はてなキーワード: ユニゾンとは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 コペルニクス
・03 ひらめ(筋
・04 日向坂46
・05 [3択]2(番
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・25 [3択]225
・26 ファイナルファンタジー(X《テン》
・27 一輪ほどの)暖かさ
前回のあらすじアルバムで音楽を聴くというのがやはり理解できない
とにかくお前らの言い分を把握するために一通り聞いてみることにした。
どうせ家では一日中パソコンの前にいるからゲームしたりSNS見ながら聞いてりゃいつの間にか大体消費しきれたぞ。
最初に言っておくが12勝8敗であったとこっちは思ってる。
こっちの勝利条件は「これは単なる詰合せであり単品で買えば良いものがお得に集まってるだけだ」とこっちが思ったかどうか。
逆を言えば「このアルバムの曲はこの曲順と組み合わせじゃないと駄目っぽいな」と感じたらそっちの勝ちだ。
そもそもなんで勝ち負けなんか決めなきゃあかんのかは知らんが、お前があんまり反論してくるせいでこんな感じになっちまった。
これがコンセプトアルバムだ!みたいに言う割には似たような曲を揃えて最初と最後にそういう設定を入れただけじゃんっていう。
これこそまさに「詰め合わせセット」だ。
なんだろうな……まさしくアルバム単位で売る以外のやり方が存在しなかった時代の遺物って感じ。
「交響曲というシステムをパクってみせることで抱き合わせセットを売りつける」というアイディアを持ち込んだのは凄いと思う。
だが今の時代にこれを聞かされても「その市場に他所のアイディアを持ち込んだ事が凄いだけ」としか思えんね。
むしろ「コンセプトアルバムのスタート地点はこの程度だった」という意味で、音楽業界が歩んできた距離の長さを感じた。
まあ「参考」にはなったよ。
「100年前、100m走の世界記録は10秒6だった。この100年で人類はそれを1秒丸ごと縮めたのだ」みたいな「感動」もね。
これも普通に詰め合わせパック。
ある程度時代が固まっているけどその中でも方向性がいくつかあるんだなーって感じで終わってる。
まあ「一時期を切り取っている」というコンセプトの公式プレイリストとしては成立してるんでファンがCDラックに並べてニンマリして時折聞くためのファングッズとしてありなんかもだが、それシングルでもよくねっていう。
izumiya1948 例えばベートーヴェンの第九を第4楽章から聴く(第4楽章しか聴かない)、なんなら「歓喜の歌」だけでいい、ようなやつなんだな。
単品で聞いちゃ駄目なのか?
それなら駄目な奴ばっかだぜ日本人は。
音楽オタク様にゃそういう粗雑なイエロモンキーと同じ血が流れていることがずいぶんと恥ずかしいらしいねえ?
進歩はしているがサージェント・ペパーズの域を出てない印象だ。
ある種の時代を切り取っている感はいいが、その背景にある時代の物語を描ききれているかという微妙。
未来趣向をテーマにした結果として発売当時の時代感の再現が弱まっている気がする。
うーん……シングルで聞いた場合との違いがあんまりわからない。
異世界冒険譚とか人生の底でファイティングポーズみたいなコンセプトの曲だけで固めていれば……と言う気もしなくはないがそれでも単なる詰合せになりそう。
まあお得ではあるとは思う。
mamemaki こういう人がいるからプリンスのlovesexyは曲送り出来ない形でリリースされたんだよね。「黒人の命のようにアルバムも大事」とはプリンスの言葉。
この曲は売れてるんだろうなあってのがあるのはいいんだけど、そこまでの流れにきちんと相乗効果があるかって言われると微妙な気がする。
当たりと微妙が入り混じった福袋をそれっぽく並べ直しただけというか。
ランダム再生よりはちょっと上なんだろうけど、アナリーゼ100%の作者本人が並べ直した割にはって感じ。
これなら当たりの曲だけで聞く側が自分でプレイリスト作ればよくねって気がする。
ただ詰めているだけじゃない気はするけど、この順番で聞かせることを推奨するだけの何かがあるのかという疑問が。
anepan 椎名林檎のアルバムの曲構成が線対象になってる話とか曲名の頭文字を拾うとアルバム名になってるプロトタイプナナクジャクの話する?
だから何?って感じが凄い。
単にパッキングされた曲を聞いてるだけなのにLIVEにおける曲感のMCやちょっとした特殊な入り、繋ぎに似た感覚が得られる。
ライブ・ビューイングの缶詰を開けたような体験だ。
なるほどこれはアルバムじゃなきゃ無理だな。
だが逆を言えば、この感覚がない大部分のアルバムはシングルをユーザーがプレイリストにしたものと大差はない「詰め合わせパック」でしかないということなのでは?
映画のようなある種の段取りに合わせて何か長い物語のイメージが共有されていくような錯覚がある。
音楽によって表現したい世界観をいくつもの曲を組み合わせることで多角的に伝える感じか。
相互に作用し合うことで一つ一つの曲の解像度が単品よりも上がっているな。
単品で聞くと「あの映画の曲だ」にしかならなかったモノが、その奥にあるTMの世界観に意識を向けられるようになる。
なるほど、ドラクエ1~3を詰め合わせて一気に遊べば世界観の解像度が上がるに決まってるだろという話か。
単品で聞いても意味わかんねになるような曲をいくつも聞くことでいつの間にかノリが見えてくるこの感じはアルバムじゃねーと無理だわ。
強烈なクセや世界観があるアーティストにとっては束ねることによって理解度を深める機会を得られるアルバムは追い風になるか。
レイン・ドッグと比べると単品でも成立しやすい曲は多いがシナジーの効かせ方はそれ以上にさえ感じる。
この辺は公式推奨プレイリストとしてしっかり仕事してるのでアリだと思う
narukami ユニコーンの風を聞いた後忘れた頃に風IIがかかるからいいのであって風IIが先に来たり連続してたりするとあまり笑えないので
はい。
実物聞いたらまさにその通りでした。
初めて聞いたがいいバンドだな。
表題曲を聞かせるための下準備に1/3を使って、その後もマイルストーンになる曲によってアルバム内でサビの曲みたいなのを作っていってる。
捨て曲があるという程ではないけど盛り上がる曲とそれ以外にやはり別れるんだが、その中でいい感じにカタルシスを得られる。
単に好きなものを詰めただけの個人制作プレイリストではやりにくい、「公式から押し付けられたプレイリストだから貯めを委ねられる」みたいなノリだなあ。
「三部作のセットは、ただの詰め合わせではない」とでも言いただけだな?
