はてなキーワード: 辛酸とは
俺が成功者として生きようがお荷物のクズ人間として生きようが、そんなの関係なく人類は発展していくだろ?
だって80億分の一だぜ??
自分の人生を歩むことなんて放り出して、進歩していくものを眺めているだけで満足していたほうが幸せなんじゃないか?
もし眺めている最中に、満足できなくなるくらい看過できない人類の問題を発見した人だけが、動き出せばいいんじゃないか?
現代のほとんどの人はそこまで深刻な差し迫った問題意識を抱くことはないはずだろ?
なのに社会に参加しようとし、苦しみに塗れに行くって変じゃないか?
先人が平和を築き、血族が衣食住の生存環境を与えてくれたのなら、その恩恵に可能な限り浸っていくのはある種の努めじゃないのか?
それとも今がどんな環境であっても後世の人間に同じ苦労、同じ辛酸の味を共有したいと思う人が多いんだろうか?
他業種に転職することのデメリットがでかすぎる年齢になって今更ながらに「あーこの人生を続けるのはしんどいなー」となってきました。
つまる所は社会に対して貢献できていると信じようとした気持ちが折れたんですわ。
別に社会にとって害になってるとまでは思いたくはないんですが……どうなんだろうね必要だと思わせてその実ムダなことに時間と金を使わせているだけの寄生虫なのかも。
これがヤクザやパチンカスや軍隊みたいな分かりやすい「自称『必要悪』(笑)」だったらいっそ全部割り切れたのかも。
でもなんかこう、自分の仕事はそういう枠じゃなくて社会の役に立ってるんだよーと信じようと努力したこの20年ぐらいの時間がね、結果としていざ自己茹で蛙化に失敗した際に受ける火傷の酷さに繋がったわけですよ。
いやー本当ね、結局仕事で一番大事なのって「俺は社会の役に立ってる」もしくは「俺は社会の役に立ってないけどうまい汁は吸えてる」って信じられるかだと思うんですよね。
社会の役にもたってない癖に押し売りをしている人間が当然のように味わうべき辛酸を舐めて暮らしているっていうのは、人生の物語の形としてとてもメンタルによろしくない。
悪なら悪で幸福になりたかったし、不幸であるならせめて善でありたったか。
こんな仕事をあと20年というのはキツい。
創作活動でもしろって言うんだろうけど、今の俺には創作活動が社会の役に立っていると信じることさえ出来ない。
だってさ、別に誰かが上手な絵を描いたからってそれで社会が本当によくなるか?
誰かがアフリカの飢えた子供に手を差し伸べようって思うために、プリキュアみたいなアニメを見て情操教育する必要があるんだとか言った所でさ、そもそも本当にアフリカに貢献してるのは、他人に手を差し伸べるだけの余力を社会に生み出している人達じゃん?
1人の一次産業者と1人の二次産業者がハーバー・ボッシュ法の魔法をつかってたった2人で100人を食わせることによって、誰かの手元に余ったパンが生み出されるわけじゃない?
貧乏を乗り越えて絵を描いて暮らしてるんだぞ俺は凄いんだぞなんて漫画家がエバった所でさ、そもそもお前が食べているパンを生み出すことにお前は貢献しているってどうして思えるんだよって話じゃない?
たとえば100人にパンを配るために頑張る配送業者、パンを実際に売っている小売業、そういった人達でもなんでもない人間が、社会に貢献してるってどうやって信じられるんだよ?
