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2021-05-01

弱者男性12年前の最前線から語る

 男性が常に強者で勝者であるとするならば、あの真夏なのにエアコンなんてものはなく巨大扇風機が生ぬるい風をだらだらと放出し続ける倉庫で、全員時給1000円で集められた日雇い現場で、女性にはビール段ボールベルトコンベアの上で景品を貼り付ける仕事があてがわれ、男性にはびろんびろんに伸びきったまさに言い訳程度のコルセット安全靴を装着させた上で、ビール350mlが2ダース入った段ボールを上げ下げする仕事があてがわれた思い出はどう処理すればいいんですかね(挨拶)。

 むろんこの場合女性を憎む……のではなく、日雇いという弱者同士で連帯してそこでボーッと突っ立ってる監視役の倉庫社員をぶん殴る……のでもなく、倉庫社員とも連帯してサントリーを誅して社会主義革命を起こすのが唯一の正解であることは皆さん御存知の通りである

 さて、この増田では2009年出版された澁谷知美平成オトコ塾―悩める男子のための全6章』の内容を紹介する。澁谷は上野千鶴子ゼミ出身であるようだが、いわゆる「フェミニズム」的なテーマではなく、『日本童貞』『立身出世下半身』などを出版している、個人的に信用している書き手である

 目次は次の通り。

第1章 その「男の友情」は役に立つか?

第2章 「僕がキミを守る!」と思ってる?

第3章 非モテはいかにして生きていくべきか

第4章 暴力はなぜ、いけないか

第5章 包茎手術はすべきか否か

第6章 性風俗に行ってはダメ

 2009年の本で、いま論じられているテーマの大体が既に出ていることに驚くだろう。我々は弱者男性問題それ自体だけでなく、議論12年でほとんど進んでいないこともまた嘆くべきだろう。というかこういう話になると非モテ論壇とか言って侃々諤々やってたのが昔のはてななんだよな今の新参は昔のはてなを知らないから困る。失われた10年……。

 それはともかく正直、456章はそれまでの言ってきたことと関連性が薄く、また前の章ほど爆発的に面白いわけでもないので、言いたいことはわかるのだがこの本にいるか?という感じはする。なので、とりあえず3章から見ていくことにする。

 3章の冒頭でいきなり研究者としての特大のお気持ちドロップされていて面白いので少し長くなるが引用しておこう。

ヘテロ男性非モテ現象だけを扱うというと、必ず来るのが「ヘテロ女性非モテの方が、あまり苦しみが言語化されないだけに問題が多い。なのに、なぜあなたヘテロ男性非モテを扱うのか」という反応です。世の中には、Aという現象を扱う人に対して「A以外も扱え」と指摘することがエライのだ、これこそ目配りというものだ、と思う方が多数存在するみたいで、かなりの確率で前述のような発言出会います

が、そういう発言魚屋に対して野菜を売れと主張するに等しい。非モテ女子の話がそんなに重要なら、重要と思う人がすればいい〔澁谷注:私もいつかはしたいと思っていますが、「非モテ女の話の方が重要だ!」って言う人はどうぞお先に。止めませんよ。〕。それに、その手の話が見当たらないということは、苦しみがそれだけ大きいことを表しているのかもしれませんが、苦しみの不在を端的に表しているだけかもしれません。有力な傍証でもないかぎり、言語化されていないということから苦しみの有無を推定することはできないという、当たり前の事実も指摘しておきます。(p.75-76)

 「女性問題を扱え」といちゃもんつけられたことが一度や二度ではないのであろうことが怨念の籠もった書きぶりからわかる。まあ、それは12年後のネットを見ていてもよくわかるところで。

 男性について語れば女性の方がつらいか女性について語れと言われ、女性について語れば男性の方がつらいか男性について語れと言われる。もういい加減そういう「やってる感」を出すための100字ですら余るようないちゃもんはやめにしませんか。お前がやれ。俺もそいつもやったのだから

 澁谷は非モテを3種類に分類する。

[a]恋愛したくてもできないタイプ(内発的非モテ

 a-1 性的存在としての異性との関係性を欲しているタイプセックスをしたい、「女性」の存在に癒されたい)

 a-2 とにかく他者承認を欲しているタイプ(オレを認めてほしい!)

[b]「恋愛」をしたくないタイプ(外発的非モテ

 「恋愛」を押しつけてくる世間や、いま現在恋愛」と呼ばれている行為の中身や、それを統制するルール等々に違和を感じているタイプ(p.90)

 この分類に対して何か意見を言うことは誰にとっても容易であり、それは分類表の絶えざる細分化を招くだろう。むろんその行き着く先は完全に無意味な、総人口分のパターンである。だから、ここでは非モテ男性に最低でも三種類ある、という点を強調しておくことが必要だろう。

 男で、かつ非モテ、という狭く見えるテーマに絞っても最低これだけのバリエーションがある。そのことを非モテ男性当人達ですら大抵わかっていない。aのタイプ非モテ男性が「今すぐ女をあてがうべき」とまでは言わなくても「女をあてがってくれると嬉しいのは確か」ぐらいに思うことは自然であるが、bのタイプ非モテ男性から見ればまったく話が合わず、「非モテの中でも過激野蛮人」と感じられることだろう。それをきっとaは「すかした奴だ」とか「きれい事を言っている」とか感じるだろう。まして女性受け手場合さらに混乱が深まるだろう(男女の非対称性については後で論じる)。

 澁谷は当時の主流であった「経済的問題解決すれば結婚は増える」「機会をつくれば結婚は増える」といった主張を論駁し、「フリーター論壇」が経済について述べたフレームワーク非モテ問題スライドさせることを試みている。その過程で澁谷は「あてがえ論」について、2009年の時点ですでに考察している。

非モテ問題場合、これ〔若年労働者問題におけるベーシックインカム〕を「ベーシック異性」によって解決する発想がありえます女性をもれなく男性に分配する制度です。(p.95)

 澁谷はこの論が全くの荒唐無稽でないことを、19世紀半ばの宗教的コミュニティ、オナイダコミュニティを例に挙げ示すが、結局現代においては不可能であろうと言う。

当然のことながらこれを現代日本でやることは不可能です。「分配」される側の女性の中には、どうしても相手のことが好きになれない人が出てくるでしょうし、男性つがいになりたくない人だって居ることでしょう。そうした女性男性との共同生活セックス強要するのは、現代日本常識においては、「人権侵害」となります

もちろん、男性にとっても全く同じことが言えますあなた好みの女性あなたのもとに「分配」される保証はありません。〔…〕「なんであいつには美人が来て、おれのとこにはそうでないのが来るんだ!」なんていう新手の「格差問題」も生じるかもしれません。(p.97)

 この「格差問題」という未来予測面白い。「チェンジ」なんて贅沢は、限られた資源女性)をやりくりしないといけない政府が許すはずもない。チェンジOKをうたう風俗でも2回目以降は有料だったりするのだから

 個人的にはこの例示こそ「あてがえ論」に対する何よりのカウンターであると感じる。仮に「あてがえ」とガチに主張する人がいたとして、その人に人権を説いても馬の耳に念仏だろうが、こっちの懸念は聞いてくれるような気がするのである

 澁谷は続いて、経済問題における社会保障にあたるものとして、思想セーフティーネットの構築を提唱する。まあそれ自体は正しいと思うのだが、本田透電波男』における主張ほど面白いものではないのでここでは省略する。『電波男』を読め。

暴力的だったり、女性にたいして思いやりがない場合のぞき、ある男性女性から選ばれないのは、その男性のせいではありません。女性にとっての「よき男性像」が特定の偏り――収入学歴一定以上あり、ある水準以上のルックスをしていて、会話が続く――を見せている限り、そこに当てはまらない人や当てはまろうとしてもできない人が出てくるのは当然のこと。それは、男性陣が特定の偏りを持った「よき女性像」を持っており、そこに当てはまらない女性非モテ女性)が出てくるのと同じことです。(p.100)

