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はてなキーワード: 昼ごはんとは

2024-07-23

昼飯から夜飯までの時間、長すぎる

12時半に飯食べたら18時にはお腹空くけど、家帰ってご飯作って食べたら20時じゃん

朝ごはんから昼ごはんまでに比べて時間が長すぎない??みんなどうしてるんだよ

2024-07-20

ねぎらってほしい

つらい

追記

ありがとう!元気出して洗濯物干してトイレ掃除して子供勉強見て昼ごはん作って害虫駆除してくる!

2024-06-27

anond:20240627135805

昔の記憶だけど、長野の親戚の家に行くと男はひたすら飲み食いしてて女はひたすらその支度をしてるって感じで凄かった。

朝ごはんお茶昼ごはんお茶夜ご飯 みたいな感じ。ずっと食ってる。

男の仕事サラリーマン

2024-06-13

出社のモチベを10個考える

…帰りに買い物する

会社近くのコンビニでお昼ごはんと朝食、ちょっとぜいたくする

もう時間がない

家をでてから考える…

2024-06-11

コレステロールが急激に上がりやすくなってしまったので、代替肉とかヴィーガンメニューなども、現実的食事選択肢になってくる。

和食脂肪分やトランス脂肪酸が少なくて、本当に良い。

昼ごはん蕎麦そうめん冷奴オールブランなどにするだけでも、食事改善に繋がる。

2024-06-07

買ってきた🐟で昼ごはん作るぞ→猫に台無しにされる

ウーバーイーツでいいんじゃない?→猫に台無しにされる

2024-06-03

小並感日記

今日は、月曜なので怠かったのですが、なんとか仕事を始めることができました。朝はとても眠かったです。出勤すると、デスクの上にたくさんの書類がありました。どれから手をつけるか迷いました。最初簡単仕事を片付けました。少しずつやる気が出てきました。

途中から激しい雨が降り、雷が鳴り響きました。窓の外を見ると、真っ暗な雲が空を覆っていました。風も強くなり、木々が激しく揺れていました。外に出るのが怖くなりました。昼休みに外出する予定でしたが、やめることにしました。社内のカフェテリアでお昼ごはんを食べました。雨の音がとても大きく、会話が聞こえにくかったです。午後も仕事が続きました。

夕方になると、雨はやっと止みました。でも、地面はびしょびしょでした。帰り道で足元が滑りそうになりました。気をつけて歩きました。家に着くと、疲れてすぐにお風呂に入りました。今日は一日中しかったです。

明日は何が起こるかな、起こらないかな。

2024-05-24

20歳中途採用のおじさん(40〜50)に奢ってた話

10年前、20歳だったが「先輩が奢る」ってマイルールに則り

中途で入ってきたおっさん(40-50くらい)に奢ってた。

中肉で背が170〜180くらいで、目はぱっちりしていて、いつもキョトンとした顔をしている人だった。


波平みたいな髪型で、顔と頭がいつもテカテカしていた。未経験サービス業転職したとのことだった。

その年齢で異業種転向する気概がすごいと思った。

理屈っぽいが丁寧な方だなと思った。

なんとなく、男社会はいじめられそうな人だなと思った。


私は当時言い寄られることが多かったので、自分の振る舞いに気をつけようと思った。



過疎地で、近くにコンビニスーパーはない。食堂はあるが、わかりにくい場所にある。

私が前の先輩にそうしてもらったように、私から昼ごはん一緒にいきますか?」と誘った。

※私と中途おっさんけが社員で他はバイトしかいない



それから5日かけて、昼休み1時間範囲内の食堂を紹介した。

最初こそ「(奢ってくれて)ありがとうございます」って言ってくれた。

が、

2回目以降は言わなくなった。食事代が経費で落ちると思われた…?

