと思うのだ。
どうせ実況見て判断してるんでしょ?ツイッターとか事前PVは論外として.
30時間シャイパをプレイした人のまっとうな意見を伝えてあげる.
はっきり言ってダイパリメイクは客観的にクソだよ.それは否定しない.
グラフィックは剣盾型じゃないのが不評だけど,これはさぼったよりかは意図的であろうのでOK.
それよか作りこみが甘すぎる.
3Dだからオブジェクトそれぞれに意味を感じちゃうけど,クリックするとただの張りぼて...
ダブルバトルで味方に抜群技当てて「やったね!」はないでしょうよ.
とまあプレイした結果こんな感じ.手抜きそれはそう.
ストーリーとか追加要素に関しては追加改変したらしたでまた別の勢力が批判するから話すだけ無意味だね.
本題.客観としてはこうなんだけど,主観としては普通に6000円払って黒字だったよって報告.
というのも手持ちポケモンに愛着が湧くための誘導がすごかった.
アブソル♀ NN:ダイアモンド 初めて全然捕まらなかった毛艶のいいイケメンおねえさん.
ドダイトス♂ NN:リリー 最初のパートナー.連れ歩きがとんでもない遅さで愛らしい.
ムクホーク♂ NN:シルヴィ 世界で一番強いムックルを夢見た元Lv2ムックル.ムックル系統には必ずぶつけてすべて勝利.
パチリス♂ NN:くいな 甘いもの好き.シルヴィとはライバル関係?かわいい名前つけちゃってごめんね.
エルレイド♂ NN:ナギ おくびょう.めざめいしを見つけるまでの進化キャンセルでは慌ててた...はず.
サマヨール♂ NN:ガイスティン 名前センスなくてすまん.しかし姓名判断の場所忘れちゃってさ...
なんか途中で足跡おじさんが彼らの考えてることを教えてくれるんだけど,一推しはダイアモンド(アブソル)の
「主人公がどういうやつかはどうもわかりにくいが
案外いいやつなのかもな...
まあだからと言って 主人公の前でニコニコ笑って見せたりはしないが...」
どうすかこれ.最高でしょ.
まあチームメイトからは尊敬されあるいは恋されってかんじだろうね.
ちなみにパルキアとアグノムを殺した”ゴッドスレイヤー”の異名を持つ.
最後のチャンピオン戦でくいな(パチリス)がミロカロスの熱湯を二回こらえたのは胸アツだったなあ.
「くいなは主人公を悲しませないように必死でこらえた!」だってさ.
泣かせてくれるじゃねーかコノヤロー.
進化アイテムをどんなに探しても見つからなかったからサマヨールは進化させてあげられなかったんだけど,最後ガブリアスを倒したのは彼.
最終パーティに入れるつもりはなかったのに,いつの間にかとけ込んじゃってた.
「自分は暗いけど主人公は違う世界を見せてくれる不思議な奴だ」
なんて言われたらもうボックスには戻せないよ.
クソな世界でも手持ちのポケモンが最高なら主観としては最高の世界だといえる.
実はサンムーンまでWCSダブルガチ勢だったからストーリーをこうやって楽しんだのそれこそプラチナ以来だったんだよね.
ランクマがあったら「ストーリーはチュートリアルデュフフ」と今頃言ってただろうなあ.
もう言いたいことはわかると思うけど,実況なんかでこの愛着は生まれようがないよ.
そもそも子供向けのコンテンツなのが自分がプレイしないことで情報に成り下がるときた.こりゃ批判もしますわな.だって僕ら「大人(泣)」だもん.
プレイしようよとりあえず.思い出補正・サンクコストとかのバイアス上等.バイアスがかかって「楽しかった」って言えるなら主観としてはOKじゃん?
てか20歳になった今だからわかるけど,ダイパのストーリーって割とふつうだよね.
神話的な壮大なスケールが成功しているけど,物語の構造だけで見ればいささか陳腐.
「あれストーリーこんなつまんなかったっけ?」って思っちゃった.
今となっては「ストーリーだけは神」っていうのもよくわからない.
P.S.
一人が買わなくても意味ないって.
買えばいいのに.何も変わらないんだから.
売れる売れないじゃなくて,作り手が「どこまで妥協できるのか」を試されてるだけ.
