はてなキーワード: 穿ちとは
3年と少し前「医学部なんて入るんじゃなかった」という文章を漠然とここに投稿した。進級がかかった試験の直前だった。涙をぽろぽろ流しながら、カフェの端の方の席で書いたのを覚えている。
まだエントリは消していない。事前にそちらを一読してから読んでもらえるとよいかもしれない。
「医学部なんて入るんじゃなかった」は、バズるというほどではないけれど、ネットの隅で少しだけ話題になった。あたたかい意見も厳しい意見もたくさんいただいた。あれからいろいろなことがあった。もし自分と同じように苦しんでいる人がいるとするならば、後日談まで書かないと誠実じゃないじゃないか、と思った。マッチングや卒試にも目処がついたので、国家試験の勉強の息抜きも兼ねて、自分の現在地を記しておく。
どこから書くべきか迷っているが、過去の記事と照らし合わせて丁寧に近況を綴っていこうと思う。
まず「医学部なんて入るんじゃなかった」とかつての自分は息巻いていたが、結果的には、心境に変化が生じたというか、医学部も別に悪くないと思うようになった。医学教育の賜物かもしれないし、苦楽を共にした学友のおかげかもしれない。かつての自分の状況を考えれば、驚くべきことだと思う。
思うに当時の自分は、人間というものに対してずいぶんと悲観的になってしまっていた。コロナ期間が長かったことも大きい。けれどもあの記事でいただいた意見を参考にして、人間に絶望せず向き合うというか、積極的に交流を図ってみたら、自分と同じ痛みを抱いていたり、同じでなくとも大変な状況をくぐり抜けたりしている子が意外に多いことを思い知った。ノートを見せてくれたり、塞ぎ込んでいる時に一緒にスタバを買いに行ってくれたり、何だかとても優しい子が身近にたくさんいて、シンプルに驚いた。自分は一人ではなかったし、今となっては勉強部屋で毎日楽しくやっている。
再受験の同期たちの存在も大きかったかもしれない。彼らは大人の視点から自分の悩みに向き合ってくれたし、家庭環境に引くこともなかった。
振り返ってみれば「人に恵まれた」に帰着するのだけれど(友人たち、先生方、本当にありがとうございました)、歯車がひとつでもずれていたら、どうなっていたかわからない。人生は意外に上手くいくし、意外に上手くいかないこともあるし、そのハンドルを握り続けることは容易でないという気づきが、唯一の学び。
続いて、家庭について。家庭は、残念ながら崩壊した。おいおい、と思う人もいるかもしれない。熟年離婚というやつだ。ただ、養育費は卒業まで出してくれることになり、母方の家庭も長年の苦労を見透かしてか、支援をしてくれている状況だ。臨床実習が始まるころに手続きがだいたい終わった。
あれだけ絶対的なものだと信じていた権力機構が、いとも簡単にバラバラと崩れていくさまに、気持ちよさを覚えなかったかといえば嘘になる。清々したし、寂しさはない。薄情かもしれないが、しょうがない。
趣味は相変わらず楽しくやっている。とても上手くいっており、その道の友人もたくさん増えたし、努力すればするほど報われる辺り、今までの人生の苦労のお返しを、急いでもらっているようにも思われる。就職は関東なので、今よりずっといろいろなことがやりやすくなるだろう。
もう「欠陥品」と呼ばれることもない。勉強や趣味はそれなりに頑張っているし、プライベートもそこそこ楽しくやっている。健常な人間に「擬態」しているというと穿ち過ぎだろうか。
残念なことに、自己肯定感の低さは治っていない。褒められたら社交辞令と反射的に判断してしまう。けれども今の私には、それを笑顔で受け止める分別がある。
こと異性関係においては、どうも以前の良くない自分……過剰に怯えがちで人間を信頼しきれない自分がほの見えるようで、現在お付き合いさせていただいている人に、それを茶化されることもある。根本の問題は治ることはないと思う。全てのこころの問題が離婚程度で治るなら、私は今こんな文章を書いていない。離婚の事実自体に苦しめられることもある(自分も原因の一端を担っているはずなので)。
そうそう、以前のエントリをあげた時、「あなたはどこに行っても上手く行かない。あなた自身に問題がある」といった内容の言及をいただいた。それは本当にその通りだと思う。私は人より落ち込む頻度が多いし、落ち込み具合もひどいものがある。特性は一生十字架として背負っていくほかないのだ。一方で、当事者にダイレクトに当事者たる要素をぶつけることの暴力性に関しては、少しばかりの思慮が必要だと考える。
どれだけ歪んだ形でも「大学に通えたこと」には感謝している。卒業を目前にして、特にそう思う。世の中には寝食さえままならない被虐待児が多い。辛さは比較するものではないけれど。
というか、過去の自分、かなり荒んでいて驚いた。もし私と同じような子がいたら、大丈夫だよ、と肩を叩いてあげたい。世の中は思ったより悪いところじゃないし、どんなコミュニティにも気の合う人は存在する。視野を広く持って、絶望しすぎないで、どうか、家庭以外の安心できる居場所を見つけてほしい。
将来何になりたいかは、まだあまり決めていない。志望科は内科だが、精神科にも興味がある。かつての自分みたいな子供の、絶対的な味方でありたい。
何だかふわふわとした文章になってしまいましたが、以前私にいろいろと言葉をかけてくださった方々、どうもありがとうございました。
同職種の人でしたら、いつかどこかでお会いできるかもしれません。
本当に、ありがとうございました。
属人化解消に二年費やした結果「やっぱ俺やるわ」と無言で行動するようになった超有能社員(平)なんだけど、お陰でチーム内の自称健常者クンがお脳みそのツルツルさに磨きをかけてしまい、俺が休んだ日の対応内容がゴミすぎていくつか大変なことになってた。
やべーなオイ、どうすんだよこれ。
もうさ、俺が休んでるからってイキイキと自分ルール捏造して好き勝手した挙句イロイロと俺のせいにしてくれてるけど、チームのグループチャットはねぇ、休み明けの俺が当然読むんだよねぇ。
まぁ俺は我が身が大変にかわいいので、それぞれにとても誠実に懇切丁寧に微に入り細を穿ち釈明などさせていただきますのでご了承ください。またその過程でツルツルクンの浅はかな思い付きひいては思考回路などが関係者の皆様に赤裸々に明かされてしまうこともございましょうが、何卒ご理解賜りますよう心よりお願い申し上げます。
つか一日休んだだけでこの有様なんだけど、俺いなくなって平気なんですかね。
みんな元気だからいいんですかね。
頑張ってね。
彼らは民族主義的アイデンティティ、歴史的経緯、更には政治的アイデンティティを背景に、中東と南米の主要国家を糾合することに成功した。
中東においてはサウジアラビア、イラン、アラブ首長国連邦の三ヶ国が今年八月にBRICs入りを宣言し、中東の主要国の大半が事実上中露陣営への参加を表明することとなった。
