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2020-11-01

なんで本田スイミングスクール結婚できて俺がこんなに不幸なんだよ!

本田スイミングスクールという芸人結婚した。

ラスタ池袋で500円払って芸を見たから言う。あの時は笑わなかった。たまーにテレビに出ているこの人を見て、なんでこの人がテレビに出れるんだろう、って思ったくらいだ。

あんな人でも幸せになれたんだ。幸せかどうかは分からないけど。

そこはどうでもいい。どうでもいいんだ。本当のところなんてどうでもいいよ。メディアなんて感情の着火剤なんだから

なんでこれだけ真人間を頑張ってきた俺が幸せじゃないんだ、っていう点だ。

なんか、その一点にめちゃくちゃムカついていたけど、結論はたった一つ。俺が間違っていたってことだ。

何かが間違っていたんだ。直そうと思っても直せなかったところが何かあるんだ。覚悟とか、気合が、何かしら足りないんだ。。

多分、そうなんだ。じゃあ、なんなんだ??分からん。。。

31歳の年になって、何もできねぇ。クソつまらねえ仕事が終わって週末もクソ詰まらないことにイライラが募る。

2020-10-27

都心周辺で育った貧乏人だけど、地方出身貧乏人は不利(追記あり

追記ここから

ごめんね、わかりづらかったね。

推敲全然足りなかった、反省してる。

  • 私は裕福でない家庭に生まれたため、ある種のハンデがあった。
  • しかし、都心周辺に育ったために、ありあまる恩恵を受けた。
  • 都心近くの町で育っていなかったら、たいして勉強で突出した能力を持っていない私の人生もっと違ったものになっていたと考えている。

ここで殴り書きしているのはそんな話。

ついでに言えば、地元から身一つで出てきている人たち尊敬している。

本来持っている能力を皆が発揮できるような世界に少しでも近づけていけたらいいな、と心から思っている。

追記ここまで】

 

私は裕福でない家庭に生まれ横浜の片隅にある ちょっとお上品な町で育った。

都心近くに育った私から見ても、やはり地方出身(と貧乏人)は不利だと思う。

 

環境

 今でも私の家系には大学出身者がいない。私が唯一の例外だ。

 一般的に身近に大学出身者がいないことは、その人の人生に不利に働くもの

 だが、横浜の片隅にあり、比較的裕福な家庭の多く住む新興住宅地で幼少期を過ごしたことは、明らかに私の人生に良い影響を与えた。

  • 育った町

 小学校クラスは40名の大所帯。

 そのうち、上位5名ほどは中学受験をする人たちで、彼らは周りからちょっと浮いた存在だった。

 クラスの上位ではあるものの学年トップグループというわけでもない、少し勉強のできる目立たないグループに私は所属していた。

 

■町から受けた良い影響

ずば抜けて勉強ができたわけでもない私が、この町から受けた良い影響を列挙してみる。

 

習い事

 

学習教材

 

平和空気

 

パソコンマイコン)のブーム

※当時はマイコンと呼ばれていた。

 熱心なコンピュータファン小学生お年玉をはたいてエントリーモデル(7~8万円)を買い、

 裕福な家の小学生は親にビジネスにも使える標準機(一式で50~60万円)がプレゼントされた。

 

大卒ロールモデル

アスキーに載っていた先駆者たちの話に影響を受けた。AppleMicrosoftASCII創業の話など。

 プログラムかいて、大学中退して、会社を興すような人生にあこがれていた

 

結論

町の環境は、私の人生に良い影響を与えた。

 

■余談(大学卒業就職のあと20年経過して)

私は特別優秀な人間ではなかったが、町の人、家族、友人に恵まれていた。

家庭を作らない人生を選んだこともあり、今は親族の子どもたちの進学や就職支援している。

 

また仕事においては、IT業界中途半端マネージャーとして、

 - 技術は優秀だが、アピールが下手なITエンジニアたちの支援

 - 学習の機会に恵まれなかったITエンジニアトレーニング

 - 彼らが悪い境遇に陥ることがない程度に収益をあげる

といったことに精を出している。

うちのITエンジニアが「この会社にいてよかった」と思ってくれるような場所を作ることが、私の生きがいとなりそう。

 

私のような者にとっては、授かった幸運、受けた恩を周囲に返していく生き方は悪くない道のはずだと考えている

anond:20201027093705

2020-10-20

東京都区部で車がない家庭だった

書いてたら思い出話になってトラバするような話でもなくなったからただ流す。

東京都区部で車がない家庭だった。

親共働きで、それぞれの職種地位高校上がったころに隣県で不動産買って引っ越したことを考えるに、あの増田のいう車両保有数50%を超える世帯年収レンジにいると思われるが、車を持たなかったのはカネではなく確実に両親の思想だった。

車嫌いとは違うが、自家用車=Not for meな人たちだった。

しかによくタクシーを使う家庭だった。(昔は今より道を走るタクシー車両台数も多かったが)

スキーキャンプBBQ釣りのような遊びは着替えだけ持って行ってコテージに泊まって施設のモノをレンタルするもんだと思って育った。

家にアウトドア道具があるのはよっぽどの頻度で行くご家庭なんだろうなと思っていた。

自転車小学低学年で買ってもらって練習して、乗れるようにはなったけど、日常使いする用事は結局なく、サイズアウトして買い替えず終わった。(大学生くらいの頃に10年ぶり?に自転車乗ってちゃんと転ばずに前に進んで感動した)

