はてなキーワード: のっぴきならないとは
数ヶ月前に4年間付き合っていた彼女から別れを告げられ、半同棲状態を解消し今に至る。
別れる以前から2年ほどセックスレスであり、別れてから風俗の類などには行っていない。
ただ有り余る性欲はどうにもならず、オナホやローションを使ったオナニーを家族の目を掻い潜って(バレていたかもしれないが)で発散することにしていた。
オナホもローション手コキも彼女がいた時から既に何度か実践していた。
半同棲状態だったので彼女がいない時にオナホを使用したり、彼女が生理のときやのっぴきならない事情で挿入を含まないセックスをする際にローション手コキをしてもらっていた。
正直セックスよりローション手コキの方が快感は何倍にも渡るので、別れてからより積極的に活用していこうと期待と股間を膨らませて日々のご褒美オナニーの際には利用するようにしていた。
しかしながらローションオナニーを実施してから数ヶ月、確かに快感はそこにあるのだがローションそのものの快楽で果てている感覚がない。
自分のペースで一物を扱える分より早く快楽の頂点に達すると思っていたのだが、結局は通常の自慰と変わらないくらいいや、むしろペースダウンしての絶頂にしか至らない。
何故か。
それは相手の人肌とベロチューがないからであるとの結論に至った。
一人で行える時にこそ二人で行為をしていた際の気持ちが、それに気づいた時より大きく感じられるようになってしまい、より深い孤独を思い立たせてしまったのである。
イギリスで、X上で人種差別的なデマ・煽動的言辞をもちいて暴動を煽ったとして、男が禁錮三年の実刑判決を受けた。
ずいぶんスピード判決なことも含め心情的にはグッジョブといいたいが、何罪で?
イギリスのことは何も知らないし英語も苦手だ。イギリスには純粋な扇動罪があるのか?
アメリカにはあるよな。トランプが扇動罪に問われた弾劾裁判はしかし無罪になった。
じっさい「トランプだから」慎重な判断になったのか扇動罪の運用はぜひとも慎重にしたかったのか、それは知らない。
まあ日本にもヘイトスピーチ規制法とか額面上は使えそうなものはあるが絶対に司法当局はそんな貧弱な武器で火中の栗を拾わないだろう。
そして不特定多数に対する扇動じゃなくて特定個人への中傷じゃないと警察もタッチできませーんみたいなへっぴり姿勢を堅持しそう。
そりゃね?憎悪扇動で逮捕・有罪の先例なんかおっかなくてよう作らんよなあ。
小池都知事が関東大震災での朝鮮人虐殺についてノーコメントを決め込んでいることについて小池個人を叩くより、次また似たようなこと起きそうな時にどうするのか?という話を国政レベルで本当はしなければならない。
イギリスが果断なのではなくあっちでは移民・人種間軋轢がもはやのっぴきならない状況なのだということだろう。
しかし日本はのんびりしていられるかというとそんなわけはなく、イギリスやEUやアメリカのようなそういう状況のミニチュア版は既に局所的に起きている。
この人わたしのこと好きなのかなって思ってた人を思いがけず好きになってしまったものの、一ヶ月ほどのっぴきならない事情で会うことはできず(わたしの事情で離れていた)あちら側からの興味の喪失を感じガッカリ過ごしている。
そんな程度でさめる熱なら続かないよ、そもそも向こうも最初からそんなつもりではなくただ人として興味を持たれてたよ、と思いつつ、ことあるごとにあの時はあんなこと言われたな…なんて思い出して寂しい。付き合ってもうまくいかないであろう要素を考えることで(冷静に考えたらいくつでも浮かぶし)これは手に入らなかったから欲しくなったんだ、愛じゃなくて熱なんだ、って自分に言い聞かせている。でもまっすぐわたしに近づいてきてたくさん話しかけてくるところ、好きなものに対して真剣なところ、顔とか声も気に入っていた。
好きそうだったじゃん、って思いながら、楽しかった瞬間を時々思い出して、これが本当にもっと時々になって、思い出さなくなって、あなたは別の女と、わたしは別の男と、生きていくのだろうね。その繰り返しなのだからね。
公開時から4〜5年スパンくらいで見返しているが見るたびになんか違う感想が浮かぶ
・トキシックマスキュリニティにズブズブに毒されて洗脳された男のメンタルヘルスの話
・欲しいものを欲しいと言えない結末の話とも言えるけど、それ以上に、欲しくないものを欲しくないと言えない悲劇の話
・世間で欲しいとされているものを俺は欲しくないと言うことの方がもしかしたら難しいのかもしれない
・ようは、女が好きでもなく子供が好きでもないのに女と結婚して子供を作らねばならないというキリスト教的規範を内在化させてしまいそれが欲しくないと言うことができなかった上にその自己規範に囚われているが嫌々選んだ自分の選択に本心ではコミットしないので周りが迷惑
・というかイニスデルマーはなんならちょっと知的に足りないんだろうか
・ジャックツイストが死んだと聞かされた時に子供の頃にホモが惨殺されたシーンを重ね合わせるシーンは怖くてすごい。洗脳は恐ろしい。
・ジャックの父親が、数年前に別の男の名前を口にした、ていうのが良い。あのおしゃべりな女の旦那だったんだろうか。
・自分の気持ちを言語化せず回避し続けるイニスデルマーはクソな卑怯者
・しかしモテるのはなんなんだろうな 高倉健人気あるみたいな話なんだろうか
・最後の、これで永遠に一緒だみたいなことを抜かすのは本当に一発殴りたくなる卑怯者
・なんならもうこれで選択を迫られることもなく心穏やかになったと思ってるまであるよな
・この映画を初めて見た時に「ジャックツイストは悪女だな」みたいな感想しか浮かばなかったのが今となってはもはや謎 なんかもっとイニスデルマーは流されただけなんだよなみたいに見えてたんだな
・あとジャックは金があって上手いことやっていいよなイニスデルマーののっぴきならない事情も考えてやれよみたいに思ってたけど違うんだよな ジャックは自分のチップを賭けに積んでたのにイニスはそれを分かりながらも逃げまくってただけなんだよ
ようやく出たのに話題になってないのなんなの。
長すぎてみんな読む気なくしてる?
