はてなキーワード: 笑い飯とは
今日のはてなブックマークで盛り上がっていた、笑い飯の哲夫の塾の記事を読んでいて、ふと思い出したから書き留めておく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ebb8f0cfa9377ae6d317df08076ee6809847ddd
>>それともう1つ、僕が小学生のときに通っていた近所の塾が原点になっています。塾代が月3000円くらいで近所のおばあちゃん先生が教えてくれて、授業をするというよりは分からないところを教えてくれる場所でした。そういう地域密着型で、料金が安くて、「勉強の仕方」を教えてくれる塾ができたらいいなという思いがありました。<<
うちの近所にもこういうのあって、通ってたよ。懐かしい。
もともとは近所のおばさんがやってたそろばん塾で、月謝3000円で週3回、1回1時間という今思うとハチャメチャな値段だった。
そのおばさんの家をそのまま使っていて、たぶん30人くらいは通ってたな。別に週3回開かれてるのを必ず参加しなければならないってわけじゃなかったけど、まあやることもなかったからキッチリ通ってた。
ほとんどの人は小学校でそろばん塾を辞めるから、そこで終わらせるのは……とおばさんが思ったのか知らないけど、いつの間にか中学生向けの数学塾も開かれるようになり、要望もあって英語塾も合わせて開かれた。
その数学塾と英語塾はそれぞれ週1回ずつで1コマ1時間半ずつ。数学はそろばんのおばさんが講師をする場合もあったけど、手が回らないから、おばさんの娘(高校生or大学生)や、その友人が講師をやってた。月謝は6000円だったな。
自分は一般的な塾に通ったことはなかったから、どういうところかは知らないが、この塾は上の哲夫の話にあるような復習がメインのような塾とは違って、予習がメインとなっている塾だった。基本的に学校の教科書を使って、少し学校より先回りで教えてくれるスタイルだった。だから学校の授業ではすでに分かっている状態だったから、問題を無双できたときもあったし、ちょっと鼻が高かった。今思うと、そういうドヤ顔できることで勉強の面白さを伝えてくれるところだったのかも、と思い返している。
で、この塾を卒業した人が、高校になった後、講師のバイトしてスカウトするという面白い循環システムが確立されていたのをしばらくしてから聞いて、なるほどなとちょっと思った。確かに講師役のおばさんの娘が社会人になった後はどうするんだろと思ってから。
自分は塾はここしか知らないし、ゆるい空気だったのも好きだったし、月謝6000円くらいが相場なんだろうと勝手に思っていたけども、塾ってめちゃくちゃ高いと知ったのはかなり後の話。
自慢するわけではないけど、自分は落ちこぼれではなかったし、だからと言って向上心があったわけでもないから、高校の3年間は塾に通いたいとは全く考えずに、中堅どころの私立大学も独学だけで合格した。今思うと、親もお金の掛からない子供だと安心していただろう、たぶん。子供の為とはいえ、食べざかりの子供がいる状態で、毎月数万追加で飛んでいくのって、かなりエグそうだしな……。
今週の不毛な議論を聞いてて、山ちゃんのワードセンスの高さってのを改めて思うのと同時に銀シャリの鰻の狂気と、橋本の軽快かつ上手い物言いが楽しかったわ。
で、今日仕事しながらマヂラブコント議論についてふんわり考えていたんだが、考えてみたら南キャンの漫才もどちらかというとコント漫才よな。
俺がマジラブを漫才と認めたくない要因として、変なことをしているだけってところだったんだが、そもそも南キャンのM1の漫才も間違いなく変なんだよ。
だって、お医者さんやりたいって言っているのに相方は火を怖がるサイをやるし、これはクリリンの分!って言いながら殴り掛かってくるし。
間違いなく、ただ変なだけだし、ジャンルもコント漫才に近いのよ。
それを笑いへ昇華できるのは山ちゃんのツッコミが一貫して普通の人としてのスタンスで真綿で締め付けるような一見優しいツッコミであの異常空間をコントロールできているか
これに近いのがアンタッチャブルのM1のネタも、ザキヤマがただ暴れているだけで同じように柴田が一般人の感性で突っ込みしてコントロールできている。
どちらも、コントよりの漫才でマジラブよりも絶対に面白いと自信をもっていえる。
さらに、変なことをしているだけかつ、キャラクターよりかつコントの漫才で言えば中川家なんかがあげられるが、あれは細かすぎて伝わらないものまねと似たようなベクトル。
あるあるネタなので変人が登場しても比較的受け入れやすいネタといえる。
M1取れてはいないが今の千鳥のネタなんかも大体大吾が暴れ倒してノブが激しいながらも突っ込む。
M1優勝者で言うならノンスタイルなどは変人が入れ替わる形式をとっている。
井上がいつものあの気持ち悪い感じを出すと、見ている人たちを代弁するかのように石田が突っ込む。
スリムクラブは雰囲気が独特だが、ネタの構成も概ね近い形ではある。