父母は自転車持ってなかった。食料品日用品の買い物は毎週家の前まで届く生協がメインで、徒歩数分のスーパーで一回に買う量は少ないし重たいものを買うこともなかった。たまに少し離れた所の大型スーパーバスで行っていた。

幼稚園は家のすぐそばまでバスが迎えに来て、小・中学校は徒歩5分なので子供の送り迎えに両親が自転車という発想もなかった。

習い事絵画ピアノスイミングだった。どれも鞄ひとつ持って歩いて行くかバスだった。

電車が止まるような悪天候の日に遠出した記憶がないのでそのへんはよくわからない。

大人は、最寄り駅A(徒歩5分)か別路線の最寄り駅B(徒歩30分・普段バスでたまに歩く、夜遅いお出かけ帰りやスーツケースを持って空港に行くとき家族タクシー使った)までたどり着ければあとは歩いて帰るだけだったから、大雨大雪でもヤレヤレ~って歩いて帰ってきただけだった。

成長した今、結婚して子育てしている間も車と自転車のいらない生活がしたいし、かつそれを実現する場所に住もうとする相手とがいいなーと思っている。別に親が意図した教育だったとは思わないが生育環境の影響は思いっきり受けている。

2020-10-18

anond:20201018131541

年に何回かってのは草過ぎるので突っ込まないが、

 

普通に直接園に迎えに行くか休ませるよ

自分が通ってたスイミングスクール保護者が直接迎えに来てた

うちの親は子に関心が薄かったのでバスで帰った。運ちゃんが気を利かせて家の前まで送ってくれた

あと、悪天候増田タクシー使いたい時はみんな使いたい時だよ。スムーズに捕まるといいね

anond:20201018124300 anond:20201018125022 anond:20201018163637

そのマンションに大量に同園の人がいればそうなんじゃない?(驚愕)

普通は止めても迷惑にならないところ・短時間ならいけそうなところに停めて

保護者が迎えに来るよ

 

ただ、園の方針バスの運ちゃんの心遣いにもよるかもな

子どもの頃、バス送迎付きのスイミングクラブ通ってたけど

ちゃんによっては集合場所(ピックアップ場所)ではなく家の前まで送ってくれたりしたよ

集合場所(ピックアップ場所)使っているの自分たちだけだったので

幼稚園方針によってはそうじゃないの?知らんけど

2020-10-10

anond:20180227133049

すごく前の記事ながら。

自己肯定感が低くなった原因をふたつほど。

母が自分の正しいを押し付けていた

例えば九九や都道府県の暗記。メイクや髪のコテ巻き。蝶々結びにおにぎり作り。

「できて当たり前」ができない時に「母と全く同じ手順」で成功するまで叱られ続けた。

母の言う語呂合わせで都道府県は覚えさせられたし、おにぎりを握る方向が逆なだけで違う!と怒られた。

「母の考えが正しい」「母の意見を聞かなければ」が潜在意識にすりこまれた結果、「私は生きてはいけない人間だ」と15年間悩むことになった。

自死しなかったのは、私ごとき死体のために火葬費用がかかるのが申し訳なかったから。働けるようになったら死に必要お金を貯めてから死ぬから許してください神様.......の気持ち生存してた。

これは友人に数年間にわたり指摘され続け、理解できるようになった。

アラサーだがまだ死ぬべき人間感覚は抜けない。

常に他人比較されて育った

ひとりっこゆえ、母は周囲の子どもたちを手本に私を育てようとした。(これは大人になって聞いた事)

の子スイミングを習っている、中学部活テニスにしたらしい、高校はここにしたそうよ、バイト先はここがいいらしい!等々。

ライフステージごとに成功例を持った身近な人たちのアドバイスを連れてきた。

それを信じ込み、私の意見は「普通ではない」と否定され続けた。爆笑

同じ道をたどれど、成功例ほど成功出来るわけないので比較されてしまい、絶望される。

○○ちゃんはこうなのに.......と何度ため息をつかれたことか。死にたかった。

私なんかが生まれてきてごめんなさい、の気持ちでいっぱいだった。必死に頑張っても成功例のようにはいかず、苦しかった。

数年後、母に褒められたい一心で母の褒める人を真似してたんだ、上手くいくわけないわと気づいた。

子育てに関する論文のおかげ、ありがとう

ちなみに母に褒められた記憶はない。母はあるというが、記憶にないかしかたない。

これをみてる全親&未来の全親!まじで子どもは褒めて育ててあげて!自分価値観否定したり頭ごなしに怒らないで!ちゃんと!声を聞いて!子ども存在を認めてあげて!!!!!

