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2024-04-09

長瀬智也、好きなタイプは"性格悪い子"「かわいいと思っちゃう」 | エンタメ | マイナビニュース

アイドルグループTOKIO長瀬智也(37)が、14日に放送されたフジテレビトーク番組ボクらの時代』(毎週日曜7:00~7:30)で、好きな女性タイプについて語った。

長瀬は「性格が悪い子好きでした。モテる子って性格ひねくれてたりする。モテることが当たり前だと思っているから」と話し出し、「彼女ラブレターを出したことがあった。げた箱か何かに入れて、下校の際に校舎の柱から見ていて…。クラス1、2位を争うかわいい子だったその女の子が、クラス1、2位を争うかっこいい男の子と一緒に、僕の手紙を見ながらゲラゲラ笑いながら帰るわけ」と昔のエピソードを明かした。

その時は「きつかった」と振り返るも、「大人になってみて、そういう子が好きかもしれないって。モテ過ぎちゃってよくわかんなくなっちゃってる人」と告白。今そういうことをやられたら「嫌」というも、「同性から嫌われている人がかわいいなって思っちゃう」と語った。

そして、「コンプレックスがあって取り繕ったのが、同性にそういう風に見られて嫌われているのかなと思う」と続け、「根本コンプレックスだと思ったら一周してかわいい」と説明。「性格の悪い人がかわいい。または昔性格の悪かった子」と笑いながら話した。

2016/02/14 23:36

2024-03-01

薬剤師業務って一般常識なの?

あるトーク番組出演者数人が「処方箋をもらって薬を買いに行ったら薬剤師に病状をあれこれ聞かれるのが嫌、風邪しんどいから早く帰りたいのに」「いらない時間だよね」「医者に憧れてるの?」と口々に発言して炎上している

実は薬剤師があれこれ聞いてくるのは間違いがないようダブルチェックする目的があり業務ひとつらしいのだが

それを知っている人はさほど多くないんじゃないかと思う

立派な業務だ、誇りを持って働いているのだと言うなら「念のため確認いたしますが本日はどのような症状で……」とか仕事で聞いてる感出してほしい

「アラま~~っ今日はどうなさったの!?」と近所のおしゃべり好きのお節介おばちゃんみたいな聞き方してくるからそういう誤解が生じるんだろ

しかも他にも客がいる前で喋らなきゃいけないし

もし性病とかだったらどうするんだよ嫌すぎるだろ

システムが悪い

何で客(しか病人)が丁重にそっちに寄り添わなきゃいけないんだ

2024-01-30

いじりで言うと、松本人志はどちらかといえばいじられ側では?

松本人志いじり芸をする人という印象があまりないんだよな

トーク番組で喋りが下手なタレントやスベった芸人をいじって笑いにするみたいなのは何度も見たことはあるけど、あんなのは助け舟みたいなものだし

一言ボケの切れ味が凄かったって話もそれはそうなんだけど、

同じくらいスベってるところも見たことあるし、周りからツッコミ食らったあと照れ隠しで大声で叫ぶってのも彼がよくやるパターンだった

変なボケ相方や後輩からツッコんでもらって笑いにするっていうのもよくやってた

笑ってはいけないだって初回のターゲット松本人志だった

松本人志が痛がったり怖がったりしているところを見て笑おうというのが人気シリーズの発端なわけだし

そこまでいじり側のイメージあるかな

2024-01-15

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

2024-01-09

松本がいなくなって一番支障あるのはまつもtoなかいだと思うんだが

いや中居だけでもトーク番組としては成り立つだろうけどただの「なかい」になってしまうぞ

2023-09-10

ジャニでは大物に囲われた経験ないと偉くなれないってこと?

タッキー細木和子

ヒガシ森光子

イノッチ←?

