「甲賀」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 甲賀とは

2017-06-23

日本ミステリ略史

日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。

箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。

探偵小説輸入の開始

http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nihonbungakukouza_19270530.html

神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877

黒岩涙香翻案『法庭の美人』1888

須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものしか見られない"(柳田泉


黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説嚆矢とは此無惨を云うなり"

・"日本最初創作探偵小説" (乱歩)

・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行

ドイル「唇の曲がった男」翻訳 1894

映画「ジゴマ」公開 1911


雑誌新青年』創刊 1920 "第一の山"(乱歩

・当初は翻訳を重視

横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)など登場

乱歩二銭銅貨」1923 "これが日本人創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村

http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html


戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井

浜尾四郎殺人鬼』 1931

大阪圭吉デビュー 1932

・『ぷろふいる』創刊 1933

木々高太郎デビュー 1934

小栗虫太郎黒死館殺人事件』1934

夢野久作ドグラ・マグラ』 1935

・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935

横溝正史真珠郎』1936

久生十蘭魔都』1937

◇「本格探偵小説

http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253

甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm

小酒井不木当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用

・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別

・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔

探偵小説芸術論争 1934-36(甲賀木々

・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)


戦時下の中断

乱歩 少年探偵団(二十面相)シリーズ中断 1938

乱歩芋虫発禁 1939

・"探偵小説全滅ス"(乱歩) 1941


戦後ミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井

・横溝『本陣殺人事件』1946

・横溝『蝶々殺人事件』1947

・横溝『獄門島』1948

安吾不連続殺人事件』1948

高木刺青殺人事件』1948

雑誌宝石』創刊 1946

・『宝石第一公募 1946(香山滋飛鳥高山田風太郎島田一男

大坪砂男天狗」 1948

・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也土屋隆夫日影丈吉

中井英夫虚無への供物』1964(構想1955-)

◇「探偵小説」→「推理小説

当用漢字表制定 1946.11

日本探偵作家クラブ設立 1947

講談社「書下し探偵小説全集」1955-1956

・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU

講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?

日本推理作家協会成立 1963

参考…

甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00

雄鶏社推理小説叢書」1946.7-

安吾推理小説について」1947

安吾探偵小説を截る」1948

安吾探偵小説とは」1948

安吾推理小説論」1950


松本清張点と線』1958

・「社会派推理小説」、清張ブーム

心理的要素・動機の重視、小説としての充実重視

・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)

◇「本格冬の時代」?

・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック

・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1963 "ネオ・本格"

・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116

風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?

"社会派ということで、風俗小説推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張)

複数対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314

リアリズム――非リアリズム

・「おじさん」――「稚気」

・都会・洗練――土着

海外ミステリ――国内ミステリ

サブジャンル・隣接ジャンル

歴史ミステリハードボイルドエスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説SF、……

・ここ掘ると全体が何倍かに膨れ上がるから触らないよ


◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズム系譜 "2.5波"(笠井

桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎小栗虫太郎海野十三久生十蘭香山滋……etc

・『八つ墓村』(漫画)1968-

中井英夫虚無への供物文庫入り 1974

・『犬神家の一族』(角川映画)1976

雑誌幻影城』1975-1979(泡坂妻夫連城三紀彦栗本薫竹本健治……etc)"探偵小説復権"

笠井潔バイバイエンジェル』1979

島田荘司占星術殺人事件』1981

江戸川乱歩賞青春ミステリ……小峰元アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾放課後』1985


◆「新本格ミステリ」 "第三の波"(笠井

綾辻行人十角館の殺人』1987.9

・「新本格」の公称は『水車館の殺人から……講談社文三によるブランディングの側面

◇「新本格」に顕著な要素(佳多山大地)……

・〈青春ミステリであること

・本格推理形式の先鋭化・前衛化が著しいこと

古典的天才探偵復権

大学ミス研のコネクションを軸とした作家の発掘

講談社――島田荘司――宇山日出臣――京大など

東京創元社――鮎川哲也――戸川安宣――早稲田立教など

公募による「新本格作家の発掘

鮎川哲也と13の謎 13番目の椅子 1989

鮎川哲也賞 1990-

・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993

・『本格推理』1993-2008

・創元推理短篇賞 1994-

メフィスト賞 1996-(『姑獲鳥の夏』1994)

