はてなキーワード: 家人とは
ワイの家は山奥にある。ヤマトで担当している宅配便センタはここから1時間ぐらい離れた町場にあって、いつもヤマトの配達の人はえっちらおっちらそこを来ては、配達してくれている。
ヤマトには通販専用の外部委託している便もあるが、あれもワイのところではやってこないため、宅配便の正規のドライバーが運んできてくれるという状況だ。
さらに、ワイの家はちょっとした坂を登ったところにある。歩くと5分ちょいぐらいかかる坂の上にあるのだが、なんとヤマトのおにいさん、そこを荷物を持って駆け上がってくるのである。
大変申し訳なく思っている。
ワイの家は、ミカン畑の岡の上のようなところにある。道はそのミカン畑の間を縫うようにつづら折りになっていて、舗装はされている(親父が若い頃、祖父と一緒に手練りでコンクリートを練っては、コツコツ舗装したコンクリート舗装の道である)が、2トン車までならギリギリ通れるだけの道幅しかなく、通常の一般道では考えられない急勾配なのであった。とはいえ、慣れていれば登れる、と言うようなところであった。
道を最後まで上がってしまえば、庭はあるので転回はできる。また、普通車どうしなら途中にちょっとよけ会える場所(農作業の時に軽トラを止めとく場所)はある。まぁ、トラックだとどちらかがバックしなければならなくなる構造であるのだが。
とはいえ、ミカンは木の高さを低く育てているために見通しは欲、登ろうとする坂に車がいるかどうかは見ればわかるし、その先にはワイの家しかないので、ぶちあうとしてもワイの家人ぐらいであり、もっといえば今では車を運転するのはワイだけなので何も心配は要らないのである。
と、言うことをヤマトの兄ちゃんに説明をするのだが、安全上のルールなんで!大丈夫です!といって、坂の入口の広い道に車を止めて、元気よく荷物をもって坂を登ってくるのである。
以前、通販で介護用の昇降椅子(80kgぐらいある)を買った時は、ヤマトホームコンビニエンスの家具便で届いた。この時は運転手と荷運び2名で来てくれるというが、流石に運んでもらうのは申し訳なく、坂の下に軽トラを用意して待ち伏せし、そこで移し替えて受け取ったりもした。
タワーマンションでは配達するのに30分かかり、能率が上がらないと言う話があった。それを言ったわワイのところなぞ、1時間かけてきて、さらに往復10分坂を登って、さらに1時間かけて帰るような立地であり、マジ申し訳ないと思うのであった。
まぁワイの家の近くには通販で商売しているパン屋さんがあり、そのパン屋さんは毎日ヤマトで大量のパンを発送するとか、平日には他にも工場があったりで集荷が必ずあるようではある。
仮に時間指定がされていてもサクッと無視して、だいたいそれに合わせて夕方に配達をしてくるので、ワイの家のためだけに来るわけではないのはもちろんなのではあるけれども。
いっそ、道の駅あたりにPUDOのような宅配ロッカーを設置してもらって、そこに取りにいくとかしてくれたほうが気が楽だなと思いながら、先ほどもついつAmazonでポチってしまった。
(´`)「…」
・家人たちで飼ってるネコだが最近になって彼奴が寝そべっているときに座布団を胴にかぶせてその上から座布団ごと大きく円をえがくようにぐりぐり?すると大人しくすることを発見し、ケージに戻すときに重宝している(結局こやつ噛み癖は治らんのだろうな…)
・急ぐときに仕方なく真横の道をとおるので「ぼちぼち行こか」に墓地は当てはまらない
・川の合流地点沿い道の大邸宅お取り潰し空き地大雑草原から茶トラの小さな毛玉四つ足のようなものがチョロチョロしているのを遠目にみとめて通りすがりに覗き込んだがわからなかった、キャットフィールドか…(なるほどわからん)
・券売機でのトナラーは初めてやわ…(まだ釣銭を皿から拾ってるときに真横の棚に異常接近してドンと荷物を置かれただけだけどそれでもなぁ)
53だからか、昨年の一年間は本当にゴミだった、おそらく他人からもそのようにみられていたであろう
今年度は54だからいよいよ御用(👮♂️🚔️🚨)になるのだろうか
華々しく散るのではなく地味にまるでもともと居なかったように消えてしまいたいのに
だいたいにおいて親切で言ってくれてることなんだけど、
それは必要ないです、
と伝えても伝わらない。
赤の他人であれば仕方ないんだけど、
(というか赤の他人の親切に必要ないと婉曲にでもなかなか言えない)
例えば、
④え、どうして?と質問してくる。
⑥なんで?