どうやらそうらしいな。
なんだったんだこの戦いは……
ここまでやられると「コンセプト」を認めるしか無い。
「コンセプトアルバムっていうけど似たような曲詰めてるだけだよね~~~」ぐらいの奴多すぎるから油断してたわ。
本当にコンセプト突き詰めるとここまで尖るのね。
味が定期的に変わるすげー長い千歳飴食ってるような気分だ。
いやいやこれは映画のストーリー通りに音楽が流れてくるだけでしょ。
……いや……それでいいのか……。
物語にそって流れるサントラはそれ自体が巨大な物語を表現した一幕のオペラか。
いやいや……それは反則だろ。
あーでもアルバムの定義次第だからサントラが無しとは言えないんだよな。
じゃあとりあえず負けでいいや。
あちこちで言われているだけはあるな。
噂の「猫背の虎」とやらを一番最初にやることで「どういうコンセプトのバンドであるのか」を紹介してくるのか。
最初の数曲は全体的に基礎コンセプト紹介しつつ万人受けしそうな感じの曲が並んでいて、「まずは名刺配りますんでよろしくお願いします」みたいな礼儀正しさがある。
そういう態度を取られるとこっちもまあ残りも聞いてやろうかなってなるな。
いきなり「忘れてやんない」とか言われたら「は?お前がそもそも誰?」にしかならんかったと思うし。
アルバムという形に込めた一つのライブという感じだが、押し付けがましいようなコンセプトもなくただ満足した気持ちで聞き終わった。
単純に出来がいいアルバムは単純に出来がいいので単純に評価が高くなる。
オタク君に人気のスパロボ歌手だと思ってたけど、オタクくんもライブ行ったら最後の曲で肩組んで「ララ~~ラ~~ララ~~~ラ~~~」って脂ぎった体でやるの?
というイメージが浮かんできた時点で今回のルール的には完全にこっちの負け。
曲順によってこういう曲単品で聞いただけでは存在してなかったであろうビジョン見せられるアルバムの例として良かったぞオタク君。
この話題でそれ出されても「そりゃそうだろ」にしかならんと思う。
ああいうのは一つのミュージカルを章ごとに分けてるだけだからアルバムって名前だけど実際には「長大なシングルに近い」と思うぜ?
こっちは別に「スターウォーズなんて三部作最後の3と6だけ見ればいいじゃん。どうせ途中の話は前回までのあらすじって感じで分かるだろ」みたいなことは言ってないぜ?
同上。
音と向き合える素晴らしい名盤だとは思うが、「この組み合わせ、この曲順でなければいけない」と言えるかというと微妙に思う。
まさに「お中元用の定番セット」のような……最高が揃っているが、最大公約数的な組み合わせには凡庸さがあるという印象だ。
まあ期せずしてベストアルバムみたいになってしまった物の一種として考えれば最高にお得だし、これを買った当時の人達は盛り上がったんだろうなと思う。
今の時代になってから戻ってきて「こんなの自分でプレイリスト作れば~~」と言っているこっちがおかしいのは分かるが、「アルバムってのはよ~~単なる詰め合わせじゃなくてよ~~~」で上げてくるのもなんか違うと思う。
さてまあ今回色々と紹介してもらったわけですが、アルバムごとに個性ってやっぱあるもんですね。
そもそも個性のあるアルバムみたいな題で聞いてるんだからそうなんですけど、どういう形を目指すかっていうのが色々あったと思います。
アルバムってシングルと違って「始まり」と「終わり」があるわけで、そうすると勝手に他のも「始まりからいくつ」とか「ちょうど真ん中ぐらい」とかになるわけで、するとそこに何らかの意図が絶対産まれるんですよ。
シングルだと結局はメインとサブっていう真っ二つの役割だけになりがちで、何故この流れでこの曲を流すのかの意味が単品で感じさせにくくなる。
もちろんアーティストの歴史の中で曲を出した順番やタイアップ、近況とかも把握して追っているファンであればそれぞれの中に意味を見いだせるんでしょうけど、そういった意味をキャッチアップするのは音楽を日常的に聞くほどではない人間には厳しいです。
アルバムはその点において構成によって意味を補ってくれるというか、「曲を単品ではなく何らかの奥行きを持って味わいたいけど、そのために調べるほどの気力はない」って人間にマッチする部分があると感じます。改めて感じました。
「お得な詰め合わせ」というのも単に悪い意味だけでなく「シングルにあの値段を出すほどの熱意は音楽に持てない」という人間でも新しい体験にドンドン踏み込んでいける緩さがあると感じます。
ただ、そうして手に取ったアルバムがただ「とにかく最近のを入れました」だと、ずっと追ってきた人なら「最近はこういうのが増えたんだね」と感じ取れたとしても、そうじゃない人間は順番に曲を聞くだけ、それもシングルほどには気合の入ってない、時には捨て曲のようなものが混じった体験をすることになるわけで。
この辺がちょっと悔しいと素人は思ってしまうんですが、音楽が好きな人はそういった「シングルなら世に出られなかったような曲」も味わせることにも価値を感じたり出来るのかなと羨ましくもあります。
今回漠然と「勝ち」「負け」なんて決めたわけですけど、実際にはそれぞれの価値観において音楽との向き合い方があり、そこに他人をいちいち踏み込ませたくないようなパーソナルスペースのようなものもあると思うと、ちょっと言い過ぎたのかなと思いますので最後に一言誤ります。ごめんね。m(_ _)m
アイドルマスターSideMは救済、よく聞く言葉だ。
実際私もFRAMEの楽曲に人生を救われたクチなのでとても分かる。
しかし、自らが想像もしていなかった曲に救われた、いや、もっとささやかな気づきだが、そんな出来事があったのでここに記そうと思う。
なお、読む方へ。私はこのような文章を書くのに慣れていないので、至らない、誤解を生じる表現があるかもしれない。衝動で書いている自分語りだ。はてな匿名ダイアリーを使うのも初めてだ、改行が分からない。後でヘルプを見て編集しよう。
よくある『SideM救済曲リスト』で見たことのない曲なのだ。びっくりだよ。
都築さんのストーリー、そして声優さんの歌の技量も相まってこう……とても美しくてエモーショナルな曲だと思う。大好きな曲だ(二回目)
でも救済曲か? 少なくとも私にはその印象はなかった。今朝までは。
音楽が人を救うのは、その内容が、聴く人間の状況によると思う。寄り添う、背中を押す、隣を歩く。音楽は様々な形で、人々のそばにいてくれる。
この曲に救われた経緯を説明するには、「救われた」私の状況も説明しなければならない。簡単にいこう。
大好きな友人と喧嘩をした。喧嘩と言えるかはわからないが、たぶんそうだろう。
詳細は省くが、私の軽率で感情的な発言が原因だろうと思っている。
心はふさぎ込んだ。食欲もなくなる、なにをするにも億劫になる。ただ仕事から帰ってすぐ眠りについた。
頭の中にめぐる色々な種類ものを言語化することはできなかった。後悔、怒り、悲しみ、そんな単語だけで表現するにはあまりにも複雑だと、私は思った。
