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2023-02-07

anond:20230207152134

こういう悲観的な未来言われすぎてて多分実現しないんだろうなという気がする

サッカー日本代表は衰退しなかったし、朝日新聞記者も相変わらず高給取りだし

しろ英語学習いらなくなるレベルの小型翻訳機の携帯スマホみたいに人類常識になって、外大外国語学部が廃れて漢詩や皇典の学校と同じ扱いになる未来は見える

2022-11-19

山雅 これをサンガと呼んでしまった人

やまが、と読みます

国破れて山河在りと言う漢詩を知っている人は陥りがちです

気を付けましょう

2022-04-26

ネットミームの一部は中国古典みたいに残り続ける

歌を詠む平安貴族の間では中国漢詩漢籍知識は全員知ってて当然みたいな土壌があって

基本的にその知識をもとにしていかにヒネッたイケてる歌を作れるかのマウント合戦みたいな部分があった。

現代日本ネットーミムも「吉野家コピペ」「高菜食べてしまったんですか」みたいなのはもうこの先何十年も

残り続けそうな気がする。すでにリアルタイムでそれを経験してる世代より1020年後世代でも使っていたりする。

どんな人間でもちょっと調べればどんな内容か理解できるしその面白さには普遍性があるし、それに絡めて語れるようなニュースがあったりしたら

早速活用して大喜利やったりできる汎用性がある。

2022-04-05

anond:20220404095532

これが近代以前だと

関係ない話題ときにも和歌とか漢詩とか突っ込んでくるのが

教養人だと思われとったんじゃ

鎌倉殿の13人でも、いきなり和泉式部日記和歌がどうのこうのとか言ってる)

2022-01-21

anond:20220121122726

その気持は分からんでもないが、和歌いっぱい好きで素養も高かった大正天皇disられがちで

漢詩に長じた明治天皇めっちゃ持ち上げられるんよな。

ふしぎ。

2021-12-02

読みかけの本。

 第9回BL小説大賞に出品したせいで先月は自分創作(出品作の直し作業)が忙し過ぎて、本を読むとかいう気分ではなく、読みかけて積んでしまったものが多かった……。

読みかけ挫折or挫折しそう。

アンタッチャブル』(馳星周

 馳星周先生作品って、少年漫画青年漫画二次創作BLを覚えた人間にはヒャッホー! な、ヒリヒリとした男同士の関係性を描いたものがちらほらある。私は『生誕祭』が好きだなぁー。けどここしばらく馳作品を読んでなかったなと思い、バディものだというし面白そうだなと思って本書を手に取ったのだが……。

 冒頭がすごくダルい。今まで読んだ馳作品の中でここまでダルいと思ったものはなかった。うぅ……なんだこれ。でも作者あとがきには楽しんで書いたって書いてあるんだなぁ。作者が楽しんで書いた作品駄作法則発動か、それとも中盤から急に面白くなるのか。わからないけど、十分の一くらい読んで脱落した。


私立探偵麻生龍太郎』(柴田よしき

 BL字書き仲間から、「柴田よしき作品BLだよ!」と教えられて、どの作品BLなのかわからないまま、とりあえず目に留まった本作を読み始めた。しかし、最近の私にはBL貧乏神でも憑いているのか、これもいきなりダルくてくじけそう。某BLレビューサイトマンスリーくじも外したし、散々な気分だ。



遅々として進まないけれど、頑張って読んでいる。

武漢日記』(方方)

 中華BLかぶれて中国に興味を持った私、感染症がどうかというよりかは、中国市井の人々の暮らしぶりを知りたくて、本書を読み出した。これは興味深い。封鎖下の武漢の人々の暮らしぶりもよくわかるが、中国一般市民暮らしや考え方も見えてくる。ステイホームするしかないので、著者のだしてくる話題ネットの話多めなんだけれど、中国ブラックジョークとか、漢詩パロディーとかが興味深い。

 中国といえば言論の自由のない国というイメージだけれども、それでも人々は完全に右へ倣え(いや左へ倣えかな。)している訳でもなく、動画血気盛んに行政批判地方自治体disくらいなら意外と大丈夫だったりするの?)や罵倒をしていたり、ユーモアを交えて上手く規制を交わしつつ本音吐露しているようだ。