2017-05-19

増田 長盛(ました ながもり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名。豊臣政権五奉行の第三席。父母は不詳、弟に増田長俊、子に盛次、長勝、新兵衛。官位従五位下・右衛門少尉

目次 [非表示]

1 生涯

1.1 仕官以前

1.2 秀吉近臣時代

1.3 郡山城時代

1.4 秀吉没後、関ヶ原合戦での転身、以後

2 子孫

3 主な家臣

3.1 一門衆

3.2 重臣

3.3 その他

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典

5 関連項目

生涯[編集]

増田長盛邸址(愛知県稲沢市増田町

増田長盛屋敷跡(滋賀県長浜市朝日町

生地は2つの説があり、1つは尾張国中島郡増田村(現在愛知県稲沢市増田町)[注釈 1]だったという説、もう1つは近江国浅井郡益田郷(現在滋賀県長浜市益田町)[注釈 2]だったという説がある。上野国存在した増田氏との関係不明である

仕官以前[編集]

秀吉仕官する以前の経歴は明らかでないが、一向宗徒であったという説がある。永禄7年(1564年)側室との間に長男・長勝を儲けている。

秀吉近臣時代[編集]

天正元年(1573年)、28歳の長盛は、まだ織田信長の家臣であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に召し出され[注釈 3]200石で仕えた[1]が、この時期に正室を迎えたと見え、天正8年(1580年)、嫡男・盛次が誕生している。盛次の誕生に際し、銘吉光九寸五分の短刀を与えたことが盛次討死後、乳母の口から語られて記録に残されている。

秀吉の麾下で中国攻めをはじめ多くの戦に従軍し、鳥取城攻めでは「陣中萬の物商の奉行」を命じられた。天正10年(1582年)には奏者に任じられ、上杉景勝との外交交渉などを担当した。同年の吉田兼見日記名前が登場している。

天正12年(1584年)3月小牧・長久手の戦いでは先陣を務めて兜首二つを取る功を上げ、この功績で2万石に加増され、翌天正13年(1585年)3月紀州攻めでは、大谷吉継と共に2,000の兵を率いて従軍根来衆津田監物、西谷延命院を斬った武功があったとされ(『根来寺焼討太田責細記』)、従五位下・右衛門尉に叙任されている。

天正18年(1590年)の小田原征伐においては里見義康担当の申次となり、安房国で差出検地の施行知行宛行状の発給を行っており[2][3]、後北条氏が滅亡すると、さら下野常陸安房大名に対する豊臣政権の取次となった[4]。この年、中村一氏駿河国駿府14万石に移封になったのを受け、近江国水口6万石を拝領している。

太閤検地では石田三成長束正家らと共に中心的な役割を担い、近江国美濃国越後国などの要地の検地奉行を務めた。普請積極的で、京都では鴨川に架かる三条大橋五条大橋改修工事にもあたり、三条大橋には今も長盛の名が刻まれる。伏見城の改修も分担した。

文禄元年(1592年)から文禄の役では、石田三成大谷吉継とともに朝鮮に渡って漢城駐留し、奉行として占領統治兵站に携わった他、碧蹄館の戦いや幸州山城の戦いにも参加している。

文禄4年(1595年、豊臣秀次秀吉の命で切腹する「秀次事件」が起きると、長束正家と共に秀吉との間に対立が生じた豊臣秀次の老臣を糾問するなどしている。文禄5年(1596年)にはサン=フェリペ号事件の処理で土佐に赴き、このとき対応秀吉によるキリスト教フランシスコ会)の弾圧日本二十六聖人殉教)の端緒を開いた。

郡山城時代[編集]