 おそらくこの記述で多少救われる人もいるに違いない。KKOは来世に期待するしかないが、それはあなたのせいではない。

 ただここで考えたいのは、「暴力的だったり、女性に対して思いやりがない場合」をしれっと除外している点である。そんな男でも「女をあてがわれた」のがかつての日本社会であったことは、澁谷も指摘している。

とはいえちょっと脇道にそれますと、「分配」の方法は問わずに「男性にもれなく女性がくっついた」という現象だけを切り取ってみれば、それに近いものを一九五〇~六〇年代日本に見出すことができます。当時の男性生涯未婚率(五〇歳時点で一度も結婚したことのない人の割合)はわずか一%台でした。九八%の男性が一度は結婚したことがある、つまり女性を「分配」されたことがあったのです。

何故これだけ広範囲の「女性の分配」が可能になったのか。「男女とも結婚して一人前」という社会規範が強かったこともありますが、なにより男女の経済格差が今以上に大きかったことが上げられます

この時代、一部の職種を除いて、女性が一生続けられるような仕事はありませんでした。有名企業就職できたとしても、当時は、女性にの適用される「三〇歳定年制度」によって追い出されてしまったのです。一方、男性には安定した仕事がありました。給料は毎年上がり、先の見通しも明るい、なんといっても高度成長の時代です。(p.97-98)

 ちなみに本書では2005年男性生涯未婚率15.4%という数字を引いているが、2020年には23.4%になっているらしい。

 それに加えて、上で述べた加害性が必ずしも本人の責任ではないということも、90年代以降の精神医学社会学が明らかにしてきたのではなかったか

 とすれば、KKOのみならず、KKKOキモくて金が無くて加害性があるおっさん)もまた、必ずしも本人のせいとばかりはいえず、社会包摂すべき、という話になってくるかもしれない。その際には「ラベリング」「過剰包摂」など、社会学障害者ホームレスなどについて積み上げてきた知見を生かすことができるだろう。というか、福祉現場の人たちはいまもKKOだけでなくKKKO社会の内側へと復帰させるべく頑張っているのではないか

 なぜ、おっさん問題なのだろうか。あるいはより学術的な言い方をするならば、非モテはなぜ男性問題になるのか。本書はその問いに直接的に答えてはいないが、ヒントは与えてくれる。以下は1章のはじめの方の記述である

皆さんは、なーんか気分が晴れない、ってことありませんか? あるいは、漠然とした不安があるとか。原因不明の体のだるさがあるとか。そういった不快状態、つまり精神的に健康で無い状態を「ディストレス」といいます。そのディストレスが、独身男性と既婚男性とで、どちらが高いかを測った調査があります。〔…〕結果は〔…〕二八歳から七八歳まで、どの年齢層においても既婚男性のディストレスのほうが低かったのです(稲葉昭英「配偶関係精神健康」『日本男性心理学』二〇〇八)。男性にとって、そばに異性(=妻)がいる人生は、いない人の人生にくらべて、ハッピーなようです。(p.15)

 澁谷はディストレスと妻帯のどちらが原因でどちらが結果かはこの調査からは分からないと述べるが、続いて妻に感情を見せることによって、夫が精神的に健康になっていくことを示す調査引用し、「つまり女性と一緒に暮らすことがディストレスを低くすると考えるのは、間違っていないようです」と一旦の結論を置く。そして次のように続ける。

ならば、男性女性から精神的なケアを引き出している、といえる。「女性だって同じことでは?」という反論に答えておくと、女性独身か既婚かでディストレスに大きな差はありませんでした。〔…〕統計的な傾向でいえば、男性精神健康女性存在は欠かせないが、その逆はない、ということです。(p.16)

 この下りはまったく読んだ記憶がなく、今回読み返して一番驚いた部分である増田の実感としては「男がいないと鬱病になって死にそうな女」はよくいるが、その逆はあまりいない印象であるが、それはどうやら必ずしも正しくないようである(むろん男がいる=結婚ではないとか、ディストレスが高い=鬱病になって死ぬではないとか、そもそも元の調査やその読解がどうなのか、とかは考えなければいけないだろうがそれはそれである)。

 上の論述は、女性強者弱者フェミニストフェミニストを問わず)による「女に頼らずに男同士の友情で満足すればいいじゃん(私であればそれで満足するのに)」という主張が、必ずしも的を射ているとは言えない可能性を示唆している。もちろん逆もしかりで、「男性夫婦になれば女性だって幸せになるはずだ(俺のように)」という男性の主張が間違っている可能性も同時に発生している。

 ここに性にまつわる問題の隠れた難しさがある。「相手気持ちになって考える」ことと「相手気持ちになって考えたつもり」を区別することは、専門家であっても難しい。さらに加えて、先に述べた非モテ男性の三分類といった差異も隠れている。とにかく、話題への参入障壁が低い(男もしくは女であれば誰でも一家言持っている)わりに、トラップが多すぎるのである。これが2009年から今に至っても議論が終わらないし前に進んでもいない一因だろう。

 こうした非対称性が発生する原因として澁谷は、現在社会において女性男性より相手の話をよく聞くように育てられており、それに対して男性競争的に育てられていることを挙げている。その結果として男性女性に癒やされているし、女性女性に癒やされているのだろう。

 一応言っておくとここで澁谷や増田は「男性と違って女性は人を癒やすべきだ」とか、まして「男は働いて女は家にいるべきだ」とか主張しているわけではない。ただ、そういう傾向がいまの社会にあるようだ、と言っているだけである。それを望ましいとか望ましくないとか考えるのは社会科学の領分ではない。「〈こうであるから〈こうであるべし〉を導くことは不可能である」(ウェーバー)。

 12年後のいま、澁谷の主張に触れると、多くの部分はそのまま現在に流用可能であると感じる。しかし、目配りが足りていない部分もある。おそらく澁谷は包茎手術と高須クリニック関係よりも、男性における経済的問題について語るべきであっただろう。「女はホームレスにならなくて済むからいいよな」「いや危険から女はホームレスになれないのだ」「それでも事実として死ぬでもホームレスになるでもない選択肢がある女は恵まれている」云々のあれである。むろんそれは今だから言えることであるのだが。

 それでも増田が望んでしまうのは、そうした議論が両者ともにマジでクソだと考えるためであるホームレスと実地で接しろとは言わないからせめて、ホームレス女性は本当に少ないのか、少ないだとすればホームレスになるはずの女性はどこへ言っているのか、それはほんとうに「恵まれている」といえるのか、といった事実についての認識は両陣営ともに共有すべきであるし、その時点で認識差異があるならどの点で異なるのかを明らかにすべきである

 そうした仕事を澁谷が12年前に済ませてくれていたら、と思う。思うのだが仕方ないことなので、現在を生きる我々がやるしかあるまい。というところまでは澁谷の背中に乗って増田が到達させたので、ここから先はお前の仕事だ。頑張ってください。たまに手伝いに行くかもしれない。

 

===

 

追記

 バズったので宣伝します。狐火という、この記事や通念における弱者男性というカテゴリーからはみ出す部分はありながら、それでも弱者男性であることを納得せざるを得ないリリック10年以上紡ぎ続けているラッパーがいます。売れろ!