また、南米においてはブラジルに次いでアルゼンチンもBRICs入りを果たし、南米の二大巨頭が中露への支持を表明した。更には、政治的アイデンティティを背景にベネズエラ、ニカラグア、キューバなどの中南米諸国もロシアに対する支持を表明するに至っている。
成功著しい南米、中東に加え、欧州圏やアフリカ、アジアにおいてもその影響は波及している。
欧州においては、ウクライナ戦争の背後でハンガリーがロシア側への支持を表明している。ロシア=ハンガリー間のガスパイプラインの破壊に、ウクライナ(と恐らくはアメリカ)が大きく関わっていたことが、ウクライナ支持からの離脱のきっかけになったようである。
また、ポーランドも同じくして、ウクライナに対する嫌悪感を露わにしている。ポーランドはウクライナの西に隣接する旧東欧諸国を代表する国家であるが、これまでウクライナに対する大体的な支援を行ってきた。歴史的にポーランドとロシアとの関係は決して穏当なものではなく、今年に入り米国から数兆円相当の軍備を購入することを宣言するなど、ポーランドのロシアに対する危機感は大きなものであった。
しかし、国連総会においてウクライナが農作物の輸出を巡るポーランドの姿勢を批判し、実質的に「ロシアの犬」呼ばわりしたことからその対立は鮮明になっていく。ポーランド外相がウクライナへの軍事支援の停止を一時宣言するなど、ウクライナに対して明確な嫌悪を表明したのである。また、NATO及び欧州内での外相会議において、前述のハンガリーと共にポーランド外相は欠席しており、ここからもポーランドの西側諸国に対する距離感が読み取れる。
加えて、これはあくまで噂であるが、ウクライナにおいて不足している将兵を補うために、ポーランド軍が水面下で参戦しているとのことである。ウクライナの開戦当初の軍備は二十万人程度であったにも関わらず、ニューヨークタイムズなどの報道機関によると、ウクライナ軍での現状の死傷者数は二十万人を超えている。つまり、元々ウクライナに存在していた常備軍はほぼ機能不全になっていると考えてよい。そのような軍備の不足を補うために、外国の義勇軍(要するにNATO軍)が投入されていることは周知の通りであるが、その中でもポーランド軍が大きな割合を占めているとの情報がある。
そのように実質的な欧州各国とロシアとの防波堤であり緩衝国を自認するポーランドに対して告げられた、「ロシアの犬」扱いに等しい発言は、ポーランドの民族的アイデンティティを大きく傷つけたと言える。このようなことから、欧州においても、ベラルーシやハンガリー、ポーランドを中心に、中露への支持を表明し始める国家は徐々に増え始めている。
また、これは穿ち過ぎた見解かもしれないが、ドイツもまた潜在的な中露シンパとしての可能性を持っている。ドイツの直近六年間における最大の貿易相手国は中国であり、ドイツは経済面や貿易面において国策として米国依存からの脱却を推進していた。つまり、少なくとも経済面や貿易面においては露骨に中国への接近を示唆していたのである。ドイツは周知の通り第二次世界大戦における敗戦国であり、その国内には日本同様に米国の大規模な軍事基地が存在している。あるいは、そのような現状に対してドイツが何らかの歯痒い思いを抱えているのではないか、という想像は、現実から乖離した妄想なのだろうか。
アフリカにおける影響力も多方面に渡っている。アフリカは歴史的経緯において欧米からの甚大な搾取を受け続けた国家が多く、潜在的に反欧米の機運を抱えている。現状アフリカ大陸における経済大国と言えば、エジプト、ナイジェリア、南アフリカ共和国の三国であるが、その内エジプトと南アの二ヶ国はBRICsへの帰属を宣言しており、ここからもアフリカの親中露の機運を読み取ることができる。
また、アフリカにおいては2020年代に入って以来軍事的クーデターが頻発しており、その結果として親中露政権が樹立されることが珍しくない。そのようなクーデターの当事国としては、マリ、ギニア、ニジェール、スーダン、ガボン、ブルキナファソなどが挙げられる。このような南アフリカの構成国においては、ロシアの傭兵部隊であるワグネルの影響が大きいと見られており、クーデター軍の支援としてワグネルの部隊が戦闘を行うケースも散見されている。このように、中露はアフリカ諸国に対して軍事的な影響力を増しつつある。
余談であるが、CNNの報道によれば、アフリカで暗躍するワグネルとの戦いにおいて、ウクライナの特殊部隊が参戦しているとのことである。
これは陰謀論などではないhttps://www.cnn.co.jp/world/35209273.html。
何故アフリカの戦線にウクライナの特殊部隊が存在しているのか? という率直な疑問を抱く人々は多いと思う。とは言え、このような疑問に対する回答は極めて明瞭であり、要するに、アメリカ軍部はウクライナの軍人を訓練し、傭兵部隊としてアフリカの戦線に派遣しているのである。これは決して珍しいことではなく、ウクライナの部隊は欧州各国で訓練されており、例えば複数のレオパルド2戦車で構成される第三十三機械化旅団などは、典型的な西側諸国の影響下で訓練されたウクライナ人戦闘部隊であり、このようにウクライナ人を欧米諸国で訓練して戦線に投入する事例は、今回のウクライナ戦争において事欠かない。つまり、やっていることは元スペツナズ部隊出身の兵士らによって構成されるワグネルと同様で、傭兵部隊の組織をアメリカもまたロシアに対抗するべく率先して行っているのである。アメリカは人口が多い割に経済規模の小さく、また今回の戦争において国力を大幅に減退させることが決定づけられているウクライナという国家の特産物として、実質的に兵士を挙げているのである。
アジアに関しても中露の影響力は増しつつある。中東に関しては上述の通りであるが、例えばベトナムはベトナム戦争という歴史的経緯から米国に対する不信感が強く、ロシアとの協調路線が強く窺える。中国とは歴史的経緯の文脈で対立することが多いが、軍備面でロシアへの依存を強めるなど、ベトナムのロシアや中国を中心としたBRICs陣営との親和性は決して低くない。
欧州との接続地点であるトルコも、2016年のクーデター未遂以来、親露的方針を採ることが目立ち始めた。まことしやかに、当時のエルドアン政権に対して、クーデターを示唆する情報が内々にロシアから提供されていたのではないか、という噂が囁かれている。
また、見逃されてならないのが、インドの存在である。2000年代中盤には世界二位の経済大国の地位を約束されているインドは、中露に対して融和的路線を採ることが多い。2000年代の世界経済において確固たる存在感を示しているインドの立場は幾分流動的であり、必ずしも中露に対して全幅の信頼関係を結んでいるわけではないものの、少なくともBRICsや上海協力機構といった枠組みの中でインドは中露との連帯を志向しており、決して欧米との完全な協調路線を歩んでいるわけではない。
