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2015-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20150703135355

元増田です。

課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、

ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。

オケだと中音域の厚みを担うのはホルンヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。

でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。

吹奏楽の低音はユーフォチューバコンバストロンボーンファゴットバスクラバリサク一見充実しているように見えるけど、フルートオーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。

最近サクソルンオーケストラっちゅーもんがあるぐらいにはサックス管楽合奏重要地位を占めとる。

個人的にはサックスクラリネット立ち位置交換するのもありだと思ってる。

確かにサックス表現力と豊かな倍音は魅力だと思う。

でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?

サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。

今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。

個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。

その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。

実はオケオケで、色々偏っている気がしてならないんだよね。

クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。

反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。

それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。

はいえ、アマチュア演奏家若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。

でも大河ドラマOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。

まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。

2015-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20150703134245

それに比べたら、吹奏楽は極めて平等世界のようだ。

平等であるがゆえに平坦なんだよ。

プロ作品でも厚ぼったいのばっかり。

そこら辺わかってる作曲家は加減をしっかりつけたり、比重を変えたりして吹奏楽ならではな色彩を出せているんだけどね。

課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、

ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。

吹奏楽のサウンドに艶とか柔らかさといった要素を付加しているのは、間違いなくサックスだと思う。

最近サクソルンオーケストラっちゅーもんがあるぐらいにはサックス管楽合奏重要地位を占めとる。

個人的にはサックスクラリネット立ち位置交換するのもありだと思ってる。

吹奏楽はそこら辺、少な過ぎは困るけど多い分には別に・・・という感じに見える。

これは編成の成約が少ないことを意味するので、ちょっと羨ましい。

これのおかげでピッチ合わせに長時間取られる団体多し。むしろ人数を減らすべきだと思うよ私は。

一方の吹奏楽は、とにかく取っ付き易さと親しみ易さが印象に残る。

オケ曲のような難解さはあまりなく、気軽に楽しめる感じである

そうね。今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。

個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。

その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。少子化になっても根強く生き残る部活動だよ吹奏楽は。

部活動経験があるゆえに成人以降の参加人口も大きい。

2013-05-07

管楽合奏の謎

アマはい弦楽器奏者の自分にとって、合奏は割と日常的な話だったりする。

それで、基本的なノウハウはどんな楽器だろうが大して変わらないと思ったら、管楽器は正直かなりトンデモに見えることをやっていたという。


まず驚いたのが、何でもかんでもチューナー頼みという話。

まあ個人練習やオケオーボエのAのときくらいはいいけど、合奏最中までいちいちチューナーと睨めっこして「私の音は合ってます」とかどうなのよ。

合奏において、チューナーとピッタリという程度で「音が合っている」とか「ちげーよ!」としか言いようがない。

発音体や共鳴体の組み合わせで音が大きく異なる楽器同士を、綺麗な響きで合わせるという非常に難しいことをやっているのに、チューナーを持ち出したところで全然解決策にならないと思うけど。

というか、チューナーばっかり見ていたら合うものだって合わねーよって、そんなことも分からないのだろうか。


次に驚いたのが、指揮者がいるときに棒だけを命綱にする合奏態度。

別に指揮者を当てにするなとは言わないが(まあ弦は基本あんまり当てにしてないんだけど)、お互いが自発的に聞き合って連携しているところに棒が介入し、グランドデザイン的な道標になるのが順序じゃねーの?

というか指揮者からしてみたら万が一の振り間違い→アンサンブル崩壊とか、恐怖以外の何者でもないだろう。


というわけで、ここまで「そう見える」だけで書いてみた。

やはり弦と管では、同じ器楽というジャンルであっても、音楽の捉え方が大きく異なるのだろうかと思わされる。

 
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