そうしたらさ、それがいろんな形に、それこそどこかの絵描きが絵だけ描いて暮らせるような社会的な余剰へと繋がっていくし、どこかの国で貧しさを理由に武器を取っていた少年兵が開放されて学校に通えるようになるって、そういう風に好きなように都合よく、自分がこの社会に貢献していることで世界が上手く回っていると信じながら生きられたと思うんだよ。
俺が本当に望んでいた形で俺の人生を使うことが出来なかった。
なんで俺はもっと分かりやすく、自分の望む形で自分の力を使っていると信じられる仕事につかなかったんだろう。
愚かな連中を俺が上手く導いてやることで、社会が効率的に回って余剰が産まれるのだ……なんて妄想を信じて学部を選んで、そんなくだらん全能感を捨てられないままに仕事を選んだんだ。
そしてなんでこの年になって今更後悔している……。
直接的に問題となっているのは既報通りの性加害があったかどうかで、それはしっかり裁判に明らかになるのだろうと思う。
一方で、この問題の本質は吉本興業、ひいてはテレビ業界や芸能界に蔓延している「強者は弱者を虐げて構わない」というカルチャーなんだろうと思う。
一度テレビ局で働いてみればわかるが、基本的にバラエティの現場での力関係は大御所タレントや芸人、プロデューサーやディレクター、中堅や若手タレント、その他スタッフの間には明確な序列がある。ましてやいわゆるADや若手芸人と言った現場最下層の人間に至っては、人権など贅沢品と呼べる扱いだ。
松本や相方の浜田がスタッフに怒鳴り散らかしているのは当人や周りが悪びれもせずネタにするほど日常的な姿だし、それはなにもダウンタウンに限った話ではなく多くの芸人やタレントに共通のメンタリティだと思う。
目の前の1人のスタッフや若手が尊厳を持った個人で、家に帰れば自慢のパパであり息子なのだろう、という最低限のリスペクトすら失ってしまった人間は、おそらくタクシーや飲食店での些細なミスに劣化の如く怒鳴り散らすだろうし(そういえばかつて番組のフリートークで散々そうしたネタを開陳し、客も大笑いしていた)、後輩が連れてきた初対面の女性を好き放題、欲望の捌け口にできる錯覚を抱くであろうことは想像に難くない。
おそらく、これは個々人の責任に帰するものでなく、彼ら自身がかつてはひどく虐げられながらも頭角を表し、のしあがった自負があるからこその傍若無人なのだろう。
そうした振る舞いが許されること自体が成功の証明であり、その地位を手に入れるために辛酸を舐めながらのしあがってきたのだ、という自負もあるのかもしれない。
中高の部活動で、先輩に虐げられた1年生が、みずから先輩となった時に後輩を好き放題に使えると錯覚するのと同じ構図だ。
つまるところの問題の本質が他者に対する絶望的なまでのリスペクトの欠如であるなら、それはダウンタウンに特有の問題ではなく、芸能界全体に蔓延する極めて前世紀的な価値観にあると思う。
そこまで視点を広げない限り、今回の騒ぎも単なる松本個人のスキャンダルとしてワイドショーのネタに消化されて終わり、不幸は再生産され続けることになる。
不景気のどん底での就職だったから仕方がないと自分に言い聞かせて頑張ってきたけどもう限界
自分が企画して苦労して8割仕上げた仕事を後から来た先輩に、「これからの仕上げはもっと大変だから俺も手伝う」と言われて、最終的にはその先輩がメインの担当になって、私はアシスタント的なポジションになってしまった。この時から、作るより奪ったほうが簡単で楽して評価されること気付かされた。次は一人で仕上げた。すると、その時の上司は私が仕事を仕上げたと同時に早期リタイア制度を使って会社を辞めてしまったから誰も評価してくれず辛酸をなめる結果となった。
どうなってんの?この会社?と思って管理職に目を向けてみると、派閥争いや幹部の御機嫌とりばかり。会社には、ある程度システム化された固定収入があるため、労力は内部の権力争いといった違うところに振り分けられていた。
イメージ的には、迂回できない道路の先頭をトロトロと幹部の乗った古い高級車が走っていて、後ろが大渋滞。渋滞の最後尾のほうは急いでいても急げない状態た。そんなクソみたいな会社です。
ものすごい弱いのって逆に「昇るだけ」って思えるから良い気もするんだけど。今年の甲子園の優勝校みたいに1世紀ぶりなんてのも面白いと思うし
(「我々は死ぬまでにチームの優勝を体験出来るのだろうか」状態。そこまでいくとさすがに臥薪嘗胆が過ぎるけど)
辛酸を嘗め続けているけど、ずっとファンで居続けるってのがいじらしいし人として信用出来ると思うなあ