アジアと言えば当然日本もまた中国の大きな影響を受けた国家である。勿論、日本の国内には米国の大規模な軍事基地が点在しており、明らかな西側国家としてのアイデンティティを持っているが、ここ数年の日本における最大の貿易相手国が中国であることは周知の通りである。少なくとも、貿易と経済の面において、日本は中国との距離を縮めると同時に、アメリカから距離を置きつつある。
また、極めつけにと言うべきか、中国による一帯一路構想において、アフリカやアジア諸国に対する多額の資金援助が行われている。中国からの貸付によって財政破綻を起こしたスリランカのような不幸な例はあるものの、これまでのところこの一帯一路構想が完全に破綻したという情報は無く、徐々に中露シンパに傾きつつあるアジアやアフリカの国々は増加傾向にある。
更には、中国は2030年代には実質的に世界一位の経済大国の地位を獲得し、その後長らくその地位を独占し続けることが、各国のシンクタンクにより報告されている。一部日本のシンクタンクなどはそのような中国に経済事情に対する楽観的な予想に疑義を投げ掛けているが、しかし大筋で中国の存在感が2000年代中盤において増していくことは、明白であろうと思われる。中露の躍進は、更に強まりつつある。
今回のイスラエル動乱の背後には、BRICs参加国であるイランやロシアの影があると言われており、ここにもその影響力の一端が覗える。
紙の新聞を購読している。
未だに?と嗤う人もいるかもしれないが、多様な情報がキュレーションして提供されるのは価値があると思っている。
ネットのエコーチェンバーに籠るより世の中のことを広く把握しやすい。
家族をYouTubeで陰謀論に染まらせるよりマシ、ぐらいに考えてもいい。
速報性に劣ると言われるが、速報が必要なニュースなんてほとんどない
(共同通信の1行ニュースに対してああだこうだ言うアレ、何の意味があるのだろう)。
紙面の広さを活かして構成されているのでネット記事より分かりやすく理解も早い。
「日本が『殺す側の国』に変わっていいのか」
だ。
防衛費増額の話題からこっち東京新聞では日本が他国を侵略するかのような脅迫的な言葉が並ぶ。
東京新聞のスタンスはご存知だと思うが、さすがに話が飛躍しすぎだろうと思う。
活動家を焚き付けて自分たちの主張を通すためにひたすら過激な言葉で煽り続けている。
こういうやり方はどうなのか。
ずっと読まされ続けて気も滅入ってくる。
神宮外苑の樹木伐採問題も紙面だとしょっちゅう1面トップを飾るネタでうんざりしてしまう。
この件で都知事に手紙を送ったという坂本龍一は破格のスター扱いで紙面が割かれる。
さすがに他にもっと伝えるべきことがあるのではと言いたくなる。
反対する団体とほとんど一体化しているのだろうし、これを成功させて成果にしたい思惑も透けて見える。
穿ち過ぎだろうか?
定期的に大きく取り上げる「子供や若者の素晴らしい活動を紹介」みたいな記事もきつい。
平等や多様性を訴え自発的に活動する若者、と書くといかにも良さそうだが自分たちの思想に沿うものだけを称揚する内容だ。
だんだん購読層が気持ち良くなるためのポルノに感じられてきた。
東京新聞は偏っているぞとも聞いていた。
でもここまでとは思わなかったよ…。
余談だが、そもそも中日新聞社なのに東京新聞というネーミングは何故?
調べてみると元は東京新聞社が発行していて戦後中日新聞社に買われたらしい。
へえ。
私にはこの文章のほうが、「本当かな?」という気持ちになりました。
というのも、筆者さんが、追記で「心から愛していました。最後まで言えなかったことを後悔しています」と言っているからです。
心から愛していました。って、それはつまり告白ってことですよね?
それを、「最後まで言えなかった」?
つまり告白できなかった? 最後まで、縁が切れるまで? または、告白されて、その返事としてそういうことを言うことも出来なかった?
それなのに恋人だった? そんなこと、あるんでしょうか。
私には、あるとは思えません。
もしこれらが邪推ではないのなら、つまり筆者さんがAさんにずっと片思いしていたということなら、今からでも、そしてすぐにでもAさんにその思いの丈を伝えてみたほうがいいです。
そして、振られてしまったほうがいい。
もし私の邪推があたっていたら、Aさんがこれを読んでも「へー、世の中にはそんなやつがいるんだなー」としか思うことはないはずです。当然のように、自分には心当たりがないから。追記がAさんの目に入ったところで、何の変化も生みはしない。
真にその気持ちを外に向かって吐き出したいのなら。思いに決着をつけたいのなら、正面からAさんにアタックをかけるべきです。
……告白しなくちゃ、振られることさえ出来ませんよ。
無論、これらが全て、ただの勘違いの邪推なら、何の意味もない駄文です。無視されても、削除されても、文句は一切言えませんが……。
(´・ω・`)「…濃いぃ一日でしたやで」勤務先としては何の物質的金銭的な協賛もしてないのにハッシュタグ付けて宣伝してあげた手前、たとえ午後以降の夕方手前という時間から野暮用が入ってもワイは行くのだ!…ちゅーて見に行ってきましたで「NT高の原」!近鉄の奈良線に大阪市内から乗ったのも初めて、でも車両は乗り入れしとる阪神電車(笑)で西大寺で乗り換えしてもやはり京都府から乗り入れしとる京都市営地下鉄烏丸線車両(笑)に偶々あたって認識が混乱しかけそうやったけど。しかし沿線の風景がまた興味深い!日本橋を過ぎてから地上に顔を出したら鶴橋の町並みの屋根の上を通る高架、あーじゃあこれからどんどん建物の間隔が空いてくるんやろ?とおもったらこれがまた東京みたいに密集した街のままでずべらーっと西へ拡がってて意外だった、しかしそのうちに木々やら丘やら増えてきて段々と山に向かって傾斜が付いて、突き当たりの山肌を斜めに横へ駆け上がっていく!眼下にさっき感嘆してた拡がった街並みを見下ろすのがいい感じ、そしたらその駆け上がった山を最終的には正面からトンネルで穿ち、抜けた所が生駒の駅でやたら開けたニュータウンという面持ち、さらにそこからまた下りつつも小さな山をやはり抜けて大和西大寺、ここで同じホームに全然ちがう路線の車両が交互に発着しているという初見デンジャーな乗り換えを無事にこなし、二つほど北上したらそこが高の原だった。
高の原はしかしここも山の上を拓いて造ったニュータウンの雰囲気がバンバンしてて(京都府乙訓西山民なら桂の西の奥の例のやつで身近なアレ)、なんだか造成がやたら立体的に作ろう作ろうとしてんのな空中通路の祭典みたいな。極めつけのダメ押しに駅の直近のイオンモールも正面玄関が唐突に二階へ上がるエスカレーターというね…(突風の吹く雨や雪の日にはそこらじゅうで傘が反り返りまくりなんでは?)
