はてなキーワード: ヤンゴンとは
最近、メディアでミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部のクーデターで情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民が弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマーを旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。
2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権が民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドやコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まり、メジャーな東南アジアの観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAがヤンゴンに新規就航した。クレジットカードのポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。
ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマーの情報は書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマーの知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場のミャンマー人街を訪れ、増上寺のミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市のヤンゴン、古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。
初めに訪れたのはパガン。初日にヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去の王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元の仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製の電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーがふいに止まり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。
ミャンマーの古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマーを流れる大河、エーヤワディー川を観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川のほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客はほとんどが欧米系観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系・韓国系の旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラのシャッターを切りまくった。だが航行時間は10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードでドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。
10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレーの市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かい、マンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安が不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。
ミャンマー滞在最終日。最大都市のヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去のイギリス統治時代の建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線がヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーをチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期に名古屋で期間工をしていたらしかった。
駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマーの情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナが収束しても、軍部主導の政治体制で外国人が自由にミャンマーを旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである。
反ムスリム運動の中心となったのが、僧侶のウィラトゥー師である。
彼は「仏教徒テロリスト」として、米国のニュース雑誌「タイム」の表紙を飾った。急進派の仏教僧侶たちは「仏陀の九徳、法の六徳、僧伽の九徳」にちなんだ「九六九運動」と呼ぶ反ムスリム運動を展開。「ムスリムは妻を四人娶って子どもをどんどん産み、ミャンマーをイスラム教で呑み込もうとしている」「無知な仏教徒の女性を騙して結婚し、無理矢理イスラム教に改宗させ、仏教徒女性としての権利を奪っている」と説法を繰り返した。
仏教徒のロヒンギャに対する偏見は根深い。軍事政権に弾圧された民主活動家や人権派を自認するジャーナリストの口からも「ロヒンギャは不法移民」という言葉が当たり前のように飛び出すほどだ。