ルパン三世PART6 3話「大陸横断鉄道(嘘)の冒険」 この話成立してなくない?
https://anond.hatelabo.jp/20211103141345
上の記事は私の感想だけど、この回の感想に「PART2のノリで良かった」という感想がいくつも目についたが納得いかない。
私もPART2は好きだから、PART2のノリは大歓迎で、全話が一話完結でいいと思ってる。
でも、3話がそのPART2のノリだったかと云うと首をかしげる。
YOUTUBEにあるPART2の1話からいくつか上げてみると、キャラクターデザイン、描き込まれてない背景、いいかげんに描かれたメカ、出鱈目なギミック、
冒頭のビーチで不二子を口説く男の特徴的なアニメ声、ルパンの登場のさせ方もパラシュートで格好よく落ちてきたと思えば煙突に突っ込む、煙突に落ちても別に怪我したりしない。
キャラクターデザイン、音楽、背景、声優の声、キャラクターの演技とPART2のノリはこうした様々な要素が組み合って出来ている。
反対に今のルパンは、キャラクターも背景もPART2に比べればリアリティがあって、声優の声もどこかで聞きそうな普通の声で、キャラクターの演技も例えばこの回で云えば、
ルパンが走ればもたもた走ってリアリティのある息切れをしながら台詞を言う。
要はPART2のノリをやるには今のルパンはリアリティーがありすぎる。
PART2は一話だけで、これは何も考えずに気楽に見るもので話がおかしいなんて突っ込む人は野暮だとわかる。
ルパン達も他のキャラも生き生きしてるし、展開もめちゃくちゃで勢いがある。
この3話のルパンは変装して、もたもた走って、列車に乗っただけ。不二子もお宝盗んだらすぐ捕まっただけ。
次元は最後に銃を撃って不二子を助けるけど、このいちいち尺とって格好良くきめてる演出が違うと思うし、それは話がしっかりしてれば格好いいだろう。
話も、そもそも侯爵殺す必要あったか?障害物検知して止まるなら不二子が居ても止まらないか?と、野暮な疑問が自然と浮かんでくる。
内容の悪さを気にさせない勢いなんてこの回にはないよ。気楽に見られる話作るのは大歓迎だけど、ちぐはぐなもの求めているわけじゃない。
ただ脚本と演出が噛み合わずにただ古臭いノリになって突っ込まずにいられない回だなと云うのが感想。
こんな2回もむきになって書くようなことじゃなく、ただのつまらない回だって自分でもわかってはいるけど、
今回のシリーズに参加してる方達の名前を見て期待してただけに、あまりにもお粗末な内容でがっかりして書いてしまった。それにこのシリーズに参加している作家が自分で褒めずに他人が褒めている感想をリツイートしているのが身内の褒め合いみたいで気になった。
最後にどうでもいいけど一話完結回に入るのが早いよ!今日もそれで多分5話で本編に戻るだろうが、2話であの世継ぎホームズとリリーに興味持てないよ!
ブロマンス? の方はもうずいぶん前に出版されたものなのでネタバレするけど、すごいBLの方は22日に出版されたばかりなので、極力ネタバレしないようにがんばる。では、ブロマンス? の方から。
同作者による小説『生誕祭』の続編。本作も『生誕祭』と同じく彰洋と麻美のダブル主人公。この二人が憧れの人・美千隆に振り回されつつ、お金儲けのためにそれぞれ奔走する。
『生誕祭』の終盤、美千隆に裏切られて復讐しようと思ったものの、けちょんけちょんに打ちのめされてしまった彰洋。だが、逃亡先の北海道まで、美千隆が探しに来てくれたことにより、懲りずに美千隆に着いていってしまった。
それから十年。彰洋は自身と美千隆しか従業員のいない小さな会社に勤めて、退屈だがそれなり楽しい雌伏のときを過ごしていた。
そんなある日、美千隆が復活を宣言する。時代はITバブル最盛期。バブル景気なんて長続きする訳がない。こんどは土地の代わりに株を転がし、大金をせしめて一抜けし、今度こそ二人で夢の王国を作るぞ! マンハッタンにでっかいビルを建ててやるのだ!