ダブルボケというシステムだが、ボケ方が独特すぎて世界観に入るのが難しい。
この二人もただただ二人が暴れ倒しているだけで見ている人たちを世界観に引き込むほどではないと感じる。
野田がただただ暴れ倒してて、村上がそれを見守る形式で突っ込みの視点がない、いやツッコミはしているだろうが野田の暴れっぷりに負けてしまっている。
バランスが取れておらず、ただただ置いてけぼりになる。
冷静に見れば見るほどつまらないんだなと改めて思う。
じゃあなぜM1とれたのかというと、芸人さんの話を聞いていると
「強力な個性にあこがれる」癖があるのかなとは思う。
強力な個性にあこがれ、それを面白いと捉える癖と言い換えてもいい。
実際M12020の結果は圧勝ではない、接戦でマジラブがたまたまた勝っただけ。
実際M1 2020において、巨人師匠、塙が見取り図に、松本、上沼がおいでやすこがに、富沢、志らく、中川礼二がマジラブに入れている。
志らくに関してはM1審査員としての力量に疑問を感じている人は少なくない、中川礼二はそもそもネタの性質上、一見個性大爆発に見えるあの手のネタにあこがれを抱いているように見える、富沢に関してはそもそもセンス型に近い人なのでキャラクター寄りのネタが大好物だ。
もし志らくが別の審査員だったら、もう少しロジック寄りのネタ作りをするタイプ、例えばノンスタ石田だったらどうなっていたかと思いを馳せるところではある。
そんなことはない、マヂラブは面白いという人たちはもう一度冷静にマヂラブのネタを見て、さらには有吉の壁に出ているときなどの彼らを冷静に見てほしい。
テレビは仮面ライダーとプリキュアくらいしか見ていないのになぜかお笑い番組に文句をつけるオタクのみなさんは知らないだろうけど
ここ数年、お笑い界は物凄い勢いで価値観のアップデート(笑)が進んでいて
コミカルな容姿、要するにデブスだからこそ面白がられてテレビに出ている田辺さんやあんりやかなでがデブ、ブスと男性芸人から罵られることは一切と言っていいほどなくなっている
(ダウンタウンの浜田だけはそういうことを言う、そして浜田だから……と何となく許されている)
第七世代の芸人の中には宮下草薙・EXITをはじめ「乳首NG」を正直に表明して
水泳の企画だけど上半身裸になるのが嫌な人は海パン一丁ではなく半袖Tシャツを着用している場面もある
コロナの影響もあって出川・上島ですらノリでキスをしたりズボンを脱がして局部を晒すようなこともなくなった
タライの位置は痛みのリアクションを取れないほど近くになり寿司の下のワサビは甘口かつごく適量になりハズレなのかどうか判別できないほどになった
ゴールデンタイムはコンビニスイーツを紹介したりみんなで健康体操をしたり節約レシピを紹介したりコストコを巡る主婦と老人向けの番組が中心になっている
雛壇でブラマヨとチュートリアルがお互いを罵り合い暴露大会を繰り広げているようなのは遠い遠い昔の出来事なんだよ
今はもうなくなってる状態なの、何年も前に
でも人間は稲ちゃんを「肌きたねぇな」「ハゲてるな」「すげえアゴだな」って思うことを止められないし
あさこや光浦さんを女性として愛する男は現れないし
サンドウィッチマンや鬼越に「人殺してそうな顔」という印象を持つし
対する松陰寺がツッコミ、かと思いきや突っ込まない、っていう二段階の裏切りを用意するギミックがあるから
「ダブルボケ」の笑い飯、「ボケツッコミ」のオードリーみたいにセオリーを崩すのが斬新だっただけ
どうせテレビなんか見ないポリコレ戦士に勘違いされて勝手に持ち上げてるけど
お笑いだって小説や漫画みたいにプロットから書き起こして舞台みたいに「台本」を作ってそれを覚えて2人が喋ってるんだよ
キャラクターなんだよ
フェミニストが漫画やアニメなんか見ないくせに横から文句言ってくるのと同じでお前らオタクくんが見もしない番組に文句つけてやってることは表現の規制なの
お笑い芸人も視聴者もいいかげんお前らみたいなのにうんざりしてて今は相当フラストレーションがたまってる状態だから
「不細工の社会進出の機会を奪うな!」「腫れ物に触るみたいにするな!」「面白い物は面白いだろ!!」って蜂起する時が近々来ると思う
ももの台頭はこれを機にテレビ業界がルッキズムを見直して云々ではなく
とっくに見直している上で揺り戻しの時期が来ることを示唆しているのだと思う
もうお笑い番組は全部ある程度の大人向けってことにして注意書きをすればいい
不快になる表現が含まれている場合があります、了承できる人だけご覧くださいってさ
チャンネル替えればいいんだからそんなこといちいち言わなくても了承してる人だけが見てるのが前提なんだけどな、本来
ミルクボーイの漫才だってコーンフレークが好きで好きでたまらない人が見たら傷つくんだろうから
人を傷つけない表現なんて無理だよ
わかったら増田はもうこれから仮面ライダーとプリキュアしか見ないでね
