はてなキーワード: フリーゲームとは
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。
内容は、関西弁が嫌いな男性が、神戸に転勤になって、関西弁を嫌悪しているのを隠しながら暮らすというゲーム。
で、このゲームが好きな私は、「いつかハーバーランド行きたいな〜」と思ってました。
それで、ようやく、神戸に行くチャンスができました。
20年前、辛い受験勉強を支えてくれたフリーゲームの舞台へ!!!
ゲームでは、ハーバーランドの埠頭でヒロイン的女の子と語り合うシーンがあり、そのような、夕陽に期待していたのですが・・・・・・
なんと、開発されまくって、でっかいイオンみたいなのが立ってたり、コーナンがあったり、観覧車があったり。
寂れた感じの街並みはどこへ。
これじゃー港の風情がなくなってるじゃ〜ん。
主人公が、神戸という嫌いなところで、精神を休めたくてもハーバーラーンドも質素で。でも、地元民(ヒロイン)はそういうのを含めて地元を愛していて、主人公がそれに共感。
みたいな〜〜〜〜
どこが質素やねん。めっちゃ発達しとるやんけ〜。これじゃあそこらの地方都市と同じだヨォ。
「推しは推せる内に推せ」ですわ。
聖地巡礼はお早めに〜
フリーゲームからインディーへの転向例はけっこう珍しいのでこの方のことは積極的に応援したい。
さて、私自身は20年以上フリーゲームを作っている人なのだが、上記の記事に触発されたので
ここでは私がインディーに移らない理由を、私自身の頭の整理のためにチラシの裏に書き留めておきたい。
端的に言って私はすでに時代遅れな人間であり、私が作りたいものと今の市場のニーズが大きく乖離していることは自覚している。
大昔に私の作品もフリーとはいえ数十万件ダウンロードされるヒットを飛ばしたことはあるが、
それは当時の需要と偶然噛み合った幸運に過ぎず、最初から狙ってそうしたわけではない。
それでも私は、誰にも届かなくていいから自分の作りたいものを作りたいのだ。
インディーに出すならば、ニーズを分析して売れるような作品を作っていくということになるが、
それを突き詰めると私が作りたい作品と大きくかけ離れるので、私がそれをやる意味がないのである。
ならば、ダウンロードされなくてもダメージのないフリーで作っていたほうがいいという話になる。
ここ4~5年ほどのインディーゲーム界のレベルアップはすさまじく、
グラフィックにせよ音楽にせよ、私の拙い腕では到底太刀打ちできない次元に達している。
その世界で太刀打ちできる作品を作るならば、もう私一人の力ではどうにもならないので
素材を専門家に外注するなり、サークルを作るなりして他人の力を借りるしかない。
しかし他人の力を借りれば借りるほど、その作品は私の作品ではなくなってしまう。
部分的には汎用のアセットも使えなくはないが、それだけで納得の行く作品は作れない。
私はたとえ拙くてもいいので、グラフィックも音楽もすべてを自分で作りたいのだ。
それに趣味の世界で煩雑な人間関係に悩まされたくないというのものある。
他人の力を借りるなら、どうしても煩雑な調整事が発生するし、金銭のやり取りもあるだろう。
そんな面倒な調整事に力を使うのは仕事だけで十分であり、楽しい趣味の時間にまでそれを持ち込みたくない。
私ひとりの力ではインディーの世界で太刀打ちできないので、フリーで出せばいいやという話になる。
収益化を見据えてインディーゲーム開発に本腰を入れて取り組むなら、人生を賭けた大勝負になる。
今の仕事は辞めるか、あるいは辞めなくても副業といえるほどの時間をかけて取り組む必要があるだろう。
しかし私には子供もいるし、ローンもあるし、人生のリソースの大半は本業と子育てに割かざるをえない。
私はすでに人生の守りに入っており、博打を打てるような若さではないし、子供の人生を掛け金にして博打をするわけにはいかない。
仕事をやめてインディーゲーム開発に転向した人を何人か見てきたが、私にそんな冒険はもうできない。
売れないと分かっているのに冒険に出かけるのはただの無謀である。
結局、私のような立場の制作者には、フリーゲームの世界の緩さがちょうどいいのだ。