一方、やはり十年前に美千隆に切り捨てられて落ちぶれ名古屋に逃亡した麻美は、東京に舞い戻り、バーの雇われママに身をやつしていた。ところがあるとき、バーのオーナーが麻美に儲け話を持ち込んで来る。それはIT企業の若手起業家を騙して一攫千金を狙うというもので、しかもターゲットとなったIT企業をあの美千隆が狙っているというではないか。麻美は一生遊んで暮らせる金をせしめるため、美千隆に復讐するために、彰洋の元恋人である早紀を巻き込み、立ち上がるのだった。
『生誕祭』ではブロマンスというよりはポチとその飼い主みたいな関係性だった彰洋と美千隆だったけれど、今回は彰洋が成長し美千隆が少し老いたのもあって同じ夢を追う同志、ブロマンス感があった。
美千隆が過去に彰洋に言った「マンハッタンに自社ビルを建てるのが夢」「弟が欲しかった」という言葉が、彰洋をだまくらかす方便かと思いきや案外本心だったのかもしれない? と、胸が熱くなる一方で、王国のキング美千隆についに焼きが回った感じもあり……もはや自身には生き目はなく、夢は弟分の彰洋に託すのだろうか?……と、ちょっと切なくなる感じ。
最高に滾るシーンは美千隆が渾身の演技で麻美を騙す場面。麻美が金と美千隆に執着する理由は安定と愛情が欲しいからではなく、美千隆の隣で同じ夢を追いたいからだと看破してみせるところ。
結局のところ美千隆の相棒になぜ彰洋はなれて麻美にはなれないのか、それは才能の問題ではなく性別の問題でしかない。麻美にはどんなに努力しても越えられない壁を彰洋なら軽く飛び越えられる。最初から分かり切っていたが見ないふりをしてきたことを、当の憧れの人、美千隆に見破られて涙を流す麻美。実にエモい。引き立つブロマンス!! そう、私ら女にはどんなに願っても届かない夢ですな!
でも最終勝者は少年の心をいつまでも喪わないおっさんズではなく、現実的堅実的に復讐計画を練り実行に移した早紀だったというのが痛快だった。愛よりも友情よりも堅実。金に溺れた詐欺師どもより研ぎ澄まされたハンターが最強だなんて、かっこよすぎる……。
国外逃亡する羽目になった彰洋と美千隆がこてんぱんに打ちのめされてだめだめなコンビに成り下がるというオチまで着いて、憧れのブロマンスに泥を塗りたくる黒い快感に目覚めてしまった。
数多のBLの中でもかなり人気のあるタイトル。エロエロだけどストーリーに骨があって絵もすごく綺麗。少女漫画のようなキャラとストーリーが人気な商業BLのなかでは、異色かなぁ。
バーでピアノを弾いて暮らしているマレーネと、マレーネのピアノを聴きに通うリリーは両片想い。だがいくらマレーネがアプローチしてもリリーは応じてはくれない。それは二人が男同士だからというより、リリーの正体が人狼だからなのだった。
リリーが突然発情期に入ったところにマレーネが居合わせたのが縁で、二人は結ばれることになった。ところがマレーネは、実は人狼を迫害するマフィア・ガーランド一家の跡取り息子ヨシュ・ガーランドだった。
マレーネがリリーと急接近したころ、ガーランド一家の当主は人狼殲滅に狂い、唯一の血縁者である孫のヨシュを呼び戻す。かくしてマレーネはガーランドと人狼の抗争に不本意ながら巻き込まれることになった。
一方、人狼の側では、ガーランドとの抗争が70年前に起きた人狼大虐殺事件のような惨事の引き金になることが危惧されていた。抗争の激化から、ついに群れのリーダーであるキーファーは、ガーランド解体作戦を決行すると宣言する。そして、ガーランド幹部暗殺部隊のメンバーとして、リリーことコヨーテも指名された。コヨーテに割り当てられたターゲットは、ガーランド一家の跡取りヨシュ・ガーランドだった。
す、すごいものを読んでしまった……! というのが、4巻を読んで最初に思ったこと。正直、3巻までは普通に面白い映画みたいな話だなぁと思ったくらいだったけど、BLでここまで描くの!? 描かせてもらえるの!? と驚いた。まあ、これほどの画力と漫画構成力をもった作家だからこれが許されるんだろうなとは思う。
BLなのでラブとエロは盛りだくさんだけれど、隙あらば骨太の物語描写をしてしまうのがすごい。逆にいえば、BLってストーリーを台無しにしてでもラブ描けエロをかけっていうジャンルなんだろうな……。
人狼とガーランドの抗争の歴史と背景がちゃんと描かれている。そのことに驚きというか、一般ジャンルの漫画ではむしろそれが普通なのかもだが、よく描いたよなぁ。
今回はメインカプのマレーネとリリーだけでなく、アレンやキーファーなど脇役キャラの活躍や人物描写も豊富で良かった。ドミニクがいいキャラしていてかなり好き。
BLにはあまり出てこないし、これまでの座裏屋先生の漫画にはほぼ出て来なかった女性キャラがけっこうなインパクトを持って登場するのがいい。ミミちゃん! 私の推しのミミちゃん!!