さてここで午後から入った予定のために先を急ぐワイくんは間違いをおかしてまいました、家でWi-Fiつかって検索したルートを細切れにスクショ撮って、それをファイル閲覧アプリで見ながら徒歩で会場を目指したこと!アホー
もうね、汗だくになって迷いつつ、なんとか開場時刻の10分過ぎくらいに着きましたわ…素直に駅から1時間に2本のバスに乗っときゃあ、額の汗を気にしながら開場内を周回することもなかった。(中略)
アイカツは好きだ。
プラネット以外は全話見ている。
プラネットがなんで合わなかったのかといえば、プラネットは2.5次元のアイカツだったからだと今なら確信が持てる。
当時、アイカツプラネットを5話ほどで切った時自分は「演技の下手さに付き合うことにキツさを覚えたのだな」と自分を分析していた。
だが違った。
それが今回ハッキリした。
アイカツの舞踏館ライブはキャラクターと歌い手を積極的に繋げる作りだった。
ビジョンに映るアイカツのキャラクターに合わせて、その依代としての歌い手が次々に登場していく。
ここでもう自分は「アイカツの歌を歌う人達のライブ」としてではなく「アイカツキャラクター達によるライブを現実で再現しようとした儀式」として脳が認識してしまった。
歯車の噛み合わせ方を間違えた自分が悪いのかも知れないが、結果としてライブへの期待感は次々と違和感へと変わっていった。
「アイカツキャラを名乗るコスプレをした別人達によるライブ」は、自分が期待していた「アイカツのライブ」ではなかった。
それがコスプレだからこそ愛を感じるのだ努力を感じるのだと思う人はいるんだろうが、自分は「そんな努力をする必要があるのか?」と考えてしまった。
だって、アニメでやった方がより本物らしく、より完成度の高いものを作り出せるのだから。
キャラクターデザインが決められ、アニメーターが絵を用意し、そこに声が当てられる。
現実のライブも衣装デザイナーやメイキャッパーがいるが、ステージに立つ時1人の人間は1人の力しか出すことが出来ない。
それも1秒につき1秒分の力しか出せない。
だがアニメは違う。
3DCGを担当するグラフィッカーは数秒の映像のために何日もかけて準備をして何度もリテイクをし、最も上手くいった瞬間を繋ぎ合わせる。
声優だって同じように何度も撮り直すし、音響は完成した映像に合わせて何度も微調整をする。
リハーサルではなく本番を繰り返し、その中で最高のものが作り上げられる。
「一発勝負であること」を価値として提供するライブとの違いは「一発勝負でないこと」に強みを置いている部分だと言えるだろう。
「理想の瞬間」を目指すための努力ではなく、完成された「理想の瞬間」そのもので勝負してきている。
結局のところ、2.5次元というのは「3次元が頑張って2次元の理想に近づこうとする姿」なのだ。
それこそがアイドルの精神であると思う人が2.5次元に惹かれているのはわかる。
だが、自分は「より理想に近い姿が2次元でこそ実現できるなら、わざわざ3次元を触媒にする必要はない」と思ってしまうのだ。
この考えは穿ち過ぎなのかも知れないが……結局2.5次元をありがたる人はどこかで「3次元のほうが上」と思っているんじゃないだろうか?
2次元をより高次の次元である3次元へとアセンションさせていると感じているのではないか?
3次元に2次元を再現しようとしたことで産まれる違和感は、2次元のエネルギーがもともと3次元より低いことで発生しているから仕方ないとさえ思っているのでは?