というか、金で良い選手集めてるのになんで勝てないの?とかあるじゃない(勝てる選手なら人格的に問題あっても良いってスタンスもアレだし)
そんな中で、オーナーが金かけてくれないとか監督何でその人選?とかすっとぼけたことやってても、選手が地道に頑張ってるのグッと来ますわ
そもそも野球やサッカーのファンて「順位とか世評とか関係なく好き」を貫くイメージなんだよね
そういうの羨ましいと思う
生活や人生の一部や大部分が「好きなチームへの熱い応援」に捧げられているとか胸熱ってやつですわ
そしてドアラ先生には静止芸だけでも良いのでサステナブルな活動を期待して已みません
以上です
金沢駅前の鼓門は、金沢の人たちの来県者に対するおもてなしの気持ちが具現化したものだって聞いたことがある。 <h3>o- ********</h3>
704 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
北陸三県の県民性の違いを言い当てる言葉に、 「越中強盗、 加賀乞食、越前詐欺師」 というのがある。
生活に窮した時、加賀百万石・金沢の人は、 なすすべもなく乞食になってしまう。
越中富山の人は、強盗を働いてでも…越前福井の人は、詐欺まがいの行為をしてでも… 生残ろうとする。実際に強盗や詐欺を働くというのではなく、最後の最後まであきらめずに、 しぶとく生きようとする県民性を例えたものです。
富山といえば「配置薬」。戦前、常備薬の産業化に成功し、中国や東南アジア、中南米へも輸出するようになった。
相争う中国の軍閥双方に常備薬を売り付け、 負けた方から集金できないことを計算に入れて、しっかり利益をあげていたという…軍閥を手玉に取った話です。
一方の石川県人…「能登はかわいや土までも」と言われるように、 能登の人は純朴なことで知られる。
金沢の人は「おっとりしていて、お人良し」…直ぐ人にだまされる。
昔、 ねずみ講が北陸に入ってきた時…或はトヨタ商事事件の時…加害者側も被害者も一番多かったのが石川県…。
新しいことに直ぐ飛びつき、 友人や知人が持ち込んでくる話を、何の疑問もなく信じ込み…断れない。
災害に見舞われなかった石川県人は、苦労知らず…人を疑うことを知らない。
見栄っ張りでお金使いが荒く、派手好み。 家庭ゴミの量が” 日本一” というのも、 うなずける…。
ヤンキースの松井選手の故郷小松は、 表と裏の顔が違って見える。
同業者が足を引っ張り合い、 時折内部告発で悪事が表ざたになる…市場が狭いゆえでしょうか。
福井県に隣接する大聖寺は、十万石城下町のなごりでしょう…気質が金沢に似て、純朴でやさしい。
いよいよ竣工お引渡しのとき、能登の人は、 問題ケ所を箇条書きにして、誓約書を入れたら、その場で残金全額支払ってくれます。金沢の人は、誠意をもって問題ケ所を処理したら、支払ってくれます。
ところが高岡の人… 指摘されたクレームを全て処理しても、 新たに問題ケ所を出してきて、「何とかしろ!」と言う。そうこうするうちに、 「納期が遅延した」「引越しの段取りが狂った」と、 値引きを請求されたり、残金を踏み倒されるという、苦い経験をしている。
子どもの頃、 父親がよく愚痴っていたものです…「高岡の商人は、 仕入れる時に散々値切っておきながら、支払う時、更に端数を値切ってくる。
それに対して金沢の商人は、支払いはきれいだ… 端数を値切ることはめったにない」と…。
得られないものに対する恨み。
得られるはずだったものを失くした妬み。
それらがあって初めて動機になる。
何かを作りたいという欲求になる。
満ち足りている人間が自ら、何かを作ろうとすることは決してない。
だから、俺は認められるのが怖い。
俺は漫画家だ。
転々とバイトを変えながらも、今では同僚がほぼ年下で白眼視されるのが常。
それでいい。
だからこそ俺には描きたいものが描けるし、そこから活力を得ていると言っても過言じゃない。
俺は常に欠けていたいのかもしれない。
欠けたところが埋まってしまえば、俺はもう描く必要がなくなるだろうから。
彼女と居ると俺はそれだけで満ち足りた気になれた。
でもそれじゃあ駄目なんだ。
俺という存在をただ肯定されてしまったら、俺は俺が生み出すものを肯定できない。
俺がものを作るのは、漫画を描くのは、俺がこの世に存在していないからこそ居場所を作ろうと描いているのだと思う。
俺はそれに活力を奪われる。
だから認められるのが怖い。
認められてのうのうと暮らしている奴らが怖い。