猛烈に続きが気になるところで終わってしまったが、たぶん、5巻が出るのは1年後くらいだ。それまで頑張って生きねば……。
座裏屋先生の『シャングリラの鳥』もなかなか気になる展開なので、続きが待ち遠しい。すげえ連載を2本同時進行している座裏屋先生すごすぎる。
https://anond.hatelabo.jp/20210810121557
https://anond.hatelabo.jp/20210810152212
https://anond.hatelabo.jp/20210825165035
https://anond.hatelabo.jp/20210803115324
https://anond.hatelabo.jp/20210807105902
https://anond.hatelabo.jp/20210816004742
https://anond.hatelabo.jp/20210905133926
https://anond.hatelabo.jp/20210906004549
見ての通り、読書範囲が死ぬほど偏っているうえに、あまり量読んでいない。
これはKindleでは売ってなかったのでhontoで買った。短編。
BLアンソロジーCannaに掲載された作品なので、一応BLのカテゴリーに入るんだろうけど、BL要素はあまりない。
妻にゲイであることがバレて離婚し一人息子を育てている作家の話。作家は息子もやっぱりゲイであることを知り、昔の自分と息子を重ねて見てしまうが、息子は自分を越えていっていると気づく、という話。
面白いかというと微妙。淡々としていて、すごく心揺さぶられるようなものではない。いい話ではある。つまらなくはない。わざわざ単話で買うよりは、短編集や他の作品の巻末読み切りに収録されたらついでに読むくらいでいいんじゃないだろうか。私はわざわざ買ったけど。
一人息子を育てている作家の話というと、よしながふみ先生の『こどもの体温』(BLではなかった気がする)という作品を思い出すんだが、それとこれとが似ているのかというと、別に似てはいない。
前にレビュー書いたような気がしたんだけど書いてない? 書いた? うっ、最近記憶力が……まぁいいや。もしも書いていなかったとしたら、たぶんそれはこの作品の攻めてが私の苦手なタイプのキャラ(優しげだがねっとりとした言葉責めをするロン毛)だからじゃないかな。座裏屋蘭丸先生の作品は好きなんだけど、拝読してもねっとり系言葉責めイケメンへの苦手意識は治らなかった! 『シャングリラの鳥』の無口な攻めアポロの無口ぶりがありがたすぎる。アポロにはずっと無口でいて欲しい……。
ともあれ。攻めのカミロと受けのテオは幼なじみ。カミロは煙草屋で、テオはカミロの店の向かいで酒屋を営んでいる。ただの幼なじみ同士だったはずが、テオはカミロが自分に対して並々ならぬ熱い思いと視線を向けていることに気付いてしまう。そんなとき、街は毎年恒例のお祭りの準備が始まる。酒屋のくせに実はお酒が一滴も飲めないテオは、祭りで行われる利酒大会に出ることになってしまった。テオはカミロに利酒特訓に付き合ってもらう。だがそこで助平が起こる! という話。
世間的にはカミロはカッコいい攻めなんだろうけど、私は、あああああいやああああああああ!! と、ナメクジとか毛虫とかに遭遇した時の気分になってしまうので、頑張って読んだ。ツルツル褐色肌のテオがひたすら可愛い。好きな漫画ではあるのだけど、肝心なところで鳥肌が立つので微妙だ。作品がというより、私自身が。
すごく人気のある作品。ストーリーを楽しむというよりは、絵の美麗さとエロのエロさを楽しむ漫画。体位の妙で局部修正を最小限にするすご技が使われているので、エッチなわりに18禁ではない。あと受けに激甘。
この作品も過去にレビューを書いていないとしたら『リカー&シガレット』と同じ理由で書かなかったんだと思う。攻めが苦手。でも少しは慣れたかもしれない。いやどうかな。
マレーネ(攻め)は飲み屋でピアノを弾いて暮らしている。リリー(受け)はマレーネのピアノを聴くため飲み屋に通うようになった。男同士なのに互いに相手を女性名のあだ名で呼んでいる二人。マレーネはリリーに想いを告げるものの、リリーはなかなか受け入れてくれない。ある晩、リリーのあとを追ったマレーネは、リリーの正体が人狼であることを知ってしまう。そこで助平が起こる!
