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はてなキーワード: 個人の感想とは

2024-03-14

はてブ就活に活きる

もちろん、超有名ブクマカネームバリューがあるから受かっちゃいましたなんて話ではない。(超有名ブクマカはむしろ足かせ)

活きるのは、自分の考えを100文字以内でまとめる能力だ。

要約力、というより簡潔力とでも言おうか。

余計な情報を削ぎ落としつつ、伝えたい情報漏れなく書く能力

エントリーシートはその簡潔力が試される場だと思っている。

Xでもできると思うかもしれないが、ツイートは何回かに分けて書くこともできたり、時系列的な文脈をつけることができる。

一方、はてブは一発勝負だ。

そして、簡潔力の高いブコメに星が集まりやすい。(個人の感想

私はしょーもない大学修士からはてブを始めて簡潔力を磨き、昨今の賃上げニュースで毎回名前が出てくる某大企業入社できた。

なので新卒諸君!

増田を捨てよはてブへ出よう(元ネタの本読んだことない)(と無駄なことまで書けてしま増田はクソ)

2024-03-12

anond:20240312174556

女にうつつを抜かす

わかる気はする

 

ただ、もはや一般論でなく、個人の感想になってない?

2024-03-11

それで今度は「吉住は元々面白くなかった」事になるのかな?

松本はそうなったよね(勿論、一部の人にとっては、だが)

自分松本の考える笑いの一部に暴力的もの権力のもの弱者を笑うものやその他不適切な物等々あったと思うのだけど、

つのまにかそれが「松本の笑いとは」と全体化され、さらにいつのまにか「面白いかどうか」と言う別の問題混同される事になった

そう判断した人達を説得しようという気は無い、というか無理だと思う

なので今回も、吉住のこれまでのネタも含めて同じ事になるのかな?というただの予想

 

簡単に言って彼らは2段の変換を行っている

まず一部の笑いの性質を「松本の笑い」全体に拡大する「全体化」

それから主に政治的不適切か、倫理的問題か、あるいはどちらの党派に味方するものか、といった問題を、面白さという個々の感性依存する問題混同する「すり替え

この2つの操作が誰に対しても平等適用されると仮定すると、吉住も勿論対象になる

今回の吉住のネタは既に(主に左派間で)政治的不適切という判断は固まったようだから

その評価はこれまでのネタも含めて「吉住の笑いとは」と全体化され、

さらに「面白いかどうか」という問題すり替えられて「吉住は元々面白くなかった」、という結論になるのかな?と予想する

 

ただ、これはあまり言いたくはないのだけど、吉住は女性芸人で、しかも(私個人主観で言わせて貰えば)そこらへんの凡百の男性芸人より普通に面白トップ層に届き得るある意味では希望の星なので、

「手加減」されて「今回のネタだけ面白くなかった」と、全体化の方は免れるかも知れない(すり替えの方は既に行われているのを見かけるので難しいかな)

ただ、それって吉住に対してもほかの女性芸人に対しても凄く失礼だし、理屈も通らないので考え直して欲しいなと思う、もう一度全体化とすり替えが本当に適切かどうかも含めて考え直して欲しい

 

最後自分個人の感想を言わせて貰えば、吉住のネタはこれまでのものも含めて自分は凄く面白いと思うし、好きだ

今回のデモネタ自分にとっては面白かった、個人的には決勝ネタより好きかな、個人的な好みで言えば街裏ぴんくより面白かったので自分的には優勝は吉住だった

個人的にはもう、女性芸人などと芸人の中から女性をわざわざ分けるのはナンセンスだと思っている、ヨネダ2000や蛙亭イワクララランドサーヤ、そして吉住などなど一線級の才能がすでに揃っていると思うから

その「面白さ」の価値、「面白さ」がほかの価値観に従属的なただの付属物ではなく、独立した別の価値であること(それ故に同時に、面白い事は倫理的に免罪されることも意味しない)を認めてあげて欲しいなと思う