あ~~幸せになりたかったな。

2020-08-21

早生まれだった自分語り

早生まれの不利は大人になっても続く』という見出し記事最近話題になっていた。

高校入試偏差値所得にも影響しているという記事で、統計的3月4月偏差値が約4.5違うというものだった。

  

1993年3月31日生まれ

6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長109センチ趣味スーパーファミコンドラゴンボールZビデオ視聴。

好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。

すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校不安を持っていた。

ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。

小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。

    

小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分勉強が嫌いかも。という感覚だった。)

そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。

今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。

5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。

しか学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生クラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが

職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラス勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。

当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。

そんなことを考えるものから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。

  

体育。一番小さいサイズ体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。

夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。

学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。

今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。

ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。

顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。

恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。

  

得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。

もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。

そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と

割り算プリントデタラメ数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミング先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。

考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。

  

小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。

国語漢字の覚えが悪く、社会科47都道府県いつまでも覚えられなくて居残りをした。

音楽練習したつもりだったリコーダードレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。

4年生から始めたスイミングスクール甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。

  

  

  

中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。

中学には水泳部所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。

  

(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)

中学運動会自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。

1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。

タイトル通り、この運動会には欠点があった。

夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。

毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。

  

1年生の5月頃に、先生から各組への割り振りが始まる。

夏組に割り振られた6月まれガッツポーズをして喜び、その学年の生まれ割合から冬組に割り振られた10月まれ先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月まれ4月まれかの確認あいっこが始まる。

秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。

  

秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。

運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらムードの冬組がうなだれていた。

中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。

ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。

  

から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。

きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)

  

  

  

高校公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制高校マイペースプリントを進め、コツコツとDTPデザイン勉強をした。

高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強Skypeながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。

通信制高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。

  

正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。

もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては

適切な学習環境必要なのではないか、と当事者自分は思った。

  

ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生自分と同じ誕生日の美しい先生だった。

聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。

きっと先生は、早生まれがどういう不利な状況にあるのか知っていて声をかけてくれたのかな、と思うと

なかなか声をかけられなかった過去自分歯がゆい思いを馳せた、『早生まれの不利は大人になっても続く』記事だった。

2020-08-18

売却癖

衝動的に手持ちの物を売り払う癖がある。

売り払うものゲームソフトだ。

親共働きで鍵っ子、家に誰もいない中私の遊び相手になってくれたのはゲームだった。

スイミングクラブ上級試験に受かったご褒美に買ってもらったマゼンタゲームボーイカラーと、ポケットモンスター銀

近所の金持ちにいちゃんが貸してくれたゲーム機が自分の家にあって、しか自分の持ち物になるなんて!箱から出したてピカピカのランドセルを背負った時と同じくらい嬉しかったものだ。

それから「いつかは卒業するだろう」と思いつつ中学ではファイアーエムブレムMOTHER1+2出会い高校では星のカービィUSDXタイムアタックに熱を上げ、大学ポケモンXYに出戻りし……

現在も私はswitchスマホを握り締めてゲームと向き合っている。

大人になったらゲームをやめるなんて大間違いだった。

しろアダルトゲームができるようになると名作ADVを男女BLの境なくやりまくったし、今はSteamやらDLsiteプロアマチュアの垣根なく無限面白いゲームを購入することができるのだ。

幼い頃のように没頭できる時間はなくなったけれど、購入本数は増えたと思う。

しかし、先述した通り私には売却癖?がある。

高校の時だ。私は手持ちのゲームポケモン銀とプラチナを残しすべて売ってしまった。

きっかけは正直思い出せない。ただ、私の高校生活はお世辞にも楽しいものとは言い難い。

友人とは一度も同じクラスになれないのに、とんでもない女(教師カマキリをくっつけておおはしゃぎする等)とは二年同クラスな上修学旅行の班も同じ。

本命に落ちて来た学校だったので授業のモチベも終わっていて、ついでに入学時両親が離婚した。

確たる理由はわからないが、私はゲームを売ってしまった。

そしてゲームをすることもやめた。親が禁じた訳でもなく、ほかに趣味がある訳でもない。受験勉強に打ち込むでもなく、高校生活を惰性で消費していった。

そして大学、私はふとゲームをやりたいという感覚に襲われた。高校から抜け出したことメンタルに余裕ができたのだろう。

衝動的におもちゃ箱(というかゲーム箱だが)を漁って手にしたのは、折りたたみ式のゲームボーイアドバンスSP。早速何かやろうとカセットを入れていた巾着をひっくり返した。出てきたのは、ポケットモンスター銀。それだけ。

そこからはもう怒涛だった。

「お母さん!ポケモンの古いゲーム捨てた!?」「アンタが売って良いっていったんでしょ!?」とかい迷惑まりないやりとりをして私は中古屋に走り、探していたものを見つけた。

ポケットモンスターサファイア不思議のダンジョン青の救助隊、闇の探検隊ポケモンコロシアム、ポケモンチャンネル………それからカービィ鏡の大迷宮USDXMOTHER1+2トマトアドベンチャー。ここに書ききれないくらいの私の思い出は、そこにあった。

けれど悲しいかな、大1でバイトもろくに始めていない私には全てを買い戻すことはできなかった。いつか絶対買い戻そう、そう胸に誓って500円箱なしのトマトアドベンチャーだけを手に私は店を出た。

帰ってきてすぐ、私はポケットモンスタープラチナを起動した。本当はサファイアをやりたかったのだが、私が手元に残しデータが飛んでいないソフトはそれだけだった。

すごく、面白かった。何をして良いのかわからず各街に飛んで聞くBGMも、適当に組んだパーティレベル80代のライバルボコボコにされたことも。

あの時得た端金で買った名前も知らないスナック菓子にかえていいものじゃなかった。何年越し、何十回目の殿堂入りを果たした時、私は泣いた。

そしてその夜、人生ではじめてバイト用の履歴書を書いたのだ。

人生初のアルバイト苦痛の方が多かったが、おかげでソフトほとんどは一年以内に買い集めることができた。FE系のソフトと一部のハード大学生の懐には痛かったけど、ようやく自分を取り戻せたような気がした。


……自分を取り戻せたような気がした?