……なんて冒頭のあらすじだけを書くと、まるでエロしかない作品のようだが、長きにわたって対立していた裏社会の組織がついに正面衝突する、スリリングなストーリーがベースでものすごいエロ(幸せ系)があるというタフな作品である。
『リカー&シガレット』同様体格差カップリングと見せかけて、攻めと受けがほぼ同身長同体格。あれっ、目の錯覚かな? って思った。
肝心のマレーネ(攻め)が苦手であるものの作品自体はかなり好き。そんなこと、もしも作者が読んでも、全然喜ばないと思うけど……。だがここは増田なので、馬鹿正直に書いてしまう。
作者は『親愛なるジーンへ』の吾妻香夜先生と同一人物だろうか。
『水底に棲む子どもたち』はサンプルを読んで、自分には合わなさそうと思ったのだが、誤って購入してしまい、案の定合わなくて泣いた。
あまりにも合わなさすぎて、内容を完全に忘れていたが、このレビューを書くために頑張って読み返した。
まだ新米で副担任を任せられた教師が、不登校の生徒の家を訪問する。生徒はネグレクト状態にあり、酷い汚部屋に独りで住んでいた。教師は毎日生徒の家に通い詰めるが、内に秘めていた欲望を生徒に見抜かれた挙げ句に生徒をレイプしてしまう。翌日、別人のようにすっきりした格好で登校してきた生徒。教師は生徒から復讐されるのではないかと怯える。という話。
ためこう先生作品を集めることに挫折する前に買った。ガチ兄弟もの。弟が攻めで兄が受け。
兄弟は早くに両親を亡くした。兄は売春をして弟の生活を支えるが、弟は知らない男を頻繁に家に連れ込む兄を苦々しく思っていた。という話。
人気作ではある。情念系だけど、ストーリーがすごいかといえば、そこまででは。BLってこんなものなのかなーと思いかけたが、BL読書の幅が広がるにつれ、もっと面白い作品はたくさんあると知った。
たまには自分が到底読まなさそうな作品を読んでみようかなーと思って買った記憶がある。サンプル読んでもピンとこないと思いつつ、まあ読書の幅を広めたいだけだし? といって買ったら案の定合わなかったが、別に嫌いじゃないしおもしろくないとも思わない。むしろ面白いんじゃないかな? 裏表紙(がっつりネタバレが載ってる)を読まなければね!
二時間サスペンスドラマっぽい作風。オメガバース。αの刑事×Ωの作家。二人は同じ施設で育った幼なじみにして番(つがい)である。幸村(攻め)は番の円のために仕事をセーブしているせいで、優秀なのに出世ができないでいる。円はフェロモン分泌異常を持っているため、番がいるというのに他のαを惹き付けてしまうのだ。異動後、幸村は病死したΩの遺体遺棄事件を担当するが……。
あまり趣味ではないせいか、謎があって面白かったということしか覚えてない。面白かったのは確か。
これくらいかなー。
あと、最近『スリーピングデッド』(朝田ねむい)を紙の本で買った。紙の本の発売からKindleでの電子発売までに20日以上あって、つい待ちきれなかったので。
以前に雑誌に掲載されたぶんの感想を書いたし、単行本で内容の大きな変更があるわけでもないので、単行本の感想は「案外萌えが多い!」とだけ。
淡色に忍ばせた開催国の現実 パラ公式画、問い直す理念―山口晃さん〔パラリンピック〕
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021090100130
https://gtimg.tokyo2020.org/image/upload/production/ncj661vov3cktjtwyrj5.pdf
美しい一枚絵に練られた趣向は見事でブコメも絶賛の嵐。さすが一流の画家である。群馬県出身の私も鼻が高い。
だが、引っかかる部分も多かったので軽くメモをする。
クラス | 状態 | |
W1 | 車いす使用 | 四肢まひなど |
W2 | 車いす使用 | 対まひ(胸・腰髄損傷)など |
ST | 立位orスツール(いす)使用 | 上肢・下肢障害 |
オリンピックでは「リカーブ」と呼ばれる弓のみを使うのに対して、パラリンピックではリカーブと、コンパウンド、2種類の弓が使われる。
アーチェリーを元ネタにしているが、風刺として利用している所は全部ウソである。
これをパッと見た人が、「アーチェリーというのはこういう風に無理やりさせらされる競技なのか。そこをデフォルメしているのか」と思ってしまう恐れはないか?(かくいう私が初見でちょっと誤解した。それから調べて違うのだとわかった)
これオリンピックの公式ポスターなんですけど、「別に良い」の?
