はてなキーワード: 慚愧とは
慚愧に「堪」えない
10/30 皆さまアザーーーーーーーーーーッス!!!!
感涙です😭😭😭泣
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「完全なる経営」エ-ブラハム・ハロルド・マズロ- (著), 単行本 – 2001/11/30
という書籍を読んだ。昔気質の経営哲学の内容だと思っていたが、神レベルの良書だった。
「マネジメント」「経営者の条件」などドラッカーの名著にも匹敵する。
若い頃から本好きだったけど、こんなレベルの本を読み逃してたと思うと慚愧に耐えない気分である。
よろしければ、皆さんにとってもバイブル本があれば是非教えていただきたい。
密林で検索して、よさそうであれば購入しようと思ってる。
(何ヶ月あいたのか、解雇された前職場の前で撮った写真の日付を見て、あのとき真面目に即座に転職キメとけばこんな現在にはならなかったのにね~と慚愧の念)
左の物を右に投げ入れるということしか理解できなかった、物の名前の略称で表示と呼称がスンナリ結び付かない問題と、物が置いてあるのと設置しておく場所の法則が解らない問題、あとは誰のための何をしてるのか理解できてない問題!
気になるのはベテランの指導者役じゃない方がワイには人当たりいいのにワイの1ヶ月前に入ったといってた人にめっちゃキツくしてたこと
ワイの担当はジェントルマンで助かったし助けられたからよかったけどそんでも午後はピリ辛なアトモスフィアの瞬間があった、進行みだして迷惑かけてすんません…
でもマスク無いと顔の下半分、口元がかじかんで喋りづらくなった
まぁ前々職の初日よりはマシな印象であった
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
なにかジャンキーなものが食べたいぜーー!と発起して食べたのが「今日の昼食」。
冷たいまま食べるタレザンギ(税込321.84円)、ロースかつ丼(税込648円)セブンイレブンにて購入。お箸とスプーンは自動で付いた。
でも高かった。コーヒー用のスティックシュガーと夜に食べる予定の金のマルゲリータも一緒に買ったら合計で1700円もした。たまげた。びっくらこいた。コンビニランチおそるべしだ。
ロースかつ丼はもちろん高いのだが「おすすめ!」というポップが付いていて心が動いた。
タレザンギは北海道グルメフェア。北海道に興味はないのだが以前食べた「冷たいまま食べるチキン南蛮」が美味しかったので無駄に期待が込められているのだ。タレザンギの意味はよく知らない。慚愧とは関係がないらしい。慚愧は自らの行いを深く反省して恥じること。
さてまずはタレザンギから。フタを開ける。香ばしい匂いだ。いや、香ばしすぎる。タレの他にかかっているのは小葱と、…にんにくか、これは。しまった、やられた。去年からにんにくは食べないことに決めていたのに。まあいいや。あと、匂いがやおきんの蒲焼さん太郎の匂いだ。たとえが貧相だ。味は、タレが絡んだ鶏肉の唐揚げ。これはいい。それ以上にやはり何と言ってもにんにくがくる。仕方ない、にんにくが入っているからだ。にんにく、にんにく、にんにく、と岸田首相がこだまする。にんにくだ。ああ、くそ。部屋が臭う。
どれ、かつ丼は、この二段式のパックの扱い難さには目をつむろう、味は、うまい。タレがやさしい甘さだ。これだよこれ。にんにくなどという過剰な味付けは不要なのだ。ロースは衣がザクザクしていた。肉はふつう。素晴らしい。満点だ。うむ、うまい。
https://twitter.com/HighWiz/status/1659537225535885314?s=20
Henry
@HighWiz
・支援者が必ずしも正しいとは限らない
・支援の在り方を見直すべき
言ってることは正しいよ。
投稿者:
Mi2
@otokita
まずもって、この度の梅村みずほ議員による発言で深く傷ついたウィシュマ氏のご遺族・関係者の皆さまに、深くお詫びを申し上げます。
12日(金)に行われた本会議登壇の原稿については、政調会が当該議員の執筆した内容を最終確認した上でなされたものですが、16日・18日と行われた法務委員会における質疑内容についてはまったく許可されたものではなく、著しく党の方針・考えから逸脱するもので、極めて不適切であったと認識をしています。
支援団体との関係性等について課題を提起する本会議場の発言が問題視された後、党としては丁寧な発信・説明が必要だと判断し、当該議員にはくれぐれも事実に基づかない発言等は慎むように厳命しておりました。