・小学館と日テレ、業界が違うからこそA氏C氏を通すことで言いたいことのニュアンスが全く伝わっていない
・C氏のドラマ成立のために四苦八苦する姿は「ラジオの時間」さながらで結末さえよければコメディそのもの、なんだけど現実はバッドエンドなので笑えない
・序盤の「OKOK、そういう感じね、大丈夫っしょ(←わかってない)」から終盤ののっぴきならない状態に追い込まれていく様は世のサラリーマンの多くが身につまされると思う
・職業人としてのプライドを持った漫画家/脚本家と間で右往左往するA氏C氏
・漫画家が難しい人と表現されるのも最初はいかがなものかと思ったが読んでいくと、、、(故人なので自粛)
・が、そこをうまく調整するのがA氏C氏だったろうに。
多分脚本家って何個もある要件(原作者/スポンサー/芸能事務所etcの意向)を最大限上手にまとめてドラマにするのが仕事なんだろうね。
その調整具合を例えば2:4:4って伝えられてたのに8:1:1でした、って終盤に聞かされたらそら揉めるよね。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
文章論を見つけるとつい読んじゃうんだけど(文章がうまくなりたいので)、そうすると「万人が理解できて、親しみやすい文章を書きましょう」という指南が良く出てくる。
いわく、誰もが理解できる簡単なことばを用い、一文の長さは短めに云々。同じ語尾を続けて使うとテンポが悪く云々。「だ、である」調よりも「です、ます」調のほうが親しみを持たれやすく云々。その際敬体と常体は統一して云々。
なるほど確かにそういう文章は読みやすい。その一方で、これらをどこまでも愚直に守りつづけた先に行きつくのはたぶんあれだよな、とも思う。あれっていうのはあれです、記事の最後に「いかがでしたか?」ってつくタイプのキュレーションサイトの文体。自分以外の人が定めたレギュレーションにがっちがちに縛られた文章。いや、そうならない人もいるんだろうけれど、何も考えずに「なるほど、一文はなるべく短く! 同じ語尾は続けずに!」ってのを盲信して、それがすべてだと思ってずーーーーーっと突き進んじゃうと、そこに行きつくだろうという話。
冒頭に挙げたようなテクニックはあくまで文章をあまり書いたことがない人に向けた基本のキで、それを身に着けたうえで基本をいかに崩すかという点にこそ、書き手の色が出てくるんだと思う。実際プロの文章では、同じ語尾を連続させることで畳みかけるようなスピード感を出していたり、判決文かよと思うレベルで一文を長くして独特のリズムを作ったり、句読点を取っ払うことで狂気その他のっぴきならない状況を演出していたり、そういったことはいくらでもある。それらの文章が万人受けするか? と言われるともちろんそうではないんだろうけど、でもその人には明確に書きたい文章、狙いたい効果というものがあって、それが刺さる人にはきちんと刺さっているからこそプロとして文章を書いているんだろう。
そういう「基本を身に着けたあと」について書いてある文章論の本ってあんまり見なくて(あったとしても精神論がほとんどのように思える)、もうそこからはひたすら読んで書いて自分で掴めってことなのかな。
ともあれ世の中にある文章論に関しては、ターゲットがあまりに偏ってる気がしている。「文章をあまり書いたことがない人に向けた基本のキ」の指南本、多すぎません?