私が「仕事は慣れましたか?」と聞くと、既に業務上武勇伝ができたらしく、この業界ではこうすることが大事で〜、このやり方でやるのは古い、等と語っていた。

自信があるのはいいことだ。



1時間いっぱい話聞いてるの辛いのと、お財布も気になってきたので、

6日目の昼休みは声をかけなかった。

休みになると中途のおじさんはソワソワしてこっちを見て、私に声をかけられるのを待っていた。

私は中途おじさんと目を合わせないように事務所を出るつもりだったが、私が立ち上がるのに合わせて中途おじさんが着いてきた。

非常に心苦しかったが、「ァ…、今日は私だけで食べにいきますんで。すいません。」と、振り返りざまに言った。

中途おじさんは一瞬だけ戸惑ってたような気がするが、「あ、そうですか」とあっさりしたものだった。

罪悪感もあり、すごい申し訳なかったが、さすがに40代か。大人安心した。




2週間ほど経ち、飲み会があった。

食事代は会社から出る。が、タクシー代は私が全部出した。

バイトちゃん1「○○さんありがとうございます♪」

バイトちゃん2「ありがとうございます〜♪」

バイトちゃん3「ありがとうございます♪」

中途おじさん「あ、ありがとうございます

タクシー代がけっこう高かったのと、

中途おじさんが先日、バイトちゃん達に自分の持ち物を自慢していたのを思い出して、ちょっとイラっとした。

中途おじさんは趣味カメラを持ち歩いていて、バイトちゃんに「高いですね〜!」と言われてドヤ顔していた。



中途おじさん以外全員20代女性だったので、みんなノースリーブワンピースなど、好きな格好をしていた。私もノースリーブだった。


すると中途おじさんが肩に手をまわしてきて

ペタ・・・と触れてきた。

手が冷たくて湿ってる。粘度を感じる。カエルを触った時と同じ感触だ。と思った瞬間に、中途おじさんはサッと手を引っ込めた。


どうすればいいのかわからない。これくらい普通だと言われたらそれまでだ。

逆ギレされるかもしれない。

肩くらいで自意識過剰だと思われたら恥ずかしい。

色んな気持ちがあったが「この世代のオッさんだから悪気はないだろうな…」と飲み込んで、カーディガン羽織った。



そのあと、自分Twitterアカウントを全員に教えてまわっていたり(一人称イラアカウント名がひろっち(仮))

私と私の彼氏と中途おじさんで3人でデートしたり、

事務所のど真ん中で私と中途おじさんで大声で喧嘩したり、

中途おじさんが他の男性社員に傘を買ってもらったり、

他の支店40代女性社員と付き合って別れたり、

いろいろあったが2、3年くらいで中途おじさんは辞めたらしい。



その後、SNSで見かけたが

この業界ベテランです!といって新人アドバイスリプライして回るおじさんになっていた。…。

2024-05-23

出勤しても在宅してもムラムラする

ありえない。

在宅勤務だと昼ごはん食べた後ムラムラしてオナニーしてしまうからちゃんとしようと思って出社してもオフィスでめちゃくちゃムラムラする。

顔が好みの先輩をチラチラ見てしまう、この人はどんなセックスするんだろうってめちゃくちゃ想像してしまう。

付き合って欲しい、彼氏になって欲しいです。

この人の彼女になりたい、ってめちゃくちゃ想像してしまう。

他の同僚にムラついた時もあったし、もうこれ会社お荷物というか癌だよ。

ただ、社内の風紀は乱さないという美学があるため誰にも手を出してなくて偉いと思う。

社内セックススペシャリスト友達に、社内セクについて聞いたら「やめておいた方がいい」と言っていた。

はい…。順当に付き合って段階踏んでドキドキしながら初エッチをするんだ!

