はてなキーワード: 競泳とは
ジェンダーレス水着、もとい男女共用セパレート水着という商品が物議を醸していた。小さい頃に水泳を習い事にしていた筆者はこの水着のトレンドの変化が気になっていた。
まずは「男女共用水着を着たことがあるか?」ということに興味を持った。
男女共用水着を採用する学校が多いことは報道でアピールされる一方、プライバシーを考えれば妥当であるが、その着用姿が公開されることはない。そこでよく調べると、あの水着のサイズ展開はとても幅広い。小さいものから、大人サイズまである。たとえば大人のコスプレイヤーだって今着れば炎上商法でバズれること間違いないのに、動画を探しても出てこない。
あの水着を賛成している人も反対している人も、まずは着てみようと思わないのだろうか? 恥ずかしさのために水着としての機能が損なわれていたとしたら批判もあるかもしれないが、メーカーも老舗ゆえきちんと対策しているだろうし、水着として機能性も問題ないとしたら不満もなくなるのではないか。
筆者はこの水着を着用してみることに興味がある。しかし興味があってもオフィスと家を行き来する生活。そこに泳ぐというシーンがないためこの輪に入れずやきもきしているのだ。そこで、いつか着る機会があった時に注目したいことを書いていこうと思う。
まず、「露出を減らす」という水着のコンセプトに対する筆者の個人的な思いは複雑だ。
「学校教育の現場ではそうしたほうがいい」という感想だ。競泳やビーチでは好きなようにすれば良い。しかし学校水泳は客船の沈没事故をきっかけとした命を守る授業として始まった以上、見た目の恥ずかしさによって授業への意欲が妨げられてはならない。
と、肯定的に言いながらも、筆者の本心は揺れている。なぜならば筆者自身、異性に目覚めるきっかけが競泳水着だったからである。
思い出を話せば、スイミングスクールにはだいたい指定水着とよばれるものがある。筆者が幼い頃は男児はビキニパンツ、女児がワンピースタイプであった。そもそも二次性徴前の男女に大きな体格差はない。しかし着る水着は違う。女子は全身を覆うような変わった形の水着、かたや男子はパンイチである。
なぜ男女で着用する水着が違うのか、というある種社会的な視点が、筆者の中で男女の体格差を明確にした。ほどなくして精通を迎えるのでお年頃的に興味を持つ頃だったのかもしれないが、同年代に対する興味の目も、10年経てば自分だけが老ける。そうやって行き場を失うからこそ2次元が充実しているジャンルなのだろう、とも思う。
一方で、ワンピース水着が好奇の対象とされていることも事実であることを知っているからこそ、露出の少ない水着が必要というのことは、頭ではわかっている。だが次世代の男児の性の目覚めはどこから始まるのだろう、という不安もある。せめて性教育がスタートラインになるよう、両輪のケアがあってほしいと願うばかりだ。
つぎに水着の機能として。身体のラインを見せない、ゆとりのある水着というは脱げやすく、すこし運動するとすぐ半ケツになってしまうというイメージを持っている。その点、従来のスパッツ型水着の方に安心感を抱いてしまうで、その効果が如何程のものなのか興味がある。もし着用する機会があれば半ケツなりにくさを5段階評価したい。筆者の独断と偏見でランクをつけるとすれば、スパッツが4でサーフパンツは1である。
ここまでは「泳ぐ機能が十分発揮されていれば、身体のラインが出ない水着を着用することで、異性からの好奇の目に晒される機会は減る。」とまとめた。しかしセパレート水着もセーラー服のようにいずれは性癖の対象になってしまうことも否定はできない。人の価値観は変わってゆく。たとえば筆者はブルマを生で見たことのない世代で、ブルマには欲情しない。少なくとも世代が一回りするまでは安泰であろう。
などと様々な妄想をしつつ、次に設計思想を確認しようとカタログを読んでみる。するとサーフパンツにラッシュガードという男性向けの組み合わせを女性向けにカスタマイズしたという設計思想のせいなのか、公式のセールスポイントが主に女性向けという点が気になる。よく読んでいくと男性から見て機能的に優れた、嬉しい点が明文化されていないのである。男性側のメリットってなんだろうというのがカタログスペックからも利用者のレビューからも読み取れないのだ。
たとえば男性部のサポートに関して。これは思春期に気になる機能だと思う。思春期の始まりは、女性の場合乳房が膨らみ始める時と言われているが、男性の場合は精巣が4mlより大きくなった時というよくわからない定義となっている。その成長に本人が気づくことはほぼ無いと思うが、上下級生と同じ更衣室を使うと、この上級生との違いはとてもはっきりしている。同級生間だとこの成長にムラがあって、早い方も遅い方も苦しむことになる。そしてこのコンプレックスを異性に見られることも強く意識してしまうのだ。大人になって冷静に考えれば女子がそんなこと気にしているわけはないだろうと思うのだが、思春期男子とはそういうものなのである。