そういえばトーク番組で「ジャニさんエピソード」を話だしたのってキンキからの気がする

2023-06-02

上岡龍太郎

スマートさ頑固さ真面目さ面白さをまぁみんな惜しんでいるけれど。

深夜の鶴瓶との二人トーク番組である夜猛然とキレていて、

東ちづる関係者みんなとヤッとる僕と君くらいやでヤッてないの」

という内容の暴言吐いたのはちょっと忘れ難い。

たぶん口説いてフラれて挙句吹聴され恥かかされたとかの腹いせやったんよ。

そういう小っこさもあって素敵やん、と。

2023-05-23

anond:20230523193453

ん?吉沢亮ってトーク番組でそんな話してたような?

テレビトーク普段トーク力が違うなんて良くあることでは?

サラリーマンでも仕事の会話は出来ても普段の会話はダメって人も結構いるよ?

2023-05-17

ジャニー氏と稚児文化

下世話な徒然文です。

TVで、松潤の耳を齧る岡田信長を見て、ふと、ジャニー喜多川氏の墓は、高野山にあり、ジャニーズタレント墓参りに訪れている。ということを思い出した。

いつか、元ジャニーズ自分推しジャニー氏の墓参りへ行ったことをラジオで話していた。

その後、他にも名だたる元ジャニや現ジャニの人がジャニー氏の墓参りへ行っていることを何かで見知った。

ググったら、ジャニー喜多川氏の父は真言宗の僧で、かつては稚児だったとか。

僧の間の男娼文化がそこに蔓延っていたのかいなかったのか。

自分推しジャニ氏への親愛ぶりは有名。

記者会見では遺骨を披露していた。

ジャニー氏が倒れた時には、病床に様々なものを持ち込んで付き添っていたこともトーク番組で聞いた。

当人が性被害にあったかはわからないけど、少年期に合宿所にいたことは周知の事実で。

現在ジャニー氏のかつてのセクハラ、性被害を訴えている人たちは、その犯罪を責めているが、ジャニー自体は嫌いではない。という矛盾したコメントを発しているのが散見される。 

普通、性被害を訴える人が被疑者人格擁護する展開はあまりないように感じる。

自分子どもの時、2回同じ奴から痴漢被害にあったことがある。相手には今でも悲惨な死に方をして欲しいと思う位には、怨んだ感情をもっている) 

グルーミングというやつなんだろうか。

ジャニー氏の性被害問題は、被害者とそして外部がシュプレヒコールをあげているのと対照的に、

関連メディア事務所タレントが先日まで恐ろしく無反応な様子だった。

真言宗天台宗系の寺文化には、稚児にも、上稚児、中稚児、下稚児身分があったらしい。男色相手になるのは言わずもがな。ということは、ジャニー氏の中では、TV活躍しているタレントを上稚児感覚で捉えていたのではないかと、下世話ながら想像してしまった。だから被害声明今日まで表立っていなかったのでは。

芸能というのは、想像以上に奇々怪界世界なのだろう…。いずれにしてもそんな世界に入れようとする親はまともではない。

もちろん一番悪いのは、ノーと言えない環境を作り出して、性的行為強要させる支配者。

私自身は、ノンケだけれども、同性カップル全然構わない。一方、趣向で、恋愛メインのドラマに興味はなく、BLモノは生理的に受け付けない。老若男女問わず、人が上半身でも裸でTVに映っているとチャンネルを変えたくなる。裸や性的場面を公の場で見たくない。ジャニー氏の夜とか想像したくもない。

文頭の、耳を齧るシーンを見た時には、思わずチャンネルを変えてしまった。

とはいえ、それはそれ。

これから推し応援していくつもり。

推しがこれからどんな事をメディアの場で言っても応援できる自信がある。

(…結婚したら…ちょっと自信ない)

なんなら今まで、私の推しがいたグループ解散させた

かの事務所が大嫌いで、関連商品の購入や番組は避けていたけれども、

推しマインドを思うと、

しろこれからは、今逆風にあっている彼らのスポンサー商品積極的に買おうと思ってしまったくらいである。

演出が好きになれない今季大河を見ているのもその一つ)

こんな私もまた支配者層の思う壺なんだろう。

やっぱり、死ぬ前に糾弾されて欲しかったよ。

2023-04-07

スゴイいいこと思い付いたんだけど

声優アニメ化して本人が出るアニメを本人が声を演じるトーク番組アニメを作ったら

声優大好き!のみんなにはドストライクの面白いアニメが出来るんじゃないだろうか?