2024-05-19

労働人口のうち会社員は60%くらいなんだよね

残りの40%に属するワイは産休育休バトルに参加できなくてさみしい

みんな相手してくんないからお昼ごはんでも作るわ

2024-05-16

知らん人と会うの怖すぎ

withっていうマッチングアプリ興味本位で始めて、しばらくトーク続いてた人と今日会ったんだけど完全に半グレの人で怖くなって途中帰宅した

お昼一緒に食べてお茶でもしましょう!って事前に言ってて

しかったらまあ晩ご飯も一緒に食べようと思いながら会いに行ったんだけど

なんか投資とか怪しい商売の話ばっかりされて本当に怖かった

見た目が怖そうな人ならまだ分かりやすいんだけど

その人は写真も実際に会ったときの見た目も普通の細身の人でさ

そんな胡散臭い話してくるタイプじゃないと思ってたから驚いた

本当に普通の、センター分けで大学生っぽい見た目の人だった

「僕の知り合いの社長ビジネスやっててそれが億単位利益出るんだよ」とか

「インスタに〇〇さんっていう有名な人がいて僕はその人から月〇万円でノウハウを聞いてるンスよ」

「すごい儲かる副業をやってる。大手サラリーマンより圧倒的に稼げる。物を受け渡しするだけ」

「今度タワマンパーティーがあるから一緒に行きませんか?」とか

昼ごはん食べながらそんな話されて「うわ、ややこしい人だ…」と内心ビビりながら必死でかわし方考えてた

関わり合いになったら駄目な人じゃん!

トークではPerfumeとかK-POP大好きって言ってたのに全然そんな話しなかったしさ

分からんASMR?環境音?みたいなのオススメされたよ ふざけんなよマジで

お茶し終わったときドライブとかどうですか?って聞かれたから「このあと家庭の用事あるのですみません😭」って言って逃げた

あと写真も撮ろーとか言われたけどそれもやんわり断った ツーショット写真所有されるの嫌すぎる

チアプ、男の人が夜職の女の子にぼったくられるみたいな話はよく聞くけど

こういうパターンもあるんだね

やっぱアプリって怖いよ なんで顔写真とか載せちゃったんだろう?帰ってからすぐアンインストールした

皆平気で人と会ってるの怖すぎ 増田婚活頑張ってる人たちは皆無事なのか?

2024-05-09

ただの日記

朝起きる。ちょっと寒かった。

洗濯して、風呂に入る。

可燃ごみの日だったので、出勤のついでに出してくる。

午前の仕事特に問題はない。

昼ごはん焼きそば

午後の仕事特に問題はない。

帰宅

増田をみる。いつも通り不毛なやりとりが流れている。

Udemyで初めて課金する。受講は明日にする。

晩酌して寝る準備をする。

この日記を書く。

寝る。

おやすみなさい。

2024-04-21

育休中の夫の過ごし方おしえて

増田(夫側)の育休前までの状況

子供男の子、生後2か月くらい

・在宅勤務で平日もなるべく育児している

・在宅といえど仕事なので、お昼休みや、19時から深夜1時あたりまでしかお世話できていない

オムツ替え、授乳、寝かしつけ(背中スイッチと奮闘中)、沐浴、保湿、着替えなどは生まれから毎日やっている

・妻はあんまり家事マメタイプではなく、お昼ごはん、晩ごはん作り、食器洗い、買い出し、ゴミ出し、洗濯など諸々は昔から自分担当しているので問題なし。

・正直、掃除には手が回せていない

・妻は仕事していないので家にいる

育休期間は一週間。そのあとGWと繋がるので、しばらく頑張るつもり

この状況で、育休に突入した私に、どういう過ごし方を期待します?

育児以外とかの視点でもOK

ちなみに来週水曜日の午前中だけ、リフレッシュのためにスポーツの予定を入れたら嫌な顔をされたのでキャンセルしました。ちょっと悲しい。

粉骨砕身で家のためにね。余す所なく時間使わないとね…。

2024-04-17

僕のおじさんは変な癖を持っている

それは「ここ」を「そこ」って言うことで、「そこ」を「ここ」と言ってしまうこと。

ややこしいことなのだけど、どういうことか分かりやす説明しよう。

例えば僕とおじさんが一緒に歩いていて、昼ごはんをどこかで一緒に食べようという流れになったとする。

するとおじさんは「そこで食べよう」と言うので、僕は10メートぐらい先にある〇クドナルドのことかと思って「ああ、うん」なんて肩を落としながら返事をするとおじさんは体の向きを変えてすぐ横にあるステーキハウスに入っていく。

