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はてなキーワード: 奈良時代とは

2020-06-13

今後倒されそうな日本の像

独断偏見でチョイス

伊藤博文

全国各地にある。いろんな人がいろんな気持ちで倒しそう。

伊東博文像打倒の歴史は古い。銅像はなんと生前から造られ、そして生前から銅像は暴徒によりボコボコにされていた。

そんな歴史もあるし、どこにでも建っててアクセスも良い像。

卑弥呼

九州吉野ヶ里遺跡近傍神埼駅前にある。

もちろん邪馬台国九州説を完全に否定する材料はない。

そのうち急進派の奈良県民により打倒されるだろうと思っている。

奈良の大仏

俺は奈良の大仏日本史奈良時代で習うのはおかしいと思っている。

奈良時代だけでなく鎌倉戦国時代と絡めるべきだ。

奈良の大仏源平合戦の頃平重衡により、戦国時代ではおなじみ松永久秀によりぶっ壊された。

奈良の大仏日本史のぶっ壊しの伝統を今に伝え、そして再建の歴史を今に伝える。ありがとう重源! ありがとう公慶!

これをまたぶっ壊す!! なんと爽快だろうか。

辻政信

とっても毀誉褒貶ありそうな人物故郷石川県に建ってる。

風雪の群像

北海道の像倒しのメッカ旭川新左翼の皆さん。いつの間にかまた像が建ってますぞ! またやりましょう!

2020-06-06

言うて平安時代とかと江戸時代って文明レベルに差があるんだろか?

弥生時代奈良時代とか、明治維新以前/以後、とか戦前ネット発達後なら

見た目も時代の風景も文明レベルも違うってのはなんとなくわかるんだけど、

実際平安時代江戸時代中期くらいまでの文明レベルって言うほど差はあるんだろうか

割と現代社会雰囲気も数百年か数千年は今のままなんじゃ

2020-04-22

見ずして死ねない日本の伝統建築10

友人と旅行すると,興味ない人には日本の伝統建築って全部同じに見えてるんだろうなーって思うことが多い.つまり,「見えて」いても「見えてない」んだな.解像度が低い.だから,その深み凄みを紹介するために10建築を選んでみた.

この増田で,日本建築のどこをみればいいかが少しでも理解してもらえればいいな,と思っている.あくま日本建築を楽しむための「入り口」として,もしくは旅行の楽しみを一つ増やすためのお手軽ツール(やや自嘲をこめてるよ,これ)として,読んでくれると嬉しい.

法隆寺中門~回廊(奈良県生駒郡飛鳥時代

 法隆寺は誰もが行ったことがあるだろう.しかし,一般人教科書に載っている五重塔と金堂があるなーって思って,終わりなんじゃないだろうか.違うのよ本当に.中門なんだ.中門から回廊にかけての柱.伊東忠太エンタシスと呼んだ,胴張りの柱.この列柱をみて,何も感じない人間は,おそらく建築に対するセンスを持ち合わせていないのだろうから,これ以降この増田は読まなくてもよろしい.建築は細部に宿るのだ.その原初的プロポーションは,日本にも偉大なる古典クラシック)があったという証なのだ

東大寺法華堂(奈良県奈良市奈良時代

東大寺に行くと,一般人大仏殿で満足して帰る.ちょっと詳しい人は,二月堂まで登って景色を楽しんで帰る.じゃあ玄人は?その横の法華堂だ.しかも,入り口ではなく,裏側からまずその建築美を楽しむ.この風景こそが,まさに創建時代東大寺からだ.実はこのお堂は,左半分が奈良時代仏堂であり,鎌倉時代に右半分の礼堂を増築している.だから側面からみるとチグハグな印象を受ける.なぜこんな事になっているか原初的には,仏像は外から拝むものなのだ.お堂の中は仏の領域であり,そこに人が入ることはなかった.しかし,日本は雨が多いため,実用的な理由で,仏堂に並び建つ形で礼堂という,人が入って拝むためのお堂が作られるようになる.そして,その後この仏堂と礼堂を一つの大きな屋根で覆うようになったのが,日本の最も一般的正方形に近いお堂の形だ.なぜ奥行きがあるのか,それは二つのお堂を包摂してるから.そして,内部を内陣(仏の領域)と外陣(人の領域)に分けている.