すまない。一度落ち着く。
俺はおそらく、それと真逆なんだ。
理想を具現化するための媒体としては3次元よりも2次元の方が上だと思っているんだ。
だがその情報量の少なさがそれぞれの持つ理想にとっての最大公約数を取るのに都合がいいのだ。
つまりは「マスクをしていない方が美男美女に見える」だとか「見慣れてない外人の顔は美男美女に見える」と同じく、脳で情報を補うからこそそこに理想を見れるのだと。
結局俺たちが見たいのはそれぞれの目線から見える「理想のイデア」であり、そこにより近しいと感じられるものをこの世界に生み出すのには2次元の方が都合が良いと思うわけだ。
なぜそれをわざわざ3次元でやろうとするのか、きっとそれは単にその人にとっては「3次元のコンテンツを通して見たほうが2次元よりも理想のイデアに近いものが見やすい」からという結論で良いんだろう。
これはもう価値観の中でもより個々人の勝手でしかない趣味趣向の問題だ。
どっちが正しいとか間違っているとかではなく、どっちが合っているかでしかない。
そして自分にとっては2次元の世界で再現されるキャラクターの姿によって得られるものが、2.5次元で演じられたものより圧倒的に多いのだ。
得られるものについては「トキメキ」とでも言っておくしかない……表現力がなくてすまない。
今回、そのことに確信を持てた。
テニプリや弱虫ペダルのミュージカルと向き合った時は「きっと俺はそこまで原作が好きじゃなかったんだな」って終わっていた。
だが今回はそうじゃない。
俺はアイカツがすごい好きだけど、アイカツの2.5次元は2.5次元だったので受け入れられなかったのだと自信を持って言えるのだ。
「新潮」note開設の一発目の記事として谷川俊太郎が投入された
それに加えて、谷川俊太郎をよく知らない人への説明でもあったのではないか
名前と一部作品程度しか知らない人(増田のような)にわざわざ何を説明する必要があるんだ
と思うだろうけど、時事ネタへのコメントが苦手な件で、谷川もいよいよ大丈夫なのかな
などと邪推していた増田は、アレは平常運転であり老いてますます元気なんだなと納得できた
なんとなく、追悼文にアレは大丈夫なの?みたいな声が新潮の耳にも届いており
1月号にちょうどいい記事があったので編集部が気を利かせて、一番に出してくれた
と見るのは穿ちすぎだろうか
https://note.com/monthly_shincho/n/n74bb120454d4
>新聞雑誌ラジオテレビなどのいわゆるメディアから、発言を求められることがあります。大体時事的なテーマが多いのでほとんど期待に添えない。情報過負荷で矛盾に満ちたこの時代に、公的な発言ができるほど僕は知識がないし、器も大きくない。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220201-OYT8T50129/
西村賢太さんとの最後のやり取り…石原氏追悼原稿に「動揺もあって汚くなって申し訳ありません」|読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220205-OYT1T50204/
記事掲載の2日後に急逝した西村賢太の絶筆の石原慎太郎への追悼文
詩人の谷川俊太郎さんの話 として短い思い出だけが掲載されている
【特集】天才詩人と石原慎太郎氏の意外な接点 「あいつはいいやつだ」の関係|47NEWS
https://www.47news.jp/1466515.html
>彼は僕が全然やらないことを知っていて、クレー射撃の散弾銃を撃たしてくれたり、ヨットに乗せてくれて三浦半島の方まで連れて行ってくれたり。
今の免税事業者様に喧嘩を売りたい訳ではありません。フリーランスどうこうも関係ないです。
ただ、インボイス反対がついったーですごい何度も回ってきてなんでだろうなって思うことをいい加減ぶちまけようと思った。
なお主張としては今更じゃん!仕事量も売上も減る根拠わからん!
以上です。以下はなんでそう思ってるかをダラダラ書いてるだけ。
1.今更じゃないの
最近めちゃくちゃインボイス反対のツイートが回ってくるようになりましたね。ちなみに全部回してくる人ミュートした。うるさい。2次元に浸りたくてついったーしてんだ政治まわしてくんな。
インボイスが導入されると今の免税事業者は仕事がなくなる。たくさんの人が事業をたたむ。だから反対です。というような内容です。
それを見てまず思ったこと。
今更じゃない?????インボイス発表2018年だが?????
ついったらー、普段人のこと情弱って言ってるのに発表から3年たって施行直前まで調べてなかったと!?
面倒くさそうだからいいやって後回しにしててあわてて不利益じゃん!!!って喚いてるってこと!?
いやこれめちゃくちゃ不思議なんですよね。なんで今更?感がすごいんですよ。まあ影響力ある人がやばいよ!って言ったんかなって思うんですけど。
そっから調べ始めてフリーランス不利だわ!ってなったのかも知んないんですけど。
選挙の可能性直前に出てきたあたりからああきなくせえとか思う人間不信政治不信者なんであれなんですけど、自分が事業主ならそういう税制改革とか1番面倒でも知っておくべき事では?って思ってしまうんですよね。
政治に興味無いとか知らん。興味なくても社会の一員として自分に関わることはニュースに頼るんじゃなくて自分で情報収集するべきだ。誰も教えてくれなかったってそりゃそうだ。学校じゃないんだから懇切丁寧に教えてやる義理なんて誰にもない。政府だって広報だしてる。国税庁にちゃんとのってる。わからないならセミナーもゴロゴロころがってる。情報収集ってそういうものだ。
これ、零細だろうと大手だろうと、関係なく降りかかることだ。日本に住んでるなら日本のルールで、欧米に住んでるなら欧米のルールで降りかかること。それらを懇切丁寧に説明してくれる優しい人がいたら菩薩だと思った方がいい。自分の情報収集不足で対策できてないのを政治のせいにしないで欲しい。
ついでにいうなら広報出てるし報道が足りないっていうなら政府じゃなくてマスコミの仕事不足だと思う。というか新しい税制とか法律とか毎月ゴールデンタイムに作った方が良いと思うんだが。まあ視聴率は低いだろうけど。
これ、本当に減るんだろうか。
私はフリーランスじゃないしがない会社員だから思うんだけどフリーランスっていわゆる外注の下請けでしょ。
外注の下請けが減るってことは、つまり発注側が内製化するってことである。内製化するってことはフリーランスに向かう仕事も減るがフリーランスの数も減るんじゃなかろうか。そもそもの話ですけど。
フリーランス全体の仕事量へるけどフリーランスじゃなくて会社所属のイラストレーターなりライターなりになるんじゃないのか。
外注自体の仕事量が減るってことはインボイス関係なく日本国内のイラストに関わる仕事が減るってことだと思うんですけどそれについては触れてるのどこにも見ない。なんで?
いや私が馬鹿だからそういう思考になったのかもしれない。自他ともに認める馬鹿なので。そこそこ有名な私大出たプライドはあるけど頭の回転早いのと勉強出来るのは別だしね。
で、適格事業者で納税業者にならなきゃ仕事が減る!っていうあれ。逆に言えば適格事業者になって納税業者になれば仕事が増えるってことである。
競合他社をこの機会に出し抜くチャンスだって思わないんだ………みんなおててつないで歩きたいんだ………優しいね…………?