27才のリアル狐火(2010

https://www.youtube.com/watch?v=tmJBGEFXOvU

勇気が欲しい

特に上司が活発で生意気な年下でも

余裕で頭を下げられる

勇気が欲しい

月給25万以上社保険出来ればジムの割引券も欲しい

採用面接から働いている自分想像してネガティブにならない

勇気が欲しい

けど、本当は1つの事を信じて続ける勇気が一番欲しい

31才のリアル狐火(2013)

https://www.youtube.com/watch?v=MRLXZGylQRg

チューチュートレインの一番後ろでしゃがんでるだけの人生でいい

絶対こんなはずじゃなかった

オレこんなはずじゃなかったんだよ

上司に怒鳴られトイレで叫んだ

あんたらステージ上じゃ無力だ」

36才のリアル狐火(2019)

https://www.youtube.com/watch?v=loWcv5VEObM

よく聞かれる

「もし音楽成功したら、サラリーマン気持ち

歌えないんじゃないですか?」

サラリーマン気持ちを歌いたくて音楽を始めていたならどれほど楽だったか

37才のリアル狐火(2020)

https://www.youtube.com/watch?v=z1J8BbnBLyQ

27才までに見ていた夢は全て叶った

生意気な年下の上司はオレのファンになった

2021-03-25

anond:20210325094458

満員電車毎日乗ってると、みんなそうなるし、

それでも日本社会は止まらないし、

トレイントレイン走っていく、トレイントレインどこまでもだし、

チューチュートレインだったり、チューチューロケットだったりするし、

anond:20210325091731

自分も今は無職なんでアレなんだけど、

銀行郵便局用事があって外出したとき、近所の踏み切りでずっとカメラ持って立ってる男性が一人いて、

平日の昼間から、こんな首都圏周辺のちょっと田舎のよく人身事故を起こす何気ない電車を撮って何が面白いんだろう、と思ったりするんだけど、

というか、本当に通行人とか気にせず立ってて邪魔というか不気味というか、

正直なところ、ちょっと知○障害がある方なのかなあ、とも思える振る舞いだったのだけど

なんか旅行先とか珍しい電車とか風景を撮るなら分かるんだけどね

といっても、撮影のために田んぼ用水路の堰き止めてる板を外したりとか、そういうトラブルがあったのを思い出すんだけど

普段通勤ときとかもカメラ持って駅で構えている人とかいるけど、

そもそも基本的自分電車が嫌いだし、人身事故があったら閉じ込められるし、

気持ち悪くてもトイレでも外出れなくされるし、

電車電車の間の連結スペースがそのためにも用意されていると知って、ちょっとショックを受けたり、

まり緊急時嘔吐したり排泄したりするためのスペースという意図もあって、

連結部の扉が連結してても基本的に両方閉まるようになってるような話を聞いたのだけど、

最近は連結部の扉が連結するとないような車両もあった気がするし、どうすんだよと思ったり、

満員電車とか、痴漢とか、

もう通勤電車痴漢のためにバリアフリーされているようなものしか思えないのだけど、

それでも日本社会は止まらないし、

トレイントレイン走っていく、トレイントレインどこまでもだし、

チューチュートレインだったり、チューチューロケットだったりするし、

2020-03-27

楽園こちら側」の「事実に誠意を」をほぼdeepLで翻訳してみた その2

その1https://anond.hatelabo.jp/20200327214055

12 Dr. Hiroshi Nishiura is one of the few professionals of mathematical models of infectious diseases in Japan, and it is well known that his ability is outstanding. However, many people don't understand mathematical models themselves (I must confess that I can't say that I understand all of the findings because I'm not a professional of mathematical models either), so his findings and comments are easily deified. Because the contents of the mathematical model are a complete black box to many people, it makes it seem like the oracle is coming out like a shrine's oracle. Much of Japan's infection control policy relies on the Nishiura theory. So there is nothing wrong with that, but one of the problems in Japan is that there is no plan B in case plan A goes bust. Dr. Nishiura is an excellent scholar. It is not God. Hence the need to have that Plan B with the possibility of making a mistake. I am greatly concerned that bureaucrats and politicians who are prone to infallibilism will mistake science for an oracle. It is only when falsifiability is assured that science can continue to be scientific.

感想おみくじ神託が同じoracleだったので変な文章になったが直していない。

13 数理モデル演繹法活用産物である演繹法帰納法アブダクションで補完するのが、学問の基本であり、臨床医学常識である演繹法的にどんなに正しく見えても実はそれは違っていた、ということはこの業界ではよくあることなのだ。ヘーゲルマルクスのような巨大な知性でも演繹法オンリーでは間違うのである

Mathematical models are the product of deductive methods. The deductive method is complemented by the inductive or abduction method, which is the basis of scholarship and the common sense of clinical medicine. It's a common occurrence in this industry that no matter how deducibly correct it may seem, it's actually not true. Even a huge intellect like Hegel or Marx can make a mistake by deduction alone.

感想:「蓋を開けてみれば」を「実はそれは」に変更した。

14 モデルを使うな、といっているのでは決してない。ぼく自身モデルを用いて論文を書く。しかし、モデル無謬ではなく、そこには前提である仮定があり、仮定はしばしば間違っている。グラム染色活用するとは、グラム染色にできないこと、分からないことを知悉していることであり、グラム染色万能論者にグラム染色は使えない。同じことだ。英国でも数理モデル活用されているが、だからこそ英国人はその結語には非常に懐疑的で、常に反論異論が起きている。健全科学的な態度である

 I'm not saying don't use the model at all. I myself write a paper using a model. However, the model is not infallible, there are assumptions that are assumptions, and the assumptions are often wrong. Making use of Gram's stain means having full knowledge of what Gram's stain cannot do and does not understand, and Gram's stain cannot be used by Gram's stain universalists. It's the same thing. Mathematical models are also utilized in the UK, which is why Brits are very sceptical of their conclusions, and there are always counter-arguments and objections. It is a sound and scientific attitude.

感想:「前提たる仮定」がうまく訳せていなかったので「前提である仮定」にしたが、assumptions that are assumptionsになってしまった。

英国人は」がないと主語がIになってしまったので追加した。しかBritsじゃ意味違うよ。もっと正しく訳してくれない?

15 Japan's "now" is a well-controlled state of infection, which is much better than Wuhan at its worst, or Italy, Spain, France, England, or New York at the present time. The problem is that it doesn't guarantee that it will "always work".

感想特にない。便利だなあ。

16 懸念されるのは東京だ。感染報告が増えたことだけが問題なのではない。クラスター形成できない、トレースできない感染者が増えているのが問題である。そして、その陽性患者数に比べて検査数がずっと少ない。47人の感染者を捕捉するために100人未満(陽性者の検査日が不明だが、おそらくこのへんだろう)しか検査していないのは少なすぎる。

It is Tokyo that is of concern. The increase in reports of infection is not the only problem. The problem is that more and more infected people are unable to form clusters and cannot be traced. And the number of tests is much lower than that number of positive cases; it's too little that they only tested less than 100 people (the date of testing for the positives is unknown, but it's probably around here) to capture 47 infected people.

Again, it's not necessary to figure out all the infected people. However, it is troubling that the flow of infection, movement and clusters are out of sight. Therefore, the threshold for testing must be lowered in Tokyo. The threshold for testing varies with the circumstances. That's what I explained with the Korean example. Sticking to the Ministry of Health, Labour and Welfare's "standards" will lead to a misunderstanding of the phenomenon itself. Already in the Kansai region, infected people have been found with taste and smell abnormalities, and clusters have been detected from there. I would like to make more use of the athletic sensibilities of these clinicians. I'm not sure "where" in Tokyo is the barrier to lowering the number of inspections, but that barrier needs to be removed immediately.

感想:「捕捉するのに」を「捕捉するために」に変更した。多分これでいいと思う。思いたい。

アスチュートathleticになっているのはどう反応したらいいかからない。

17 This conceptual diagram that everyone is looking at - lowering the peak of the infection and shifting it to the side. This is all a product of deduction, and I don't know if it's really true. As mentioned above, the UK estimates already suggest that this is not enough. It is possible that the damage that was shifted to the side could simply be "extra-long damage".