「え?おじさん、そこの店じゃないの?」

僕が訊くとおじさんはここでこう言うんだ。

「だから言ったろ。そこの店にしようって」

こんなおじさんだからトラブルはつきもので、タクシーを利用するときもそうだ。

だって「ここでおろしてくれ」とおじさんが言ったとしよう。

すると当然タクシーはその場で停まるわけだ。

でもおじさんはそれに怒る。

「なんで停まる!?ここで降ろしてくれと言っているだろ!」と怒鳴り散らすんだ。

運転手さんのほうも負けじと「だから、ここで停まったんでしょうが!?」と反論するもののおじさんは納得しない。

でも正しいのは運転手さんの方かもしれない。

おじさんにとっての「ここ」は運転手さん、いや世間の言うところの「ここ」じゃなくって、「そこ」なんだから

僕たちの感覚で言えば「そこ」っていうのはおそらく「ここ」より先の方で、もしかしたら通り過ぎてしまった「そこ」かもしれない。

おじさんが言葉の使い方を間違えているといってしまえばそれだけのことかもしれない。

でもおじさんは自分の「ここ」と「そこ」の使い方が間違っているとは思っておらず、かといって誤解されようとも直そうとしているのを見たことがない。

これでもう十二分にわかってもらえたと思うけど、とにかくおじさんは変人だ。

でも偏見を持って言えば、研究者にはそういう人が多いって聞く。

からおじさんもそういった人なのかな、と僕は思うようにしている。根はいい人だからね。

2024-04-13

共同親権の導入で夫婦間のパワーバランスが完全に崩れる

父親しろ母親しろ、「子供が何よりも愛おしくて、何よりも大事」ということについてはあまり反論も無いかと思う。

もちろん自分の子供をないがしろにしてネグレクトするような親もいるが、圧倒的多数の家庭では男親にとっても女親にとってもやはり自分の子供が1番可愛いし、特別存在なのである。なんなら「子供が救われるのであれば、自分の命もいらない」みたいな人も沢山いる。

まり

1.男親にとっても女親にとっても1番大事なのは子供

この条件は大多数の家庭で成立するはずだ。

そして次。

2.離婚したら今の日本では特別事情がない限り女親が親権を持つ

これも事実であるネグレクトや何かしらの障害など特別事情がない限りほぼ女親が親権を持つのが今の日本である母親不倫して離婚騒動になったのに、親権まで持っていかれて父親自殺してしまうような事例もある。

この、1.2の条件が組み合わさるとどうなるかと言うと、「どんなにヤバい嫁でも離婚できない」という状況が産まれるのである

増田奥さん結婚と同時に退職しその後専業主婦という名のニートを2年続け妊娠出産

出産後働かないのは良いとしても、朝は低血圧を口実に起きてこず、子供の送り出しを増田が行い、午前中いっぱいは昼寝しているかNetflixを見ているかである自分昼ごはんはウーバーイーツで全部済ませ、家事といえば晩御飯を作るくらいであとは全て増田と近所に住む実母と家事代行任せ。

実家が近いため、増田出張会食その他で夜居ない日にはこれ幸いとばかりに実家子供を預けて友達と飲みに出たり、そこそこの頻度で独身の友人と海外旅行に行くなどし、習い事も送り迎えは全て増田

苦言を言うとすぐ喧嘩になり、子供を連れて実家に立て篭もることを繰り返している。

でも、こんな状況でも離婚するとなると母親親権を持っていかれてしまうのが日本なのだ。「そんなこと言うなら離婚しよう。親権は渡さないからね」の一言で、父親はもう、何も言い返せなくなるんだよね。だって離婚したら親権を取られちゃうから子供と離れたくないのであれば、どんな母親であろうと我慢して結婚生活を続けるしかないのだ。

増田会社はいわゆる大手企業で平均年収1,000万を越えるような会社なのだけど、同僚は専業主婦奥さんに財布を握られていて、月の小遣いがランチ代込みで3万円である

新入社員が入ってくる今頃の時期は頻繁に飲み会も発生するし、そういう場合は大抵どこの会社でも新入社員から会費を取らないのが普通だと思うが、その同僚は「言っておくけど、俺はお前ら新入社員より貧乏なんだからな。月の小遣い3万円だぞ」と言って笑いを取っている。

そんな風に見かけ上は明るく振る舞っているけど、実際のところは何度も何度も離婚を考えているらしい。ただし話し合いになると相手ヒステリーを起こし、「離婚」と言うカードを見せびらかしてくるのでもう何も言えない関係になってしまったそうだ。「嫁にはもう何の感情もないけど、子供が大きくなるまでは諦めてる。中学生くらいになったら離婚しようかな」と自嘲気味に笑う。