声優アニメ化して本人を登場させて自分で声を当てるって斬新じゃない?

声優好きにウケると思うし。

2023-04-06

RN2で珍しくトーク番組をやっている

スポンサー取れたんか!よかったな!

2023-03-06

anond:20230306115111

たし🦀

でもラジオとかトーク番組とかでお人柄見てると、まぁデートはないにせよ、サイゼくら寿司とかは使ってると思うけどなあ。後輩が気を遣わなくてあえて言ったりしそう。

でもかっぱ寿司ガストは無い。

2023-02-26

anond:20230226094539

昔、千原ジュニアテレビで言っていたのだが、

明石家さんまの笑いはサッカー的だと語っていた。

さんま学生時代サッカー経験していてサッカーマニアなのはいうまでもない。

その影響か笑いの作り方もサッカーであるという論だ。

 

サッカーというのはボールを持っている選手の動きも大事だが

ボールを持っていない選手の動きも同じかそれ以上に大事である

司令塔であるさんまボールパス回ししつつも

それぞれの芸人ポジションを常に確認

ここぞというチャンスでゴール前に走り込んでいる芸人

(もしくはゴール前にいるのにそのことに気づいていない芸人

ロングパスして大爆笑というゴールを決めさせる。

そういう笑いの作り方をするという論だ。

これは明石家さんまのひな壇トーク番組を見たことがあれば非常に納得できる論だと思う。

 

みたいなのも元増田言うところのゲーム脳範疇に入るのだろうか?

2023-02-13

お笑いって称されてるものが総じて笑えない。

笑いが込み上げないだけでなく退屈。

ホラー淫夢とかのほうが笑えるし面白い。あとは一般男性脱糞シリーズみたいなの(ここから力任せに笑わかせるタイプのなら笑えるんだろと察する人もいるだろうが、お笑いの一発芸では笑えない、不思議だね)。

まあ淫夢関係非人道的な素材パクリジャンルなのと違って、芸人さんが自分独自ネタ勝負しようとしてるとこは尊敬すべきなんだろう。

でも娯楽には向かない。俺的には。

追記大喜利はなぜか笑えるのでイッポンは見る。ダウンタウンが出るあたりのトーク番組は楽しく見る。トーク面白いがようは寄席なのはだめなんだよなあ。

2022-12-07

AI漫才台本を書かせてみた

枠で囲っている部分は増田の書いた指示。背景色がついている部分はAI発言最後の長文は、途中でAIの出力が途切れても、「続けてください」と言えば続きをどんどん書いてくれたので、その内容をそのままつなげたもの

漫才師を目指す二人の女性が居ます彼女らは関西弁で話します。以下の会話の続きをかいてください。

女性1「じゃあまずは、うちら芸名を考えよか」

女性2「なんて呼んでほしい?」

女性1「そうだね。お互いの趣味や特徴を組み合わせて、オリジナル芸名を考えるのがいいかもしれない。どうだい?」
女性2「そうだね。私は本当は料理が好きだから、それを取り入れた芸名がいいかもしれない。例えば「料理人麻吉」とか。」
女性1「それは面白いね。私は音楽が好きなので、それを取り入れた芸名がいいかもしれない。例えば「歌人麻吉」とか。」
女性2「そうだね。お互いの特徴を組み合わせて、「料理歌人麻吉」という芸名がいいかもしれない。」
女性1「それは良いアイデアだね。「料理歌人麻吉」という芸名に決定しよう。」