 とまあ,東大寺法華堂だけで日本建築史が語れるんだけど,法華堂自体価値とは,その仏堂と礼堂の処理の過渡期的な建築であることはもちろん,何よりも,天平建築天平彫刻がそのままの形で残っていることだ.奈良時代日本はやっと中国・唐から最新の様式を導入できるようになった.そしてそれは王者建築なんだな.力強く,おおらかで溌剌とした建築.柱と梁によるシンプルで強い建築.その素のままの美しさでは,天平建築にその後の建築は敵うはずがないのだ.

富貴寺大堂(大分県豊後高田市平安時代

平安時代建築って,数も少ないし奈良時代以前の建築に比べて,それほど素晴らしいとは思えない.よくも悪くも日本ナイズされて,よく言えば品のある住宅風の,悪く言えば構造ダイナミズムが弱い建築が作られた.平安時代,人は仏堂の中に入り,座って祈りを捧げるようになった.それゆえ,天井は低く,落ち着いた空間が好まれるようになった(卵が先か鶏が先かはわからないが).軽く高床にして,床下の風通しをよくしているのも日本化のひとつ.これらの日本的要素を建築史的には和様と呼ぶ.平等院鳳凰堂和様代表みたいに言われているけど,あれはまあ,例外的な派手派手金持ち建築なわけで,一般的仏堂というのは,この富貴寺大堂のような三間四方(柱が4本で間が3つの正方形型)の阿弥陀堂だろう.これがよい.実に素朴で,柔らかい建築.人と仏像距離がちょうどよくて,いつまでも中に入って祈りを捧げられるような,そんな自然体の空間.こういう空間は,奈良時代ダイナミックな,ところせましと仏像が建ち並ぶ空間とは異なり,ほっとするんだな,日本人なら.とはいえ,この富貴寺は大分のド田舎にあるので,さすがに東京から行くにはマニアじゃないと無理かな.東日本なら,福島県いわき市にある白水阿弥陀堂も同様の建築でよい(らしい.東国はいまいち詳しくない).さらに,平安時代に由来する浄土庭園の中にあるので,こちらの方が平安時代的でよいかもしれない.

東大寺南大門奈良県奈良市鎌倉時代

日本建築史上の最大のトピックといえば,鎌倉時代東大寺再建に関わった僧,重源の大仏である.先述したように,平安時代には天井を低く住宅風の落ち着いた仏堂が好まれたが,重源が宋からもたらした建築は,その真逆をいくエポックメイキングものだった.天井は貼らず,屋根裏まで高く伸びる柱.縦横無尽に頭上を飛び交う貫(ぬき,柱と柱をつなぐ水平の補強材).そんな規格外建築東大寺大仏殿という世界最大級木造建築を作るためには,従来の和様建築では構造的に不可能であった.それゆえ,より合理的ダイナミックな中国・宋由来の建築が取り入れられた.日本建築史上最も巨大な,今見られる大仏殿の3倍にもなる内部空間.それはパンテオンにも劣らぬ迫力のものであったろう.そんな鎌倉大仏殿を今,見ることはできない.戦国時代田舎侍が燃やしてしまたから.しかし,東大寺南大門は当時のまま残っている.東大寺南大門をくぐる時は,ふと上を見上げてみよう.そして,圧倒的な上昇感に震えてみろ.

