その日は彼氏とデートだったので、めかし込んでいたわけであるが、如何せん、デート先が中華街だったものでしこたま食べてしまって腹が苦しかったわたしは、帰りの電車は座って帰ることを切望していた。
この時間帯ならガラガラであることは知っていたので、予想通りのガラガラの電車に乗りこみ、わたしは椅子に座って帰路についた。
満腹感と電車の揺れが、朝から歩き回って疲弊した身体に心地よく、睡魔がわたしを襲う。その睡魔にあらがえずにうとうと、と船をこぐ。
まどろむ感覚が心地よいが、完全に意識を手放す醜態は公衆の面前で晒すわけにはいかなかったので(これは自分のプライドと美学の問題)、なんとか意識を持ち堪えていたときのことである。
三人がけの椅子の右端に座っていたわたしは、左端に男が座ってきたことを視界の端で認めた。
いつもなら人が近くにいることを認識したら、あとはもう何も気に留めないのだが、この日ばかりは違った。
男が、定期的にこちらを向いてくるのが分かったからである。じと、と嫌な汗が首筋を伝った。その嫌な感覚に眠気はぶっ飛び、頭は完全に覚醒する。
スマホを弄ってネサフをして気付いていないフリに努めていたが、明らかに男はこちらを何度も凝視してくるばかりか、柔軟のようにして、身体をこちらに向けてくるのがわかった。流石にきもちが悪い……と警戒心を強めた。
しばらくして男が「眠気のために身体が揺れる」演技をしだしたのがわかった。
何故か演技と断定するのかと言われたら根拠には薄いかも知れないが、電車で眠いのを我慢してるときって、身体の揺れって電車の進行方向と逆に体を戻そうとするよね?少なくともわたしはそうだ。
だって重力と慣性の赴くままに船を漕いでたら、そのうち車内をスピンしていく羽目になるだろうから。怪我したくないから、眠るのを我慢しようとして、眠くても意識的に大きく身体を起こしたり姿勢を正したりするはずだ。
しかしながら、男にはそれが見られない。こちら側のみに身体が揺れるのを繰り返しながら、地味に距離が近寄ってくるのだ。
となると、「あ、こいつ停車の勢いにかこつけて胸に飛び込めるように距離をはかってきてる」となんとなく予想がつく。
肌がピリつくのがわかる。こいつが仕掛けてくるのは一駅後か、二駅後か。ただらぬ緊張感だが、わたしは努めて冷静を装った。
向かいにすわるお姉さんが不安そうにわたしを見ている。確かにこんなやついたらそんな顔もするよね、と思う。思っているだけで逃げないのは、過度な緊張感のせいで、「席を移動する」という択がすっぽり頭から抜け落ちていたのだと今にして思う。
そして一駅後、停車のタイミングより一拍おくれて男が倒れ込んでくるのがわかった。
瞬間、わたしは男に対して背中を向け、膝を抱えるようにして限界まで身を小さくした。
胸、もしくは膝にダイブされるくらいなら背中にぶつかるほうがマシだと感じたし、男のダイブが避けられるなら御の字だと思ったからだ。
──男の頭はわたしの抱えた膝のわずか数センチ横を横切り、そして椅子から転落した。
あまりの近さに「うっっっわ!!」と叫んでしまったが、それよりもガッドン!!といった鈍い衝撃音もなかなかインパクトがあった。たぶんひっくり返ったから、後頭部から床にダイブしたんだろう。あまりの勢いのよさと痛みに男が足元で呻いている。気持ち悪い。
向かいのお姉さんがドン引きしている。そのやや離れた位置に座る男性もドン引きしている。わたしもドン引きしている。だって足下やぞ。
男はふらり、と立ち上がった。
ふらふらした足取りは、演技なのかガチなのか。判断がつかないが、向かいのお姉さんのほうへ男がたたらを踏んだ。おいまじか。「ヒィ…」とお姉さんが小さく悲鳴をあげながら、首をすぼめて男の手から逃れようとしていた。
最終的にお姉さんの後方にある窓へ手をついた男は、そのまま無言でふらふらと降車した。
向かいのお姉さんと男性と目が合う。二人とも強張った顔をしたいた。たぶんわたしも似た顔をしてるだろう。
張り詰めた空気感は、男が降車した直後に扉が閉まり、発車したことで少し和らいだ。ふう、と大きく息をついたことで、失っていた冷静さを取り戻そうとする。
彼氏や男友達、あるいは弟と一緒に居るときにはこんな珍事には遭遇しない。したことがない。決まってエンカウントするときは一人だ。
第三者から見ても知人だとわかる男がいる女には、エンカウントしてこないんだろう。選んでやってるんだろうな。──とわたしは辟易とする。
経験上、白い肌のヒョロガリの男がエンカウントしてくる。今回もそうだった。
体型に恵まれていない男性でも勝てると思って、女性ひとりを狙ってきているのだろうか。
ばかやろう、こちとらパチンコ台抱き上げられる怪力女だぞ!などと胸中でひとりごちていたのだが、ある種の現実逃避だ。直接的な被害はなかったとはいえ、流石に胸に燻るなんとも言えない不快感は消せなかったからだ。
まあ、つまるところ、これを機にボクシングでも習おうかと思って近くのジムの体験を申し込んだ。
変質者のソロ討伐出来ないときついな、と思ったのもあるけど、今後ソロ討伐の機会がなくとも、それを習うことによって得られるスキルなどは有益になると思ったからだ。
自衛できるように、手段と知識があるに越したことはないだろう。備えあればなんとやら、だ。
しかしながら、備えることの大切さを実感したとはいえ、あのジットリとした嫌な緊張感は不快だった。
全神経を逆立てて警戒するのは、想像以上に精神が摩耗する。自衛のために常在戦場の心構えで警戒しろ、というのはいささか不条理ではなかろうか。そんなの常人ならば耐えられまい。
ただ、警戒することなく日常を送りたいだけだ。戦場でもあるまいし、兵士でもないのだから。
この日常にスパイが紛れ込んでいて、いつ襲われるかわからない!なんてハラハラ感を日常に求めているわけではないのだ。
性別に関係なく「兵士のように精神をすり減らしながら警戒することなく日常をおくれる」ということこそが、モラルある人間の成せるものではないだろうか。それこそが正常な人間の営みだと思うのだ。
どちらか一方に配慮や負担を強いるのも、理性ある文化的な人間的な営みとは言い難いとは思う。
人間的モラルが欠如しているというか。人間的に相互に思いやる気持ちがあれば、世界のバグを少しでもデバッグできるんじゃないかと思うが、どうやらそうもいかないらしい。ああなんて素晴らしき現世、やってらんねーな。
嫌なエンカウントから思う愚痴が思ったよりも壮大になってしまった。
少なくともわたし自身はデバッグ出来るように、他者に思いやりのある人間でありたいと望むが、悪意がある限りは今回のように意図を持って回避、あるいは悪意を返すのだろう。南無三。
カレー沢薫せんせー、見てる~?