朝が来る。のろのろと支度をして通勤電車に乗る。
車窓越しに差す朝日を薄眼で眺めながら、惰性でランダムで流す数百曲のプレイリストの中から『Sanctuary World』が再生される。
そのメロディを聴きながらふと思ったのだ。
私の心は音楽のようだ、と。
自らが聴こえる楽曲を、聴いていない相手に口頭で描写できるだろうか。私はできない。
(曲のジャンルにもよるが)複数の楽器が各々音色と音階を、リズムを伴って、重なっている。
心も同じなのではないだろうか。思考と感情は様々な様相で同時並行で走り、そして形作られたものが私なのだ、そう思った。
この感覚を、読んでいるあなたに十全に伝えることができないのがもどかしい。
注釈として、私は若干の共感覚を持っているのだろうか、音楽にはほんのり色と形が見える人間だ。
また、私は音楽に対する感受性が強い。普通にコンサートで号泣するタイプだ。
何にせよ、私が『Sanctuary World』を通して救われた、というか、少し心が軽くなった、そんな話だ。
もしかしたら他の曲を聴いているときに、このことを思ったのかもしれない。
しかし、『Sanctuary World』の歌詞はこんな言葉で締めくくられているのだ。
アイドルグループとか、声優たちの歌とか、お笑い芸人たちの歌とかで、一人や二人がずっこけるような下手な歌唱してるの、好き。
最もわかりやすい例だと、Re:Japan(吉本芸人たち)の『明日があるさ』みたいな。
というか、ずっこけるまでいかなくても、上手じゃない歌って大好き。アーティスト系の歌より何倍も好き。
ただ、48Gとか46G(簡単に言うとAKBとか乃木坂みたいな秋元系列)に多いオールユニゾン、すなわちソロパートがろくにないのはそんなに好きじゃない。
メンバー全員のソロパートがあって、一人ひとりが堂々と歌ってて、でも、上手い人も居るし下手な人も居るってのが至高。
個性を大事に思ってるからかな?まあもちろん自分がアイドル・声優・お笑い芸人を推してるからってのはあるんだけど。
ちなみに、15年くらいクラシック音楽やってたから、厳格に楽譜を再現するっていう考え方も自分の中に存在しているのだが、ポップ音楽だとそういう下手さが最高だよねってなる。
俺はThe StrokesのWhy Are Sundays So Depressingって曲のラスト1分20秒くらいから始まる部分がめちゃくちゃ好き
https://m.youtube.com/watch?v=2KSpDNlsVF4
I kind a miss the nine to five…からのところね
正直あんま何言ってんのかよくわかんねーだけど、とにかく声とメロディと伴奏の絡みがサイコー
I scramble, fight just like a child,
Hey,
Nah nah nah nah nah nah nah nah
このナナナがマジで好きなんすよ
その前の、動詞を2個並べる構文がまずかなりよくて、そこにローテンションの「ヘイ」が乗ってさらにテンションが上がったところに、ナナナ…ですよ
ザ・ストロークス、他の曲でナナナって言ってたことない気がする 初ナナナっすよ ナナナどころかラララもそんなに言わねえからさあ
ユニゾン系の動きでピロピロやってるギターもいいし、もう片方の伴奏系のギターもいい
フェードアウトしそうでせず、きっちり終わるのもいい
サイレントジェラシーって楽曲聴いててギターソロが滅茶苦茶かっこいいんだよな
でもなんか耳障りなのがあるんだ
その答えがようやく分かった、ボーカルだ
わざとらしいドラムもアレだけどメガデスやメタリカもこんなわざとらしいドラミングをするのでメタルバンドではお馴染みなんだろ
でもボーカルがその域に追いついてないんだ
確かにハイトーンで中々あんな高音を維持して歌うのは難しいのでレベルは高いと思う
でもあのボーカルのせいでせっかく楽曲というかギターソロが真面目に憧れる格好良さなのに全体を通して聴くと何となく下手に聞こえてしまうし
何なら耳障りだった。
フォーエバーラブだっけ?小泉元総理がこよなく愛してるあの曲だってボーカルちょっと邪魔だなと思えるよ
あの歌い方がダメなのかな
インペリテリのギターソロは全部同じに聴こえるってのと同じであのボーカルが歌うと全部同じに聴こえちゃう
多分そういう事なんだろうね
ボーカルいる?いやそれともボーカル代えた方が良いんじゃないかな
それでかなり変わると思う。イカ天出身のイロモノバンドの扱いを受けてたのはボーカルが微妙でかつビジュアル系の走りと称される位メイクきついからだったんじゃないかな
20半ばの男性ですが、3か月前ぐらい前に行ったカラオケで今まで全然高い声が出なかったのにいきなり出るようになった。
学生時代はいくら練習しても出なかったのに、社会人になって行った久しぶりのカラオケで高い声が出た。偶然かと思ってそのあとひとりでカラオケ行っても普通に出た。
その経験から、「結局高い声なんて体の成熟の問題なんじゃないか」という話をつらつらと書く。過去の自分と同じように悩んでいる人に対しての「あまり深刻に考えんでもいいんじゃないかな」という提案でもある。
・ミックスボイスとは
調べればいろんな定義が出てくるけど、ここでは「高い声で地声に聞こえる声」とする。
・半年前まではどんなことしてたのか。
中3ぐらいからミックスボイスという存在は知ってて、暇があったら実家で歌っていた。
高校は3年間合唱。軽音みたいな部活動はなく、歌が歌えるのが合唱部だけだったから。
大学は軽音でバンドボーカルを半年くらいやって喉がいかれて、回復後1年くらいボーカルスクール通った。
呼吸法とか喉の筋肉の名称や動き、様々な練習方法などの知識はついたが、いかんせんミックスボイスは出なかった。出る気もしないほど。高い音域の声はだいたいなさけない裏声になってしまう。
ここらで感じた「ミックスボイスには才能が必要で、それが自分にはない」という絶望感のおかげでこのあと練習のモチベーションは下がっていく。
大学3年からは留学や就活もろもろで、そもそも歌が練習できず。社会人になったらコロナで歌う機会はゼロになった。
・3か月前、なぜミックスボイスが出たのか。
まん延防止等重点措置が解除されるやいなや、会社を中心に周りでびっくりするほど飲み会が増え、参加することも多くなった。僕以外にも覚えのある人は多いんじゃないだろうか。
会社の比較的若い人ばかりで行く飲み会があり、3次会でカラオケに行くことになった。
同期の男がメジャーの心絵という曲を入れて、みんなでマイクを回しながら歌っていてた。「なみだー」で高いドとかド♯くらいが出るところがあるのだが、そこで自分に回ってきたときにスカーンと高い声が、地声みたいに大きい響きで出た。
いろんなウェブサイトで乗っていた「声が頭の上から抜けていく感覚」とか軽音のときのうまい先輩がいっていた「後頭部からひねり出ていく感じ」という感覚が体感できた。