特に、そこに書いてあることさえ守れば文章で身を立てられると言わんばかりに、「書いて稼ぐ」ことを煽る本。文章の価値はフォロワーやPV数、Googleの検索トップに表示させられるか否かで決まると、信じて疑わない価値観で書かれた本。
そういうものを見るたび、活字を読むことが好きでたまらない身としては、暗澹とした気分になってしまう。「楽に稼ぎたい」という人間の心理をついたような文章論に吸い寄せられて、「なるほどこれが稼げる、いい文章の条件なんだ!」と素直に思って、基本のキや小手先の集客テクニックを真面目に守り続ける人がどんどんライターやブロガーに流れていけばいくほど、インターネットに生み出される文章はどんどん画一化されていってしまうんじゃなかろうか。私が今楽しんで読んでいるような、書き手の衝動と個性がにじみ出る文章は、工業製品みたいなテキストに押し流されてどんどん見つけづらくなってしまうんじゃなかろうか。
心配しすぎかなあ。
でも、最近グーグルで何かを検索したときに出てくるキュレーションサイトの群れは、どれをクリックしても同じ人が書いたような画一化した語り口をしている。それを読んだときの砂を噛むような感覚に、どうしてもそんなことが頭に思い浮かんでしまう。私が好きなインターネットは淘汰される運命にある、といえばそれまでなのかもしれないけれど。
寝坊はまぁ分かるよ、こっちから連絡とっても寝てれば電話取れないもんな(断じてしても良いとは言ってない)
のっぴきならない事情があって夜遅くまで起きていて結果寝坊してしまう事もある。人間だもの。
でもその場合は寝坊しましたって起きたら連絡してくれる人が殆どで
就業開始時間5分前とかに「体調が悪くて…」って連絡してくるパターンも
心の中では(体調不良ならもっと早く連絡できただろ素直に寝坊って言えお前の家会社から徒歩5分圏内なんか?)って思うけど連絡してくるだけマシ
でも、コロナが流行って熱があるかとかどの病院受診予定かとか前日誰と作業してたかとか根掘り葉掘り聞くように変わってからは詐病使うやつ減ったな。今回とは関係ないけど
そんな中で無断欠勤して翌日以降も来なくなりフェードアウトしていくやつ(人間関係で問題抱えていたりして以前から注視してたパターンの人間に多い)がいるが
最も理解できないのが無断欠勤して翌日ボケっと普通に出勤してくる奴
鋼のメンタルだな俺にはできないわって思う
基本的には現場管理者が「何でや」って聞くんだけど対処できない(埒が明かず時間がかかるパターン)と俺がいる部署にお鉢が回ってくる
事務所に呼んで理由を聞いても「もごもごもごもご」どうしたら無断欠勤しなくなるかときいても「いや~…w」とか「う~ん…w」とかにやけ顔かずっとうつむいてるか
こういう従業員(派遣やバイトもいるが)に対しての対応は結構人それぞれで基本的に1対1の面談室みたいなところでやるが
上司の中には(そこまで言うかぁ…これレコーダーで録られてたらやばくね?)って人もいれば、問いかけ(何で無断欠勤した?とか)を答えない限り顔を凝視してずっと黙って待つパターンの人もいる。
俺はまぁ心の中で(だり~wめんどくせぇから勝手に出勤するように改めるか辞めてくんねぇかなあ~w)とか思ってるけど
口では「寝坊とか仕事行きたくなかったとか色々あると思います。私は貴方を非難したいのではなく一緒に解決できる問題があれば解決をして仕事ができるようにサポートしたいので正直に言ってください。口外はしません。」とか言うわけ
現場管理者からは基本的に上司含め直通の内線で依頼が来るため現場の方で誰に対応したら一番効くか判断して対応を依頼しているようで
俺の所に来るようなのは辞めるとは言いださずにコミュ障で人間関係に不満があって会社に行きたくないパターンの人が多いから部署異動等で解決している
上司の所に行くようなのは常習犯とかまぁ現場からしてもいらねぇよこいつみたいなのが多いな
業務上バレずに相談したくて(業務だけじゃなく借金が返せないとか同じ部署の人にいじめられてるとかそういう相談もある)就業開始前から事務所に来る奴もそれなりにいて
2時間早く出勤している部署だから寝坊ができない(したら何しても許されないくらい詰められる事が想像に難くない)立場からすると本当に理解できないです。ほんとに
はてなという媒体を使いはじめたのは、友人が媒体を運営していた10年くらいまえ?に「(自分が運営している媒体の記事を)新着記事に入れたいからブックマークをしてくれ」と頼まれて登録したのが最初だった。
それまで実は存在も知らなかったけど、友人に指定された記事を(自分の思想とそこまで剥離していない限りは)ブックマークをしていた。
その媒体はもうなくなってしまっているが、アプリも入れたのでニュースや話題なコンテンツを調べるときに使いがちになった。
ヤフー知恵袋とか、どこかの誰かが人には言いづらい本音をぶちまけてる匿名記事を見るのが
結構面白いと思っていたけど、なんか最近、上がってくる見出しがすごく辛くなるものが多い。
なんだい、30代なかば(以降)の独身に対して風当たりが強い意見がここ最近一気にふえたなと思うのは自分だけだろうか。
まあもう、そうなったら媒体から卒業時期なんだろう。辛い気持ちになるぐらいなら離脱すればいいだけなんだけど、
古い宿泊施設とかにおいてあるノートに書きなぐるような感覚で、ここにメモをのこしていこうと思った。
自分は職業柄(広告とかなんかそういうかんじ)いろんな年齢層が読む媒体を把握しているのだけれど、
はてなはどちらかというと中年以降が多いじゃないですか。30〜40代代それ以降とか。