感想特に言うことはない。便利だなあ。

18  そして、ここが肝心なのだが、ピークを下げるという理念が、「ピークを下げなければいけない」という観念になり、「ピークは下がっているはずだ」という確信になり、「ピークは起きていないんだ」という自己暗示に転じてはいけないということだ。プランAに固執する日本あるあるの失敗のパターンで、ダイヤモンドプリンセスでは「二次感染が起きてはいけない」が「起きているはずがない」に転じてノーガード下船を許してしまった。「ピークが起きてはいけない」が「ピークなんて見たくない」にならないように現実を見据える必要がある。たとえ、それが我々の見たくない不都合な真実であったとしても。

And this is the key point: the idea of lowering the peak should not become the notion that the peak must be lowered, or the belief that the peak must be lowered, or the self-implication that the peak is not happening. In a pattern of Japanese failure to stick to Plan A, Diamond Princess allowed no-guard disembarkation by changing "secondary infection should not occur" to "it can't have happened". We need to keep our eyes on reality so that "peak shouldn't happen" doesn't become "I don't want to see a peak. Even if it is an inconvenient truth that we don't want to see.

感想:mustが違う文脈で二回出てきている。よくわかるように変更したいものだ。

カギカッコがないとうまく訳せなかったので追加しているが、なぜかカッコ閉じるがいくつか抜けている。この箇所以外にも抜けがある。

19 Repeatedly. It's common knowledge in this industry that deductive methods are complemented by inductive methods. Nevertheless, PCR is often false-negative and has little power to determine the status of infection. That's why "testing everything" is so wrong. However, a serum test measuring immunoglobulin IgM and IgG would provide a more accurate picture of the "status of infection in the population. This, however, is not infallible. It is difficult to use for individual cases because it misses early infection, which is why it misses early HIV infection.Whether antibody testing is useful in individual cases remains to be tested, but it is well suited for epidemiological studies on a population basis. Roughly speaking, we can confirm whether the "infection is rampant" in Tokyo right now, or whether it's just an unfounded fear.

前例としては、ロンドンの血清検査で09年パンデミックインフルエンザが従来予測10倍起きていたことが血清検査でわかっている。抗体検査アウトブレイクのあとで事後的に行うことが多いが、慢性的パンデミックになりつつあるCOVID-19については、「今」こそが検証ポイントといって良い。

As a precedent, serology tests in London showed that the 2009 pandemic flu was 10 times more likely than previously predicted. Antibody testing is often performed after an outbreak, but now is a good time to examine COVID-19, which is becoming a chronic pandemic.

感想:「前例はあって」を「前例としては」に変えた。「前例はある。なおかつロンドンで〜10倍起きていた」になってしまたからだ。

20 英国さらアグレッシブだ。家庭で抗体検査を行い、「感染である」とわかればそれを自宅での自己隔離根拠に使おうというのだ。ロックダウンが起きている中で、検査陰性は「自己隔離不要」を意味しないため、その戦略に欠陥はある。が、考え方としては「感染全体を抑え込みたい」というもので、検討価値はあると思う。

The UK is even more aggressive. The idea is to test for antibodies at home, and if they are found to be infected, they will use it as a basis for self-isolation at home. That strategy is flawed because with the lockdown in place, a negative test does not mean "no self-sequestration". However, the idea is that we want to control the infection as a whole, and I think it is worth considering.

感想:「戦略に穴はある」を「戦略に欠陥はある」に変えた。

21 東京でどのくらいの感染が起きているか帰納法確認必要であり、有用だ。その結果がどうなるかは預言者ではないぼくには分からない。が、どんな結果が出てきても、それを受け入れ、場合によっては自説を変えて、プランBに移行することにも躊躇しない態度が科学者には必要だ。科学者は、首尾一貫していないことにかけて、首尾一貫していなければならないのだ。形式においては首尾一貫していなくても、プリンシプルプロフェッショナリズムにおいて一貫しなければならないのだ。事実に誠意を。 

Inductive legal confirmation of how many infections are occurring in Tokyo is necessary and useful. I'm not a prophet, so I don't know what the outcome will be.However, no matter what the outcome, scientists need to accept it and not hesitate to change their thesis and move on to Plan B in some cases. Scientists have to be coherent in their inconsistencies.They may not be coherent in form, but they must be coherent in principles and professionalism. Good faith in the facts. 

感想:首尾一貫という言葉を使いすぎて文章をアホっぽくしてしまったが他にいい方法が思いつかない。朝三暮四理解してくれなかった。「自説を曲げ」は「自説を変えて」に変更した。

文章はもう少し整形できると思うがとりあえずこれで。

岩田健太郎先生とDeepLに敬意を。

2020-02-24

チュート徳井活動再開で言われそうなこと

中途半端やなぁ」

チュートだけにな。

2019-03-12

幸せな家庭像のCMがつらい

アレクサ チューチュートレインかけて」

きれいなお家で、男前旦那かわいい奥さん

 

バカ!!!

そんなご家庭どんくらい少数だと思ってんだよ!!!

バカか!共感できるわけねーだろ!!!

いつまでバブルCM作ってんだよ!!!

バカか!

ばーか!ぜんぜんあこがれなーい!!

そんなファンタジーみせられてアレクサなんてかわなーーい!!!

アレクサ!酒買ってこい!!」

これだね!

「やっぱりだめ!買わないで!」

金ないもんね!!

もっとCM考えろバカ

2018-12-02

anond:20181202114305

でもそういう消費豚がオタク自称することはなかったのよ。その主な理由オタク賤民であって自称する魅力も利益もなかったからなんだけどね。

そもそも中世から昭和に続く日本社会において、未成年は家の従属物(ソフト表現)だったし、成人女性家事労働提供者(ソフト表現)だったし、成人男性会社奉公人ソフト表現)だった。この社会において自由の幅ってのは現代に比べて極めて少なく、特にそれは趣味分野において顕著だった。庶民が嗜んで白眼視されないものなんてのは、男性において飲む打つ買うとその後継だけだったし、パチンコなんてのはその最たるものだった。女性においては男性にもましてきつきつであり、かろうじて数種の習い事が芸として社会認知されてたかどうかくらい。書物を購入してそれを読み漁るなんてのは、金持ち道楽であり、庶民の間ではむしろ唾棄すべき軟弱さの現れとみなされていたふしがある。まあ、だからこそ与謝野晶子あたりの明星派などによる「既存価値観への抵抗」としてのそれがあったわけだけど。

高度成長期を経て70年代から急速に文物が発展して、今現在趣味と呼ばれる文化が爆発的に多様化した。多様化した以上に「余暇に個々人が己の興味のあることをして過ごすのは当然の自由であり権利である」という認識一般化した。テレビ文化がひろまって、ヒッピームーブメントの余波から洋楽ブームが来て、ニューエイジ思想からオカルトブームUFO心霊写真! そしてフジテレビホイチョイ結婚してユーミンウィンタースポーツブームを生んで、広瀬香美とチューチュートレイン若者苗場に連れ出した。

の、だけど、そんなに主体的に生きてる人間ばっかじゃないのよな。増田の言うとおり。結局現在、「ソシャゲと深夜のアニメネット炎上案件に対するコメント時間を潰している、オタク自称している(下手したら自分自身ですらそう信じ込んでいる)人々」ってのは、昭和中後期で言えば「パチンコやって飲み屋愚痴言ってる箸にも棒にも引っかからないおっさんたち」だったわけよ。別段彼らはそれが好きでやってるわけではなく、「受け身で流されて適度に脳内麻薬がチョロチョロ出る余暇の消費」としてそこに流れ着いただけで、最初から徹頭徹尾ただの消費者であって、オタクでも何でもなかった。多分当時であったとしたって、パチンコ博打や酒が本当にそこまで好きだったかどうか疑わしい。そういうふわっとした人々が社会の大多数だったってのは、当時も今も変わらない。