⑧なんで?
⑨普段からこのようなやり取りが頻繁に起こるので忍耐力がすり減っていて、相手をする気力がなくなり、イヤフォンをして他のことに没頭する。
⑫しばらくしてご飯が出来上がって、「出来たよ」と声をかけてくる。
⑮ワイ、絶句する。
というか起こっていた。
あの当時、俺はどうするべきだったんだろう?と今でも考える時がある。
とにかく、こちらの言い分が伝わらない。
なぜだったんだろう。
ここで言うガチとは、お守りをハサミで切るのにも特に抵抗はなく、悪い事したやつに不幸が降りかかってもバチが当たったとか思わず、事故物件であっても清掃が行き届いているかくらいしか気にしない人間のことだ。
でも、正月には初詣に行っておみくじを買うし、家人が「やっぱ悪い事は出来ないね、お天道様が見てるから」と言えば相づちを打つし、海外出張の前にお守りをもらえばちゃんと持っていく。それはまあ一種の社会性フィルタってやつだ。
そもそも、信仰は大半の人間にとって有用であるし、宗教というシステムも一部の例外を除いてはとても良く出来ていると思っている。有史以来宗教によって殺された人間は数多くあれど、宗教によって救われた人間だってそれ以上に多いはずなんだ。
だから彼らの信じるものを否定する理由などないし、気分を害するようなことをしても誰も得しないと思ってる。「無神論者たるもの信仰心を持った人を論破すべし」みたいになったら、それこそ宗教めいていて気持ちわりぃや。好きの反対は無関心ってな。
これ、決定的な勘違いがあって
なんで女が結婚できていたのかは、男が結婚「しなければいけなかった」からなんだよ
だから、会社の女性社員は結婚相手として入社してたし、上司が仲人する見合いとか普通だった
男が結婚しないというのがどういうことかというと
ローンが組めず、出世できず、親戚から指さされ、そいつとの友人付き合いを家人から批判されるレベル
結婚して一人前って世界だったから誰しもが結婚できていた(させられていた)
でも90年代くらいには、もう結婚してない事はそんなにデメリットを産まなくなった
普通にそこらに居るようになって、うちだけ恥かしい、なんてのも薄れていく
それ以前の余波が残ってからと言って時代が変わってない事にはならん
自分たちはこんなこと言われたって必死になって時代を否定したいみたいなんだが
温すぎてあくびでるわ
昭和舐めてんのか?って話
付き合い出した当初は猫を数枚被って一般社会に適応してくれていたようだ
猫が禿げてくるほど気を許してくれたことを喜べばいいのか嘆けばいいのかわからなくなってきた
以下、共に暮らしている中で引っかかる点を箇条書き
・ストレスに弱い
・暴言が多い
・「どうせあいつも俺の事など面倒くさい客だと思っているのだろう、だからこれくらい言っても良いはずだ」等相手の発言していない心境まで勝手に推理して勝手に暴言を吐く理由にする
・営業(職種問わず)、派遣業(運営会社の方)、接客業、保険屋、不動産屋、銀行マン、官僚、自衛隊などなどの業種(選定理由もよく分からない)およびそれらに務めている人たちを憎み目の敵にする
・理由を問うと「大学を出てそんな職業に就く意味がわからない、信用出来ない」とのこと 自分は就職先に意味などないのではと思ったがわざわざやらないでもいい職種だろうと言いたいらしい
・もう少し深掘りしてもらった際「そもそも人間はただの生き物なので、社会性で己を縛ろうとすることそのものが間違っている」「戦争も犯罪も汚職も発生するこの歪んだ社会がこのまま継続して行けるはずがない」「なので、ルールを作る側に属している職業の人間たちが憎いしルールを疑わず運用されている人間が信用出来ない」など、理解しきれた訳では無いが根底には厭世観がこびりついているようだった
個人的な見解だがこのままの思考ではこの人は大変生きづらいだろうと考えている
一緒に暮らすにあたって、他人が他人の人間性を全て変えることはできないとわかっているが多少の改善、改変は見込めないかとアプローチしている
「どうせあいつからは嫌われているはずだ」などの思考については、認知が歪んでいるように感じたので「本人からそう言われたのか」「第三者から『お前は嫌われているぞ』と言われたのか」など自分目線の話をしてみた
認知行動療法のワークや本を勧めても見た
しかし根底の厭世観をどうにかしなければ歪んだ認知はどうにもならないような気がしている