周りもおぉーとか言っていたのだけど、自分が一番驚いていた。ただ思い込みや偶然の可能性もあるから、1週間後にヒトカラに行った。
このときは女性ボーカルの歌(主にスキャンダルの曲)ばかり入れた。レコーダーも久々に持って行って録音し、帰って聞いた。
安定して高音が出せていることが確認できた。と同時に「え?なんで3次会のカラオケなんかであこがれ続けたミックスボイスのきっかけつかんでんの?」という疑問とも苛立ちともとれない感想が出てきたのだけど。
・なぜ体の成熟がミックスボイスに必要なんじゃないかと考えているのか。
そのあと、中学の友達や高校の合唱部の男友達とカラオケに行く機会があった。ここで皆こぞって(俺と同じように)高音が出るようになっていたってことだけが理由。
みんな昔はキーが高くて歌えなかったバックナンバーやらユニゾンやらウーバーやら平気で歌ってるし、サウシードッグとか優里とかの最新の高音曲、Adoとかの女性ボーカルの歌も原キーで歌っていた。
同級生が久々のカラオケでみんなミックスボイス出るようになっているなんて偶然あるか?と思ったときに、体の問題なんじゃないかと思った。
中学や高校、大学のときでさえも、体やその使い方が未成熟なために、高い声は出なかったのではないだろうか。
それ以外に学生時代の同級生と、声や音楽に関する共通点は見つからない。
よくスポーツだと筋力やパフォーマンスのピークは20代半ばから後半とかいう話もある。学生時代のうまい先輩は思い返してみると背も高いし、体が成熟しきっていたんじゃないだろうか。
他には、「しばらく歌声を出さずにいて悪い癖が取れたおかげで、高い声が出た」という可能性もあるが、歌をそこそこ練習していた俺はまだしも、同級生みんなが声の悪い癖が
ついていたとは考えにくい。
ということで、自分なりの結論で、ミックスボイスに不可欠な要素は体の成熟なんじゃないかと思った次第。
・最後に
ここまでの駄文は正直、どれだけ努力しても結果が出ずに悩んでいた過去の自分への慰みである。
と同時に、冒頭書いたように自分と同じような苦悩をいただいている人が何かのきっかけで見てくれて、声で悩まずにすめばよいなという思いもある。
歌手を目指すとかそういう気はもう起きないけど、長年の悩み・コンプレックスに自分なりの答えが与えられて、それなりに満足しています。
・破れかぶれで行われる大移動
・死に損ねたあなたの耳に鳴ってるかつて歌だったはずの音
・退屈を持て余した老人の鳴らすカリンバ
・長い長い長い長い長い朝
・許しを請うてもどのみち左肘から先が無くなるので
・籠の中で野菜はただ冷えている
・音の粒がはじけても混じり合わぬ私とあなた
・曲がりなりにも悲しいのなら今すぐこの場で両手を開け
・天使はいなかったその証明にシラスをご飯にふりかけて 味噌汁付き
・寂しいはずのお留守番はたった一度のシャッターに似つかわしく
・止められるなら苦労はしないさ、かさぶたが溜まるだけの部屋で
・照らせバックライト、僕らの行く末
・あんなにスカートにこだわっていたじゃないでも僕の流行りは終わったから
・器用な鍵盤弾き30名殺害されてイトーヨーカドーで発見されて
・あざむく速度が似ている彼と同居七年目
クラスでウマの合う友人だったUとの思い出で断片的に覚えている瞬間。
上記は当時流行っていたSOUL’dOUTの「Dream Drive」の一節で、
どういう経緯だったか思い出せないが、自分が口ずさんでいたらUが一緒に歌ってきて、
(好きで歌ってるというよりは若干揶揄しているような文脈だった気がする)
The・パリピみたいな曲で、隠キャ二人がお互い「お前も歌えんのかよ」みたいな。
「おう、チャンタか」
高校時代、所属していた部内の一部のグループ(発端は上の代)が部室に雀牌を持ち込み、
部活中やその前後に毎日のように打っていたのだが、当時そのグループにいた俺はチャンタを得意としていた。
麻雀については顧問のおじいちゃん先生には半ば黙認されていたのだが、
といっても、おそらくは俺の苗字「◯◯田(仮)」を呼んだのだろうが、
さらに俺の雀風のイメージもあってさも顧問が俺をチャンタ扱いしたかのように捉えられ、
「ピシャーチャ!」
当時、ストリーマーのパイオニア的存在である「永井兄弟」の視聴に耽溺していた俺は、
中でも弟であるひろくんのメガテン配信が大好きで、ニコニコに上がっている動画を何周もしていた。
その中で「ピシャーチャ」という雑魚的がいて、その語感からか、ひろくんが「ピシャーチャ!」と叫ぶのが一種のミームになっており、
ピシャーチャとは全く無関係な場面でも「ひろくんピシャーチャって言って〜」→「ピシャーチャ!」みたいな流れが起きていた。
だから何というわけではないが、そのくだりが結構好きで、今も妙に覚えている。
どれも大した思い出じゃないが、やっぱり辛かった思い出より楽しかった瞬間の方がよく覚えてるな。
2021/7/3北とぴあ
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NYMC Japan
柔らかな響き。アカペラならではのよく聴きあった融ける和音が魅力的。2曲目は、遠い大地から聴こえてくるような幻想的な部分と、力強いエネルギッシュな部分の対比がよかった。
・
粋声
すげえうまい。もうプロでしょ。(感動したので言葉が悪くなりすみません)
各人の技量がとても高く、パート内の声が揃っており、和音が完璧。などと私ごときがテクニックを褒めるのはおこがましいので、曲の感想を。
隠れキリシタンのオラショ(祈り歌)をモチーフにした曲。潜伏の末にもはや意味がわからなくなったのであろう、ミサ曲の聖句の残滓が見え隠れする中、「瀬戸の潮騒…」と日本語があらわれ、江戸期のおそらくは貧しい人びとの暮らしが立ちのぼる。かと思えば強く鋭くアレルヤ、アレルヤ…!と歌われて、長い年月を経てなお信仰が「ある」のだと思わずにはいられない。
圧巻。
・
2曲目、若く瑞々しい爽やかさを感じる。この合唱団によくマッチした曲だと感じた。コロナ禍のためあまり練習できなかったとの事だがよくまとまっていた。挨拶した学生さんから、やっと歌えて嬉しいという気持ちが伝わってきた。
・
入場が楽しくてノリが良くて元気!
1曲目、万華鏡のように入れ代わりながらユニゾンになったり音がぶつかったりするのがカッコいい。攻めの姿勢の演奏が小気味よい。
2曲目、一転して優しい雰囲気。大切な女友達に誘われているようで嬉しくなる演奏。
3曲目、冒頭のアルトの、包むように支えてくれるところが好き。
・
1曲目、グレゴリオ聖歌とおぼしき清潔なユニゾンの旋律が、ふわりと現代的な和音に広がるのがとても好き。
2曲目、ルルルの重く歌うところとスッと抜くところのコントロールがカッコいい。腹筋が使えてるのだろう、日々の基礎練習を讃える。
プロフェッショナルな上手さとは違うのだが、音楽を作る意志に溢れている。アマチュアが音楽するひとつの理想型では?!