どちらかというと「社会人は全員そういうもん(休日パチンコするくらいしかない消費者)だろ」っていう同調圧力がなくなり「余暇自由選択」になっちゃった結果、それが可視化されただけにすぎない。そのうえ「社会人は全員そういうもんだろ」っていうのは同調圧力である以上に、大多数にとっては劣等感を刺激しないカバーストーリーでもあったっていうのが問題で、いまのこの日本現代社会は「余暇の過ごし方」でさえも階級があるってのが、多分きつい。

まりはっきりとは指摘されないけれど、「何ら主体的趣味を持たない人間」ってのはやはりいまの社会では軽んじられる。一回級下の存在だと現在みなされるんだよ。それこそ「オタクであるほうがまだマシ」と考えるほどに。

から「(絵が好きなわけでも今まで描いてきたわけでも強い動機がなんにもないにも関わらず)絵が掛けるようにな(って賞賛を受けるようにな)りたいな」なんてボヤキがWebにあふれる。

べつに「何ら主体的趣味を持たない」って罪でもなんでもないのにね。前述の戦後から高度成長期にかけて、そんな人々は、社会に出て飲む打つ買うを一巡経験したら、すぐさま「どうやったら異性に興味を持ってもらえるかレース」に回収されて、あまり悩む間もなく半強制的結婚させられ、身体に異常でもない限り速やかに子供ができて、子育て忙殺されるというスケジュールに打ち込まれていた。そうすれば「主体的趣味を持ってない」なんてことは遥か彼方にぶっ飛ばされて、問題意識すら持たないで済んだのにね(その後は、後輩や年少者に対して「結婚社会人の義務だ」とか「子育てはいいぞ」ってマウンティングして余生をすごせた)。

社会の多くの人にとって、「個人アイデンティティと紐付けられた強固な趣味邁進する人生強要苦痛だし、でもそれを拒否するにせよ趣味する余暇なく仕事を詰め込まれるのはもっと苦痛だ。多くの人にとっては自由が毒にしかなってない。そういう価値観の変遷に、オタクは巻き込まれちゃっただけなんだよね。

2018-11-03

anond:20181103184912

メディアって結局は広告を乗っける下請け業務ビジネス構造なわけだけど、広告費でメディア自身を維持することによって「広報力」というリソースを自社保持することが可能になるわけよね。このリソース財産に変換するモデルとして、「なんらかの財物を購入しておいて、後付でこの財物価値広報で盛り上げる。財物価値が高まったところで転売するなり、貸し出すなりして金銭を得る」っていうビジネスモデル発明された。

このモデルの主な戦場不動産で、鉄道(主に私鉄だが時にはJRも)とメディアテレビ新聞)と広告代理店の三位一体が我が世の春を謳歌したのが、バブルという時期だったわけ。そういう意味では西武も堤王国JR-SkySkyもチューチュートレイン森ビルも全部同じ文脈に属している。

2018-10-11

メインをメーンって言うの辞めない?

メーン会場、メーンキャスターといった言葉をよく聞く気はしないか

なんともなく間抜けな響きだ。

メーンって聞くとどうしても剣道の掛け声にしか思えない。

メインがメーンなら、ドメーンだし、チューチュートレーンだし、24時間戦うのはリゲーンだ。

これを何コレクトネスっていうのか知らないけど、浸透してる言葉を無理に直す必要はない。

なんでもかんでも統一しなくていいのよ。

メールメイルじゃなくてメールでいい。メインはメーンじゃなくてメインでいい。

規則にのっとらせたい症候群の皆さんは少し落ち着いていただきたい。

2018-01-15

丁寧語とは 【初級関西弁講座】

丁寧語とは、眼前の相手への敬意を表す言葉であって、単なる「敬語」という意味ではない。言ってみれば、部下が上司にする言葉遣いである。一方「しゃーない」はどちらかと言えば上位者から下位者になげかけられる男性語における関西弁俗流表現であり、軽い侮蔑語としての「アホか」に近いニュアンスすらある。「シャーナイヤン(1)」「シャーナイヤロ(2)」とか「シャーナイヤンケ(3)」「シャーナイチュートンノジャ(4)」など、「シャーナイ」のヴァリエーション(※1)を考えれば、ほとんど罵倒語ですらあるので、これを丁寧語にするというのがまず発想として奇妙である

また、コレを無理に「仕方ない」の意の丁寧表現と取るとしても、一般関西弁ネイティブ世界で、たとえば部下が上司に向かって”仕方ない”という自分感想を直接的に述べるシーンというのがまず想定しにくい。関西弁は非常に日本のものであるような文化体系に基づく言語なので、「仕方ない」出来事に遭遇したときには、出来事の「状態」を描写するよりも、古語のようにその状況に遭遇した「相手の心情」を慮って言葉が発せられ、これによって相手へのより強い敬意や遺憾の念を表現するのが普通からである。従って、「しゃーありません」などという妙な言い方は、ネイティブからは出てこない。これは、表面だけ関西弁だがハート関西弁ではない人間想像で喋るエセ関西弁である朝ドラなどで非常に頻繁に見られるが、イントネーションを似せれば似せるほど不気味の谷に近づいて違和感があるのでこういうのは本当に止めた方がいいと思う。(※2)

さて、ではネイティブはこういう場合なんと言うのか?

たとえば「上司契約を取るため条件を下げるよう上にかけあってきたが、社の方針ダメだと言われる状況に遭遇したときの部下の一言」を想定するならば、「コレ、ホン↓トニナン↓トモナラナ↑イン↓デスカネー…」が正解だ。やや棒読み最後を低く呟くように発音するのがコツである。「何ともならない」ことを分かった上で、敢えて相手の心の内を代理的に言語化する。一番「何ともならない」ことを分かっているのは上司だ、との了解の下で(棒読み口調によってこれは察せられる)敢えて一段自分を低め、道化となって「分からないフリ」をすることで、上司自身に「マアナラヘンナ/無理↑ヤ(=仕方ない)」と言わせるための一言である。これはかなり気を遣った「仕方ない」の関西弁による丁寧表現である。「仕方ない」とこちから言うのではなく、相手に「仕方ない」と分からせるために相手の心情を思い諮り、同時に敬意を表現する。こういう柔らかな「寄り添う言語としての日本語」の特長を、日本の伝統大事にされる方々には関東においてもぜひ日常的に取り入れてもらいたいと思うばかりである

また、もう少しカジュアルに(カジュアルという概念自体関西文化にはうまくそぐわないのだが)表現すると? たとえばちょっと丁寧に同格の同僚と喋るようなケースで「今後こういう傾向になっていくのはやっぱり『仕方ないですね』」という内容を言う場合どうなるか。その場合は、自立語ではなく付属語補助動詞表現することになるだろう。つまり、「ない」自体敬語化されるのではなく、「仕方ナイ↑デスネー」みたいな感じだ。女性表現としては、「仕方アリマセンネー」が考えられ、これは増田の想定に一番近いのだが、女性語の場合丁寧な社交の場では言葉関東弁に近づくケースがあるので(これについては谷崎潤一郎小説細雪」の中でも少し触れられている(※3))このようになる。

以上、増田の初級関西弁講座であるネタであることは言うまでもないので話半分に聞いておくように。ホナマタ

https://anond.hatelabo.jp/20180113124118

※1 厳密に言えば、「シャーナイ」とほぼ同義で使いうるのは「アホクサ/アホカイナ」である。前者は事態を、後者相手を軽くあしらい流すときに用いられる。ただ、このような間投詞的な「アホ」(詠嘆の「アホ」という)の用法は、シチュエーションにより様々な意味を含有するので、非ネイティブ使用するのに苦労する部分である。「アホ」は本来道化クラウン)を意味する言葉だが、同質性の高い世界において道化役は時に非常に重要役割を果たすものであり、それが関西文化圏では共通了解とされているため「あいつアホやな」という言葉批判ではなく、時に非常な敬意や褒め言葉になりうるし、また若年女子が用いる「アホっ」は、おおむねソフトな「I like you.」の意味了解されるのである