そしてこれ以上のアプローチは配偶者には難しいし不適切であるとも考えている
心療内科にかかってもらっているが、カウンセリングではなく薬の処方のみ利用しているとの事
もう少しプロ(心理療法やカウンセリングが出来る病院)の力を借りたいが、本人が改善を考えておらず、またプロ相手に心を開きにくい以上どう相談すればいいのかもわからない
この先どうやってこの人と暮らしていけばいいんだろう
いい所も面白い所もあるのに一緒にいてつらい所が全て帳消しにしていく
身バレしたらごめんなさい 見なかった振りをしてください
返信のやり方がわからない 読みにくかったらごめん
https://anond.hatelabo.jp/20240621082354
気に食わん職業があってもいいだろうけどなんで罵倒までするんだ 親でも殺されたのか と思った
https://anond.hatelabo.jp/20240621082934
見下していない訳では無い 増田自身がエッセンシャルワーカーなので、発言の度に喧嘩を買っていたら言わなくなった
https://anond.hatelabo.jp/20240621091120
笑ってなんか元気出た そんくらい単純でいいんだよな
https://anond.hatelabo.jp/20240621091446
眠剤と気分の落ち込みに対しての何かだったはず 詳細聞いてない
その理由は『靴下を裏返して履いているのが気になって仕方がない』と同じようなものだそう
別に放っておいても問題はない事象なので、いったんは指摘する言葉を飲み込むが、
『裏返しで履いているのには何か理由があるのか?🤔』など何をしていても気になってしまい、
結局、指摘する言葉を口に出してしまう(ADHD:衝動的で自制能力が極端に低い、ASD:こだわりや規範意識が強く共感性が低い)だそうな
あと、一般就業が厳しいのラインがクリアできている ADHD・ASD の場合、逆にワーカーホリックになりがちなのだそう
自分が興味があるものなら、ハードワークが微塵も苦にならなかったり、過集中するためだそうな
業中だろうが業後だろうが休日だろうが、パズルを解くような気持ち・娯楽として問題を解決・乗り越えるための手段を考えて実行に移したり、
ところで、サラリーマン人生とは、どれだけ要領よくテキトーに働くことが出来るか選手権だということは、皆様よくよくご存知のことかと思います
人生とは仕事だけじゃないしですし、そもそも他人のために自分のリソースを使いすぎるのは好ましくないです
しかし、ライフバランスを保つべく、要領よくテキトーにやっているところに、やたら正論を吐いてくるヤツ・やたら働きすぎるヤツがいたらどうでしょうか?
非常に邪魔くさいとは思いませんか?
これがテキトーができない健常者や発達障害が、サラリーマン(雇われ仕事)に向いていないと思う理由です
自営業者なら、延々と仕事をやっても、休日に勉強したり・対策を講じても、文句を言うヤツは誰もいないです
(仕事ばかりでご家庭のお仕事を完全放棄してるなら家人には文句言われるかもしれません)
ただ、起業してもそのほとんどは失敗するというのも残念ながら現実です
絶望的に組織に向いていないけど、ひとりでは身が立てられない場合は、サラリーマンをする他ありません
その場合は、経理や法務を担当するとほんの少しだけマシになると思います
経理や法務は基本的にテキトーは許されません。下手したらなんらかの責を負うことになるからです
以上です
ーーーー
※ちなみにIT業界は技術よりもテキトーが優先される世界です。専門家ぶってますが所詮はただのリーマンですからね
市場にまずいないレベルのスペシャリストになればエンジニア間でのテキトーは無くなりますが、
たとえば、Oracle や OSS 界隈で働けば1ヶ月もしないうちに
『あっ、俺、IT 好きだけど向いてはいねーわ。技術以外のこともしなきゃ』ってなると思います
純粋に技術のみでアサインして高給得てるのは極々少数です。それは GAFAM で働いてる連中ですらそうです
IT業界は誰でも何かしら出来る仕事がある・万人に開かれた業界なので、
それはまだ背中の羽根を無くした頃(Webメディアが今よりは多少元気だった時)の話。