美男美女しか選ばれない世界ではなくハゲた歯無しのおっさんや糸目のブスが主役になって楽しむことができる世界であってほしいから
おまえが社会に出る時に出鼻をくじかれたのは100%上の世代のせいかもしれないが、その後20数年経った現在の問題の責任の一端はおまえにもあるんだよ
<野球>
・種田仁 特徴的なバッティングフォームは「ガニ股打法」と呼ばれた。
・小久保裕紀 一本足打法の長距離砲。引退後は日本代表監督を務める。
・元木大介 「クセ者」として活躍。バラエティー番組でもおなじみ。
・新庄剛志 傑出したスター性で日米を沸かせた「球界のプリンス」。
・稲葉篤紀 打席に入ると「稲葉ジャンプ」で球場が揺れた好打者。
・小林雅英 ロッテ時代は「幕張の防波堤」の異名をもったストッパー。
・松井秀喜 日本を代表する長距離打者。2013年に国民栄誉賞を受賞。
<サッカー>
・岡野雅行 元サッカー選手で元日本代表。ニックネームは「野人」。
・三浦淳宏 FKの名手であり、日本における無回転フリーキック、ブレ球の先駆者。
<その他のスポーツ>
・高橋尚子 元マラソン選手。シドニー五輪金メダリスト。国民栄誉賞を受賞。
・貴乃花 第65代横綱。兄若花田とともに「若貴フィーバー」を巻き起こした。
・清水宏保 元スケート選手。二つの五輪で三つのメダルを獲得した。
・野村忠宏 柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる五輪3連覇を達成。
<アイドル>
・GLAY CDセールス、ライブ動員数など数々の金字塔を打ち立ててきたバンド。
・平井堅 シンガーソングライター。代表作は「瞳をとじて」など。
・YUKI 元JUDY AND MARYのボーカリスト。現在はソロで活動。
・GACKT シンガーソングライター。俳優としても活躍。
・岡本真夜 「TOMORROW」は200万枚を突破する大ヒットを記録。
・華原朋美 代表曲は「I'm proud」「I BELIEVE」など多数。
・松岡充 俳優、タレント。ロックバンド・SOPHIAのボーカリスト。
・常盤貴子 代表作に『愛していると言ってくれ』『ビューティフルライフ』など。
・竹山隆範 お笑い芸人。元カンニングのボケ担当。俳優としても活動。
・塚地武雅 お笑いコンビドランクドラゴンのボケ。俳優としても注目を集める。
・サンドウィッチマン ツッコミ担当伊達みきお、ボケ富澤たけし。
・後藤輝基 お笑い芸人、司会者であり、フットボールアワーのツッコミ担当。
・梅宮アンナ ファッションモデル、タレント。父親は俳優の梅宮辰夫。
その他
・門倉貴史 経済評論家。日本における地下経済学の権威として知られる。
・荒川弘 漫画家。代表作は『鋼の錬金術師』、『銀の匙 Silver Spoon』。
・うすた京介 漫画家。『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』などが有名。
役割を軸にして考えたとき、(コントと比較すると)漫才ではボケとツッコミの役割がはっきり分かれるパターンが多い。
これは、コントでは最初から最後まで「自分以外の役」に入り込んで「演技」をする形態が主であるのに対して、漫才ではあくまでも「自分」が喋っている体で「会話」をする形態が主だからである。
「だったらコント漫才(M-1優勝者ではアンタッチャブルやサンドウィッチマンなどのネタがそれに該当)はどうなの?」という疑問が当然あると思うが、これも基本的にはボケ・ツッコミ共に自分自身を投影した役であることが多く、純粋なコントに比べると言動にパーソナリティが大きく反映されるという点で違いがある。
つまり、漫才には純然たる役割が決められており、M-1が2001年から開催されひとつの「競技」となっても「ボケ担当の人はひたすらボケ続けるし、ツッコミ担当の人はひたすらツッコみ続ける」という形はしばらく変わることがなかった。
漫才における役割を軸にして考えたとき、まず最初に議題に上がるのが笑い飯というコンビである。
彼らは、最初どちらかがボケてそれに対してツッコむというやり取りが終わったあと、ツッコんだ側が「俺にもやらせろ」と言って役割が変わり、それ以降はツッコむごとに役割が交互に変わっていくというスタイルを持つコンビである。
しかし、ネタ全体の構成を見るとボケ・ツッコミの役割がハッキリと別れており、それが入れ替わるというギミックがなければ比較的オーソドックスなネタであるとも言える。
このボケ・ツッコミという役割を曖昧にした上で主要大会を優勝した最初のコンビは、M-1 2005におけるブラックマヨネーズである。
基本的に吉田がボケ・小杉がツッコミの役割を持ったコンビであるが、この年に披露したネタは後半になっていくにつれて小杉が突拍子もないことを言いだし、それに対して吉田が正論でツッコむというパターンが多く見られた。
これは「平場のトーク(ラジオなど)では面白いのにネタがいまいち」というブラマヨ評に対して彼らがたどり着いた一つの回答である。
