はてなキーワード: ケンタッキーとは
@Tree_kiki09
見てたら気分悪くなったからここで供養する
親はこの人と同じ、多分年収300万以下
両親の実家は遠く頼ってなかった
俺ら兄弟は部活は入っていたがずっとサイズアウトしたスニーカーを履いていた
友達に誘われた遊びは断ることが多かった
それでも在学中に付き合ってくれた友人には感謝している
家族行事もほぼなかった、クリスマスには手作りのケーキを作っていた
それでも幸せだと感じてたのは幼少期だけ
大きくなって外と比べられるようになると今までみたいに無条件で幸せだなんて思えなくなる
幸せと感じるのは本人次第、というが
親は幸せだと言った、俺らはそうじゃなかった
俺は大学に行けなかった、積立はしてたが、行きたい学校と見合わなかった
学校でこの学校は?と言われたが虚しくなって高卒で働く方を選んだ
2番目も行けなかった、そのおかげが3番目4番目は進学をした
大学に行かなくても十分な社会になる方がいいのはわかるけど、そうじゃないしそういう世界になのは事実で、行けるようにするのが親の義務だと思うがな
こんな苦労をさせたくない、からだ
この人が言うように持たない理由はたくさんある
この先の日本を思うと苦労することが目に見えている
その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日の晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。
ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。
「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップで散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿の賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。
ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。
あ、死んでる。
体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。
明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。
ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。
お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルだから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。
来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。
小さいころに東北大震災で地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震に大丈夫になったな。
お前はボールやおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。
トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。
嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。
老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。
喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。
帰路で他の家族と散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。
お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族に爆笑されたのが亡くなる直前の休み。
熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。
ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。
「あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族で計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。
スマホの写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間の食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。
ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。
小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤の電車内でもお構いなしに悲しくなる。
お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人の自分。寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。
「今日は肉料理だからあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパーの精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。
今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。
いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。
毎年9月にケンタッキーはオリジナルチキン1本無料にするイベントをやるんですよ。
で、以前のアプリの仕様だと無料クーポン取ってチキンもらってアプリのデータクリアして、を繰り返すと何度でもチキンもらえたの。
よくケータイ乞食が端末大量に用意してこの手の乞食をするんだけど、その端末台数すら要らなかった。
クーポンもらう→チキンもらう→アプリのデータクリアする→……を延々とやるだけ。
2023年はなぜかこのイベントがなかった。恐らく何かに感づいたのだろう。
…で、今回のアプリ改修である。恐らく1住所1自然人1本しか無料チキンはもらえなくなるが、たぶん9月はオリジナルチキン無料が復活する。
ケンタッキーとかを高い!
みたいな意見を見る
コスパで語るってことは味なんか品質が違うことはわかってるらしい
けどそれは求める物の中で代替性があるもの同士の場合に限られるんでは
ケンタッキーとコンビニで比較すると味に違いがあってもどっちでもいい人には確かにコンビニになる
けどケンタッキーの味がやはり違うと思う人はコスパってよりケンタッキーとコンビニとの価格差を自分が許容できる費用なのかってことをコスパと言ってるように思える
その上でコンビニっていう人は差額の出費を金銭的に許容できてないってケースを相当含んでる気がする
ならコスパで語られてる本質は金銭に対するその人の価値の重みなんだと思う
それが許容できない!っていうのはそんなに金銭が価値を持つんだなぁと思って個人的には悲しくなる
彼らは味の違いを楽しむことにコストがかけられないんだなぁと