はてなキーワード: 講談社とは
日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。
箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。
◆探偵小説輸入の開始
http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nipponbungakukouza_19270530.html
・神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877
・須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものとしか見られない"(柳田泉)
◆黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説の嚆矢とは此無惨を云うなり"
・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行
・谷崎潤一郎「秘密」1911「白昼鬼語」1918 「途上」1920 日本探偵小説 "中興の祖"(中島河太郎)
・『中央公論』「芸術的新探偵小説」企画(谷崎・芥川・佐藤春夫・里見弴)1918
・当初は翻訳を重視
・横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)、海野十三(1928)など登場
・乱歩「二銭銅貨」1923 "これが日本人の創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html
◆戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井)
・『ぷろふいる』創刊 1933
・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935
◇「本格探偵小説」
http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253
・甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm
・小酒井不木「当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用)
・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別
・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔)
・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)
◆戦時下の中断
◆戦後のミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井)
・横溝『獄門島』1948
・『宝石』第一回公募 1946(香山滋、飛鳥高、山田風太郎、島田一男)
・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也、土屋隆夫、日影丈吉)
・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説」https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU)
・講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?
参考…
・甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00
・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)
◇「本格冬の時代」?
・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック』
・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1966 "ネオ・本格"
・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116
・風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?
"社会派ということで、風俗小説か推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張、1976)
◇複数の対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314
・「おじさん」――「稚気」
・都会・洗練――土着
・歴史ミステリ、ハードボイルド、エスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説、SF、……
◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズムの系譜 "2.5波"(笠井)
・桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎、小栗虫太郎、海野十三、久生十蘭、香山滋……etc)
・雑誌『幻影城』1975-1979(泡坂妻夫、連城三紀彦、栗本薫、竹本健治……etc)"探偵小説復権"
・江戸川乱歩賞の青春ミステリ……小峰元『アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫『ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾『放課後』1985
・「新本格」の公称は『水車館の殺人』から……講談社文三によるブランディングの側面
・鮎川哲也賞 1990-
・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993
・『本格推理』1993-2008
http://anond.hatelabo.jp/20170611183038
これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。
一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド・西域・東南アジアの文化を伝えた。
遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人を日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベルの用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?
ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しかも桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺の大仏開眼供養会はインドやベトナム出身の僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。
「日本がしばしば新羅を従属国として扱おうとしたため、両国の関係はしばしば緊張した。しかし、日本の遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」
これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使が新羅人に助けられたというのは、円仁の著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?
また、上掲の講談社『日本の歴史』シリーズから引用すると、次のような話もあります。
遣唐使の派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅の商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通と新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台・真言の平安仏教の旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。
このころ唐では、みずからを世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷は新羅や、朝廷に服属しない東北や九州南部の人びとを蝦夷や隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。
朝廷が東北地方や九州南部に進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試の問題を解くときのヒントになるでしょう。
もっとも、この点はやはり、山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方の蝦夷、九州南部の隼人を異民族(夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。
それに比べると、三省堂の教科書は、遣唐使と中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。
実教出版にも「奈良時代に遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版は9世紀のことも記述していてグッド。
遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから、9世紀末まで遣唐使を派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。
理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。
これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています。時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本の僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しかし朝廷は遣唐使の派遣に積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。
[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的のなかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。
東京書籍の教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。
これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。
ちなみに、このとき「天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王スメラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本の朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないから日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的な問題は、国史編纂のときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社「日本の歴史」シリーズや青木和夫著の中央公論社『日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)
さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」「倭国」「朝廷」等の表記になっています。
なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号・国号は、ある時期の特定の政治状況のもと、人為的に作られたものだからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号・国号の使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である「日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。
無論、教科書では便宜的に仁徳天皇、推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権的国家体制の形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています。
これの筆者です。
id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田(国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。
なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。
山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。
618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジアに大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。
東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本からの遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度や国際的な文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。
朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部に建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。
これはひどい。遣唐使の派遣再開が何年だったかという記述がありません。
そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使を派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。
一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書が8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京の時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。
ちなみに、他の教科書では、遣唐使の派遣再開についての説明が次のようになっています。
「7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇の時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」
「白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島からの渡来人や新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」
「律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物や制度の摂取につとめた。[中略]
こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣の鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」
[引用者注:教科書のページを戻って「白村江の戦いと国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]
遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます。
三省堂の記述もおもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています。
大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣の鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使、新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通の教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代の様相として語っているのがすごい。
東京書籍、実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。
山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代の出来事と把握すると誤りになります)
東大入試(2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています。
次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。
(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。
(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまりの大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。
設問:この時代の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。
山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですから、いくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂をのぞく。後述)
8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使を派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者は正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]
一方、日本の律令国家内では天皇が皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。
白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人が仲介したものが多いと考えられる。[後略]
以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。
(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。
(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。
(3)は、日本と新羅の関係悪化について述べています。新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。
(4)は、日本と新羅が政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅は民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人が仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。
教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試に対応するためだけではありません。
例えば『詳説日本史』には、最初に引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。
ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまいます。
もしくは、これは2003年の入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史』シリーズ(2000年~2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズからも引用しておきましょう。
国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗に蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人や蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正『天皇と諸蕃』)
さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国に位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号を「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。
実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家の領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである。
[中略]
このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しかし東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢、列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。
日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使の派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。
いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書(日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。
こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使の派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。
私がこのエントリの題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者が国内と国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います。
それに、このことは現代の外交問題についても、重要な示唆を与えてくれます。例えば政府が国内に向けて愛国心やナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調のアピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。
あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。
遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます。
おもしろい特色がありません。
無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的な呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。
華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚のイベントになったと推測できます。もっとも、沈没や行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?
つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459
その名もミアキス。姿はイヌっぽいネコ。何とも奇妙な印象です。地上に天敵がいたため樹上で生活するミアキスが「普通」でした。
そのミアキスが平原に移住し、体や心が普通のミアキスから変異して平原の環境に適応したのが【イヌ】なんです。
一方樹上生活を続け、樹上の環境により適応したのは【ネコ】なんです。
さて、ここで問題です。
この「普通」でなくなってしまったミアキスは「障害者」なのでしょうか?
大きな環境変化にそれぞれ適応しただけのネコとイヌ。しかし元祖ミアキスを基準とするとイヌは異常といえるかもしれません。
パソコンやゲーム、携帯電話など「著しく急速」なデジタル化による生育環境の変化、ネットへの適応はヒトのコミュニケーション能力を犠牲に新しい時代におけるヒトの進化の傾向(多様性型)を示しているという視点はどれだけ正当性があると考えられますか?