つまり、漫才だからといって必ずしも役割をハッキリ分けず、普通の会話のようにボケとツッコミがシームレスに入れ替わるパターンがあっても良い、ということが世間にも認められた瞬間であった。
そして、その漫才における役割の曖昧性が頂点に達したのはTHE MANZAI 2012である。
この中で役割がハッキリと別れたネタをする千鳥はさておき(ここもベタとは言えないスタイルを持つコンビではあるのだが…)、注目したいのはハマカーンとアルコ&ピースである。
まず、優勝したハマカーンであるが、2012年以前は浜谷がボケ、神田がツッコミという役割が比較的はっきりと別れた漫才をするコンビであった。
しかし、この前年のTHE MANZAIで(本人曰く)惨敗したあと、スタイルを大きく変える決断をし、役割も主として神田がボケ、浜谷がツッコミという形に変更した。
そして、このスタイルのネタの中で一番特徴的なのは、神田が女子目線で物事を語ったあと、浜谷が著しく感情的に怒り、それに対してさらに神田が理論的に諭すというものである。
抽象的に言い直すと、本来は単なる導入部に過ぎないネタ振りがボケとなり、それに対してボケに限りなく近いツッコミをして、それに対してさらに言い返す、というパターンを構築しているのである。
彼らもやはりブラマヨがネタの構成を変えた理由に近いものがあり、優勝後に記者が彼らに「どっちがボケ・ツッコミって書けばいいですか?」と質問したというエピソードもあるくらい彼らの役割は曖昧であったと言える。
彼らは、漫才の代表作としてラテン語風の架空の言語を駆使して(しかし、よく聞くと日本語が散りばめられており内容がわかる)しゃべくり漫才など、(自分自身を投影した役割ではないという意味で)どちらかと言うと限りなくコントに近い漫才を得意としていた。
この年に披露したネタは、酒井がよくある漫才のネタ振りを平子が真剣に受け取り芸人として苦言を呈していくというものであった。
これは、見ようによっては役割上はツッコミであるはずの酒井がボケっぽく見え、ボケであるはずの平子がツッコミっぽく見えるネタであると言える。
決勝ではハマカーンに敗れてしまったものの、このネタにより一回戦を審査員満票で笑い飯を退け、決勝に勝ち上がったということの意味はとても大きい。
このようにして、漫才における「役割」を軸にして考えると、いろんなことが見えてくる。
つまり、伝統的な漫才とされているものが、役割だけで見ると必ずしもそうとは言えない(またはその逆)ケースが出てくるのだ。
昨年M-1を圧倒的な評価で優勝したミルクボーイであるが、ちゃんとやり取りがあるという点においては比較的ベタなしゃべくり漫才と言えるが、役割を軸にするとどうだろうか。
彼らのネタはボケである駒場が、母親がなかなか思い出せない物事があると語り、それに対してツッコミである内海がヒントを元に推測する、というスタイルになっている。
ここで、内海のツッコミに注目すると「〇〇やないか!」「〇〇ちゃうやないか!」という最初のフレーズを除き、推測対象(コーンフレーク及び最中)に対してやや偏見掛かった持論を語るという形になっており、取りようによっては最初のフレーズ以外はほぼボケとみなすことも出来るだろう。
ボケである駒場も、特に突拍子もないことを言うわけでもなく、ただ淡々と対象を推測しうるヒントとなるワードを言い、それがツッコミによりボケと気付かされるというスタイルになっている。
つまり、ミルクボーイは役割こそ別れているものの、その境界線はかなり曖昧で、実はツッコミがボケをリードする形になっており、しゃべくり漫才における主従関係が逆転したスタイルをもつコンビと言える。
この、ボケと言えるかギリギリのラインを攻めるボケと、それを埋めるように著しく強いツッコミをするというスタイルをもつコンビは、過去にもくりぃむしちゅー(海砂利水魚)などがいるため、前例がないわけではないが、漫才全体の歴史で考えると十分革新的なスタイルであると言えるだろう。
一方、漫才であるかどうかということが槍玉に挙げられたM-1 2020を優勝したマヂカルラブリーであるが、役割だけを見るとかなり保守的であると言えるだろう。
彼らのネタはボケである野田がひたすらボケ続け、ツッコミである村上が外側で解説に近いツッコミをし続ける、というスタイルである。
つまり、やり取りが序盤とオチ以外存在しないという点が従来の漫才から外れているというだけで、それ以外は至極まっとうなスタイルのコント漫才である。
この「やり取りが存在しない」という漫才の最右翼としてあげられるのがナイツだが、彼らが漫才師でないという意見はほぼ皆無であろう。
したがって、ナイツを漫才師であると評価している以上、マヂカルラブリーのネタを漫才でないと評価するのは無理のある議論と言えるのではないだろうか。