何かを生み出そうともせずのうのうと暮らしている奴らが怖い。
Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活は2011年〜2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。
朧気な記憶と辛酸を舐めた感覚だけがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。
2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的に会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会も国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。
就活全体としては、説明会→ES→SPI/適正テスト→面接(グループディスカッション、一次面接、二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須。
何回も説明会に行って、何回も大学の支援センターでESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月、3.11が起きた。
行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店の日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。
それからクソ暑い真夏もリクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分に絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定を3月にもらった友人が4月に内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接、問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人で晒しあげる手段も空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。
就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気が全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区の工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラもサービス残業(20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。
会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望の業界に転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手の待遇の良い会社に採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達が全然変わることをすごく実感した。
こうやって書いてて思うけど、第一次氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨さレベルが比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。
ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分の世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色が全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。
年金、もう25年払い終わったし(今は10年でいいらしいけど)、国外に逃亡して、年金払ってないけど支給額は減るけど満期払ったことになる制度を利用して、年金分は自分で積み立てて、生き抜きたい。氷河期世代をゴミ扱いする、氷河期世代勝ち組の子供たち=超自己責任論者の若者世代が日本を盛り立ててくれるんなら、このバカ円安も止まるんだろうし(…どうだろうね。氷河期の自分、もう悲観しかできないからわかんないけど)
