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はてなキーワード: ポパイとは

2019-07-14

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ポパイオリーブが数名いる。

そいつが「テッテレレレン」といったリズムに乗って、こちらにバレーボールを打ち込んでくる。

オリーブ達は一列に並び、直線状に延々と打っていた。

あのボールに当たったらどうなるかは分からないが、とりあえず危なそうなので避ける。

「テッテレレレン」の「レン」の部分で打ってくるので、そのタイミングでかわしていく。

そうして2Dアクションゲームみたいなノリで先に進む。

結局、途中で目が覚めたのでゴールはどんな感じか知らない。

2019-06-23

ゲームについて語る

私が初めて遊んだTVゲームは『テレビゲーム15』なんだけど、当時ボールバーというシンプルデザインで正直面白いかどうかというと微妙だった。

それからファミコン』を購入したのだが、これがとても面白かった。

何が面白いかったのかというととにかく『ポパイ』『ドンキーコング』が遊べた事だった。

シンプルで、当時はゲームグルメではないので舌が肥えておらず、単純でわかりやすゲームとしてはキャラの魅力などから、『神ゲー』みたいな感じだったのだ。

その後、スーパーカセットビジョンなんかも遊んでみたが、ファミコンには勝てず『スーパーマリオブラザーズ』の登場でさらに加熱した。

そして『ドラゴンクエスト』と『ウィザードリィ』でファンタジー物語にハマっていった。

ディスクシステムなんかも買ってみたんだが面白かったのは『ゼルダの伝説』と『ファミコン探偵倶楽部』あれは名作だった。個人的には『ナゾラーランド』なんかも好きだった。

それからスーパーファミコンが発売されたが、私は購入せず、メガドライブPCエンジンに夢中になった。

メガドライブナムコ系のゲーム面白く、PCエンジンハドソン制作したゲームにハマっていた。

この頃からゲームに対して少し肥えた感じがする。

時代は変わってPSSSが発売された中、私はPC-FXを購入した。のちに購入した事を激しく後悔したが、正直あれは売り方の問題が悪かった事とハードを活かしきれないメーカー問題があると感じた。

ちなみに公開した後にPSSSを購入した。PSはやるゲームがなかったのだがノリで購入し、SSバーチャファイターのために購入した。10年早いんだよ!

そしてドリームキャストを購入する。ほぼPSO専用になる。何も語ることなPSOサイコー

PS2が発売された頃になると、もうゲーム自体グルメになりすぎて一時期面白さを感じなくなる。グラフィックが良いなどと色々変わったが、純粋楽しいと思っていたファミコンの頃と違って、どこかに難癖や粗探しをしてしま自分が居た。

XBOXも買ってみたのだが、気がつけば音楽再生機だった。たしかハードディスクだかに記録できた気がする。ほとんど憶えてない。

ゲームキューブは購入して3日後に嫁がれていった。

PS3が販売されて、またゲームへの情熱が蘇る。蘇らせたのはデモンズソウルだった。発売日に購入して心を折りまくった。

こんなマゾゲー初めてだった。ファミコン理不尽な難しさよりも繰り返すことで確実に上手くなりクリアという達成感も感じられる難しさの心地よいことよ。

DARK SOULSも当然発売日購入だった。マゾに目覚めたのだ。

そして現在は『SEKIRO』に夢中である

何が言いたいかというと、これだけ遊んできて思うのはどの時代ゲームも楽しかったなということ。

ゲームは楽しむためにあるものだ…。

2019-05-24

ポパイ最終回を読みたい

たぶん未来で猫型ロボット電脳人格の元になるような仕事をしてる

2019-03-12

三大 バカが信じて疑わない(間違ってる)英単語

ほうれん草って英語ポパイだよな?

バキュームってうんこってことだろ?

ユニークってのはおもしろいって意味だよな?

あと一つは?

2018-12-26

anond:20181225223301

まずはポパイホットドッグ読んで女の落とし方勉強して、

メンズノンノとかのファッション誌で格好つける。

デート誘うための街の情報集めるために、ぴあhanakoウォーカー系読んで

映画のうんちく増やすためにロードショーとか

バンド情報詳しくなるためにロッキングオン音楽と人クロスロードとか、日経情報誌とかをおさえとく。

ちょっと気分出したいときは、

自然系ならシンラ、Geoニュートンなど、

アート系ならCut、SWITCH、エクスワイヤとか

笑いたいとき宝島Vow

エロならスコラ

アイドルなら明星、平凡とか。

女性なら、non-no、an-an、Camcan、とかを大学生新社会人くらいが読んでて、社会人になるとそっから各自好きなファッション誌へ。ちょっと個性的女の子オリーブとか。

おっさん週刊新潮週刊文春週刊ポストなどの週刊誌を。そこに若者向けのしょーもない情報誌としてSPAとかAERAとか。

意識高い系日経新聞とか日経とか東洋新聞とかプレジデントとかの経済誌

仕事情報は毎週月曜だか日曜だかの朝日新聞の朝刊か、有力地方新聞の朝刊チェック。

アルバイトならAn、FromA、転職雑誌は今もあるリクルート系かな。

本好きなら、文春、新潮ダカーポ本の雑誌とか。

駅のキオスクにも雑誌はあったし、駅前にはちっちゃな本屋が大抵あったし、大都市圏には大規模書店がど〜んとあったし、CD大量に売ってるタワレコHMVかに音楽とかアート系とかおしゃれな雰囲気雑誌出てたし。

イオンモールかにある雑貨置いてるあの変わったお店の雑誌コーナーとかには当時の面影ちょっとあるかな

2018-11-27

anond:20181127115428

日本パブリックドメインになってる有名どころ

サボタージュ」、「間諜最後の日」、「平原児」、「西部戦線異状なし」、「祇園囃子1934年)」、「祇園囃子1953年)」、「雨月物語」、「東京物語」、「地獄門」、「青い山脈 」(1949年版)、「おかあさん」など

ローマの休日」※、「戦争と平和」※、「シャレード」(1963年版)、「風と共に去りぬ」、「アフリカの女王」、「荒野のガンマン」、「ガンヒルの決斗」、「キリマンジャロの雪」、「エンブリヨ」、「ルーシー・ショー」、「ボナンザ」など