そんな野田に国民最高ー!で(多分)アシストする形になったインディアンスが本戦のネタ以外のMVP。田渕の明るさが素なのが浸透してきて、いつどこで見ても機嫌よく周囲に分け隔てなく接する人の良さが大会を明るくしたと思う。事前PVでハハハと笑った直後に「敗者復活見てろよクソッ」と涙声で建物を出る姿も印象深かった。今回の敗者復活、そしてトップバッターはインディアンスが間違いなく適任だった。
正直この反省会、来年から後回しにしようかなと思ってる。笑い飯や川島、土屋に一人ずつ小藪が振っていく構成なのでディスカッションにはならず広がらない。講評の内容も正直そこまで深くないし。ファイナリストのインタビューも小藪じゃなくてミルクボーイと話してるほうが見たいし、中継のラグもないのに。各組の時間も短すぎて内容薄い。福徳が泣いたり川瀬が死にそうになってた時はめちゃくちゃ面白かったが、今の形式ならもういいや。MVPもなし。
今年はソーシャルディスタンスのためにスタジオなのもあってワイワイ感が少なく、そのぶんガッツリ掘り下げるようなトークが多かったかも。
みんな良かったけど本戦だけでなくその後に漫才の定義いるのかいらんのか問題に巻き込まれてアホの攻撃道具にされた見取り図にお疲れ様の意味でMVPをあげたい。全組漫才ですといち早く宣言したのカッコよかった。
M-1が「4分の中にできるだけ多くのボケを詰め込み終盤に伏線回収とかして盛り上げる漫才」だけを漫才だと定義するような大会だったらここまで人気は出てない。邪道と呼ばれるものを堂々と評価してきたからこそM-1は面白いのだ。そんな妖怪大戦争だった今回のメンツで冷静に戦略を練り淡々とコマを進めたマヂラブが最終的に披露したネタが床を転がり回るっていうカオスなのが最高すぎた。今年は野田脚本による壮大なミュージカルに知らぬ間に全員が巻き込まれてたんだろうな。運命を味方につけるってのは実はこういうことなのかもしれない。本当に凄いものを見せてもらった。
MVPとか偉そうでごめんね。マヂラブおめでとう!
澤部のインタビューとそのブコメを見てて、澤部のことを書きたくなった。
別に誰かの意見を批判したり否定したりする意図はない。ただ澤部とハライチのファンの回顧録だと思ってもらっていい。
■彗星のように、彼らは。
今から11年前。2009年のM-1。ハライチは、テレビ界に躍り出た。結成4年、まだ23歳だった。
当時のM-1は長らく、「笑い飯」というコンビを持て余していた。その笑い飯が「鳥人」を引っ提げ、島田紳助から100点を引き出した、その直後だった。
顔も名前もまったく知らない若者が、現れた。目つきの悪い右側の若者が、いきなりこんなことを言うのだ。
「今日、ここに来る途中、犬が車に轢かれて死んでいた」
繰り返すが、笑い飯が100点をかっさらった数分後である。空気が、完全にリセットされる音がした。静まり返った、日本中が。
そしてハライチは、「だから犬を飼いたい」という漫才を披露した。結果としては5位。芳しい成績ではなかったかもしれない。
ネタを作る人間を「0→1」、それ以外を「1→100」とするならば、澤部は「1-100」の天才だった。
ハライチは、澤部さえいれば、岩井は「0→1」だけやればいい。「0→1」以上の発声や動作は必要ない。そう割り切ったのが、岩井が設計したハライチのノリボケ漫才だった。
岩井の発する単語の「1」を、澤部がすべて「100」に昇華する。
近年、盛り上がっている「受取師」トークの中で、岩井は何度も繰り返している。
「オレは、澤部が何をしても100になる言葉を言っている。だからオレの『0→1』に価値があって、澤部はオレの木偶だ」
あの夜から10年、いまだに澤部は、誰からも「やーつ」を振られる。そのたびに、澤部はけなげにそれに応じている。それなりの60や70を演じて見せている。
だが、岩井が澤部以外の誰かに「やーつ」を振ったことは、一度もない。
つまり、そういうことなのだ。岩井の1を100にできる木偶など、この世に、澤部以外には存在しないのだ。
■そして澤部の天賦と、膨大なインプット
澤部の最大の天賦、それはフォルムだ。
例えばノブコブ吉村が澤部のフォルムを持って生まれてきていたら。彼は間違いなく、今以上のテレビスターになっていたに違いない。
幼少期から、誰よりもテレビ・ラジオのバラエティをインプットしてきた澤部は、本能的に「テレビスター」こそが自分の生きる道だと理解していた。
そしてすべての振る舞いを「好感度を得る」というベクトルに全振りした。
ピンで呼ばれれば、あれほど自由に泳ぎ回れる芸人はほかにいない。
コンビで呼ばれれば、幼馴染という関係性を武器に、とっつきにくい岩井を無遠慮に突き崩し、弱さを露呈させることでコンビごと好感度を上げていく。
たくみもまた、テレビスターの資質を持った芸人だった。たくみがハライチ2人の要素を1人で抱きつつ、それを抱えきれず、まなぶには「好感度を得る」資質がない。
比較対象を挙げれば挙げるほど、澤部の無敵っぷりが際立っていく。
■誰よりもハングリーな澤部。
ハングリーな芸人といえば、それこそ相方の岩井。バカリズム、03飯塚、オードリー若林、山里、劇団ひとりあたりが思い浮かぶところだ。