イヌ的なミアキス、ネコ的なミアキスに分岐が始まった時代、元祖ミアキスは樹上生活に適応せず木を降りてしまった少数派を障害のある異常者と認識し排除しようと行動したでしょうか?おそらくそれぞれの居場所へ移住することで「住み分け共存」していったはずです。
一方ヒトはイヌ型ミアキスとネコ型ミアキスを樹上か平原かどちらかで生活を強要するように、同じ環境に異なる発達をした多様性型のヒトを押し込み生活困難な方を障害者と括っているのではないでしょうか。
イヌ型ミアキスに薬を投与して心体が適応した平原を忘れさせ樹上生活への恐怖を軽減させたら、果たしてイヌ型はネコ型と対等に競争し共存することができるのでしょうか?
一生態学者から発達心理学への提議です。現在人口の1/15に達していると言われる発達障害者は日本で10,000,000人という計算です。これだけの比率ならば冗談でなく進化の過程とも受け取ることができるのかもしれません。関係メディア、ネット住民の皆様にもお願いです。どうか慎重に報道下さい。
■今読んでおきたい最新研究の動向について
日本銀行は、戦前から天皇・ロスチャイルドが株主として君臨し、紙幣発行権を駆使して、市中銀行をコントロールし、その先に大企業群を従えてきた。
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「株式会社 日本」の大株主であった、天皇財閥 2 - るいネット
皇室と日銀株のつながりは深いものがある。第二次大戦直後の段階で、皇室は29社の株式を所有していたが、とりわけ目を引くのが、20万8000株(額面で2080万円分)を保有する日銀の株だった。
出典
日銀株が下落して 天皇家も大損の「悲劇」 | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
出典
farwestto.exblog.jp
横浜正金銀行は、東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身とされている銀行です。
貿易金融・外国為替に特化した銀行であり、明治維新後急速に成長し、やがて列強の仲間に加わっていく日本を国際金融面で支え、香港上海銀行(HSBC)、チャータード・マーカンタイル銀行と並ぶ外国為替銀行へと発展
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天皇家は日銀株のほか、横浜正金銀行(現・三菱東京UFJ銀行)や日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)などの株式も保有していた
出典
日銀株が下落して 天皇家も大損の「悲劇」 | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
出典
plaza.rakuten.co.jp
皇居がある東京駅周辺の丸の内のビルの3分の1が三菱財閥の保有となっています。
天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。当時は海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。
出典
天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁されました。そして売春を強制されました。
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天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。
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http://www.yuuai.sakura.ne.jp/home20/konnaonna.html
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国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していたただのどぶ鼠野郎です。
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1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は、この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始めました。
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henmi42.cocolog-nifty.com
安倍晋三さんも、三菱財閥が創設した、成蹊大学を卒業しています。
安倍晋三首相の実兄である安倍寛信氏が4月1日付で三菱商事の執行役員に就任することが決まった。
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成蹊学園初代理事長・岩崎小弥太以来、三菱金曜会のトップが成蹊学園の理事長を務めている。
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第二次世界大戦前は三菱財閥との繋がりが非常に強く、運営費用の大部分は三菱からの寄付で賄われていた。また1917年(大正6年)開設の成蹊実業専門学校は三菱合資会社の要請によるものであり、実業界、特に三菱での中核となる人材の育成を目的としていた。
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戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥があった。
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはよく知られているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍程度の規模があった
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
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plusi.info
ソニーが没落した要因のひとつとして、昭和の古いシステムにこだわった為と言う事が良く言われています。
1953年(昭和28年)に宮内庁次長の宇佐美毅を後任とし長官を辞任した。長官辞任後、請われて東京通信工業株式会社の監査役に就任する。これが後のソニーで、取締役会長、相談役を歴任し社内からは「会長さん」と親しまれた。
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天皇、皇后両陛下(昭和天皇と現皇太后陛下)の工場見学が決定した。この日、両陛下は、時の東龍太郎東京都知事を案内役として、東京タワーや都内の各所をご視察の予定である。その計画の中に、ソニーが選ばれたのだ。
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Sony Japan | Sony History 第13章 IREショーで見つけたもの
「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。
↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義、ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。
ついでに、最近話題のポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。
文章はいい加減だし、今日の日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである。
たとえば、労働問題について考えてみよう。
「過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?
私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。
「過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府が長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。
人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権の範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しかし労働問題においては、そういう権利を適用するべきではない。
長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合、ブラックな労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである。
女性が労働するときのハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。
明治時代の日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化の過程では必ず「上からの改革」がある。
「旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊を排除することで、国民はようやく新時代に適応できる。
たとえば女性差別がひどい国では、政府が女子教育の権利を提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。
権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層や田舎にまで女子教育を普及させるには、政府が国民に権利を与えるだけでは不十分であって、その権利を行使することを国民に義務付けなければならない。
「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親や祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子を学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。