セカンドサイト光と影の中で(英語版)」、「ハングマン英語版

カサブランカ」、「紳士は金髪がお好き」、「カンサス騎兵隊」、「片目のジャック」、「マクリントック」、「バリ島珍道中」、「雲流るるはてに」、「恋愛準決勝戦」、「白雪姫

「岩窟の野獣」、「ガリバー旅行記」、「スーパーマン」(フライシャースタジオ製作分)、「ポパイ」(フライシャースタジオ製作分)、「まぼろし探偵

「C.C.ライダー

シェーン」、「禁じられた遊び」、「オズの魔法使」、「凱旋門」(1948年版)、「イースターパレード」、「雨に唄えば」、「真昼の決闘」、「ウィンチェスター銃'73」、「ピノキオ」、「バンビ」、「ファンタジア」、「ダンボ

2018-11-12

単調なゲーム

単純なゲームって飽きるんだけど、時々思い切り遊びたくならない?

古すぎて申し訳ないが、初代スーパーマリオマリオブラザーズだったり、

デビルワールドクルクルランドエキサイトバイクポパイペンギンくんWARS、初代ツインビー

あの系統は、飽きるほど遊んできたのに時間が経つと、また黙々遊びたくなる。


追記:すまぬすまぬ、単調って書いちゃってた。単純とも言っていいかはアレだけど単純にしておいた。

あと誤解のないようにしたいのが、自分が挙げたゲームはどれもこれもが大好きなゲームでどれ一つ評価が低いものはない。

2018-10-06

非処女男性を怖がる理由が分からない

そういう経験をしておいて何故と正直そう思う。

ほうれん草を食べたからと言って、ポパイのように強くなれるかと言えば違うだろうという、そのような話なのだろうか。

2018-07-31

商標権侵害にならない形態法律で明文化

https://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/shingikai/pdf/t_mark21/sankou1.pdf

問題所在商標使用論)>

商標権の効力を定める25条は、商標権者は指定商品等について登録

標の「使用」をする権利専有する旨規定する。そして、「使用」の定義を定

める2条3項は、「商品標章を付する行為」等を「使用」とする。

そのため、例えば、ある者が「ポパイ」の図形をTシャツの前面に(商標

識別性を発揮する態様ではなく、)デザインとして描いた場合であっても、当

該図形を誰かが商標登録していれば、条文上は他者登録商標の「使用

に該当し、商標侵害となり得る。

この点を解決するため、判例は、自他商品識別機能ないし出所表示機能

を発揮する態様使用しない場合商標侵害構成しないとの解釈(商

標的使用論)で対処しているところ、これを何らかの形で立法的に解決(明

確化)すべきとの指摘がある。

特許庁資料にこのような記述があった。

商標侵害にならない形態法律で明文化するべきではないかという意見もあるらしい。

私としては、明文化してくれると助かるかな。

2017-09-13

ファミコンくらいのゲームが癒やしになることもある。

ファミコン世代真っ盛りだったおっさんなんですが、今のゲームも好きで結構ゲーマー?やってます

でも、最近ゲームグラフィックが綺麗というのとアクションが激しく、目で追いかけるのが大変です。

やたらぱちぱち光るので目もかなり痛くなったりと目薬は必需品となりました。

時々、ファミコンで遊びたくなるのですが、ファミコンくらいのゲームもたまに遊ぶと癒やされますね。

忙しいゲームと違って、単調でわかりやすく、それでいてピコピコ音が現在ゲームとはまた違うワクワク感を誘うのです。

最近ハマっているのは、ポパイなのですがゲームセンターでもやりこみファミコンでもやりこんでいます

ステージ数は大してないのになんででしょうね!

増田さんたちは、子供の頃に遊んだゲームで好きなゲームってありますか?

2017-03-31

人は見た目が100パーセント

タラレバ』に『人は見た目〜』など、『逃げ恥』なんてクソ食らえってドラマが続く。

ぶっちゃけ世の女性にかけられた、ゆりちゃんが解こうとした呪いはあまりに強力で、たかだか1クール程度で消え去るものじゃないしな。

結局人は見た目が100パーセントなんだ。

年齢、化粧、体型、ファッション

自分がどれだけ人を見た目で判断していたか最近あることがきっかけで気付かされた。

ひまだったら読んでくれ。


きっかけは、友人(男)に「絶対うから」って紹介されて渋々ある人に会ったことなんだけど。

しかに私にはい恋人はいない。

が、そいつに「彼氏ほしい」なんて言ったことないし、なんでかごり押しされて心底意味わかんねーって思ってた。

けど、実際会ってみたら普通に「いい人」だった。

価値観も似てるし、性格もいいし、少しでも惹かれたことは認める。

が、彼はファッションに興味がなかった。

会った当日もグリーンレーベルで揃えた、みたいな無難な格好だった。

片や増田は春用にと買っておいた花の刺繍ブラウスお気に入り帽子なんてかぶっちゃって、

並んで歩くと、お互いがお互いの服のせいで浮くっていう不思議で最悪な状況ができあがった。


この時、一瞬だけタラレバの倫子と同じことしてないか自分って思ったんだ。

「もしかしたら彼は早坂さんで、出世株かもよ?」って。

けどな、もう一人の自分が言うんだよ。

「お前は吉高由里子じゃないし、脚本家でもないし、そもそもKEYくんなんていねーのわかってっだろ」って。

(すぐにドラマ自分人生重ねようとする癖いい加減やめたい)


話を元に戻す。

私は友人たちがどんな服を着ていても気にしない。

派手だろうが地味だろうが奇抜だろうが無難だろうが、みんな自分の好きな服を着ればいい。

自分が魅力に思っているのは中身だし。

そう思ってた。

けど、違った。

そもそも、自分の周りにはおしゃれに興味がある/気を使う人しかいなかったことに気がついた。

全身Supremeのスケボー馬鹿だったり、スニーカーオタクだったり、『ポパイ』の熱狂信者地方都市出身)だったり。

あと、たとえ最初ダサくても、おしゃれな人たちと一緒にいれば必然的におしゃれになるもんだと思う。

(※ただしその人たちと一緒にいたいと思った場合に限る)