2024-03-09

anond:20240309160731

それ個人の感想だし何の信ぴょう性もないですやで

とりあえず

職業嘘松増田肯定トラバするのって、自演や極端に職業経験薄そうなブクマカ以外だとどんなのだろうね

増田民がニートワープーが多いと勘違いしているメンヘラ主婦ニート

このダル絡みしてきた人の性質について知りたいですやで

anond:20240309130130

個人の感想はそれぞれだけど

どう見たってうまいだろ

いかわなんて比べものにならないし

なんなら手塚治虫さえだしあの褒めない手塚本人でさえ上手いって言ってたくらいだ

2024-03-08

anond:20240308074951

個人の感想発狂する繊細バカが増えすぎなんだよな

そのくせ自分らはポリコレガーって他人作品叩くし

自分らは好き勝手火付けする自由満喫してるならただの個人他人感想なんかほっとけよ

2024-02-27

anond:20240227125513

失業=まともな人生からドロップアウト」のような日本観念意味不明なのだ


これを「観念」だと思っている時点でお前が社会というものを分かってないのが秒でバレる。

これは明確な日本社会の「仕組み」であり、それは個人の感想で覆せるものではないよ。

2024-02-26

クズとヤリモク観察日記

タイトルの通り、ヤリモクやクズ面白い男たちを観察した備忘録

あくまで一個人の感想経験である

当方女。29歳でバツイチになり30歳まで3か月ほどあったため、その間だけ遊ぼうと思ってチャットアプリ登録した。

男を釣るため、自分の顔をAIに読ませてほんのり面影の残っている美女作成男性陣が好みそうな焼肉、お寿司ラーメン写真プロフに載せた。

私は地方在住だが、母数を多くするため居住地東京都在住に変更した。基本ヤリモクとは会う気はなかった。

29だとあまり需要いかとも思ったが、そこそこ穴モテ

その中でアプローチをかけてきたヤリモクたちやクズを紹介する。


ストレートきんたま男

このタイプは性欲を何も隠さない。きんたまが喋っている。ある意味話は通じないので楽。

「やろう!」「今夜空いてる?ドライブ行こうよ」のほか、チャットしてすぐの下ネタや謎のSEX自慢が始まることが多い。

この手のきんたまはエピソードに事欠かない。

・手当たり次第にチャットを送ってる(と思われる)消防士がいて、自分の体力とペニスの大きさ硬さの自慢しかしてなかった。20代後半なんだからもう少し自慢できる事柄を増やしてほしいなと思った。

・「くんにちは!」などのキショい挨拶や、名前アイコン女性ににしてセクハラ質問を投げるおじさんがいる。

・「セックスで女をメスにするのが好きなドSなんだけど興味ある?」という男がいたので、「それじゃ合わないね、私も男を雌犬にするの好きなんだ」と返すと

「そっちにも興味ある」とすぐに鞍替えしていた。ドSどこいった。

・年上のお姉さんに責められたい願望があるやつ多い。




ホスト/女風

ホストや女風のキャストたち。

ホストは年齢に合っていないブランド品をつけているので概ねわかる。ノリが軽く話しやすいが、営業掛けられるのは怠かったのでスルー

女風のキャスト比較礼儀正しいしさわやかな印象の人が多い。初動では女風とは言わず「アロママッサージリンパマッサージ体験無料です!」と売り込みをかけてくる。

正直マッサージはしてほしいが、お金払って同性のプロにお願いして適切なマッサージを受けたい人間なので身元の分からないのはスルー

たまに元AV男優っていうのも混じっている。



③35歳以上/既婚者

何故か男性の年齢が35を超えてくると名前でわかるようになってくる。

~35歳 ひらがな三文字(ゆう、はるき、等)

35歳~ なんかキモい名称ラーメン丸、等)

35歳過ぎてチャットアプリやってる人は大体既婚者か変質者である

絵文字ではなく顔文字を入れてくるがそれはせいぜい15年くらい前の文化で、文面が古いことに気づいていない。

パパ活の予定はなかったためすぐにブロックした。



彼女募集中

本当かどうかはさておき、彼女募集中という設定の男。大半はこの層。(というか③→①とか流れの人が大半。)

一方的趣味写真を送ってきたり、女の理想を語ってくるなどモテないだろうな…と感じる人や

会話をしているうちに、だんだん化けの皮が剥がれてしまってヤリモクっぽさが滲んでしまう人が多い。

下ネタでジャブを打ってきたり、貞操観念を聞いてきたり)