そういう事情もあって、男子のスパッツ型水着は一枚下にサポーターというブーメランパンツのようなものを履くことがある。これが股間をガッチリ押さえているために身体のラインが出にくくなるのだ。サーフパンツには裏地が既にあるので、通常ではサポーターは不要なようだが、しかし男女共用となると、利用者の半分は股間を意識しないとなる。いったいどこまでカバーしてくれるだろうなどと興味を持ったりした。
さて、ここで「男女共用」というネーミングにした背景が見えてきた気がする。水着のハラスメントというのは、プールサイドで起こるものと、更衣室で起こるものに大別されると思っている。今回は前者のケアとして女性用水着にテコ入れを図ったのではないか、とカタログを読み取った。いっぽう「ジェンダーレス」と銘打ってしまうと、おそらく後者のケアまで考えた設計をしなくてはならないのではないか?という気がしたのだ。
たとえば、この水着は一枚で着れるものだが、女子にはオプションとしてトップスインナーと呼ばれる胸当てがラインナップされている。水着の機能としては学校で習う通りプライベートゾーンを隠せれば良いというところでだが、気にする人だけつければいいという裁量を本人に委ねてしまうと、胸当ての有無によって、なにかしら事情を抱えた人を炙り出してしまうのではないかと思う。
もう少し踏み込めば、男子が胸当てを欲しがる時代までは予測できないだろうか。筆者が見たものでは、同級生の太った男子が体育で胸を揺すりながらランニングしていた時「もうおっぱいじゃんw」と嗤った女子を見たことがある。自身はプライベートゾーンに守られておいて随分と軽く見るものだと呆れた記憶がある。心身ともに男性でもそんな扱いなのだから、内に女性らしさを秘めているとしたら相当の苦痛だろうと思う。ここが男女共用とジェンダーレスの分かれ目ではないか、というのが今の所の筆者の持論である。
とまぁ、あれこれ妄想を続けてきたが、着用したことのない水着についてあれこれ批判しても限界があるのでこの辺りにする。そして筆者の思想は、そもそも今回槍玉に上がっていた従来の女性用スクール水着を着用した経験がないから、ワンピース水着のデメリットを完全に理解しているとも言い難いというところに辿り着く。まずはそこを着用していかに既存のスクール水着が恥ずかしいのかを検証するところからではないか。そうすれば、いろいろな言い分について解像度が上がるのではないか、という気もする。ただ、いざ実際にやろうとすると、課題がいくつか挙げられる。
ひとつは水着の調達方法である。まずスクール水着に身長170cm越えの男性にあうサイズなど存在するのだろうか。仮にあったとしてもサイズを考えるのは難しい。メンズ水着のウエストだけの数字ではなく、レディースはヒップやバストといった数値も必要になる。当然試着などできないのだから測るしかないのだが、そんな聞いたことのない数値を測ることが難しい。とはいえ布面積のせいか値段もメンズより高いので、当てずっぽうで購入することは避けなくてはならない。
次に、仮に着用できたとして、泳げるプールをどう調達するか、という困難が立ちはだかる。下半身だけ女装したおっさんが泳げるプールなど手軽に調達できるであろうか。試しに貸切プールを簡単に調べたが、時間3万円に加え監視員を配置せよとある。値段はともかく監視員も筆者も狂ってしまう。別の手段として、プライベートプール付きホテルというのもあるが、車を運転できない筆者には高嶺の花である。同じ理由で海や川で自由にというわけにもいかない。悩ましい限りだ。
とりあえず、あらゆる体型の人が満足する水着の形を考えるだけでも大変な苦労があることは想像がつく。その着心地とはいかがなものなのだろう。そんなことを考えているうちに、連休が終わりを迎えるのだった。
深い暗闇に住んでいて、ときおり我らの住む浅瀬へ浮いてきては我々を魅了する。しかしいくら個体を調べたところで、その生態は深海に生きる者しか知らず、浅い海に生きる者にとっては永遠の謎でしかないのだ。
……こんなことを真顔で言ったら一発で社会的に死ぬかもしれないが、女性とは何者なのか、小さい頃から気になっている。
筆者には女性の服の下にあるものをよく知らない。というとまず、母親の裸くらい見たことあるだろという反論が飛んでくるだろう。厳密には、筆者は先天的に視力が悪かったために、両親の身体的な区別がつかなかった。要するにぼんやりしていて記憶にないのである。幼児期には男女で混じってトイレや入浴、着替えをする機会もあるだろうが、メガネという文明の利器を得るのが遅すぎた。服装や趣味嗜好のほかに男女の違いなど見出せない解像度の低い幼少期が横たわっている。