歌人麻吉「じゃあ私は歌人麻吉で」

料理人麻吉「私は料理人麻吉やね」

歌人麻吉「コンビ名は料理歌人麻吉か。分かりにくいな」

料理人麻吉「まあええやん。それじゃあ漫才台本を考えよか」

歌人麻吉「そうだね。今日漫才はどのようなテーマにしようかな?」
料理人麻吉「今、流行りの話題を取り入れた漫才がいいかもしれない。例えば、最近の人気のタレント芸能人トーク番組で話している内容を漫才にすると面白いかもしれない。」
歌人麻吉「そうだね。もしくは、最近話題社会問題漫才にして、皆さんに考えさせるような漫才面白いかもしれない。」
料理人麻吉「そうだね。お互いの意見を組み合わせて、今日漫才台本を考えよう。」

歌人麻吉「はいどーも!歌人麻吉です」

料理人麻吉「料理人麻吉でーす!」
歌人麻吉「今日は皆さんに、最近話題社会問題漫才でお届けします。」
料理人麻吉「そうです。私たちは「料理歌人麻吉」というコンビで、関西弁漫才披露します。」
歌人麻吉「さあ、皆さん、楽しんでいってください!」
料理人麻吉「それでは、最初漫才披露します。」

料理人麻吉「今日は、料理人麻吉がお料理をしているところを演じます。」
歌人麻吉「おお、それは面白いね。じゃあ、料理人麻吉がお料理をしているところを見ている歌人麻吉を演じるわね。」
料理人麻吉「そうです。それでは、漫才を始めます。」

(料理人麻吉が料理をしている様子を演じます料理人麻吉「さあ、料理人麻吉です。今日は皆さんにおいしいお料理披露します。」
歌人麻吉「おお、それは楽しみね。料理人麻吉、どんなお料理を作るの?」
料理人麻吉「今日は、最近人気のレシピを使って、鶏肉タンドリーチキンを作ります。」
歌人麻吉「おお、それはおいしそうね。鶏肉って健康いいね。」
料理人麻吉「そうですね。鶏肉たんぱく質豊富で、カロリーも低いので、ダイエットにもおすすめです。」
歌人麻吉「そうなんだ。じゃあ、料理人麻吉、早く作ってくれる?」
料理人麻吉「はい、そうします。さあ、皆さん、漫才を楽しんでください。」

(料理人麻吉が料理をしている様子を演じます料理人麻吉「おお、お料理ができました!皆さん、おいしそうですね。」
歌人麻吉「おお、それはおいしそうね。料理人麻吉、どのようなレシピを使ったの?」
料理人麻吉「今日は、最近話題レシピを使って、鶏肉タンドリーチキン作りました。」
歌人麻吉「おお、それはおいしそうね。タンドリーチキンってどうやって作るの?」
料理人麻吉「まずは、鶏肉を切り身にして、マリネします。そして、タンリーソースをかけて、オーブンで焼きます。」
歌人麻吉「おお、それは簡単そうね。でも、タンリーソースってどうやって作るの?」
料理人麻吉「タンリーソースは、ホワイトソーススパイスを組み合わせて作ります。そして、好みで調味料香辛料を加えて作ります。」
歌人麻吉「おお、それは簡単そうね。料理人麻吉、それでは早く作ってくれる?」
料理人麻吉「はい、そうします。皆さん、漫才を楽しんでください。」

(料理人麻吉が料理をしている様子を演じます料理人麻吉「さあ、お料理ができました!皆さん、おいしそうですね。」
歌人麻吉「おお、それはおいしそうね。料理人麻吉、今日のお料理はいかがでしたか?」
料理人麻吉「今日のお料理は、鶏肉タンドリーチキンでした。タンリーソースをかけて、オーブンで焼いたので、とってもおいしいですよ。」
歌人麻吉「そうか。じゃあ、皆さんも是非、料理人麻吉のお料理を楽しんでください。」
料理人麻吉「そうです。皆さん、漫才を楽しんでください。」

(漫才が終わります料理人麻吉「それでは、今日漫才はこれで終わります。皆さん、本当にお疲れ様でした。」
歌人麻吉「おお、本当に楽しかったね。皆さん、本当にありがとう。」
料理人麻吉「そうですね。皆さん、来週も「料理歌人麻吉」をお楽しみください。また、お会いしましょう。」
歌人麻吉「そうですね。皆さん、来週も「料理歌人麻吉」をお楽しみに。また、お会いしましょう。」

2022-10-21

スパルタ人はわざと重い鉄貨を使ったのか?