会話を必死で繋げてくるし、追いチャットもしてくる。

クズ度の高い人は「付き合いたい」「可愛い」「好き」「結婚しよう」とか会ってもないのに言いがち。

クズ度が比較的低くても、話を広げようとしなかったり最終的につまらないと感じてしまう人が多い。

きんたまストレート男たちよりは多少マシな気がするけど…似たり寄ったりか。

たまに真剣度の高いマッチングアプリだと本当にいい人がいたりするけどかなり少数だと思った方が良い。



⑤誠実系クズ

厄介度No.1。ぱっと見まともに見えて楽しい時間を過ごせるが、人間として一番信用できないタイプ

経験少ない子は騙されてセフレにされがち。

言動に余裕があり普通にコミュ力があるので、魅力的に見えやすい。連絡がこまめ。

通話をしてみると、共感が多く聞き手に回ってくれるので心を開きやすいが、そう見えるだけで大して何も聞いていない。

ちょいちょいヤレそうな女かのジャブを打ってくる。

通話終わりに「楽しすぎて、会いたくなっちゃうね」等の言葉女性側の感情を高め、会おうと誘導するパターン散見される。

だいたい2年くらい付き合っている彼女に飽きてセフレ探しをしている男が多い。

女性慣れしていて、会話で女性側を気持ちよくさせる技術は持っているので、見極めに少し時間がかかる。

ホスト等は商売で甘い言葉をささやくが、この手のタイプナチュラルに人を騙すことに抵抗がないなのである意味人として一番危険かもしれない。

彼らと話していると、個人的に「クズに遊ばれるよりクズ本命になってしまう方が悲惨だな」と感じる。

女性の扱いが上手い分本命とも上手くいくのだけど、結局自分のことしか考えておらず彼女すら平気で裏切ってくるからだ。

クズ一時的寛解するかもしれないが完治はしない精神疾患だと個人的に思っている。







チャットアプリのほうは始めて1週間で疲れてやめた。

まだほかにいろいろな人がいるとは思うが、私がチャット通話した人たちはこんな感じだった。

日常では出会わない人たちばかりなので大変勉強になった。

こんな観察してる自分も相当終わってて笑う。でも面白かった。

読んでくれてありがとう


その後、私は他のマッチングアプリ彼氏ができた。

その人には私からアプローチをし、私から食事に誘った。女慣れしていなくて受け身の人だったが、今はとても大切にしてもらって再婚も決まった。

ありがとうクズたち、幸せになるね。

2024-02-20

ぐぬ管 (GNU social JP管理人) を好む人間存在するのであろうか

MastodonやらMisskeyやらは、ActivityPubというプロトコルを通して複数サーバーが繋がり「Fediverse」というある種の「世界」を形成している。この世界においても現実世界と同様に好まれている人物そうではない人物がおり、それは人々によって異なっている。しかし多くの人間から嫌われている人物として挙げられるのは「ぐぬ管 (GNU social JP管理人)」であろう。2chの末期ひろゆきと同程度に嫌われていると思っていただいて構わない。

尤も、Fediverseという狭い世界のいざこざであるというのは疑いの無い内容であるしかしながら彼の行動はこの狭い世界の印象を破壊するレベル迷惑不名誉でかつノイジーものである

代表的な例として、ちょうど1年ほど前に発生したmstdn.maud.ioの管理人(hota氏)とのドメインブロック問題(に限らないが)を見てもらうのが良い。

poem:gnusocialjp | mordiford

https://wiki.maud.io/ja/poem/gnusocialjp

GNU Social JP管理人に対する非難声明 (他のサーバー管理人による非難声明

https://www.giraffe.beer/2023/02/gnu-social-jp.html

告知: mstdn.maud.ioからドメインブロック対抗措置 (解決済) | GNU social JP Web

https://web.gnusocial.jp/post/2023/02/12/5284/

要するに誤解と妄想いちゃもんを同時に他人押し付け粘着した後に中身の薄いまとめサイト一方的視点でまとめ上げることを行っている(しかも新しい記事は有料)。

一応GNU Socialの名誉のために言っておくと、GNU Social(ソフトウェア)とGNU social JP(ぐぬ管の巣)は別物である。「IEのもの」と、「IEを使っている1ユーザー」が全く別物であるのと似たような関係であるIEが素晴らしいと思っているからといって、Google Chromeカスオタクが使っているゴミで、当然ながら利用者情弱キッズであると罵り、反論され彼らがIEを使わなくなったり喧嘩を吹っかけてきた人間と関わりを閉ざすと「差別である(参考: https://riq0h.jp/2023/06/26/195759/)」と大声で触れ回るのである

こんな人間を誰が好むのであろうか。

なお、これは言論の自由範囲文章であり、事実を基にした個人の感想である。恐らく憲法にも反していない(ぐぬ管氏の解釈によれば国民憲法を守る必要があるらしいため)。

2024-02-19

最近ニュースになるテレビクレーム

自分が少数派だと傷ついてしまう人のクレームが増えたような気がするんだよなぁ。

まあ、個人の感想なんだけど。

2024-02-14

推し活」現象に対する疑問

前々から推し活」というものにうっすらと疑問や違和感を持ってきたが、最近少しずつ言語化できるようになった気がするので、ここでまとめておきたい。

第1に、「推し活」においてはドラマ映画などの作品の内容や質が軽視されていることである

昔ながらの映画ファンは、宮崎駿の「ナウシカ」「ラピュタ」は素晴らしいけど「ハウル」は意味からないとか、黒澤明の「七人の侍」「椿三十郎」は凄いけど「影武者」はスケールが大きいだけで内容はつまらないとか、三船敏郎は黒澤映画では神だけどそれ以外では大根役者でむさ苦しいだけだとか、そういう話を当たり前のようにしてきた。