人生を賭ける必要がなく、負けても大したペナルティがなく、本業を圧迫せず、家庭生活ともなんとか両立できる。
インディーの世界に足を踏み込むには、私には守るべきものが多くなりすぎた。
さてここまで私がインディーゲーム開発に移らない理由を述べてきたが、
フリーゲームが好きなおっさんなので、フリーゲーム実況をやってみた。
人形遊びで、可愛い人形を使ってるが、自分は人形になりきれない感じ。
見下しているというか、「心にバリアー」を張っている。
TickTockなんかの、可愛いだけで人生アガリの JKとか見ると、「自分はこんなに苦しんでさべつされてるのに」と生まれの格差で辛い。
そういうことから、「可愛い女の子」に対して、無理やり見下すというか、「くだらない奴ら」と心にバリアーを張っていた。
そういう。いわゆるキモい非モテおじさんなので、出来上がった動画見ても、「なんだこのオッサン、ガワで視聴者数得たいだけやん」となってしまった。
だけど、バ美肉すれば、見た目がキモくて話を聞いてもらえない人生詰んだオッサンでも話を伝えられるんじゃないかという期待もある。
続けてみようと思う。
キモいオッサンだから、内容は、全く流行らないフリーゲームや、研究(オッサンは博士まで行ってたんだ)の話かなあとは思う。
誰もみないだろうが、100再生くらい行って欲しい。
フリーゲームが好きなおっさんなので、フリーゲーム実況をやってみた。
見下しているというか、「心にバリアー」を張っている。
TickTockなんかの、可愛いだけで人生アガリの JKとか見ると、「自分はこんなに苦しんでさべつされてるのに」と生まれの格差で辛い。
そういうことから、「可愛い女の子」に対して、無理やり見下すというか、「くだらない奴ら」と心にバリアーを張っていた。
そういう。いわゆるキモい非モテおじさんなので、出来上がった動画見ても、「なんだこのオッサン、ガワで視聴者数得たいだけやん」となってしまった。
だけど、バ美肉すれば、見た目がキモくて話を聞いてもらえない人生詰んだオッサンでも話を伝えられるんじゃないかという期待もある。
続けてみようと思う。
コインハイブというのは、ユーザーがサイト閲覧中にユーザーのパソコンを使って仮想通貨のマイニングをするという技術。
広告以外の収入源だ!サブスク 以外の収入源だ!と話題になっている。
これが叶うとどうなるか考えてみた。
まず、wikipediaはタダになるどころか、下手したらwikipedia編集者に金が払われる世界になるかもしれない。
広告に頼らないので、人間の恣意が入らないシステム的なお金の給付制度になるかもしれない、例えば、閲覧数の分に応じた収益のように。
そうなれば、wikipedhia編集だけで食っていく人間が出るかもしれない。
youtuberならぬ、wikipedierだ。
大事なのは、「広告に頼らない、サブスク に頼らない」ことで、「システムが透明な賃金獲得システム」が出来上がることだ。
公的な「オープンソースのプログラム」や「フリーゲーム」で下手したら商業より金が入ることすらありうるだろう。
そうなったら、本当に、企業に頼らない世界ができてしまうかもしれない。
成田先生が提唱している、「人間が政治をせずに、システムが勝手に決める社会」というのが到来するかもしれない。
物凄い技術だなあと思った。
新役魔法少女
巡り巡る
片道勇者
グレルメイカ
アイディーメンテゲー
ざくざくアクターズ
NAROUファンタジー
冠を持つ神の手
Nepheshel
四月馬鹿の宴
SCE_2
なんかもうRPGやADVは一通りのネタ「実はゲーム(妄想・夢・個人の感情)の世界だったんだよ!」は見てしまったからそういうのは良さげだな。
にじ診断ってフリーゲームはは作者が実況してたよ
よくわからない。
この意見だと、Vtuberがゲーム実況に対する投げ銭で稼いでる情景を、100%Vtuberの人気と解釈しているようにも見える。
それは結局の所「配信者のほうが立場が上」という立場に近い考え方とも取れると思う。