ここに来て私はゲームに相当な依存心を持っていることに気がついたのだった。

職場ゲーム趣味について弄られると「まあゲームに育てられたようなもんなんで!w」と冗談で返したことはあったが、どうやら真実(マジ)らしい。

そして現在コロナ無職である

バイト貯金繋ぎつつ、精神を削られている毎日だ。

疲労ピークに達した時、ふとあの時の感覚が頭を過ることがある。売ってしまえばいい、と。

今手にしているswitchを手放した時、私は今度こそ自我を失うかもしれない。

2020-07-22

最近2日に一回ぐらいの割合プールに通っている。とても楽しい。泳ぎは全然下手なんだけどそれでもとても楽しい

行く前に YouTube水泳動画をいくつか見て、やってみたい練習方法を見つけたらそれをやる。それだけ。それだけなのにとても楽しい

自分のペースでやれるって言うのがとても良い。周りで泳いでいる人も、ものすごく上手い人ばっかりっていうわけじゃないから気にせずに泳げる。まあコロナの影響で空いてるしね。

小学生ぐらいの時にスイミングスクールに親に入れてもらったことがあるんだけど、お試しの1ヶ月期間の中で、早々に挫折した。正確には週に1回のスクールだったんだけど、2回目からもう行かなくなった。そのことを泳いでいる最中に思い出してしまうと、とてもつらい気分になって、呼吸が乱れるアラフォーのこの歳になってもまだ、小学校の時の思い出に引きずられているのかと思うと、情けないなぁと思うと同時に、時間が経つのは早いなと感慨にふけるなどしながら泳ぐのも楽しい

泳ぐ前に飲み物を買って、プールサイドにおいておいて、途中で休憩しながら飲むんだけど、目の前のプールの中にこんなに大量に水があるのにわざわざペットボトルで水を飲むという行為冗長さ?も楽しい

水を飲みながら、プールで泳いでいるおじいちゃんおばあちゃんも見ると、こんな年齢になってもこんなに泳げるものなのかと感動して、楽しい

俺は全然泳げなくて、プールの途中で足をつきそうになったりするレベルなんだけど、俺も定年退職する頃にはこのくらい泳げるようになるのかなあと思うと、また楽しい

YouTube説明してたのはこれか!とわかる瞬間がたまにあってその時はとても楽しい

泳ぎ終わったらシャワーを浴びるんだけど、さっきまで水の中にいたのに上がってからまたシャワーを浴びるという冗長さ?も楽しい

更衣室で着替えながら、泳ぐ前に見た YouTube動画を見返して、よしよし思ったように練習できたなあ、と満足感に浸る時間が最高に楽しい

帰り道、両腕と腹筋と配筋と太ももあたりに疲れを感じながら歩くのも楽しい

そういえば今日は何メートル泳いだんだっけ?最初は数えてたけどだんだんわかんなくなっちまったなぁ。まあたくさん泳いだし楽しかったらまあいいか。今度からちゃんと数えてみよう。あれ?こないだもそんなこと思ってなかったか?とか思いながら、自宅で晩御飯を食べるのも楽しい

プール楽しい

2020-07-04

俺もスイミングスクール年収1000万のスイマーなりたい

どの泳ぎ方が一番稼げますか?

2020-05-02

anond:20200502193207

スイミングスクールですげぇ泳いでるおっさんの腹がすげぇ出ているのを見て効果がないのを実感した

2019-11-22

海に出かけた カルキングゥ~!

可愛い娘とラブフィーリングゥ~!

なんと人魚だよ、ショッキングゥ~!

みんなで泳ごう、スイミングゥ~!

グゥ~!グゥ~!グゥ~!グゥ~!ググゥ~!

コォー!!