金剛三昧院多宝塔(和歌山県高野町鎌倉時代

多宝塔って知っているだろうか?下層が方形,上層が円形の平面を持つ,ちょっと変な建築だ.空海に由来するため,真言宗系の寺院によく見られる.これ,塔がそもそもインドストゥーパ釈迦の遺骨を納めた仏教最初期の半球系の建造物)に由来していることをあらわしている.先祖帰りの建築だ。中国にも存在しない、日本オリジナル奇形建築木造建造物としては,かなり無理矢理な形をしていることから,よほどの宗教的意味があったのだろうと思う.今は15mほどの小型のものが多いが,そのオリジナル高野山のコアである根本大塔だ.しかしあれは無理があったのか,燃えては再建を繰り返し,今ではもう鉄筋コンクリートだ.そんな中,金剛三昧院の多宝塔は本場高野山にありながら,鎌倉時代のもので,有名な石山寺多宝塔と並んで最も古く美しい形をなしている.どっちでもいいんだけどね,やっぱり本場の多宝塔を見た方がよいかな,と思うわけだ.

軽くさわりだけなのに,予想以上に長くなってしまった.まだ鎌倉までしか進んでいない.この増田反響があったなら,あとの5つも書いてもいいかな.


消えてたのでキャッシュからリカバリー

2020-04-19

思い上がるなよ野蛮人

日本中国に負けたとか何とかいってるが当たり前だ

口に出すのもおこがましい

最初から中国日本よりもずっと上だ

日本国産みだの神産みだのやってる間に中国ではすでに人が国を治めてる

神話時代ってのは文字による記録もない未開の時代ってことだ

歴史の重みが違う

わかったらおとなしく中国に向かって頭を垂れてろ

飛鳥奈良時代のように中国のやり方を見て学べ

2020-03-17

国民1人5万円給付案が出たらしいけど

絶対無意味、ただの浪費、税金無駄遣いになるだろう

どう考えてもみんな懐に入れて二度と出てこない

日本人なんて奈良時代から貯めることしか考えてない連中だぞ?

やるなら目的・期限つきでなければダメ

「うるせー、つべこべ言わずに配れやw」という人に聞きたいが、あなたはもらった5万円を本当に使うのか?

使わなければさらに景気は冷え込み、企業も売上が立たず、業者にも支払いできず、連鎖倒産が引き起こされて自分会社も危うくなるんだよ

そんな知見もない国民現金なんて絶対に与えちゃダメ

給付すべき」という人は配った現金を市中に滞りなく行き渡らせるプランでもあるわけ?

2020-03-11

anond:20200311005415

現代人なのに、がよくわからん

自分現代人の知識でもって

奈良時代タイムスリップして指図したら?

自分現代技術・資材でやっても?

大仏を作ってるとき現場監督が「ちょっとデッサン狂ってない?」なんていってやり直したりしなかったんだろうか?

一発成功

自分現代人なのにこの奈良時代人達と同等の仕事ができる気がしない。

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2020-02-06

anond:20200206185947

カレー再現したのが肉じゃが説はデマだぞ

実際にはカレー奈良時代には薬膳料理として伝来していたんだぞ

ただカレーを作るための香辛料が高価だったので

代わりに味噌をつかったのが味噌汁なんだぞ

水が貴重な地域で水を減らして味噌汁を作ったのが肉じゃが起源から

肉じゃがカレーの孫のようなものだぞ。

2020-01-21

anond:20200120084644

日本人口が大きく変化した時代とその要因は、ざっくり言うと

 (1)「稲作」が普及した奈良時代まで(100万→500万)

 (2)「二毛作」「牛馬の使用」など農業改革された室町時代終わり(800万→1200万)

 (3)「小農の自立」が起きた江戸時代前期(1200万→2500万)

 (4)「産業改革」が起きた明治時代(3000万→6000万)

 (5)「経済成長」が起きた戦後(7000万→1億2000万)

となる。

もちろん医療の充実とか社会構造家族関係などもこの間には変化しているんだけど、こう並べてみると結局「食い扶持」に連動して人口は変化するのだと分かる。社会構造がどう変わろうが、医療がどう進歩しようが、社会全体でその人口を支えられなければ結局人口は増えないし、社会がそれをまかなえる限り、人口は増えていくもののようだよ。