ヤフーニュースとか大きな媒体ももちろんいるけれど、それとはまた違った「中年層ニーズ」にかなっている気がして。
そんな重点ニーズの人たちの心臓を刺すような見出しが、最近増えたように感じている。
これはどういう傾向なんだろうね。
自分は少し前に恋人ができて、人生ではじめて可能性を感じた結婚という文字が
相手ののっぴきならない事情ですごくすごく、かすんでしまったという背景もあり、
「さんじゅうなんさいを過ぎたおんなは婚活市場でどうこう」「さんじゅうなかばをすぎた独身はどうこう」
みたいな言葉が、以前よりも増して突き刺さるようになった。
自分自身のことを言われているわけではないのに、
自分自身にあてはまるカテゴライズに向けた意見を見ると、つい「私が言われたんだ」という気持ちになてしまう。
まあインターネットとはそんなもんだ。仕方ない。
このまま結婚もせず、子どももうまず、ひとりで、どこかにやっぱり難があるおんなとして、
ひっそりと生きていこうと思う。
人の、誰にも言えない声を見かけるきっかけにもなる匿名ダイアリーは、面白かったし救われたこともたくさんあったよ。
またそのうち、くるかもね。
試合のレベルもあがって、視聴者も楽しめるだろうし、県同士の戦いであることを強く打ち出すことで、さらに盛り上がると思う。
さらに言うなら、部活動自体も学校単位で実施するのを辞めて、県ないし地域単位で実施すればよいと思う。
教員希望者の減少は、もうのっぴきならない状態まで迫っているのだ。
部活動を学校単位でなく地域単位で実施することで、それに関わる教員を減らすことができるようになる。
実際、地方大会では複数の高校がまとまった合同チームがあるので、そのイメージ。
大会のときだけ合同するのではなく、普段の練習から一緒にチームとして活動する。
高校なら県単位で、土休日に月何回か集まる他は、リモート指導などを併用すべきか。
とにかく、教員希望者の減少は、部活動による大幅な時間外労働(なのに残業代が出ない)が大きな要因になっているのは間違いない。
いかにして、部活動を効率的に運営していくかを考えなくては、いつか「負担軽減のため、部活動は廃止!」となる日が来てもおかしくない。
授業も部活動も、同じ内容を各学校でバラバラに展開するのではなく、配信や合同により効率的に実施することを考えないといけない。
ちなみに、授業の課外活動バージョンが「塾」であるなら、体育の課外活動バージョンは「部活動」でなく「民間スポーツクラブ」であるべきな気がする。
部活動の合同化に加えて、実施者が教員以外(民間スポーツクラブ)になれば、さらに負担は軽減できる。
教員の片手間な指導(そもそも、教員はスポーツ指導が本業ではないはずだ)より、民間のプロ指導員が教えた方が、子供たちにとっても意義のある活動ができるだろう。
先の甲子園の話だって、学校対抗でなく、民間スポーツクラブ対抗にしたって良いはずだ。
それに、例えばサッカーのように、プロ球団が学生チームを持つみたいな方法も考えられるはず。
そうそう、ほとんどのスポーツが、学生をプロ化させる手間を学校にぶん投げてしまっているのは本当に良くないことだ。
これは野球に限らずだが、今の部活動は、プロスポーツが負担すべき手間を肩代わりしてしまっていて、その意味では公益の私物化とも言えると思う。
興行利益を以て、プロチーム自体が自腹で育成団体を経営し、学校及び教員の本来的でない負担を減らすことが社会的責務だろう。
そのためにもまずは、甲子園など部活動の大会に、学校以外の団体(民間スポーツクラブ等)が参加できるようにしてほしい。
そうすれば、学校の枠に縛られず、個々の学校よりもさらなる強いチームが誕生して、スポーツ団体にとっても有益だろう。
学校単位での大会参加が困難になるので、大会を目標とした、「名監督」による何時間もの指導みたいなものはなくなる。
そうすれば、部活動はサークルのように緩い活動となり、教員の負担は減る。
よって、教員の部活動負担を減らすためには、プロスポーツ側の育成団体義務化と、大会への学校外団体の参加許容が有効だと思う。
また、大会参加を目指すガチ部活動員は民間スポーツクラブへ、そうでない部活動員はゆるふわサークル化へと、子供たちにとっても選択肢が増えるので喜ばしいことではないかと思う。
私も、ガチ部活動を求めていない子供だった(軽く身体を動かしたかっただけ)ので、学校の部活動が大会参加を目指さなくなるのは、個人的な基準でも妥当だと思う。
暴力的な人間っていうか、人間自体がまだ毛の抜けた原始人と対して変わらないから、敵を血祭りにあげるのがとっても気持ちいいし
敵が空気吸ってそこらへんをうろちょろしていることに長大なストレスを感じてしまうのである。
しらんけど。
おれは攻撃を受けてるんだよ。攻撃じゃないかどうかは俺が決めたことではない、俺の本能が攻撃と受け取ったかどうかで判定されている
今日の判定は。攻撃にかなり近いものであることを確認しました。まあわざと出ないことはわかる
わかることと、本当がその説得にうなずくかどうかはまた別の話だり、現実に俺の生活の根幹を揺さぶるような実害が出始めていることもあり、本当はその視点で物事を捉えることを拒否している。
実害というのも厄介で、俺の体に血が流れるわけじゃない。社会的な信用が失われるのである。
社会的な信用というのはかなり重要で、社会的な動物である人間であるおれは、社会的な信用なくなると死ぬことに等しいと言った感じである。
つまりころされたも同然である。まあ刃を首元に突きつけられているも同然である。