そして女子児童は、当人がまだ子供であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。
ここにおいて「多様な価値観を尊重せよ」などという主張は有害だ。政府は旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。
当然ながら現代の日本で、後進国が近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府や会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。
たとえば就活の会社説明会で服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令が必要だ。
上から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的な手段なのだ。
私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社や官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである。
前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベートな時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)
私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。
もし本物の極左ファシストであれば、プライベートな時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である。
近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。
そのときのリベラル側の主張は、「女性蔑視の表現は政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由を制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレに配慮せよ」というものであった。
私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視的であるからだ。
もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。
「女性の主体性を尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ。
しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性がハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定するという現象だからである。
被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別を正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。
(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)
私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。
そしてこれはあまり知られていないことだが、お上が纏足を強制していたわけではない。とりわけ清朝は漢民族のこのバカらしい習俗を忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足を選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。
女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。
当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑の言葉を口にする。母親のなかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間の非難をあびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである。
この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。
そして子供のときは纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。
さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊を強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。
「纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性は成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」
http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html
西洋で女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。
これはまさしく、現代日本の女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしまい自家撞着するのと同じ心理だ。
ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性の主体性を尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。
無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足やコルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別が過酷なものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。
だから我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしまう女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである。
なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働の問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家・知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。
この理論を適用すれば、女がオシャレをする自由を是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。
twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。
リベラリズムの本質的価値-自由、平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値を原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要な遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。
「スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より
https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995
前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。
本来伏せ字にでもしたほうがいいのかもしれませんが最早そんな意味もないくらいに広まってしまっているので普通にフリーブックスと書いていきます
更に一応書いておきますが日本の漫画市場を潰しかねない悪質なサイトです、利用するのは絶対に辞めましょう
と言ってもそんな綺麗事を書いた所でもうどうにもならないくらいに多くの人が利用しているようなのでここからフリーブックスとは一体何なのか?なぜこんなサイトが存在出来るのかなどについて書いていきます
「自作の漫画コミック・雑誌・同人誌・小説を自由に投稿し皆で共有&読み放題にできるファイル投稿共有サイト 」
とのことです
まずフリーブックスには自作ポエムのような作品は一切ありません
理由は簡単でアップロード機能がないからです、アップロードというページはありますがこれはただのハリボテです、実際に自作ポエムをアップロード出来た人間は存在しません
つまり投稿共有サイトというのはただの建前で完全に一方通行、作品をアップロードしているのは全て運営です
そこから違法にアイテム(作品)数を増やし続け2016年の終わりには2万5千件ほど、現在は5万2千件ほどになっています
アップロードされている書籍の種類は漫画コミックス・漫画雑誌・一般雑誌・小説・その他書籍・主に18禁の同人誌、同人作品で、全体の7割以上は漫画のコミックスです
ネット上では「品揃えがスゴイ」という声がありますが、こういう言い方が正しいかは分かりませんが違法な割れサイトとしては別に凄くはありません
残念なことに現在web上では多くの書籍が違法に流通しておりフリーブックスにアップロードされている作品も全てそういった違法サイトからの2次利用です、おそらくフリーブックスが1次流通元となっている作品はありません
他に「雑誌まであるのがスゴイ」「発売日にはもう上がってる」「マイナーな書籍まである」という声もありますがこれらも全てフリーブックスに特有のことではありません
他の違法サイトにも雑誌はありますし、発売日には違法アップロードされています
マイナー書籍はおそらくamazonの読み放題サービス「Kindle Unlimited」から流用しているものと思われます