ヤバい旦那」のエピソードSNSに頻繁に流れてくるけど、「ヤバい嫁」のエピソードがそれほど流れてこないのは、単純に「旦那」側は仕事その他で忙しく、発信してる暇すら無いかである可視化されていない「ヤバい嫁」は相当数存在するはずだし、増田のように「離婚したいけど子供人質に取られてて離婚できない」と言う世帯日本には何十万、何百万とあるのではないかと思っているのだけど、共同親権一般化し、「離婚後の親子関係がどうなるかは全て母親のさじ加減」という現状が改善されたら嬉々として離婚選択する家庭が爆増するのではないかと思っているし、早くそうなって欲しいと願っている。

現状では子供人質に取れる母親パワーバランスが偏りすぎてるんだよ。こんなのめちゃくちゃだよ。

追記

「なぜ父親単独親権ではなく共同親権を求めるのか」という部分について。

そりゃあ増田ひとりで育てあげられるなら自分ひとりで育てたいよ。

でも仕事がある。増田会社は書いた通りそれなりの大企業収入も高めとはいえ仕事はそこそこハードだ。

本文中に書いた通り出張夜の会食もある。

時短勤務にしたら収入が激減するだろうし、収入の低下を受け入れて時間の融通がきく仕事転職したとしても子どもに相当な我慢負担が発生するのは目に見えている。

そしてこれも本文に書いた内容で少し読み取れるかもしれないが、奥さん実家が太いのだ。

義理父親経営者で現役で働いており、専業主婦義母甲斐甲斐しく奥さんの世話を焼いている。

増田奥さん喧嘩して実家に転がり込むのを喜んでいるフシもある。

奥さんが気軽に「じゃあ離婚ね」という言葉を口にするのは「離婚しても自分大丈夫」という自信があるからだろうし、それは事実そうなのだ

子どもの面倒は義母が見るし、お金は義父からいくらでも出て来る。都内に、夫婦では持てあますサイズ一戸建てがある。

問題があるとすれば父親のいない家庭で母親は留守がち、義父と義母に育てられるような環境子どもちゃんと育つのか、という部分で、

それが増田離婚に踏み切らせないひとつの大きな問題なのだけど(もうひとつ増田子どもから離れたくないこと)、

共同親権が当たり前の世の中になり、定期的な交流担保され、子ども成育状況を増田が逐一確認出来るようになるのであれば、

離婚に対する大きなふたつの問題が完全とは言えないまでも、少し小さくなるんだよ。

2024-04-08

BBQとは焼くのに時間がかかるものなのだ

庭でBBQした

家族みんなで庭で肉を焼いて昼ごはん

椅子テーブルを広げて買ってきた肉を冷蔵庫から持ってきて皿と箸も用意して全部一人で準備してたら

「火ついた~?」って部屋から子供声かけれてついたと答えたらぞろぞろ家族全員がやってきて

「なんでグリルの半分にしか炭無いの?」「まだ焼けないの?」と不満たらたら

BBQで肉を焼くのは時間がかかるものだしさっさと焼いた肉を食いたいならフライパンで焼いた方が全然早い

火が付くまでずっと部屋にいて食べるとこだけ参加しようというのもなんかおかし

2024-04-01

このサービスができて1年立ちましたね、と社員さん。5人しかいなくて、前の週に発注キャンセルがたくさんあったか発注までに時間がかかりますね、と社員さん。 夫と一緒に昼ごはん。夫の同僚が何年かたって会社を辞める。1年くらい前から、一昨日から、夜は夫とお出かけしたり、カラオケストレス発散したり、夕飯作ったり、ダラダラしすぎて寝落ちしたりしなくなり、それと同時に1人で飲むような飲み会に行かないことも

Anond AI作成

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-12

疑義照会

薬局処方箋を出して10〜15分くらい待ち、ようやく名前を呼ばれて窓口に向かった。

薬剤師さんから「前回、薬の用量が変わりましたが体調にお変わりなどはありませんでしたか?」といった一般的なことを聞かれたあと、いつものように袋から薬を出してお互いに錠数チェック。