ここまでやって、目の前のゴミどうぜんの存在を敵認定しないって。敵ではありませんっていうふうに本能を説得することが誰ができるのだろうか。
おれは、まあそうだな、まだ首をはねられてないので、敵と認定するのは早すぎるっていうふうに無理やり説得した
もちろん本能はかなり無理があるから聞き入れてくれるわけもない。落とし所としては、このまま首がはねられた、
こっちも殺そうねっていう、そういう暴力的な解決を決心することでしか、溜飲がさんがらなかった。腹落ちしなかった。心からの安寧が言えられなかった。
殺すとか殺されるとか、暴力とか。排除したいけど、実害があるし、実害が出てるののせいで生活がままならなくなって、人生崩壊することがあるので、まあまだ人生は崩壊していないし、崩壊しない可能性が高いんだけど、人生が崩壊するってのはのっぴきならない事情で絶対に回避しなければならい究極の絶対防衛ラリンであり、そこを、散歩感覚でまたごうってやつが目の前にいるので、本能がころすぞっていう感じの感情で埋め尽くされる感覚になる
そいつはまだ俺に実害をあたえて、まあいるんだが。実害には程度の差があって、人生がぶっ壊れるレベルじゃないなら、多少は許容しないでもないって
気持ちがある。いちいち態度が悪いとか、挨拶がないみたいなことで怒ってたらしんどいからこの考えと行動はわりと合理的ではある
その合理的な判断のさきには、おれの人生壊すような結果を引き起こしたら殺す、っていう、この近いもまた、実際の暴力をこの場で発生させないたいための、きわめて平和的な解決の模索であり、暴力の未来への先送りである。
暴力の未来への先送りって、かっこいい言葉んだな。まあためてためてどかん!何だけど、どっかで小さくドカンするのが良いんだろうけど
過去に何回かやってるんだよなぁ。やっぱり殺すしか無いのかな。未来が暗澹としている。殺したくはないわ。しょうもない
ウホウホウーホ、ウホホホー。オデ、オマエ、コロス
全候補は長くなるので一人ずつ書き起こしていきます。記者の質疑応答に関しては各自確認を。西村さんは、最後の方で原稿を確認しながら喋っていました。
https://cdp-japan.jp/leadership-election/2021/
https://anond.hatelabo.jp/20211120003323
https://anond.hatelabo.jp/20211120174745
https://anond.hatelabo.jp/20211120191505
私は新潟の米農家で生まれ育ちました。その地元新潟では半世紀ぶりの女性の県会議員として初当選させていただいております。また、学生の頃から海外に足を運び、国際協力のNGOの活動を通して、日本という国、地方を内側・外側から冷静に見つめ続けて参りました。地方の声、そして女性の声、草の根の声、これをしっかりと組み上げ、そして生かしていくことができると確信をいたしております。
私は今回の選挙の結果を本当に残念だと思っとおります。各地で多くの仲間の皆さんが大奮闘されました。比例の票は少々上積みされましたけども、議席を減らす結果となってしまいました。このことを敗北とみなければいけません。しかし、私たちが訴えてきた社会像、政治のあり方、これが否定されたんでしょうか?私はそうは思いません。お互いさまに支え合い、いざというとき助け合っていける社会。人間誰しも躓くことがあります。誰しも人の助けを必要とする時があります。そういうときに当たり前に手を差し伸べていける社会。それを立憲民主党は目指してきたはずであり、そのことを訴えきることが叶わなかった。ボトムアップの政治を再起動するために、この代表選を契機として党の立て直しをやっていきたいと決意いたしております。
世の中には理不尽なことがたくさんあります。今回の新型コロナウイルス感染下で医療を受けることができずにご自宅、あるいは待機をしている中で命を失う方が多数出てしまいました。なんでこんなことになったのか、本当に悔しくてなりません。また、営業自粛、休業要請、こういったことで非正規の方々は職を失い、収入をなくし、生活困窮に陥ってしまうことが本当に多く生じてしまいました。もとより非正規の方が置かれていた状況は新型コロナの感染下だから悪くなったというのではありません。本当にギリギリのところで頑張っておられたのに、そこに追い打ちをかけたのが今回のパンデミックであったということです。経営者の方もご苦労されました。飲食業や観光業、あるいは宿泊、輸送の方々、頑張っておられるのにどうしてこんな理不尽なことが起きてしまうのか。私は政治の力でこうした理不尽を一つ一つ無くしていきたい。みなさんの困難に寄り添って、一緒に歩いてその問題を解決していきたい。
さらにこの国は少子高齢化、あるいは気候変動、のっぴきならない問題が山積しております。いま必要なのは多様性を力に変えるということです。地方の力、女性の力、草の根の力、それを生かしていくことが日本の社会にとってどれほど必要か身を持って感じております。私自身、49歳で初めての出産を経験し、もうすぐ5才になる子どもの子育て中です。そういった生活感のある政治をやっていきたい。派手なパフォーマンスや人気取りな政策が横行しがちな政界ではありますが、私は私の持ち味を生かして一つ一つの課題や困難を地道に解決に導いてゆく、そういうリーダーになっていきます。