伊達に辛酸舐めてないから、海外ならもっと楽に暮らせるんじゃないかと思う。派遣でいろいろ仕事したから、まあまあいろんなことできるし、英語もまあできるし、氷河期世代の強みとして、ブラック企業も慣れてるから意外と海外でもしぶとくいけるんじゃね。カナダかヨーロッパが希望。ビザが大変とか言うけど、300通求人に手書きの履歴書で応募するより、楽なんじゃないかなと思う。
半ば冷静さを欠いて書き殴った呪詛のようなものがあまりにも読まれてビビった。
富山の男全員がそうではないことは承知だ、主語が大きく差別的な言動をしてしまったことは申し訳ない。女の部分だけでもある程度意味の通じる文章だと思うので、男の部分は削除および文章全体を一部修正した。
富山の男でも家事育児に積極的な素晴らしい男性も知っている。だが、それ以上にこの重すぎる役割に疲れて精神か身体を一時的にでも壊してしまった女性をあまりにも見てきてしまった。
記事内で「女性を男性と同等の仕事を課すようにしていてきたい(意訳)」とみた時に反射的にこれ以上負担を背負わせてどうする?優先すべきは家事や育児等福祉の外部補助の充実だろうと思い書いたのがこの文章だった。
勿論、大前提として女性が責任のある立場で活躍することは素晴らしいことだ。だがそれは必ず本人へのヒアリング(夫がその分家事育児をしてくれそうか)がセットであって欲しい。
個人の家庭環境を顧みず、トップダウン形式で会社の命令だか県の命令で一律に実行しかねないこの県であのメッセージは、疲労して身心を壊す女性が増えかねない。
ブコメで「上野千鶴子を生んだ地」、『ここは退屈迎えにきて』の作者山内マリコの故郷という言及があったが、まさにその通りであり、それと同時に「細田守を生んだ地」でもある。
合う人にはとことん合う素晴らしい場所かもしれないが、合わない人間にはとことん合わず恨み言を吐いてしまう場所。それがこの県だと思う。
逃げ出した私たちの事はもう放っておいてほしい、とにかく残っている女達を大切にしてほしい。
追記終わり。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230502-OYT1T50278/
「県外流出した20代前半女性」の当事者としては当然としか言いようがないし、的外れなスピーカー共にも腹が立つ。
ただただ辛酸を舐めることになる「富山の女」にはなりたくない。
この特有の雰囲気を問題点として反省するどころか指摘すらしない点に「だから富山を出るんだよ」と心底呆れた。
富山県は持ち家率が高く、共働き率も高く、三世帯同居率も高い。たしか世帯収入も高い方だったはずだ。
が、ここにカラクリがある。
富山で働かない女のことを「遊んでる嫁」と呼ぶ。つまり、育児家事のみに専念する女は、嫁として十分ではない、という烙印を押される。
では、男性と同様に働いた所で家事・育児の負担が夫婦間で平等に按分されているか?というとそうではない。
三世帯同居でやや負担は軽くなっているがそれでも子供の親のメインは「母親」という風潮だ。だが、仕事も一会社員として当たり前に勤め上げなければならない。
そしてここからが特有だが、子供が成人したと思うと今度は三世帯同居となって50-60代の頃に「5人家族の家事」と「孫の育児」に専念する第ニの女の人生が始まるのだ。極め付けにここに介護が加わる場合もある。端的に言って地獄である。
つまり、育児・仕事をしっかり両立して家庭を成り立たせ、壮年期には家政婦・乳母・介護者として家のことをするという完全に「家」に隷属してこそ「一人前の富山の女」として認められるのだ。
こんなハードモード一体全体何人がやりたい、と思うのだろうか?
何よりもたちが悪いのはこういった環境で育ってきた人間が多いせいで、結婚して嫁になる時の当たり前の水準がこれになってしまっており、周囲やパートナーだけでなく、自分自身でさえもこれをクリアしていないと「劣った嫁」という意識が生まれる。
つまり、結婚後の生活を見据えた時に女側見えている「これからやらなければいけないこと」があまりにも負担が大きすぎる。
家庭に隷属しない形で結婚し、子を産む場合はこの歪な前提を立ち向かう姿勢とそれに対して理解のあるパートナーを見つける必要があるのだ。
そんな億劫なことをやれる人間、そんなパートナーを見つけられる人間は一握りである。
それだけでなく、魅力的な仕事もなく、商業施設は統廃合される一方で介護施設ばかり増え、先行き暗いこの県に誰が戻りたいのか?
記事内では仕事で女性を男性と同等に扱うとか言ってるが、まずそれよりも家庭で男性も女性と同様に仕事を担うようにしろ、そして大半のそれらの仕事を安価で外部に委託できるようにしろ。話はそれからだ。
それと多様なライフスタイルを認めろ、「結婚して持ち家持ってこそ一人前」とかいう意味不明な風潮で圧をかけるな、他の生活を見下すな。
どうせ無理だろうし、これまでその「富山の女の役割」に耐えられなくて身心を壊した富山の女を数多みてきた自分としては絶対に戻ることはないだろう。
前提として、穏当に考えると
「日本政府に穏当じゃない場合が想定されるのが問題なんだろうが!」みたいなこと言い始めると上陸支援火力とは何か?の説明が進まないのでココでは触れないこととする。
上陸支援火力、文字通りの意味なんだけど、宇宙人でも誰もでも良いんだけど日本のような島嶼国家へ軍事力を持った勢力が上陸しようとする場合、当然ながらそんな危ない連中に日本政府と自衛隊は日本へ上陸されたくないので日本沿海に居る軍事勢力へバカスカとミサイルを含んだ砲撃をします。
ただ軍事勢力側もそんなことはよくわかっているので日本沿岸部へ展開した日本の自衛隊が好き勝手に日本沿海の自軍を攻撃できないように上陸支援のためミサイルを含んだ砲撃をするんです。
というかそもそも、元来日本の沿岸の大半は日本政府が認定した軍事勢力が上陸できるようになっておらず上陸作戦へ邪魔なものが多いのでそれを退ける(破壊する)ためにも上陸しやすいようにミサイルを含んだ砲撃をします。これも上陸支援火力です。
しかし、普通に考えると海の上の船から上陸支援火力砲撃をするとどう考えても補給が追いつかず弾切れになりますが、日本の沿岸部へ展開する自衛隊は陸続きで補給を受け続けられるので同じ破壊力を持った砲撃と想定するのであれば撃ち合いをすると勝つのは補給を受けて息が長く続く自衛隊です。
日本へ上陸しようとする軍事勢力もそんなことはわかっているので「じゃあコッチも対岸から日本沿岸部を狙えるような射程のミサイルで補給を受け続けながら上陸支援火力砲撃すりゃ良いじゃん」ってなるわけです。
ウクライナ-ロシアの様子を見て日本政府とアメリカ政府は考えました「対岸から上陸支援火力砲撃してくるのであればミサイル発射基地を壊してしまえば良い」と。
これが敵基地攻撃能力です。
この議論のポイントは戦争放棄していて平和的な思想が根強い日本国と日本政府は上陸しようとしてくる軍事勢力を打倒壊滅させようとしているわけじゃないってとこがポイントなのです。
アメリカ政府の考えは知らんけど日本国がやろうとしているのは上陸しようとしてくる軍事勢力の戦争継続能力の破壊です。
日本国は大戦の記憶から戦争継続能力への打撃に関して辛酸をまさにアメリカから舐めさせられているので、似たようなことを上陸しようとしてくる軍事勢力へ対してやろうと考えているわけです。
これの良い点は2つです。
そもそも日本へ上陸するためには軍事勢力は上陸部隊と上陸支援兵器を動かさなければならない、そして軍事勢力は上陸支援火力妨害のための日本の敵基地攻撃能力兵器を破壊しなくてはならないことが挙げられます。
すなわち、日本へ上陸しようとする軍事勢力は上陸部隊と兵器を動かすというほぼ先制攻撃みたいな動きをしなければならないこと、そして敵基地攻撃能力兵器を先制攻撃破壊しなければ上陸作戦が上手く行かないことが明確なことなのです。
つまり日本は敵基地攻撃能力保有の議論もしくは策定をするだけで、日本へ上陸しようとする軍事勢力へ大義名分を持って牽制することが可能というなかなか上手いことできているのが敵基地攻撃能力保有論なんですね。
いかがでしたか?