今でこそWebメディアの記事=コタツ記事(取材を一切せず自宅から動かずに書ける様な代物)などと揶揄される事が多く
当時も似たような批判はあり実際に「ネットで調べた事をまとめただけ」で書かれた様な記事も少なく無かったが
ちゃんと実際に取材に行って記事を書く事も多かった。まだ多少は元気だったので少々ではあるが予算が出たからだ。
飲食店、美容関係(店舗)の記事が多かったが、実際に記事を読んでお店に行ってみた、みたいなコメントが増えて行くに従って
お店の側から「ウチの記事も書いて欲しい」と依頼される事が増えた。
「そういうのは宣伝になるので…」と穏便に断る事もあったが、結果的に依頼を請けて記事を書く事もあった。
さすがに金銭の支払いは拒否したが、「じゃあ代わり」にと次回の食事代を無料にして貰ったり(実際に行かない事も多かったけど)
美容関係だと実際にサービス・施術を受けてそれを無料にして貰ったり。
商品の宣伝だと、試供品を大量に貰って編集チームの面々で分け合ったりした事もあった。
高価な電化製品だと、自分はやらなかったが、こっそりオクに…という人もいた。
あくまでも「お金」を貰って記事を書いた訳では無いから問題無い――「という事」にしていたのだろう。
まだステマという言葉が一般的では無かった当時でもちょっとこれどうなの?と思う事もあったが
依頼する側も請ける側も特に問題視はして無かったので、「そういうもの」だと割り切る様にしていた。
記事を読む人は、自分達メディアが本当に良い、推せる!と思ったから記事を書いている、と信じていた人の方が多かったと思う。
記事を真に受けて大した事無い店に行って「実際に行って見たけど美味しかったよ!」とコメントを書くヤムチャみたいな人間は良い面の皮である。
ステマが問題になり、遂にステマ規制法なる法律まで出来たが、今でもステマ「的」なネットメディアはそこらにある。
例えば「◯◯先生のあの漫画は凄い!」とか、□□グルメの誰それが今もっとも推している!なんてのは大半がステマ「的」である。
記事を書いて宣伝する事により、別の媒体で誰でも(餃子みたいな坊主でも)書けそうな記事の仕事を「対価」として与えられるか
紹介の「お礼」としてお店で「接待」されるなど、あくまでも「金銭」は伴わない形での利益提供を受けている。
寧ろインフルエンサーやら人気ネットライターやらを標榜する人間が、一切のステマ的行為をした事が無い・利益を提供された事が無いという方が不自然だろう。
某ネットライターが某インフルエンサーを「ステマと指摘されたのは事実摘示の名誉毀損である」として訴えたという話を聞いて
当時の事を思い返しながら罪滅ぼし的に書いた。
話を聞く限りは確かにステマ「的」ではある。消費者庁の定義には引っかからないかも知れない。
しかし一般の目線からすれば「友人からの依頼で宣伝」「(人的資源の)利益提供」
があったという時点で「ステマ?」と思う人の方が多いだろう。
(ちなみに先程帰宅してきた家人に聞いた所「えっ?(それ)ステマじゃないの?」とあっさり言われた。一般人はこんなものだと思われる)
ネットメディアという虚業界人からすればこれが「ステマである」と認定されたら
自分達のやってる事の大半がアウトになるから戦々恐々になっているかもしれない。
既にライター業から足を洗って久しいし、今更自分に火の粉が飛んでくるとは思わないが
当時の自分達が書いた宣伝記事(PRとは書かれていない)を読んで真に受けたヤムチャ達からしたら
狼牙風風拳の一つでも叩き込みたくなる事だろう。
一般的に考えれば、例え金銭の支払い・商品の無償提供が無かったとしても
何らかの利益提供を受けて「これが私の一推し!」などと、さも本人が良いものであるる思って推している
かの如く宣伝している時点でステマ臭いとは思うし、何より読者・視聴者に『不誠実』だよね。
出来れば法律でガチガチに規制するのでは無く、界隈の良心に期待したい所だけど……難しいよね、やっぱり。
できちゃった婚だった。長女を授かったのがわかって妻の実家に挨拶に行った。
物静かな義父の反応がぎこちなかったのを覚えている。
皆年を取れば一部を除きそうなるのだ。
いつか自分も生きていればそうなる日が来る。
自分には両親がいない。増田が中学1年の夏頃に離婚して母に引き取られた。
その育ててくれた母も一昨年に亡くなった。
この年になってようやくわかる。