友達最近藤村シシンさんがFGOギリシャ史と絡めて解説する動画にハマったらしい。ヲタトークをしていたらシシンさんの動画面白かったという話をしていて、それはいいんだけど、「古代スパルタだとお金をわざと重くして人々が堕落しないようにしてたんだって!」と楽しそうに語りだしたので「そんなことある???」と思ってしまった。古代ギリシャ史については素人だけど、流石にちょっと胡散臭くないか

ということで調べてみました!

動画はこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=1R-hpr7FJdI

まあトーク番組だから出典をいちいち挙げないのは当然として、じゃあ何がソースなんだろうと思ってちょっと検索してみたら、元ネタプルタルコスの『英雄伝』なのね……『英雄伝』はギリシャローマ英雄たちの逸話を紹介してる本で、日本語訳複数出てるけど、増田素人から手元になくて近所の図書館にもなさそうなので、ネット英訳版を見てみることにする。具体的にはリュクールゴスの章に書かれているらしい。

Not contented with this, he resolved to make a division of their movables too, that there might be no odious distinction or inequality left amongst them; but finding that it would be very dangerous to go about it openly, he took another course, and defeated their avarice by the following stratagem: he commanded that all gold and silver coin should be called in, and that only a sort of money made of iron should be current, a great weight and quantity of which was very little worth; so that to lay up twenty or thirty pounds there was required a pretty large closet, and, to remove it, nothing less than a yoke of oxen. With the diffusion of this money, at once a number of vices were banished from Lacedaemon; for who would rob another of such a coin? Who would unjustly detain or take by force, or accept as a bribe, a thing which it was not easy to hide, nor a credit to have, nor indeed of any use to cut in pieces? For when it was just red hot, they quenched it in vinegar, and by that means spoilt it, and made it almost incapable of being worked.

In the next place, he declared an outlawry of all needless and superfluous arts; but here he might almost have spared his proclamation; for they of themselves would have gone after the gold and silver, the money which remained being not so proper payment for curious work; for, being of iron, it was scarcely portable, neither, if they should take the means to export it, would it pass amongst the other Greeks, who ridiculed it. So there was now no more means of purchasing foreign goods and small wares; merchants sent no shiploads into Laconian ports; no rhetoric-master, no itinerate fortune-teller, no harlot-monger, or gold or silversmith, engraver, or jeweller, set foot in a country which had no money; so that luxury, deprived little by little of that which fed and fomented it, wasted to nothing and died away of itself. For the rich had no advantage here over the poor, as their wealth and abundance had no road to come abroad by but were shut up at home doing nothing. (...)

http://classics.mit.edu/Plutarch/lycurgus.html

なるほど、シシンさんのトークプルタルコス記述に忠実だ。少なくとも彼女は盛って話していたわけではない。

で、プルタルコスの『英雄伝』が書かれたのは後2世紀初頭と言われているんだけど、ここで逸話が語られているリュクールゴスはだいたい前9世紀頃に活躍した人物と言われているのね。彼はスパルタの半ば伝説的な立法者。要するにプルタルコスは直接スパルタで鉄貨を見たんじゃなくて「1000年くらい前のスパルタではそういうことがあったらしいよ」っていう伝承を語っているのよ。古事記かな?

ところで根本的に、古代ギリシャでは鉄の棒を通貨として使っていた地域があったらしいんだよね。「わざと鉄の棒を通貨として採用した」んじゃなくて「もともと鉄の棒をお金として使ってた」だと、かなりイメージ変わってこない?

https://www.brown.edu/Departments/Joukowsky_Institute/courses/greekpast/4792.html