重点政策としては、まずは命を守るということ。そして、一人ひとりの暮らしを社会で支えるということ。自己責任論から脱却し、お互いに支え合う政治を実現していきます。子どもや子育て、若者の未来をつくるために予算を倍増していきます。そして、新自由主義から脱却し、格差をなくすための経済政策、あるいは地域資源を生かすための経済政策へと転換をしていきます。人と暮らしに投資をする公共事業に重点を置いていきたいと思います。生き方の多様性を守り、世界とアジアのなかて日本の強みを活かし、理不尽を許さない政治を実行していきたい。
なんでも「交代制勤務が始まっているため、在宅勤務日に接種を受けると丁度いい」とか「夏休み期間中に接種を受けると丁度接種後が休みになって丁度いい」といった理由で公務員の間ではワクチン接種を是非このタイミングで受けたいという希望が相次いでいるようだ。
なんでも「基礎疾患なんてものは言ったもんがちだ」とか「ちょっと太っていれば見た目より重いんですと言い張ればBMIは偽れる」とか「どうせ医者はカルテをいちいち見てない」といった理由で基礎疾患の虚偽申告をするのが当たり前らしい。
なんでも「俺達はお国のために働いてるんだから倒れるわけにはいかない」とか「交代勤務だと実質ワンオペだから副反応でただ休むわけにもいかない」といった理由で公務員様なら虚偽申告も愛国無罪になるらしい。
なんでも「そもそもアホな若者がマスクもせずに騒いでいるだけなのに俺まで巻き込まれてられない」とか「ただの風邪なのにPCRで陽性になるだけで2週間隔離とか仕事にならない」といった理由でのっぴきならない事情があるらしい。
なんでも「オリンピックが終わったら本格的に緊急事態宣言だ」とか「そうなってもワクチンを打っておけば交代勤務が免除に出来るはずだ」といった理由でなんとしても今ワクチンを摂取したいらしい。
オッサン達は、マスクもせずに楽しそうに酒を飲み、なんもかんもオリンピックで浮かれる世の中が悪くて、自分たち公務員は純粋な被害者なんだと愚痴をこぼし続けていた。
こんにちは。人生や恋愛を上手くいかせたい女性のために本質思考をアドバイスする、匿名ライターの増田太郎です。
昔からメンヘラ市場で、まことしやかに噂されていることがあります。
それが、「ホストやヤンキー上がりでカウンセラーをしてる男はヤバい」というもの。耳にされた方も多いのではないでしょうか。
ただ、何をもってしてヤバいのか、どうヤバいのかを具体的に説明できる人は少ないように思います。僕自身、この情報を散々耳にしたことがありますが、「そういえばなんでヤバいんだろう?」と改めて疑問に思ったので、記事にさせていただきます。
まず、ホストやヤンキー上がりで、カウンセラーをしてる男性がヤバいのかヤバくないのかでいうと、ヤバいです。もちろん、臨床心理士や公認心理士など資格を取り、のっぴきならない事情でグレてしまっても、元から興味があった場合はしょうがないです。
しかし、そういった事情もなく、現役で活動ができなくなって転職した男性は、何かしら欠落したものがあると考えて間違いないと僕は思います。
何が一番欠落しているのかというと、言うまでもなく「倫理観」と「責任感」なんですよ。しかも、倫理観が欠落していると派生して起こるデメリットが凄まじくて、その被害の矛先は一緒にいる人に向くことが多いです。
カウンセラーになるケースは、自分自身に原因があるケースがある
ホストやヤンキー男性の場合だと、そのデメリットの矛先が女性全般に向いているわけですが、多くのケースでは、女性は好きで相手に貢いでいます。
いくら口では、「早くうちのカレシは正業に就かないかしら」と言っていても、本当に男の自立を促す女であれば、「いついつまでに出て行きなさい! その期限を過ぎたらお金渡さないからね!」というように、強く言い続けます。
それでも正業に就く気配がないときは、強硬手段に移ることも珍しくないですね。
口ではそう言いつつも、ホストやヤンキーと生活し続ける女性の多くは、なんだかんだ言って相手がいなくなるとさみしいわけです。
だから強く出ないのですが、中には相手が仕事をしないことに何の疑問を持たない女もいるので、ホストやヤンキー男性の同居背景の多くが、「共依存」の関係にあると言えるでしょう。
ちなみに、ヤンキー先生(自由民主党所属の衆議院議員、元法務副大臣)の存在が問題視されることがよくありますが、有権者に迷惑をかけていないのであれば、それは自民党の問題なので、他人が口を挟むことではないと思います。
ただ、そういった男性が正業を持とうと資格を探し出し、カウンセラーになったときに苦労を背負い込むことになるのは、確実に相談者なんですよね。
ホストやヤンキー上がりで、のっぴきならない事情でグレた場合以外で、今まで正業に就いたことがない男性と、ヤンキー先生を一緒にするのはかわいそうだという声はあるかもしれませんが、倫理観の欠落という観点だけを見ると、どっちもどっちな気がします。
なぜなら、ホストやヤンキー上がりの男性も、ヤンキー先生も、ほとんどの場合次のような共通点があるからです。
・一般的なサラリーマンが一ヵ月生活できるだけの収入を知らない
・めんどうくさくなるとスゴんで相手をビビらせればいいと思っている
・いざとなれば昔のツテでケツモチをしてもらえる
などなど。
このような共通点があるのですが、「俺は家事やってるよ!」「経費は必要なものだけきちんと精算してるよ!」というような男性も中にはいるかもしれません。
でもそれ以外のことを支援者がやっているのであれば、何の言い訳にもならないし、倫理的に問題があることに変わりはないんですよね。
――飽きた。
後はゆたぼんパパとか混ぜてテキトーに書けばよく燃えんじゃね?
