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はてなキーワード: 隠喩とは

2024-07-18

縞パン流行ブラウン管が廃れたのが原因だ

貧乳コンプキャラ、15年前の縞パンに似てる

https://anond.hatelabo.jp/20240718120400

上記文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラスト流行した縞パンを語りたくなったので書く。

ブラウン管が全盛期の時代1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツレースフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースパンツが好まれていたという訳でもない。CGコンピューターグラフィックスイラスト製作する側の都合が大きな理由だ。

当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性服装にはやたらとレースフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUIユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感表現できたのである

【参考】→ 『 「昔のドット絵ブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267

こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフト機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドット手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度わずか640x400しかなかったのだから

しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタ流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニック通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである

この頃にレースパンツに代わって流行したのが縞パンである

フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。

ちなみに、ラグビーユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。

レースパンツから縞パンへと、美少女イラスト流行が転換した時期は1997年だと私は考える。

美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeafアクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期であるエルフドラゴンナイトシリーズ同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart1997年)、こみっくパーティー1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツ縞パンが多かった印象にある。

1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1ゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲーム流行が「エルフPC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースパンツからLeafWindows液晶モニタアニメ調・縞パン」へと転換したこと象徴と言っても過言ではないだろう。

実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里アクアプラス所属)の作風が主流になったこから明らかなことだ。

インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツ縞パンであることが好まれるようになったのだろう。

とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列情報誌ぽよよんろっく渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことからインターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。

そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクパンツ縞パンとされた訳でもないのに、ファン勝手縞パンイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。

ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおんアニメ1期の6話である文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒ししまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンである隠喩的に表現するシーンがある。パンツのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パン認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。

【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929

2024-06-04

anond:20240604010825

オペラ座の怪人ロングランし続けるだけあって普遍テーマやってる。

 

地下アイドルのころから追っかけてた推しアイドルスターダムにまで上り詰めたらイケメン金持ち幼馴染と恋愛初めてキレたオタクの話。

 

あとは「芸術家ファントム)として生きるか、家庭人(幼馴染)として生きるか」

 

みたいな子供の頃の夢を諦める瞬間に現れる二択の隠喩もあったりする

2024-05-20

公の場で古い慣用句を使うと叩かれることがある

今どき、「聾桟敷」は使われなくなっているし、「盲判」も微妙になってきている

これらはそういう障害隠喩として抽象化し、物事をわかりやす表現する技術

「産(生)みの苦しみ」という慣用句は、辞書に2つの意味が書かれている

そのまま文字通りの出産の苦しみの意味と、それを隠喩として何かを創造したり、

新しく何かを始める大変さの意味

ただし、「うまずして女か」は流石に言い過ぎだ

他の言葉隠喩として使う以上、文字通りの意味も含んで受け取られるのは当然だ

まあ、「配慮が足りませんでした。すみませんでした」って謝れば済む話だけど


隠喩ではないが、俺は足が少し悪いから、旧世代には悪気なく「びっこ引いて大丈夫?」

とか言う人たちがいる

その人たちは心配して言ってくれているか感謝しこそすれ、非難する気など毛頭ない

ただそれが近しい人の場合は、「今は差別と受け取る人もいる」というくらいの助言はする

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-04-20

anond:20240416202541

警察って単語じゃなくて隠喩警察を歌ったやつならたくさんありそう

2024-03-18

anond:20240318193536

llmの登場によって私の思考には新たな側面が加わった。うん、私はllmをしばくうちに次のような考えを得た:

言葉意味意味ベクトルである

辞書に載っているような言葉定義は、意味ベクトル説明のために他の言葉意味ベクトルを合成しているわけだ。

もう一つは、言葉意味ベクトルは、時の流れと状況に応じて離れたりくっついたりするということだ。

貴様意味が変わったのは有名な話だ。せいぜいとか、お前、もそうだな。

そして、言葉言葉意味ベクトルは、個々人の知識経験依存する辞書によって個々人に届けられる。

哲学者とかは、その辞書による曲解を防ぐために、できるだけ意味限定された言葉を合成して物事説明しようとする。

あるいは、抽象出来事隠喩意味ベクトルを持たせたりすることもある。

もし自分を表す言葉がなければ、自分意味ベクトルを表す言葉を考えれば良い。

かつて平沢進なんかは、自分ミュージシャンとかギタリスト自称することを嫌い、自己紹介に「音使い」という語を用いた。

お前は?お前の意味ベクトル既存言葉にあるのか?