・
明るいノンビブラートの声で、丁寧に聴き合っている上品な演奏。少人数で、各自が和音の中での自分の役割を味わいながら演奏しているように感じた。
この人数で歌うのは怖いけれど楽しいだろうなあ…。
・
「高齢化で…」と謙遜ぎみに挨拶されていたけれど、とても素敵な演奏でした。
女声はまろやかにつややかに伸びやかな声、男声はしっかりした支えで力強くも優しい声。
声がとてもしっくりと溶け合っていて、長年のご活動で皆さん仲良しなのだろうなぁと思います。
楽譜の音をただ出すだけでなく、曲を「歌って」いる、心がある。これもアマチュアのひとつの幸福なかたちだと思いました。
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1曲目「優しき歌」は混声版しか知らなかったので男声版に衝撃を受けた。やはりメランコリックで、混声版だとここが痺れるんだよ〜、という部分は期待を裏切らず心拍数を上げてくれる、たっぷりした演奏。ステキ過ぎる。
2曲目、斎太郎節系のワクワクする曲。エンヤトットじゃないけどベースの通奏低音ビートの上を高声が華やかに駆け回るケレン味!ロビーストームで聴いたら恋に落ちそう。
最高でした!
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SHOW BY ROCK!!、サンリオキャラクター大賞今年も8位、おめでと~。いやめでてえのか?
旧アプリから入って、1期2期しょ~とのアニメ見て、初めてのキャラ大でプリン先輩に差し迫り歓喜と動揺、3期アニメを見て、旧アプリ終わったけど新アプリがまたできるっていうから楽しみにして、途中レイジンのイベントが延期になってへこんだり(結局こないだのはいけませんでした。無念、あれダイジェスト動画出るんか?出なさそう)、スターズが始まって(この頃から急速に運営への不信感が加速)、いろいろあって新アプリも1周年を迎えて、今。
うまくまとめられる気がしないから、今問題だと思ってることを一つずつ書いていこうと思います。
一番はこれ。これが改善されるだけでもだいぶ違うと思うんだけどどうだろう。
まず一つ、自分はSB69のセンターはシアンだと思っています。3期からましゅまいれっしゅが台頭してきたけども、あくまでSB69ブランドの顔役はシアンだと思う。キャラ大の投票ページアイコンもシアンだったし、キャラ大応援オーダーネックレス(?)もシアンだった(他キャラに変えることもできるらしいが、一応)。キャラ大はそうだった。キャラ大はね。何がいいたいかっていうと、キャラ大みたいな大勢のロッカーに協力してもらいたいときはシアンさんをつかっておいて、そのお金で出すのはましゅましゅのグッズなわけですよ。他のバンドはバンド内選抜だったりグッズになることすら稀だったりするのにましゅましゅは大体全員いる。ほぼほぼいる。3期アニメが走り始めた頃は、まあ新キャラだし売り出したいのも当然だしグッズがいっぱい出るのも当たり前だと思ってた。全然ニューフェイス(笑)じゃなくなった今は古参主人公顔して真ん中陣取ってますけどね。もうこの辺からましゅましゅへの憎悪隠すのが面倒くさくなってきてごめんなさい。キャラクターは悪くないけどキャラクターが憎いんですわ。れっしゅさんは悪いこと言わないから引き返してください。僕は言いましたよ。
ましゅましゅのキャラクター人気って、主人公格からしたらありえないくらい低い。ガチャは回らないしグッズの売り上げはふるわないし、アニメグッズショップで超安値で叩き売られている現状。旧時代の主人公格プラマジは一番人気!ってワケではなかった(他バンドの勢いが凄まじかったのもある)けど、ここまでひどくはなかった(界隈規模の問題もあるからひとくくりに過去と比較は難しいって前提は一応)。取引アカウントの交換ツイートとか少しのぞいてみるとすぐ分かるんだけど、ましゅましゅ余りすぎ問題。コンパス民のおかげでちょっとはさばけるデルミンでさえギリギリ。そりゃ人気ないのにグッズだけは出しまくってんだから需要と供給がかみ合うわけがない。これはマモーレ僕ロッカーの私怨以外の何物でもないんですが、ましゅましゅとどこゆびがグッズ化しまくるのに同じ3期バンドのレイジンはたまにしか添えてもらえない現状is悲しい。これで新規はお金落とさない!新規勢売れてない!とか古参ロッカーに言われても、だって推しのグッズ(新規絵)出ないんだもん…としか言えない。さんりおあにめすとあ~に行くと定期的に商品が入荷され開店直後に売り切れることもあるどこゆびに対して、在庫状況が全然変わらないましゅましゅ。これ面白いね。そうだね男オタクはグッズ買わないもんって言い訳できるね。じゃあグッズ作るな。とかいうとレイジングッズ作ってもらえなくなるのがジレンマ…いまはしんGOずの等身アクスタがほしいです!欲を言えばミディコレ2弾でレイジンとプラマジください。てかあれ、マジでなんでプラマジハブったの?キャラ大応援グッズでプラマジハブってましゅごり推しをシンガンとどこゆびの集金野郎バンドで支える図、地獄介護すぎて見てられなかったわ。ハッチンかわいかったからハッチンだけ買いました。闇一番のグッズもちいさい姿がかわいかったから1弾だけ買った(ういうい来てくれたよやったね)けど、2以降はましゅましゅ混ぜられたからやめました。マジでなんでましゅましゅだけ2と3(final)またいでくるんだよ。闇落ちして突如手に入れた修復能力ですべてを解決してさすがほわん様!するため?闇落ち()ってなんなんだよ。ていうかもっといえば(キャラエピ)デルミン闇落ちしてないし、なんでましゅ2と3にまたいできたんだ?(二回目)