ちょっと古い文献だけど,Charles Seltmanっていう貨幣専門家が書いたA Book of Greek Coinsっていう本にも次のようなくだりがある。

Certain it is that before coined money was used in Greece other states as well as Sparta, chief among them Sparta's great rival Argos, regularly employed iron spits as currency.(34頁)

https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.280124

なんでかというと、スパルタがあったラコニア地方は単純に鉄が採れる地域なんだってさ。そら、鉄が採掘できるなら鉄貨使うわな。

Iron was mined in Laconian territory, in the southern spurs of Taygetus and Parnon which end in Capes Taenarum and Malea. It was, therefore, but natural that the Spartans, with the wealth at their disposal, should employ bar-iron as currency; and their conservatism, combined with their lack of any more precious metal, led them to continue the employment of iron money for four centuries after other Greek states had adopted coin(33頁)

さらにこうも書かれている。

a currency which was possibly kept in use for reasons of economic convenience rather than for the enforcement of a stern rule of life(34頁)

要するに、

ってことね。

質実剛健さを重んじてわざとコインを使わなかった」のが仮に史実だとしても、「あえて鉄の棒を採用した」んじゃなくて「鉄の棒を使い続けた(=コイン採用しなかった)」というのが本当のところなんだろうなぁ。

あと,「偉い人の論文読んでみたら、普通にスパルタでは外国通貨使ってたらしいよ」というブログ記事も見つけた。ただ元の論文がなかなか見つけられないので確定的なことは言えないけれど……

https://hoferjonathan14.medium.com/the-iron-money-of-sparta-likely-a-myth-97d95d431a62

このエピソード英語で色々ググってみたけど全部出典がプルタルコスに行き着くので、考古学裏付けはあまりないっぽいんだよね。まあプルタルコスおもしろネタが満載なわけだけど、そこしか出典がないとなると結構胡散臭いんじゃないかな。

もちろん増田古典ギリシャ語とか読めない素人から、実際には他のところにも記述があったり、考古学証拠が見つかっていたり、リュクールゴス時代古文書が発掘されている可能性もあるわけだけど、個人的にはシシンさんのスパルタの鉄貨に関するトークを信じる気にはなれないかなと思いました。

追記

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2907/

この記事に鉄の串の写真があって、シシンさんが解説を寄せている。解説の文面はまあ納得のいく見解なので(串がコインに先立つことや、コイン出現後もスパルタでは串が使われていたと書いている。そこに異論はない)、動画でのトークネタに振り切った感じなんだろうか……

シシンさんの動画のそこ、笑ったw 増田調査サンキューやで / その上で、動画FGOというゲームを楽しむユーザー向けで、論文ではない。そこでネタとして紹介してくれたものに目くじらを立てる気に私はならんな

FGOファン向けなら史実かどうかは怪しいおもしろエピソード史実かのように話していい…ってコト!? ワ…ワァ…FGOファンにもシシンさんにも失礼すぎて泣いちゃった!

様々な論点があるので100字に入りきらないが,スパルタ貴金属貨幣禁止していたということと,リュクルゴス制の成立を前9世紀とするのは後世による「伝統創造であるこことは指摘したい。

書き方が悪かったかもしれませんが、鉄貨の存在貴金属貨幣禁止否定していません。

動画では、シシンさんは「スパルタお金をどんどん重くしていって、賄賂や贅沢を抑止していた脳筋国家である(少しでも金額が大きくなると持ちきれないほどの重さになるから袖の下は渡せないし、持つことで鍛えられるから)」と言っています

これ、前提知識なしで聞くと「バーベルのような鉄貨は堕落を嫌ったスパルタ発明」と聞こえるんですよ。実際に増田にこの話を面白そうに話した友人もそう理解していましたし、増田トークを聞いてそう理解しました。そして実際にプルタルコスはそう書いています

でも実際には、単にコイン発明からスパルタやその周辺地域には棒状の貨幣があって、スパルタはそれをコインに置き換えなかった、という話なんですよね。で、参考文献に挙げた本にも「マッチョイズムじゃなくて経済的から使ってたんじゃない?」と書いてある(最後引用したセンテンス)。これ絶妙史実勘違いさせるトークになってません? って思っちゃうんですが、どうでしょう

(もちろん、副次的効果として賄賂の抑止や筋力増強はあったかもしれませんが、それが主目的であるかのように論じられると……都会民は電車通勤ゆえに自家用車通勤地方民より体力があったりしますが、都民の体力を増強させるために都はメトロを整備したんだ、と言い出したら違う話になるでしょう?)