しかしながら、当該議員はその指示に従わず、16日・18日と立て続けに憶測に基づく、党内および関係省庁に提出していた質問通告からも著しく逸脱する自己主張を繰り返しました。
その中で発せられた
「ハンガーストライキによる体調不良でお亡くなりになったかもしれない」
このようなご遺族や関係者をいたずらに刺激する主張が繰り返されれば、当初の本会議質問の内容についても、党の考えとは異なる意図から発せられたと考えざるを得ず、最初の質問を許容した政調会の判断は誤りであったと言わざるを得ません。
参院維新執行部としては、速やかに当該議員を法務委員会から更迭する旨を決定し、また党に対しても厳正な処分を求める上申書を提出いたしました。
国会議員団政調会長である私にも大きな責任があり、慚愧に堪えません。改めてウィシュマ氏のご遺族ならびに関係者の皆さまに心より御詫びを申し上げ、再発防止に努めてまいります。
この度は誠に申し訳ありませんでした。
音喜多 駿
増田の家系には、官僚の子という家潰し屋が嫁として入っており、増田の母親だ
家族に対して生命保険契約を不正に使い倒すので、保険会社社長に証拠書類を送り付けて苦情するぞ
増田は轢き逃げ交通事故に遭ったが、損害保険屋は必要書類すら送ってこず、増田の過失扱い
裁判所ともども、損害賠償請求を踏み倒す気は満々らしく、「揉み消しなら任かせなさい」と言ったふうだ
増田はまだ生きてるが、兄弟も子がないので、古い家系は絶えるかもしれない
自分の将来のことを考えてきたし家系のことなど知らんがなと思っていたが
一応本家末裔の父親が医療攻撃を受けて死んだから慚愧に耐えない
その後、刺客から妙な留守電があり、焦燥した様子で何やらごめんなさいと言っていたが
既に演技警戒バイアスがかかっているので、ふーんまた新たに刺客でもよこすことを匂わせたいのかなと思うだけ
ごく普通の家庭が欲しいと思っていたが、こんなんじゃ長期的には最低限の安全すらない
本書いたところで、塵芥の下になるだろうしなあ
こんなんで死んだ人は気の毒だと思うよ
アカヒなんぞは家潰し屋を地元スター扱いで嘘を交えて報じてたから、カルトのエージェントだと思ってる
詰らん日記だな
運用監視の現場で週末も心休まらない皆さんこんばんは。一人運用チームです。
さて、世間ではDevOpsだのイケてるクラウド監視ツールだの楽しそうですが、そうでない人もいますよね。
もちろん、「運用チーム(実態は俺1人)」なんてのは、ペイグレードに応じた責任感で粛々と業務を進めて理不尽には応じないのがプロフェッショナルな態度ですが、
お銭を稼がなければ生きていけないのも渡世の世知辛いトコロです。
これから金を生むんだ!という強烈な人間が金を引っ張ってこない限り、コスパの悪いサービスにリソースは割り振られません。
つまり、今もし運用監視体制が限界ギリギリで踏ん張っている場合、拡充される可能性はありません。諦めましょう。
今回のみずほ銀行の調査報告書(2021年6月15日発行分)p114-p116におけるヒアリング結果が悲哀に満ちているのも当然と言えるでしょう。
教訓は、「維持メンテの人員が不足したら、それ以上増えない」というものですね。
維持されている(ように外部から見える)場合、余剰人員は不要なコストです。
さて、みずほ銀行の調査報告書を読むと、今回大ごとになっている「通帳の取り込み」というのは何度か起きていますが、改善されていません。
まあ、やりたくないよね、「障害が起きた時の顧客影響を抑える」なんて後ろ向きな投資。
なお、盛大な怒られが発生した結果、再発防止策として、今回の通帳取り込み5244件のうち4915件をなくせる仕様変更が入りました。
直せないのではないのです。直さないのです。
教訓は、「障害が発生しても、予算を握ってる人に被害が及ばない限り、リソースは降ってこない」というものですね。
過ぎたことは過ぎたこと。いま維持メンテがギリギリのところに新たにリソースが投入されることは基本的にありません。
外圧があれば別ですが。
さて、ここまででわかる通り、いま1人運用やそれに近い運用をしている皆さんに、追加人員は来ません。
リソースは降ってきません。予算は通りませんし、人員は増えませんし、なんなら残業代も出ません。
もうわかりますね?障害は握りつぶしましょう。出しても一つも良いことないんですから。
慢性的に時間がない皆さんに朗報です。実は時間を生む画期的なテクニックがあります。
業務について最初に、毎日1時間を「斧を研ぐ時間」にするのです。
大丈夫分かっています。今あふれんばかりに仕事があって実際あふれているんでしょう?