2019-11-19

勝負して決める」――唐突に思い出した子供の頃の出来事

子供の頃に行っていたスイミングスクールで他の生徒と言い争いになったことがある。

原因はよく覚えていないのだが、その後の展開が鮮烈だった。

喧嘩相手が「どっちが正しいか泳ぎの競争で決めよう」的なことを言い出したのだ。

幼い私は「勝負でどちらが正しいか決める」ということが全く理解できずひどく混乱した。

どう考えてもそれで正誤は定まらないし、納得することもさせることもできないと思ったのだ。

今、思うと自分感覚は全くもって正しかったし、彼の発想がどこから来ていたのか真剣に追及してみたい気もする。

実家が小さな個人塾なんだけど、なんで塾って悪者にされがちなんだろ

タイトル通りです。

地方都市で、しがない個人塾を父親がやってます講師父親一人。社長講師ってやつです。

みてるのは小学生から中学生まで。高校は難しいから教えられないって言ってた。

お月謝は学年によるけど、1万円から1万5000円くらい。週3、2時間+週末3時間です。

たぶん東京の人からみると激安なのでは。

これまで延べ1000人以上の生徒さんをみてきて、高校はみてないにもかかわらず、

大学合格したらわざわざ挨拶にきてくれたり、卒業してからもずっと年賀状を送ってくれたり、

卒業の子供が親子二代にわたって通ってくれたりと、それなりに愛されている先生なんだと思う。

子供からすると、父親は働きっぱなしで、休みもなく、全然遊んでくれないので、不満もあったけど、

自営業なので父親が働いている姿も見てたし、それなりに誇らしく思っていた。

なんかふとしたときに、父親が「うちは賤業で、すまんな」と言ったことがあり、かなりショックだった。

父親としては、サラリーマンだったり、公務員だったり、学校先生だったり、そういうのがまともな職業で、

自分のことは賤業として認識しているのか、ととても残念に感じた。

というのも、自分大人になってみると、「塾に通わず大学まで行った」とか「塾は下駄をはかせているだけ」とか

「塾は金儲け」といって塾を敵視する人にすごく合う。そのときはばつが悪いので、実家が塾であることを隠すのだが、

まり無意味攻撃をされているときは、「うちの実家は塾だけど、そんな感じじゃないよ」というようにしている。

(そういうと、彼らはバツが悪そうに、小さい個人塾じゃなくて、大手予備校みたいなところの話ね、と言い直すのだが、一緒じゃねえか!)

事実、塾に通わず大学まで行った人は経済的で賢い人だと思うし、

塾が金儲けというのは、他のすべての職業と同様、事実だと思う。あなたが通う定食屋携帯電話病院もすべては金儲けをしているのだし。

でも、スイミングスクールお絵かき教室体操教室スポーツクラブ悪者にされないのに、

なぜ塾はいつも悪者扱いなんだろうか?子供のころから不思議でたまらない。

勉強ができない子は反復学習でできるようになるまで付き合い、

学校勉強簡単すぎる子には、難しい問題を与えて、問題解決面白さや知的好奇心の大切さを伝える。

それって、そんなに変な職業なんだろうか?

学校が既にやっている?そりゃそうだろう。

じゃあ、図工の授業も、体育の授業も、学校にはあるのに、

なぜみんなお教室に通ったりするの?

それは良い指導者出会って、子供可能性を伸ばしたい、いろんな刺激を与えたいからじゃないの?

学校自分の子供と相性が良い先生がいればそれはとても幸運だけど、

それこそ選べないから、みんな自分お金を払って、いろんな教室に通ってるんだと思うんだよね。

そろそろ父親引退しそうで、なんとなく感慨深くなったので。

追記

おそらく父親世代にとっては、自営業がみっともないと思っていたのではないかと思う。

父親早稲田出身で、たとえば大学の同期などと比べたときに、みんなが名のある大企業のお偉いさんになっていたりするのに、

自分地方都市自営業だったので、引け目を感じたのではないか

自分にとっては格好いい父親だけどね。

急に廃業というのがその通りで、他の商売も同じかもしれないけど、

塾ってものすごく波がある商売なんですよ。

たとえば、毎年各学年30人くらいの生徒さんがいたと思ったら、

急に次の年の新入生は10人になったり、

かと思えば別の年には教室に入りきらないくらいの入塾希望が来て、お断りしなきゃいけなくなったり。

全然需要が読めない。毎年同じように教えて、同じように広告を打っていたとしても。

基本的固定費用は同じ(場所代自分人件費)だから

生徒さんが少ない年が数年続いちゃう廃業せざるを得ない。

そういう商売です。

ブコメを見てると、みなさん塾に対する悪印象がないようで嬉しい。年末帰った時に伝えてあげよう。

はてなにいる人は高学歴だったり、教育の大切さを知っている、または学校教育問題点を認識している人が多いから、

塾を擁護してくれる人は多いけれど、

世間全体ではそんなことは全然ないですよ。

たとえば、いまだに「子供は外で遊ばせるべき。塾なんて詰め込み教育!かわいそう!」と

批判してくる人やわざわざ家まで投書してくる人もいます

塾に通っていない人は、塾というのは教育の場ではなく、受験のための小手先テクニックを教える場所だと

思っている人がかなりの数、います

学校先生も、塾に対して嫌味なことを言ってくる人は多いです。

事実、私は小学校中学校では、教師にめちゃくちゃ目の敵にされていたので…。

良い点を取ると、お前は塾の息子だからと言われ、悪い点を取ると、父親は教えてくれなかったのか?と言われました。

しかったし、塾の評判が下がると困るので、めっちゃ勉強しましたが…。

会社に入ってからも、小学校から大学まで全部公立or国立で塾に通わず卒業した上司がいて、

その人は都内有名私立中出身社員をめちゃくちゃいじるめんどくさい人がいました。

「おぉ、お前ら、こんなこともできないのか。これは鉄緑会で教わらなかったのか?」みたいな。

(もちろん彼の場合はなんらかのコンプレックス発症していただけだと思います

世間全体で、東大生京大生を腐す風潮があると思うんですが、

それと同じレベルで、塾を敵視する人は一定層います

「え、東大生京大生を腐す人なんて見たことない!」と言うはてなーの人はいるかもしれませんが、

それはあなた環境がとても良いということだと思います

追記追記

塾が悪者にされたシーンを一度も見たことがない、そんな人に出会たことがない、という人へ。

92年うまれ。塾ブームが起きて、塾でたむろするDQNが授業を軽視するのが気に食わなかった。だから塾には行かず進学した自分が誇りだったし、増田が言われたようなことを思っているし実際に言った。これは現実の話。

私もずっといろんな人に同じことを何度も言われたことがあるので、個人攻撃するつもりでの引用ではありません。

でも、父親や私がよく言われてきたのは上記のようなコメントです。

私はこの方の意見がすごくレアものではないと思います

父親70年代から塾をやっていたのと、私が地方出身のためか、塾ブームがなんなのかよくわかりませんでした、すみません

最後に。今日増田を書こうと思ったきっかけ。

自分たちで教育破壊しておいて、これ。

https://www.sankei.com/politics/news/191118/plt1911180045-n1.html

「塾ばかりがもうかる世の中にすれば、日本は滅びる」んだそうです。なんで?