だが、彼らはあくまで道を求めている。道を求めるとは、人気や好感度についてあきらめたということだ。
澤部はまだ、ここまできて人気や好感度を渇望している。町で顔を差されることに至上の喜びを感じ、自らの第3子誕生がネットニュースになっていないと知れば、夜通しエゴサーチを繰り返す。
この、好感度への執念こそが、澤部の最大の強みだろう。
それはアンジャッシュ渡部が追い求め、ついに自らの願望と欲望の狭間に落ちてしまった類の執念だ。
ハライチのターンを聞いていると、時おり澤部の家族に対する視線の冷たさに寒気を覚えることがある。
平気で妊娠中の嫁に手コキさせたエピソードを披露したり、娘を売春婦に例えたり、岩井が「離婚するつもりなの!?」と驚くほどの冷淡さを見せる。
大企業の社長令嬢をめとり、子宝に恵まれても、澤部の渇望は止まない。
第七世代の猛追も、澤部の目には入っていない。追っ手が目に入るのは、振り返る余裕がある者と、すでに抜き去られた者だけだ。
ただ全身全霊で、「オレを見てほしい」「ほめてほしい」と、絶叫し続けているのが澤部という男だ。
それが、そう見えない。だから、澤部は強いのだ。
無名コンビによる歴代最高得点、同じくほぼ無名による最後の直線からのまさかのマクリで和牛敗退とドラマチックにも程がある今年のM-1だった。どの組も大きくスベることもなく、去年のギスギス状態に比べ-たらまさにお祭り会場の楽しさ。心配してたテンポの悪さも改善されてた。そんな中で平場適性の高さを見せた東京吉本のエース、ニューヨークがネタ以外の本戦MVP。最悪や!は確実に番組にエンジンかけてくれたと思う。
笑い飯哲夫「角刈りとかまだ全然処理できてない(ミルクボーイ)」、パンブー佐藤「印象以上にテクニカル(かまいたち)」等々、興味深い分析が山盛りだったが省略。散々言われてた「反省会面白いけどファイナリストへの負担が大きすぎる」問題を中継でつなぐことで改善しようとしたっぽいね。一昨年の福徳、去年の川瀬と追い詰められた芸人の生き様は見応えあったけど可哀想になってくるからなー。小籔の司会は陰気臭いけど論理的で良かった。ここはMVP選出なしで。
相変わらず後輩たちに優しく、かつ納得感あるコメント多数の千鳥はすごいね。抜き出しはしなかったがぺこぱは2人とも平場がわりとナチュラルで、それがむしろ地肩の強さを感じさせる。ネタも実はキャラの前にシステムありきだからキャラ薄くしても笑えるし平場での応用もきくという。そんな中とにかく運が悪いというお笑い的強運を引き続けたオズワルドに打ち上げMVPを進呈したい。YouTube版ではちゃんと補完されてて良かった。
個人的に敗者復活戦だけは微妙なとこあったけど、それ以外は大満足のドラマチックな大会だった。とにかくすごい逆転劇を見させてもらったという感想。
去年に引き続き勝手にMVPとか偉そうでごめん。お笑い分析自体が寒いのも分かってるんだが語りたくて。増田で1万字近く書くとは思わなかった。
なにはともあれミルクボーイおめでとう!!
小さい頃にテレビをよく見ていたいまの20代なんて、全員アンタッチャブル復活を喜んでいると思う。
僕も数日前に出ていた日刊大衆の記事を含めてすごくいいドラマを見られたと思ったし、山崎が登場したときは安っぽくテレビの前で「ウワー」って叫んだ。
なんだけど、その上でアンタッチャブルは今後コンビの仕事がそこまで増えないような気もしている。
山崎も柴田もパワーがすごいのは間違いないんだけど、本当はパワーバランスは五分五分じゃなくて柴田の方が上回っていると思う。アンタッチャブルは二人ともすごいのに、二人が揃うと山崎の方が大人しく見える。柴田が勝ってしまう。
だから替えが効かない山崎の明るいガヤを呼んだらそこに柴田が毎回ついてくるとなると、番組としては使いづらいんじゃないだろうか。山崎一人がちょうどいい番組っていうのも結構あるんじゃないだろうか。
ナイツの塙が笑い飯のことを「パワーが強すぎて売れ切らなかった」みたいなことを遠回しに書いてたんだけど、アンタッチャブルをコンビで雛壇なんかに起用すると同じような現象が起こるんじゃないかと思ってしまう。
といっても二人ともが全力を出し切れないだけで、別に仕事は来るのか? わかんね ブラマヨとか笑い飯みたいにピンの仕事今後も多そうだと思うんだよね
「新しい波24」って誰が出てたんだっけ、とも思って検索してみた。
このあたりは順調にテレビで見る。
ロングコートダディ(堂前透・兎)
ここは関西圏だと、割と見かける。
一月に水曜日のダウンタウンに母親ネタで出演してた一週間後くらいに解散だって。
吉住
ここらへんは関東圏では出てそう。
アメリカンコミックス(飯島翔平・鈴木祐介)
絶対アイシテルズ(らぶおじさん・楠見大輔)
まったく受け入れられなくて全カットコンビとかいた記憶しか残ってない。
こんなに出ていたのね。
関西ローカルと関東の番組とでは毛色がまったく違うんだろうな。