営業の仕事してたことあるけど、他社より安くクオリティが同じなら安いところが選ばれるのはよくあることだ。まあ付き合いとか安すぎて信用出来んとかはあるかもなので全部がそうとは言えないけれど。
外注減るならその外注してる事業をそもそも内製化なりたたむなり他の方法をあてるなりしてるはずである。そして内製化してるとしたらそのための人員補充をしてる。自社で賄えないから外注してる、あるいは経費使うために外注してるのだから。
となるとフリーランスへの仕事量が減るとしてもその分フリーランスも減ると思うんですけど、つまりまあフリーランス1人あたりの仕事量ってそもそもそう変わらない気がするんですけどそのあたりどうなんですかね。仕事量減るって断言するならこのあたりも踏まえた根拠を誰か教えてください。見つからなかった。
3.フリーランスの売上が減る
フリーランスってめちゃくちゃ軽く言うけど事業主である。従業員いなくても事業主なので売上と利益を出し続けるためにどうすればいいのか考えるのって、当たり前だと思うけど。
ついでにそこにどう税金が絡んでどう経費を絡めるかって、自己責任だと思うんですが。会社員なら役員社長株主その他経営陣が考えることですけど、これ、反対してる人で事務量が増えて今もギリギリの仕事量なのにもう無理!って意見なら仕方ないと思うけどギリギリの売上なのに無理!って人は多分フリーランス向いてないと思う。開業赤字なら仕方ないと思いますけどそうじゃないなら経営方法見直すか営業とかしないと売上上がるわけない。イラストレーターに黙ってて依頼が来るなんてよっぽどの売れた人ぐらいだ。そして大きい企業ほど売れた人にまた依頼を回す。その人のファンをそっくりそのままコンテンツの顧客に出来るから。アプリとかソシャゲとかその最たるものじゃなかろうか。
同じ商品が隣の店で全く同じサービスで値段だけが違ってるなら、安い方を選ぶでしょう。
特にネット受注なんて尚更である。えっなんで値段高くて選ばれると思ってんの???付加価値もなく???すごい自信満々ですねすごいな。
思うにこれ、普通に経済競争激化すると思うんだが。となると、イラスト上手けりゃそこそこ稼いで免税業者で確定申告だけ頑張るか税理士に頼めば終わり!って事業者を殺す政策だと思うんだが。
そっちを責めるならわかる。わかるよ。業務量増えるもんな。そこまで出来ん!ってなるわな。
でもそれ、条件から外れてしまった年収1000万円以上の事業者全部やってるけど。つまり年収1000万超える努力はしてないあるいはする気がなかったってことだな。
ある年に年収超えて、それで免税事業者無くなって今までポケットに入れてた消費税払うことになったりしてる努力した人については急に税負担が増えてうわあってなるけど、いつか自分もそこにのってやるって事前準備って思えばいいのに。
事務量増えて回せなくなる!の人は反対してるの分かるがそうじゃないのに売上がギリギリだからという理由で反対してる人はまだ余裕がある場所で営業かければいい。イラストの仕事をください!って売上あげればいい。売上が上がれば所得税も上がってしまうが手元現金は増える。売上以上に所得税上がることは無いんだから。消費税払いたくないならインボイス無しでも仕事を回す企業から今までとおなじあるいは消費税分値下げされた仕事を今までより多く受注出来るようにすればいい。単価が下がるなら量を増やすしかない。めちゃくちゃ単純なことだと思うんですけどなにか間違ってます?間違ってるなら根拠を添えて教えてくれ。
仕事がないんだよ、って言うのはじゃあ仕事貰えるように売り込みしたらいいと思うんですけどそこについては誰も触れてない気がしますね。なんで触れないんでしょう。待ってて仕事がくるビジネスってめちゃくちゃ優良な場所にある優良なマンションとかの初期投資に莫大な金がかかる貸家業ぐらいしか思い浮かばない。そんな場所の大家でも住民募集の広告出したりマンション改修工事したり継続的な投資してるって言うのに。余程自信があるんですねスゴイナー。
フリーランスの仕事総量が減るとは上で言ったように思ってません。フリーランスへの仕事が減るとしたらフリーランスそのものも減ると思ってるからです。
単価が減る。これは可能性ありますね。でも発注側からしたら外注費用変わってないんですよ。いや、普通に指摘させて欲しい。
発注側があなたがかわりに国に納めてくださいねって払った消費税、自分のものにしてるだけだから。
受注単価変わってないんですよ。あなたが勝手に消費税も売上にしてただけで。これ税込方式で売上記載してるってだけなんでまあ間違いでは無いですけど本質としては自分の仕事に対する対価(実質売上)+税金を売上高にしてるだけでしょ。えっ私何か間違ったこと言ってます???仕事に対する対価を売上だと認識してたんですけど違いました?
あっ順番逆になりましたけどこれ税務上・税法上の売上のことではないです。インボイスのツイートに記載されてる売上という包括的な意味で言ってます。
消費税上がった時に受注金額あげたんじゃないんですか?税抜きで受注金額提示してるんじゃないんですか?免税事業者だから売上にしてるけどそもそもあなたが受け取ったのは本来国に行くはずだった消費税だがそれについて言及は?
売上が少ないから消費税もあなたの物にしていいよ、って優遇処置が無くなるかもしれなくて焦るのはつまり自分の仕事に対する価値は低いんですって言ってるように聞こえますね。私が穿ちすぎですかね。すみません卑屈なもので。
ここもちょっと説明無いと納得できない。売上は減らない。払う税金が増える。でもって人から預かった税金払いたくないならそのまま免税でいつづければいい。
まあ、私が払う側からしたら私が払った消費税国に納めてくれてないんですか!?って気持ちになるのでじゃあ払った消費税返してってなりますけど。
自分が払った税金国に行かないなら払いたくないが?国民の義務として国に納税だからと10%支払うのにそれが国に行かないんならフリーランスに頼んだ時に税込になるの納得いきませんね。これは私だけかもですけど。
フリーランスの手取りが下がるって言いますけど、じゃあ免税事業者であり続ければいい。今回、インボイス導入でフリーランスで生き残れるかどうかって交渉力とか営業力が試されることで、それって普通の事業じゃ当たり前のことだと思います。イラストレーターであろうとなかろうと、そのために広告出したり自分の宣伝するんでしょう。この人になら少し高くても頼もうって思ってもらえるのがビジネスだと思いますけど。
時々見かける芸術はビジネスじゃないって意見はじゃあ誰かマネジメントかパトロン見つけなって思います。自分の技術を売った時点でビジネス、経済活動だと思ってますよ。それが嫌なら趣味にして普通に会社員になれば良いんじゃないでしょうか。