(そして、塾は英語民間試験なんて望んじゃいない)


二月の勝者は自分も今年読んで爆笑したので、父親にも夏に読むのを勧めました。

読みながら、東京の塾、こんなに高いのか…僕は経営下手くそからなぁ…って笑ってました。

二月の勝者は大手進学塾の話なので、生徒よりも親を見る、お客様扱いして集金するといったえげつないことをしてて

そこはうちの塾とは違うけど(してたら、いまごろうちの地域でいくつもの教室運営してたと思う笑)

生徒や親のエピソードは塾業界あるあるすぎるので、塾関係者は「あ〜こういう子(親)、いるいる」って笑えると思う。

伸びる子、伸びない子は本人や親と話すとすぐわかるって言ってました。

逆説的ですが、父親的には成績を上げることや受験に受かることを目的にしちゃうとよくなくて、

問題を解くのって面白いと思わせたり、もっと知りたいという知的好奇心を刺激したりすることが重要で、

生徒さんによってそのレセプターが違うので、手を変え品を変え、いろいろと玉を投げているようです。

二月の勝者、続きが気になりますが、すべての生徒さんにとって、受験自分ごとになるとよいですね。

みかづきは知らなかったのでさっき買った。今晩読みます

→読みました

https://anond.hatelabo.jp/20191120041544

あと,みんな、思った以上に塾のこと好きだったみたいなので、

いま30代でも40代でもいいから、通ってた塾の先生が存命なら年賀状で近況報告でもしてあげてください。

へぇーなんとか君、いまどこそこでこんな仕事してるのかー」とか

「なんとかさん、子供大きくなって、いまどこそこに通ってるのかー」と

毎年ニコニコしながら年賀状読んでます

2019-11-14

体脂肪率

34歳165cm62kg体脂肪率34.2%。明らかに隠れ肥満

リングフィット始めた。踏み台昇降スイミング毎日じゃないけどやってる。毎朝野菜スムージーゆでたまご脂肪燃焼スープ飲んで昼も脂肪燃焼スープとあとナッツ15g、夕飯はザバスプロテインと鳥ささみカルニチンとBCAAは飲んでる。リングフィットするときVAAMもつけてるぞ。

目標年末年始までに54kg体脂肪率27%くらい。いけるかな。

というか、正直、アラサーの皆さん体脂肪率どれくらいなんでしょう。

体脂肪率

34歳165cm62kg体脂肪率34.2%。明らかに隠れ肥満

リングフィット始めた。踏み台昇降スイミング毎日じゃないけどやってる。毎朝野菜スムージーゆでたまご脂肪燃焼スープ飲んで昼も脂肪燃焼スープとあとナッツ15g、夕飯はザバスプロテインと鳥ささみカルニチンとBCAAは飲んでる。リングフィットするときVAAMもつけてるぞ。