おしゃれっていうのは進化なのかもしれない。

ダサい状態からそうじゃなくなること。

おしゃれな人っていうのは、色、丈、TPOとかの絶妙バランスを汲み取れる人のことだと思う。

あることを知ってしまったら、もう知らなかった状態には戻れないように、

そのバランス感覚を身につけたら、もうダサい状態には戻れない。

そうやってダサい人がおしゃれになっていくのをたくさん見てきた。

オセロで黒に挟まれた白が黒くなるみたいに。

もう一つ気がついたことがある。

おしゃれな人に面と向かって「おしゃれですね」って言わないし、頭いい人に「頭いいですね」とは言わない。


それ言われるってことは、たぶん「あなたとはそれ以外話すことがないんです」って言われてるのと同義だと思う。

(けど「かわいい」とかは言うね。「かわいいは正義」だもんね)

申し訳程度に彼は服を褒めてくれたけど、「いやおま絶対思ってないだろ」って顔で言われた。

しかにいい人だったけど、自分は向こうにあわせて無難な格好しようとは思わないし、向こうをおしゃれにしようとも思わない。

まり、向こうの色に染まりたい/こっちの色に染めたいと思うほど、好きにはなれなかったわけだ。

よってお付き合いを申し込まれたけど丁寧にお断りした。

わがままかもしれないけど、恋人として自分の隣を歩くのは、間違ってもチャオパニックで買ったボーダーのロンTを着る人ではない。

グリーンレーベルとか無難ブランドは、自分にとっては逆に地雷だったりするんだと学んだ)

友人は私がファッション好きだって知っていたはずなのに、なんでファッションに興味ない男なんてしょうかいしてきたんだろう。

結論として、恋人候補は異性から紹介されないほうがいいな笑

(まあ同性でも「そいつが選ばなかった人」って思うと「んー」とはおもうけど…)


追記:

トラバブコメ見て、タイトルを「おしゃれはオプションじゃなくて前提」にすればよかったと激しく後悔。

2017-02-25

リトマス試験紙としての「プレミアムフライデー

さて、既に終わったというか始まったというかプレミアムフライデーですけど

これ国が始めたブラック企業あぶり出しのためのリトマス試験紙なんだね。

 

 

 

https://premium-friday.go.jp/partner/

 

 

これ見るとロゴマーク申請をした企業が一覧で出てくるんだが

まぁ実際やってるかどうか怪しいところだがね。

例えば愛知県では

 

 

株式会社 アイワット SC事業本部

株式会社 アットノエル

株式会社 アトム

アルカンシエル

アルカンシエル リュクスガーデン名古屋

アルカンシエル luxe mariage 名古屋

イクサ甚目寺

イサン 株式会社

Wins 株式会社

ウェスティン ナゴヤキャッスル

株式会社 エスカ

NHK名古屋放送局

株式会社 エフアンドティ

株式会社 エンゼルパーク

おこ鯛 アピタ 名古屋南店

株式会社 オニックス エステ事業部 シエスタ&ボーテ

海栄RYOKAN

株式会社 海帆

カゴメ 株式会社 名古屋支店

株式会社 かぶらやグループ

カリモク家具 株式会社

キューグラフィック

くじらCAFE

株式会社 グランドボウル

有限会社 ケーディーオー

有限会社 仔馬 焼肉ます

サイクルショップポパイ

公園振興 株式会社

株式会社 サガミチェーン

株式会社 サクラ印刷

サンアミューズメント 株式会社

THE NEUTRAL DESIGN Inc.

株式会社 SHIPS フード事業部

株式会社 清水

ジェイアール東海フードサービス 株式会社

株式会社 ジェイアール東海ホテル名古屋マリオットアソシアホテル 宿泊

J-netレンタリース 株式会社

株式会社 ジオブレイン

株式会社 ジャスウィル

株式会社 スギ薬局

杉山設計事務所

スモモバル

株式会社 セントラルパーク

有限会社 SOWAサービス

株式会社 タカ

株式会社 たつき荘

有限会社 大樹開発

中日新聞社

中日ドラゴンズ

中部経済新聞社

T-FACE

東海朝日広告 株式会社

豊田共栄サービス 株式会社

豊田市 中心市街地 まちなか宣伝会議

トヨタ生活協同組合

株式会社 ドミー

中日本エクシス 株式会社

中日本高速道路 株式会社

名古屋鉄道 株式会社

名古屋東急ホテル

株式会社 ジェイアール東海ホテル名古屋マリオットアソシアホテル 料飲部

西尾ニュータウン開発 株式会社

西川コミュニケーション株式会社 リテールサポート事業部

株式会社 日本アクセス

株式会社 にんじん カフェカレーさいさい

株式会社 ネクスコ

株式会社 ネクステージ

有限会社 バードマン (BOOBY’S BRITISH PUB)

株式会社 パルコ 名古屋

日間賀島観光協会

尾州 縁

株式会社 不二屋

プライムセミナー名古屋

plus citta

合同会社 PlayWorks

ホテル トヨタキャッスル

豆珈房

丸岩産業 株式会社

株式会社 万代家具

株式会社 三河湾リゾートリンクス

名鉄観光サービス 株式会社

株式会社 名鉄グランドホテル

株式会社 名鉄トヨタホテル

名豊観光 株式会社 名宝曙店

有限会社 メディアマガジン

ユニー 株式会社

株式会社シックス

株式会社 読売エージェンシー東海

株式会社 ライズエージェンシー 名古屋支社

有限会社 ライトハウス

株式会社 ラグーナテンボス

リゾートトラスト 株式会社 ホテルレストラン本部

 

 

3930件申請数中92件ぽっち

そりゃほとんど制度恩恵をこうむる層はいないだろうけど

人事との面接の際聞けば良いんだよね

御社は「プレミアムフライデー」どうされましたかって?

2016-01-31

クウネルとオリーブ――オリーブの全盛期とはいつだったのか?