そりゃそう。なぜなら適格事業者でない私達から在庫をしいれる時にかかる消費税負担が増えるから。
でも個人相手から仕入れてる(なおフリーランス相手は置いておく)ことと、売上が出てから支払っている(それまでは仕入れ値を仕入先に払ってないケースが多い)こと考えたら、とっくに覚悟の上だと思いますが。今後免税事業者なら売上報告みて請求書作ってって形なら手数料割引とかになりそうですね。それはあり得ると思います。
ただ個人相手に手数料あげたらもっと手数料低いところに流れたりするから様子見な気もしますけどね。
最近インボイス反対!!!ってTL埋められてついったーぐらいそんな政治関係見たくねえんだよ!!!って思ったのでぶちまけておきます。
なお、そこまで嫌ならインボイスってミュートワードいれろよ情弱って意見は聞きません。
個人的にはまた別の事業者保護作らんとインボイスで崩壊はする人達は山ほど出てくるだろうが崩壊した代わりに儲ける人もでてくる諸刃の剣だと思ってます。
他に反対意見があればお気軽にどうぞ。
この増田を書く人は現在大学生という身分であり、自分がワクチン接種を一刻も早く受けたいという気持ちを完全に殺して書いているわけではないという点をまず初めに断っておく。もしかしたら自分のリサーチ不足や誤った認識に基づいて文章を書いてしまっているかも知れないので、もしそういった事があればコメントで指摘していただけるとありがたい。
高齢者にワクチン接種を優先するのはコロナの重症化・死亡リスクが高いから。一般的にはそう言われている。国民の大半はそれにたいして疑問を持っていないかも知れないが、1周も2周も捻くれている自覚のある私はそうは思えない。
厚生労働省が2021/1/6に出した、[新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)](https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000716059.pdf) を見ると、男性の方が女性より死亡率が高いことが読み取れる。私は統計学に明るい人間ではないので、交絡・バイアスが紛れ込んでいる可能性を完全に否定することは出来ないし、これが有意差であるかどうかも分からない。ただ、高齢者にワクチン接種を優先するのも具体的に何%重症化・死亡リスクが高いからで、高齢者にワクチン接種をn日早めるとどれだけの人命が守られるからだ、といった数字ベースの話はしていない。(と、少なくとも報道を見る限りそう捉えられる。)つまり、男性に優先接種等の措置を行わないのに、高齢者に優先接種を行うことは、なにか違う意図(例えば、高齢者の票を確保したい政治家の魂胆)があるのではないかと私は疑ってしまう。もちろんこのご時世に性別で差異を設ければ世間の批判を浴びることは疑いようがないし、そういったことを避ける意図として性別による優先接種を行わないのだという反論も一理ある。では何故年齢による優先接種は差別に当たらないのだろうか。そもそも差別とはなにかという話からしなくてはならない気がするが、「自分では変えようがない要素によって理不尽な扱いを受ける」というのが(あくまでも私の中での)差別の定義である。その定義に従えば、生年月日(年齢)は自分では変えようのない属性であることは明らかであるし、その要素によって不遇な扱い(ワクチンを早く接種出来ない)を受けていることは間違いない。これが差別だとなされないのは、若者がそれを差別だと認識させないような社会を、そういった社会を望む者たちに構築されてきたからではないのかと思うのだが、社会を捉える目が穿ちすぎだろうか。差別する側はそれを差別だと気づかないのは当たり前の話として存在するとは思うが、差別されている側もそういった年上優遇の社会を「儒教の教えだから」、「年功序列だから」といったような浅い理由で受け入れてしまっているのではないか。
コロナ禍の日本において、世代間の分断はさらに広まったと思う。もともと医療費や年金といった負担が現役世代に重くのしかかっている上に、高齢者の運転者が事故を起こしたりしていた。それでも政治家は投票率が高く母数の多い高齢者の優遇政策を辞めない(と、少なくとも私にはそう見えてしまう)。コロナ禍では、「若者は外出を控えて」だの「卒業旅行はナシ」だの言われ続けた。ただでさえ卒業式、入学式、成人式など「一生に一度」の機会が失われ続けた人が多い。それにも関わらず、議員が会食したり公務員が飲み会を開いたりしていた。確かに入学式とか形式だけの挨拶が行われるだけだし、行っても行かなくても人生に大きく影響を与えるものではない。しかしながら、逃がした魚は大きいとあるように、我々にはその失われた入学式が重要なものであったと思えてしまうのだ。
若者の貴重な日々が奪われ続けていると言ったのは、このような非日常なイベントのみを差しているわけではない。ただの日常だって、中学・高校は3年間しかないし、大学も4年間しかない。そのうちほぼ2年が失われようとしているわけで、うん十年と社会人生活を続けるうちのたった2年を失われるのとは訳が違う。ジャネーの法則と呼ばれる法則をご存知だろうか。生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するというものだ。(Wiki調べ) それによれば、15歳にとっての1ヶ月は45歳にとっての3ヶ月と(少なくとも心理的時間間隔においては)等価値なのである。だからこそ若者に対しては一刻も早くワクチン接種を受けさせるべきだと私は思っているし、中学生から集団接種をバンバン始めるべきだと思っている。
だからこそ[京都 伊根町 中学生の集団接種 抗議殺到で変更へ 被害届も検討](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013075961000.html) みたいな記事は胸クソ悪いし、萩生田光一の「基本的に、小中学生は集団接種を前提には考えていない。12歳以上の接種が可能だという通知が出ているが65歳まで終わったら、その次の年代や、基礎疾患のある方を優先的にやるべきで、ある自治体が『すべて終わったから、子どもたちにも打つ』というのは、やや順番が違うのではないか」という発言に対してはクソ反感を覚える。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210607/k10013072451000.html) 彼、若者の敵になるような発言しかしない印象がある。本当に文部科学大臣か?