フリーブックスは今までの海賊版サイトとは違い非常にカジュアルな見た目です
UIもよく出来ていて、レスポンスは速く、モバイルにも最適化されているのでスマホ世代にとっては非常に使いやすいでしょう
加えて本屋大賞作品特集などの特設ページまであり、トップページを一見しただけでは違法サイトだと分からないくらいのデザインです
漫画の閲覧に対してダウンロードなどの行為を挟まないため罪悪感が薄くある意味お手軽に漫画が読めてしまいます
フリーブックスの利用者には違法サイトであることを認識していない人さえいるかもしれません
フリーブックスは2017年に入るまでは殆ど無名のサイトでした
今年の1月頃からポツポツと話題になりはじめ、3月の中頃から現在にかけて一気に普及している感じです
1/02 知恵袋でサイトの合法性について質問された(現在質問の閲覧数は260万)
1/15 twitterでつぶやかれた(以降つぶやきは増え続けています)
3/12 2ch(なんJ)でフリーブックスを話題に扱ったスレッドが建てられた(以降スレッドは頻繁に建っています)
4/28 NAVERまとめでまとめられた
4/30 はてな匿名ダイアリーで話題にのぼった(この記事ではありません)
webサイトのトラフィック量(閲覧数と考えて下さい)を監視している企業Alexaによれば現在フリーブックスのトラフィック量は世界9286位、日本342位です
116位 読売新聞
180位 ピクシブ
342位 フリーブックス
但しフリーブックスは今年1月に世界ランク100万程度だったものがたった3ヶ月で99万ほどもランクを上げトラフィックが増大しています
本当にタケノコの成長のようなごぼう抜きです、こんな増え方はサービスとしては日本で言うなら黎明期のニコニコ動画くらいでしょう
このまま同程度の伸びを示せばあと1ヶ月ほどで読売やNHK(日本80位)のニュースサイトよりも日本人がよく見るよく使うサイトになる可能性があります
しかし増えているとはいえトラフィック量に対してtwitterやweb上の反応が少ないのも事実です
これはおそらくですが、さながら90年台のポケモンやドラクエの裏技のように友人から友人へ口伝にてフリーブックス伝説が広まっており見た目以上に全国のお友達が使っているのだと考えられます
twitterでつぶやかれる「学校のみんなで使ってる」「大学のみんな知ってた」などのつぶやきからもそう推測されます
同じような形態で成年コミックや同人誌を違法アップロードしている「ドロップブックス」というサイトと同じ運営者であり他にもいくつか日本人向けのアダルトサイトを運営しているということです
同一人格が保持していると思われる他のドメインのWhois登録情報によればヴァージン諸島に存在する、おそらくペーパーカンパニーによって運営されていることになっています
但し、当初のフリーブックスのIP割当地はブルガリアでしたが現在のフリーブックスは増大するトラフィックに対応するため4月中頃からアメリカのCDNサービスであるCloudFlareを使っており直接は分からなくなっています
運営者の個人情報について国籍や住所はまったく分かりません、日本語の巧みさから日本人もしくは日本語ネイティブである可能性が高いですが、もちろんそうでない可能性もあります
ちなみに(.is)はアイスランドのドメインですがおそらく特に関係ありません
運営者を逮捕するのは非常に難しいと思います
まず運営者の実態が分かりません、更に世界にはタックスヘイブンならぬコピーライトヘイブンなるものがあり、そういった著作権の曖昧な場所で
"外国在住"の"外国国籍者"が"外国のサーバー"に対してアップロードを行っている場合、論理としては外国に建てられたでっかい図書館の中を大量の日本人が双眼鏡で覗いてるだけともいえます
これでは逮捕理由がないとまではいいませんが、積極的に動くのが非常に難しいといえます
但し前述の通り海外サーバや海外法人を経由し身元を隠しているだけの日本人である可能性も高くなんともいえません
一応運営者が外国国籍者でもその身元さえ判明すればカリビアンコム方式をとる方法もありますが、これは賛否両論かつ別の問題があり後述します
ちなみにフリーブックスを紹介しているサイトの紹介文にはYouTubeと同じような形態だから逮捕出来ないと書いてある所もありますが
最初に書いた通りフリーブックスのアップロードシステムは見せ筋みたいなものでその実態はないですし、削除フォームもまず間違いなく機能していません
少なくとも3月以降はフリーブックスにアップロードされ著作権者の申請によって削除された作品は存在しないと思われます
つまりフリーブックスに対してバカ真面目に削除申請するのは電話線の切れた受話器にむかってもしもしとつぶやき続けるようなものです、意味がないので推奨出来ません
「なぜそういい切れるのか、お前は漫画の作者で申請したのか?」と思われるでしょうが
根拠としてはweb上で見れる出版各社や著作権者のDMCA侵害申し立ての山があります
ややこしい説明は省きますが、現在web上で著作権者が海賊版を見つけた時に最もよく行われるアクションが上記のグーグルに対するDMCA侵害申し立てです
これを行うことによってグーグルが該当ページを検索結果から村八分してくれます
実際フリーブックスに対しては出版社も既にその問題を認識しているようで
小学館集英社講談社の御三家をはじめ大手出版社や海賊版対策を業務とする一般社団法人コンテンツ海外流通促進機構がDMCA報告を連発しています
他にも同人誌の著作権者などがDMCA報告しているようですが、その全ての作品が3月以降一つの例外もなく一切フリーブックスから消えていません
誰か一人くらいは削除フォームから申請してみた人がいるはずですので、これが消えていないということはやはりそういういことなのだと思います
但し勘違いの可能性もあるので「俺はフリーブックスに削除申請したら消えたよ」という方がいれば教えてください
カリビアンコムとはアダルト動画サイトです、明らかに日本人向けのサイトで中身も日本人女優が出演していたのですが
「"外国在住"の"外国国籍者"が"外国のサーバー"に対してアップロードを行っているため合法です」と公式サイトで堂々と主張し運営されていました
しかし紆余曲折あり運営者の一人が逮捕されました、紆余曲折については調べて下さい
問題は逮捕された場所が沖縄だということです、カリビアンコムの運営者は外国国籍で外国在住だったのですが何の用事か沖縄へノコノコやってきてそこで捕まりました
ちなみに他の運営者については捕まっていません、つまりフリーブックスについても運営者が外国国籍者だった場合、外国にいる限り逮捕は難しいと思われます
更にカリビアンコムはその性質上、コンテンツの制作に場所が必要でそのコンテンツ制作者(つまりスタッフや監督)からサイトの運営者まで金銭授受なりの線を伝って特定すること可能でした
しかしフリーブックスはweb上に散らばっている違法アップロード作品を収集して自サイトで公開しているだけなため身元の特定が容易ではないと思われます
加えてカリビアンコムの逮捕劇については日本の法曹関係者からもその正統性について疑問の声が出ています
警察管轄のアダルト案件についてさえこれですから著作権という、より曖昧な案件でどこまで出来るのかは大いに謎です
「サーバー運営者とか中間業者に公開をやめさればいいのでは?」という声もあると思いますが
これはある意味その通りで現在先程出てきたアメリカ企業のCloudFlareは
「違法サイトの運営者がCloudFlareのサービスを利用することを積極的に断らなかった」つまり海賊版サイトの運営を間接的に助けているという理由で複数の企業から訴えられています
但しCloudFlareを使えなくなったからといって即閉鎖されるかというとそんなことはないでしょうからやはり難しい問題ではあります
長い年月で見れば、運営者の居住地や身元が完全に割れ金銭の動きが分かり現地行政や警察権力の協力が得られれば可能だとも思います
しかし現実的には難しいでしょう、世界最強のコンテンツ団体であるハリウッドでさえこういった問題に対しては根本的解決は出来ず正規の配信ビジネスを発展させるなど別方向で対応していきました
ハリウッドに出来ないことを日本の出版業界にやれというのも酷な話だと思います
「え、じゃあ本当にこんな違法サイトがずっと存在するの?」と思われる方も多いと思いますが
そこは運営者のモチベーション次第、つまりフリーブックスというサイトで儲けられるか?というところに尽きると思います、これは後述します
ただそうは言っても運営者がまったく儲けを考えることなく運営を続けた場合でも取れる対策があるにはあります
一つには国内プロバイダと協力してフリーブックスのドメイン自体を遮断してしまう方法です
そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、この方法は実際にイギリスで運用されており非現実的とまではいえません
抜け道はいくらでもあり根本解決にはなりませんがPCに疎いライトユーザーを筆頭にかなりに利用者を遠ざけることが出来ると思われます
ちなみに目には目を方式でDDos攻撃なりを仕掛ければいいのでは?と思う方もいるでしょうがCloudFlareはDDos耐性が強いのが売りですしそもそもそういった行為は違法です
違法サイトを潰すために違法なことをして人生を棒に振りましたというのはまったく笑えない話なので絶対に辞めておきましょう
フリーブックスには現在、広告がありませんがこのまま何の見返りもなく運営が続けられるとも思えません
似た形態で同じ企業によって運営されているドロップブックスについては広告により運営されていますので、いずれ広告がつくかもしれません
事実フリーブックスにはごく短期間にではありますが、ビューアーの読み終わり部分に広告がついていたことがあるようです
広告が付けば金銭の流れがわかりますし、広告を出稿している企業に対してクレームを入れることも出来ます
ただドロップブックスには誰でも知っている有名企業の広告もあるのでそれが有効かどうかまでは実際の所分かりません
そもそもドロップブックス自体がいつまで経っても潰れないという問題もあります
フリーブックスは今年の3/16に突如、短い時間ではありますが有料会員サービス化したことがあります
その時のプランは以下の通りです
この時は数時間で元の無料サイトに戻ってしまったのでこれが何だったのかについてはよく分かりませんが
但し全ては推測であり、もしかしたら有料化以前に数時間後にはドメインごと消えているかもしれません