 ちょっと意外だなと思ったのは、中国人達プライバシー大事にしている。自由感染症対策を天秤にかけてどっちを取るかっていう議論が出てきたりとか。また、感染症対策大事だけれども経済を回すのも大事でしょう、とかい意見も出たりして、完全に共産主義なのではなく、資本主義的な考えも取りれているようだった。いや、資本主義というよりは現実主義なのかな。

 著者の方方先生基本的当局を支持し信頼していると繰り返し述べつつ、極端な思想極左)は人々の暮らしに悪影響をおよぼすとも主張している。そしてよくネトサヨから攻撃されたりブログサイトからアカウントブロックされている。

 思い切った都市封鎖で徹底的に感染症対策をしたにも関わらず、なかなか感染者数が減らなかった武漢。本書は日記なので、リアルタイムにその状況を体験して書いている方方先生や、一般武漢市民にはどうしてこんなに長く閉じ込められなければならないのか、分からなかったようだけれども、この翌年に俯瞰で見れる読者の私には、さもありなんと思える記述が所々にある。一般市民の多くはステイホームをしていたものの、当時の武漢にはホームレスもいれば貧民街も一部にあったらしく、それらの困窮生活者は生きる為にいつも通りの暮らしをしていたようだ。また、物資の配給に従事していた人々……多くは市の職員ボランティアだ……の感染症対策情報不足物資不足から万全とはいかなかったようで、それが感染拡大に影響していたのではないかと私には思える。

 日本でも他山の石とすべき所は、役所というのは日常仕事様式から、どうしてもフレキシブル対応が苦手となってしまう、という点かなと思った。こればかりは国の主義とか関係ない感じがする。全体主義・強権主義的なところのある国は感染症のような問題には強いと、外の我々には見えたけれども、現実にはそれでもかなりの苦労があったことが本書にはありありと書かれている。

 ……とまあ長々と書いたけれども、まだ半分ちょっとしか読んでないので、頑張って続きを読む


女性の生きづらさとジェンダー 「片隅」の言葉と向き合う心理学』(心理科学研究会ジェンダー部会

 BL関係ないけど。読んでみれば、一般社会から顧みられることのない、普通から脱落した女性たちの暮らしものの考え方、世界の捉え方が書かれていて、興味深い。のばらあいこ先生の『秋山くん』『寄越す犬、めくる夜』の登場人物(こっちは主に男性だけれども、所属階層はほぼ同じだろうな)の日常とかを思い浮かべつつ読んだりとか。

 性的逸脱行為を繰り返す少女が、自らの価値を「需要」のある無しで語るくだりとか、衝撃を受けた。しかし、そこまで荒れた生活を敷いられているわけでなくても、自他を使える使えないで見ている人というのは世の中にはとても多いというか、ただそこに存在することさえ許されない、役に立つの義務であるかのような圧が社会全体にのしかかっている気はするよなあ。そういう圧が、社会の中の一番弱い人々を押し潰してしまうんだろうね。

 非行犯罪少年院に入れられた少女達が、更生教育を受ける中でやっと自分存在肯定することを覚えるということ。世間的には少年院に入るなんて罰だとしか思われていないけれど、そこが人生の根幹の部分を学ぶ唯一の場所であるという人も世の中にはいて、必要場所なんだなあ。しかし、女子少年院を出てから数年後に悲惨な姿でまた戻ってきた女性の話しは重く辛かった。せっかく自分を大切にすることを覚えても、彼女ゴミのようにしか扱わない人しかいない世界に戻っていくんだね。ネンショー出だということで……。

 まだ四分の一くらいしか読んでない。辛いけど最後まで読むぞ。


から読むBL

『飛行少年ズ』(野火ノビタ

 唐突に、紙の同人誌なんか家に一人で居られる昼間しか読む暇ないじゃん! と思って宝箱から発掘してきた。幽遊白書同人誌、なんだけど、表紙からして誰おま。これが野火ノビタクオリティ。だが読めばなるほど蔵飛……そしてエモい

 実を言うと蔵✕飛は特に好きではないが嫌いでもなく、しか野火ノビタ先生作品に限っては超好きなので本を買ったという。私自身は幽白の最推しカプは男女カプなので、表向きには蔵飛読むなんて言えない。腐に媚びてんじゃねぇと陰口を言われるので。BLのカプでは仙水✕樹が好きだな。推しても誰とも喧嘩にならないし。