から個人的には「●●年後には日本人口は半減!」とか煽る未来予測は嘘だと思ってる。冨がなければ人は増えない、冨があれば人は増える。多分、長期的にはそれくらい単純に出来てるものみたいだ。

2019-12-02

anond:20191202003441

そもそも本能定義が怪しい。

美醜の基準時代によって変わることを考えても、どういう対象に性欲を抱くかは後天的学習する部分が大きいものから本能とは言いがたい。

たとえば奈良時代美人現代日本モテるとは思えない。

先進国ではだらしなく醜いと思われるデブも、食料が溢れかえっていない国では裕福さの象徴となりモテ属性だ。

人間って案外本能的な部分少ないぞ。

2019-07-01

今の神道って仏教の一宗派なんだな


日本神話の神々がつまり何なのかは誰も知らない原始神道

2019-05-17

anond:20190517150705

いや、女性天皇が長く在位したり再登板するのも、男の長子に恵まれなかったの一言で全て説明できるでしょ。

から側室制度が整備されてからは、女性天皇登板させるほど世継ぎに困る事態にならなかったから、それこそ奈良時代から江戸時代まで、数百年女性天皇がいなかった時代があったわけで。

2019-05-07

anond:20190507134203

灰 - Wikipedia

灰は手軽に入手できる有用化学物質として、古より様々に用いられてきた。

(中略)

作成したての汚染されていない灰で人体の洗浄剤や傷口の消毒剤にも用いられてきた

石鹸 - Wikipedia

古代から水だけで落ちにくい汚れに対し、粘土や灰汁、植物の油や種子などが利用されていた

灰持酒 - Wikipedia

灰持酒の原型は、奈良時代以前から醸造されていた御神酒などに使われる黒酒(くろき)であり、これは米麹に飯と水を入れて発酵させた後、常山木の根の灰を加えてできる。

要するに「灰」は人類最古級のアルカリ性化学物質であり、

「なんかわからんけど汚れを落とすもの」として知られていたわけよね。

他にも着火剤だとか染料だとか肥料だとか…さまざまに利用されてきたわけで、

「灰汁で煮ると美味しくなる・毒が抜ける」というのも突飛な考えではなかったんじゃないかな。

2019-05-05

anond:20190505123736

奈良時代くらいの女性天皇に、山芋だか何だかディルド代わりに突っ込んでたら折れて抜けなくなって、それが原因で病死した人がいたよね?