リュクールゴス実在人物であるかのような筆致はご指摘のように不用意でした。

2022-09-12

良い作品だけど人に勧めにくいアニメ

2022-09-11

こういうのもポリコレカードバトルの失敗例?

ニルヴァーナアルバムジャケ写 裸の赤ちゃん訴訟判事が再度却下

https://news.yahoo.co.jp/articles/ed89709b5fffcde371e9ce44ee89e7aa03862d0e

この写真によって永続的な精神の不調が出たというエルデン氏の訴えに関して、同バンド弁護士らは今年初め「認める要因が見当たらない」と主張、児童ポルノだとする意見についても「真面目に取り扱うべきではなく、彼の論理で言うなら同作を所有する人々全員が児童ポルノ所有で有罪になる」と反論していた。

 更に弁護士らは「彼はあの写真再現し、何度もお金を貰っていました。あのアルバムタイトル自分の胸にタトゥーとして入れ、トーク番組ではヌードカラーのつなぎを着てその姿を真似て登場していました。そのアルバムカバーサインを入れeBayで販売女性をひっかける際の話題としても使っていたのです」と主張していた。

いくら強力なカードでも、サイン書いてebayで売って、ナンパに利用しているうちに失活してしまうのか。

2022-08-19

関係性”って言葉

いつからこんなにみんな使うようになったんだろう?

それ、わざわざ“関係性”って言わなくても、“関係”で良くね?ってところでも“関係性”って言ってる。

トーク番組ゲストにゆかりがある人とかサプライズで出てきたときに、“お二人の関係性は?”とかさ。

今朝だったかテレビで“自民党統一教会関係性”とか言ってたけど、べつに“関係”でよくね?という文脈に思えた(個人の感想)。

すでにNHK報道とかでも使ってるので、もう単なる流行とか、新しい言い方みたいな段階は超えつつあるのだろうが、以前はあんまり使ってなかったよね?

ささいなことかもしれないが、気にしだすと、いちいち気になってしょうがない。

気にしだすと微妙イラつく感じもある。

自分一人気にしてイラつくのもつまらないので、これ読んで一人でも同じ感情になる人いないかと思って書いてみた。←嫌がらせかよ。

2022-07-02

表現の自由」についてのメモ的なもの

 下記のエントリーanond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。

1. 表現の自由とはなにか?

 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。

 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスター撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来ツイッター批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスター撤回すべし」等の意見つぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。

 はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所肯定すれば、抗議者の表現裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。

2. 規制概念

 元々のエントリーでは次のような言明がある。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現の自由行使できる社会だ。

 これに対するブコメはこう言っている。

preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品ほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りしかない/そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い

 後段の「そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないか不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスター掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要利益であり、自己表現利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様であるノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科実名暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現抑制されている(この事件では、慰謝料請求裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシー保護のために表現抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。

 名誉毀損プライバシーは具体的な個人利益問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組政治的公平性)を保護するために、表現抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果もつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事大阪市長橋下徹トーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現規制しろと言う主張」だから規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。

 なお、念のためにいえば、プライバシー名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自見解に過ぎない。

3. 「表現の自由」は個別的特殊的な権益なのか?

 ここからは元のエントリーとの関連性は薄くなる。

 選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか日本表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制公務員政治的意見表明やストの広範な禁止放送資源の分配問題政府情報保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガアニメ」の自由ということになっている。また、「アニメマンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノ合法化;「有害図書販売規制廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。

 「表現の自由」を掲げる政治家言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由抑制している制定法を改廃するのではなく、規制対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだからお目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的普遍的権利を掲げながら、規制廃止を唱えるよりも、特定表現に限って規制免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物特定出版社特定作品群を代表している場合、その他の出版社表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家言動ナイーブに受け止めてはいけない。

 なお、私は実は「アニメマンガ」の中の特定作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体けしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。