文禄4年(1595年)、豊臣秀長の後を継いだ豊臣秀保が没すると7月大和国郡山城20万石の所領を与えられる。高田一英・浅井井頼ら大和大納言家の旧臣の多くは長盛が召抱えた。長盛はまた郡山城に総堀をめぐらす大掛かりな普請を行った。東では秋篠川の流れを東に変えて水流を佐保川に落とし、西に多数の溜池を繋いで堀となすなどした。この普請のために大和から夫役徴発され、普請は翌文禄5年(1596年)に完成を見た。慶長元年(1596年)には紀伊国和泉国の蔵入地管理を委ねられている。秀吉晩年には五奉行となる。慶長2年(1597年)には再び安房国を訪れて、総検地を施行している[2][3]。

慶長の役では開戦後国内にいたが、慶長4年(1599年)に予定されていた大規模攻勢では福島正則石田三成とともに出征軍の大将となることが決定していた[5]。しかし、慶長3年(1598年)8月秀吉が没したためこの計画は実現しなかった。

秀吉没後、関ヶ原合戦での転身、以後[編集]

慶長3年(1598年)に秀吉が没すると、石田三成は反徳川家康立場を鮮明にし、長盛もこれに与して打倒家康の謀議に参加。慶長5年(1600年)には長束正家前田玄以など五奉行連判で家康悪事糾弾する弾劾書を示し、五大老毛利輝元宇喜多秀家擁立して挙兵西国大名西軍加担を要請する文書を送るなど精力的に活動した。

伏見城攻めには自ら参加し[注釈 4]、重臣・福原左衛門をして城内に籠る甲賀衆に寝返りを促し、落城に導いている(甲賀郡志)。大津城の戦いには一門の増田左衛門を陣代として軍勢派遣し、増田勢は大津城の湖水方面から城壁を越えて乗り込み攻撃した。同城の戦いではまた、家臣・中村金六が敵方勇士・浅見藤右衛門と組み打ちし功名をあげた。 しかし、一方で家康に三成の挙兵を内通し、また三成の資金援助要請も渋るなど対東軍への保身工作も講じている。9月15日に行われた関ヶ原の戦いには参加せず、毛利輝元とともに大坂城守備部隊として西の丸に兵3,000を率いて駐屯戦後9月25日出家して謝罪し、9月27日大坂城西の丸にて沙汰を申し渡され改易となる。その身柄は高野山に預けられた。

後に高野山を出て岩槻城主・高力清長預かりとなる。慶長19年(1614年)8月家康より召喚され大坂方への和睦の仲介を依頼されるもこれを断る。元和元年(1615年)、尾張藩主・徳川義直に仕えていた息子の増田盛次が長盛との相談の上で義直の了解を取り大坂夏の陣尾張家を出奔して豊臣氏に与したが、戦後この責任を問われ自害を命じられた。享年71。

三白眼であり豊臣家を滅ぼした元凶ではないかと後世に語り継がれている。安藤英男は、長盛が三成失脚後に100万石以上に相当する豊臣氏の蔵入地を一括管理していた点を指摘し、長盛が家康に通じずに蔵入地100万石がもたらす資金人員を豊臣家及び西軍のために振り向けたならば、関ヶ原の戦況も西軍有利に転じた可能性があったとして輝元とともに西軍敗戦の原因と分析している。

墓所埼玉県新座市の金鳳山平林寺。当初、騎西郡金重村にあった平林寺に葬られたが、松平信綱によって平林寺が移転された際、新座郡野火止に移った平林寺の境内に移された。明治年間、子孫が墓石を再度移転している。

2017-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20170430132806

あの事故さえなければ信楽甲賀になることもなかったかもしれない

それくらい観光事業ポテンシャルって馬鹿にできないと思ってる

まあバブルの時代からあり得たことなのかもしれないけどさ

2017-02-22

今日増田忍者の日だってっ打日のゃ腎に打素真はウョ貴(回文

ジライヤジライヤ

いつも心に手裏剣を!

おはようございます

2月22日は、

にんにんにん!で忍者の日なんだって

どっかの伊賀甲賀市役所では

全員職員忍者の格好して対応するとか、

忍者の日にちなみまくってて、

面白いことするわね。

イケメン忍者や、可愛いくノ一ちゃんもいるのかしら?