休憩(後日書き足し予定)
馬をムチでたたいても速くなったり制御しやすくなったりはしない
https://gigazine.net/news/20201030-whipping-horse-is-senseless/
南オーストラリア大学の人類学者であるキリリー・トンプソン氏らの研究チームは、2017年1月から2019年12月までにイギリスで開催された126レースの動画を分析。
そのうち67レースはムチの使用を禁止されており、59レースはムチの使用が許可されていたとのこと。出場した馬と騎手は合計1178組でした。
研究チームが「ムチの使用がレースの展開にどう影響を及ぼすか」を調査した結果、馬の制御向上や馬の速度上昇、騎手の安全性向上と、ムチの使用との間には関連が見られなかったとのこと。
どちらも主人公の母が好きだったが思いは遂げられず、主人公をサポートする立ち位置にいる。
思い出し方も両者独特だが似ていて
スネイプ先生はリリー(ポッターの母)が大好きでポッターの目を見てリリーを思い出してる。
マリは新劇がシンジ視点のため不明なことが多いけど、実際はスネイプ先生並に暗躍して
歳の取らない化け物(使徒?)にまでなってる。
Twitterを見ているとマリとシンジがくっついたと言われているけどそれは違うのよ。普通、好きだった人の子供に欲情するか?
敢えてキツいこと書くけど、
と俺は思ってるんだけど
というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たかが電気」だの、
人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、
マクロスやアクエリオンの河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコでロハスでスピな新興宗教のアニメ?みたいなの作っちゃうし、
例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、
自分のような理系の視点から見た宇宙やロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか、
つまり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、
一からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、
アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、
というのも、リアルな研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある
つまり、天才的な科学者とか理系の女性が登場したり、こんなこともあろうかとでミラクルな超兵器がいつの間にか登場したり、
実際の研究や開発は、たしかに歴史的な天才、偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、
ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事がベースになっていると自分は思っていて、
ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです
でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない
だから、ビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです
しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか
恐れ多いのだけど、宮崎駿氏だって朝から晩までスタジオにこもってアニメを作ってる
もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、
電気なくても構わないから原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、
アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、
そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコでロハスでスピリチュアルなのに走っていってしまうのは
そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、
SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ
SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、
宇宙や宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、
こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリー、ティモシー・リアリー、
それとジョン・レノンとかヒッピー、メリー・プランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、
LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、
結局は理系の研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしまう
人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか
考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキーも天才的な数学の能力がありながら、
世捨て人のように山奥で自給自足の生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、
将来的にテクノロジーが人類を破滅的に不幸にすると思ったことから、
だったら将来性がある科学者を爆弾で○せば、悲劇的な未来は回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、
これはターミネーター2のストーリーのベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である
話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、
エヴァをリアルタイムで放映していたときが就職氷河期近辺ではなかっただろうか
その時期に庵野氏は、今は飽食の時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、
こちとら現実の就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、
庵野氏はエヴァを作っているとき、ちゃんとニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか?
なんだかんだ、バブル世代の自分の価値観でアニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?