元増田に対立する立場の人は、寧ろ100%が配信者の人気ではないと考えているからこそ問題だと言っているんじゃないかと。
Vtuberの実況が人気を博したのなら、元のゲーム開発者もまた「喜ばせる」ことに貢献したと認められるべきとかそういう話になるのではと。
当該の意見を出した人が悪いわけではないんだけど、これを引用しても元増田への反論としては適切ではないと思う。
あと、個人的にはフリーゲーム開発者が何から喜びを感じるかというのは人それぞれだと思うので、
憶測だけど、こういうゲーム「開発者」個人への還元っぽい表現で話題にされている場合、
その対象は大きな会社が作ったゲームと言うよりかは、個人開発者によりフリーゲームなのでは、って気がする。
企業の作ったそれなりに価格のあるゲームなら、「宣伝効果」である程度は経済的に利益になるわけで、それゆえに案件とかも存在するんだろうし。
でもフリーゲームの個人開発者にはそういうのがない、ってのが事情の違うところなのではと。
例えば、
https://anond.hatelabo.jp/20210115235905
誰かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのに、それをすべてVtuberに横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。
という意見があった。
無職になるか迷っている。
年齢40歳、年収350万、独身、実家暮らしという下層側の人間なのだが
資産が2000万ある。
これは自分が生活を節約しがちということもあり、毎年150万くらい貯蓄していて
ふと最近、このまま投資と貯蓄をしていたらどうなるのか気になり、
計算をしてみたのだが年齢60歳で7000万になっていた。
※以下のURLで積立12.5万、年利3%、元金2000万で計算。
https://keisan.casio.jp/exec/system/1254841870
というか現状の資産2000万を切り崩しせずに手堅く年利3%で運用すれば
元々お金のかかる趣味がなく、人とのコミュニケーションもできるだけしたくない。
インドア人間で、もっぱら最近は動画みたりフリーゲームをやっている。
ゲーム機とPCとiPadとアマプラがあれば他は正直いらない。
1か月の生活費は月6万くらいで済むのではと思っている。
ここで気が付いたのが
年収200万でもいいし、年収100万でも問題ない。既に老後資金はあるわけだから。
それで困ってしまったのだ。
自分はやりたいことがないのだ。
生きるために今までやっていたわけだが、別に生きるためにこの仕事を続けなくてもいいということ。
もし時間を使うのなら自分が楽しいことに時間を使う方が有意義だ。
そんな考えが頭によぎって仕事に集中できない。
親に悩んでいることを話したところ
自分でもそう思う。ただそうなると自分はいくら資産を貯めればいいのだろうか?
45歳の3000万?50歳の4200万?いくら貯めれば安心なのだろうか?
そのまま職業訓練校にでも2年通ったのち
年収100万くらいを目指して生活すればいいかと思っている今日この頃。
※追記
プレイ時間4-12時間ぐらいのフルボイスのフリーのノベルゲームを4作ほど出してる(Steamでも無料配布してる。うち幾つかは英訳版も出した)人間です。
・昔フリーゲーム(Bio100%とか)を楽しませてもらったのでその恩返し
・とあるマイナージャンル(ゲームではない)のエンタメを布教したくて、ゲーム内のネタとして使って元ネタ紹介もコンテンツとして入れることで裾野を広げようとした(二次創作ではないです)。自分の中での扱いは布教用のフライヤーなのでフライヤーでお金をとるのはどうかと思っている
というのが理由です。
だけど本当に布教が目的でたくさんの人にプレイしてもらいたいにしてはキャッチーなグラフィックじゃないから自分の作品を作りたいという意識も強いのではと言われたことはあります。確かにそうかもしれないです。
私自身はフリーゲームは自分がお金を払って他の人たちにプレイしてもらうものだと思ってます。自費出版本を作って配るのに近いイメージ。