そんでもって、

免許皆伝忍術を学ぶって意味

海苔巻きを巻物に見立て

忍者海鮮巻きが爆売れらしいわよ。

なんの、忍術習得できるのかしらね

ドラのクエ勝手呪文を覚えるのは、

レヴェルが上がったから、

なんか、ひらめいていきなり呪文が使えるようになるのかしらね

そうなると

ファイナルファンタジー呪文の書を買うって言うのは

本買って読んで勉強して呪文使えるようになるって言う、

魔法使いチックな習得の仕方だと思うの。

呪文覚えたら、

ブックオフで売ったらいいんだしね!

そういった方法の方が理に適ってるわ。

まあ、

今日はここら辺でドローンするわっ!

忍者だけに!!!

高飛び!なーんて。

にんともかんとも。

うふふ。


今日朝ご飯

ハッピーラッキー赤飯おにぎりよ。

あと、鮭ほぐしおにぎりも!

今日ラッキーカラーレッド

まさに赤飯おにぎりんぐよ!

ぱくぱく。

デトックスウォーター

風薫る美味しい緑茶ウォーラー

ホッツで頂きますわよ。

また急に寒くなってきたので

身体にはお気を付け遊ばせ下さいません事を願いますわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張ろう!おー!

2016-10-13

くのいちを助けたことがある

その頃東池袋に住んでいた。2008年ころのことだ。

週末の、もう土曜だったか金曜だったか忘れたが、とにかく次の日が休みの日だった。

赤羽からでた最終列車池袋に到着。下車すれば大いなる酔客の群れ。上り階段に座り込む男。イチャイチャする初老の男女。「お持ち帰り」を狙う若い学生

タクシー乗り場には長蛇の列。ストリートミュージシャン人いきれ8月末の暑苦しい夜のことだ。

喧噪を尻目に帰路につく。向原付近ビルの谷間に、くのいちがいた。正確に言うとエアコンの排気ダストの蔭にもたれ込んでいた。

あの例のお約束の、裾の短い装束。あわてて小刀を携えるが、私が一般人だとすぐに認識して警戒を解き、去るように眼で促す。

私はこの時点で此奴はコスプレでやってるんじゃあない、ガチだ、と認識した。それだけの説得力が、彼女のその少ない仕草から充分に伺い得たのだ。

読者諸君は「まさか」と思うだろう。しか諸君のなかで実際ガチくのいちに会ったことある人、どれだけいるだろうか。そこんとこ、よーく考えて欲しい。

彼女は怪我をしていた。右の脇腹に少しく血が滲んでいた。夜なので黒く見えた。

私の来ていたシャツ彼女に着せた。私は下にタンクトップを着用していたか違和感はない。

徒歩2分の私のマンションに連れて行く旨を短く説明すると、彼女は逡巡して、言葉少なくそれを諒解した。

私のシャツを着た彼女服装にそれほど違和感がないこと、任務中には一般人と決して一緒にならないこと、そして緊急事態ゆえに今はそれを逆手にとることを手短に伝えられた。

恋人のように一緒に歩く。脇腹の外傷の他に、どうやら打撃によるダメージがあるようだった。

万が一の際には全力を尽くすが、もしそうなってしまったら申し訳ない、とのこと。

マンションに到着。蛍光灯の下で見る彼女は、修行のせいだろう、スポーツ選手のようなとても美しい身体をしていた。

くのいちがよく履いているニーハイソックスみたいなくつしたが汚れており、部屋に入ったところで慌ててそれを脱いでいた。

その仕草、とてもアトラクティヴで、昔、初めて交際相手を家に招いたときのことを思い起こさせた。

彼女池袋午前1時半の酔客と同じくらい汗をかき、それに加えて泥まみれ(あるいは血にもまみれていたのかも知れない)だった。

怪我がひどくなければお風呂に入るのはどうか、と促した。彼女は怪我の様子も確認したいとのことでお風呂へ。

タオル位置とかお湯の出し方を伝える内に、すぐに出てきた。元の装束を着るのは仕方の無いことだ。うちに換えのくのいち装束はない。

何となく、おなかが減っているのでは? と問うた。

少しの間があって空腹の旨を伝えられた。冷蔵庫にはタッパーに入ったポトフがある。電子レンジを用いる。

くのいちポトフを食べるのだ。当たり前と言えば当たり前だが。どうしても短い裾で、お姉さん座りする美脚に眼が…行っちゃうんだなこれが!