性差の興味を持つきっかけは、習い事として始めたスイミングスクールだった。
小学校の水泳授業では、児童は各家庭から水着を持ってきていた。興味はなかったが、女子は模様入りの"ワンピースのような水着"を着ていることが多かったと記憶している。
当時の男子水着はVパンツと呼ばれるもので、動きやすさ重視の、大事なところを隠すだけのわかりやすい水泳パンツであった。しかし女子は全員競泳用のワンピース水着を着ていたのである。
指定水着に限らず、制服というものは集団をカテゴライズする。10年足らずの人生に於いて初めて、男子と女子を身体的に明確に区別した集団という者に遭遇したのである。
女子の水着には上半身と下半身の繋ぎ目すらなく、肩紐が背中でX字に交差して、奇妙な服装という印象を与えた。もはや水泳パンツではない、謎の女子専用水着の仕組みが気になって仕方なかったが、全ては女子更衣室の中で起こることゆえ男子には一生わからないのである。
やがて筆者にも思春期がやってくるのだが、このときまだ性知識が乏しく、異性に対する興味も薄かった。
筆者は中学受験キッズなので、胎児の発生において、父親の精巣で作られる精子と母親の子宮の中の卵子が結合するという概念があることは暗記していたし、卵巣と精巣の構造も予備校のテキストに描かれた性器の断面図から知っていた。
しかしこの性器がどこにあるかわからないのである。子宮はお母さんのお腹の中にあることはほぼ確実とみれるが、精巣は男性の一体どこにあるのだろう。
大人になったいま改めて、小学校向け理科教材を見返しても精巣の在処は伏せられているのである。
おちんちんは男性器の呼び名であるが、思春期以前の男子にとっては「おしっこをするところ」であって、精巣がここにあるという発想に至らなかったのだ。
ようやく性教育に出会ったのが中学時代。筆者は教科書が配られたらまず一通り目を通すタイプなのだが、保健と家庭科の教科書に性や家族計画にまつわる記述があった。やっとのスタートラインだった。
教科書を通じて、女性に膣という器官があることと、月経という現象があること、そして、精巣の場所と性行為について学んだ。陰茎が尿器から性器という概念に変わってようやく、女性に陰茎がないと言う現実を受け入れさせられた。そして身の回りの女子は毎月血を流しながらも平然と生活している。という想像し難い知識にただならぬギャップを覚え、異性への興味がエスカレートしていた頃だった。しかし女友達と仲良くなっても、この疑問をぶつけることはとうとうできなかった。
紆余曲折ありながら敷かれたレールを走り切って社会人になって、縁あって関わり始めたのが今の交際相手だ。付き合って2年ぐらい経って、いよいよ身体を見せ合った。初めて女性の体をメガネ越しに見て、本当に男女の身体機能が異なっていることを実感した。人生の大きな一歩だった。本当に長かったと感じている。
とはいえ、身体を交えて快楽を得ても、知的好奇心は満たされなかった。
男子が陰茎を心の友として生きてきたように女性にも女性の何かがあるはずだと筆者は考えた。しかし身体をまさぐったところで真実には辿り着けないし、拗らせた疑問を投げかけても答えが返ってくるとも限らない。
そもそも体が目当てで交際したわけではないので、消去法的に彼女を欲望の捌け口にしてしまうことは避けなくてはならない。
そんな筆者の欲求に、ある程度は応えてくれたのがAVである。盗撮は犯罪であるから女優によるヤラセであると知っていながらも、スクール水着の着方、ブラの付け方、男には縁のない知識をこうした動画で多く学んだ。
しかしこれでも満たされないものもある。AVと違って現実のトイレはいつも行列を作っている。「どうして女子トイレは並んでいるの?」なんて女性に軽く聞いても、それが普通なせいかなんとも思っていないようであった。いくら親しくとも筆者にはここが限界だ。排泄に時間がかかるのか、スマホでもいじっているのか、なぜ個室しかないのにゾロゾロと連れションしたがるのか。いろいろな文化が気になっても聞く勇気がない。
自分で言うのも変だが、筆者の人生は敷かれたレールの上を上手く走っていると思っている。それは絶対に脱線できない人生であることの裏返しだ。今の時代、異性とみだりに関わることはリスクを伴う。そう言い聞かせてやがておっさんになってもなお今更聞けない謎を一生引きずって生きていくのだろうか。
浅瀬で見かける魚が深海で卵を産んでいても、それを知る術は、浅瀬で卵を産むのを待つか、自ら深く潜るか。どちらにしても茨の道である。
トランスジェンダーのスポーツ問題も、少ない事例で騒ぎすぎと運動家は言うが、既に、大会に参加できない、取れるはずだった賞を取れない女性アスリートが存在しているんだよね。
なら一旦、スポーツは身体性別で分けて、規準を決めた後トランスジェンダーの自認性別でのスポーツ参加を進めればいいという考えもあるのでは?