4. 「エロ」の規制をめぐって

 「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論憲法上の権利として保護されないはずである憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本最高裁の考え方もそうであろう:

なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統観念修正要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブー漸次姿を消しつつあることは事実であるしかし性に関するかような社会通念の変化が存在しま現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範存在することも否定できない。それは前に述べた性行為非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたもの今日ではもはや一般猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚麻痺しており、真に猥褻もの猥褻と認めないとしても、裁判所良識をそなえた健全人間観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医役割を演じなければならぬのである

最大判1957(昭和32)年3月13日 刑集11巻3号997頁:チャタレイ夫人の恋人事件

エロ」の自由擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理桎梏いかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノ出版自由対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデン憲法典の一部を構成する出版自由に関する法律は、出版自由制限できる場合限定列挙する。児童ポルノ出版自由制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁判例を変更していない。捜査機関取締り方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルトビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずであるしかし、この最大の桎梏存在認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガアニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガアニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。

 丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから規制される前に対処する政治家必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。

※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである

※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。

※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノ合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲事件の流れだ。

※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的規制問題として評価できよう。

※5 むしろ出版社利益を守るためと考えれば、個別出版について規制お目こぼししてもらう活動大事だろう。だが、あくま出版社権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。

※6 日本出版されている成人向けマンガイラスト児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁マンガ表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国立法255号[2013年]223頁)。このような判断日本最高裁がするかというと、全然しないだろう。

2022-06-08

anond:20220608142443

あれをゲーム実況と考えるな

トーク番組

スポーツ観戦番組

と考えろ

流れてくる話を聞いたり、一定ルールに沿って移り変わる画面を眺めたりしろ

もう一度言うけど、あれをゲームの実況だと考えるな

2022-05-24

スゴイいいこと思い付いたんだけど

タモさんトーク番組作ったら面白いと思わない?

言っちゃ徹子の部屋タモさん版って感じなんだけど、

毎回芸能界や各界の著名人トークするやつ。

タモさん色々詳しいかネタが尽きずに無限放送できると思う。

2022-01-12

anond:20220112194958

でも、芸能人は演じる役が老けてきたり、芸人いつまでも同じことせずトーク番組に出るようになったり成長というか変化が見れるじゃん

でもオモコロとかはずっと変わらない、時が止まってるように見えるから悲しさがあるんじゃない?

2021-12-16

歩行者の列に自動車が突っ込む事件を見るたびに

キアヌ・リーヴス主演の映画コンスタンティン』のオープニングを思い出す。

コンスティティンが悪魔祓いする方じゃなくて、ロンギヌスの槍採掘される方ね。

槍を採掘した地元おっさんがそれ持って走り出すんだけど、道に飛び出したところで車が突っ込んでくる。

そして車がおっさんにぶつかったところで、車のほうがぐしゃってひしゃげておっさんは元気に走って逃げていくんだけど

スピード感があって結構好きなシーンなんだよね。

コンスティティンは最後の逆転方法も含めて結構好きな映画で2も企画はされてたって話が出てたと思うんだけど

結局1作で終わってしまった。

で、2作目企画されてたよね?と思って今さっき調べたら昨日のニュース

キアヌが「めっちゃやりたかったけどダメだった(しょんぼり)」って言ってたって話が出てて、あらタイムリーと思った次第。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/6cfbddf4cf3d772fd0a2ba70cb425702656c7ef5

トーク番組『The Late Show with Stephen Colbert』に出演したリーヴスが、「自身が頼めば実現できるなら、過去のどんな役に戻りたいですか?」と質問され、答えている。

「頼んでも無理だったんだ! 実際に起こったんだよ。もう一度、映画コンスタンティン』のジョン・コンスタンティンを演じたいんだ」と語ったリーヴス。同作の第2作を立ち上げようと試みたが、ハリウッドは関心を示さなかったと付け加えていた。

リーヴスは、「やってみたんだよ、スティーヴン」と、しょんぼりと繰り返している。

 

あいかわらずキアヌかわいい

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