クウネルのリニューアルをめぐる混乱を見ていて、振り返り。

誰かがAmazonレビュー

淀川さんってオリーブ編集長だったといっても、全盛期ではないのでは?」

というようなことを書いていたので、手元にあるバックナンバーやらネット情報やらを見ながら、歴代のオリーブ編集長を振り返ってみる。

以下敬称略で。

椎根和(1982〜1983)ポパイ別冊時代で、OL向け。Wikipedia にもあるようにMagazine for City Girls。Hanako前身みたいな感じ。椎根氏はその後1988年Hanakoを創刊して一時代を築いた。

蛯名芳弘(1983〜1985)ロマンティック路線Magazine for Romantic Girls)に変更したのはこの人と聞いたことがある。淀川氏は当時この人の部下だったとか。リセエンヌ特集もこの時代に始まっていて、いい意味文学少女臭がした。

淀川美代子(1985〜1987) 看板モデルは栗尾美恵子。文学少女臭が消えていった印象。リセエンヌ特集は続いていたが、リセエンヌ(フランスエリート女子高生)の暮らし(勉学、家族生活含む)を深く紹介するというよりは、「おしゃれなフランス女子高生イメージ」という表層的な取り上げ方になっていった印象。

信太和泉(1987〜1991)フリッパーズ・ギターとかオザケンとかはこの時代から始まった気がする。

遠山こずえ(1991〜1997)オザケンの連載もあったし、おされ女子雑誌として安定していた気がする。市川実和子がよく出ていた印象。のちに妹の市川実日子も出るようになった。

岡戸絹枝(1997〜1999)この方が2003年にクウネルを創刊して2010年まで編集長をつとめた。その後マガジンハウスを退社し、2014年に『つるとはな』を創刊。

*このあとは買ってないのでわからず。あと、上のも間違ってたら訂正お願いします。

こうやってみると、「元オリーブ少女」と言っても、実は、それぞれの心の中のオリーブ像は案外違っているのではないか?

淀川時代が全盛期だったかどうかは、人によって判断が異なるところかも。

ちなみに自分は蛯名時代オリーブにやられたクチ。フランスの名門リセ寄宿舎取材とか、ほんとすごかったし、あれ、今でも史料的な価値があるんじゃないかと思う。でも、オリーブ全盛期といわれれば、遠山時代1990年代前半)と答えるかも。

追記

思い返してみれば、Oliveというもの自体、椎根編集長が創刊したOL向け雑誌を、18号目あたり(1年くらい?)で、蛯名編集長がまったく違う路線の「ロマンティック少女のための」雑誌リニューアルしたんだったよな。あのときは新しいOliveがいいなと思えたし、なによりまだ学生だったか路線変更の思惑も意味もわからなったけど、考えてみれば今回のku:nelリニューアルと構図は同じだね。違うのは、初代Oliveのはku:nelほどのファンがついていなかった(ファンのコミュニティもなかった)しネットもなかったから、今回みたいな「事変」にならなかったということか。(創刊メンバーたちは忸怩たる思いもきっとあっただろうが。)

2014-07-12

イケメンの生き辛さは異常だ

俺は高校大学サークルバイト先、会社とどこでも最初イケメン扱いされる程度にはイケメンなんだ。ここは疑わないで欲しい。

それにポパイを読んでNBを履きこなすぐらいにはオシャレだ。ファッション誌のスナップにも2回出たことがある。

なので第一印象は悪くない。

でも中身は残念なんだ。

まず、童貞だ。

でも童貞なんて怖くて言えないんだ。だって、見た目は良いのに童貞だなんて、中身が酷いって言ってるようなものじゃないか。だから言えるわけないんだ。だから、嘘ついてるんだ。

最初は喜んでいた子が、次第に落胆してきて、こっちを蔑んだ目で見てくるのがつらいんだ

顔がいいのに変だとか、残念だとか言われるのが辛いんだ

勝手に期待すんじゃねえよクソブスが。

でも、期待されるって面では、美人もこんな気持ちなんだろうな、って思うんだ

美人なのに、みたいな。身勝手な期待されてるんだろうな。それで、落差があると、余計ひどく思われる。(でも一方でダメ美人は男にはモテるよね。運動音痴だってかわいいってなるし、人見知りなことも初々しいってなる。俺も自分の外見レベルのまま女に生まれたら、って何度思ったことか。男のルックスって、営業力アップには貢献するけど、それ自体価値を持たないんだと思う)

もう嫌なんだ。

そのままの自分を愛してくれる人がいいんだ

俺の魂を愛して欲しい。

追記

なんかブクマされてるようだから追記するけど、別にモテないのはいいんだけどさ、最初はキャピキャピ接してきた女の子が次会ったときは下に見られてる時のあのやるせなさはキツイんだよな。わかるかな、ダメな男に対する女の残酷上から目線って心にくるよね。そして、またコミュ障が酷くなっていく。こう例えたらわかりやすいかな、見るから運動できそうな転校生が、体育のサッカーで周りから期待の目で見られながらデビューしたら、超絶運動神経なくてカクカク動きで、周りに「あぁ…」て失望される感じ。フレンドリーだった周りのリア充サッカー部の奴らが、気まずい感じで距離おいていく感じ。もとから運痴キャラよりも辛いのわかるでしょ。

まあ、自意識過剰なのはそうなんだろうけど、なかなか上手く行きませんわ。

引き笑いだし、笑顔引きつるし、すぐ会話途切れるし、人と会話するとめっちゃ汗かくし、すぐに手は震えるし。

2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月5日 庵野秀明ゲスト回その1

ナレーション

 

食事をとりながら鈴木庵野雑談

 

ナレーション

 

鈴木:いやあ、きょうはね、教えてもらいたかったんです。というのはね、『バッタ君(町に行く)』の……魅力。

庵野はい。魅力……。

鈴木:僕は正直言います告白します。お話のほうがね、なんでこういうものが作られたのかなって、見てるうちに終わっちゃったか(笑)、そこに気を取られて。アニメーション的にどうのこうのの前に、なんでこんなもの作ったんだろうって。だからきょう教えて欲しかったんです。

庵野:まあアニメーションとして好きっていうことですね。

鈴木アニメーションとして優れていますか。

庵野:そうですね……やっぱりアニメーション技術としてすごいと思いますね。やっぱ当時のアメリカは、ディズニーも、MGMも、ワーナーも、やっぱりすごいなって。

鈴木:どういう技術が優れてたの。だってバッタ君』好きだと思ったんでしょ?