anond:20240317234009

俺の親とか未だにアニメ漫画見ようとしないけど、よく分からん現実版なろうみたいな恋愛ドラマ見てるの意味分からん



私の母親もそうである

観察:




推測:

というのも、ハリウッド映画などを見ていると、叫んだり息を呑んだりするのだ。「見ていられない」シーンや、痛ましい負傷をするようなシーンで。

多分、母はブレードランナーインセプションを見ても、訳が分からないだろう。ロイ感情入れ子舞台を読み解けるようには思えない。


今日結論:

カスみたいな筋書きの実写ドラマでキャイキャイやってる層というのは、テレビのそれが廃れないのを見ると、かなり厚いのだろう。

おそらく普遍の理であるGREEとかセックス・アンド・ザ・シティ流行った人間社会の中では。

2024-01-14

anond:20240113230254

これスイーツケーキ)の隠喩に気付いてない人多すぎなんだが。実際は旦那のシモのあれを奥さんがお口でケアしてあげたら「店の方がうまい」て言われて傷付いたって話だからね。

2023-11-15

公共の場所で音楽を聞きたくない権利を考える

1.公共の場所で一般的な人が受け入れられる範囲を著しく超えた大音量音楽を聞きたくない権利←当然

2.ロック黒人音楽なので聞くと不快になるから公共の場所で流さないで欲しい権利を求めます別に私がKKKメンバーであることは関係ありません←差別

3.公共の場所でユダヤ音楽を流さないで欲しい権利を求めます。私がネオナチであることは無関係です←差別

4.公共の場所で韓流音楽を流さないで欲しい権利を求めます。私が在特会メンバーで(以下略)←差別

5.公共の場所で『金太の大冒険』を流さないで欲しい権利理解はする

6.公共の場所で『マンピーのG☆SPOT』を流さないで欲しい権利←というかアレがヒットしたのが信じられん

7.公共の場所で『セーラー服を脱がさないで』を流さないで欲しい権利理解はする

8.『HOT LIMIT』はビーチでナンパしてセ●クスする歌なので公共の場所で流さないで欲しい権利←前半はその通りだと思うが隠喩範囲じゃないかな?

9.音楽に造詣の深く無い人にとっては雑音にしか聞こえないのだから公共の場所で無調音楽を流さないで欲しい権利←どちらとも言えない

2023-10-15

[]10月15日

ご飯

朝:ナポリタン。昼:アルフォート。夜:ナポリタン温泉たまごモヤシニンジン椎茸スープ。間食:チョコアルフォート

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

アオイシロ

和風伝記百合ゲームアカイイト世界観を同じくするアドベンチャーゲーム

剣道部夏合宿とある田舎にやってきた小山内梢子が、砂浜に漂流していた記憶喪失少女出会うことから始まる。

序盤は学生主人公たちの楽しい交流シーンが丁寧に描写される。

衒学趣味たっぷりボリュームあるのは賛否両論がありそうだけど、僕はそこは楽しかった。

僕が苦手な歴史エピソードも丁寧に説明してくれるし、衒学趣向あるある語源の話も嫌いじゃない。

食事のシーンですら味の描写はそこそこにメニューにまつわる歴史宗教の話を延々と喋るのは徹底してて好き。

しかし、その序盤を終えて個々のヒロインルートの入ると途端にクオリティが落ちる。

まず文章の量が全く足りていない。

ヒロイン主人公恋愛パート和風伝記として序盤に前振りしていたバトルパート記憶喪失少女やその田舎風習にまつわる謎解きパートなど、全てがあっさりさくさくまるで粗筋を読んでいるかのように進んでいく。