千原ジュニアの「座王」は関西メンバーに時々関東芸人も出演してる。
笑い飯の西田が【鬼】と呼ばれるほどの強さを示してる。化けた。
ロングコートダディの堂前がんばってる。
からし蓮根、たくろう、ネイビーズアフロ、セルライトスパ、紅しょうが、こうてい
こうていのズイィーヤのギャグをやるほうが顎の手術してたのとか知らなかったわ。
2015年以降。
吉田たち、マルセイユ、アイロンヘッド、祇園、タナからイケダ、
コマンダンテ、ヘンダーソン、見取り図、ニッポンの社長、マユリカ。
関西でもあんまりネタ番組やってないから、舞台に行けばみんな頑張ってるんだろうなあ。
アキナの【吉本超合金A】に出てて東京に進出したおいでやす小田。
Wの決勝戦にも出演してた紅しょうがが先日夕方のニュース番組?バラエティ?にロケ芸人に出てて、
いい感じに無毒化されてて、そういう役割で出演できるのも道よなあ、って思った。
古くは【10カラット】【ゲンセキ】で見かけた芸人も検索してみたら解散したり引退してたり。
2005年ですって。14年前ですよ。
ハリセンボンとかプラスマイナス、上木総合研究所、U字工事、イワイガワ、マチコ、コンマニセンチ、
オリエンタルラジオ、トップリード、アームストロングが出てたなあ。
ジャルジャルも出てたんだっけか。
【爆笑BOOING】見てた。
あと、あれあれ。
芸人たちがVTRを撮ってきて作って発表しておもしろかった上位五組とかだけ放映されるやつ。
ビリジアンとか小籔が生き残ってるんな。
水玉れっぷう隊はケンが吉本坂46に選出されてるよな。すごいな。
【火花】じゃないけど、おもしろくても生き残れない人生とか考えたら恐ろしいな。
ハライチの岩井じゃないけどバラエティ風で生き残っていくという選択肢すら選ばされないまま
スタート地点にすら立てないのは大変だ。
なぜジャルジャルが勝てなかったのか、ずっと考えていてようやく答えがわかりました。今さらでしつこいですけど。シュールだったとか、感心させてしまったとか、じゃないんですよ。
https://gyao.yahoo.co.jp/player/11153/v00019/v0000000000000001448/?auto=1&rep=2
見てビックリした、というか逆に腑に落ちたんですけど、「面白いかはともかくとにかく練習量はすごい」みたいな評価ありましたよね。あれ完全に的外れで、実はあの漫才は半分アドリブらしいですね。(9:30あたり〜)
要するに本当にあのゲームをあの場で半分ガチでやってるそうです。もちろんオチとか大事なところは仕込んであるんでしょうけど。
本当に凄すぎる。でもそうなんやろな、とすごく納得します。そういう奴らなんですよね、彼らは。で、これが敗因とも関係しているわけです。
ジャルジャルの漫才に何が足りないか、というと、ツッコミです。もっというとツッコミの深さ、というべきかもしれません。
どういうことかというと、この漫才の面白さのキモは二人のアホさなんですよ。こいつらどんだけしょうもないことやってんねん、ほんまにアホやな、と見ている側が心の中でツッコんで、初めて本当の面白さが湧き上がる仕組みの漫才なんです。
だから、初めにそれを共有できない人は大して面白さを感じられないわけです。
で、そこで必要なのがツッコミなんです。確かに形の上では、後藤がツッコミをしています。しかし、このツッコミは福徳のしょうもない遊びに乗っかった上でのツッコミになっています。こういう遊びを面白いと思う、というところはすでに二人で共有されてしまっている。そこに対するツッコミは省かれています。多少は最初にあるんですが足りない。まあ、足りないのは「わからない人にとっては」ということで私を含めて、多くの人はそこに共感できているわけで、だからその後のやり取りが全部めちゃくちゃ面白い、と感じられるわけです。しかし、わからない人には誘導してあげる必要がある。それが漫才におけるツッコミの役割です。
他の漫才で一番近い面白さの種類の漫才はおそらく笑い飯でしょう。笑い飯の漫才も一つ一つのボケがどうこう以前に、この二人がアホすぎて面白いわけです。ボケを競い合う、ということも含めて、ボケの種類も全てくだらなくてしょうもなくてアホすぎる。うまい、とかではない。そこが面白い。しかし、笑い飯の漫才にはほとんど必ず一個一個しっかりとしたツッコミが入ります。ボケた後、きちんとツッコンでから、変われ、とボケが交代する。この間のツッコミで一旦、普通の感覚に戻してくれる。だから次のボケでまたしっかり笑えるんですね。
一方、ジャルジャルの場合は、ほとんどツッコミがない。あるとしても、アホな二人のやり取り上でのツッコミで、普通の感覚にまで届いていない。もちろん、ついていけない人にとって、という意味です。ついていける人はツッコミは不要だし無い方が面白い。そう考えると、この場合、漫才というよりはコントに近いとも言えるかもしれません。アホな二人の漫才のようなやり取り、というコント。そう考えると「面白いと思えない」ということは「コントの設定についていけなかった」と言い換えることもできるでしょう。そういう人にはシュールに見えたのかもしれません。