皆平等に老い、朽ち果てていくということを表面的にしか理解していなかったんじゃないかと
昔の3世帯同居というシステムは良く出来ていたんだなとつくづく思う。
義両親は介護の経験がない。特に義母はわがまま放題。自分が介護のつらさを体験していないからか、
身勝手な振る舞いが多い。自分の親の介護を経験している人は、自分がされる側に立った時そういった振る舞いをしない人が多いと聞いた。
3世帯同居は家人の老いと死を家族に見せて経験させ人の死を乗り越えさせるというシステムを内包していたんだな
義母は事あるごとに義父に対する恨み言を口にする
年老いた義母に「昔のことは忘れてこれから楽しめばいいじゃない」と勧めても、
先の短い体の不自由な人にとっては口先だけの慰めにしかならない
今を後悔しないように生きる
なんかネットでは信用のならない議論が繰り広げられているが、こういう時は信頼できるテキストに当たらないとダメだ。(ネット民のご意見なんか糞食らえなのはもとより、学術論文も、多くは新しい説を主張するために書かれていたりして、そのエビデンスレベルを読み誤るリスクが高い。)
信頼できるテキストといえば、信頼できる出版社から出ているコンメンタールである。ちょうど昨年6月に弘文堂の「条解」シリーズから著作権法が出たところだ。
以上のように、著作者人格権の譲渡や放棄が困難と解されていることから、実務上は、著作者人格権の不行使契約が広く用いられている。
(…)
従来の議論においては、著作者人格権の不行使契約(特に包括的な不行使契約)については、その有効性を否定する見解が少なくない。
これに対して、著作者人格権の不行使契約の有効性を明示的に肯定する見解もある(田村411頁、内藤167頁以下、高瀬亜富「著作者人格権不行使特約の有効性−一実務家の視点から」コピ662号(2016)48頁等参照)。また、起草者も、実演家人格権についてではあるが、
「本条〔90条の3〕の「同一性保持権」と前条〔90条の2〕の「氏名表示権」はいずれも「人格権」ですが、権利者と利用者とでこの「人格権」の不行使特約(権利を行使しないという契約)を結ぶことも当然ながら可能でございます。なぜなら、著作権は「私権」であり、権利者はこれを行使するかしないかを契約によって自由に決めることができるからであります」と述べている(加戸639頁)。(…)
以上のことから、著作者人格権に関する契約の有効性については、著作者人格権それぞれの性質を踏まえつつ、意思の明確性と具体性を考慮して判断すべきであるように思われる。また、同一性保持権については、20条2項4号が「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」を許容しており、そこでは諸事情が考慮されることから、包括的な不行使契約が締結されていたという事情もその一要素として考慮すべきものと考えられる(以上について、上野・前掲52頁以下、上野達弘「著作物の改変と著作者人格権をめぐる一考察−ドイツ著作権法における「利益衡量」からの示唆(2・完)」民商120巻6号(1999)959頁以下参照)。
ちなみに文化庁の著作権契約書作成支援システムでは、そのマニュアル8頁において
なお、利用者に自由に使わせる必要がある場合などは、著作者人格権を行使しない旨を規定する例も見受けられます。この場合、著作者としては、依頼者が著作物を改変、修正した場合や著作者の氏名を表示しなかった場合でも異議を述べることができないといった不利益が生じるため注意が必要です。
と注意を促した上で、同システムが出力する契約書では、たとえ改変を許諾する場合であっても
規定例(一定範囲での変更を認め、かつ、氏名表示を要しない場合)
第○条(著作者人格権)
1 甲は、乙が本著作物を利用するにあたり、その利用態様に応じて本著作物を変更したり、一部を切除したりすることを予め承諾する。ただし、乙は、これらの改変であっても本著作物の本質的部分を損なうことが明らかな改変をすることはできない。
2 乙は、前項以外の改変を行う場合は、事前に甲の承諾を得なければならない。
といった条文を出力するようにしている。
なお、議論のきっかけになった事件では、原作者が著作者人格権に基づき介入を行い実際に意向に反する映像化を防止できているから、著作者人格権の不行使契約は締結していないと思われる。