https://www.c-c-j.com/course/psychology/mental/column/column01/
だいたい民間資格のカウンセラー調子乗りすぎなんだよってのもあるが、藤本ってよく見たら資格ねぇんだからそもそもカウンセラーでも何でもねぇんじゃんww
精神科もそうだけどカウンセリングって治療エビデンスが確認しづらい上に状況悪化しても責任なんかゼッテー取らねぇし、元から腕っぷしと口八丁のヤツがテキトーに名乗って他人の身の上相談するだけならまだしも、士業名乗って偏見ブチマキとか放っといていいのかよってちょっと思ったんだよなw
義家はテキトーに引き合いに出したが正直良く知らねー。
頑張って更生して成り上がった連中を叩くってのは好きじゃないが、テキトーにチョーシこきすぎるとそういう連中全般が同じ目で見られんだよな。
「やっぱり元々**だった人は――」ってさ。分かってんのか? オマエラ。
最近増田あんまりyahooに上がってこねーけどどうした? 裏で遣ったり取ったりの資金でも尽きたのか?ww
義務教育と元ヤンカウンセラーとか中学生youtuberなんざオマエラ大好物だろうにw
なんなら元ネタの子供部屋だのフェミだの男女同権だのオタクだの混ぜ込んだら炎上フルコーススペシャルディナーだぞ?
オマイラ大好きだろ? ネタにされたくない人間の話を引きずり出してやり玉に挙げてポリコレ面でギャンギャン騒ぐの。
あ。もうちょい言うと過保護であるとかコロナ禍に於ける生活保障と公的支援、女性の自立と相談先の問題、なんてのは実は高度に政治的な話であって、日本の現状って行政が過保護過ぎる側面もあんじゃねーかなぁーって今ちょっと思ってる。
ウィルスは心配で職場の安全に疑問はあるけど労働争議はしない、給付金は欲しいけど増税は嫌、専門家やメディアは信用できないし行政も対応が遅いけど、自分はちょっと連休でお出かけしてきまーす、ドイツもコイツも人気取りだけどそれを指摘できちゃうアテクシかっこいー、今日は何人死んだ何人感染したそれもこれも政治が悪いんだって言いつつ世界的に感染率が低いのは見て見ぬフリ、ワクチンあくしろよおらー、みたいな?
連休なんだろ? 議論できてカッケー増田のいいとこちょっと見せてくれよ。
(因みにここ数ヶ月他のエントリーは一切見ていない。悪しからず)
文字数カウンター使うと引用が空行抜きで1723と本文(上二行まで)1055か。……めんどくせーな。
内容的には問題ないし、実際はそのまま引用する必要はなくて部分的にパロディしてみました♪ つってアンカー引用すりゃいいんだけどどうなんだろうな?
……まぁ何?
実際オマエいつまで匿名やってんだよ、煽りにしてもオマエのって品がねぇんだよとか口の効き方がどうのとかって話はあんだろうけど、普段から言ってる通り俺はお綺麗な言葉遣いで実際には手斧持ってこいヒャッハーな内容書いてる連中ってのが大嫌いでさ、流石に「1000万以下の納税者はそれ以上の人間にインフラを拠っているのですからワクチン接種順で同じなのは疑問を感じます」とかって話が今回は上がらなくて(・д・)、チッ って感じなんだけどその辺で副作用云々の報道してるとしたら上手くやってる感あるよね。(笑)
そうそう、ヤンキーとかヤクザのバランス感覚として「気合の入ってる連中」って言い方があってさ、これって意外と特攻精神と通じる部分があって、任侠だの武侠だのってその辺と繋がりを求めてるような気がちょっとすんだよね。つまりイモ引いて飛んじゃうやつは「気合が入ってない」ワケで、ドロ被って笑ってるやつは「気合が入ってる」ワケ。
こういうコト書きながら俺なんか体重60gで身長170mmの超ミニマム級でさ、たまにお花と動物が大好きな**でーすとかアピールしてるやついるけどこっちにとってはウサギさんとか巨象クラスだからな? レタス転がってきて下敷きになったら死んじゃうかんな? でも気合い入れて書いてるんだよ。……分かる?