「7日分なので7錠ですね」

「………??」

はい? 次回の受診日は2週間後なので7日分はおかC。

「7日分ですか? 2週間分のはずなんですけど」

と言いながら、処方薬の解説シートを目で追うと全ての薬が7日分で出ている。数年ぶりの処方日数ミスだ。

今日ものすごく患者数が多くて忙しそうだったもんな。そういうときはこういうミスしがちだよね。うん、しゃーない。

処方箋が間違っている以上は薬剤師さんが主治医電話をして疑義照会をしなければならない。

薬剤師さんはカゴを抱えて電話のある2階へと駆け上がっていった。

本来医師全面的に信頼せず、診察室を出たあとすぐに処方内容にミスがないか自分確認するべきなのかもしれないが、土砂降りの中を長時間歩いてきた今日はそんな余裕が自分になかった。

たぶん先生はようやく怒濤外来が終わってお昼ごはんを食べてるタイミングじゃないかなぁ……申し訳ないなぁ……。

私がミスしたわけではないのに罪悪感と妙な居心地の悪さに襲われる。

そこから更に15分から20分くらい待っただろうか。

疑義照会を終えた薬剤師さんが階段から降りてきて、心底申し訳なさそうな顔で「お待たせしました……!」と言われる。こちらこそお手数おかけしました……。

私が行っている薬局だけかもしれないが、疑義照会を行うと、処方箋医師主治医)に確認した内容が赤い文字で書き込まれる。

何気なく処方箋に目をやると、細かい文字でびっしり5行くらいに渡って書き込まれていた。

(えっ、処方日数の変更をするだけなのにそんな書くことある?)

と内心ビビリ散らかしたが、表情には出さないようにした。薬剤師さんから特に変わったことは言われなかった。

そのあとはいつも通り。最後はお礼を言って薬局を後にした。

ねえ、赤い文字でビッシリ細かく何書いてたの?