と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって
まあ、たしかに現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない
というか、そういう人たちに人生で出会ったこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかにちょっとおかしいというか、
差別的になるけど軽度の知的障害?ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、
そういうところで昨今のDQNやヤンキーの方がアニメと親和性がある状況というのを理解できる気もする
自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、
SFとかサイエンスなフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、
理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、
自分は大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、
どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、
「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます」
とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、
その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、
多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ
やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、
電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う
まあ、ストーリーの本質は技術ではなく、結局は人間関係なわけで、
今回のケンケンとアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、
まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、
当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、
リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、
シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか、
つまり、庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、
みたいな、まあ、勝手に自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど
そんな感じで、最近の自分はアニメやゲームへの興味が皆無になりつつあるし、
それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分の個人的な人生のイベントだったり色々なわけだけど、
そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、
自分は死んでも大学、大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、
あんまよく知らないけどジュエリー系は結局どのくらい良い石がついてるかで値段決まってる気がする。デザイン料とかももちろんあるにはあるんだろうけど。
あと高級なものほどデザイン自体はクラシカルで奇をてらわないものになると思う。その点4℃みたいなのは変なハートとか何かの星座モチーフとかいう感じの中高生っぽいデザインが多くて、そういう層向けなんだろうなと少なくとも俺は感じる。
しかし試しに超高級ジュエリーの一角であるところのハリーウインストンとか見てみると、これなんかは純粋にデザインとして見ると微妙じゃねって気が個人的にはする。でもこれは石(ダイヤ)を死ぬ程つけて数の暴力で圧倒的に高級感を出してるな。
https://www.harrywinston.com/ja/リリークラスター・バイ・ハリー・ウィンストン・ネックレス
そんな野田に国民最高ー!で(多分)アシストする形になったインディアンスが本戦のネタ以外のMVP。田渕の明るさが素なのが浸透してきて、いつどこで見ても機嫌よく周囲に分け隔てなく接する人の良さが大会を明るくしたと思う。事前PVでハハハと笑った直後に「敗者復活見てろよクソッ」と涙声で建物を出る姿も印象深かった。今回の敗者復活、そしてトップバッターはインディアンスが間違いなく適任だった。
正直この反省会、来年から後回しにしようかなと思ってる。笑い飯や川島、土屋に一人ずつ小藪が振っていく構成なのでディスカッションにはならず広がらない。講評の内容も正直そこまで深くないし。ファイナリストのインタビューも小藪じゃなくてミルクボーイと話してるほうが見たいし、中継のラグもないのに。各組の時間も短すぎて内容薄い。福徳が泣いたり川瀬が死にそうになってた時はめちゃくちゃ面白かったが、今の形式ならもういいや。MVPもなし。
今年はソーシャルディスタンスのためにスタジオなのもあってワイワイ感が少なく、そのぶんガッツリ掘り下げるようなトークが多かったかも。
みんな良かったけど本戦だけでなくその後に漫才の定義いるのかいらんのか問題に巻き込まれてアホの攻撃道具にされた見取り図にお疲れ様の意味でMVPをあげたい。全組漫才ですといち早く宣言したのカッコよかった。
M-1が「4分の中にできるだけ多くのボケを詰め込み終盤に伏線回収とかして盛り上げる漫才」だけを漫才だと定義するような大会だったらここまで人気は出てない。邪道と呼ばれるものを堂々と評価してきたからこそM-1は面白いのだ。そんな妖怪大戦争だった今回のメンツで冷静に戦略を練り淡々とコマを進めたマヂラブが最終的に披露したネタが床を転がり回るっていうカオスなのが最高すぎた。今年は野田脚本による壮大なミュージカルに知らぬ間に全員が巻き込まれてたんだろうな。運命を味方につけるってのは実はこういうことなのかもしれない。本当に凄いものを見せてもらった。
MVPとか偉そうでごめんね。マヂラブおめでとう!