 なお、「ヤン(1)」~「チュートンノジャ(4)」に至る変化は、一見微妙に見えるがそれぞれ

「(1)仕方ないじゃないですか?(=だからあきらめて貰えませんか?(依願))」

「(2)仕方ないじゃないか?(=だからどうしようもないと考えなさい。(命令))」

「(3)仕方ないと私は言っているでしょう?(=ひょっとして言いがかりを付けて喧嘩したいのですか? 何ならお相手しますよ?(威嚇))」

「(4)仕方ないとこの私が言っているのだ。(殺すぞ(予告))」

…という意味となっており、特に(2)から(3)に変化したときは明らかに相手モードが変化しているので注意が必要である。親切なネイティブならば、語尾に「ヨォ」という威嚇語を追加し「シャーナイヤンケヨォ!」とメンチ(接近して目を合わせる威嚇のポーズ)とともに発音してくれるので、こちらは非ネイティブにも分かりやす表現となるが、できれば(3)を聞く前に第三者を介入させるか和解を申し出るのが望ましい。

※2 たとえば朝ドラなどで、番頭はんがお嬢さんに「仕方ナイデッシャロ」などという奇妙な関西弁を用いる「けったいな」シーンは容易に想像できる。このように関東人がエセ関西弁を振り回して「関東人の思う関西人」を演じているのは、実際典型的な「文化の盗用」であり、今後厳しく批判されていくことだろう。

※3 谷崎潤一郎細雪(上)」より。(舞台戦前なので、約80年前の話である。)

彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリ東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却って土地言葉を出すようにした。それに又、そう云えば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日夫人はいものおっとりとしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、――東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄がにわかに悪くなったように思えた。」

2016-01-17

渡辺直美

芸と華があって好きなのだが、マジで早死しそう。それと痩せたら多分かわいいのに、色々もったいないとも思う。

さぁ、ここで一曲聞いていただきましょう。中西圭三でチューチュートレイン

2016-01-07

英語精神論じゃないよ。

私は英国在住のおっさんである

今でこそ英国在住であるが、30歳の頃は外国人英語で話すなんてことは到底考えられなかったおっさんである

アクティビズム英語って出来ないんじゃなくて単にビビってるだけと思うのだけど」

http://daisuke-tsuchiya.hatenablog.com/entry/scary-learning-English

日本人英語ができない理由勇気積極性の欠如に求める話は昔からよく目にするが、私は精神論だけでは解決しないと思う。勇気の欠如を否定しているわけではなく、勇気が出ないことには理由があり、そこを解決せずに精神論帰結させても、一部の人以外はうまくいかないと思うのである

古い話でしか英語の話でもなく恐縮だが、むかし「要は勇気がないんでしょ」というエントリはてな村で大反響を読んだ。

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

アクティブなAが、彼女ができない非アクティブなBに説教する話である。Bは本当は彼女を作りたいのにいいと思ったコに思い切って声をかけることができない、いろいろ自分言い訳して傷つくのが怖いだけで要は勇気がないんでしょ。ダセェ、とそんな説教である。読ませる素晴らしい文章だと思うが、これも精神論である。Bが草食系だが爽やか青年で、本当に積極性だけでうまくいく可能性も確かにあり、エントリにおけるBはそのエントリの筆者なのでおそらくそのケースであったのだろう。しかし多くの現実はこうだ。Aはイケメンなので女と話をするのが得意であり好きである女性側も少なくとも悪い気はしない。Bは残念だがブサメンキモメンなので今のまま変な積極性を出してもうまくいかない。痛い奴、気持ち悪い奴と評判を立てられ、最悪コミュニティーにいられなくなる可能性もある。

想像してみれば簡単に分かると思う。明らかにそういうタイプでない男が、何に影響されたのか、変に積極性を出して女性にどんどん声をかけているその姿を。痛いよね。男も女もお互いにツライよね。勇気がどうという精神論だけの話ではないのだ。簡単に想像できる話であり、だからこそ多くの彼女なしは積極性が出ないのである。もちろん積極性「だけ」で好転する例も否定しない。そういう例もあるだろう。しかしながら多くの彼女なしは、根本原因(の中で変えられる部分)にアプローチしないと、精神論積極性を出せといっても多くは出ないし、無理矢理出してもツライ結果になる。女性に声をかけても嫌がられない、おかしくない程度のおしゃれと会話、要するに最低限の「雰囲気」を身につける努力を、勇気を出すことと両輪でする必要があるだろう。

大きく脱線した。英語の話だった。

何故上の例を挙げたかというと、多くの日本人勇気積極性だけ出して外国人に話しかけにいっても、それは長続きしないと思うからだ。ナンパ告白よりずっとハードルが低いのでどんどん試して欲しいが、多くの人は続かない。何故か。ここが大事だ。「多くの日本人単語を並べて意思表示はできるが、それに対する相手の返答が聞き取れないから会話にならない」からだ。

俗に「日本人は過剰に間違いを気にするから英語が話せない」と言われる。まったく納得できない。会話で間違いを気にするレベルに達している人がどれだけいる?多くの人は間違いを気にするレベルではなく、会話が成立するかを気にしているのだ。

冒頭のエントリはこう言っている。

>既に日本人て話すためのスキルって持ってるんです。少なくとも日常会話レベルであれば。結構多いのが「言ってることわかるけど、どう返したらわからない。」ってヤツです。

私はむしろ逆だと思う。どちらかひとつと言われたら、聞き取れないことこそが問題だ。「パードゥン?」で1度はよい。2度聞き返してもなお分からない。どうする?打つ手なしである。ジ・エンドである。気まずい雰囲気だけ残して会話は終了。必要なことを聞くだけならできるよ。駅はどっちですか。指してもらえばいいし、最悪筆談だっていい。でもそれは一方的必要なことを聞いているだけで会話とは言わない。

英語圏旅行に行く人、入国管理官の言っていること聞き取れますか?スーパーでは?マクドナルドでは?使われているのは全部知っている単語だ。でも。聞き取れない。話すほうは勇気でなんとかなっても聞くほうは勇気ではなんともならないのだ。

あなた会社パーティーに出ました。フィリピンの子会社から日本にはじめてきたマネージャーが出席していますが、日本語ができないので端で寂しそうにしています最近英語勉強し始めたあなたビビらず話かけました。

あなたマイネイムイズタローヤマダ。ナイストゥーミーチュー」

カルロ「ハイヤマダサンアイムカルロ。ナイストゥーミーチュートゥー。ハウアーユドゥーイング?ハウズエブリシンゴーイン」

あなた「(?エブリシンゴーイン?何だ?良く分からん。。。)サンキューサンキュー。」

カルロ「(??)(気を取り直して)ディヂューXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」

あなた「パ、パードゥン?」

カルロ「ディヂュースペンXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXリデーXXXXXXXXXXXXXXXXX?」

あなた「(やべ、また分からない)パ、パードゥン?」

カルロ「(イライラしながら)ディド ユー スペンド XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX?」

あなた・・・・。」

カルロ「・・・・。」

こんな感じになると思う。日本人単語を知っていても発音カタカナイメージしているので、実際にはかけ離れている発音に慣れないと聞き取れないことが非常に多い。ネイティブほどゆっくりしゃべることは苦手だし、本人はゆっくりしゃべっているつもりでもゆっくりなのは最初の3単語くらいである。何度聞き返しても聞き取れない。一度目のパードゥン?はいい。2度目は相当厳しい。そして2度目でも聞き取れなかったら会話は終わりである。このきまずいツライ会話を多くこなしていくことだけでは英語は上達しない。100回もこなせば上達すると思うがそれまでに嫌になってしまうだけだし、機会も限られている。