最初に書いた通り最早、臭いものには蓋方式で隠しても意味がないくらいに広まってしまっているので記事を書きました
いっそ逆にもっと広まって社会問題化してそうそうに潰れてくれればいいのにとさえ個人的には思います
2017年3月12日1時頃、各サイト直近200エントリについての数字。
ソース | 3ブクマ以上到達率 | 新規エントリ/日 | 新着リスト基準超/日 | 0ブクマ | 1ブクマ | 2ブクマ | 3〜10ブクマ | 11〜100ブクマ | 101ブクマ以上 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
朝日新聞(新聞) | 19% | 172.9 | 32.8 | 134 | 28 | 25 | 11 | 2 | |
NHK(テレビ) | 23% | 109.6 | 25.2 | 1 | 111 | 42 | 27 | 17 | 2 |
毎日新聞(新聞) | 14% | 182.9 | 24.7 | 151 | 22 | 23 | 4 | ||
AFP(通信社) | 34% | 71.0 | 24.1 | 1 | 113 | 18 | 50 | 18 | |
日本経済新聞(新聞) | 15% | 134.9 | 20.2 | 1 | 148 | 21 | 16 | 13 | 1 |
産経新聞(新聞) | 11% | 131.3 | 14.4 | 3 | 156 | 19 | 16 | 6 | |
東洋経済(雑誌) | 49% | 27.4 | 13.4 | 1 | 74 | 27 | 53 | 41 | 4 |
赤旗(日刊紙) | 63% | 19.9 | 12.5 | 26 | 49 | 121 | 3 | 1 | |
ダイヤモンド(雑誌) | 46% | 26.3 | 12.0 | 1 | 85 | 23 | 65 | 26 | |
ハフィントンポスト(ネット) | 38% | 30.7 | 11.5 | 2 | 92 | 31 | 52 | 19 | 4 |
Yahoo!News(キュレーション) | 14% | 72.0 | 10.1 | 1 | 145 | 26 | 22 | 4 | 2 |
日経BP(雑誌) | 47% | 20.8 | 9.8 | 2 | 85 | 19 | 56 | 33 | 5 |
Yahoo!News雑誌(キュレーション) | 11% | 78.8 | 8.7 | 154 | 24 | 17 | 5 | ||
時事通信(通信社) | 10% | 84.5 | 8.0 | 1 | 166 | 14 | 15 | 2 | 2 |
BBC(テレビ) | 45% | 16.2 | 7.3 | 9 | 101 | 65 | 24 | 1 | |
講談社現代ビジネス(雑誌) | 55% | 13.0 | 7.1 | 1 | 73 | 16 | 64 | 37 | 9 |
blogos(ネット) | 8% | 78.6 | 6.3 | 156 | 28 | 12 | 3 | 1 | |
ニューズウィーク(雑誌) | 52% | 12.1 | 6.3 | 62 | 34 | 68 | 34 | 2 | |
共同通信(通信社) | 13% | 45.4 | 5.7 | 153 | 22 | 16 | 6 | 3 | |
CNN(テレビ) | 33% | 16.2 | 5.2 | 81 | 54 | 47 | 17 | 1 | |
東京新聞(新聞) | 21% | 24.2 | 5.0 | 140 | 19 | 32 | 8 | 1 | |
ロイター(通信社) | 5% | 92.6 | 4.6 | 163 | 27 | 7 | 3 | ||
講談社JBpress(雑誌) | 57% | 8.0 | 4.5 | 1 | 61 | 25 | 79 | 33 | 1 |
日刊ゲンダイ(日刊紙) | 30% | 12.4 | 3.7 | 1 | 116 | 23 | 34 | 24 | 2 |
TBS News i(テレビ) | 10% | 35.8 | 3.6 | 155 | 25 | 12 | 7 | 1 | |
文藝春秋(雑誌) | 45% | 7.9 | 3.5 | 84 | 26 | 51 | 29 | 10 | |
プレジデント(雑誌) | 30% | 9.1 | 2.7 | 1 | 91 | 48 | 47 | 13 | |
WSJ(新聞) | 22% | 12.4 | 2.7 | 129 | 27 | 36 | 8 | ||
朝日新聞出版(雑誌) | 20% | 12.5 | 2.4 | 3 | 130 | 28 | 25 | 12 | 2 |
リテラ(サイゾー) | 69% | 3.5 | 2.4 | 50 | 13 | 62 | 72 | 3 | |
フォーブス(雑誌) | 29% | 7.6 | 2.2 | 1 | 109 | 33 | 44 | 12 | 1 |
ビジネス・インサイダー(キュレーション) | 31% | 6.9 | 2.1 | 107 | 32 | 37 | 19 | 5 | |
北海道新聞(新聞) | 16% | 12.3 | 2.0 | 125 | 43 | 24 | 8 | ||
アゴラ(ネット) | 16% | 12.0 | 1.9 | 134 | 35 | 27 | 4 | ||
日テレNEWS24(テレビ) | 4% | 48.2 | 1.7 | 174 | 19 | 6 | 1 | ||
河北新報(新聞) | 11% | 14.9 | 1.7 | 2 | 143 | 32 | 18 | 3 | 1 |
サンケイビズ(日刊紙) | 8% | 16.8 | 1.3 | 7 | 159 | 18 | 13 | 3 | |
沖縄タイムス(新聞) | 23% | 5.5 | 1.2 | 1 | 131 | 23 | 28 | 16 | 1 |
テレ朝ニュース(テレビ) | 13% | 9.9 | 1.2 | 3 | 149 | 23 | 11 | 11 | 3 |
NEWSポストセブン(雑誌) | 15% | 8.5 | 1.2 | 148 | 23 | 19 | 9 | 1 | |
琉球新報(新聞) | 19% | 5.4 | 1.0 | 1 | 145 | 17 | 28 | 9 | |
ビジネスジャーナル(サイゾー) | 18% | 5.3 | 1.0 | 1 | 136 | 27 | 28 | 7 | 1 |
神奈川新聞(新聞) | 23% | 3.9 | 0.9 | 136 | 19 | 33 | 12 | ||
FNN(テレビ) | 13% | 5.0 | 0.7 | 151 | 17 | 18 | 6 | 2 | |
朝鮮日報(新聞) | 11% | 5.1 | 0.6 | 151 | 27 | 17 | 5 | ||
BuzzNews(盗用?) | 11% | 2.4 | 0.3 | 144 | 34 | 19 | 3 | ||
新潮Foresight(雑誌) | 32% | 0.8 | 0.2 | 112 | 25 | 48 | 14 | 1 | |
Total | 25% | 1,733.3 | 439.7 | 37 | 5647 | 1326 | 1633 | 674 | 76 |
※0ブクマは1つ以上付いたブックマークが消された後の状態。[あとで読む]が消化された時などに生じる。ニュースサイトの全記事が勝手に登録されるわけではない。
※合計が200にならないサイトがあるが、エントリリストには存在するが、ブックマークページが存在しないというケースである。どうしてそうなったかはわからない。
※読売新聞は「権利者の申し立てにより非表示」とかいうことで、はてなブックマークのエントリリストに表示されない設定になっているらしい。
反ムスリム運動の中心となったのが、僧侶のウィラトゥー師である。
彼は「仏教徒テロリスト」として、米国のニュース雑誌「タイム」の表紙を飾った。急進派の仏教僧侶たちは「仏陀の九徳、法の六徳、僧伽の九徳」にちなんだ「九六九運動」と呼ぶ反ムスリム運動を展開。「ムスリムは妻を四人娶って子どもをどんどん産み、ミャンマーをイスラム教で呑み込もうとしている」「無知な仏教徒の女性を騙して結婚し、無理矢理イスラム教に改宗させ、仏教徒女性としての権利を奪っている」と説法を繰り返した。
仏教徒のロヒンギャに対する偏見は根深い。軍事政権に弾圧された民主活動家や人権派を自認するジャーナリストの口からも「ロヒンギャは不法移民」という言葉が当たり前のように飛び出すほどだ。
筆者が昨年7月、最大都市ヤンゴンで面会したリベラル派の僧侶に「慈悲と寛容を大事にする仏教の国だからこそ、ロヒンギャを受け入れたらどうですか」と促すと、彼は「ミャンマーには135の民族が暮らしていますが、経済移民である彼らをその一つに加えることは絶対に認められません」と気色ばみ、「いわゆる『ロヒンギャ問題』は軍事政権の違法な行為が原因で起きたのです。軍事政権時代、ヤカイン州の入国管理の担当者は賄賂を受け取り、バングラデシュ人を違法に越境させていたのです」と持論を展開した。
こんにちは。2016年のMyはてなブックマークオブザイヤーが決まりましたので、その前の3年分と合わせて発表いたします。
http://blog.yuco.net/2012/10/net-addiction/
ネットを全くやめてしまうわけにもいかず、さりとてやりすぎは避けたいというネットユーザーには馴染みのある悩み。
はてな界隈で見ていたyucoさんがネット利用を制限している様子が自省的に書かれており、何度も思い返すことになりました。
今改めて見るとサラッと出てくる「その代わりに本を読んでいる。」という一文も刺ささり、読書の愉しみについて前より意識的になりました。
「いい歳して美人に嫉妬する私」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第12回
http://cocoloni.jp/culture/49213/
「大人になる=処女喪失が怖い」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第13回
http://cocoloni.jp/culture/51530/
人の悩みにここまで寄り添えるものかと感嘆したのを憶えています。
雨宮まみさんは昨年亡くなられました。書籍版を何度か読み返したらTwitterで感想を伝えたいと思っていました。言葉を届ける機会はあまりにも突然失われてしまいます。
ドコドコドコドコドコ ドン!
グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ(小林 雅一) | 現代ビジネス | 講談社
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48137
Googleが、チームをエフェクティブにするものは何かを調べた結果、一番上に来るのが心理的安全性というものでした。心理的安全性が低い状態では、チームのメンバーは他のメンバーに責められたり低く評価されることを恐れてミスをしないよう常に気をつけており、他方、心理的安全性が高い状態では仕事用ではない本来の自分を出すことが出来てリスクをとれるのだとか(詳しくは検索してみてください)。職場で後者のように過ごせたら素敵ですね。心理的安全性、なんて良い響きでしょう。
上記記事は読むために会員登録を要求されたことがあったので別の優れた記事も示しておきます。
https://www.infoq.com/jp/news/2016/10/google-perfect-team
そして、心理的安全性といま流行りのけものフレンズを結びつけているのが次の記事です。職場にいるのがサーバルちゃんだったら、安心して自分を出すことができそうです。
技術フェローが「すごーい」「そうなんだー」「たのしー」しか言わなくなった件 - Misoca開発ブログ
色んな媒体で作品化された際、どういった順序で見るのが一番楽しめる(個人の感想です)のかを紹介。
何を根拠に並べているのかというと表現技法と情報量について、だ。
小説→アニメだと原作との突き合わしによる矛盾とかが出てきてしまい、視聴の障害になりやすい(個人の感想です)。
これがアニメ→小説だとアニメで語られなかったことやアニメとの相違点を素直に別作品として受け入れられる(個人の感想)。
よく原作組はアニメの出来にイチャモンや難癖を並べているのも、自分の中で膨らました小説のイメージが再現されなかったからである。
これがアニメ→小説なら最初から別物であると割り切って門をくぐるので余計なぶつかり合いが無い。
その間に漫画があるのは、消化しやすいとか、アニメという絵が付いた媒体から音を無くして入り込む段階とかそんなところ。
本当は最後に持っていきたいところだが、映画は現在公開されていくのが観に行く正義なのでやってほしい。
特に映画公開時期で話題が高騰しているので時間的制約からアニメと漫画くらいしか消化できないだろう。
ドラマCDは本編と関係ないサイドストーリーが多いので一番予備知識いると思う。
なので最後に消化するのが一番よい。
というわけで2017年公開予定、弐瓶勉のSFアクション漫画作品の映画「BLAME!」をよろしく!!!!
BLAME!は小説、ドラマCDがないから漫画だけで予習できるぞ!
ちなみに新装版も発売されているがぶっちゃけ古い方がオススメだ。違いはちょっとした書き直しや表紙の書き直しだが旧版の方が味あっていいです。要らん。
あと次の情報も要注意↓
2月16日(木) ”ツトムの日”に、『BLAME!』劇場アニメ化記念「シドニアの騎士」一挙放送が決定!
↑シドニアの騎士は有名だろうが、BLAME!はまさに人を選ぶ作品だ。
この面白さを理解できるやつと酒を飲んで喧嘩して絶交する。ドン!弐瓶勉ワールド。
追記:
>冲方丁によるノベライズ、小川一水・九岡望・飛浩隆・酉島伝法・野﨑まどによるアンソロジー、という超豪華メンツによる小説版が待ってるぞ。>BLAME!