という訳で、今日は久しぶりに読書の日と割り切って、ひたすら読むぞ。

2021-10-22

歴史トンデモ論で打線組んでみた

1 捕.ホロコースト否定論

2 一.江戸しぐさ

3 右.南京大虐殺否定

4 中.原爆神話

5 三.アイヌ否定

6 遊.東京裁判史観

7 二.アジア解放

8 左.明治維新非難

9 投.白人至上主義

控え

・日ユダヤ同祖論

昭和天皇戦争引き起こした論

大正天皇知的障害者

解説

ホロコースト否定論

 ホロコーストねつ造であるという言わずと知れた世界的に有名なトンデモ論。ちなみに国によっては否定するとこの論を唱えると逮捕されるので要注意。できれば他のトンデモ説もこれと同様に法律で取り締まってもらいたいものである

江戸しぐさ

 江戸時代には傘かしげ(傘を指したまますれ違うときには傘を傾ける)、時泥棒アポなし訪問約束の5分前に到着しなければ死罪)などのマナーが普及していたが、明治政府虐殺により失われてしまったというトンデモ論。これの恐ろしいところは小学校道徳教科書で取り上げられたり、ACCM放送されたこである

南京大虐殺否定

 南京大虐殺ねつ造であるというトンデモ論。犠牲者の数については意見が分かれているが、虐殺のものがあったことは否定できない。しかし、自称愛国者達の間で固く信じられている。愛国者であるなら、正しい歴史を学んで国の恥を晒すようなまねは止めて頂きたい者である

原爆神話

 原爆戦争の早期終結のために不可欠だったというトンデモ論。原爆投下はソ連への威嚇のための人体実験であり、決して正当化できるものではないのだが、アメリカ人達の間では広く信じられ、学校歴史教科書でも取り上げられている。日本人でも信じている輩がいる

アイヌ否定

 アイヌ民族はいない、もしくは先住民ではないとするトンデモ論。アイヌの人々が日本による弾圧差別によって苦しめられ続けた事実無視し、現代でも差別正当化に利用される非常に害悪思想である南京大虐殺否定アジア解放と並びネトウヨの間で固く信じられている。

東京裁判史観

 第二次世界大戦悪の枢軸国と正義連合国の戦いであるというトンデモ論。日本軍やナチスの残虐行為は決して擁護できるものではないが、原爆投下、ソ連抑留など連合国も信じられないような悪行を重ねており、単なる正義と悪の戦いではないことは明らかである。また、東京裁判ニュルンベルク裁判連合国悪事に一切触れず、枢軸国だけを糾弾する、事後法で裁くなどの無茶苦茶もので、その実態裁判ではなく報復しかいえない。

アジア解放

 太平洋戦争東南アジア欧米植民地支配から解放するための正当な戦争であったというトンデモ論。無論、これは大義名分に過ぎない。白人植民地支配が残忍であったのも事実だが、日本軍の残虐行為も許されて良いものではない。東南アジアの罪のない人々が数百万人犠牲になったこと、現地の人々が戦後自らの努力独立を勝ち取ったという事実無視しており、余りに無礼である日本軍が独立寄与したというのはあくま結果論であり、現地の人々の思いを踏みにじってはいけない。そもそもフィリピンに至っては近い将来に独立約束されており、この大義名分は一切適応できない。

明治維新非難

 薩長テロリストであるというトンデモ学説歴史評論家”原○伊○によって唱えられた。何事にも正と負の側面があるにも関わらず、「明治政府100%悪!江戸幕府100%正義!」と極端な善悪二元論歴史を唱えるのは御法度である

白人至上主義

 白人アジアアフリカ新世界植民地化できたのは白人が優れた民族であるからだというトンデモ論。長らく植民地支配人種差別正当化に利用された害悪な説で、今でも信じている輩が少なくない。歴史を全体的に見ればヨーロッパ覇権を握ったのは比較的新しく、その発展も中国イスラム繁栄があって初めて成り立つものであることは火を見るより明らかである白人覇権には地理的要因も多く絡んでおり、白人崇拝は偏狭解釈であるというしかない。日本人でも右翼左翼わずこの論を受け入れている者が少なくなく、日本人朝鮮人中国人よりも白人遺伝子を多く受け継いでいるという新たなトンデモ論を生んだ。