ルールもないのに、女性が不利になる条件で運動を推し進めるのはどうなんだろう。
トランスジェンダー選手、大学水泳界を席巻 米で賛否沸騰 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
競泳トランスジェンダー選手が提訴=世界水連に規定撤回求め―英紙 | 時事通信ニュース
女子バレーボールの試合にトランスジェンダー選手5人が出場し物議「女子スポーツを守れ」(カナダ) - Yahoo! JAPAN
大柄トランスジェンダー選手がパワーで圧倒…米女子バスケチームの優勝巡りネットで論争(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース
元記事は消されているが、女性ランナーは不公平だという声を上げている
https://twitter.com/shukan_shincho/status/1730436558493528441
とある地方都市のマラソンランナーたちの間で、未だかつてなかった悩ましい問題が起きている。女性であると自認する元男性が女性として数々の大会に出場しており、周囲が戸惑っているというのだ。当のトランス女性に話を聞いてみた。
ザーッと読んでいて、まだ出ていないようだけれど、水泳だとクロールがそれ系だろうな。
クロールはもともと貴族が競泳させていた時に他者より速く泳ぐ方法として編み出された技じゃなかったっけ?
クロールが発明されるまでは平泳ぎみたいな泳ぎ方が普通だったようだけど、今や泳ぎ方を教えるとなると最初はこれだよね。
ちなみに、日本で初めて競泳でオリンピックに出た人はそんなことも知らず平泳ぎでクロールと戦ったんだから、まあ、結果は推して知るべし。
今でも自由形はみんなクロールだから、人類はこれを超える泳法をまだ生みだせてないということなのかな。
一般攻撃魔法ほどじゃないけど、最初出てきたときに最強だったけど今はスクールでふつうに教えてくれる泳ぎ方はあとバタフライもあるねか。
左右対称に手足を動かすというクロールを殺すことを目的としたかつての平泳ぎのルールの穴をついた泳法がバタフライだったような。
リトルマーメイドは人魚が女だから受け入れられたんだ!ポリコレというなら歌が上手くて天然で世間知らずの半裸の人魚王子と人間の王女のラブストーリーを描いてみろ!
……って言ってる人を見掛けたけれど、
でも、そういうのって寧ろ日本のコンテンツではとっくにやってる気がするんだよなあ
例えば「きみはペット」とか、女性の方がしっかりしてて男性の方が可愛げある役割だったし
女性向けの恋愛ものコンテンツだと社会的地位はないけど可愛げがあって癒されるイケメンってそんなに珍しくないと思う
人魚姫をそのまま性別逆転したラブストーリーって、日本でだったら普通に出てくるし多分受け入れられると思う
https://www.footmark.co.jp/magazine/magazine-1211954/
思ったよりゆったりしたシルエットなんだけどどういう素材なんだろうか。
ワイ将、幼少のころからスパルタンの水泳教室に通わされて年に2回、着衣水泳とかいう地獄の授業があったのね。
指導員が4人体制でついてくれるから溺れて死んだ奴はいないんだけど。
衣服は水を吸ってクソ重たくなるし体に張り付いて身動きが取れなくなる。
水の抵抗もすごいからマジでぜーんぜん進まん。体力ばっかり持っていかれる。
水難事故を想定したレッソンだっていうのはわかってるけどマジで憂鬱だった。
重くもならないし張り付きづらくて疲れづらいみたいな感じなんだろうか。
スパルタンスイミングではぴっちりした競泳用パンチュしか許されてなくて
いわゆるトランクスタイプの海パンって奴で泳いだのは高校は行ったときくらいだったんだけど
ちょっとばたつくっていうかモサつくっていうか。
紙とさま~ずにて「胸なんて寄せて上げたりしないでいいから、胸なんて小さくていいから、面積のちっちゃい水着を着た方がいい」と三村が言っていた
(大竹も同意しつつ「あの可愛い素直な子が寄せて上げちゃったかあと思っちゃう」と言っていた)
「小さくていい」「着た方がいい」