講談社イクメン編集者殺人疑惑に、ハイスタンダードの人の不倫に、宮崎議員の不倫。
奥さんの殺人容疑とと不倫を同列に並べたらなんか後者に悪いけれど。
ドキュメント番組でハイスタの人が取り上げられているのをたまたま見たことがあり、
番組が、パパロッカーとしてとりあげたかったのか、本人がそういう風にしたかったのかは不明なものの
子供を連れて公園で遊んだり、コンサート中も親子連れの子供をステージにあげたり、
コンサート後も「子供風呂にいれないといけないんで」と帰っていくという姿で終わっており
なんだか嫌味なまでにイクメンだなと底意地の悪いことを思った。
ハイスタの人が、相当かっこよかったからやっかみも入っていたのだと思う。
思うのは
組織ではじめて育休を取るとか、そういうの。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170111-OYT1T50181.html
誤報正さず!(キリッ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170110-OYT1T50051.html
■読者の皆さまへ-モーニング
http://morning.moae.jp/news/3432
>本人が『進撃の巨人』を担当したことはなく、正確には「掲載誌の創刊スタッフ」であったことをお知らせいたします。
ってリリース出てんだろ。
やってないって言ってるのに色々報道されてて。
実名はもちろん、顔が映ってる映像や、講談社という勤め先、役職など全部報道されている。
否定してるのに。
無実ですって言ってるのに。
どのテレビにも「こいつ悪いことしたんですよ」みたいに言われてて。
こういう報道は良くないよ。
例えば一刻も早く実名報道しないとほかに被害が出るとかそういう類の事件なら分かる。
だけど今回の場合、少なくとも警察は朴さん一人の犯行だと思ってるし、それなら実名である必要はないよね。
「朴」という名前からいわれのない差別すら煽っているようにも見えちゃうよ。
講談社の中の人がこの件のコメントを出してるってさっきニュースでやってたよ。
「朴さんが無実であることを祈る」的な事を。
こういう事件だとその後「もしやってたら〜遺憾であり〜」と続くのが多いんだよね。
この「もしやってたら」は単なるおまけ、実際は必死な尻尾切りな訳だ。
うちの会社だったら絶対即解雇だよ。最終的に無罪でもね。世間を騒がせた罪だ馬鹿野郎って。
まあやってるんだろうけどね。
朴さんは。
朴さんがやってないって言ってるならせめて一審判決までは待っても良いじゃない。
吹き出しの内外を問わず、台詞とそれ以外のモノローグや傍白すべてに句点がつけられています。
何気なしに読んでいて一度その存在に気がつくと、これが気になって気になって仕方がないのです。
この違和感をおぼえる一例を挙げると、
漫画家・楠みちはるは『湾岸MIDNIGHT』というシリーズ漫画を、
この2社にまたがって描きつづけています(※)。
後者の最新作『銀灰のスピードスター』では、その傍白にもきっちり句点がつけられています
(三点リーダー「……」やダッシュ「——」のあとにはつけられておらず、それだけが救いです)。
自分の場合、特に吹き出し外の傍白は登場人物の内面の詩的なあらわれ(文字どおりのポエム)として読むので、
そこに句点をつけられるとどうにも決まりが悪いように思われます。
そこまで気になるものだろうか、と思われる方は、
ぜひ集英社や講談社など漫画に句点を使っていない出版社の単行本をご用意いただき、
試しにそこに句点を加えて読んでみてください。
内容によっては、句点の有無で台詞の印象が変わってくることがあるように感じられると思います。
もちろん小学館には出版社としてのポリシーによってこの方針をとっていると思います。
それをあらためてほしいなどと大それた要望をするつもりはないのですが、
最近好きな漫画家のウェブ連載作品が小学館から物理書籍として発売され、
やはり句点が気になってとても残念な思いをしたことをきっかけに、
ここでこの悩みを吐き出してみました。
「放送中のドラマを熱心に追い、エンタメニュースをチェックするような人種」ではない私に対してすら、成宮寛貴氏の薬物使用報道、及び(主に)マスコミによる彼のセクシュアリティの「暴露」は不思議なほど胸に刺さった。その気持ちは脇に置いておくとして、紛糾するTwitterを見ていて更に辛くなったので(擁護・攻撃のサイドを問わず)、いくつか確認しておきたいことがある。とっ散らかったま携帯から投稿しており、単に面倒なので推敲をやめた部分もあるのだが、容赦してくれというか、匿名なのでしょうがない。
とりあえず考えがとっ散らかったままタタキ台として書いてみたところ、「成宮寛貴氏の引退表明に憤るTwitterのみなさん、その140字の文章は何を目的としているか、自覚していますか? そしてその文章、その目的に適っていますか? 他でもない君らのためにたぶんもっといい方法があるで?」というややオセッカイなものになった。言いたいことが言いたいことだけに、読みやすく説得力のある文章を作るべく最大限の努力をしたほうがいいのだが、筋道の通った長い文を作るのは単にしんどいので、この辺りを落とし所としたい。
引退表明の文章は他ならぬ成宮寛貴氏本人の直筆によるものである。氏を擁護したいとか、励ましたいといった感情があって、それを表明したいと思うならば、本人の意思を受け止めることを放棄してはいけない。当然も当然。
主語を欠いた「認めない」の連呼は、もちろん「誰がなんと言おうと俺の気持ちはこうなの!」という表明をするならまだ誠実なのだが、
「氏はこんなバックグラウンドの人物で(だから何だ)/薬物なんてやるわけないって信じてるし(これで真実だったら誰が彼を許せるのだろう)/フライデーは悪!みんなでこの気持ちの正しさを証明して成宮くんを取り戻そう!」
という、正義にかこつけて書き手の気持ちをごった煮にしただけの攻撃的な定型文があまりに多い。これでは氏の気持ちに寄り添うどころかNews欄に怪文書を濫立させてしまうだけである。「私個人の感情としては残念だけど、君が決めたのならそれを尊重する。ゆっくり休んでくれ」という前置きがあまりにも足りない。
宮崎駿氏が怒っているだけの動画が放映された途端に突然市民が騒ぎはじめ、ことのついでにドワンゴの人の外見までもをDisったために氏が減量宣言をするに至ったことは記憶に新しいが、インターネットにはあまりにも「自分の気持ちの正しさを証明してやる!」という不毛な言説が多い。多すぎる。ある考えが本当に正しいのなら、どれだけ不本意ながらも人はそれを認めるんじゃないだろうか? (これ自体、あまり振り回してはいけない考え方ではあるけれども。「それは君の気持ちでしょ?w」と難癖をつけられたら、大抵の場合は「そうだね!死ね!」と返すほかないわけで。)
スッポリ前述の項を含むようだが、インターネットで誰かを説得したいと思ったら、「みんなこう思うよね!?これが正しいよね!?""あいつら""は悪だよね!?」ではまずい。味方が増やせないのだから(もちろん、言いたいことを言って気持ち良くなりたい!という目的で書いたのならこれは充分にそれに適うだろう)。
「これは俺の気持ち。それはそれとしてこっちは一般論。成宮くんが本当に薬物に関してクロで、この文章を読んでいるお前が猛烈な成宮アンチで、お前の家族が講談社勤務だったとしても、流石にこれの正しさは認めるよな?」、自分一人が気持ちよくなりたくて言ってるのでなければ、これが大事。