・日ユ同祖論

 日本ユダヤ人の失われた支族であるというトンデモ論。明らかに嘘と分かるもので、フィクションとしては面白いのだが、まれに本気で信じている輩がいるので笑えない。

昭和天皇戦争引き起こした論

 昭和天皇が自らの意志積極的日米開戦推し進めたというトンデモ論。左翼の間で固く信じられている。確かに軍部暴走を抑えられなかった天皇の罪は重い。しかし、僅かでも日本史の知識があるなら、天皇日米開戦には反対であったとうことは分かるはずである東條英機首相に任命されたのもそのためである

大正天皇知的障害者

 大正時代が短いのは天皇知的障害者であったからとするトンデモ論。大正天皇は病弱だったが、多くの漢詩を残す、朝鮮語学習に努めるなど教養のある人物であり、決して知的障害者ではない。天皇をどうしても貶めたい左翼ねつ造された。

余談

 最後トンデモ本を見分ける方法を紹介したい。しかしながら、このやり方は完全ではないため、結局の所大切なのはものごとを多面的批判的に判断し、すぐ「AはBである」と決めつけない慎重さである。またトンデモ論を信じ、発信してしまえばあなた共犯者になってしまう。情報の受け入れだけでなく、発信の際にも慎重になろう。

・著者の経歴を確かめ

 博士号はおろか、大学歴史科学科すら卒業していない著者もいる。また、学術論文雑誌に発表していない著者にも要注意である。更にプロ歴史学者にも専門外の分野に手を出すものがいるため気をつけるべきである

扇情的見出しには気をつける

 例外もあるが、”~のウソ”、”~の真実”、”~の陰謀”、”反日”などの扇情的見出しには要注意。

・参考文献がない、もしくは一般書ばかり

出版社を見る

 講談社岩波、中公は”比較的”信用できる”かもしれない”。百○尚○先生御用達幻冬舎などの出版社には要注意。ただし、原○伊○の明治維新非難講談社出版されたものである

2021-10-15

[]乙骨太郎乙

1842年生まれ父親幕臣儒学者

太郎乙も漢語英語蘭語を使えたので、幕府洋学校教授外国奉行などを歴任した。

維新後には徳川家について静岡移住した。

1869年明治2年)、イギリスヴィクトリア女王次男であるエディンバラ公アルフレッド来日が決まったとき

各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡から太郎乙が選ばれた。

その折、薩摩藩軍楽隊指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから

「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本国歌は何か」との問い合わせがあった。

接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、

「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」

と怒られてしまったので、接待係たちは困り果ててしまった。

そのとき太郎乙が「もう古歌のなかから適当に選定すればいいんじゃね」と、

徳川将軍家が毎年の正月に行っていた「おさざれ石儀式」で歌う、

君が代千代八千代さざれ石の巌となりて苔のむすまで」

という古歌を推薦した。

これが採用されて、そこにフェントンが作曲したメロディが付けられた。

まり骨太郎乙は国歌君が代」の生みの親と言っても過言ではないのである

ただし諸説あり。

1922年大正11年)、太郎乙は80歳で亡くなった。

晩年は旧幕臣の仲間と集まって漢詩を作るなど悠々自適生活だったという。

2021-09-16

ある大意があったとして、普通日本語で書いて伝えるのではなく、あえて漢詩で書く肯定的な意義(魅力)というのはなんだろうか

そもそも伝えようとする内容次第によっては漢詩形式で書く意味が薄いないし無いようなものもあるのか

漢詩で書くことに意味のある内容があるとすれば、それは普通日本語で書かれるのに比べどういった点で魅力が増すのか

漢詩で書くデメリットなら、小難しくなるとか、そもそも解読できる人が少なくなって可読性が減るとか、いろいろ浮かんでくるものだが

2021-09-02

なろう系がつまらないのは書き手陰キャ下戸から

漢詩の名手は往々にして酒豪だった

また吉田類も酒飲みである

酒が飲めない人間面白い話は書けないのだ

(チェリーピッキング極致)