あと、中の人ごり押し(ただしましゅに限る)。今やそういうジャンルも少なくないけど、SB69は違ったじゃないですか。と僕は思ってるんですが、いかがでしょうか。デカいところだとアイマスとかラブライブ系列は声優ライブが前提にある印象だけど、SB69はモノホンのバンドとタイアップする方がウリだった、ようなそんな思い出があるんですがそれももはや幻覚になってしまった。今じゃ数ある声優ドル売りキャラコンテンツの一つに成り下がっている、というか成り下がれてすらいないというか。ましゅの中の人、楽器の練習してリアルバンドやるのはいいんですよ。すごいね、本業声優なのに頑張ってるね。発表会は出来に関わらずオタクたちが喜んでくれるからね。って違うんだよ。3969で自分が聴きたいのはお遊びお遊戯会じゃなくて魂こもった音楽なんすよ。楽器が下手なのはもういいよ、プロじゃないしいいよ、仕方ない。でも声優なのに声が出てないって何?びっくりした。これはほわん役の人ね。経験値の差かもしれないけど、ギター弾きながらでもちゃんと歌えてるヒメコ役の人に対してほわん役の人は全然声出てないしキャラ声じゃないしもちろんギターも下手。ただ、一生懸命ならいいと思ってた。けど運営が頼んでもないのにわざわざ公開してくださるましゅまいれっすん見る限り、完全にゆるゆるお遊び気分。な、なんでリアルバンドやろうと思ったの?!な、なんで酒飲んでご機嫌に笑ってられんの?!キャラクターの声で歌えてすらないのに?!マジでびっくりした。プロ意識どこに落っことしてきたの?生放送での態度がめちゃくちゃ悪い(急に不機嫌になったり先輩にクソみたいな振りしたり)上にライブパフォーマンスもろくにできなくて看板娘面は面白すぎます。こんなに表に出てきてほしくない声優も初めてだな。ほわんの人以外は割と好感あるんですけど…(運営の寵愛で酒飲み大会してる部分はまた別)。
稲川名人が今までどれだけSB69を引っ張ってきてくれたのか、考えるだけでなんか悲しくなってきた。名人はいつだって自キャラはもちろん他キャラのことも大事に大事にしてくれてたなあって、旧にわかな自分でもなんか懐古してしまう。名人の弾き語り魂こもってて好きだったな。もうこの運営じゃ見られないんだろうな。
3969ダイジェスト、メチャウマちゃん様の人やフレッシュ(重要)で安定感あるゼロティクのあとにトリでましゅましゅがきてズコーッでしたけど本当に今年のアニサマであれやるんですか?正気?もしかしてズコーッさせないために歌のうまいちゃん様の人呼ぶのやめたんですか?!どっちにしろヤスの人いるから歌唱力の差は浮彫になると思いますが…もう今からアニサマでブーイングくらいそうなのが今から分かる。ジャンル内の自分が見ても楽しめないのにジャンル外のオタクが低レベルお遊戯会見て楽しめるわけないんすわ
運営の不信感が高まった起因は大体ここ。アプリの方でクソローテが重なってもMAX300回のガチャが5回ずつしか回せないクソシステムでも、まあスクエニだし、みたいなあきらめがあったけどアニメはさすがに。主にひどかったのは脚本。SB69のキャラクターなんてだ~れもいなかったんだ。かわいいかわいいほわんちゃんだけはいたかな。知らんけど。
<1話>これ先行上映でみたロッカー諸君の感想ききたいんだけど、この先楽しみだと思った?自分は全然思わなかった。あおり運転ネタなんてよくこの時代にやろうと思ったな。フィクションだから目を瞑るっていうレベルじゃない。もし覇権ジャンルだったら炎上してそうだけど悪い意味で注目されてなくてよかったね。内輪しか見てないからね。
<2話>これにブチギレてないリカオファンを見たことが無いんだけど実在しているんだろうか。ヨカゼは全員出られるかどうかでソワソワしてたのに予想の斜め上からキャラクラッシュくらって普通にショックだった。”寡黙”で”真面目”な”生真面目リカオン族”の”弁護士”が、なんでドリンク買ってて裁判遅刻して法廷で踊り出すんだよ。これ見てから、旧キャラの推しにアニメ出て欲しいという気持ちが少し薄まった。
あと、デルミンがふっとばしたダクモンがタワーぶったおしたのは事実なのでましゅ冤罪!即日釈放!は無茶だとおもいます。ミディシティの法律知らんけど。
<3話>シンプルに最低。先輩スゲーをしたかったのは分かるけど、そのために3期で既にやったデルフユ喧嘩を繰り返す悪行。そんな雑な持ちあげ方しなくても流星ドリームラインは名曲だしプラマジ先輩はスゲーんだよ。
<4話>バカーリングもそんなに面白いと思わなかった自分には街田脚本は肌に合わないっぽい。でもなんか周りでは野郎回の方が面白いって意見が多かったな。ギャグに振り切ろうとするのはいいけど、ヤスを主軸にもっていきたい気持ちが強すぎてヤスのキャラ行方不明になってるよ。具体的に言うと今期のヤス、3期ハッチンの台詞そのまま喋りすぎ。脚本の都合でキャラクターを動かしてるのが如実に分かる回でした。あとこれはずっとよく分かんないんだけど、ロムが落ちた温泉が仮にガチ溶岩だったとしても不死鳥のジョウって平気なんじゃないの?いや知らんけど。てか温泉ってあんなグツグツ煮えたぎるんだね。へ~。
<5話>マモーレ僕、次回予告からの嫌な予感を本編開始1分で理解。あのさあ、公式ってレイジンのことましゅのライバルとして生み出したんじゃないの?だったら最後まで貫き通せよ。ララリン様はJCに煽られて日和るような軟弱女じゃないんだが?あれはクリクリの描かれ方もひどかった。てかクリクリはロージアちゃんしかミュモ権なさそうなのが気になった。ましゅましゅちゃんの人気を奪いそうな女キャラは影薄めておきますってことかな?まあ基本ボーカルにしかミュモ権ないのは昔っからでしたね(ただしお師匠とコリエは除く)。
<6話>思ったより(本当に思ったより)やる気があってよかった…と安心したのもつかの間、相変わらず音楽以外のどうでもいいところでどうでもいいごっこ遊びしかしないましゅたち。3期からイチミリも成長が無さすぎて最早笑えてきた。魂の声()って結局なんなんだよ。どうせお前ら4人でユニゾンするから関係ないじゃん…。そいや(なぜか豊富に出てる)ましゅソロで聴くと意外といいじゃんって思うことある(ただしほわんを除く)んだけど、4人ユニゾンになるとその良さ全部死滅するのなんでだろうね。魂の声手に入れる前に協調性社会性身に着けよう。あ、徒然だけライブパートなかったけど、今回逆に無い方がいいまであったな。最後の棒ナレーション阿ちゃんしかいいとこなかった。