しかし「推し活」をしている人たちは、その当たり前のことを許さない。「推し」が出演している映画ドラマについて、「あれは出来がよくなかったね」と言ってはいけない雰囲気が強く存在する。事実、近年の日本ドラマレベルが高くて面白いという話は全く聞かないし、「個人の感想」で言えば5分と見続けられないレベルだと思うが、Tverの視聴回数はドラマが上位を独占しているという。これは、ドラマ映画が「推し」を鑑賞するための舞台背景でしかなくなり、その内容や質が軽視されていることを意味している。

最悪の結果になった「セクシー田中さん騒動について、その背景には間違いなく「推し活」がある。つまり現在ドラマ作りは、優れた原作脚本を土台にして配役を決めるという当たり前の順番ではなく、まず「推されている」人気の俳優アイドルキャスティングが先にあり、その後に適当な(人気と知名度がありそうな)漫画原作を探す、という逆の順番になっているのだという。そのように、日本ドラマ制作現場は、主要な視聴者顧客である俳優アイドル推し活をしている人々の期待に応えることを優先してしまっており、当然ながら原作者の意図や想いなどはほとんど重視されない結果になる。

第2に、「推し」に不祥事があった場合精神的なリスクが大きすぎることである

普通映画ファンなら、たとえ宮崎駿セクハラ疑惑文春砲を浴びたとしても、当たり前の話、「ラピュタ」の面白さまで否定されたとは感じないだろう。しかし「推し活」をしている人たちは、「推し」の全人格・全人生にわたって推しているので、「推し」が不祥事文春砲を浴びてメディアから消え去ってしまった場合、「推し」の出演作を鑑賞するのもつらくなり、精神的に病んでしまうことになる。当人だけのことな自己責任だが、大抵の場合は友人や家族を巻き込んで、周りも疲弊させることになる。

第3に、最終的に犯罪行為人権侵害擁護してしまうことである

昔ながらのプロ野球ファンなどは、例えば巨人選手経営陣に何らかの不祥事があった場合巨人ファンが真っ先にそれを批判することも普通だった。しかし近年の「推し活」の場合、旧ジャニーズ宝塚問題で露見したように、「推し」の不祥事パワハラや性加害のような事案にあたる場合でも、完全に無視スルーする人はまだましなほうで、それを全力で擁護したり、報道を虚偽と決めつけたり、被害告発者をバッシングする人たちが目立った。当然外野には全く理解されないし、犯罪行為肯定にもなるので、SNSでは大炎上するし、やはり精神的に疲弊して病んでしまうことになる。「推し活」の内部からパワハラや性加害を反省してなくそうという主張や運動は、残念ながらほとんど皆無に近かった。

anond:20240214083645

私です

通常の理解力があれば「~な感じする」という文面から個人の感想である理解できるはずだが?

2024-02-05

Google酷くね

アキバ blog - Google 検索検索しても5件ぐらいしか出てこないってやばくね

アキバ総研とかも引っかかると思ったんだがな(bingは引っかかる)

ピンポイントキーワード入れないと無理なのかな? これだと個人の感想系には絶対引っかからん・・・

2024-02-04

anond:20240204002043

愚痴も惚気もごく個人的ことなのにネットでは愚痴の方がパズるもの

どっちも個人の感想に過ぎないんだから黙れゴミ、でいいはずなのだけど

人間ってマイナス方向には共感性が高いのかな?

2024-02-03

ウイスキー派とハイボール派の対立が密かにあることをご存知か

俺は下戸なので、ウイスキーについて何も知らなかったが、ウイスキーには味や香りの違いがあり、それこそワインのようにテイスティングを楽しむ、または楽しめるお酒なのである

今、「楽しめる」という文言を追加したが、過激ハイボール派へのエクスキューズである

ウイスキー派とハイボール派の区別の仕方であるが、ウイスキー炭酸で2倍から3倍で割り、氷で冷やして飲むことをハイボールと呼び、ウイスキーを基本ハイボールで飲むことを好む者をハイボール派と呼び、それ以外のウイスキー愛好家をウイスキー派と分ける。