2021-08-15

anond:20210815201541

「この俳句季語は何か」「この漢詩は何句目で韻を踏んでいるか」なんて問題文学部以外に出す大学は何がしたいのか理解できない

2021-07-24

18歳まで親の名の読み方を知らなった

90年代前半、自分が18歳の時に区役所住民票戸籍謄本を取りに行った際に父親名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」

父の名前音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺振り仮名音読みだった。

しか本名訓読みだったのである

更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名別にあったのである

更に自分苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校学生証も卒業証書銀行口座当用漢字で、それで通っていた。

 

何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。

その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字伝統から外された風俗も伝授されない。

 

中華文明日本人名の扱い

日本中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。

昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である

この風習日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達本名絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである

武士場合朝廷官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門変則的で黄門は中国での中納言の事である漢籍知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。

歴史学校で教える際にこの辺を省いているのはマズイと思う。

外国報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である

明治廃止されたが…

明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である

…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。

有職読み

有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である特に名前での使用が顕著であった。

例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。

一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかいからだ。

から歴史伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。

例えばこの質問で貼られている選挙ポスターを見て欲しい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343

イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。

戦前新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイである

戦後

戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後まれ団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。

しか保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人戦後神社右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。

 

こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。

銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。

だが当時日本ストックの急拡大により急激に国際的地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類必要になった。口座の文字本名の字と一致させる必要がある。

更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。

こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。

 

から私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである

そして私を叱った区役所役人自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的風習認識できないというのは寓話的だ。

 

こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前本名が違うのだろう。

 

現代っ子自分時代常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。

キラキラネームも昔なら問題にならなかった

親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。

そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかし名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカである

でも通名別につける方法が残されているか問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習しかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というもの伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統問題解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。

 

最後に、あの区役所おっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本伝統について知ることが出来たぜ。

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2020-12-25

円城塔本の雑誌の連載「書籍化までn光年」で取り上げた本のリスト

https://anond.hatelabo.jp/20140426234812 の続き

書籍化までx光年 (2019年)

  1. 持田季未子セザンヌ地質学』    「セザンヌの山」
  2. 堀内 明美愛蔵版 茶箱と茶籠の図鑑99』    「茶箱と趣味
  3. キャス・サンティーン『命の価値: 規制国家人間味を』    「行動経済学で見る"命の価値"」
  4. チャールズ・スペンス『「おいしさ」の錯覚』    「味覚の錯覚
  5. スティーブン・スローマンフィリップ・ファーンバック『知ってるつもり 無知科学』    「「知ってるつもり」の幻想
  6. 三谷純『曲線折り紙デザイン』、ポール・ジャクソン『〈折り〉の設計』    「折り紙の美しさ」
  7. 藤井一至『土 地球最後ナゾ 』    「「土」の力」
  8. ダニエルヘラー=ローゼンエコリアス 言葉忘却について 』    「言葉の生死」
  9. 堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衞のこと』    「堀田善衞の「小説」の書き方」
  10. 小山祐之『団地の給水塔大図鑑』    「全国の団地の“あれ”」
  11. カルラ・スアレスハバナ零年』    「カオスフラクタル
  12. junaida『Michi』    「少年と猫の歩く道」

書籍化までy光年 (2020年)

  1. ヴィッキーニール素数の未解決問題がもうすぐ解けるかもしれない』    「双子素数鴨川カップル
  2. 笠原将弘『賛否両論 笠原将弘 鶏大事典』    「「賛否両論弁当」の不思議
  3. 石村智『よみがえる古代の港』、榎原雅治 『中世東海道をゆく』    「古代の地形を復元する試み」
  4. Angus Croll『If Hemingway Wrote JavaScript』    「ヘミングウェイJavaScript
  5. 日経コンピュータ、山端宏実他『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史』    「大仏建立とみずほシステム
  6. 及川卓也監修、リブロワークス著『スラスラ読めるJavaScriptふりがなプログラミング』    「ルビで読むコード漢詩
  7. ミシェルマクナマラ黄金州の殺人鬼 凶悪犯を追いつめた執念の捜査録』    「安楽椅子探偵の「答え合わせ」」
  8. 川村英樹『アテスウェイ 川村英樹の菓子』    「平明で透明なレシピ
  9. 原啓介『集合・位相・圏 数学言葉への最短コース』    「数学道筋
  10. アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学創造』    「アリストテレスラグーン
  11. ユーリー・コスチャショーフ『創造された「故郷」』    「複雑な「故郷」の証言集」
  12. ヴァンソン・ボレリ、ジャンーリュックリュリエール微積分のこころに触れる旅』    「美しく楽しい数学の本」