<7話>ハイ出た一番嫌いな奴~「ヤな奴キャラが立場の弱い人間に優しくして相対的に好感度あげる」手口奴~。バルトとニケルをクソ犬を持ちあげるための道具にするな。双循は下衆キャラなのが持ち味なのになんで急に実は良い奴!すんの?それにオリオンの大金にもなびかなくて~みたいな展開もキショかった。大体どこゆび騒動の原因ほぼ下衆のせいじゃん、下衆のおかげ~するのおかしくない?下衆のよさ全部消えたよ。他メンも練習サボりまくってた下衆のこと全然責めずに普通に迎え入れてるし、いやそこは衝突するやろ。どこゆびのバンドとしての在り方、本当に行方不明。あとやっぱなんで4人がボロアパート下宿生活する羽目になったのかも全然分からん。出席日数ヤバいヤツとかシンプルに学業成績がヤバいヤツとか学校をシメる生徒会(番)長とかが揃ってんのになんで学校行かせないんだよ。長期休み中だったらごめん。いや赤点組は勉強させろよ。
<8話>コンパス民を釣りたいのだけは分かった。ルフユがパパミンの弟子になったことしか覚えてないけどなんで弟子になったかは全く覚えていない。電気系統が落ちてプラましゅライブ!の流れもよくわかんなくて秒で忘れた。
<9話>史上稀に見るクソ脚本。話の筋だけでいえばこの回が一番ひどかった。W主人公で悪を浄化!するためだけにちゃん様を安易に闇落ちさせたの絶対許せないしクリクリはあんな勝ちの目指し方しないだろ。レイジン様の初披露曲をあんな形で前座にしたのも最低だし、アニメ始まる前に一番楽しみにしてたエンドミをあんなクソクソクソ展開で歌われたの本当最悪だった。ペイ様もレッコもあんなどっちつかずの形でおらんやろ!途中兄オーン挟んできたのも、ああいうのだしとけばオタク喜ぶやろw感があって無理だった。何もかも無理。
<10話>しょ~と2の宮野とみきしんの会話しかいいとこなかった。天下のトラクロ様が何の説明もせずにプラマジに対して半誘拐っぽくなることするわけないし、どこゆびが校長(ジュダさん)に助言求めに行くのもよく分からん。自分らでなんとかしようとするだろあいつら。ていうか☆ゾーくん像壊す流れも無理やりすぎて(あそこで一番情緒不安定にされたジョウが可哀想だった)、相変わらず脚本都合の展開だなと。アイドルを蹴ったヤスがトラクロを見てスゲー…みたいになるのもよく分からん。いやトラクロはスゲーけどどこゆびはそういうんじゃなくない?って思うんだけどどう。少なくとも表面上素直に負けを認めたりしないだろ。
<11話>つまらなさすぎて何も覚えてないけど前期の最終回直前みたいな話でしょ?本当何も覚えてないんだわ。中身無さすぎて。なんかAVの自己紹介パートみたいなのがあったのこの回だっけ?忘れたけどマジでキモかったな。
<12話>全員集合して歌で悪を倒す!みたいな流れだけはアツいんだけどさ、流れだけは。あの流れに至るまでに意識不明になる悲劇のヒロインほわんちゃん()とかジーペ闇落ちまでのよくわからん事情とかが本当無駄だった。今更だけどほわんの歌に魂を感じられないから歌でメロディシアン浄化!とか説得力なさすぎてしらけるな。TV版のアノカナタリウム聴いた後にましゅ版のやつ聴くとズコーってなる。稲川名人とか谷山さんは本当に歌に魂込めるの上手いんだなって再確認ができます。ヒメコパートだけはいいんだけどな~…。でも結局ヒメコってバンドよりほわんのことしか見てないしもう二人でやってけば?って思うわな。ハイハイてのひらは名曲名曲。来年のキャラ大は二人で仲良くエントリーしな
・みゅ
みんな口をそろえて「しょばみゅは避けられる地雷」って言うし、実際自分も昔は言ってた。だって野郎バンドしかどうせ出ないし推しバンに関係ないし。2018年のやつだけちょっと見たんだけどやっぱ歌唱力ないと説得力ねえな~とか思いつつ、まあ舞台ってこういうもんなんだろうな、ってテキトーに距離置いてた。でも避けられる地雷なんて嘘だった。好きなキャラが勝手に実写化されるのに避けられる地雷なんて言えるわけなかったわ。同じ名前でリアル人間がコスプレしてるのを公式がRTとかしてきて、もうそれが公式になっちゃって、みゅ専用のバンド名義曲とか出てきたりして、全部器用になかったこととしてスルーなんてできるわけない。担当俳優がいくら実績あろうと歌がうまかろうと楽器経験あろうとそんなん関係ないんですよ。もう3次元に産み落とされた時点で推しとは別のキャラクターだから。いや2.5とかいってるけど普通に3次元じゃん。リアル上でやるためにいろんな設定無視してるもんね。一番わかりやすいのは燐さんの性別変えたとかね。みゅはどう考えても女性向けだから自分がお呼びでないのは分かってるんだけど、じゃあ男キャラを好きになった自分は間違ってたのかってそういう話になっちゃうんだよな。元キャラしらない俳優のオタクが「○○さんこの役ぴったり!」とか言ってるのをお前にキャラの何が分かるんだよってずっと心の中で唱えてた。何役だろうがこの人がやってればなんでもいいんでしょ?まあそんなん声優オタクにもいるからこのへんあんまし言えんけど。元々あるキャラクターのおかげでてんご俳優は仕事あるって忘れないでくれよな。とりあえず今後男キャラを好きになるのはやめようと思いました。やめようと思ってやめられたらそもそもこのジャンルにしがみついてないわな。ガハハ
・愚痴垢
ひとくくりにしたけど、もちろん中にはいろんな人がいる。自分が気に食わない一部のひとたちのことだけ言います。
まず伏せろ。頼むから伏せろ。内容に同意する・しないとかは別として、キャラ名バンド名くらいは伏せる努力をしてくれ。私は運営に物申したいから伏せない(キリッ)じゃないんだわ普通にパブサの邪魔。嫌なら見るなじゃなくて愚痴垢の自覚があるなら見られない努力もお互いにしようよ。でも人に見られて自己顕示欲満たしたいから無理か~そっかそっか。ごめんな無理言って。全方位攻撃的に好き勝手言っておきながら晒されたりつるし上げられかけたりしたら即被害者面だもんね。うんうん怖かったね~。SNS向いてないよ。
・クラファンについて
正直に言って、「気持ち悪い」の一言につきる。ましゅ新曲実写MV制作のためのお金をクラファンで集めることが。ましゅましゅの新曲を作ること自体
世界が今年のベスト(#AOTY2020)を出す中、11月のベストです!今年中に年間ベスト、来年の1月中に2020年12月のベスト書く予定、まだまだ2020年は終わらない終われない!