どうせあふれるんです。あふれさせましょう。どうせ怒られるなら「仕事」したいじゃないですか。
WARNINGやERRORまみれのログが定常的に出ている状態は、たいへんよろしくないです。
握りつぶしましょう。
「そのエラーは概ねもっと深刻なエラーが吐かれるまでは気にしなくて良いヤツ」みたいなのがあるでしょう?
消し去りましょう。痕跡すら残さずに。
そのために、運用監視用のログが必要なら、生成しましょう。その生成途中で握りつぶせば良いのです。
「ドラえも~ん、大量にエラーが出たら処理しきれないよ~」「のび太君それ全部処理するの?」「え?」「え?」
当たり前のことなんですが、人間には概ね4本以下の手しかありません。俺は2本派です。
運用チームの対応者が一人の場合、対応できる時間当たりの処理能力には上限があります。人間はオートスケールしないんで、当たり前ですね。
つまり、「同じようなエラーで同じような処理をしないといけないが、違うエラーメッセージ」というのは、無意味です。
さっき、自分が理解ってるエラーを握りつぶすことを日課にしましたね?
次の段階です。対応できるエラーだけ残して握りつぶしましょう。
もちろん、裏では垂れ流しで大量のエラーログは取っておく必要はあります。見るエラーは一つで良いはずです。だってまずそれ対応するんだもの。
例えば、1人の時に100件のエラーが出ても、3人の時に6000件のエラーが出ても、処理できないことに変わりはありません。
つまり、それは「記録には残すエラー」ですが「対応のトリガーにするエラーメッセージ」じゃ無いんです。
例えば、幸せなことにショートメッセージやメールに自動発砲できる場合、初手だけ発砲して残りは握りつぶしましょう。
飛行機や宇宙船で機長が言うでしょう?事故が起きてアラーム鳴ってたら、アラームを切れって。
アラームは気が付かないと困るからワーワー言うんであって、処理してる最中は邪魔なだけです。
握りつぶしましょう。
多少手荒でも良いんです。エラー即再起動みたいな乱暴な奴でもオッケーです。
思い出してください。リソースは無く、対応するのはあなただけ、維持管理出来て当たり前。
どうせクレームの電話がかかってくるなら、一人一人に真摯に向き合って丁寧に応対するのも良いかもしれません。
身命を賭してクレームに寄り添って慚愧に堪えぬその思いを真剣に伝えましょう。
その間に、システムは自動的に再起動し、他のクレームの電話は保留音を聞くことに飽きてきます。
慣れてくると、鼻をほじりながら「誠に申し訳ございません、今誠心誠意全力で復旧に」と喋りながらチャートを引っ張り出して手順を追えるようになります。
復旧手順RTAチャートの作り方は、珍しく潰しの効く能力になるので磨きましょう。
しっかりとしたチャート、常にチャートを見直す向上心、日々の走り込み、本番での平常心。
出てきたモグラを叩くのではないのです。モグラの出現順序を覚え、練習し、効率良く叩くのです。
さて、最近も陰謀が話題になりましたが、情報を知るものが増えれば握りつぶすことは難しくなります。
人を減らしましょう。
レポートラインは一本に絞り、その障害が起きたことになると給料が下がるタイプを相手に連絡を取りましょう。
うっかりミスからメールのCCから落とすのでも、手順書を作ったときに気が付いたら項目が無くなっていたのでも問題ありません。
残念ながら、その時不思議なことが起こって、連絡先が増えることもあるかもしれませんが、そういう時も諦めましょう。
出来ることは変わりません。
みずほ銀行の場合、A2以下の障害ランクの場合、頭取は別にニュースで初めて情報を知っても良いのです。
システム障害というから、なんか大変なことになるのです。インシデントだの障害だのは無くしましょう。
それは「予定されていた手順」なのです。
納品されたハードウェアには不備があり、雷は落ちてコンセントまで到達し、ケーブルは間違えて刺さり、ココしかないというタイミングで停電になります。
ただでさえ維持メンテの人員が足りてないのに追加機能や新規バッチが走ったりすることもあるでしょう。
チャートです。RTAチャートです。復旧RTAチャートを作るのです。
そのチャートには不足しかないかもしれません。ハードウェア故障→上司に電話、停電→上司に電話、みたいなチャートもよくあることです。電話しましょう。
それは障害ではありません。事前に探しておいたルートを走る競技です。
李下に冠を正さず。
例えカンムリが傾いてると分かっていても、問題になりそうな場所で手をあげてはいけないのです。
繰り返しになりますが、ペイグレードに応じた態度がプロフェッショナルには求められるのですが、お給料はいただきたい。
必要なのは、まず個別最適化です。あなたの仕事を減らしましょう。
余裕が生まれたら「この仕様は修正した方が」とか「週末にバッチあてるなら前の週末に復旧訓練をしましょう」とか言い出せば良いのです。
まあ、次にみずほ銀行が日曜に新規バッチを当てるときに、その2週間前の日曜に頭取を含んだS懸念の緊急対策本部を立てた訓練をするかっていうと、しないんじゃないかな。
つまり、そういうことです。
今一度、お付き合いいただければと思います。
まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。
「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」
「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」
とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。
お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。
一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります。
たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。
しかし同時に、私が一方的にご親族を非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。
元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗の教義や宗旨そのものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております。
身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体と言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。
今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。
ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。
そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないかと検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。
また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います。
お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。
合掌
お釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、
と仰せになりました。
お釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実 = 悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。
100人いれば100通りのものの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事をねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。
信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。
信じてくださった方には、
とお伝えしたく思います。
法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。
どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。
という言葉を遺しておられます。理想的とはいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法は平等に一切に施されるべきなのです。
これは浄土真宗の三大経典のひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子の阿難(あなん)に対して、
と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております。
我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています。
さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。
たとえば、もしもあなたが、
「世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」
と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?
「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)」
「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね」
と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?