この対立は、コーヒーブラック派とミルク砂糖派と同等である。ただし、一点違いがあると考えている。

どういうことかいうと、ウイスキーを飲み、動画ブログ情報発信する者は、その味や香りの違いなどを楽しみ、個人の感想を発信しているのである

ウイスキーにはワインのような味わい、香り千差万別お酒なので当然であるが、ハイボール派は炭酸で割って薄めているのである

ワインを薄めて飲んで、その味や香り批評するものがいるだろうか。

勘違いしないでほしいのだが、ハイボールという飲み方を否定するわけではないのである。多くのハイボール者は、「好きに飲んで何が悪い」と反論してくるのだが、そこを否定していないことを断っておく。

仰せの通り、好きに飲めばいい。

ただし、味や香りの違いを楽しんでる風に発信するのはおかしいだろうと言っている。

ハイボール派が好きなのはアルコールであり、飲酒行為であり、ジュースのようにゴクゴクと飲みたいかハイボールを飲んでいるだけで、味や香りがどうこうの門をくぐってはいないだろう、という点を指摘したいのである

しろハイボール派はウイスキーを薄めなければ飲めないのであろう。当然である。概ねアルコール度数は40度のお酒をゴクゴクとは飲めやしない。舌も喉もキツイウイスキーが飲みたいのではなく、ゴクゴクと喉に流し込むアルコールが飲みたいだけなのであるから

それはそれで良い。それは正しくビールの飲み方であり、ビール大正義アルコールである。それを批判する者はいやしない。

しかし、香りや味の違いを感じたいとは思ってはいいであろう?


冒頭でコーヒーの話をしたが、私はコーヒーである。飲むたびに豆を挽き、ハンドドリップで飲んでいるが、別に砂糖ミルクを入れる飲み方を否定しない。カフェオレ邪道とも思っていない。

ただそれは、ブラックで飲まない者たちが豆に拘っていないかである。僅かな味や香りの違いを気にしていないかである

単にカフェインを接種したいだけの者や、お茶という気分ではない時の飲み物として選んでいるだけで、ドリップの仕方、豆の煎り具合、挽き具合、そのような点に、言及しないものたちが多いかである


しかし、ことウイスキーになると、なぜか炭酸で割りながら酒の品種にこだわる。

味はどうだ、香りはどうだ、と。

ハイボールは飲めばいい。冷えた炭酸でゴクゴクと飲める素晴らしい飲酒である。だが、あなたハイボールを飲んでいるのであってウイスキーを飲んでいるわけではない。

カルーアミルク等、甘いお酒しか飲まない者、特にそれが男性場合、何かしら思うところがあるだろう?

ハイボール派は、「冷えた」「炭酸」「流し込む」タイプお酒しか飲めない者なのである

2024-01-31

anond:20240131155318

親告罪からしかたないけどお気持ち的に嫌とか言うのはただの個人の感想から別にいいと思うけど俺はそう考えるお前が嫌。

というか第三者がここに自分お気持ちねじ込んできても関係なさ過ぎる。

anond:20240131121521

なんかねーもう関わらないでと言われてるような終わり方って感じがしたのよ

シンエヴァも好きだけど、一度観て「あ、もう全て終わったのね、卒業なのね、もうこの校門をくぐることはないのね」って気分になった

あくまでもワイ個人の感想やけど

と思ってたら突然リブートし始めるのが庵野な気もしているけど

2024-01-30

日本ナショナルブランドの良いところ

個人の感想だけど日本ナショナルブランドイメージは高品質で高級なんだけど顧客との関係性は親しみやすく丁寧で手厚いんだよな。

海外でこのふたつを両立できるのは法外とも思えるバカ高いラグジュアリーブランドのみ。

やっぱり日本おもてなし精神は異常なぐらいの満足度あるわ。

2024-01-26

リプライ引用ポストにしていなくてもリポストで本人に届きかねないのは確かにそうだし、実際最近何かで伏字悪口言ってたのが本人に届いてるの見たし

全然論点ずれること承知で書くと、刑事事件容疑者に対する個人個人の感想も、集まって増幅されればその容疑者のことぶっ刺す凶器になるし

でもいわゆる「表」的な場所では全肯定みたいなのもキモい

SNSって難しいね

から私はアノニマスダイアリー

2024-01-24

ゴジラ-1.0、おそらくアメリカ人にはハッピーエンドに見えるラスト

 ゴジラ-1.0、アカデミー賞視覚効果賞ノミネートおめでとうございます

 アメリカでの公開当初、最大瞬間風速でジブリが一位、ゴジラが二位をとったんでしたっけ。ロッテトマト評価も高く、米国で公開された非英語映画としても興行収入歴代5位となり、世界興行収入1億ドル超え、圧倒的公開映画館の差にもかかわらず興行成績でディズニーウィッシュに迫りそうな勢いのようです。