目標年末年始までに54kg体脂肪率27%くらい。いけるかな。

というか、正直、アラサーの皆さん体脂肪率どれくらいなんでしょう。

2019-11-11

小学校の頃の同級生がもうすぐ女装ものAV男優としてデビューする

もうすぐ小学校の頃に仲の良かった友達AV男優としてデビューする

しか女装もの作品で男にケツを掘られるというデビュー作にしては過激すぎると思う。

彼がどんな思いでAV男優になることを決めたのかは分からないが、小学校の思い出からその推測をしてみようと思う。

なんかツイッターガンガン自分を発信してたからここに載せておく。

twitter:https://twitter.com/sinosukedesu

<キムチをよく食べていた彼>

彼と出会ったのは小学校3年生の時だった。

いつも赤い服を着ていてちょっと小太りでクラスの中でも背が低かった。

親が中国人で家に遊びに行くといつもキムチが置いてあり、彼はいつもお昼ご飯キムチを食べていた。

自分の家で食べるキムチとは違って本場なのかキムチはとても臭くてゲロみたいな匂いがした。

何も気にせずムシャムシャと食っている彼は、遊戯王やろうぜと僕を部屋に誘ってくる。

本当にゲロみたいな臭いがして、くさいと言いたかったけど、彼が傷つくと思って、鼻を押さえながら、僕は笑顔でいいよーと言った。

暇なとき遊戯王をしてよく遊んでいた。

彼のおじいちゃんはとても優しくて、彼が欲しいと思ったレアカードはすぐに買ってきてくれる。

彼の部屋は遊戯王カードでいっぱいだった。そのおかげで僕が「このカードちょーだい」と言ったらタダでもらえた。

ある日、一枚7000円もするレリーフレアカードを買いたいと彼はおじいちゃんからもらったお金を握りしめて、カードショップに行っていた。

彼が家に戻ってくると泣きながら財布を握りしめていた。

お金を盗まれたようだ。

自転車から降りて財布を自転車カゴに置いたままお店に入ったので、取りに戻った時にはお札だけ抜かれていたらしい。

財布をカゴに置いたままお店に入るかと僕は思ってしまうが、そんなことは言ったら彼は傷ついてしまうので言わない。

「まじかー、盗んだやつ誰だよ、ありえないよな。」と彼の側について犯人を罵った。

そうやってドジなところばかりな彼だったが、何をやっても楽しかった記憶がある。

<お父さんの部屋にあったエロ本>

二階のお父さんの部屋にはいつもエロ本が並べられていた。

彼の家は祖母祖父のもので、そこに父と母が住んでいる。

部屋もキムチ臭くて、エロ本がお父さんの部屋にあって、いろいろ変なところはあったけど、彼と遊んでいる時間はとても楽しかった。

でも時々けんかをすることもある。

足が遅くて、運動が苦手な彼はいつも体育の時間は笑われものだった。

たぶん彼にも葛藤はあったと思う。

彼は知らないうちに数々の習い事を始めていた。

マンガ家を目指したり、スイミングスクールに通ったり、野球をやったり、クモンに通ったり、いろんなことに挑戦していた。

彼なりに輝ける場所を探していたのだろう。

嫌いな人がいるときは仲の良い友達を集めて暗い部屋のすみにある勉強机の下にライトを灯し、一人ずつその人の悪口を言っていくという遊びをしていた。

悪口をみんなで言い合う雰囲気を狭くて暗い空間として演出していたのだが、みんな楽しんでいたと思う。

お父さんの部屋にあったエロ本を使って、小学3年生の時に友達同士でオナニーを試した。

やり方はわからなかったけど、女性の裸がたくさん見れることに、いままで味わったことのないような気持ちになることをただ楽しんでいた。

彼がAVに足を踏み入れてしまったのは幼少期からの変わった家庭環境であると思う。

2019-10-21

いじめはなくならないと思う。

いじめはなくならないと思う。

子どもはもちろんのこと、大人だって人間関係を苦にして自殺うつ病を患ったりしている。

大人場合いじめとは表現されないことが多いと思う。パワハラとかセクハラとかも同じカテゴリに入るかな。

いじめと同等のことは、学生卒業しても社会人生活の中で、起こっているということだ。

であるならば、いじめは避けられないと考えて行動すべきだと思う。

いじめを受けずに人生を終えることができたなら、それは幸運というくらいの受け止め方で。

じゃあ、どうするか。

まずは、加担する側に回らないこと。これはまぁ前提。

でも気がつかない内にそうなってることがあるかも知れない。

無自覚にしてしまっていることほど恐ろしいものはない。

自分がされて嫌なことを相手にしてはいけない。そして、自分がされて嬉しいことが相手も嬉しいとは限らない。」というような旨の言葉Twitterか何かで見たけど、結構真理だと思う。

前半のことを親から言われて育つ人は多いかも知れないけど、後半のことまで言われて育つ人は少ないんじゃなかろうか。そして後半のことを自分で気づける人も。

しかしたら、親も後半のことを気づけていないかも知れない。

よくある善意押し付けとかね。

あとは、正しいと思って加担している例で、

何か過ちを犯した人をネットで袋叩きにする行為一種いじめにあたるんじゃないだろうか。

ただ語弊のないように言っておくけど、今まで声の小さかった人たちの声を拾い上げられたり、今まで隠れていた犯罪が浮き彫りになって公的機関が動いてくれるという良い働きをする場合ネットにはあるとは思う。

けど、例えば警察がもう動きだしてくれたのに、正しさを武器無関係な人たちが制裁加えるのはどうかなと。

気が付いたら加担していたということになりかねないので、これは気を付けたい。

次に、複数コミュニティ所属すること。かつそのコミュニティ独立していてつながっていないこと。

これは大人大事だと思うけど、思春期の子どもとかがいじめにあったとき精神衛生良いと思う。

子ども世界が狭くなりがちで学校での居場所がすべてみたいに思ってしまう傾向があると思う。

つのコミュニティで上手くいかなくても、他のコミュニティで楽しくやれていれば、学校けが自分の居場所じゃないとわかる。

それに自分のことを客観的判断できるんじゃないだろうか、というのも学校だけのコミュニティいじめにあったとしたら、

判断基準がそこだけなので、なぜいじめられるのか、自分の何がいけなかったのかと内に内に考えてふさぎ込んでしまうんじゃないだろうか。

特定コミュニティだけでいじめられるのであれば、それは自分とそのコミュニティが合わないだけと折り合いをつけられる。

全部のコミュニティいじめられるのであれば、自分を省みて改める必要があるかも知れない。

かくいう僕も小学生ときに、ちょっとしたいじめにあった。

昨今、話題になっているような壮絶なものに比べればかわいいものだが。

ターゲットになった人が仲良しグループからある日突然無視されるというやつだ。

ただ小学生ながらとてつもない恐怖を味わったのを覚えている。全く心当たりがない上に、この先もっとひどいことが起こるのか、もうなにがどうしてしまったのか頭の中は大混乱だった。