めちゃくちゃ気になるじゃん。

疑義照会って基本的医師ミスのはずなのに、私はどういうわけか毎回自分のほうが居心地悪く申し訳ない気持ちになる。

診察時間外に医師時間邪魔をなるべくしたくないし手間を取らせたくない。薬剤師さんにも手間と時間をかけさせたくない。申し訳ない。なにより自分も面倒くさい。

疑義照会をこの先の人生でなるべく避けるには。

やはり診察室を出た直後に自分で内容を秒速チェックして、内容に疑問があれば即座にセルフ疑義照会するしかない。

薬剤師さんには、セルフ疑義照会を通り抜けたミスだけを疑義照会してもらおう。そう誓ったのだった。

2024-03-11

〇〇さん来たから帰るね〜と、お昼休憩中のパートさんが席を立った。

帰ってもなにもすることないんだけどね休んでちゃダメだねと笑いながら帰り支度をするパートさんを、

全然良いですよ、無理せず休みましょう、と見送った。

そういえば13年前の今日、父は熱を出していて、昼ごはんを食べに家に帰ったらしい。

普段なら職場で食べているが、その日は母にうどんを作ってもらって、体調を心配されつつ職場に戻った。

そして津波に飲まれて亡くなった。

もしも自分が、ありえないけど、

これから起こることは知らないままで、あのときあの家にいたら、母とともに父の体調を心配しただろう。

会話もする。休んでも全然良いよ、ね、休もうよ。

実際あの日私は学校にいて、父の死に関して出来ることはなかった。

13年前と日付が一緒の今日

お昼に帰ったのはパートさんで、会話したのは私だった。

あの日言えなかった言葉が、遠くの私の口から出た。

パートさんは何事もなく家に帰って、明日も私と職場で顔を合わせるだろう。

2024-02-22

愛と不合理な子育て日常(2歳1ヶ月男と7ヶ月男との生活

https://nejiko.hatenadiary.com/entry/2014/02/22/234204

この記事を読んで、あぁ分かるぅとなったので自分の不合理さ&可愛さも記録しておきたい。

うちは2歳1ヶ月と7ヶ月の息子ーずと自宅保育している。春から保育園入園予定。

不合理なのは2歳1ヶ月のほう。7ヶ月の子は基本パヤパヤしている。

7:00

長男に「おーきーてぇー」と言って起こされる。

目を開けて「起きたよ、おはよう」と言うと、体まで起き上がらないとダメらしく何度も「おーきーてぇー」と言われる

まりにも私が寝てると次男と「いらっしゃいませ〜、えーっと、たこ焼きぃー!」などと適当言葉を話してキャッキャっ笑っている

7:30

オムツはきかえの拒否

Eテレを見てる間にオムツを変える

8:00

朝ごはん提供するもなかなか食べない

ヨーグルトパンの上にかけ、「ケーキ」と言ったり牛乳の中にバナナ沈殿させて遊んだ後、最終的に食べない

最近まりにも朝食を延々と食べてるのでタイマーを導入したら少し改善された

8:30

掃除洗濯など

朝ごはんを食べ終えた息子はプラレールが入った箱を床にぶちまけて遊ぶ

レールは滑るし、車両を踏むとマジで痛い

その他にもブロックやおままごと遊びもやらないのにとりあえずぶちまける

9:30

お出かけの準備

いくら早く支度をしたくても不合理すぎて時間がどんどん溶けていく

パジャマから服へ着替えさせるが、「違ったー!」といって脱ぎ捨て、靴下を履かせると「逆だったー!」と泣き喚く(決して逆などではない)

逆だったー論争が本当に大変でお出かけできなくなるレベルに泣くので、最近玄関靴下を履かせその後すぐ靴を履かせている

全ての用意が整ったと思ったら極めつけに💩

💩も中々変えさせてくれないのでしばらく放置

その間にパヤパヤ次男のお出かけ準備をする

いざ外へ出ると電動自転車の鍵を自分が指したいと言い、やらせ

10:30

スーパーに到着

最近カートをひきたがるので、子ども用のカートを使ってる

私がコントロールするとぶちぎれるので、放っておくと人にぶつかったりしててほんと迷惑

アンパンマンお菓子コーナーがあり、自らそこへ赴き永遠に流れてるアンパンマンお菓子紹介動画を見ている

早く帰りたいので、お菓子を一つ入れてアンパンマンバイバイを告げさせるも何回か失敗する

アンパンマンぬいぐるみを持って「ナスを買いに行こう」と言うと喜んでその場を離れてくれる

11:30

帰宅

息子に手洗いうがいをお願いすると必ず服をビシャビシャにするので服交換

うがいをしている間に、自転車しまいに一旦外へ出ると「うがい、飲んじゃった」と家の中から何度も報告してくる声が聞こえる

この後もオムツ拒否などが続く

12:00

昼ごはん

朝ごはん同様ダラダラ食べる

ダラダラ食べてもういらんのかな?と思ったら、ソーセージバナナ!などとデザート要望

13:00

あと片付け

息子は延々とプラレール

13:30

昼寝をしようと言うも拒否してプラレールを延々にしている

次男と寝たふりをしていると、眠くなった息子が突然やってきて布団にダイブ。即昼寝

眠いなら最初から寝ればいいのに

時間ほど束の間の休息が訪れる

15:30

昼寝から起きる

一番に私のところへ駆け寄ってきて抱っこする

かわいい

おやつなどを食べるなどして過ごす

この時間YouTubeを見せてるのだがとんだクレーマー3分おきにYouTubeの内容を「ちがったー!」と言ってくる。

アンパンマン新幹線こまち新幹線はやぶさ新幹線かがやきアンパンマン

要望してくるので最初に戻ってるやんかと思う

17:30

風呂

シャワーが嫌いなのでお風呂拒否する息子

最近冷蔵庫の前でチューペット(めちゃ小さい)をわたし、その場で全裸にさせお風呂場まで突撃シャワーをかけるということをしている

浴槽は好きらしく長時間滞在してしまうので、10.9と数字を数えて上がろうとするが、0のタイミングで違ったー!と言うので何回か10.9に付き合わされている

最後は違ったーと言われても無理やり連れ出して体をふく

インナーアンパンマンじゃないと服を着ないのでアンパンマンインナーを着させる

19:30

明日続きを書く)

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