庵野:『バッタ君』は好きですね。

鈴木だってEVA』を作った人が『バッタ君』を好きなんでしょ。これみんな聞いてみたいよね

庵野:画で描いて、動かす……なんていうんですかね、エネルギーみたいなものですかね。日本とはもう桁が違うぐらい当時は差があったと思いますね。1940年代ですもんね。

鈴木:41年。

庵野戦前ですもんね。もしくは戦中ですよね。

鈴木太平洋戦争が始まった年。

庵野戦前、戦中、戦後はもう、やっぱり桁が違うと思いますね。

鈴木:ああ、その時代ね。

庵野:ええ。

鈴木戦争挟んで、10年ぐらい。

庵野日本東映動画ができてからはどんどん追いついていったと思いますけど。技術的な部分とかそういうのも含めて。でもあの時代はやっぱりアメリカ世界一ですよね、アニメーション技術は。その技術集大成ひとつだと思いますね。まったく。まあ話は子供向けなんだか、大人向けなんだか、ちょっと、どっちなんだろうってとこはありますけども。

鈴木:あのー、ロトスコープっていうの、アレ? 人間の部分は。

庵野はい

鈴木:あれは正直言うとびっくりしたね、改めて見て。なんかすんげえなと思って。今のみんなが、いわゆるコンピューターでやることを、ああ昔の技術ではこうやってやったんだなって。で、それがあまりにもリアリティがあって。その対照としての虫たちがああやって描かれるでしょ。だから少しそこに世界が違いすぎるから違和感があって。

庵野:ああ、それはよかったです。

鈴木人間のほうがすごく見えちゃったんですよ、僕は。だから、いきなり虫になると漫画になるじゃない。それが、もっと人間を見たかったなって(笑)。で、それを人間がやってるんだと思うとドキドキしちゃって。脚だけしか出てこないのに。でもそれが凄かったから。やっぱり機械じゃなくて人間がやったと思うとすごく見える。それと『(崖の上の)ポニョ』じゃないけれど、やっぱりすんごい描きまくってるね。動きまくってるというか。あのー、『カールじいさん(の空飛ぶ家)』。

庵野はい

鈴木:見た?

庵野:まだです。

鈴木:見てない? ちょっと――ちょっとびっくりしたんですよ。これもね、お話じゃないんですよ。隅々までエネルギーが満ちてて。だから絵筆じゃないけれど、コンピューターでやってるんだけど、ひとりひとりのスタッフの持ってる、描きたい、動かしたいというエネルギー。すごいですね。驚きました。そして、やっぱり比較しました。いろんなところと。いま勝てないと思った。で、そういうスタッフがどんどん育ってる。ちょっとすごいです、あれは。

庵野ピクサー最近食わず嫌いやめて見るようにしたんですね。

鈴木(笑)。どうかなあって思ってたんだけれど。ピートドクターっていうの、監督のね、よく知ってたんで。ちょっと見ようかなって思ったら。ちょっと全然別のそういう感想持っちゃった。お話とかそれは、まあ、ねえ、置いといて。とにかくスタッフがのびのびと、しかもやりたいだけやってる、やりまくってる。それってやっぱり作品を色々膨らませてるよね。

庵野:いや、ピクサーはすごいですね。

鈴木:うん、だから、もしかしたら『バッタ君』も、それに満ち溢れてたのかなあって思って。

庵野アニメーターが多分好きにやってるとは思いますよ。枚数制限なく。

鈴木:一切ないよね、あれ。

庵野:ええ。

鈴木だってすごい余分なところでも動いてるもんね。

庵野:ずうっと動いてますね。

鈴木:うーん、やっぱり凄いのか。

内藤映像に音声をつけるとか、カラー化でディズニーに先を越されてしまって――。

鈴木彼女担当なんだよ。あのー『バッタ君』の担当の、あのー……なんていう名前だっけ。

内藤内藤まゆです。

鈴木:ああ、内藤っていうの。フライシャー兄弟が超えようとしたんでしょ?

内藤はい。けど最終的には越されてしまったんだけど、さっき鈴木さんが仰ってたロトスコープだったり、あとは背景に奥行きを与える、模型を使ってやることで――っていう、そういうセットバックっていう方法を考えて、ひたすら、こう、追い越せーみたいな。

鈴木チャレンジ精神が厚い人だよね。俺はね、『ポパイ』はね、見てたんですよ。フライシャー兄弟でしょ、あれ。子供ときにね、幻灯機っていうのを買ってもらって(笑)。そしたら付いてきたフィルムがね、『ポパイ』だったんですよ。それでね、初めて35ミリフィルムっていうのを見て。これで回すとさ、動くわけじゃない。それで気になるわけよ、一枚一枚の画はどうなってるのかって(笑)。それが子供ときの体験。それで初めてね、幻灯機をね、色々いじるわけ。どうして動くっていうのを思って(笑)

内藤:たしか不思議ですよね。画が繋がってるだけで。それを映しても、なんでそれが動いてるように見えるのかって、すごく不思議で。

鈴木:そうなんだよ。それで子供ながらにね、色々分解したりしてるとね、わかってきたんです(笑)

内藤:えっ、幻灯機をですか。

鈴木:そうそうそうそうそうそ(笑)。って言ってもたいしたあれじゃないけどね。『ポパイ』って、僕は昭和23年で、戦争が終わって3年後に生まれた身としてはですね、漫画って言うと日本漫画もあったけど、一方で『ポパイ』だったんですよ。そのぐらい強烈な印象で。だから、まさかその人の、あれが最後の作品? 『バッタ君町へ行く』。だから、興行的に上手くいかなかったわけでしょ。だからディズニーってのは商業的に上手くいったからね。

内藤庵野さんは、あの作品の中でどのシーンが一番お好きなんですか?