繰り返す。話すほうは勇気でなんとかなっても聞くほうは勇気ではなんともならないのだ。

必要なのはもう少しリスニングスキルを高めること。本当の初歩、本当に簡単な会話でよいので、ネイティブ日常会話の発音理解できるトレーニングをすることが大事なのだと思う。それは英会話学校でもいいがとにかく料金が高いので、スカイプ英会話がよいだろう。だが(上のカルロと違って)ゆっくり何度でも話してくれるフィリピンの人の講師でもハードルが高く続かない人も多いだろう。アプリゲームなんかでよい。一文の英語をきちんと聞き取って書けるまで20回でも50回でも聞き返すことが大事で、ゆえに聞き返しの使い勝手がよいことが何より大事だ。CD音源などだとこの聞き返しが難しい。

この最初リスクニングの壁を越えること、挨拶バリュエーションと挨拶に続く幾つかの典型的な会話、趣味とか休暇はどこに行ったのかとか(多くの外国人は休暇のすごし方の話が大好きだ)、スポーツは何をやるのかなどを聞き取ることが多くの日本人にはできず、だから日本人日常会話レベル英会話もできない。多くの人にとって勇気だけでは解決しない問題となっているのだ。

2014-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20140121181527

満足した豚であるよりは不満足な人間であるほうがよく、

満足した愚か者であるよりは不満足なソクラテスであるほうがよい。

ジョン・スチュートミル言葉らしいです。

いまこそ立ち上がれ

2012-04-11

24時間テレビ愛は地球

を救う~絆・再生

日本の絆を今再び取り

戻そう!島田紳助全力

疾走!!つるの上地雄輔

イラ達…父ちゃん

帰りをずっと待ってた

徳光・東国原羽鳥

涙…日本中の絆コール

お帰りなさい紳助さん

日本復活を背負い激走

和田AKBベッキー

全力サポートさら

韓国からも緊急出演!!

少女時代日本再生

為に大熱唱!今田品川

庄司ピースも熱狂中継

▽9:00頃 スペシャル

ドラマ冤罪~全てを

失った息子…それでも

人はやり直せる!親子

の絆再生闘争500日」

泉ピン子 速水もこみ

ち 木下優樹菜 矢口

真里 ラサール石井

11:00頃 紳助応援に

続々…くりぃむ&ネプ

チュート!今夜遂に

ロンブー淳ギリギリ

2010-01-07

私がノンスタ優勝を心から祝福できない理由

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20100105/A

たいへん読み応えのある面白いM-1評で、納得できる点も多々ありました。

そして拝読後、真っ先に感じたのは、「このM-1評に納得し大いに感心する一方で、toroneiさんが大プッシュし『過去最高のチャンピオン』とまで賞賛するノンスタに依然としてモヤモヤした気持ちが残るのは何故だろう?」という点でした。


この点について考えてみたところ、出たのはバカみたいに単純な答えです。

私にとって08年優勝時のノンスタが、面白さ<努力の痕跡に見えてしまったこと。これが問題だったわけです。


M-1出場者はとんでもない量の努力をしている。

これは、想像力がよほど欠如した人でもない限り誰でも簡単に推し量れることです。

M-1には、劇場で普段やっているよりもずっと短い4分間で漫才を疲労しなければならないというルールがあります(しかも時間超過したら減点されるというシビアさ!)。予選時には更に短い2分間でのネタ披露も要求されます。この時点で、出場する芸人には「普段のネタを抜粋・再構成する」あるいは「普段より格段に短いネタを新規に作る」努力が要求されます。これだけで相当な労力だと思うのですが、勿論そのネタは抜群に面白いものでなければならず、かつ実演の際も非常に高いパフォーマンスを求められます。

近年では「4分間という非常に限られた時間の中に幾つの手数を盛り込むか」が争点となっていると語られていました。とすると、極力無駄を削りつつ、かつ話の流れや設定はは容易に伝わるようにし、その上で笑いどころを可能な限り増やしていくことが課題となるわけです。それを実現するなど一体どれほどの努力が必要か、素人の私は気が遠くなる思いです。

もっと単純なことで言えば、「4分間×2の台詞完璧に暗記」し、「一度も噛まず言い澱まず、適切な声量で聞き取りやすく、必要であれば大小のアクションを交え、最善のテンポと間合いを崩すことなく自分セリフを披露」し、「以上のことを、ただでさえ緊張するのにゴールデンタイムTVで大先輩が睨みを利かすという苛烈な状況下でも確実に完遂」する――こんなことを一体どれだけの人ができるか。それを考えるだけでも、出場者たちの並々ならぬ努力は簡単に想像できるはずです。


歴代のチャンピオン努力について思いを馳せてみましょう。

初年度で何も解らない手探りの状態で、優勝候補というプレッシャーだけしっかり課せられて戦った(中川家)。ラストチャンスに加え、非吉本という重圧(ますだおかだアンタッチャブル)。コンビ暦が浅く、前コンビでは両者がボケ担当だったところから漫才を再構築した(フットボールアワー)。優勝前にすっかり売れっ子になってしまい多忙を極める中での挑戦(アンタ)。ネタの内容・構造を大きく変えた(ブラックマヨネーズチュートリアル)。大会も知名度を高め「強豪」が定着する中、ほぼ無名状態で優勝をさらった(ブラマヨサンドウィッチマン)。過去に低評価を受けたというマイナス実績を背負い、その汚名をきっちり返上した(フットチュート)。超弱小事務所所属に加え、敗者復活戦からの出場で本番への準備もままならなかった(サンド)。

それぞれが重荷を背負った中で、M-1の大舞台漫才をしました。そしてその漫才は、ネタパフォーマンスともに素晴らしい出来であった。何の努力もなしにできることではありません。

「そこそこにお笑い好き」である私は、彼らが優勝目指してその年のM-1に挑んだとき、上記の情報を既に知っていました。

しかし、少なくとも個人的には、彼らのネタ中、「彼らの努力」について思いを馳せることはありませんでした。

例えばブラマヨネタ中、私の頭の中を占めていたのは、「ヘイヘイオーライとかやってた人たちが、よくぞこんなに面白いネタを作ったなあ。すごい進歩だなあ」「これだけの台詞量を、こんなに噛まずに滑舌よくできて凄いなあ。しかも後半に行くにつれてどんどん怒鳴り合いか、素晴らしいスタミナと集中力だなあ」というようなことでは一切なく、「おもしれえええwwwwwwwwww」「村上ファンドwwwwww鮭よりハチミツwwwwwwwwwwwwwwバカスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」というようなことであったわけです。感慨や賞賛は、ネタがすっかり終わった後にじわじわと湧いてきました。

08年。私はノンスタネタを観ていました。

ノンスタのことは、大ファンとかイチオシではありませんでしたが、低温ながら応援していました。やっと出られたか。良かったなああ。面白いのをやってくれるといいな。去年の敗者復活はそれまでの年よりかなり面白かったよな。でもボケの細い子、繊細そうだから緊張しそうだな、心配だな。頑張れよ。大会前、そんな風に思っていました。