https://anond.hatelabo.jp/20230115203346
『大怪獣のあとしまつ』と『シン・ウルトラマン』を見て、後者より前者の方が好きだった人間です。
なにが好きかと言われれば、内輪で社会の上層部が枝葉末節に囚われ下品なことに汲々としている中
一般人はそのしりぬぐいをさせられ辛酸をなめるという社会のひずみがちゃんと描かれていたことなんですよね。
怪獣処理のためダムを決壊させる場面でも「恐らくあの避難民の背景の家とかは巻き添えで流されたんだろうな」と想像する余地がありましたし
そもそも冒頭の怪獣退治後の場面からして徴兵された若者が犬死していることを暗示しているっぽいです。
(※「生きていてよかった」みたいに多くの若者の関係者が抱擁する→それなりに犠牲があったのでは?とにおわせる/普通の災害派遣でそうなるとは考えにくい
そもそも背景のポスターに「お前ら兵役逃れは許さんぞ」みたいなことが書かれていたし)
そういう社会のいびつさというか、社会的弱者に災禍を押し付け自分だけ安全地帯でのほほんとするというチキンホーク的価値観を揶揄していた時点でかなり満足しました。
逆に『シン・ゴジラ』なんかは政治権力(=政府与党)こそ善であるみたいな価値観丸出しで気持ち悪かったというか、はっきり言ってゴジラの看板に下痢汁ぶっかけたもんだと思っています。
『シン・ウルトラマン』も似たり寄ったりな感じです。はっきり言って土曜の朝にテレ東でやっているウルトラマンの方が何倍も物語がちゃんとしているし、なんならそれと同列に扱われること自体憤懣やるかたないです。
親が丁度バブル世代なんだけど、若い時の話を聞くと景気もいいし、本人たちもどっか楽天的なのよ
学生時代は景気の良いムードの中で遊び暮らして、就職もそんなに苦労しなくて、就職してから景気は下がったけどなんとかなると思ってて、自己啓発とかしなくてもそこそこ昇給していい感じにやってきてるわけ
で、子世代の自分は生まれた時から不景気で、努力しないと貧困層に落ちると脅され続けてきて、勉強して大学出たけどそんなに給料は良くなくて、今後昇給もそれほど見込めない
となると世代間格差を強く感じるんだよな
子供の頃から親戚に同情されるほど勉強を頑張ってきて、それでも不景気の波から抜け出せない自分と、生まれた時代が良かったから楽観的に生きられてそこそこ立派な収入がある親を見てると、本当に人生なんて生まれた時代で決まるんだと実感する
だからこそ、今よりもっとひどくなる未来に子供を生み出すなんて考えられない
少子化対策とか無駄だよ、今から生んだ子は絶対に苦境を支える人柱になる運命だって分かってる
自分と同じかそれ以上の辛酸を嘗めさせるのは分かってるんだから、分かっててエゴで生むのか、生まないのかという岐路に今の適齢期の人間は立たされてるわけで
ほんとさ、ノーマライゼーションなんて噴飯もいいとこ
絵に描いた餅ってやつよ
目指すもんがちげえんだよ
「障害」なんてのは「克服」してなんぼよ
結局、「現在の医療・技術では限界です。なので、そのまま『自分たちで』社会に出てなんとかやっていってください」って話になる
なにが包摂だよ
阿呆かよ
医療と技術で障害が克服出来るようになるまでは、金かける(介護する人間を潤沢に投入する)しかねーんだよ
人目悪くても金が死ぬほど稼げるならもっとマトモな人間が沢山その業界に来るんだよ
それでも人力に頼るのも限界があんだからロボとAI頼みにすんだよ
(そのくらいの技術はとっとと一般化して欲しいね。宇宙で船外活動するレベルのものを地上でも楽に使えるようにな)
貧乏な国民から等しく毟り取って(金持ってる奴からはその何百倍も毟り取って)やってくしかねえの
そんなことみんな分かってるよな?
生産性の無いことに金かけられねー?
そんなもんお前、老人介護がこの世で一番生産性無いのに平気で金喰らいまくってるじゃんか
この世はメリットのあることの方が少ねーんだよ
メリット・デメリット考えてる暇があったら一秒でも早く医療と技術を発展させて後世に禍根を残さないこった
ウチラはその礎(犠牲者)なんだよ
犠牲者であってもそれなりに穏やかな心で余生を過ごしたいんだよ
「障害者・老人を見て見ぬ振りするのは精神的にきついけど、面倒見るのはもっときつい」
そんな辛酸舐めたくねーわ