何が気合必要かってさ、この間相模原行ったんだよ、相模原のやまゆり園。
それでさ、俺はタッパねぇから歩きだと10倍時間掛かるんだけどやる時はやるワケ。アイツって将来考えてプライマリーバランスを考えた場合にどこかで福祉を切る線引をしなきゃならないって考えがあったのかないのか知らねーけど、年収一千万とか保護されてる立場が云々って話になると実は
「この持ち方が正しいのは箸が食べ物を掴む食器としての役割があるからだ。その持ち方で支障ないって言ってるが、それじゃあゴマや小豆をつまめないだろ」
「そのあたりは掬い上げるような取ればいいんすよ」
「そんなことするんだったらスプーンでいいって話になる。刺し箸で食べる奴もいるが、それもフォークの方がいい。逆さ箸や合わせ箸とかだって衛生的に問題があるからだ。マナーとかそういうのを抜きにしても分かるだろ」
正しく持てている側だからポジショニングトークをしたいわけじゃない。
箸に限らず正しいのには理由があるが、個人的に無視していいこともあるだろう。
けれども“無視していい前提”で語ってくるなら、それはさすがに違うと言っておかなければならない。
でなければ、まるで正しい側が間違っていると認識されかねない。
「確かに、カジマのその持ち方は箸の機能をロクに使えていないね。数ある食器の中から箸を使う以上、ロクに機能を活かせていないのは合理的じゃない」
「それにマスダは作法を抜きにしてもと言ったが、実際は作法も大事だぞ。もし親戚が亡くなったとして遺骨を壷に入れる時、そのクセだらけの持ち方で本当に支障がないと思っているのか」
「えー、味方がいない。タイナイとウサクもそこまで言えるほど上等な持ち方じゃないっしょ!」
「まあ、それは確かに」
「む、よほどのことがない限り、他人にとやかくいわれる筋合いはないぞ」
「この持ち方は僕らの勝手だ」
「おいおい……」
でも直さずに生涯を終えられるなら、それはそれでいいとも思っていたりする。
たまに指摘された時にブーたれて切り抜けられるなら、そっちの方が遥かに楽なんだ。
だから“そんなの個人の勝手だろ”とか、“他人にとやかく言われる筋合いはない”と便利な言葉で突き放したがる。
「箸の正しい持ち方を教育したり、喚起したりするのは抜本的ではない。正しく持てていない者が現状たくさんいるのだから、システム側が現代の人間に合わせるべきだ」
「……なんだか含みのある言い方だな」
「だって個人レベルの問題を大局的な施政から解決しようってのは、むしろ遠回りだろ」
それに、皆やいのやいの言う割に“最も大きな理由”を隠そうとするのもヤキモキした。
「今さら箸の持ち方を矯正するのは面倒なんだよ」って言いたがらないんだ。
改めて考えてみると、俺たちティーンエイジャーの段階で1万8千回くらい食事をしていることになる。
その内の何割くらい箸を使っていたかまでは分からないが、1日に1回は使っていると見積もって約6千回。
いざ箸の持ち方を矯正するにしても、この6千回を取り戻すのは生半可なことではないだろう。
これの意味するところは、身も蓋もないことをいえば“面倒”という言葉に集約される。
だけど彼らがその言葉を使わないのは、それでは罷り通らないであろうと思える程度の通念はあるからだ。
事故で指を失ったとか、のっぴきならない事情で出来ないとかではない。
ただただ使いこなすのが難しい、今さら矯正が面倒くさいから、そのままでもいい理由にすがるんだ。
うっぷんもたまるよな、仕方ないかなと思っていたが、いちいち悪意が強くて癪に障る。
「会社の人間が仕事できない」「俺はちゃんとやってるのに相手がアレだから意味ない」などと2日1回は書き込んでいる。
自分としては、まあそのせいで残業になったりタダ働きしたわけじゃないんだから良いじゃない…と思うようなこともある。
のっぴきならない事情でプロジェクトが頓挫した〜とかの出来事を、口汚く罵ろうとは自分は思わない。
頓挫した責任は上司にはないのに、謝罪とともにその旨伝えてきた上司の気持ちも考えてやればいいのにと思う。
社内の人間が見てるのにここまで悪口をかけるのがすごいなあと思ってしまう
もっと言うと、正直彼の仕事が雑で周りが困ることもあるのに、そういったことへの配慮が全くないことに驚いた
彼は自分の効率化のために相手の効率を悪くする、手を抜きすぎるというところがあって多くの助けを必要とするが、めちゃくちゃプライドが高くてちょっと注意されると「あいつ敵認定!!」とか言い出すので皆手を焼いている。