しかし、じゃあ、これは漫才ではないのか、シュールなコントなのか、というとそれも全く違うわけです。上に書いたように、これは練りに練られたネタではなく半分アドリブなんです。つまり、これはコントというより、素の二人が単に人前で喋っている、という形に近い。言ってしまえば、本来の漫才、面白い二人が人前でただ面白いことを話す、という漫才そのものとも言えます。では、何が距離感を感じさせるか、というと、この二人の元々のアホさ、なんですね。この二人はおそらく、学生の頃からこんなことばっかりやってたんでしょう。面白いことを思いついた。で、二人でやって二人で面白がっている。ほとんど他のお笑いの影響を受けることなく、ただただ自分たちの面白いことだけをやっていた。いくつかのインタビューを見てもおそらくそうなんだと思います。そういう非常に独特な出自を持つ芸人なんですね。そのような芸人が、自分たちが面白いと思うことを、あまり説明無しで人に見せる。そうすると、普通の人はついていけない。アホすぎるから。なんでそんなことをやりたいと思うのかわからない。これって、多分実際に学校とかでもそういう状況ありますよね。要するにそういうことがMー1の舞台で起こってしまったのだろう、というのが結論です。それは審査員も含めて。特に関西人以外には、文化的に理解しがたいものがあるんじゃないか、というのは大吉先生のラジオでの解説なんかを聞くと思ってしまいます。
しかし、松本には大いに受けた。インタビューを見ていると、ジャルジャルは近年の芸人の中ではダウンタウンの影響をほとんど受けていない稀有な芸人です。それが、逆にダウンタウンに評価される、というのは不思議でもあり、むしろ当然とも言えます。そもそもダウンタウンの笑いって身内の面白さを強引に世間に広めた、というものでもあり、根っこの感覚はほとんど同じものがあるのではないか、と想像します。
だからと言って、ジャルジャルはどうしたらよかったのか、というと難しいですが、もう少し受け入れられる層を広げるとしたら、後藤が初めは福徳の発想についていけない、なんでそんなことせないかん、という部分をもう少し多くして、徐々に面白さを感じ取っていって最終的に一緒になってハマっていく、という構造をとってあげれば、かなり多くの人を巻き込めた可能性はあると思います。あるいは、もう一人、傍観者としての軽めのツッコミがあっても良いのかもしれません。お前ら一体何してんねん、という程度の。そうなると、構成として近いのはネプチューンかもしれません。ホリケンと泰造が好き勝手やっているのを離れてツッコム名倉。最終的には名倉も一緒に巻き込まれてしまう、というようなネタが多かった気がします。そうなるとわかりやすいと言えばわかりやすいですけど、ジャルジャルの良さは半減してしまう気もします。
THE MANZAIのネタもそんな感じでしたよね。お互い自己紹介で張り合うというアホさの上に、どんどんアホさが積み上がる形式の。
2年前のネタは笑い飯形式でわかりやすかった。ので、一位通過でしたね。2本目も同じパターンだったのでインパクトが少なくて負けてしまいましたけど。正直、あれがジャルジャルの漫才の完成形だったと思います。程よいシュールさを漫才形式に作り上げる、という。それを一度捨てて、新たにより本来の漫才に近い形で自分たちのセンスをぶちまけるネタを作り上げた。本当に凄すぎる。しかし、残念ながら受け入れられなかった。一体どうしたら良いんでしょうかね。
まあ、もう勝たなくても自分たちの好きなことを思う存分やってくれるだけで良い気もします。どうせ世間には受け入れられないんですよ、こういう人たちは、と変な共感をしてしまいます。
どんな改変をしたのだろうと気になり。
美男美女が恋に恋をして部活はどうでもよく好きなの!好きじゃ無いの!どっちなの!みたいな映画かと予想してた。
大改変。実写「近距離恋愛」ぐらいの改変をある意味期待していた。
結果的にホモ要素が無かった…が、うーん。大改変でもなかった。
ホモじゃないが。ラブというわけでも…なんというか、作品自体はちょっと感動したレベル。
アニメも原作もとても出来が良い作品というわけでは無いと思う(こういう立場で書いている)
演者のガチさはスウィングガールズを思い出す。青春部活ものに仕上がっていた。
少なくとも予告の印象とは違う。
な、なんと!髭男爵の元メンバーじゃないですか!!笑い飯哲夫の元相方!!!!
…ってそれは置いといて、去年大注目になった星野源のブレイクきっかけを作ったであろう映画「箱入り息子の恋」の監督でしたね。
なるほどなぁ。なるほど、なるほどです。
元を知ってる人は結構王道の汗と涙の青春ものとして召喚された「ハルチカ」を確認しに。(メインキャスト二人が目の美容パックになるレベルで美しい)