何がオリンピックだよ、なんで小中学生をオリパラ観戦させるんだよ、希望者接種完了11月?ふざけるなよ。15歳の中学生がこれから更に半年待たないと打てないということは、75歳の高齢者が2年半ワクチン待たされているのと同義なんだよ。そもそも短い学生生活をワクチンを打てない不安の中過ごさせる日々を少しでも短くしてほしいのはもちろんだし、ワクチン接種が打ち終わらないのにオリンピックをやることにも納得出来るわけがない。オリンピックで感動を届ける、別にそれ自体を悪く言うつもりはないけれど、なんでそんなものに命賭けなくちゃいけないんですか。大半の政治家は高齢者でオリンピックの時期にはワクチン接種が完了しているから高みの見物なんだろうけれど、希望者にすらワクチンが行き渡っていない状態でオリンピックを開催することに賛成できるわけないでしょう。そもそも水際対策すらまともに出来ていなかったせいでアルファ株もベータ株も日本に来ちまってるじゃねーか。ほとんどの学生が不安を抱えながら夏休みを迎えることになる。流行期には悪者扱いして、ワクチン接種では後回しにするんじゃ若者の苛立ちは募る一方なんだよ。せめて最後くらいはいい思いをさせてやってくれや。ワクチン接種が夏休みまでに受けられなかったら安心して海やプールに行けねえんだよ私たちは。学生の夏休みなんて数えられるくらいしかないのに、政府の対応のせいで1回ならず2回も奪う気なのかよ。
地方自治体によっては若い世代に早めに接種するらしいけど、うちはそうじゃねぇ。成人式も適当だったこんな市長には次投票するつもりはないけれど、どうせまた再選するのだろうという絶望感がある。どうせなら国に早く学生にワクチンを打たせるような指針を打ち出して欲しかった。
東京・大阪の大規模接種会場が全国対応?ふざけるなよ。そんなの各地から首都圏にウイルスを集結させるようなもんじゃねぇか。次の世代に接種させろや。
何も私だって今更65歳以上の優遇を止めろとまでは言うつもりはない。そんなことをしたらまず混乱が生じるし、政治家だって選挙で勝てないようなことをわざわざ進んでするようなことはしないだろう。私のささやかな願いとしては、余りでいいから、キャンセル分でいいから、いち早く年齢を問わず希望者に接種出来るような体制にしてほしい。
https://twitter.com/dogu_fm/status/1346029676813115393
まとめ
https://sumatome.com/su/1346029676813115393
この主張に関しては、特に問わない。
「宗教的に寛容だから笑いにできる」とした言説なんて、あまり聞いた事が無いのだけど。
むしろ、日本は宗教にいい加減だからだと思うんだけどね。良くも悪くも。
そもそも、宗教を馬鹿にする文化はアメリカにもイギリスにも有る。
気になったのはそこでは無くて、キリスト教の聖人はバンバン登場しているのに、仏教の導師や祖師が登場しないという分析。
これは本当なのか確かめてみた。
以下はその結果。
聖☆おにいさんを読んでいると、キャラクター達は登場パターンで分類出来る事がわかる。
そこで、キャラクターの扱いについて大まかに分けてみる。あくまで便宜上の分類。
1. 主人公二人組
これら全て登場人物なんだけど、4は聖☆おにいさん独特の登場パターン。
今回はあくまで後代の聖人や導師などや、その他伝説となった人を対象としている。
3の登場パターンは○
4の回想での登場パターンは△
1巻
特になし
2巻
3巻
※ 空海 18話 伊豆旅行の時にガイドさんが発言。弘法大師名義
4巻
※ダ・ヴィンチ 27話 漫画アシスタント候補として名前が挙がる
※ラファエロ 27話 同上
5巻
特になし
6巻
○ 空海 41話 ショムジョのチームの一員として登場。セリフあり
△ 三蔵法師 42話
7巻
△ 天草四郎 48話 イエスさんが知っている戦国時代の人物として挙げる
8巻
9巻
10巻
11巻
12巻
13巻
特になし
14巻
特になし
15巻
特になし
16巻
17巻
○ ジャンヌ・ダルク 123話 大家のフランス語教師として登場
18巻
ゴディバ夫人や耳なし芳一は迷ったけど、モデルが居るみたいなので入れた。
即身仏も名前は出ていないので、人によってはカウント外だとも思うが、とりあえず入れてみた。
他にも抜けが有るかもしれないけど、とりあえず。
キリスト教側については使徒はもとより四大天使に旧約の人物や遙か後代の聖人とマルティン・ルターまで登場する。ところが仏教側は釈迦十大弟子、天部(梵天など)、釈尊の血族、悪魔、如来や観音、菩薩は出てくるが、仏教で重要な後代の導師や祖師は出て来ない。
一度だけ空海がイエスやブッダに顔を会わせないかたちで登場してはいるらしいが。ともあれ後代の大乗仏教で重要なボーディ・ダルマは出ていない。まして日本仏教にとりわけ大きな影響を与えた鎌倉仏教の祖師である道元、栄西、法然、親鸞、日蓮は登場どころか名前すら出てこない。
マルティン・ルターは回想で触れられるくらいで、それほど。総登場5コマ程度だし。
空海についても何故か伝聞風に書いている(自分で読んだんだよね?)けど、ちゃんと登場しておりセリフまで有る。(登場コマは2コマだけどw)
そもそも、キリスト教で親鸞に当たる人物となると、キリスト教の成立史に名前が挙がる人物なんだろうけど、Wikipediaのキリスト教の歴史の項目に出てくる歴史上の人物は、それこそルターぐらいで。教皇も初代教皇のペドロ以外、名前も出てこなかった。
そうなると、作者の単純なネタの選択と考えたほうが自然じゃないかと。
しかし『聖★おにいさん』はあくまでそれらの人物を出さない。この数年はネタ切れなのか北欧神話まで持ち出してきた。七福神を神道側として出してきたことも苦しい感がある。「八百万の神」の名は出たものの天照大神、イザナギ、イザナミ、スサノオ辺りの名を出すのを避けているようにも感じる。
これに関しては、19巻に収録される予定の回でイザナギさんが出てくるので、完全に穿ち過ぎかと。
最初に述べたとおり、日本人の宗教に対する態度は寛容ではないという意見は否定しないけど、漫画作品の描写だけで断ずるのは早計じゃないかな。
そもそも、日本人の宗教観を批判する事が念頭にあったのか、バイアスが掛かってる様子だったし。
これだったら、聖☆おにいさんを持ち出さずに自分の言葉で論じればよかった。
一応クリスチャンだけれども聖★おにいさんは大好きだよ
masdanonyです。
私のコメントに関する補足です。
「お前それ立場が上だったら完全にアウトだろ」って手口です。
上記の文言がBlog本文にあります。この文言から立場が下→上の場合には許容されうるという主張が読み取れました。
追記の部分に関しても把握はしていますが、上→下の場合の言及が主で下→上のケースがないので、上記の訂正ではなさそうと判断しています。嫌悪はしているが、上→下ほど悪いことではないと。
主張というのは大げさかもしれませんが、少なくともそういった認識をお持ちなのかと思います。
そうすると本文の上下は逆だという主張がその行為が批判されているほど悪質ではない、許容されうると言っているように見えました。
私のコメントはそのあたりに関して、
・仮に上下関係が逆で行為の善悪に差があったとしても、その行為によって上下が逆転しうること、つまり(筆者の認識での)より悪い方向に向かうこと。結局は同等の行為になること
上記は穿ちすぎているのかもしれませんが、ほかの人も同様のコメントを残しているので、やはりどこかしら下→上の行為を肯定している印象はあるのかと思っています。上の文言以外だと発注側を「挑戦者」とも述べているので、あの行為は戦術の一環で弱者の手段の一つだと思っているのかなと。
コメントだけでは上記の内容を含めることもできず、情報が足りていない状態だと悶々としていたので、こうして補足の機会をいただき、大変ありがたく思っております。
ご指摘ありがとうございました。