先に書いておきますが、私個人の考えとしては、M-1決勝に上がった方々は皆さん「漫才」をしていたと思っているし、どのネタもとても面白かったと感じています。
このエントリーは、マヂカルラブリーやおいでやすこがを「漫才ではない」と断定し、「ちゃんとした漫才をした見取り図が優勝すべきだった」とする意見への違和感をきっかけとして書いたものです。
2020年のM-1終了後、Twitterトレンドに「見取り図」が上がりました。その中で多く散見されたのが、「見取り図が一番面白かった、優勝してほしかった」というもの。
その気持ちはとてもよくわかりました。笑いの感性は人それぞれ。自分のツボにハマった人が最も面白いし、勝って欲しいと思うのも当然です。
ただ、その中で気になる意見がありました。「最終決戦に上がった3組の中で、『ちゃんとした、正統派の漫才』をしていたのは見取り図だけだったから、M-1と冠するなら見取り図を勝たせるべきだった」というものです。決して少なくない方々がそのように呟き、トレンドを盛り上がらせる一端を担っていました。
ですが、その感想は的を射ていないと思うのです。
なぜなら、その方達が言うように「漫才」の定義にこだわるべきなら、見取り図はそもそも最終決戦に上がれなかったことになるからです。
寄席演芸の一種。2人で一組になり,滑稽な話題を掛合で聞かせるもの。
https://kotobank.jp/word/漫才-137921 より
漫才(まんざい)は、2人ないしそれ以上の複数人による寄席演芸の一種目。通常、コンビを組んだ2人によるこっけいな掛合いで客を笑わすものを言う。
(中略)
漫才は基本的に、演者が「演者自身」として発話し、その会話の流れによって観客の笑いを呼び起こそうとする演芸であり、その点で、何らかの役柄や舞台設定を、扮装や簡単なセットによって提示するコントとは異なる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/漫才 より
複数の人間が、演者自身として滑稽な掛け合いをすることが漫才なのです。会話の掛け合いでなくてはならないとは書いていません。
マヂカルラブリーは野田さん自身としての動きと村上さん自身としてのツッコミ。おいでやすこがは、こがさん自身としての歌と小田さん自身としてのツッコミで、しっかり掛け合いをしていました。
対して見取り図は、最終決戦では盛山さんとしてのツッコミとリリーさんとしてのボケで掛け合いをしていましたが、1回戦では挨拶もそこそこにマネージャーと大御所としての設定に入り、締めまでキャラクターを演じ続けていました。「ちゃんとした漫才」という定義にこだわってしまえば、1回戦のネタは正統派とはいえず、決勝の決勝には上がれなかったことになります。
ただ、上記のようなスタイルの、いわゆるコント漫才というものは、サンドウィッチマンやパンクブーブーなど、過去の王者達も採用しており、漫才の1つのスタイルとして確立されています。ほとんどの人が、漫才であるということに異論はないでしょう。私ももちろんありません。
私が言いたいのは、漫才に正統派なんてないんじゃないか、ということです。
コント漫才が、本来の漫才の定義とズレながらもスタイルの一つとして定着していったように、これからも多くのスタイルが生まれ定着していくことでしょう。
サンドウィッチマンの伊達さんの言葉を借りれば、「センターマイクに向かって舞台袖から出てきて『どうも』と始まれば、それは漫才」なのです。
演芸としての枠が大きいからこそ、時代ごとの芸人さん達が新しい発明をしていき、内容を進化させ、思いもよらなかった角度で私たちを笑わせてくれるのだと思います。
改めて書きますが、2020年のM-1では、マヂカルラブリーもおいでやすこがも、見取り図も、もちろんその他のメンバーも、内容やスタイルが違っただけで、皆間違いなく素晴らしい漫才をしていました。
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。
そもそものニュータイプの元ネタは映画アルタード・ステーツの元ネタでもあるジョン・C・リリーらしい
リリーはLSDを投与された状態でアイソレーションタンク内に浮遊することで彼がECCO(地球偶然制御局)と呼ぶものと遭遇したという
この辺の話はLainの9話に面白くまとめられているが、まあ所謂オカルトである
リリーはイルカの研究でも有名であり、イルカは人間とコミュニケーションできるだけの高度な知能があり、LSDを使うことでイルカと話ができたという
狂ったジャンキーの妄言としか思えないが、当時は誘導式の魚雷がまだまだであり、イルカに魚雷を持たせる計画が軍にはあった
軍のお金でドラッグ中毒になるマッド・サイエンティストであった
富野氏はリリーの無重力下で人類が新たなる何かに変異する話をニュータイプとして採用した考えられる
そもそもガンダムも多くのスターウォーズの子であり、スターウォーズもまたオカルト色のある作品であった
日本はオウムもアニメを制作していたが、映画館で公開するほどではなかった