Sankofa Season / Andrew Ashong & Kaidi Tatham
Kaidi Tathamが大好き人間なので、もちろん最高でした!クラブジャズ〜ブロークンビーツの良さの一つに、打ち込みで肉体的なフレーズを再現しようとした絶妙な違和感があるのですが(あくまで個人的な感覚です)、もれなくその魅力が炸裂する高密度の異形ジャズ空間。即興性があるけれど時間軸は繰り返されていそうな不思議さというか。「そんなフレーズ突如ユニゾンするの?」「このキメで合うの?」みたいな。
Andrew Ashsongのソウルフルな歌声でより肉体性とDAW感が混乱し融解していく感覚がたまらなかったです。
Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞ / Kali Uchis
Kali Uchisの2ndアルバムであり、スペイン語として1stとなるアルバム。レゲトンやラテン・ポップスを取り入れた所が肝なんですが、個人的には上記の曲のような、ローファイでサイケ、ダウナーでドリーミーにチルい音像が素晴らしかったです。一歩間違えれば悪夢的な濃密さが凄い。
Girls FM / Girls of the Internet
今年頭から定期的に出すシングルが毎回良かったGirls of the Internet、その総集編的なアルバム。基本的に歌物ローファイハウスという感じなんですが、音数がしっかり少なく、チャラいけれどストイックである絶妙な塩梅が良かったです。各フレーズをしっかり作っている印象で、丁寧さがクオリティに繋がっていました。
Jordan RakeiのジャズハウスプロジェクトDan Kye。思ったより歌中心で、そういう意味だと割とそのまんまJordan Rakeiなんですが、M1"Mogeri"のダークでミニマルなトラックが素晴らしかったです。ドープな方向に行ってもダンス・ミュージック的な明るさや開放感があることに、勝手にオーストラリア・シーン的な雰囲気を感じました(活動拠点はもうUKですが)。
Muvaland / Cakes Da Killa x Proper Villains
ラッパーCakes Da KillaとプロデューサーProper VillainsとのコラボEP。ハウスにラップを乗っかる「ヒップハウス」が中心。要素としてはディスコラップっぽくなりそうなんですが、両者とも攻め攻めです。快楽的で攻撃的な4つ打ちに狂気を注入するCakes Da Killaのラップが最高でした。
The Angel You Don't Know / Amaarae
ガーナ出身のシンガー/プロデューサーAmaaraeの1stアルバム。Alté(オルテ)シーンの一人ですね。ギターの使い方が上手く、ラグジュアリー&リラクシンな音が良かったです。ウィスパーボイスでフロー感ある歌がトラック含めて聴きたくなるバランスにしていると思います。
Ekundayo / Liam Bailey
El Michels AffairのLeon MichelsのレーベルBig Crown Recordsよりリリースされた、ジャマイカン・ルーツを持つシンガー作。曲としてはオールドスクールなんですが、ヴィンテージ的なざらついた音にすることで、むしろ今っぽい感じに聞こえる面白さです。
January 12th / Matthew Tavares & Leland Whitty
元BBNGのキーボーディストMatthew TavaresとBBNGの管楽器奏者Leland Whittyのコラボのライブ版。今年3月に『VIsions』というアルバムを出していて、それと同様のメンバーです。即興のセッションとのことなんですが息の合い方が素晴らしく、むしろ長尺&壮大&有機的にうねっていくための決め事の少なさなんじゃないかと思ってしまいます。ざっくりとスピリチュアル・ジャズ系ではあるんですが、マスロックみたいな瞬間からアンビエントまで行き来する幅広さも魅力でした。スペーシー。
Speak Low II / Lucia Cadotsch
スイス出身のシンガーLucia Cadotschに、サックス奏者Otis SandsjöとベーシストPetter Eldhが加わったコードレス、ドラムレスのトリオ編成によるアルバム。楽曲によってはチェロとハモンドオルガンが加わりますが、いずれにせよ支えに回る演奏はなく全員自立。緊張感のある隙間多めの演奏がかっこよかったです。この編成で歌い切るLucia Cadotschがひたすら凄いし、時にはリズミカルに時にはオブリとして動くOtis Sandsjö(今年出たアルバムよかったです)が魅力的でした。
Imminent / The Comet Is Coming
爆音爆圧爆裂!笑っちゃうくらいテンション振り切っていて最高でした。この異様な熱量の中で吹き切るShabaka Hutchingsも素晴らしいし、エレクトロ由来のビートを生々しく再解釈して叩くBetamaxもかっこ良い!そしてそれ以外すべてを司っていると思うとDanalogueすごすぎないかと思うトリオですね。爆音といえば→EDM感に行きそうでいかず、徹底的にハードコアであるバランスが見事!
近況
2021年にライブ映像を一本だけはじめて観た人間の各メンバーへの印象を置いていく。このタイミングではじめてというのも珍しいだろうからミリしらみたいな感じで面白がって欲しくて書いた。ファンからしたら頓珍漢で上からで失礼なのでガチで好きな人は読まないでくれ。
O
押しも押されぬNo.1スキルメン。歌も上手いが本質はダンサー。歌い方には三浦大知やISSAといったライジングのアーティストに通ずるものを感じる。ソロ歌唱やセンターでのダンスには凄みがあるが、そんなOを前面に出さなくても成立するのがグループの強みともいえる。
S
Mが目指すパフォーマンスを先頭切って進むなら、Sはファンがついて来れるようにあえて最後尾を走る殿。血の通ったパフォーマンスでコミュニケーションをとってくれるのが魅力。歌声はNとのユニゾンが心地良い。ぶら下がりがちな歌声を包める度量のある歌。
A
ハスキーボイスだが高音が得意なタイプ。Oとのユニゾン、もしくはA含めて3人以上になるユニゾンに入ると優しさが加わる声。振りのタイミングの取り方が、Oはダンスを中心に据えるタイプ、Nは音楽が基準なタイプなのに対し、Aは「“ね”で腕を広げる」のように歌詞に連動した覚え方をしていそう。ちなみにSMはアイドルに多い作業記憶タイプっぽい。そこに持ち前の運動神経のよさが加わることでダンスになる、珍しいタイプ。薄い眉メイクに天然キャラへの覚悟を感じる。だがステージパフォーマンスからは一番何を考えているかわからない。
N
表現の要。恐ろしく器用で、ダンスの強調の仕方や歌い方、表情まで曲ごとにどうするべきか直感的にわかるタイプ。曲数を重ねるごとに引き出しが増えがち。ハモリ職人。ナチュラルを装うことが上手く、「かっこいい」と思わせることも「かわいい」と思わせることも自由自在なので、イメージのコントロールに気を遣っている。ライブでガチ恋を生む。
M
とにかくOとのユニゾンが至高。個性のある声なのにOの声にフィルターがかかったようになって非常に華やか。バラエティ番組で細かい振りへのこだわりが明かされていたにもかかわらず、本人は早どりがちなのが意外だった。体現者としてほかの4人のメンバーを信用しているからこそのこだわりなのだろう。常に先の段取りが頭にありそうな裏方気質。しかし顔がいい担当を請け負うことで表と裏のバランスがとれている。「アイドル」と素の自分との距離のとり方は人それぞれだが、Mの場合ステージ上での離人感がすごそう。演出を褒めること以外での正しい見方は「一生懸命でかわいい」だと思う。
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
アップにハノン前半をゆっくりさらって、初見でツェルニー30番の1番だけ。
全然弾けなくて草
練習曲1曲分くらいは初見でまともになると思った僕がばかでした。
マスターできないのがわかったので、キッチリゆっくり練習して休憩。
そのあとは好き放題にテキトーに弾く。
ナウシカの王蟲との交流、ラピュタの空から降って来た少女のコード進行を耳コピして五線譜ノートにメモ。
ラピュタOPは後半のサビに来るところがシータの飛行石光るところにマッチしてついつい感情の塊になる。いいよね…。
休憩してから昔はそれなりに弾けたチックコリアのスペインを弾く。
全然弾けなくなってて草
それでも弾くのは楽しい。
何も弾けなくなってて絶望。
あー指いたい。
は? 小指痛すぎでは?????