そのくせ、衒学趣味自体一貫性はあるので、バトルパートで敵と向き合ってるときにすら語源歴史の話をしだしてそこはしっかり文量が確保されていたのは笑ってしまった。

スチル絵の整合性を合わせるために無理やりなストーリー展開が多発するのもよくなかった。

また個別ヒロインルートが始まってからも、日常的な遊びのエピソード唐突に挟まるせいで、遊んでる場合じゃないだろ感がキツかった。

そのせいで攻略可能ヒロインよりも、日常パート非攻ヒロインの方が思い入れが強い。

とはいえ別にそれらのキャラ雑談のシーンがあるだけで好きにはなれなかった。

結局、僕が好きになれたキャラクタが残念ながら一人もいなかった。

攻略ヒロイン5人のルートを終えると読めるグランドエンディングも、ツギハギ感が強く楽しめたところが無かった。

システム的にも選択肢フラグの立ち方の因果関係が飲み込めず、やたらと多いバッドエンドに納得がいか不快だった。

またやたらと複雑な分岐制作者も振り回されてる感があり、選択肢で開示される設定を整理しきれていない感があった。

前作のアカイイトがめちゃくちゃ面白かったのでハードルが上がりすぎていて、ちょっと期待度のコントロールを間違えたのかも。

ずいぶん腐してしまったが、序盤の共通ルートのワクワク感は楽しかったし、歴史に学がある人なら僕が気付けなかった隠喩伏線に唸るシーンがあるのかもしれない。

(最後唐突に右腕が伸びるやつは多分何かの歴史文脈があるんだろうなあ、僕は知らないからなんか伸びた! って思っただけだけど)

2023-10-05

anond:20231004223933

夜中にコンビニアイスを買いに行くってコンドームを買いに行く隠喩だよ

増田はそういう経験したことなかったんだね、可哀想

2023-09-29

anond:20230929051710

比喩隠喩メタファーも無い世界に住んでるとかマジで本読んだことなさそう

あとたぶん悪口としてすっげえハエとかうんこ蝿とか言ってくるけど

ここ数年レベルで見たことないか全然ピンと来ない

もしかしてあなた生活圏ではコバエとかうんこ蝿がぶんぶん飛んでるの?

2023-09-23

となりのトトロって、ノスタルジック物語ではあるんだけど、その郷愁の中に「かぁちゃんの腹の中に還りてぇ」というニュアンスを感じる。

まずファーストシーンでトラック引越し道具の中にメイとサツキが潜んでいる時点で何かを予感させるし、ボロ屋の2階に向けた暗い階段は胎内めぐりよろしく暗闇の中に未知との遭遇があるし、メイが底の抜けたバケツを見つけるのは穴の空いたバケツ=日常を通り越して未知の世界を覗き込むチューブを手に入れた隠喩だろうし、トトロ出会う獣道が子宮的なニュアンスを持っている。

最終的にメイとサツキ母親に会えて良かったね、なんだけど、そこに精神的な成長は見当たらない。いやいいんだけどね。かぁちゃんに会えて良かった。めでたし。

2023-09-14

お尻の割れ目ってお万個ににてるけど

リースカートはヒダヒダの隠喩だったんだね!


長年の謎が解けた!

2023-09-09

ジャニーズ(隠喩)

ジャニーズ動詞化して別の意味を持たせたらいいんじゃないかな

・先輩からジャニーズ(隠喩)された

・あの子ジャニーズ(隠喩)されているらしい

ジャニーズ(隠喩)したい 

ジャニーズ(隠喩)1回 〇〇円 等々

2023-08-07

anond:20230807194105

複複複複製を超えた適切な実体感覚を持たず、イエスノーノウイルス使用はかなり隠喩的だ。「ウイルス」という言葉は複複ウイルス以上の意味を持っている。

Having no proper substance, or sense beyond its re re re replication, yes no no usage of virus is ever metaphorical. The wordvirusis more re re virus.

no usage of virus is ever metaphorical

は「どんなウイルス使用法も決して比喩的ではない=直接的だ」

って意味じゃないんかな

そっちのほうが「ちゃんとした実体感覚を持たずにひたすら複製するだけ」という前半部の意味とつながる

The wordvirusis more re re virus.

は「ウイルスという単語は、それ自体が複製され続けるウイルスのようなものだ」

という意味だと思うんだが

Yes No Yes No Yes Yes No longer それは何を意味しているのか?しかしどうやってそれは広がるのか?

Yes No Yes No Yes Yes No longer what does it mean? but how does it spread?

これは、「Yes No Yes No Yes Yes」といった言葉に対して、もはや「何を意味しているのか」ではなく「どう広がるのか」が問題とされる、ということだろう

まり記号論ウイルス技術学へと転落する」ということの具体例というわけ

ちなみにChatGPTによるとYes No Yes No Yes Yes Noはウイルスが複製拡散する様子を模しているらしい

The repetition of "Yes No Yes No Yes Yes No" emphasizes the notion of spreading and replicating, similar to how a virus multiplies and propagates itself.



ちょっとこの翻訳誤訳が酷いと思う

英語だとなんとなく言いたいことは伝わるけど日本語だと完全に意味不明になってしまっている

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