 海外の反応を読んでいると、人間ドラマパートがよくできているという意見をよく見かけますトラウマからの克服、家族再生物語……。アメリカ人には伝わってないんだな、そして、伝わらなくてもいい、それぞれ受け取り方が違ってもいい、良い映画なんだなと改めて思います

 海外意識高い系の厄介オタク解説とかしないんでしょうか。ゴジラ70周年にふさわしく、放射能に始まり放射能に終わる、眼に見えぬ脅威が全面に出てたゴジラ映画だと思いました。

 以下は私が受け止めた個人の感想なので、間違ってても笑って流してください。

 生きて、あらがって、終幕のあとたぶん二人はすぐに結婚するでしょう、でももう二人は永くはない。井伏鱒二を知る日本人にはそれがよく見えるが、海外の人には見えてない。最後映像であえて映された典子の首筋の黒い瘢痕、そして黒い雨を浴び、あれほど高濃度放射線の発生源に降下した敷島。熱戦発射時のゴジラなんてチェルノブイリの象の足みたいなものでしょう。たぶん健康で生きていられる時間ふたりともそう残されてはいない。

 たぶんあのあと、二人を亡くしたアキコは澄子さんとともに生きていくことになる。

 保護者がいてよかったと思います。そして圧倒的な災害下における我々日本人の『もちつもたれつ』『困ったときお互い様』のこころを描きたかったのかなとも思います


 ラストで悪しきものの復活を示唆するのは、ジュラシックパークなんかでもよく見たモダンホラーテンプレですが、あれは気づかない人向けラストでしょうか。わからない文化圏教育的素地の人にはあのモダンホラーテンプレラストとして機能するのかな。でも、病室のシーンで永くはないであろうことが“わかって”しまう我々には、その二人の余韻だけでもうなんかこみあげてくるものがあってたまらない。あえて首筋をじっくり映してたあたり、監督意図あきらかにそこにあったのではないかと思います

 全然関係ないけど25才ぐらいのとき新聞社仕事特攻隊員の生き残りの人にインタビューしたことがあります。正確には予科練生。特攻に出る前に終戦になり、広島に帰ったら家も親も何一つ残ってなかったと言っていました。予科練で、次に特攻に行く人はもうだいたい訓練生のなかで決まっていて、誰が行くか!って上官が問うたときに、行かないひとはみな一歩下がる。だから行くと決めた人だけが前に出る(残る)形になる。行くか、と問われて、皆の前で行かないなんて言えるはずもない。だから実際のところ、志願と言いつつ本当の志願ではないのだと。

 ……このあたりはどの本でも読んだことがないからたぶん現場にいた人のなまの声じゃないでしょうか。私は聞いただけで、実際のところの真偽はわかりません。

 それでも本当の志願でなくとも、『米軍本土にきたら男は殺され女は犯され女も子供もみんな死ぬ。どのみちみんな死ぬなら、自分たちが止めるしかない』という決死の思いは共通でみな持っていたのだと言います

 映画パラシュートは、脱出ポットに言及された伏線コックピットを見た橘さん目線からそうくるだろうなと思ったけれども、実際のところあの時代に実戦配備されて、パラシュートで敵陣の海中に降りても無意味だろうなとも思います。引き上げてくれる味方がいなけりゃ100%溺死するだけだろうし。人間魚雷回天とおなじく(靖国神社遊就館で見られます非人道的武器であり思想であるけれども、『自分たちが止めるしかない』というかつての予科練生の想いは、そのまま劇中の『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』という秋津さんや元海軍の皆さんの言葉につながります

 そういえばyoutubeで見られるんですよね。当時の米軍が記録していたと思われる神風映像。私は見るたびに泣いてしまます

https://youtu.be/yN-zEpXwf4s?si=stYhOmHLazLrLV0o

 ちなみに『男は殺され女は犯される』という言葉戦時日本プロバガンダだと思いきや、20世紀末に旧ユーゴスラビアで実際に起こりました。民族浄化っていいます。その後もコソボなどで起こりました。語源は第ニ次世界大戦中だとも言われています

 インタビューをしたあの方は、まだご存命でいらっしゃるでしょうか。もう亡くなられているのかな。連絡先ももうわかりません。

 特攻隊特攻隊員がゴジラと同じくフィクション世界に住人になっていく。

 でも、『自分たちが止めるしかない』『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』と生き方を決意した方々がいらっしゃったからこそ、今の我々が在る。

 大戦後、ビキニ諸島での原爆実験を経て産まれゴジラが、福島第二原発を経て70周年にこういう形で結実する。素晴らしい映画映画館で見られてよかったなと思います世界的な興行成績の成功もおめでとうございます