それは女性にとって「いい」わけではなく、あくまで「見る側」であるオッサンにとっての「いい」なのである
三村(大竹)本人はそのことに自覚的であり、番組内でアシスタントの女性アナウンサーに「ごめんな。変なこと言ってて。おじさんの意見だから」と何度か断りを入れていた
しかし。このご時世で後先考えずにこういった発言をするのはなかなか度胸が有るというか、何も考えてないというか
番組なんだから編集が入るものであり、しかもこの番組は収録した全てを公開せずに未公開シーンをサブスクで流している
で、テレビで流れる(視聴者がより多い)方でこの話を流しちゃうんだな…と思った
女は水着買うとき「自分が着たい水着」を手に取るものだ(勿論男の目を意識している女も居るだろうが)
一緒に水着を買いに行っている彼氏に「これ可愛い?・似合ってる?」と意見を求めたとしてもだ。本気で意見を求めてはいないのだ。結局自分が気に入ったもん買うんだから
何故胸を寄せて上げるか・詰め物をするかというと、「フォルムが綺麗になるから」だ
「男の視線を集める為の水着」を買うなら「布面積の小さいもの」や「極限まで露出するもの」なんかを選ぶだろう
記事やそのブコメ見たり昔を思い出したりして考えたことをつらつらと書こうと思う。考えるまで行ってないかも。
増田は運動神経が悪い。体の発達が早くはなかったし(昔の写真を見たら友達よりひとまわりちんちくりんだった)、目の障害があって立体視ができないのであらゆる距離感をつかめていなかった。
でも水泳だけは、兄弟に憧れて子供の頃からやっていたので、人並にできた。
体格差はフォームの矯正である程度埋められるし、距離感だって目で見るよりは「あと何回掻いたら壁」みたいな蓄積で掴むので困らなかった。
友達と一緒に泳げるけど、個人競技なので友達迷惑をかけない、というのも気楽で良かった。水泳は孤独だ。
体育の授業は不甲斐ない自分に泣くことも多かったけど、水泳だとそうはならない自信をつけていたので楽しかった。全く何もできない運動音痴じゃない、と自分を励ませた。
でも周りのみんなは嫌がって、仲間が少ないのは寂しかったけど。
体型とかのコンプレックス問題やエロいやつの問題以外にも、着替えが面倒とか荷物が多いとか髪型崩れるとか、そういう理由でみんなサボってたけど。
でも増田は水泳の授業があったから体育自体を嫌いにならなかったし、成績だってなんとか推薦受験に持ち込めるラインをキープできた(志望校が難関校でオールAじゃないと推薦を受けられなかった。二学期だけオールAが取れた)。
増田のような子どもを救うためにも、水泳の授業をなくしてほしくはないと思う。
あと泳げないのに水辺のレジャーを趣味にしている人が意外と多くてゾッとする(実際救助したこともあるが相手が水に慣れてなくてパニックとか起こすと大変)。ここは自然災害の多い国日本だし、水への慣れは必修科目としていいと思う。多少泳げたとして津波には勝てないけど、それでも慣れって大事。
男女共用水着いいよね。すごくいろいろなことが考えられて作られているところが増田の好みで、企業努力の結晶という感じがする。きっと救われる子どもがいる。
ところで増田はスク水を着たことがない。ずっと競泳用水着を着ていた。
あと競泳用水着の生地やシルエット自体が好きで(特に鮫肌やSPEEDOやMIZUNOの背中の穴が大きいやつ)、どうせなら可愛い格好で泳ぐほうがモチベーションが保てた。
一方で今子どもに戻ったら男女共用水着を着るか?と言われたら、着る気がする。
増田もあの頃と比べて大人になり、紫外線の怖さを学習してしまったからだ。
今も可愛い水着は大好きだが、海で遊ぶときは可愛い水着の上に海用レギンス・ラッシュガードという完全防備姿だ。
人によって、気分によって、天気によって。好きな水着を好きなように着て泳ぎたいものだ。
ちなみに「今後スク水もブルカみたいに…」という人も見かけたが、あんまりならないと思う。
件の水着はかなり工夫をこらしているっぽいが、基本的に布の面積が増えると泳ぎにくい。
増田はジャガバタ(ジャージdeバタフライの意、ガはどこから出てきたんだろう)をやらされたことがあるが、長袖長ズボンで腕や足をあげるのはものすごく大変。疲れてくるとまともに泳げない。