現代大人オモチャも発達してて本当によかった…

2019-05-04

女系天皇に賛成している人達に聞きたい

おそらく賛成派の多くは「天皇になった愛子様を見てみたい」という単純な願望なのではないか

天皇になること自体は、法律改正可能となるからそれほどハードルは高くはない。

しかし、問題天皇になった後なんだよね。

愛子様が適齢期になった場合民間男性結婚して「皇族」になっていただく必要がある。

旧宮家男性を招くという選択肢もあるが、美智子様雅子様紀子様前例があるので民間から招くのが筋論であろう。

これは、美智子様はじめ民間女性皇室に迎える以上に、難関ではないだろうか。

皇室に入ってくる男性から、何かしらの「野心」を持っていないとも言い切れず、それをどうやって判別するのか。

日本の歴史上、民間人でありながら自ら天皇になろうとした、奈良時代道鏡の例もある。

それに女性宮家を作るということは、小室圭君を皇族として迎えることなんだけどね。

女系天皇制に賛成している人達は、この点についてどう考えているか

2019-05-03

anond:20190503020443

引眉(ひきまゆ)とは、奈良時代から江戸時代にかけておこなわれた化粧法で、眉を剃る、または抜くことを意味する。

2019-04-25

日本時代区分を考える

日本史時代区分表 - Wikipedia

縄文時代

弥生時代

どうせ土器が二種類ありました卑弥呼がいましたくらいしか習わへんし

ここらへんはまとめて「土器時代」でええやろ。

土器が普及してから大和王権が成立するまで」の先史時代的な定義で。

古墳時代

飛鳥時代

研究者的にはいろいろあるみたいやけど

大和王権が成立してから大宝律令が制定されるまで」と定義して、

大和時代」に呼称を戻してええんちゃう

奈良時代

平安時代

大宝律令の制定からその終焉まで」ってことにしよか。

いわゆる「律令時代」ってやつやな。

飛鳥時代律令時代に含まれるんかもしれんけど。

平安時代

で、そのあとは王朝国家体制期という意味での「王朝時代」なんかな、よくわからんけど。

仮に朱雀天皇即位および藤原忠平摂政就任区切りとすると930年か。

で、鎌倉幕府が成立するまでと定義しよか。

鎌倉時代

まあ「鎌倉幕府の成立から鎌倉幕府の滅亡まで」でええやろ。

建武の新政めんどいから鎌倉時代に含めるっちゅうことで。

てことは実質的に「室町幕府の成立まで」か。

南北朝時代

室町時代に吸収されてええんちゃうか。

室町時代

とりあえず「室町幕府の成立から室町幕府の滅亡まで」で。

安土桃山時代

ここは短すぎるんよなあ。

明応の政変から安土桃山時代までを「戦国時代」として独立させるほうがええかもしれんね。

江戸時代

これは「江戸幕府の成立から明治政府の成立まで」でええやろ。

明治時代

大正時代

昭和時代

一世一元やからって時代区分にする必要もないやろ。

明治政府の成立から太平洋戦争敗戦まで」でまとめようや。

名前は「帝国時代」とかでええんちゃう

昭和時代

平成時代

太平洋戦争敗戦から現在まで」と定義して、

またなんか大きな変化があるまでひと括りでええんちゃうの。

昭和平成・令和から取りつつ憲法にも引っ掛けて「平和時代」とかどうやろ。

そうすると次に戦争が起きたとき平和時代終焉かな。

まとめ

土器時代3世紀
大和時代3世紀701年
律令時代701年〜930年
王朝時代930年〜1185年
鎌倉時代1185年〜1336年
室町時代1336年〜1493年
戦国時代1493年〜1603年
江戸時代1603年〜1868年
帝国時代1868年1945年
平和時代1945年

どやろ?

2019-03-29

元号は2字が原則なのに奈良時代天平○○の4字元号が続出してるのはなぜ?

2019-03-21

anond:20190321084016

うーん、まあそういうことを言いたい気持ち分からんではないんだが、

(1) 和暦において二文字でない年号は「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」の五つしかない。これは奈良時代聖武天皇の「天平」の後の20ちょっとの時期に集中していて、それ以前にもそれ以降にも元号は二文字のものしか存在しない。

(2) 昭和54年元号法が制定された時期の閣議報告である元号選定手続について』(昭和54年10月23日 閣議報告昭和59年6月29日 一部改正、同7月1日施行昭和64年1月7日 一部改正):

https://www.kantei.go.jp/jp/content/20190208choukan_shiryou.pdf

の 2(2)イ に、

内閣官房長官は、候補名の検討及び整理に当たっては、次の事項に留意するものとする。

(中略)

漢字2字であること。

とあるので、この閣議報告撤回しなければ難しいだろうな。

2018-11-18

お前の転生先は奈良時代

南北朝時代江戸時代太平洋戦争期末期になります

そう告知されたら

ワンチャンに賭けて江戸時代を選ぶと思う

2018-10-27

anond:20181027233451

大丈夫? 工芸品の価値が技工とか、奈良時代くらいの竪穴住居とかから来た人かな?