再三強調しておくがこの文章はとっ散らかっている。書き手の頭が悪いのだ。そのため前述の2項とこれまた微妙に内容が重なっている。書き手の書きスキルだけでなく受け手の受けスキルが要求されることもあるもんだと思ってほしい。ダブスタだと思ったらこの文章が成宮擁護派の味方になろうとして書かれていることを思い出してほしい。
インターネットにぶつけようとした自分の気持ちを一度引いて見たとき、実は自分には「週刊誌の巨悪」みたいなものを断罪してみようという気持ちは、それほどないな、と気付いたとする。これはどちらかというと、「成宮氏の味方になりたい」という気持ちではないか、と。とすると、成宮氏の味方になるには実際、どうすれば良いのだろう。この辺りでたぶん理性の声が聞こえてくる。「何もしないこと、そっとしておくこと。自明だ」。今の成宮氏が最も必要としているのは傷を癒す時間だ。
人間、正しい行動をしようとしても、怒りや悲しみというものは厄介で、これに突き動かされてしまってどうしようもない。とあるベトナムの高層がいて、ベトナム戦争中に傀儡政権側に仲間を皆殺しにされたとき、いくら高僧とはいえ怒りが体を突き動かすのをやめるまで数週間ひたすら耐え忍ぶほかなく、そこまでしてやっと再びベトナムのために立ち上がることができたのだとか。詳しいことはすっかり忘れてしまって、その「感情が静まるまでは我々は待つほかない」という部分だけがいつまでも胸に残っている。
感情に動かされてしまうインターネットのみなさんというよりも、当事者の成宮寛貴氏の気持ちに寄り添おうと考えたときにこれを思う。「疑われたくないなら闘えよ」とか、「ゲイであることが悪いことみたいに振る舞っちゃダメじゃん!堂々としてたらいいのに!(言葉にするのも憚られるくらいおぞましい考えだ……)」とか、動向にイチャモンをつけることは、呆れるほど簡単なんだが、気持ちの問題じゃしょうがない。
泣いている人間に「君が泣くことに正当性はないので今すぐ泣くのをやめるべき」と言ってどうなる。「泣かないで!元気出して!大丈夫だよ!はい今元気出た!元気出たよ!」、これも同じようなものだ。悪意がない分余計につらい。「気持ちの問題はしょうがない。どれだけ時間がかかってもいいからまずは落ち着こう、それまで待つ」、強いて何か言うならこうだろう、と。
以上3点が表題に応じて私が述べるところ。
大学の遠い知人の言葉に「自分を許せるのは自分だけ」というものがあり、至言である。曰く""「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは言うが俺の喉元は2ミリくらいしかないので落ち込まない。自分を責めて苦しむだけ勿体無い""だそうだ。彼は何留何浪かして他の大学に行ったはずだが、私よりは生きていて楽しそうだ。キラキラしていると言っていい。
成宮くんの喉元はどれくらいあるのだろう。「許してほしい」などと言わず自分で自分を許してやってくれ。そのためには時間が必要だろう。海外に行く、いいじゃないか、ここより暖かくて静かなところでよく食べてよく眠ればいい。それが巷で邪推されてるように高跳びだったっていい。そのために多分金が要るんだろうけどどうしたら君の懐に入るんだ。フライデー不買とか政治的意思の表明としてすら何ら効力を持たないだろうし面白みもない、それなら集英社から出ている君の写真集でもいっちょ積んでやろうと思うんだが。そうだよなあ?
久々に気に入ったマンガがあったので語らせて。
マウンテンプクイチ「球詠(たまよみ)」
女の子たちが百合百合しく熱く野球をやってるんだけど、画が良い。
動きのある画が良いし、立ち姿とかもかっこいい。人体が気持ち悪いコマがほとんどない。
グラブやプロテクターなんかのディティールもちゃんとしてるのも良い。
(関係ないけど、乳袋気持ち悪いからすぐに廃れるだろうと思ってたのに、全然廃れる気配がなくて困る。)
制服は電撃系デザインであんまり好きじゃないけど、まあそれはたいした問題じゃない。
おれは野球詳しくないけど、野球に関してもそれなりにちゃんとしてると思う。
少年漫画の野球モノの設定やシナリオを踏襲してるんだけど、ストーリーはご都合主義的にテンポよく進んでくれてダルさがない。
これ以上早いと雑になるちょうどよい展開スピード。
キャラの味付けも、ちゃんと野球モノのそれを踏襲しつつ女性キャラであることを十分に生かしてるとおもう。
情報通の司令塔とか、黒髪ロングストレートのパワーヒッター美少女とか。コテコテなんだけど、いい感じにハマってる。
まだ 2チームしか登場してないけど、どっちもキャッチャーがキャッチャーらしくてカッコ良い。野球漫画はキャッチャーがかっこよくないとダメよね。
スポーツモノにありがちな胸糞展開も、(ここまでは)無いのも個人的にはナイス。
おれが心配しなくても、それなりに話題になって続いてくれると思うけど、多少不安もあるので、百合好きも野球好きもみんな読んで読んで。
中途半端なところで終了してしまったら困る。出版社にはガンガンプッシュしてほしいし、書店は平積にしてポップもつけて!。
マウンテンプクイチは、過去に 2作品ぐらい読んで、そこそこ引っかかるものがあったものの、そんなに強い印象があったわけじゃなかった。
百合の文脈では濃いほうなのかもしれないけど、そんなに百合を読まないおれの感覚では、淡泊なところが上手い百合作家だなってぐらいの印象。
今回は野球というフックがあるおかげで濃さが加わっていて、そんなに百合好きじゃないおれもとても楽しめる。画が良いしね。
百合百合書いたけど、基板が百合的なのであって、(これまでのところ)展開が百合ってわけではないので、そこは誤解の無いよう。
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すでに2巻まで発売されてるし、結構バズっているので、おれが語る必要も無いといえば無いんだけど。
2巻が思ったより早くコミナタのランキングから消えたので、もうひと押しってことで。
相変わらず画が上手いんだけど、もっと良くなってると思う。
今まで、目を描き込みすぎてて潰れちゃってたのが、今回バランスよく描き込まれていて見やすい。
メインのヒロインは、地味だけど一番かわいいって設定なんだけど、画においても説得力があって凄い。
そんな設定、画でちゃんと表現できる作家ほとんどいないと思う。
内容的にもドルオタカルチャーを面白おかしく知ることができて楽しい。
百合構図だけど、片方ほとんど男なので百合感が薄くて読みやすい。ほとんど普通のラブコメ。
しかも、すれ違いまくりの王道展開。わりとエッジなところがある作家なので王道展開にのせたのは大いに正解だと思う。
平尾アウリは、「新感覚」なんてキャッチが付いたりする人で、ピッチャーに例えると「エグい変化球をエグいコースにスパスパ投げ込んでくるセンスフルな技巧派」って感じだったんだけど、直球が今一つな感じだったんだよね。。でも今シーズンは「エグい変化球をエグいコースにスパスパ投げ込んでくる上に、まっすぐも速い」という、もはやだれにも打ち崩せない素晴らしい投球を見せていると言って良いと思う。ぜひ今シーズンは最多勝を狙って頑張っていただきたく。
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