我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。
世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門の尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通の人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗の僧侶なのです。
という言葉で表され、また
と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。
であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。
ありがとうございます。しかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。
もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間と人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議な現象は、なぜ起きたのでしょうか。
今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり、私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。
すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています。
私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています。
と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対の事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき、今日まで生かされております。この歓喜と慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます。
真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります。南無阿弥陀仏。
件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。
「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」
と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。
結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏。
現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います。
準備ができ次第、こちらの投稿に言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。
最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれるきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます。
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
ある漫画をさあ買ったんですよ。
2巻出てないけどウェブで公開してるかも?って見たら公開終了してんの。
単話販売とかももちろんしてないわけ紙媒体の雑誌じゃないから、
週刊少年〇〇とかをストックしてる漫画喫茶に行っても読めないの。
この世に存在してるのに16話以降何やっても今は読めないの。
なんかさあ最近さあ。
欲しいな、と思ったその次の瞬間には、Amazonで1クリックで購入のボタンを押しているわけ。
欲しいと思った瞬間それが手に入ることに慣れてしまってるわけ。
どうやったって手に入れられないんだから。
でもこういう無料公開をウェブでされていて、アクセスすることがかつてできて、
でも今金を払う術さえなく、それを手に入れられない。
絶望したよね。
すっごくストレスなんだよね。
インターネットアーカイブから違法アップロードサイトまで探したよね。読みたいから。
もはや読欲の怪物と化した俺は30分以上のネットサーフィンをした上で、
16話はどこにも存在しないことを悟らされたね。
ワンパンマンのように無料公開を永遠に続けるか、DMMのエロ漫画のように単話販売するか、紙媒体で出版してください。
そうでなければ無料公開しないでください。
ーーーーー[追記]ーーーーー
わたくしの文章力と記載不足により、皆様の誤読を誘引したことを深くお詫び申し上げます。
これは「web雑誌に連載されてた作品が単行本化せず打ち切りになり、web公開も終了し永遠に読めないことへの不満」
ではありません。
そのような正当で同情されるべき絶望ではないののです。
誤読された方の温かい言葉が、架空の絶望に向けられ打ち捨てられたかと思うと、慚愧の念に堪えません。
お詫び申し上げます。
またその架空の誰かに向けられた同情の投げかけが、いつか別の方の傷を癒すことを願っております。
この話は、
「近いうちに2巻発売されるけど現時点でそれまでの話にアクセスする手段がないことへのワガママ」
でございます。
そしてこの話の真意は、
の部分でありました。
Amazon1クリック、あれが良くないのでございます。あれが堕落させたのでございます。
「読みたい→ワンクリック→すぐ読める」を繰り返し繰り返してきました。
こんなことに慣れてしまったのです。
欲しいと思ったらすぐに解消されることに慣れた人間はまともではありません。
無料公開が、コマーシャルが、資本主義がわたくしを作品に誘導し
Amazonが、1クリックが、資本主義がわたくしに一巻を届け
そして無料公開終了がわたくしの望みを絶ちました。
何やら裏切られたような心持ちだったのでしょう。
こんなにも飼いならされているのに、と。
そんな、醜く正しくもない、かつて人のカタチをしていたコンシューマの
愚痴がこのエントリであり、それはしかし、同じような人が現代社会、多くいるだろうと。
もっとも共有しにくいものが共有される場所とされているこのはてな匿名ダイアリーに。
以上
12/18 するよ!
12/21 まだまだ余裕。
12/27 おわった!(56) 今年は楽勝だったー
「AQM もうそんな時期か・・・」みなさん今年はどんな一年でしたか?
「lli 今年はアナル以外も頼むわ」何がいい?
「aukusoe もう年の瀬だね。今年のガンバ。」良いお年を。
「jou2 ブクマするだけで他人の自由意思を1つ奪える機会が与えられた。俺達全員に等しくだ。多分100はいくけど年内に頑張れよ」今年は100は行かなそうだなあ。
「kenzy_n 無茶はしないで」今年は楽そう。
「Weintraub 赤玉出るまで?」毎年言ってるけど、出ないって。
「ninosan シコォ……」MASKMEN!
「fujitaweekend とりあえずお疲れ 」お疲れ様です
「sabacurry またキミか 」毎年どうも
「degucho これは承認欲求なのか? 」そんな感じ
「thnn 期待。」してください
「sds-page 一個目からすごいの来てた」あんなの序の口
「pribetch 増田が行く」逝く
「Hamukoro あくしろよ」君、去年もいたな
「shinagaki オナニーアドベントカレンダーってのが昔からあってな」知らなんだ
「KariumNitrate 3次はどっちでもいいけど2次は庵野?」一個ぐらい挟もうか?