庵野:牛の住んでる楽園が、人間の手でこう次々に壊されていくスペクタクルですね。あれがすごい一番。ええ、工事のシーンですね。工事の車とかシャベルとか無機質さと、この右往左往する虫の動きの、このコントラストっていうんですか。そういうのも含めて、大スペクタクルですね。手で描くのを知ってると「よくまあこんなのを……(苦笑)」とは思いますね。それだけでも、もうすごいと思いますね。

内藤鈴木さんは好きなシーンありますか。人間以外で。

鈴木:俺? 俺はねえ、あの屋上へ行ってね、こうやってアメリカは滅びて行くんだなあっていう(笑)

庵野:結局、楽園ですらも人の手で人工的に作られないと虫は生きていけないっていうことですね。

内藤:当時はもう、ああいう高いビルはいっぱいあったんですか。

鈴木アメリカはそうなのよ。エンパイアステートビルをはじめ、いわゆる高層ビルアメリカの象徴だったから。相当昔から造られてんだよね。いわゆる地震の少ない国だったから。

庵野:なぜ「町」だったんですかね、あれね。

内藤タイトルですか。

庵野:まあタイトルもそうだし、なぜ町を舞台に虫の話をしたんだろう。

鈴木:うーん……。だからまあ多分アメリカっていう国が大きな変化を遂げていった、1950年代、大繁栄を迎えるわけだから。その大繁栄のなかでアメリカ人が見失っていくもの? そこらへんのを予感したんじゃないかな。

内藤:すごい不思議だったんです。そんなに歴史詳しくないんですけど、真珠湾攻撃の直後に公開してるのに、なんでこんな平和というか、一見呑気な話が作れるのかなって。

鈴木世界大恐慌ってあったじゃない、1929年。結局アメリカの、ねえ、そういうのから始まるわけでしょ。それで結局色々やったけれど、ニューディール政策その他。アメリカ復興できなかったんですよ。ところがヨーロッパ戦場になることによって、その恩恵に預かって、それでアメリカ復興していく。結局その戦争を待つことによって景気回復したんだよね。だから、やっぱりこの映画が作られたころ、アメリカは非常に豊かだったんですね。方や日本は、っていう。貧しい国でしょ。小さな国で。やっぱり宮さん(宮崎駿)なんかもね、およそアニメーションを目指す者はこれを見なきゃ始まらないみたいなそういうコメントを寄せて。

庵野:まあ僕はそう思いますね。少なくともアニメーターは見て損はないと思いますね。

鈴木:なんか、ここのシーンだっていうところはあるの? ここがすごいって。

庵野:全編すごいですけど、やっぱり最後クライマックスの壊れていくところ。あの虫のモブを一枚一枚描いている。

鈴木:頭おかしいよね、あれ。

庵野:あれは凄いですね。

鈴木:俺、どっちが先か判らないけれど、僕は……誤解も与えますが、宮さんの一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス(太陽王子 ホルスの大冒険)』だと思うんですよ。最後モブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。

庵野:宮さんのモブは本当にすごいですよね。

鈴木:うん、それで……あれ以来見たことないんだよ(笑)

庵野:やっぱり若いというのはね。

鈴木:いやー、あれはすごいよね。

庵野:すごいです。

鈴木:こんな風に人がね、動いて、しか人間の手で描いて、こんなシーンが作れるのかって。最初に見たときラストシーンどういう人がこの画を描いたんだろう、設計をしたんだろうって。それで後で聞いてね、やっぱり宮さんだってことがわかって。うーん、「すごかったんだなあ」なんていうと怒られちゃうけれど(笑)

庵野:いやあ、アニメ-ターとしては超一流ですよ。『(空飛ぶ)ゆうれい船』とかも好きですけどね、宮さんの仕事だと。

鈴木:やっぱり過不足なく描いてたものね。

庵野東映で、ここはすごいっていうところは大体宮崎駿原画のだったりしまからね。

鈴木:ああ、なるほど。……宮崎駿のことはいつ知ったの?

庵野:「アニメージュ」だと思いますけどね。

鈴木:じゃあ大学生とき

庵野大学……いや、高校のときですね。意識したのは『(未来少年コナン』ですね。その前も好きでは見てたんですけど、なんだろう、ちゃんと見るようになったのはやっぱり『コナンからですね。

鈴木リアルタイムで見たの?

庵野リアルタイムですね。妹とチャンネル権の争いで、なんとか。

鈴木:えっ、裏になんかあったの?

庵野:裏は『(女王陛下の)プティアンジェ』っていうアニメが。

鈴木:『プティアンジェ』ってのがあったの(笑)

庵野NHKからっていうのでなんとか親を説得して。

鈴木:「NHKから(笑)

庵野1話を見たら、親が続きを見たくなってくれてですね。そのあとは毎週ちゃんと見れるようになった。それまでは『プティアンジェ』でしたからね。

鈴木:そうなんだ(笑)

庵野:『プティアンジェ』、オープニングだけ見ればいいんだって

鈴木:そうなんだ。……それ以来ずっと注目してるの?

庵野:そうですね、あとは『カリ城ルパン三世 カリオストロの城)』ですね。

鈴木1978年、79年か。

庵野:あれは劇場に見に行きましたね。

鈴木:満足しまたか

庵野:2回見ましたね。僕のほうは田舎だったので同時上映があって、そのあいだはロビーに出て。

鈴木:『カリオストロ』はねえ、たしかにねえ。僕が初めて(宮崎駿に)出会ったころです。

庵野:いいですよね。

鈴木:よく働いてた……。

庵野:あれが(制作期間)半年ってのはやっぱりすごいと思います

鈴木:作画4ヵ月だもんね。

庵野:ええ、あのスピードはすごいですね。

鈴木会社から言われたのは3ヵ月で、それで1ヵ月余分にもらって。

庵野:あとでなんかあって「もう1ヵ月あれば」って言ってました。

鈴木だってコンテ描き直したもんね、あのローマ水道のとこ。

庵野:あそこは僕にもなんか悔しいって言ってましたね。

鈴木:でも宮さんって、そういうときに描き直す人なんだよね。

庵野:まあ現実的でいいですよね。できる範囲のものに落とし込むっていう。

鈴木:だから……見てて、よく宮さんがね、「理想を失わない現実主義者」って。これ宮さんも言うし、実は元は高畑(勲)さんかなっていう気もするんだけど。ふたりともそうなんだけど、その理想現実の――なんて言ったらいいかな。微妙ふたり違うんだよね(笑)微妙に違うんだよ。

庵野高畑さんはそんなに詳しくないんで……。

鈴木:よく知ってるくせに(笑)