書籍化までz光年 (2021年)

  1. 日本離島センター日本の島ガイド SHIMADAS』    「島なのか岩なのか」

2020-10-27

anond:20201027093524

和歌を詠めって言われたときにあえて漢詩詠んだだけで「あー知ってる知ってる知ってる!!」ってホント御上チョロいわ

2020-09-24

キングダム(アニメ)2期を見終わってしまい、もう何一つ見るものが無い。

銀英ノイエいくか…と思うが、とりあえず、視聴を中止しているアニメを消化してからにする。

つーことでThunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2見る。

途中まで見た筈だけど全然覚えていないので最初から見直す。

相変わらず漢詩みたいなのが読まれるのに吹いてしまうし、キャラの妙なポーズに笑う。

布袋劇に慣れ親しんでいない為、ノリが合わない。

でも本当に人形たちが綺麗。よくこれほど美しい人形を作れるよなあ。衣装も凄まじく繊細で美麗。

1キャラにつき何体あるのか知らないが、平気で水とかぶっかけてるじゃん。動きも荒いから壊れそう。爆発とかさすしな。

この人形ナマで見たい。

ワンフェスかなんかで展示したことあったよな。

…って、この人形コレクション用に売ってんのかい!すげー。原寸?

一体いくらなんだろう(私が買うとしたら蔑天骸だが、それはもう売っていない。ちなみに35万。意外と安い)

今予約すれば来年末に届くらしい。

あ、これ3作目作ってるのか。知らなかった。

2020-09-21

和歌漢詩が国の大事とされた時代

和歌で人事が決まるとか今の目から見ると異様に見えるけれど、そのころはそれが合理的だったわけで。

なぜそうなったのか想像してみると

・実際に仕事を任せる前にその人物の知性を測る共有可能基準が他にまだ開発されていない(詩は誰もがその質を確認可能

・紙やミーティングの機会自体が極めて貴重な時代なので、(ファミコンプログラミングのごとく)いかに短い文章に多くの意味ニュアンスを含ませられるかや、いか記憶に残る言葉にできるかが実務レベルでも必要だった

くらいは思いつくんだけれど他にあるかな

2020-08-23

ダジャレに詳しい人いますか?

24時間テレビをダラダラ見ていたら、何か一見ダジャレ風のコメントがあって、

でもそれって語源が○○なんだから、結局ダジャレじゃなくね?とか思って、

で、そういうのって他にもあるよなと思い至って、

・国破れてサンガリア

 (「国破れて山河あり」で始まる杜甫の春望っていう漢詩のもじりだが、

  サンガリアっていう社名自体がここからとっているのが由来。

  だから全然ダジャレじゃない)

・♪しろく にじゅうし ししち にじゅうはち しわさんじゅうにしくさんじゅうろく

 (嘉門達夫の替え唄メドレーの一部。サザン真夏の果実の「四六時中も好きと言って」の替え歌だが、

  四六時中っていうのは一日中まり二十四時間ずっとっていうのを四×六=二十四とふざけて言ったのが由来。

  昔は、十二時辰だったから、一日中のことを二×六=十二ってことで「二六時中」って言っていたとか。

  だから全然ダジャレじゃない)

なんかがあるなあと、つらつら考えていたら、

元々どんなダジャレもどきを聞いてこの考えに至ったかを忘れてしまった。

番組本編ではなくて途中で流れてたCMの中のダジャレだったかも知れない。

最近物忘れが激しい。ちくしょー。

記憶が揮発する。

ま、それはともかく、他にもこういう、

由来がそうなんだからそれはダジャレじゃねーよパターンってありますかね?

2020-07-18

平安貴族現代タイムスリップしてきたら

新古今和歌集小倉百人一首を見ての反応

A「うわあ、ええ歌ばっかりや! 歌の宝石箱やー!」

B「なんでこんなんが選ばれとんねん。もっとふさわしい歌ぎょうさんあったで。選者のセンス疑うわー」

C「麿は漢詩専門なので和歌ちょっと……」

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