ブルックスコーヒーを一緒に飲む。時間をずらして出立したいとのこと。一緒に寝るのは論外。シュラフを出す。

私がシュラフで寝ようとすると一生懸命に私がそちらで寝ます、と訴える。このときに気付いたが年上のようだ。

結局私はベッドで寝て、彼女シュラフで。数分で寝息を立てていたが、すぐに起きた様だ。寝ずに体を休めているだけにしようと判断したのだろう。

朝起きると彼女は居なくなっていた……訳ではなく、まだシュラフで横になっていた。私が起きるのにあわせて起き上がり、感謝の礼を述べて、出て行った。

シュラフには彼女の残り香。当然、二度と出会うことはなかった。彼女の生死やその任務がどうなったかなど知るよしもない。

ただし、毎年8月のあの時期になると、差し出し不明の小荷物が届く。お茶だとか、かぶら漬けだとか、杉谷なすびだとか。引っ越ししても、ちゃんと今でも届く。

甲賀の忍びだったのだろう。

2016-04-03

オレが時代劇漫画で好きなオチ十選

http://anond.hatelabo.jp/20160403140144


虎眼流を滅ぼした盲目跛足の剣士に辛勝したけど想い人は切腹してましたオチ



天下人喧嘩した茶聖の切腹介錯し、その首を抱いて表へ出たら一同みな土下座オチ



一緒に彰義隊に参加した親友が敗走中に切腹しちゃった!ので自分だけ単身流浪を続けた果てに行き倒れオチ



御前試合に参加した剣士たちがなんやかんのあって勝者も敗者もみんな死にましたオチ



柳生十兵衛の正体は魔王ルシフェルだったんだ!な、なんだってー!の勢いのまま打ち切りオチ



甲賀ロミオ伊賀ジュリエット江戸城の前で抱き合って心中するオチ



越中に 越されぬ山 が二つある 京の中山 備前岡山オチ



剣心が戦争から帰ってきて病気にかかって薫殿の腕の中で死ぬオチ(うろおぼえ)



連載が原作に追いついちゃったので一時休載しま夢枕獏はさっさと続き書けオチ



万次さんがアイヌ小刀見て完全に思い出しましたオチ

2008-01-23

神戸在住』 登場人物メモ

森橋笑子

渡月(チャラ男) 中沢くん 志麻くん 崔月姫 伏見淳美 福井助教授 倉加川(クラリザ) 小田(ボクサー

体育の西尾先生 海棠敦子 花岡くん 成美知枝 富永さん 上原千代子 斎藤行次 十賀峰先生 下沢

常久初子 後藤深津紀 嶺 甲賀 三田村順菜 窪島

伊達

木下ともえ 木下太郎 木下たけい 木下いつこ

司二三

大津(元彼) 本間さん 井原さん 浦澤

エリック・ワイス 瀬畑 学校長の金田 PTA会長水田 森司郎 幸村 田城 流美里

駄菓子屋のバアサン 黄 和美ちゃん 

ミンちゃん 梅井さん 鈴木花子

廣田和名 小西 

藤原新菜 島津カメラマン 

2007-10-18

平和ボケの人は知っているのか?

あなた方の言う平和は決して憲法9条で守られているわけではない。

様々な官僚外交官伊賀甲賀末裔黒服エージェント、無名の傭兵といった様々な人たちの血と汗と涙で守られているのだ。

あなた方は彼らの命を犠牲にしているからこそボケている。

努々それだけはお忘れ無きよう。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん