はてなキーワード: クラシックとは
本を読むこと以外で多様な知識を”比較的確実に”得る手法が現在まだ体系的に確立されてない事を知っているがため、「本以外でも多様な知識を得られるよ」と発言することは他者に間違った知識を与えかねないリスクが存在することを理解しているので、過去数千年の人類の歴史の中でヒトが知識を得るクラシックかつベーシックな手法である「本を読む」ことを勧めるのが最も安全でリスクの低い行動だと無意識ながらも感づいているから「本を読め」というのであって、それはつまり「自分は多様な知識を得られる本以外の手法がわかりません」と宣言しているようなものであるが、それは別に恥ずべきことではなく、恐らく凡百の民が知恵を絞っても本の代替品となるツールを開発若しくは発見することはおおよそ不可能でありそれを特に秀でているわけではない凡人に求めるのは酷ではあるが、それにかこつけて「本は最高」と知識を得る至上の手段として崇め奉るのはあまりにも愚鈍で悪辣である、と言うのは先述のように本はベーシックでクラシカルな手法だと言ったが決して万能ではなく、文字だけの経験性に乏しい知識しか得られないなどの欠点も存在するが、それを無視するのはあまりにも暴論で…
A Kingdom for Keflings 欲しい
A World of Keflings 持ってる
Assassin's Creed II 興味無し
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(思ったより反応をいただけたので少し追記しました。2015-11-16)
バンダイが展開する女児向けアーケードゲーム/アニメ「アイカツ!」
アイカツ!はいわゆる「音ゲー」の一種で、トップス・ボトムス・シューズ・アクセサリーの4種のカードを組み合わせてコーディネートし、オーディションという名のリズムゲームをクリアしてお仕事をゲットしていくという仕組みだ。
当然、豊富なバリエーションのオーディションステージが用意されるため、アイカツ!では年間20曲以上の楽曲が生まれている。
その楽曲の特徴は、キャラクターの声優とは別に歌唱担当が存在すること(STAR☆ANIS、AIKATSU☆STARS!など)、とにかくジャンルの幅が広いということ、そして“攻めてる”楽曲が多いということだ。
アイカツ!の立ち上げにはスーパーバイザーとしてアイドルにも造詣が深いアニメ監督、水島精二氏が関わっており、音楽制作については別のエントリを参照してほしい。
(アイカツ!における水島スーパーバイザーの仕事について - Togetterまとめ)
そして幅広いジャンルで攻めるという場合、楽曲の発注では、そのジャンルの先達の楽曲を参考にすることが当然多くなる。
特に水島氏はそこのイメージが具体的だったようで、アイカツ!の初期の楽曲は「何を参考にしたか」が比較的分かりやすい。
そこで、今回はアイカツ!の初期の楽曲を中心に、その元ネタ探しをしてみようと思う。(あくまで推察なので的外れなものもあると思う)
アニメの主題歌にこそなっていないものの、アイカツ!の原点ともいえる曲で、ゲームの企画段階の初期に作られたものだ。
「アイドル」というテーマの基本となる王道の曲であることから、当時の最も有名なアイドルグループを参考にしただろうことは想像に難くない。
明言はされていないものの、曲を聴いたイメージからおそらくAKB48のヘビーローテーションを参考にしただろうと推察できる。
アイカツ!で最も人気があると思われる曲で、YouTubeでの再生数が350万を超える化け物である。
いわゆる「メタル」であり、生粋のアイドルオタクである水島氏がBABYMETALを意識しただろうと考えることもできるが、
この曲はアイドルが歌うメタルというわけではなく、普通にかっこいいメタルなので、ベビメタが元ネタというには少し安易すぎる。
フルバージョンでは1分を超えるキーボード&ギターソロがあり、「ベビメタみたいにしてください」という発注だけではこの曲は生まれていないのではないか。
実は、この曲については元ネタが明言されている。
「吸血鬼キャラを演じているユリカが歌う「硝子ドール」は特別にエッジのきいた楽曲ですが、あれも“NIGHTWISH”というオペラ風に歌いあげる女性ヴォーカルのヘヴィメタル・バンドを参考にしています。 」
Storytimeという曲を聴けば、なるほどと納得していただけるかと思う。
NIGHTWISH - Storytime (OFFICIAL MUSIC VIDEO)
(追記:DREAM THEATERっぽいとの意見もあるが、それは作曲の帆足圭吾氏がDREAM THEATERの大ファンである影響かと思われる)
DREAM THEATER - Forsaken (Official Music Video)
「最初のうちは「アヴリル・ラヴィーンのようなポップスで」とオーダーしても、どこか抑えてしまうので、「存分にお願いします」と言うのも僕の仕事になりました。 」
と発言している。つまり、アヴリルのようなポップスがアイカツ!の楽曲にあるのだということになるが、自分の考える限りではこの曲が最もアヴリル・ラヴィーンに近い。
もちろん没になった可能性もある。(例として、2年目に登場するDance in the rainという曲は実際にはかなり初期に制作されていた)
アイカツ!はアイドルがテーマであることもあり、実際のアイドルをイメージしたような曲がいくつか見られるのも特徴のひとつだ。
こちらの冬っぽい曲もおそらくそのひとつで、自分の考えでは広末涼子なのではないかと思う。
広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」は、ケンタッキーのCMでいつのまにか冬のイメージになってしまった竹内まりやが作曲している。
ピチカート・ファイヴや初期のcapsuleをイメージするようなキュートな「渋谷系」っぽい曲である。
そのまま渋谷系っぽいオーダーで制作されたのかな、とも考えられるが、MVを見ると元ネタはなんとなく松浦亜弥の「ね〜え?」かもしれないと思った。
小さな箱の中で踊るというイメージが「ね〜え?」のMVと似ているからである。
しかも、「ね〜え?」は編曲がピチカート・ファイヴの小西康陽(作曲はつんく♂)ということもあり、渋谷系から外れてはいないのだ。
アニメの2番目のOPテーマで、主人公のいちごとあおいと蘭の3人によるユニット「ソレイユ」の持ち歌というのもあり人気の高い曲。
こちらも元ネタが明言されている。
kemuri良いわ〜!アイカツ!OP、ダイヤモンドハッピーはkemuriのPMAと戸松遥のQ&Aリサイタルのようなイメージで制作したんす。両曲ポジティブで明るくて超盛り上がる名曲!Listening to “Here rise the sun again” by KEMURI ♫— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 6月 20
KEMURI 「PMA (Positive Mental Attitude)」 Music Video (SKA BRAVO Version)
音ゲーにしてはかなりスローな曲で、おそらくアイカツ楽曲で最も遅いのでは。
Enya - Only Time (Official Music Video)
神崎美月、一ノ瀬かえで、藤堂ユリカの3人によるユニット「トライスター」の持ち歌。
アニメでは、トライスターの結成にあたってメンバー選抜オーディションが行われ、物語上の重要な転換点で登場する曲である。
STAR☆ANISとの雑談で「難易度の高い曲が歌いたい」って話が出て。ならばKalafinaのようなハモリが絡み合う感じがいいかなと。 - 水島精二
アイカツ!内に登場する近未来がテーマのブランド「フューチャリングガール」をイメージした曲。
いわゆるテクノポップな感じの曲なので、Perfumeがイメージなのかな?とは思うけれど、正直全くわからない。
2年目にもstranger alienというprism spiralの後継とでもいうべきテクノポップな曲が登場するが、単純にコンセプトから結果的にそうなっただけなのかもしれない。
(2015-11-19追記:prism spiralはどっちかっていうとハウスだろ、とお叱りを受けた。それは確かにそうかもしれない。stranger alienに引っ張られすぎて見失っていた。
大変申し訳ない。そして指摘とかほかにあったらどんどんしてほしい、というかむしろ自分より音楽の詳しい人にどんどん楽曲を分析してほしい)
これに関してはちょっと楽曲からズレた話になる。
かつて一世を風靡したレジェンドアイドルユニット「マスカレード」の代表曲となる1曲で、
アニメでは「懐メロライブガール・オーディション」で「懐メロの曲」として、いちごとあおいがカバーすることになる。
そして、マスカレードはピンクレディーをモチーフにしているユニットだと思われる。
僕的にはピンクレディー。それこそ社会現象を起こしたアイドルのイメージです。 - 木村隆一
僕のイメージでは、マスカレードがピンクレディーなので、キャンディーズくらい人気のライバルがいたんでしょう。 - 木村隆一
けれども、曲のイメージとしてはピンクレディーっぽい感じはとくにないので、そこまでは意識してはいなかったのだろう。
その代わりに、面白い仕掛けとして、この曲のメロディーはアニメの初期からBGMとして頻繁に使われており、女児にとっても「懐かしい」感じに聞こえるような工夫が為されている。
ドラマ「オシャレ怪盗スワロウテイル」のオーディションステージの曲。
ジャジーな曲で、怪盗がテーマなことからおそらくルパン三世を意識したところがあるのだと思われる。
「スワロウテイル」はかつてマスカレードが出演していたドラマだったのを考えると、「ペッパー警部」も念頭にあったのかもしれない。
余談だが、現在放映中のルパン三世新シリーズの監督はアイカツ!1年目にも深くかかわり、劇場版アイカツ!で監督も務めた矢野雄一郎さんである。
いわゆる「サンプリング」であり、クラシックの名曲が使われているのだ。
チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より「行進曲」のメロディーが使われている。
はっきりと元ネタがあるわけではないが、「EDM」「ダブステップ」をキーワードに制作されたことが明言されている。
アイカツ!新OP/EDもお楽しみいただけましたけ〜!OPはEDMアイカツ流(笑)EDはカレンダーガール進化版を目指しました!OPを石濱さん/畑さんペア、EDを田中さん/こだまさんペアの鉄板チームで制作していただきました!最高です!CDの発売が楽しみ〜!#aikatsu— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 10月 3
「KIRA☆Power」は、ダブステップという攻撃的なサウンドの音楽ジャンルを取り入れた、かなり攻めている曲です。
ダブステップのように旬なサウンドは、あとで遅れてやるとダサイので、「やれるうちにやっておこう」と思いました。 - 石濱翔
映画でいちごが出会うことになるシンガーソングライター・花音がいちごのために作った曲だ。
「アイドルとシンガー。異なるタイプの2人が出会い、新しい何かが生まれる。そんなストーリーを描きたかった。下敷きになっているのは、1980年代のアイドルの歴史の転換点です」
制作陣が、80年代と現代をつなぐイメージとして共有したのが、あの名曲「赤いスイートピー」だった。そして、当時トップアイドルへの階段を駆け上がっていた松田聖子さんが歌うこの楽曲こそ、木村さんの言う「アイドルの歴史の転換点」だった。
さらに、花音のイメージは赤いスイートピーの作曲者でもある松任谷(荒井)由実であるとも発言している。
アイカツ!3年目の2つ目のEDテーマであり、氷上スミレと黒沢凛が組むユニット「ダンシングディーヴァ」の持ち歌である。
「ダンシングディーヴァ」のイメージはSPEED。スミレが歌って、凛が横でダンスしている感じがカッコいいんじゃないかと思いました。 - 木村隆一
ではなぜ渋谷系なのか。それは、このステージが「レトロクローバー」というブランドをイメージしたものであるところにヒントがありそうである。
60~70年代のレトロフィーチャーなテイストをイメージしました。参考にしたのは、ツイッギー(英国の女優、モデル、歌手)のファッション。 - 中屋有貴(バンダイ・カード事業部)
華奢な体形からツイッギー(小枝)の愛称で呼ばれ、(藤原みやびが履くのをためらった)「ミニスカート」で話題になったツイッギーから着想を得ている。
そして、ツイッギーといえば連想するのがピチカート・ファイヴの「トゥイギー・トゥイギー」、繋がった。(ただのこじつけ)
U-MV053 - Pizzicato 5 - Twiggy Twiggy
大和撫子なブランド「桜色花伝」をイメージした曲で、とても和風。
近年よく耳にする「和ロック」な曲であるといっていいだろう。和ロックの出自についてはよくわからないが、「凛として咲く花の如く」「千本桜」などがよく挙げられるようだ。
何を意識して作られたのかはわからないけど、この多幸感がなんかすごい「っぽいな」と思ったので貼りたくなっただけです。
氷上スミレの持ち歌で、懐かしの歌謡曲を思わせるような不思議な1曲。
Winkっぽい。音楽理論とか全く詳しくなくてほとんどイメージでこじつけてるので公式ソースがあるの以外は参考程度に考えてください。
アイカツ!にはほかにもたくさん良い曲がある。ロカビリーな曲や映画音楽のような壮大なもの、80年代ディスコ風、渋谷系テイスト……とにかく幅が広い。
自分の好みの曲が必ずひとつは見つかるだろう、というくらいいろいろやっている。
そして、ときどき思わぬ人が楽曲提供をしていてびっくりすることもある。(NARASAKI、浜渦正志、ミト(クラムボン)、ナカノモリアヤコ、Kensuke ushioなど)
そんな楽曲を女児たちが聴いて成長すると思うと、音楽の未来は明るいなあと思ったりもする。
アイカツ!の○○みたいな曲ってなんていうジャンルなんだろう、と掘り下げたり、○○みたいな曲が作りたい、と作曲に手を出してみたり、
Pharoah Sanders - Africa - You've Got to Have Freedom
https://www.youtube.com/watch?v=bV5ObaaQCV0
歪んだ音で突き抜けたブロウを繰り返すテーマをもつファラオの超有名曲。Journey To The One に入ってる方より この africa に入ってるほうが断然ハイテンション。ただ、この曲は他のアルバム収録もあるらしい。おれはファラオオタじゃないので、Journey~ と africa のバージョンしか知らない。ゴメン。突き抜けたテーマに対して、ジョン・ヒックスのピアノが負けてないところが素晴らしい。
いまさらこんな超有名曲を取り上げなくてもと思ったんだけど、クラブジャズのキラーチューンとしてこの曲が持ち上げられたのもだいぶ過去の話になりつつあり、良い曲は何度でも取り上げられて良いと思うので。
https://www.youtube.com/watch?v=8VdtC9WhnCg
人類史上最も進化した個体ブライアン・ブレイドのジョシュアの曲におけるソロ。
もう、何度見ても笑う(ほめてます)。おかしいだろ(ほめてます)。あり得ない(ほめてます)。
この人は基本的にかなり内向的なドラムを叩く人だと思うんだけど、その内向きのエネルギーが積みあがって行ってあふれ出た時に、誰も見たことのない新しい世界が創出されたのがこのソロなんだろうと思う。
曲の本編はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=1ICJUFOJa2g
OCEANUS - RALPH TOWNER(SOLISTICE) Saxophone: JAN GARBAREΚ.
https://www.youtube.com/watch?v=AG5zs4Xd_kg
テンション高いと一言で言っても、外向きにガーっと行く高さと、張り詰めた静的なテンションの高さがあると思うんだけど、この曲は後者。ecm の重鎮、ラルフ・タウナーの74年(75?)の作品、SOLISTICE のオープニングとなった曲。
このアルバムは名盤中の名盤なので、上記の曲以外もぜひ聴いてほしいです。
この曲はヨン・クリステンセンのドラムが主役。張り詰めたリズムを刻み続けるライドと、その合間に散文的に入るキック、スネアにドキドキします。これだけ人をつかんで離さないドラムはなかなか無いと思う。12弦に続いてライドがフェイドインしてくるところで胸をつかんでうずくまりたい感覚になります。曲は上がったり下がったりしますが、張り詰めたドラムが最初から最後まで貫かれていて、その集中力というかひたむきな在り様に胸を打たれます。ドラム以外の楽器の素晴らしさも言うまでもなく。
13th International Henryk Wieniawski Violin Competition - 2006 - Gala Concert
https://www.youtube.com/watch?v=RPb1X6Rqd40#t=54m
まさかのクラシック。日本人ヴァイオリニスト、鈴木愛理の 2006 のコンクールでの演奏(と言っても評価後のエキシビジョンらしい)。
尋常じゃない集中力と熱量。オーバークロックにオーバークロックを重ねた CPU みたいな状態(機械的って意味じゃないよ!)。
クラシックを全然知らないおれ(この曲が誰の曲なのかもわからない)が、最初の1フレーズでつかまれて最後まで目(耳)を離せなかった。何度見てもドキドキします。
クラシックを見に行ったことが無いんだけど、10回行って1回このレベルの演奏が聴けるならクラシックのコンサートに通うのも良いなあ。
でも今やっても楽しめないのはわかってるから実際にはやらない。
対人一切やらない狩り専のまったりクランだったけど楽しかったなー。
最初の方はずっとソロメインだったけど、副盟主や盟主も経験してやりがいあったし、
いつだかのUPでサマナ強くなってからは野良やフレからお呼びかかることも増えて嬉しかった。
ボスアクセや高OE武器なんかも揃って、85でカンストの頃までは楽しかった。
そんなに本気でオリンやってたわけじゃないけど英雄には届かなかったなぁ。
ひたすら馬メインで頑張ってて馬大好きだったのに覚醒でいなくなって、システム全般的につまらなくなった。
それまではどんなUPが来ようと不遇職として扱われようが、ゲーム自体が楽しかったし、
フレやクラメンと仲良くてひたすらチャットだけして朝になってたようなことも数えきれないくらい。
でもいつの間にかINしなくなって何年か経ち、これからも復帰するようなことはないって言いきれるくらいになった。
もうゲーム内のフレとも連絡取らなくなってしまったし、たまに公式サイトチラ見するくらい。
ほんとに大好きだったリネージュ2と仲間たち。ゲーム内がリアル以上だった。
リネ1を始めたときとリネ2を始めたときのワクワク感は、ほかのゲームでは手に入らなかった。
もう二度とこういう経験はできないのかなとも思う。
一方で、これから先そういう体験ができることがないかと考えることもある。
それはゲーム以外の何かかもしれないし、まだ存在しないものかもしれない。
MMORPGとか、そういう類のものを黎明期からやっていて今はやめた人とかはそういうこと考えたりするのかな。
もし何かあったら参考までに、教えてほしい。
ジャッキー・チェンの映画見たらその後数日はカンフーをしたくなるが、
ドラゴンボールはそういう根源的なアクション欲求を満たしてくれる作品だったと思う。
主人公だし!
この頃の好きは単純だったように思う。
ギャグが面白くて好きだった。後、ククリからニケへの好意の描写も多くてよかった。
この作品はアニメ終了後も単行本をずっと追いかけてずっと好きだった。
単行本は終盤の絵柄が好きじゃないとか言う人がいるけど俺は気にならなかったし、
初めて買ったCDはEDの「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」だった。
もちろんククリも好きだが、やはりニケのボケ、ツッコミはこの作品の肝だ。
この作品を知ったのは親父が映画「Air/まごころを、君に」を借りてきたからだった。
OPが非常に好きだ。
あの全部理解させる気のない圧倒的情報量、スピード感はこの作品を象徴していたように思う。
敵も毎回色んな形態、シチュエーションで、全ての話数で飽きさせない、先の読めない展開の連続だった。
BGMのクラシックが非常に印象的で最高の盛り上がりから最後のカヲルくんを握りつぶすタメまで、息の詰まるというか、
心拍数が上がるというか画面の中に意識を囚われて、終わった後も戻ってこれない感覚を味わった。
傾向として、物静かなヒロインより、自己中心的だと捉えられることも多いが、
自分の意見を言う、他人に不利益が例えあったとしても自分の意志を通す、欠点のある人間らしいヒロインの方が好きなようだ。
思うに放送局がNHKでどの地方の人間でも見ることができて、何度も何度も再放送されたことがこの作品の地位を築き上げていると思う。
さくらちゃんは可愛いし、小狼くんと打ち解けていく過程がいいです。
この回は小狼からさくらちゃんへの好意が明確に描かれた回だった。
この作品はそういう視点で見ていたので、この回が印象に残っている。
当時はツンデレという言葉はなかったが、振り返って考えると当時からツンデレキャラが好きだった。
小狼くんはクロウカードを集める関係上敵対的な態度を最初取るが、どんどんさくらちゃんに好意を寄せていく事になる。
最初の印象はポケモンアニメの亜種という感じだったがポケモンアニメがサザエさん的なのに対して、
デビモン編では各キャラクターの紹介。
ダークマスターズ編では提示された欠点の再描写と解決となっている。
デジモンワールドと現実世界を何度か行き来するが、時間の流れが違うおかげで、
デジモンワールドに戻った時に状況がガラッと変わっていて、新たな問題の提示と困難度が劇的に表現されていた。
FF6の崩壊後の世界とかそういうシチュエーション好きなんです。
基本的に各編のボスと主人公勢との間には圧倒的な力の差があって、ボスから逃げつつ、
勝つ手段を探すような感じで、敵の強さの描写とその敵を倒したときの爽快感はすごくよかった。
何だかんだで主人公勢が勝つだろうと安心して見ていたそれまでのアニメと違って、
本当に勝てるのか?という感じで展開が読めない所がよかった。
この回はとにかく異色だった。
当時はアニメ、ドラマ、映画等の面白さはシナリオの面白さのみに依存すると思っていた。
合奏における指揮者は棒を降っているだけで誰がやっても同じだと思っていた。
厳密言うなら、この回を演出した人が監督を手掛けた映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を見て、
その人は今でこそ知らない人はいないほど有名になった「細田守」で俺の中では宮﨑駿と同列になった。
この人が有名になってトトロのように金曜ロードショーでぼくらのウォーゲームが流れることを切に願っていた。
なんか妙な色っぽさがあった。小学2年生なのに。
全部21話が悪いんです。
けど、元気なヒカリちゃんも好きです。
今日は金曜日なのでいつもだったら週末に向けて気が抜けてダラッとしていたが、エイヤッ(IT業界語)と公園に行ってきた。
そもそものきっかけは、はてなブックマークでラジオ体操の話題を見ていたのが記憶に残っていたという点は大きいと思う。
ただ、常駐先で一挙手一投足を監視されながら定時まで嵐のように仕事をするとヘトヘトだし、緊張状態が続くので体が
凝り始めたというのが大きな理由だった。「追い込まれてもヘラヘラ笑っているIT超人」みたいな人がたまにいるが、
なるほどああいうタイプはしぶといだろうなとようやく理解出来た所もある。
本当ならば、夏休みの小学生のように朝日を浴びながら体操すれば心にも体にも良いんだろうが、現状でも基本定時帰り
とは言え6時起きで通勤しているので、現実的には厳しい。では帰ってきてから、リラックスモードに入る前にパパッと
着替えて3:16の体操をこなしてくればいい。
音源は落ちていたが、自分の逃げ道を防ぐためにiTunesStoreで購入。200円。
一日目。体操を終えてみると「なぜこんな事に?」という疑問点が出てきた。ウルトラマンである。
二日目。ある程度一日目の疑問が解けた。
三日目。かなり腑に落ちた。
アニメ刀語の主人公の姉であり、「天才」「化物」の鑢七美(やすりななみ)の特技は「見稽古」である。
大抵の技は一回見れば覚える。二回見れば盤石。
もちろん筆者は単なる凡人であってフィクションの天才とは比較にならないが、経験とは馬鹿にならない物で宮本武蔵の
五輪の書における「観の目」的な物が自動的に整理される。パターンの見切りが早くなる。おそらくゲームをあまり
やらなくなったのもその辺が原因だと思う。
まずかなりの人はラジオ体操を学生時代以来やっていないと思うし学生時代に苦になった人は余りいないと思う。
筆者も運動神経は鈍い方だったが、特に苦にはならなかった。ただ、中年の身では余裕だと思っていたが、結構しんどかった。
思い出したのは、小学校時代の運動会で保護者のやっていたラジオ体操だったのだが、それがなんだか子供心に無様に見えた。
早送り気味のチャップリンの映画のように、挙動がせっかちで芝居がかっているように見えたし、テンポも遅れている。
それから昔テレビで見た芸人のラジオ体操。余裕綽々で始めるが体操が終わってみると、半ヤケ気味に満員電車の中で
揉まれたように髪は乱れメガネがズレてシャツがズボンから出ている。オーバーアクションでもなかなか面白かったのを
記憶している。
おそらく原因は二点あって、一つは「年を取ると感情の抑制が甘くなる」という点があると思う。
動作に感情を込めると間違いなく「力む」のだが、その力みがぎこちなさや無駄な動きに繋がっている。
だから感情が豊富なオタクの言動は芝居がかっているし、機械的動きが必要な楽器演奏で情感を作り出す音楽を
やっている人は動作が軽やかで年を感じさせない。多分ラジオ体操もうまくこなすと思う。ただ、オタクも
例えば弓道のような精度を高めてくスポーツにハマれば感情を込めない動きがマスター出来るだろうし、
作品を作る方の漫画家も反復作業が膨大に発生するので技は磨かれるだろうが。
それで連想したのは「料理は愛情」と言うけれど愛情は感情だから品質にムラがあるのでは?
プロとしてそれはどうなのかな?古来からの言葉なのかな?と軽くググると、起源は
『1980年代にオールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組「夕食ばんざい」などに
出演していた料理研究家の結城貢のキャッチフレーズ』とある。最近の言葉だった。
どうも、どこかで「愛情を込めて歌う」という文章もあった気がするが、「心を込めて歌う」という表現の方が一般的だし、
理にかなっているような感じがある。感情を込めて歌うとロックのように力んでがなり立てるような歌い方になるか
まともに歌えなくなるだろうし、心を込めるというのは丁寧にやるということでクラシックのオペラ的な歌い方とまでは
行かないまでももっと純粋な歌唱力の問題になるのでは、とここまで考えて、筆者自身「心を込める」という言葉が
どういうことかということを厳密に理解していないなと思い、またもやググってみたが、「いかに相手に真剣に向かい合うか」
それから整理してみると、どうも感情量を増やすような構造に嵌められている気もするが、穿ち過ぎかも知れない。
閑話休題。二点目。
3日目で詳細まで分かったがラジオ体操は「前半は緩いが、ドンドンしんどくなる」ということだった。
一番始めの「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動」。これは緩い。ここで大抵のおっさんは油断してしまう。
粛々とこなして、「前下に曲げます!柔らかく弾みをつけて3回そして、うしろそりぃぃ」。ここで「あれ?俺テンポ少し
遅れてね?」。
クライマックスはその後の「身体を回しましょ~(`・ω・´)!!」からのコンボ。上半身をグルグル回す。クラクラする。
漫画のキャラクターを笑えなくなった。三半規管が弱まっているな……。動作も遅れ気味だ。
続けて「足を戻して両足飛びぃ~」。クラクラしている中、暗い空間をジャンプする。なるほど。これが目眩か。
SFのセンスオブワンダーが目指している領域。ゲームデザインに興味のある人ならおなじみのカイヨワの
「遊びと人間」における「眩暈(イリンクス)」。4分類(他は「競争(アゴン)」「偶然(アレア)」
ニコニコでの実況がこんなにメジャーになる前の、10年くらい前からゲーム作ってたりプレイしてたりしてたんだけど。
その頃はフリーゲームはまずプレイしなきゃだめだった。当たり前だけどさ。じゃないと中身が分からない。
でも、今はとりあえず実況で中身見て、地雷をよけられる。
3分ゲーコンテストっていう奴と、RPGつクールのコンテスト(コンパク)がメジャーな発表の場で(フリーゲームクラシックとかも最後の方あったけど)。
それ以外は、ベクターと、ふりーむあたりか。
それ以外だと、フリーゲームのレビューサイト(今はないが、サニーガールって奴がメジャーだった)で発掘くらい。
あとは、同人。
こんな感じしかなかった。
その中で、当たりを引くと、感動がすごい。
『beyond the summer』とか、『歌恋』とか、クッソ完成度高いのにこの世の中で、オタクしか楽しみを知らないんだぜ~みたいな優越感があった。
それがさ。結構メジャーになってうれしい反面。オタクだけの楽しみがなくなってしまった。
でも、製作者はうれしいと思うよ。著作権だー商業化だーとか言うけどさ。普通にゲームプレイしてほしいみたいなのがフリーゲーム製作者だし。
昔は、50ダウンロードで勝ち組扱いが、今じゃ1000ダウンロード普通でしょ?
なんつーか。その現状を知ってると。
ここ2,3年でフリーゲームに入ってきた人達が、「作者の利益がー」っていうのは、ちょっと違和感ある。
2,5次元舞台、アイドル舞台、小劇場、演劇、歌舞伎、宝塚、ジャニーズ舞台、ミュージカル、海外ミュージカル、海外演劇、能、落語、狂言、文楽、その他古典芸能、劇団四季、ファミリーミュージカル、パフォーマンスショー、アイスショー、ダンス、朗読劇。
バレエやクラシックコンサート、オペラでは、もっとデリケートになってくるのではないでしょうか。
それぞれのジャンルのルールに従いながら、マナーを守って観劇しましょう。
バッグや持ち物は座席の下かひざの上におきましょう。バッグハンガーを前の座席にかけ荷物を吊るすようなことはおやめください。大荷物の場合は、コインロッカーやクロークを活用してくださいね。
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。
http://www.amazon.co.jp/review/R33VQYXB3J6P7P/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4838725833
ネットで叩かれているようですが、事態はもっと深刻だとおもいます。
何より、「グラフィックデザイン」という仕事自体への信頼を落とした罪は、とてつもなく大きいと思います。
擁護していた人間が、信じられない。「仕事」あってのデザイナーです。「彼はいい人」?ふざけるな、です。
真の人柄とは、「デザインの仕事」にこそ、出るものなはず、です。
全てのデザイナーが、こんなパクリ、というか、「雑な仕事」をしているわけではありません。
精一杯、ギリギリの低予算と日夜の仕事の上にちょびっとだけ花が咲くような「地味」な仕事です。
この「パクリ」は、むしろ「佐野研二郎」さん、「森本千絵」さん、「長嶋りかこ」さんら、
大手代理店の実質・専属デザイナーだからこそ、必然的に起こりえました。(まだまだ他にもいますよ)
彼等は、零細のフリーランスや個人のデザイナーと違って、大手広告代理店・電通や博報堂とのパイプがあるため、黙ってても、とんでもない「大きな仕事」が降ってきます。サントリー、資生堂、TOYOTA、HONDA…そんな大企業はデンパクにしかできませんからね。
それをチャチャっと、イメージソースを見つけ出し、Macでコピー&ペースト。下っ端のほぼアルバイトに近い低賃金アシスタントに、徹夜でとてつもない量の「アイデア」を出させ、その「手柄」を横領します。
「横領」と「電通・博報堂・多摩美ムサビ」を中心とする「これがオシャレなんだぜ」という「自己顕示」が、彼等のいう「クリエイティブ」の正体です。
彼等に創造性は一ミクロンもありません。「芸能人」に好かれているから、成り立っていただけです。
「ま、素人だしな、センスねえ・一般人なら、わかんねーだろ。」これが、彼等のいう「デザイナー感覚」なのでしょうか?
違います。真のデザイン感覚とは、「一般の人」にこそ、パッと「見るだけでわかるもの」だと私は思います。
ちょっと心あるデザイナーたちは、みなこの人たちの「センス」の源泉・ソース元が「パクリ」であることにとっくに気付いていました。ただ、一般の人の目と耳に届かなかっただけなのです。
彼等は「デザイナー」というより、「中間搾取業者」さんという方が適切なのです。
デザインに、本当はプロもアマもありません。だからこそ、デザインは過酷な仕事なんです。
かえって、「素人」だからこそ、曇りのない目だからこそ、デザインの本当の良さがわかるし、ウソもバレるのです。
国民の祭典である「オリンピック」に、あんな葬式か、安っぽいブランドのロゴのようなデザインを出してくるセンス。
それに疑いもしないセンス。これが「プロのデザイナーの仕事」なのですかね?
こんな「雑な仕事」が、止まることなく、まかり通ったのも、彼等を批判することが「タブー」だったからです。テレビ・新聞・ラジオという「メディア」の一番の資金源である「広告」を「美しく」作る方(パクリですけど…)なのですから。
まるで、一連の騒動も、「頭の悪いネット民」の批判だから、などと、彼等側の人間は、主張するでしょう。
いえ、今回ばかりは、発見したのはネットの方々かもしれませんが、日夜真面目に働く「デザイナーたち」こそ、一番の被害者です。
こんなズサンな人々と一緒にされたくない、とほとんどの方は主張するでしょう。そして、デザイナーこそ、こういう愚劣なクソデザイナーに怒りを感じるはずです。
和田誠さん、田中一光さん、亀倉雄策さん、横尾忠則さん等、デザイナーがスターだった時代は、手と情熱とで、素晴らしく美しいデザインをつくっていました。いちいち鉛筆で線を引き、イラストレーターと一緒にアイデアを考えていました。
デザイナーという仕事は「広告屋」「看板屋」などと低く見られ、軽蔑されていました。
何が「ミスター・デザイン」じゃ!!その「ネーミング」の恥ずかしさに、言葉も出ません。
最高に笑えないギャグですよ。口に出してみて下さい。「ミスター・デザイン」?。
オレは偉いんだぜ、ってことでしょ。自己顕示欲の塊なんですよ。ちょっと心あるデザイナーなら、誰でも気付いていたことです。
これを機に、「デザイン」という仕事から、足を洗って頂ければ、幸いです。
後記:多くの方に反響を頂きまして嬉しいです。
少なくとも、サントリーのパクリの件は、専門学生の1・2年レベルの課題でも今時するか?という初歩的な「画像のまんまパクリ」です。フリー素材か、写真を取ればよかっただけのことです。
デザイナーとして、本当に、ありえないレベルのミスです。こんな仕事の仕方は、佐野研二郎氏の事務所だけでしょう、と信じたい…。
しかし、それでもまだ擁護する「デザイン村」の人達にはつくづく情けない…。
理研の小保方氏、音楽クラシック村の佐村河内とホントーに、まったく同じ構図じゃないですか!
デザイナーたちも、仕事に響くので、黙っている方がほとんどだと思いますが、勇気を出して、声を上げて下さい。
呆れるほどボロボロとずさんな情報が出てきてしまいます。「思考をクリア化」しすぎた結果だと思います。
この本を読んで、「そもそものデザインのやり方」への「違和感」を感じて、すぐに某本屋へ、売りましたが、まさかあのときに感じた違和感が、これほどまでに実現化されるとは思いませんでした。
でも、いかに佐野氏が、「手抜き体質」かが、出ていると思いますよ。
なんと…驚愕の事実が発覚しました(2015年8月30日)。「ペンギンブックス」という、日本人には馴染みが薄いですが、
有名なペーパーブックのシリーズの名タイポデザイナー「ヤン・チヒョルト」のパクリであることが発覚しました。
私も、GGGでの展示に行って、感銘を受けました。本当に許せない。チヒョルトは、ハッキリ言って、
作風は地味です。しかし、心に残るデザインをする私も心から敬愛する、「巨匠」です。
しかし、そのチヒョルトの「表面」のデザイン部分だけをペーストして、パクる姿勢。
本当に許せません。
「スポーツの世界」のヤツラにならば、わからないだろう、という魂胆でもあったのでしょうか?
本当にふざけてる。デザイナーとしても、最低です。許せません。
(コメントに追記)>>広告代理店のデザイナーの仕事はプレゼンが主なので細部まで検討して作りに作り込んだファイナルプロダクツを作成することはありません。ファイナルプロダクツは下請けの専門家に任せます。だから”これとこれをくっつけて~”みたいに30%ぐらいの力で仕事を仕上げるのが”デザインする”ことだと思っちゃってるデザイナーになってしまうんです。しかも代理店にいたというプライドだけは高いから、始末に負えない。
そうなんですよ。彼等のいう「クリエイティブ」は、日本語訳の「創造すること」や「発想すること」じゃないんですよ。
いかにして、「自慢するか」なんですよ。
で、CMの世界では相手のクライアントが、「企業」ですから、世に漏れなかった。会議室の中だけでの世界でした。
しかし、「オリンピック」という晴れの世界で、「Mr.デザイン」こと「佐野研二郎氏」は同じように、惰性でやってしまった。彼にとっては、こういう仕事の仕方が、「普通」なんです。
もちろん、考える力も発想のノウハウも、強さもないから、最終的な「アウトプット」は「何かに似せる形」になります。何かに似せる、しかも雰囲気だけ…ぐらいなら、いいんです。
「何かに似せる努力」すらやめて、「そもそも画像をそのままネットからパクっていいじゃん!」
「フォトグラファーを使う」「イラストレーター(絵描き)を使う」「タレントを使う」のにも、何をするにも、
それを解消するには、タダで「アウトプット」を創り出すには、いくつかのアイデアがあります。
しかし、最も単純明解に、クリアに、ボールドに、全ての制作費が浮く方法があります。
一番安く、早く、タダで済ませられる唯一のデザイン。
一体なんでしょう。
それは「搾取」です(「パクリ」という言葉は、何となく、「万引き」に似た甘やかしの言葉だと思います。そんなレベルではないですよ、コレは。明らかに「システム」として、「自分の仕事」として、やっています。でなければ、こんなに出てくるはずはないです。)。
デザイナーたるもの、誰でも一度は、パクることはあります。学生時代に、一からオリジナルを創り出せる人間など、いないし、天才でもムリでしょう。「習作の時代」はあります。
「自分の周りへのヒト・カネ」がメインであって、「モノ」(仕事)は、どうでもいいのです。軽蔑された結果なのだと思います。
はっきりと、誰かの作ったものを「奪って、人に提出する仕事」に甘んじてたのだと思います。原宿の事務所のMacintoshの中では、イラストレーターが書いたパンも、誰かのブログのパンも、「一緒」です。
ならば、タダな方がいい。
とすら、考える頭もよぎりません。
まったく自然に「ミスター・デザイン」は、搾取します。無限に仕事がつくれ、永久にカネが入ってくる仕組み…。
思考は確かに「クリア」かもしれませんが、その精神は「ドロドロ」です。
クリエイティヴ・ディレクター、アートディレクターという「肩書き」は、「搾取指示人」なのでしょうか。
「クソ・デザイナー」というカテゴライズで、はっきりと「普通のデザイナー」とは一線を画す社会にしたいものです。
全てのデザイナーこそ、今こそ怒りを上げるべきです。
2015年9月1日、ついに、ようやく、取り下げました。が、凄まじいシロモノの反省文を掲示しました。
ここまで「ひどい謝り方」をできる人間が、いたでしょうか。
帰って来た返事は、「被害者」気取り、でした。
やはり、闇は深い、と確信するばかりです。
もうこれは確実に、しれっとして、またヒョロっと、5年後、五輪のバックで「名前の出ない形」で関わってきますよ。1000%。
絶対に、です。「今を乗りきれば、大丈夫」と思っているはずです。
もちろん、いわれのない誹謗中傷もあるでしょう。それはお察しします。
しかし、博報堂の「営業」の人間は、そういうことで強くなるんですよ。何にも言われないのは、クーラーの効いた部屋で、パソコンと戯れるクソデザイナーだけなのです。
自分の大好きなお仲間たちと、カネをバンバン出してくれるクライアントと、ドラゴンボールやドラえもんを使われても、何も言えないそっちのヒトたちの複雑な気持ち、アニメーター、漫画家、アーティスト、イラストレーターを、笑顔でほがらかに踏みにじってきたわけですからね。アートディレクターって、一体何なのでしょう。
博報堂では、こんなに「謝る」ということは「罪悪」なのでしょうか。
卑怯なのは、「テキスト」ではなく「画像」で謝るということも、そうなんですが、
「リュウミン」を使って、この際も「キレイに、クリエイティヴに、素敵なタイポグラフィ」で謝ろうとするクソみたいなデザイン根性です。
「ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった。お忘れなく。」のあの「ドヤ感」の「薄汚さ」が、本当に蘇ってきました。その「キタナさ」が何一つ変わっていない、どのメッセージでも。
これが、逆にいえば、彼のデザイナーとしての唯一の「統一性」なのかもしれません。
ただ、「ドヤ感満載」のデザイナーだと、仕事になりません。本来ならば…。
こういう場合、「真摯なデザイナー」は、実は、普通の、どこにでもある「そっけない」明朝体を使います。
リュウミンだと、あまりに「美しい書体」すぎて、ほぼ「ウソっぽく」聞こえるからです。
そんな「文字への美的感覚」すらないんでしょうね。表面的に、「キレイ」なら、何でもいい。佐野研二郎。
そもそも本当にデザインを学んできたのでしょうか?疑わしくなってきました…。
皆様が5年後忘れていても、私は「佐野研二郎」という、愚劣な「デザイナー」という肩書きをした「搾取者」の名前を永遠に忘れません。
今は、「炎上」し、「祭り」状態かもしれません。
しかし、私は、もっともっと持続的に追求していかなければならない問題だと思います。
この多くの批判が消え、静寂になり、命を吹き返した頃に、
また愚劣な身内自慢とともに、高らかな搾取とクソデザインのオンパレードが、そっと始まる(reborn)ように思います。
絶対に許してはなりません。本当に。
一般に、恋人以外へのプレゼントは、「残らないもの」が鉄則とされている。
でも、それっておかしくない?
少なくとも、贈る側からすれば、瞬間で消費されてしまうものよりも、
そのあとも使ってくれるほうが、どう考えても、うれしい。
そう思って、「後に残るもの」を異性の友人にプレゼントし続けてみた。
みんなも、「残るもの系」をプレゼントして、自分も相手も幸せになろう!
○基本情報
・相手は、二人でランチにいける程度には仲の良い20代~30代女性
・予算は、その人に夜ご飯をおごる気持ち(だいたい5000円くらいか)
・渡すときに、なぜこれを選んだかを説明する
○あげたもの(順不同)
<初級レベル>
お花を贈られて嫌がる人は誰もいないのと同様、
消耗品といってもいいのかもしれないが、数年は持つらしいので、一応残るもの系。
判断材料は、ほぼ見た目だけなので、お店に並んでいる商品の中から、
相手のイメージに一番合う色合い(ピンクの黄色と華やか系)を選択。
会社でも家でも飾ってもらえるように、小さ目なものがお勧めです。
2. 本
相手のことを考えながら30分くらい過ごせば、
「世界には、素敵な場所がまだまだある。行って、話を聞かせて」
と渡してみた。
3. お風呂グッズ
「部屋が寒くてごめんね。せめてお風呂くらい暖かく」と、
実用性も高そうなお湯に浮かぶバスタイマーをプレゼント。
<中級編>
4. 荷物タグ
たとえばこんなMoMAの荷物タグなんかはおしゃれ。
5. 目覚まし時計
いまさら、新しい目覚まし時計を贈るのは、あまりに空気読めない感があるが、
付加価値があるオムロン・ねむり時間計は興味深い商品。
入ったばかりの新人(といっても、リクルーターとして、採用にも深く関与)に、
「社会人たるもの、遅刻はだめですからね」と笑いながらプレゼント。
6. 四色ボールペン
三色ボールペン情報活用術という本と一緒に。
と言ってプレゼントしてみたら、
7. 爪切り
「身だしなみがなってない」という隠喩になりかねないので、
そこは信頼で乗り切ろう。
贈ったものは、スワダSUWADA爪切りクラシックL。
相手はわが社随一のリケ女。
工学部機械工学出身なので、こういう刃物系も好きかと思ったら、
案の定、大うけして、喜んでくれた。
<上級編>
レキ女といっても、その中には時代区分がいろいろあるらしく、
こんなの見つけて贈ったら、大喜びしてくれた。
沖縄出身の同僚が、クールビズの季節に持ってきたかりゆしカタログ。
光り輝くピンクが、とても華やかかつおしゃれで、相手の雰囲気に良く会いそうだったので、注文。
「かりゆしのような涼しげな服も、似合うと思うよ」
と言いつつも、さすがに服となると、ハードルが高いと思ったので、
黄色が鮮やかなヴーヴ・クリコというシャンパンとその専用ケース。
ちょっと前に、彼と別れしまった話を聞いてあげたことがあったので、
素敵な彼が目の前から消えても、熱中することができれば、忘れられる。」
みたいなことを話したら、すでに新しい彼ができたことを教えてくれた。
えー、なんだそりゃー。
高校時代、ブサイクなオタクが「小説や映画は文化の分からない大衆が有難がるものです。クラシックも同じです。高校生にもなってそんなのを有難がっていてはいけません。小説や映画やクラシックを持ち上げるから大衆の文化は幼稚なのです。少し勉強すれば、小説や映画、クラシックがいかに陳腐であるか理解できます。きちんとした文学、美術、音楽、映画に触れましょう。」とことあるごとに口を酸っぱくして言っていた。そのオタクは自分がやっているブログを毎日更新して絶対に1万アクセス/日取ることを自慢にしているオタクで、他のオタクからの信頼も厚かったから、それを鵜呑みにして小説、映画、クラシックを俗物と断定する友人もちらほらいた。
わたしはと言えば、そんなわけねーだろ顔面崩壊アスペがと思って小説や映画やクラシックにどっぷり浸かって生活していたが、20代も後半にさしかかろうかという最近になってやっと、あのブサイクオタクが言っていたことが理解できるようになった。小説に飽きてブログを読むようになった。映画に飽きてAVを観るようになった。クラシックに飽きてエロゲソングを聴くようになった。あらゆるジャンルの芸術についてある程度の勉強をして分かったが、やはりどのサブカルも大衆迎合したくたばりぞこないとは熱量が違うのだ。パッと購入してすぐに社会的な心地よさを手に入れることができる大衆芸術とは違って、今まで当然だと思っていた価値観、物の見方、倫理観、感覚の処理、すべてに揺さぶりをかけ、それらとじっくり向き合うことを通して最終的に言葉では言い表しがたい感動が生まれる。
だから言わせてほしい。まだ若い諸君は、きみたちの青春の貴重な感受性を、小説や映画やクラシックなんかで浪費しないでほしい。そんなものは取るに足らないのだ。世界にはきみたちには想像もできないような理不尽があるし、逆に、世界にはきみたちに想像もできないほど美しいものもある。自分の実人生で出会えないものに出合う場を、小説や映画やクラシックにするのではなく、ブログやAVやエロゲソングにしてほしい。きみたちの視界はぐんと広がることだろう。そしてなにより、やらしい人間になることができるはずだ。
高校時代、初老の国語教師が「漫画やアニメは中学生以下の子供が見るものです。J-POPも同じです。高校生の諸君は決して見てはいけません。漫画やアニメやJ-POPが盛んだから日本の文化は幼稚なのです。少し勉強すれば、漫画やアニメ、J-POPがいかに幼稚であるか理解できます。きちんとした文学、美術、音楽、映画に触れましょう。」とことあるごとに口を酸っぱくして言っていた。その先生はセンター試験の国語を1時間以内に終わらせ絶対に200点満点取ることを自慢にしている先生で、生徒からの信頼も厚かったから、それを鵜呑みにして漫画、アニメ、J-POPを低俗と断定する友人もちらほらいた。
おれはと言えば、そんなわけねーだろクソ老害ジジイがと思ってアニメや漫画やJ-POPにどっぷり浸かって生活していたが、20代も後半にさしかかろうかという最近になってやっと、あの国語教師が言っていたことが理解できるようになった。漫画に飽きて小説を読むようになった。アニメに飽きて映画を観るようになった。J-POPに飽きてクラシックを聴くようになった。あらゆるジャンルの芸術についてある程度の勉強をして分かったが、やはりどの芸術もサブカルとは完成度が違うのだ。パッと鑑賞してすぐに感覚的な心地よさを手に入れることができるサブカルとは違って、今まで当然だと思っていた価値観、物の見方、倫理観、感覚の処理、すべてに揺さぶりをかけ、それらとじっくり向き合うことを通して最終的に言葉では言い表しがたい感動が生まれる。
だから言わせてほしい。まだ若い諸君は、きみたちの青春の貴重な感受性を、漫画やアニメやJ-POPなんかで浪費しないでほしい。そんなものは取るに足らないのだ。世界にはきみたちには想像もできないような理不尽があるし、逆に、世界にはきみたちに想像もできないほど美しいものもある。自分の実人生で出会えないものに出合う場を、漫画やアニメやJ-POPにするのではなく、小説や映画やクラシック音楽にしてほしい。きみたちの視界はぐんと広がることだろう。そしてなにより、やさしい人間になることができるはずだ。
エアコンの効きすぎた部屋の窓を開け、ぬるく湿った外気と部屋の冷気が混じるの感じながら、大きな入道雲を見上げる夏の日の午後。
けだるい夏の午後の感傷を味わわせてくれるアルバムや、じわじわと汗ばむような熱を持ったアルバムたちです。
Nelson Cascais - The Golden Fish
https://nelsoncascais.bandcamp.com/album/the-golden-fish
youtube に上がってなかったけど、上のURLでアルバムまるまる試聴できます。1st track をプレイすると、勝手に全部再生される模様。
2011 の作品なので、もう4年が経つけれど毎年聴いています。
タイトル曲はピアノが散文的で美しくも物憂げな雰囲気を含んだテーマを弾き、そこにギターとサックスが重なります。それぞれのソロは吹き上がることなく滑らかに展開しますが、良く考えられていて曲の世界を引き立てます。タイトル通り金魚が泳ぐ水槽をぼんやりと眺めて過ごす夏の午後が想起されます。アルバム全体もほぼ同様のイメージできっちり固めています。
(追記:言及するかしないか迷って、結局しなかったのですが、1曲目は確かにテイストが異なります。このレビューを読んで1曲目を聴くと、「?」なので、言及しておくのが適切でした。アタマでリスナーの耳をつかむためのトラックだと思いますが、この曲はこの曲でギターのユニークなアイディアなど、アルバムの聴きどころの一つだと思います。)
ネルソンカスカイスは toap というポルトガルのレーベルから何枚か出ているベーシストですが、彼について私が知っていることはほとんどなく、紹介しようにも何も語れないので困ってしまいます。ですが、このアルバムを聴けば彼が素晴らしいコンポーザーであることは誰にでもわかるでしょうし、それで十分かなと。今回一番紹介したかったアルバム。
Marc Johnson - The sound of summer running
https://www.youtube.com/watch?v=OgC6aOfKGeA
出た時には非常に話題になった作品であり、賞なんかも取ってたので聴いた人も多のではないかと。マークジョンソンの名をジャズオタ以外にもメジャーにしたアルバム。
ピアノがいないので全体にゴージャス感が排除されており、朴訥としたギターのメロや絡み合いが郷愁を誘います。子供が見た夏の田舎の風景ですね。夏休みのある日の午後、意味もなく森や川のあたりを歩き回った記憶がよみがえります。
アルバム全体のコンセプトが明確で、曲もそれに沿った素晴らしい曲ばかりですが、なんといってもギター二人の人選があまりに完璧で、マークジョンソンのコンポーザー/オーガナイザーとしての力量を示しています。
マークジョンソンはプレイヤーとしても素晴らしいので生で見る機会があればぜひ。このアルバムでは控えめなプレイに徹していますが、ライブではアップテンポな曲のソロになると、まるでピアノの低音域のような明確なタッチで速いパッセージを正確に弾き倒していきます。私が見たダブルベースのプレイヤーの中では最も上手いと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=coHUt4si8Oo
名盤ぞろいの WAR ですが、もちろんこれも外せません。タイトル曲以外にも、Get Down, Slippin' Into Darkness といった有名曲を擁しています。
このアルバムは構成が素晴らしいです。まったりとレイジーなタイトル曲で幕を開けると、その後は単純に吹け上がることなく、じっくりと汗ばむような熱を帯びていきます。そして最後の Baby Brother でクラシックロック風のソウルをガッツリとキメてみせます。
上記 url はタイトル曲のみです。権利関係の問題で削除されてしまうようで、アルバム全体やプレイリストを見つけられませんでした。ぜひアルバムで聴いほしいんですけどね。。
現在 WAR は WAR と Low Rider Band に別れていますが、現 WAR にはロニージョーダンしかオリジナルメンバーがおらず、ファンの間でもいろいろ疑問視されてます。
そんなわけで Low Rider Band の Slippin' Into Darkness を。衰えを感じさせない素晴らしい演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=7clTT8-JrDo
Lonnie Liston Smith & The Cosmic Echoes - Expansions
https://www.youtube.com/watch?v=9dmX2uhQrZs&list=PLCb0jgW_NZ4XTRdKAqQ5ekJobVOSOUP8y
個人的にレアグルーブは夏と結びついており、そのあたりからも一枚紹介したいなと思ったので Lonnie Liston Smith を入れます。アルバム全体は見つけられなかったのですが、上記 url はリストでアルバム全体をフォローしていました。
Summer Days といった曲があるあたり、明確に夏のイメージで作成されたアルバムだと思いますが、ロニーの持つ独特な歪み感というか、ささくれだった熱のおかげで陳腐な夏のイメージからは上手く距離を置いているように見えます。
ベースラインがたまらないタイトル曲や Desert Nights, shadows といった耳を引くチューンと、保守的な Peace のような曲が程よく入り混じっていて飽きません。
先日、実に三十七年振りとなるアメリカクラシック三冠馬が誕生した。
アメリカクラシック三冠とは、ケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークスという三つのレースを全て勝った馬に与えられる称号である。これらの「クラシックレース」は三歳限定なので一生に一回しか挑戦できない。クラシック三冠とはいわば夏の甲子園を三連覇するようなものである。
しかも、この三つのレースはわずか一ヶ月ほどのあいだに開催されるので、かなり苛酷な挑戦となる(たとえば日本のクラシック三冠は四月・五月・十月と間隔を空けて行われる)。前回の三冠馬アファームドから今回の三冠馬までに二十頭の二冠馬が存在したにもかかわらず、ことごとく三冠獲得に失敗してきたことは、その苛酷さを証明していると言えるだろう。
三十七年ぶりにアメリカのクラシック三冠を達成した名馬、その名を「American Pharoah」という。おや、と思った人もいるかもしれない。「Pharoah」とはエジプトの王のことだが、その正しい綴りは「Pharaoh」である。これは馬名を登録するときに、馬主が誤って入力したものがそのまま通ってしまったためらしい。
さて、その馬名のことである。問題となっているのは「American Pharoah」の日本語表記だ。ニュースなどを検索してみれば「アメリカンファラオ」と「アメリカンフェイロー」でほとんど二分されていることが分かるだろう。しかもファラオ派とフェイロー派で「フェイローは間違いだ」「いや正しい発音だ」などと論争になっているのだ。いったいどちらが正しいのだろうか。
ニコニコ大百科にはこう書かれている。
アメリカンファラオとは (アメリカンファラオとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
実はこれ、馬名の登録ミスが原因である。(中略)ザヤッド氏が馬名を電子登録する際に「American Pharoah」と間違って登録し、それがそのまま通過してしまった。「Pharoah」を読んだら「フェイロー」。それで「アメリカンファラオ」と「アメリカンフェイロー」という二通りの読み方が現れてしまったのである。
が、これは完全なる誤りである。
綴り間違いとは関係なく、正しい綴りである「Pharaoh」でも、英語では「フェイロー」と読まれる。「ファラオ」はギリシャ語読み、「フェイロー」は英語読みという違いなのである。
ただし、この「Pharaoh」の発音はかなり特殊であるらしく、日本と同じく「ファラオ」と読むこともあれば、「フェロー」「ファロー」といった読み方も多いようだ。これがまた「フェローが正しくフェイローとは読まない」といった争いの火種になっているのだが…。
ともかく、
1. 日本で広く知られているのはギリシャ語読みの「ファラオ」
2. 英語では「フェロー/ファロー/フェイロー」などと読まれる
という三点だけ押さえてもらえればいい。
おっと。釣りじゃなかったのかしら。書いてある経歴から想像するより、たいへん整った文章だったもので。。失礼しました。
私も、大学での友達が増えてきたときに、悔しいような気持ちをもちました。ハトコまで見渡しても土方や高卒の専門職しかいない家系から、いわゆる"良い"大学に入学しました。友人たちは、クラシックの室内楽の好きな曲だとか、美味しい紅茶の産地だとかの話題で、ちゃんと経験から語れます。彼らと自分を比べて、「私はガサツだ。中高でバイトして"自分磨き"するべきだった…」と後悔していました。
でも、上流の家庭で大事に育てられた彼らが知らないことで私が知っていることもあります。公立中学の授業崩壊や、子供に勉強部屋はおろか学習机もあてがわれない家庭。そのレベルの「普通」の感覚が分かり、新たに大学での友人たちとも付き合う機会ができた。その経験が価値観のバランスを作ると思うようになりました。
自分の状況に納得し、今まで知らなかった面白そうなものをこれから知っていこう=教養っぽいものに出会ったら友人に聞いてみたり少し調べてみるようにしよう。そう決めてからしばらく経って、友人と話していて辛く感じることはなくなりました。
ようは気の持ちようと心構え次第なんじゃないでしょうか。楽しい気持ちが大事。元増田さんがご友人との楽しい時間をたくさん持てますように!
純粋にギャンブルとして楽しんでいる人と、馬を応援している人(そのついでに多少の金を賭けて楽しんでいる人)がいると思うよ。
最近は競馬場も綺麗に整備されてテーマパークみたいになっているらしいから、それで女性や子供も増えているんだろうね。
増田は知っている馬はいないのかな。ディープインパクトは知ってるかな。
大きなレース(「GI」というやつ)にはほとんど必ずディープインパクトの産駒が出てくるから、
そのあたりを取っ掛かりにしていけばいいんじゃないかな。
好成績を残せば4・5歳で引退していくから(10歳くらいまで走り続ける馬もいるけど)、
どんどん引退してどんどん新しい馬が出てくるんだよね。
3歳のときにしか出走できない「クラシック」というレースがいくつかあって、
その中でも特に「ダービー」というレースが競走馬の最大の目標となるんだね。
毎年出てくる馬の中からこれというのを見つけ出してダービーまで応援する。
もちろん4歳以降もいろいろなレースがあるよ。
そのうち大レース以外の小さなレースも分かってくるようになるし、
そこまで来たらもう競馬の魅力にハマっているはずだよ。
10年くらい競馬を見ていたら、最初にファンになった馬の子供が出てきたりするかもね。
そういう血の繋がりが楽しいんだよね。
元増田です。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
オケだと中音域の厚みを担うのはホルンとヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。
でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。
吹奏楽の低音はユーフォ・チューバ・コンバス・トロンボーン・ファゴット・バスクラ・バリサクと一見充実しているように見えるけど、フルート・オーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。
でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?
サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。
今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。
クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。
反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。
それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。
とはいえ、アマチュア演奏家や若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去の名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。
でも大河ドラマのOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。
まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲の名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。
音楽における自分のホームグラウンドはと質問されたら、自分の場合はクラシック、それもオーケストラだと即答する。
そんなクラオタ兼アニオタの自分は、当然のごとく「響け!ユーフォニアム」にハマり、作品にこもった熱気に当てられてしまった。
とにかくモブを含めた登場人物全員を愛おしく感じたとか、長年アニメを見てきて初めての経験だと思う。
また、オケで目にする管打楽器の人たちはこんな青春時代を送ってきたのかーとか、高校で体育会系な部活だった過去の自分にもあるあるだなーとか、感慨もひとしおである。
そしてアニメをとっかかりに、海兵隊とか錨を上げてとか、アルヴァマー序曲とかカタロニアの栄光とか、吹奏楽で名曲とされている作品もいくつか聴いてみて、オケとの様々な違いを興味深く感じ取った。
以下備忘録ではないが、ニワカなりに感じた差異を書いていこうと思う。
ツッコミ大歓迎。
オケの場合は、こう言っては何だが、弦・管・打の間で殆ど序列と言っていい原則がある。
即ち弦で言いたいことの多くを言い切り、管はそれを補う彩り、打楽器に至ってはスパイスみたいな位置づけである。別の言い方をすれば、オケは弦楽合奏に管打楽器を後付したと考えると分かりやすい。
勿論これは作曲家の個性にも依存していて、ベートーヴェンやブラームスなどで顕著な一方、ラヴェルやリムスキー・コルサコフなどではより管打楽器の色彩感を強調しているが、それでもこの原則はかなりしっかり守られている。
結果、分かりやすい見方でいうと、各楽器の音符の数に大きな差が出てくる。それどころか、楽器によっては出番がないなんてことも起きる。
例えばオケの第一ヴァイオリンの何が一番って、間違いなく音符の数である(第二ヴァイオリンが二番)。
しかもこの中で定席はトランペットとティンパニのみ、他の楽器は終楽章まで出番がないだの、一発だけだの、そもそも曲の編成に含まれないなどザラである。
少なくとも音符の数に極端な差はなさそうに見える。
というか、トランペットやトロンボーンがこんなに色んなところで吹いているなんて驚きである。チューバはまんまオケのコントラバス的な存在だし。
もっと驚いたのは、どんなに静かな場面でも、大抵何らかの打楽器が鳴っていることで、オケではまず考えられない。
その代わりと言っちゃアレだが、ダブルリードとホルンとコントラバスの存在感は正直微妙。てかオケの方が難易度高い代わりに美味しさも桁違いだと思う。
楽器間の音符の数は比較的公平とはいえ、吹奏楽の中核セクションはクラとサックスな気がする。
声部でいうとクラ3バスクラ1、アルト2テナー1バリトン1が曲を引っ張っている感じか?
ちなみにオケでは登場年代が新し過ぎたり、弦と決定的に合わない(弦の響きを消してしまう)などの理由から完全にゲスト扱いのサックス勢だけど、吹奏楽では不可欠な楽器じゃないだろうか。
吹奏楽のサウンドに艶とか柔らかさといった要素を付加しているのは、間違いなくサックスだと思う。
オケの管楽器は原則1人1パートでアシはオプション扱い、本来は入れずに済ませるべきという雰囲気がある。
吹奏楽はそこら辺、少な過ぎは困るけど多い分には別に・・・という感じに見える。
これは編成の制約が少ないことを意味するので、ちょっと羨ましい。
弦のピチカートの上に消える寸前の虚ろなクラリネットソロがあると思えば、大人数の弦を含むオケ全員で奏でる音の爆発まで、凄まじい落差がある。
ピュアオーディオのリファレンスに使われるのも道理で、オケのフォルティシモとピアニシモが両方遺憾なく再生できれば、多分不可能はない。
一方の吹奏楽は、とにかく取っ付き易さと親しみ易さが印象に残る。
オケ曲のような難解さはあまりなく、気軽に楽しめる感じである。
それだけ取っても、市民バンドと言ったら吹奏楽に軍配が上がる気がする。
色々書いてきたけど、自分が吹奏楽に転向するかというと、多分ノーである。
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