庵野:でも、こわい人だとは思いますけどね。

鈴木:でもよく覚えてるんだけど――『ホルス』だとね、村があるんだけど、一人狡猾なおじさんがいるじゃない。その人がいることによって村が成立している。(『風の谷のナウシカ』の)風の谷の方はね、300人くらいいて、ああいう悪い人がひとりもいない。

庵野:ええ、みんないい人なんですよね。

鈴木:一種、理想主義に貫かれてるでしょ? それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。

庵野:変えないですよね。

鈴木:変えない。それで遅れたときもね、「それは僕には責任ない」と。「それはプロデュースサイドがコンテができたときに把握してるべきだ」って貫くんだよね。映画のなかは非常に現実主義なのに、映画のなかは。やり方は理想主義というか(笑)

庵野:まったくです。

鈴木:でもふたりのそういう差って、なんですかこれは。

庵野:なんですかねえ。

鈴木:で、宮さんなんかは非常に面白いって思ったのは、結局、『ホルス』作ったあと、それこそ『コナン』もそうだけど、『ナウシカ』もそうだけど、『ホルス』をひきずるでしょ?

庵野はい

鈴木高畑さんは違うんだよね。全然違うものを作り始めるんです。

庵野:まあ宮さんのほうが根っこがいい人なんじゃないですか。

鈴木高畑さんに聞いてみたことがあるんですよ。なんでファンタジーやらないのか、って。そうしたらやっぱり『ホルス』で創造できるもの創造し尽くした、と。でも、唯一その世界に持ち込めなかったのが『思想』である、と言ったんだよね。そうするとファンタジーっていうのはそれが出来る人がやらなきゃ意味がない、それが自分の総括だ、って。僕が聞いて、高畑さんいまになると違うって言うかもしれないけど、すごい印象に残って。だから宮さんが『ホルス』をひきずって。なんかっていうと『ホルス』みたいなのに戻るでしょ、宮さん。

庵野:ええ、基本はそこですよね。ずっと『ホルス』のリメイクをしてるようなね、感じがしますよね。

鈴木宮崎……オタクとしてはどう思いますか? なんつって。オタクじゃないか(笑)

庵野別に宮さんオタクじゃないですよ。

鈴木(笑)。でも面白いよね、そういう宮さんも『バッタ君』のアニメーションの部分って非常に着目してるし。

庵野:やっぱり宮さんは基本アニメーターからだと思いますね。僕もアニメーター上がりなので。

鈴木:やっぱそこなんだね。

庵野:今でもやっぱり原画とか動画とかやっちゃいますよ。

鈴木:ああ、自分で。

庵野:ええ。間に合わないときは。

鈴木:宮さんがいま、原画やってるんですよ、自分で。やり始めたんです。本編やってるでしょ、それでその横で美術館用の短編やってるんだけど、「スタッフがいない」って。最初1分でやるって言ってたのが10分になるからいけないんだけど。老骨に鞭打って。でも結構楽しそうに。でももう69なんだよ。アニメーターっていつまで描けるんですか?

庵野:目と手が動けば大丈夫じゃないですか。

鈴木:手が動けば大丈夫? 本人もう動かないって言ってんだけど(笑)

庵野:やっぱり、目と手ですよね。

鈴木:目は大丈夫なの?

庵野老眼きました。

鈴木:ああ老眼が。もう50になったんだっけ?

庵野:まだです。いよいよ。50代なんて来るとは思いませんでした。

鈴木:宮さん喜んでるよ。「庵野っていくつになったの」って言うから「もう50だと思いますよ」っつったらすごい嬉しそうに。

庵野(笑)

鈴木:「そうか!」つって。「歳取れっ」って。「俺の苦しみがわかる」とかなんか言っちゃって(笑)

庵野:僕が50になったら宮さん70じゃないですか。

鈴木:でもみんな……歳を取ってきたんですね……。

内藤:その宮崎さんが「アニメーターをやる奴は見ておくべき」っていうインタビューをしたときに仰ってた言葉を(『バッタ君』の)宣伝の柱にしてたんですけど、やっぱりアニメーターを目指す方って一部じゃないですか。

庵野:すごく少ないと思います

内藤:もちろん、その人達にはできれば来て欲しいとは思ってるんですけど、やっぱりそれ以外の人に、どう魅力というか、アニメーターは目指していないけどちょっと気になるとか、そういう人に来てもらえるのかなっていうのを考えていて。どうしたら人の心に響くようにできるんですかね。

鈴木:あの作品を?

庵野:僕が『バッタ君』を宣伝するんだったら、ビデオで宮さん撮って、それをテレビで流しますね。ワイドショー枠的なものとかで。それぐらいだと思います。だからバッタ君』を流すよりは宮さん流しますね。それでこっちにちっちゃく枠でそれを流して、なんか宮崎駿お墨付き、これ、っていう。そういう風に。

内藤:そこだけ切り取って。

庵野調子のいいとこだけ切り取って、もう編集して。もう、ほぼ捏造でもいいから、そういう風にして流しますね。それで、あとで宮さんには謝ります。ごめんなさいって。

内藤鈴木(笑)

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035509

2012-10-27

死をポケットに入れて

最初に言っておこう。

失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。

愛し合った分、憎み合うように。

すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。

父を亡くしたのは、14歳の時だ。

2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。

告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、

一時帰宅ときに、家族食卓自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。

今思うと、とても不思議病気だと思う。

癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。

部位的なその特徴から喉頭癌の進行は早い。

正月一時帰宅を終えて、

(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)

すぐに目に見えて容態は悪くなった。

口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。

皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。

だけど、そんなことは何も珍しいことではない。

ありふれた病気の、ありふれた悲劇

どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。

何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくそ匂いだ。

甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。

今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。

もうすぐ死にゆく人の、その匂い

人は自分の信じたいことしか信じない。

そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。

たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、

意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、

そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。

「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。

病院時間は、緩慢なようで、あっというまに過ぎる。

廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。

病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。

不思議もので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。

クリスマス解放を願うアウシュヴィッツ収監者のように。

病棟でもまた然りだ。

中学生だった私は、医学書を読み、信じることを拒否し、

それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。

どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。

こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたかなのだと。

静かに、いつの間にか彼は死んでいた。

母親と弟が仮眠を取っている間に。

わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。

最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。

何のために、あの8か月は必要だったのか。

母親がこっそりと医師に手渡した、あの金は何だったのか。

何でもないと、今ならば思う。

すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。

少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。

見たくないものを認めるために。

後悔をしないために。

誰のせいにも、しないために。

すべての物から得ることはある。

どんなに酷いことからも、経験を。

失ったものからは、愛情を。

束縛からは、解放を。

あるマンガで、しゃれこうべに怯える主人公魔女は言った。

頭蓋骨が怖いの?自分も一つ持っているのに?」

そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。

から、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。

私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。

馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。

事故で良かったと。

それなら誰も憎まないですむ。

大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、

検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。

仕方のないことだ。警察葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。

(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)