筆者が昨年7月、最大都市ヤンゴンで面会したリベラル派の僧侶に「慈悲と寛容を大事にする仏教の国だからこそ、ロヒンギャを受け入れたらどうですか」と促すと、彼は「ミャンマーには135の民族が暮らしていますが、経済移民である彼らをその一つに加えることは絶対に認められません」と気色ばみ、「いわゆる『ロヒンギャ問題』は軍事政権の違法な行為が原因で起きたのです。軍事政権時代、ヤカイン州の入国管理の担当者は賄賂を受け取り、バングラデシュ人を違法に越境させていたのです」と持論を展開した。
その際、アンチ・アウン=サン=スーチーさんなミャンマーの方とたまたま1時間ほど話す事ができました。運よく連絡先もゲット。
勉強不足だということが主な原因ですが
いままでニュースで聞いた話しとはガラッと異なる内容で興味深かったので下記、まとめてみました。
長いですが、よければお付き合いください。
また、事実かどうかは不明ですが、ひとつひとつ調べていると遅くなるので、とりあえずは記載。
事実と異なる場合は随時加筆したいと思います。聞いた話を書いているので「~とのことです」が多いのはご勘弁ください。
2011年、ミャンマーでは市民に対して友好的な派閥の軍部が政権を取った後、
今回の選挙もそれほど大さわぎするほどの話しではない、また、同じ理由で国内の混乱は少ないとのことでした。
今では思想の弾圧も無く、携帯電話や車の購入も解禁され、ワイロでの不法な移民の入国は鳴りを潜め、
ダム建設など国家事業の是非も国民の意見を取り入れる良い政府になったそうです。
当初から2020年までの大規模な民主化計画が練られているとのことでした。
#確かに、特にヤンゴン市内では乗用車は比較的新しいものが多く走っており、ラッシュ時にはひどい渋滞になっていた。バスやトラックはボロボロのものが多かった。
#また、観光地バガンでは貧困層と思われる観光用の馬車の御者ですら携帯電話で連絡を取り合っていた。
その方の話しでは、アウン=サン=スーチーさんの元カレはイスラム教で彼女は思想的に親イスラムなので、
バングラデシュからの移民のロヒンギャ族に市民権を与えるのではないか、とのことでした。
なので、今回の選挙の結果は生粋のミャンマー人としては本来ならあまり歓迎できる話しではないそうです。
それを知っている人は少ないそうですが。
また、彼女の父はイギリスから独立するために戦ったのに、彼女自身はイギリス人と結婚した事にも、不信感を持っているそうです。
ロヒンギャ族は、バングラデシュから2011年より前の腐敗した軍へのワイロでミャンマーに流入し、
現在は西部のラカイン州で、人口の80%を占めるまでになったそうです。
これに付随して、結婚などで地元住民が無理やりイスラム教に改宗される問題も発生していまい、
熱心な仏教徒の多いミャンマーでは、大きな問題となっています。
また、元々130以上の少数民族がいるミャンマーでは、それぞれの民族が独立自治を目指しており
そこにロヒンギャ族の問題が加わったため、状態がさらに悪化の一途をたどっているとの事でした。
ソビエトがロシアに変わった途端にバルト三国などが独立し、国土が狭くなった事を例にして、ミャンマーでも今後同じ事が起こると話しています。
しかも、ミャンマーは小国で、アウン=サン=スーチーさんは親欧米派のため、
これまで以上に中国からの風当たりが強くなるのではないか、とのことです。
いままでの軍事政権は中国と仲が良かったため、この危機を防いでいました。
お話をしてくれた方がアウン=サン=スーチーさんに投票した人たちになぜ投票したのか聞くと
「彼女はミャンマーを変える!」という答えが返ってくるそうです。
しかし「どう変えると思うの?」と聞いても
「分からない。でも彼女は変える!」としか答えられない、と嘆いていました。
#観光地では平日路上で仕事をしている子供も多く、国内の教育の水準が低いことが一因かもしれません。
以上です。お話を聞いて、とても興奮し、より多くの方とこの知識と共有せねばと思い、こちらに投稿いたしました。
ちなみにこの方、軍の方でもなく、市井で一般的な商売をしているミャンマー人の方です。英語で会話しました。
私のつたない英語で聞いた話しなので、上記が誤っている場合は、私の英語力の無さが主な原因な気もします。。
現在のミャンマーの政治は腐敗している、アウン=サン=スーチーさんがそれを変える、となぜか確信していた自分を恥ずかしく思います。
ちなみに観光地としてのミャンマーは実感としては、高速道路が無く、舗装された道が少なく、電気・ガスがあまり通っていないため不便ですが
ものを落としても追いかけて渡してくれるくらい安全、敬虔な仏教徒が多いためか穏やかな気質の方が多く、西洋人の観光客でごった返している、という感じでした。
30年くらい前は日本人だらけだったそうです。。「ビルマの竪琴」の影響か?
なお、はてなダイアリーには今回初めて投稿しました。調べながら頑張って書いてみましたが、見づらい、間違っている点などありましたら申し訳ありません。お知らせください。
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2015/12/2 7:30ごろ追記
コメントたくさん来てた。トラックバックも。ありがとうございます。じっくり読ませていただきました。QAすごい。。。
厳しいご意見が多いので反省ばかりです。皆様のおっしゃるとおり、今までそこまで関心はなく、ニュースも触りだけ読んできました。
1. 匿名ダイアリー間違ってましたか。ふらふら来て書いてみたのですが、ちょっと浅はかでした。匿名ダイアリー内の空気読めてなくて、すみません。
ふつうのはてなダイアリーが正しいのかしら。もし、そちらが正しいようでしたら、そちらに転載いたします。自分で調べろカスって言われそうですが。
2. セルビア、ご指摘ありがとうございます。これは完全な記憶違いでした、申し訳ありません。上記、バルト三国、と記載を改めました。
3. 360度変わった方々:煽りっぽいタイトルで期待させてすみません。タイトルを「変わる」ではなく「変わった」にしました。