2018-06-08

英語/日本語

「私は英語が話せます」は…https://togetter.com/li/1234512

講談としては面白いし、英語のうんちくも「ナルホドソウデスカ」って感じだけど、日本語論のところは眉唾で、あまり信用されると困るなあという印象。以下、気づいた点をメモ


漱石の日本語は別に近代文学最初のものではないし、その後のスタンダードでもない。明治近代文学濫觴となった二葉亭とロシア語の影響、鷗外文学ドイツ語受容その他様々なジャーナリズム公文書、そして文法学的研究など明治二十年代、三十年代の様々な文学状況を無視して、現代人に聞こえの良い「漱石」と英語との関連だけで近代日本語の成立を語るのは乱暴まりないし、漱石の影響を一番受けた芥川文壇日本語としてはどこまでも異質で、そして大正の終わりには滅びたような古臭い日本語だった。代わりに現代語の基盤を築いたのは、フランス文学に影響された自然主義新感覚派文学であって、これらの日本語は、漱石の日本語とは似ても似つかない代物だよ。


そもそも漱石の日本語が翻訳文体だというのもほんとに漱石読んだことあるの?というレベルの話で、デビュー当初のあの奔放な江戸弁と漢文脈のミックス体は、むしろ英語の影響を見て取る方が難しいと思うのだが。


まあ、本当の意味英文翻訳文体漢文脈に代わって日本語の基本になるのは、正直戦後じゃないかな。その典型は、日本国憲法かなあと思う。あれ、術語こそ漢文ぽいけど、構文や何かは英語のものだよね。


それにしても英→日ができて日→英が不便だから「欠陥OS」という言い方はちょっと頂けないね講談としても口が滑った感じだ。じゃあ英語は何か国語翻訳できる優秀なOSなんですか?って。機械的翻訳馬鹿にするが、奈良時代の昔からそれが海外文化を一気に取り入れるとき日本語十八番なんだよ。そうして、中国語ヨーロッパ諸語と、複数のまったく文法体系の異なる言語を構文レベル移入しながら独自言語としてのアイデンティティを維持する…そんなアクロバティックな進化を経てきた言語を、軽々しく扱おうとはちょっと不見識が過ぎるんじゃないかね。

英語をやってると、とかく英語ができるってことでひとかどの知識を持っているかのように思い込む輩がいるが、この人は一応は勉強家のようだから、そういう輩の轍を踏むことの無いよう祈っておくよ。

2018-05-02

元号が1年前になっても決まらないので、困るんですが。

 昨日、グループ社内で「元号対策検討会」が開催された。

文字通り、

という話だ。

 結論は、

(ただ、3月から5月中旬地獄を見そう)

(ただ、5月などの休日祝日がいまだに決まらないので、年間変形労働制のカレンダーが決まらない)

だった。

 システムについては、十数年前から元号変更に対応済みで、

明治 M01」

大正 T02」

昭和 S03」

平成 H04」

としており、次は

「●● ○05」

とするだけだ。

 まあ、取引先各社の現場で調整しなければいいけないこともあるので担当者地獄をみそうだが、消費税アップよりは何とかなりそう、と。

 あとは、

アルファベットが重ならないように」

伝統に返りすぎて奈良時代の『天平神護』みたいに4桁にならないで」

祈るばかりだ。

 問題印刷物だ。

 うちは官公庁とも取引が多いのだが、来年全国的に大がかりなイベントが多い。

「2月 即位30年」

「4月 統一地方選

「5月 天皇即位

「6月 G20」(特に大阪支店)

「7月 参院選

「秋 ラグビーW杯」だ。

 契約がまだのもたくさんあるが、営業的にはありがたい話だ。

 ただ、その反面、元号が決まらないと、実作業に取りかかれない。

年度末の3月末に納品すると逆算すると、

「2月下旬元号発表」→「3月上旬校正」→「3月内に完成」

とならざるをえない。例年のように1月や2月から印刷を始めるということもできない。

 本当に困った。本当に困っている。追加メンバーをどうするのかが、今回の会議の議題だった。

 それより怖いのは、「消費税」だ。

10月 消費税を8%から10%に引き上げ」

スケジュールに決まっている。

 以前の8%引き上げの時に下準備は終わっているが、

システム部門印刷部門地獄を見るのは確実だ。

 やるかやらないか、なかなか決まらないのもつらい。

 「アベ政権を許さない」

で、会議は終わりました。本当にどうするのかな。来年

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