「hinaho これ一日何回抜くんだろ」5回ぐらいでOKなペース
「Satoooon 25はきついだろ」余裕だろ
「kidspong ブクマの数だけ強くなれるよ」アスファルトに咲く花のように
「mtane0412 スタートがアナル拷問で期待できる」アナ拷最高だよな
「everybodyelse 死ぬなよ…👍」余裕
「tohokuaiki はいはい、年末恒例化してるね。いいね、応援するよ。」どうもどうも。
「sisya 既視感…と思ったが、 既視感どころの話ではない。毎年恒例だった。がんばってほしい。」もう五年目かな。
「anmin7 無理するなよ!」あいよっ。
「pptppc2 よっ、やってるね」あいよっ。
「kangiren 毎年アナル物で抜くよな、増田。」逆にアナル物じゃないAVで抜けるの?
「kowyoshi がんばれ」頑張る。
「AyanoIchijo えっこれ年内にやるの? 強い…」余裕っしょ
「zaikabou がんばってくだちい/と、思ったけど、なんでいきなり、そんなカルマの高そうな…/あ、専門の人なのか… 」ガンツ
「Cunliffe 2017年のを見たけどゲップが出た…。 」そんなに重たかった?
「ysync 抜きすぎるとケツが痛くなる事あるんだけど、あれって何?病気?/別にケツになにか入れたりはしていません。 」それはケツになんか入れているからです。
「river_side 始まりはいつも京野真里奈 」今頃なにしてるかな
「arearekorekore ビネガー浣腸という字面で泣きそう 」一番ダメージでかい浣腸です。
「reima 鳥で懲りてないのかこいつは? 」とり?
「new3 途切れてしまうとオナニーのしすぎでもしや…と心配してしまう程度には恒例となりつつあるような…良いお年を… 」お年を。
「アナルの撮影があるから、頑張ってね」と事務所に内容を聞かされずにやってきた京野さん登場、前作の天城夕紀がケツから鰻2匹入れられちゃってるジャケ写みせられて絶句。全然納得しないまま撮影開始。分娩台に乗せられてひたすら浣腸、ストレス太りのムチムチ感がたまらない。ビネガー浣腸で号泣、トイレで嘔吐。ゲロ休憩→明けてすぐ分娩台上四つん這い→ケツから鰻挿入、の地獄の流れで抜いた。最高。この後も全編抜きどころしかない。
殴られながらアナルめちゃくちゃにされて、最後現場から全裸で脱走して終了。なんか最近AV復帰してた。またアナルやってくれないかな。
怖い怖い言いながらケツからドジョウ入れられてる。怖いなら逃げればいいのにね。
これもアナル拷問系の最高傑作。アナル習字がうますぎる。前半に軽く肛門裂傷してるのが、後半のクエン酸浣腸の激痛地獄につながるという伏線回収。
直径5cmぐらいの極太ディルドをケツに入れられたまま尻振り踊りやらされてて可愛そう。
こっちはガチフィスト。男の拳が手首まで入ってる。めちゃくちゃグリグリされて肛門がボロボロ。
これはすごくいい作品です。ハードすぎてちょっとアナルめくれてる。
星川さんが人間辞めちゃってるやつ。逆さ吊りで便器に埋められるなど。
ケツにタバスコの瓶突っ込んだ後に絶叫してからの大暴れのシーンの間に編集点があるんだが、何があったんだろう。
だらしない体がたまらん。アナルにロケット花火挿して噴射する芸が面白い。
乳の下のところの線みたいなのは手術跡?