ただ人間は慣れる生き物で、落ち着いてくると無視しているのが仲良しだった者たちだけで、その他の人は違うと状況把握できるとしばらくやり過ごすことができた。

僕が幸いだったのは、その無視してきた者たちが僕のあることないことや悪口を言って仲間を増やすことをしなかったことだ。

彼らの目的排除ではなく、ある日突然、想定外の状況に置かれた人間の反応や自分たちが優位に立っている状況を堪能することだったからだ。

そして、順番が交代する。僕は何事もなかったかのように元の仲間に引き入れられた。

次にターゲットが決まると、また彼らは同じことをしようとした。僕にもそうするようにと。

ただ、僕はこの流れを断ち切ったら終わるんじゃないかと思って僕はそのターゲット無視することはしなかった。

ターゲットの子最初こそ悲しそうな顔をしていたが、僕が無視しないとわかると嬉しそうに毎日しかけてきた。

これで無視ゲームは終わりだなと思ったんだけど、そうじゃなかった。

また僕がターゲットになった。まぁ、当然と言えば当然だ。面白くない行動をするグループ内の反乱分子なのだから

でもそのとき僕は、今回の無視ゲームも失敗するだろうと思っていた。

というのも、前回ターゲットの子が同じ境遇を味わった仲間で、かつ僕は体制に逆らって無視をしなかった。

から彼はきっと僕の味方になってくれると思ってた。

でも現実は違って、前回ターゲットだった彼は仲間に無視されなくなった途端、以前と同様に楽しそうに僕を無視しだしたのだ。

不毛だ。

小学生ながらやってられないとあきれていた。おいおいうそだろ。そんなことある?って笑

不思議絶望感はなくて、はーめんどくさ。もういいや。って感じの感情だった。

そこからクラス替えする前に仲の良かった子たちのところへ昼休みに行き、勇気を出して正直に事情を話して仲間に入れてほしいと言った。

そしたら「いまみんなでノート迷路を描いてるから一緒に描こう。」と快く仲間に入れてくれた。

クラス替え以降、疎遠になっていたが笑顔で迎え入れてくれて本当に嬉しかった。

無事にいじめから脱出して僕は、小学校生活を終えることができたわけだけど。

無視ゲームをしていた彼らは卒業するまで似たようなことを繰り返していた。

ただ、実はいじめをする心理はなんとなくわかってしまったりする。

からまり恨んではいない。だけど肯定はできないし、してはいけないと思う。

今振り返ると、もういいやって切り替えられたのは、僕が学校とは別のコミュニティにも所属していたからだと思う。

当時、僕はスポーツクラブサッカーチーム、隣町のスイミングスクール、別の学区の生徒もいる学習塾に通っていた。

幸いなことにそれぞれのコミュニティでつながりはなく、共通友達もいなかった。完全にそれぞれ独立してた。

から、遊び相手がいなくてもサッカースイミング友達がいるし、学校宿題や授業がわからなくて学校の仲間に聞けなくなっても、塾で教えてもらえばいいやと。そう思えた。

からいじめから“逃げられた”んだと思う。

この逃げるのが苦手な人が、世間話題になるような可哀想な目に遭っているように思う。

から逃げ道として色んなコミュニティ所属することが大切だと思う。

これは社会人にも当てはまると思う。

ただ社会人会社いじめに遭うと結構大変かも知れない。

生活に直結しているか会社はそう簡単に辞められないし、転職するにも精神力や体力が必要だ。

いじめ精神疲弊してくると正常な判断力を失ってしまうのかも知れない。

思えば小学生いじめにあったとき、親に相談を一切しなかった。普通なら一番に相談して助けを求めても良いはずだ。

今となってはなんでかわからないけど、精神的に健全状態ではなかったことは確かだ。

でも仕事けが人生の全てではない。生きるために働いているのに、命を削ってどうするんだ。

逃げろ。

なんだかまとまりのない文章なっちゃったけど、世間いじめ関連のニュースを見て思うところがあったので書きなぐりました。

2019-09-22

水泳における飛び込み

最近スイミングスクールでは

飛び込みを教えないんだろうか

私が習ってた子供時代には

あたりまえにそれも習い

私は正しいフォームで水の中に飛び込めた気持ち良さを今でも身体が覚えている

今でも素人なりに頭からスーッと飛び込む清涼感を味わってみたいと思うんだ

から真っ先に浮かぶのは

夜景みえるのが取り柄の階からすーっと地面に傾ける己の姿

2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

2019-08-25

不倫のしかた

土日のどちらかに子供旦那に預けて不倫してます。全く疑われてません

旦那に疑われない不倫のしかたですが、まず日頃家事育児完璧にこなしていることが前提です。その上で、土日に息抜き習い事がしたいとお願いします。

そして、その習い事には嘘をつかずにちゃんと通います習い事はなんでも良いわけではなく、終わった後にシャワーを浴びるものします。

私はホットヨガに通っています美容ダイエットに良いのでオススメです。スイミングなどでも良いと思います

ホットヨガ時間は1時間程度ですが、終わった後は疲れるからお茶して帰るとか適当理由つけます。

習い事が終わった頃あたりに、不倫相手と待ち合わせして、相手の家かラブホに行って行為を楽しみます。そして夕飯前には家に帰ります

ちなみに不倫相手出会い系で探すのが手っ取り早いです。

このやり方で、もう半年くらい不倫してます。おかげで、女であることを思いっきり楽しめてます

私は旦那に不満はありません。旦那家事にも育児にもかなり協力的だし、稼ぎも申し分ないです。性格も優しく、家族のために大変つくしてくれていますセックスにも不満はないです。

問題は私の方にあります。性欲旺盛というわけではないのですが、旦那セックスに不満はなくても、旦那だけでは満足できないのです。

私みたいな場合だけでなく、旦那さんに不満がある場合や、家事育児ストレスがたまって仕方がない女性は沢山いると思います

ストレス発散の方法不倫だけじゃないと思いますが、不倫を考えている方は是非参考にしてみてください。

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