 特攻隊特攻隊員の想いも、遺っていきますように。

2024-01-23

anond:20240123050507

個人の感想を飛び越えて子供に手を出すやつがいるし、それを止めない事が個人自由と思っているバカいるからな

2024-01-22

ゲイからみるペドフィリアを殺せ問題

最初に明記しておくが、これは個人の感想である

私自身は性犯罪絶対に許さない。

特にそれが子供という身体思想もおぼつかない相手対象にしたものに対しては一等嫌悪感がある。

けれど、昨今のそういう嗜好や性癖を持っているだけの人を殺せという論調を聞いていると何とも言えない焦燥感がある。

私は今年35歳になる男で同性愛者だ。

今でこそボーイズラブやLGBTQなどという横文字が広がって多少はスルーされることが多くなったかもしれないが、それでも自分同性愛者ということをゲイコミュニティ以外で一切カミングアウトしていない。

それはゲイであるというカミングアウトだけで強烈な迫害がある人生を引いてしまたからだ。

私は男性しか好意を持てないし、性的な興奮ができない。

かといって同意なしに男性を襲うなど言語道断であり、どれだけおだてられても自分が襲われる立場になったらと思うとゾッとする。

しかしそれは世界で大多数を占める異性愛者でも同じことだろう。

異性愛者だろうが同性愛者だろうが、同意なしにセックスをすればそれはただの犯罪だ。(中には金銭目的美人局もあるだろうがそれはまた別の話)

ではペドフィリアはどうだろう。

もちろん、自分欲求のためだけに幼児を襲ったり、そうでなくても追いかけたり盗撮したりは非人間のすることだ。

万が一相手同意が取れたところで、未成年同意大人同意と同じ効力はないし、真に受ける人間社会性を失った猿だと思う。

ではただ黙々とそういったコミュニティに属して空想を繰り広げているペドフィリアはどうなのだろう。

彼らを気持ち悪いと思うのは自由だ。

正直、私も気持ち悪いし怖いと思う。

しかし、「ペドフィリア」という看板を掲げたコミュニティをわざわざ覗いて「こういう思想を持っ人間危険から排除すべきだ」と晒し上げるのは少し横暴だと感じてしまう。

百歩譲って、覗いて気持ち悪いと投げかけるまでは個人の感想だと思う。

ただ「そういった思想を持っている人間すべからく社会から排除すべきだ」とまで飛躍するのは、かつてのゲイコミュニティが受けていた差別と全く同じ構造ではないだろうか。

何も犯罪は犯していないのに、男が好きというだけで迫害される時代場所は確かにあった。

ゲイペドフィリアは違うという人もいるが、ゲイ個性ペドフィリア性癖からという理論は正直意味がない。

どちらもその対象物を性対象にしている時点で同じだし、それは異性愛者もそうだ。

自分の嗜好や指向を満たすために対象物があって、同意がとれないままセックスをすればそれは須く犯罪なのではないか

だったら異性愛者の恋バナや片思いけが合法になりうるのはおかしいのではないだろうか。

書いていて自分でも横暴な論調だとは思うが、内心の自由すら取り締まるというのなら、異性愛者の「あのアイドルとヤりたい」とペドフィリアの「子供セックスがしたい」も、そう思った時点で同じく犯罪になってしまう。