アナニーしながら目がイっちゃってる。地中に埋められておっさんのケツから飛び出す牛乳浴びせられる演出を考えてる奴は頭がおかしいのか。
セレブシリーズ。おばさんたちの前でアナルファックからの浣腸噴出がいい。女が女に辱められるのが好きです。
今年アナルモノやりまくってた人。便所で水ぶっかけられるの可愛い。
ケツに鰻二匹入るのは素晴らしいけど、ストッキング入りなのが残念。
大西もえ。牛みたいな体型だな。と思いながら抜いた。
S級女優なのにアナル頑張ってて偉い。極太ディルドはフェイクだけど。
これは良い。さすがのアナルヤリマンの羽月さんの肛門でも赤く腫れるハードさ。
ひっそりと非アナルをねじ込む。中野ありさ大好き。復帰してほしい。全身網タイツがかわいい。
自分コレクションの中でも多分これが一位。ありさちゃん復帰しねーかなー。
後半無茶苦茶乱暴に掘られまくった結果、肛門が赤黒く腫れてめくれかけてる。
前半は嫌がってる演技してるけど、からしとかタバスコとかうなぎとか入れられた後の脱走未遂のガチ感が良い。
今年のるいちゃんはアナルやりまくってる。来年はもっとハードなの期待。
鶏卵3個ケツから入れた後にちんこ入れて奥に押し込むやつが良い。アルコール大量に浣腸されてグロッキーになってる状態でアナル犯されてて可愛い。怒涛のドジョウうなぎタバスコ辛子浣腸の後にトドメのビネガー浣腸されて顔面蒼白で「もうすいません、ごめんなさい」って謝ってんのに浣腸やめてもらえないの可愛そうもっとやれ。
まったく偶然に、ほぼ10年ぶり以上にマイケル・ジャクソンのライブ映像を見た
この数年間は、彼のことを忘れていた
自分が最初に買ったアルバムの一つは、HIStoryという、彼のベスト盤だったことも忘れていた
むしろ、中二病の汚点の一つとして、彼のことを積極的に忘れようとしていたのかもしれない
繰り返された整形手術
浪費とネバーランドの売却
そして謎の死
最近彼のことを思い出すとすれば、それはひとつのカリカチュアとしてだった
タモリ倶楽部あたりでネタになるような、奇妙なかけ声、奇妙なダンスの人として
だが、彼が動いて歌う姿を久しぶりに見て、思い出した
世界中の人が彼のことを変態呼ばわりしようとも、馬鹿にしようとも、罵ろうとも
彼が作り出した音やダンスを越えることができなかった
彼の音楽が作り出し、世界を包み込んだ暖かさを否定しつくすことはできなかった
そうしたすべてのことを自分がかつて感じたということすら忘れていた
だが、年を取った自分が、元気だったころの彼のライブを見かけて思うのは、
どれほど自分が努力しても彼のようには生きられなかったということであり、彼はやはり本当の天才だったということだ
そして、人生をかけて成し遂げたいことなど何もなく、それでもそんなことをときどきは、うっすらと考えながら年を取ることに慚愧の念を感じるような年になってみて、
彼が伝えようとしていたことはたんなるきれいごとではなくて、それを彼は自分の仕事を通じて、本気で伝えようとしていたのではなかったか、と思うようになった
「2000万円のお返しになります」
コンビニのレジで女は言った。にせんまんえん、の、おかえし。通常お返しというのはお釣りのことで、通常この国で流通している最高額紙幣は一万円札だ。従って通常お釣りは1万円を超えない。にせん、まんえん。
追撃が入る。
「2月14日はバレンタインデーです。私は貴方に1000万円相当のチョコレートを差し上げようと考えました」
そんなものは貰ってないです。
「そう、ご存知の通りこれは諸般の事情によって果たせなかった。心より残念に思います。わたし、あそこのベンツの形をした乗れるチョコレートを差し上げようとチョコレートの魔女に弟子入りまでしたのです。けれどベンツでしょう?いかんせん禁煙がうまくいかなくて」
湯煎したチョコレートのボウルから螺子やホイールを引き出そうとしても、タクシー模型やら頭につける方のボンネットやらが出てきてしまうものだから魔女の3つの顔にかわるがわるダメ出しをされたのだという。
「ところで三倍返しというルールはご存知でしょうね?」不知ないし否認し「先月14日、私は1000万円を貴方に渡そうとしました」
あの。
「ですから貴方には今月14日、私に対して3000万円相当の『お返し』をする義務が生じているのです。未だ履行を見ていない私の1000万円については慚愧に堪えませんが、やむを得ず『お返し』の一部と相殺して頂くことにして、お返しは2000万円で結構ですよとこういうわけです」
そんなわけで2000万円の債務を負うことになった。