そしてネタ中、私の頭の中を占めていたのは「よく出来たネタだな」「2度ボケシステム、よく考えたな」「凄い頑張ってるな」ということでした。

私は、ノンスタを、その工夫を、ネタの出来の良さを、練習量が凄まじいものであろうことを、並外れた努力を、即時に認めて評価し、賞賛し、あまり笑えませんでした。


何言うてんねん。俺らは楽しそうにみせてナンボやろ。真面目なとこなんか見せてどないすんねん

これはかつて明石家さんまが、「芸人は軽く見られる。裏ではたいへんな努力をしているのに」と愚痴をこぼした品川祐に向かって言った言葉です。

努力の痕跡」と「笑い」は食い合わせが悪い。少なくとも、努力の痕跡は笑いにとって「ノイズ」です。私たちは「一生懸命に必死で頑張っている人を笑う」ようなことを「いけないこと」だと教えられて育っているのですから。

お笑い芸人は何の努力もせずテキトーにやって笑いを取っている」などと考える無神経な人はそうそういないでしょう。私たちの多くは、さんまさんをはじめとする芸人たちが才能のみならず不断努力によって「私たちをコンスタントに笑わせてくれる」という状態を生み出していることを知っています。裏返せば、それでも私たちが芸人を見て笑えるということは、「努力の痕跡を見せないようにできることが(一流の)お笑い芸人の条件である」とも言えるのではないでしょうか。


08年M-1は、かつてなく優勝者に不満があがった年でした。toroneiさんは「お笑いファンは皆ノンスタ優勝という結果に納得している」と書かれていましたが、実際はやはり「ノンスタが優勝?え?」という声が非常に多かったと思います。そして私もその一人です。

しかし、私は決して、ノンスタネタが悪かった、つまらなかったと言っているのではないのです。彼らは優れたネタパフォーマンスを披露したが、「頑張り」がそれを上回って伝わるような出来に見えたため、残念ながら「高評価だが笑えない」という結果になってしまったと言っているのです。そして、それまでの優勝者が成し遂げてきた、公然の事実である「血の滲むような努力」を舞台上では見せない、あるいはすっかり忘れさせてしまう、という「努力」を怠った(もしくはそれを成し遂げる力が不足していた)コンビを優勝者に選んだという点においてM-1違和感を抱いたのです。

2009-03-24

http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20090323/1237743581

1億人のチューチュートレインは、50cm間隔だと軸長が5万キロメートルになる。これは地球の赤道を1周と1/4する。したがって地上でチューチュートレインをやっても、その全貌を見ることは出来ない。仮に宇宙空間で出来たとしても全員に一糸乱れぬ動きをさせるには、同期の問題が発生する。

5万キロメートルは、光の速さでも1/6秒かかる。したがって、端でそろった動きを見るためには、光の遅延を勘案した動作指示が必要になる。

なお、パースペクティブの影響を緩和するには、端からある程度の距離をとったほうがいい。たとえば、地球・月間の距離程度は必要であろう。

2009-03-07

エグザイル増員って。

エグザイルに全く興味がないジェネレーションなんですけどー。

どの層がファンなんだ、誰がCD買ってるんだ、と思ってるんですけどー。

増員って。

モー娘か、と私も他のたくさんの人と同じように思いました。

エグザイルってさ、目新しいことを一つもやらない人たちっていう印象なんだけど、そのあたりどうなんだろう?

だって、一番ヒットしたのってチューチュートレインとかじゃないのか。

ATSUSHI(でしたっけ。歌のうまい方)が、途中で加入してもとから居た男前だけど歌はイマイチな人がいなくなって、ヤングイケメン(歌は発展途上)が入って、っていうのは一応知ってるんですけど。

今度、ネスミスと一緒になるんでしょ?

じゃあ、ATSUSHIネスミスでいいじゃん。

むしろ二人にしてしまえばいいのに。

で、いまさらケミストリーと対決すればいいのに。

わたしがエグザイルを受け入れられないのは、踊る人たちに何の意味が?と思ってしまうからなんだろうなぁー。

これと同様に、なんかラップの人たちで楽器いないのに10人くらい居るひとたち、あれも「リストラせんかい」と思って見ているんだけど。

だって、リップスライムはさ、全員の声のタイプが全然違ってて、全員に「居る必要がある」のはわかるのよ。あれは、あんだけいないとダメ音楽だと思うんだけど。

10人くらい居るひとたちって、全員ユニゾンがほとんどじゃん。

・・せめて半分でよくね?

あれは、「え、デビューすんの?じゃあ俺もいれといて。バイトクビになっちゃったし」的な感じで増殖したとしか思えん。

はい。で、エグザイルの話に戻そう。

14人になったけど、これがきっとどんどん減ると思うんです。

だって、やっぱさー「俺がここに居る意味って?」って思うじゃん、人間って。

14人いると、小さい学校の1クラスだしね。

私の予想は年末か、年明けに一人減る。だな。

ま、そこまでエグザイルが今の調子かどうかも疑問だけど。

2008-03-18

論理理論の違い 参考図書

http://anond.hatelabo.jp/20080316210124

増田だけど、ブクマありがとう

どんなものでも反応をもらえるのは、やっぱりうれしい。

読み返してみると、たしかに省略が多いかもしれないと思う。

かといって、続きを書く気力はないのだ。

続きに関しては、ちゃんとした書籍に任せたいと思う。

2冊挙げたので、興味の湧いた方はどうぞ。

参考図書

・[新版] MBAクリティカルシンキング/グロービス・マネジメント・インスティチュート

因果関係や、論理の基本について書かれてる。

最近増田流行の、児童ポルノは児童への暴行事件を増やすか?

といったことへの理解も深まる。ハードカバーで値が張るのが玉に傷。

・創造の方法学/高根 正昭

仰々しいタイトルだけど、中身は社会科学分野を事例にして、

科学」や「理論」が何であるかを解説した本。

社会科学研究方法の、ごくごく基礎的な考え方を知るためにもいい。

すごく分かりやすいし、すぐ読める。そして安い。

けど、余談ながら、この本を読んでも「創造力」は身につかない。

タイトルがこんななのは、たぶん、この本が書かれた頃の日本では、

日本人欧米の技術のサルマネや改良が得意で、

新しいものを一から作り出す「創造力」がない、

なんて議論が盛んだったせい。

要するにこの本のタイトルは売り込み過剰だってこと。

今となってはタイトルで損してる、掘り出しものな一冊なのだ。

2007-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20071208224920

「自分の小さな「箱」から脱出する方法」アービンジャー インスティチュート

ニュースサイトとか書評ブログで紹介されてて夏頃に読んでみた。

人間関係がうまくいかない原因が書かれている。

読んだ後は家族との付き合い方がちょっと変わった。いい方向に。


amazonとかmixi書評でもたくさん取り上げられてるからそっちの紹介文も読んでみるといいかも。

2007-08-23

タバコたばこ煙草

タバコはなぜ今も売られてるか、教えてあげよう

タバコ警告表示-EU

受動喫煙に関する誤謬報道事件 - Wikipedia

中絶・abortion・

「母親としてあるべき愛情が見いだせない」「自己の欲望や幸福を満たすためには子供の命を犠牲にしても構わないという、母親としては考えられない自己中心的で身勝手極まりない動機」懲役14年

差別・discrimination

世界一人権のないインドの不可触賎民

カースト - Wikipedia

基本的な4つのカースト(ヴァルナ・四姓)

ブラフミン(サンスクリットブラーマナ、音写して婆羅門(バラモン))

神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。ブラフマンと同様の力を持つと言われる。「司祭」とも翻訳される。

クシャトリア(クシャトリヤ)

王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。

アイシャ(ヴァイシャ)

商業製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。

スードラ(シュードラ)

一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことが出来る。スードラはブラフミンの影にすら触れることはできない。「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。

カースト以下の身分

カースト下の人々もおりアチュートという。「不可触賎民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。力がなくヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々である。にも拘らず1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。彼ら自身は、自分たちのことを『ダリット Dalit』と呼ぶ。ダリットとは壊された民(Broken People)という意味で、近年、ダリット人権を求める動きが顕著となっている。


天然資源・漁業

 
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