ただ「そういった思想がある時点で排除すべきだ」と主張する人の理由もわからなくもない。

だって世間一般、もしくは自分想像から大きく外れた思想を垂れ流している人物がいたら避けたいのは動物としての本能だろう。

ましてや子供を持つ親なんて、例え関係ない架空ペド話でも自分の子供への警鐘から排除したいと思うのは当然だ。

かつてのゲイに対するイメージもそうだ。

若い人には想像もつかないかもしれないが、私がまだ学生の頃はオカマやオネエキャラというピエロにとしてエンタメ昇華されたゲイ以外ほぼ許されなかった。

もっと上の世代ではそれこそ同士でのカミングアウトすら危険を伴い、還暦を過ぎ、妻を看取り、時代がゆるやかになった今やっと言えたという人も珍しくはない。

なんなら最後まで隠し通し、自分に向き合えなかった悔しさと、妻を愛したふりをしたまま騙してしまったという相手への罪悪感のまま天寿を全うした人もいたかもしれない。

少し話がそれる。

今まで友達のように接していた人間から「お前も性別だけで言えば範囲内だ」とカミングアウトされればたじろぐ人が多いと思う。

その気持ちはとてもよくわかる。

信頼の証としてカミングアウトすることはただの自己満足だ。

それはこちらがどれだけ「人間が好きだからといって全人類きじゃないのと一緒だ」と説明しても拭いきれない猜疑心だと思うし、ある意味当然であろう。

ぐるみから男根が生えたという女性記事を読んで、ああいうのが近い感覚なのかもしれないと思った。

自分が性対象範囲内に見られているかもしれないという疑いは、思ったより不快感があり気持ち悪いのだ。

私は長年友人だと思っていた異性愛者の女性から告白を受けたときにこの気持ちを味わった。

と同時に「なぜ彼女片思いは淡い失恋として美化されて、私はその気持ち悪さを口に出すことすら憚られるのだろう」という醜い嫉妬もした。

結局は恐怖心なのだと思う。

ぬいぐるみからペニスが生えていなくとも、全く関係のない遠くの人間から「ロン毛は全員性対象だ」と言われたら気持ち悪いと思うロングヘアの人間がいても何もおかしくない。

ゲイも、ペドフィリアも、その他のマジョリティも、例え世間一般常識であっても、人間自分想像する範疇から少しでも外れれば多少なりともすべて恐怖の対象なのだ

珍しいものを怖がるのは生き物としての本能だ。

では逆に内心の自由保護されたとして、どこまでが内心になるのだろう。

例えば自分脳内で思うことは完全な自由無罪だ。

そもそも第三者に確かめようのないことだし、確認のしようがない。

では同士で語り合ったりするのはどうだろう。

これはインターネットの発達と、そのインターネットに対するイメージの差が大きい部分もないだろうか。

私にとってインターネットは雑踏の中にある架空秘密基地であった。

恋愛相談がしたい」「ねこの話がしたい」「ただ眺めていたい」「死について語り合いたい」

たくさんある部屋の中から私は「ゲイ同士話してみたい」の部屋でずいぶんと救われた。

好きな人結婚して、友達のふりをして泣いた」と、ゲイとして言えるということは現実世界ではあり得なかったからだ。

といってもそれはインターネット内での話なので、それが実話だろうと証明する方法はないし、相手の慰めの言葉も嘘なのかもしれない。

しかしそれは確かめようがない。

逆にその空虚さが居心地の良さを生んでいた部分もあるだろう。

VIPからますたwwwで荒らされても「まぁインターネットだしな」と溜飲が下がる部分も多かったろう。

インターネットは気軽な逃げ場だったのだ。

かつての生き物苦手板を知っている人はどれだけいるだろうか。

面白半分で覗いて後悔するナンバーワンの宝庫であり、いわゆる動物虐待の話をメインにした場所だ。

勘違いされないように改めてここでも言っておくが、私は犯罪は許せないし動物虐待にも強い嫌悪感がある。

ここで写真つきで虐待実況をしたものは明らかな動物虐待だろう。

しかし、ただ猫や犬をいじめるのが好きだと語る場合果たして内心の自由になり得るのだろうか。

もちろん明らかな犯罪予告や一種誹謗中傷にあたるようなものダメだろう。

しかあくま架空妄想という共通認識の集まりで、「もし自由にしていい猫がいたら、こういう酷いことをしてみたい」と書き込んだ場合、それは内心の自由になるだろうか。

嫌なら見るな」の立て看板の先とはいえネットで全世界に見えるように書き込んだ時点で内心ではないので取り締まるべきか?

だったら「あのイケメンアイドルキスしたい」とか「あのキャラでヌイた」とかも内心の自由ではないセクハラとして取り締まるべきか?

そもそも架空妄想と銘打った時点で例え言語化されて出力されたものでも内心の自由ではないか

そうなってくると、第三者が取り締まるのはどこから基準になるのか?

それが個人単位気持ち悪いだった場合、明確な基準もなく個人感情で取り締まられるのではないか

こういったことをぐるぐると考えてしまう。

もっと正直に言えば、私は他のマイノリティペドフィリアなぞどうでもいい。

そもそも妄想のはけ口がないと発散できない時点で人間としてまずい部分は多かれ少なかれあるのでは?という偏見が私にはある。

かといって、それらの妄想が全てそのような危険なはけ口だとも思わない。

私はそれらの嗜好をただ持っているだけの普通の人への取り締まりが始まれば、いつかはそれがゲイコミュニティに回ってくるのではないかという自己中な懸念がある。

私はマイノリティが大ぴらに権利を主張するのにもあまり乗り気ではなく、それは一部の人団体がただ己の自尊心気持ちよくするために、平等ではなく、同情で弾圧優遇を叫ぶからだ。

理解はできないし気持ち悪いけど、別に何もしないなら普通に生きてなよ」という態度がどれだけ救われるか。

ペドフィリアが全員殺されたら、今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖が私にはある。

内心の自由はどこまで許されるのだろうか。

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