2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、

誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。

誰かのせいにすること、

誰かに責任を見つけること、

憎しみを将来に繰り延べることは、

自分迷路に追い込むだけだ。

死をポケットに入れて。

棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。

放蕩の限りを尽くした詩人は80歳を超えても生き長らえ、

20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。

途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、

火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。

どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。

恥ずかしくて、恐縮するぐらいの健康人間だったのに。

どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。

弟の婚約者は、ショックで髪の毛が抜けてしまった。

私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。

それが自分バランスを取るために、丁度良かったからだ。

今でも、ふと思う。

自分の中の死を。

自分の周りの死者を。

どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。

昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。

何かを失ったと思っている人へ。

何の慰めにも為らないかもしれないが、それは間違いだ。

失った分、同じ大きさの何かを得ている。

何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものあなたが受け取っていたからだ。

得たもの、それが憎しみならば、手放してしまえばいい。

あるいはその痛みは、あなたあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。

それならば、誰にも渡さずに、自分のものだけにしてしまおう。

それから数年して、私は妊娠した。

まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。

大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。

愛と呼べるような感情は、まだわからない。

だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、

わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。

死は、私の中にもセットされている。

その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。

どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。

釣合いなんて、とれていなくていいから、

たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。

まり陳腐さに自分で笑って、また少し、泣いた。

2011-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20110622230348

うそう、最初は「草食系」は、自称しちゃダメカテゴリだった

恋愛強者なのが最初から前提だもんな

俺の知る範囲では、言葉として流行り始めた少し後に、メンノンとかポパイあたりの男性ファッション誌のモノクロページで

ややズレた草食系叩きが始まったという流れだった気がする

掟ポルシェとかあの辺連れてきて語らせる、みたいな企画で

2011-01-29

それはファッションはな原宿カルチャー

http://hamusoku.com/archives/4026899.html

これみて一ファッション業界人として言わせてもらいたくなった。

少し語弊がある言い方になるけど、これはファッションはなカルチャーじゃないのかな。

東京原宿という土地ではこういう服もアリっていう原宿カルチャーたいな。

正直言ってこの人たちの着てる服及びコーディネートは変だし、完全にリアルクローズ(普段着)ではない。

ここに乗ってる人たちが東北に行ったら(というか原宿近辺以外)に行ったら完全に浮くだろうし。

でも、原宿という場所ではこれは「アリ」なんだよね。

これはなぜかというと、原宿にはそういうカルチャーがあるからなんだよね。

例えば秋葉原では、メイドは周りから浮かないみたいな感じで。

つまり原宿コスプレイヤーなんだと思う。

ちなみにこの人たちは普通の服で電車に乗り、ラフォーレトイレで着替える、といった事もあるらしい

(この辺秋葉原コスプレに似てると思う。)

つまりこれはその土地限定のカルチャーなんじゃないかな。

からこの人たちはオシャレさんではなく、原宿カルチャー体現者みたいに呼ぶべきだと思う。

でもファッション業界ではこの人たちをオシャレって評価するんだよね。

そんな現状が個人的におかしいと思う。

元凶?はtuneていう雑誌とか

http://www.fashionsnap.com/ こことか

http://ridsnap.com/ こことかだろうね。

なんでファッション界では上のサイトとかよりメンズノンノとかポパイとか

http://xn--zcka4asan6g1gsg.com/ こことか

http://www.mycloz.com/ こことかに載ってるような

奇抜じゃないファッションは評価されにくいんだろう。

ファッションカルチャー要素とかアート要素があってもいいと思うけど、カルチャーそのものをオシャレって呼ぶのはおかしいんじゃね?。

原宿カルチャー自体は悪くないと思うし、そこからヒントを得て新しいファッションが生まれるのはいいと思うけどさ。

2009-02-21

モテようと思って頑張ってみたこと

彼女いない歴=年齢の現在27歳。

大学進学と同時に一人暮らし

今もずっと。

モテようと思ったのは二十歳になる少し前。

まず普通免許と中免を取ってみた。

なぜか大特もとってみた。

(当然だが)なにも変らなかったのでお洒落してみようと思った。

数万程度散財したあたりで気付く、まずデブじゃなに着ても無駄だと。

とりあえずダイエット開始。1年ほどかけて15kgほど痩せた。有酸素運動中心。

75kg→60kg

7kgほど痩せたあたりから筋肉大分落ちたのを実感して筋トレを取り入れた。

現在では筋トレメイン

5年かけて7kgほど戻した。

美容室に行くようにした。

さて、ダイエット開始した頃からファッション雑誌をチェックするようにした。

男性ファッション誌は次の通り。

脱オタ(オタではなかったが)しようとし始めた二十歳の頃はメンズノンノ、ファインボーイズ、ビダン、スマート、新創刊されるまえのホットドッグ

22歳から24歳まではメンズノンノホットドッグポパイ

24から27歳まではメンズノンノメンズジョーカー

女性ファッション誌は次の通り

二十歳の頃から一貫してノンノ、WITH、モア、CamCan、たまにJJ

鍛えるためにボディビルディング専門誌を購読した。

意識を磨くのに男性写真集も時々買うようにした。

筋トレを取り入れてしばらく経った頃、筋トレだけじゃと思いダンス習い初めてみた。

ジャンルとしてはジャズダンス

大学卒業24歳まで週一ながらコツコツ続けた。

まあ踊るのはサッパリだが、180度開脚くらいはできるようになった。

今じゃ出来ないけど。

一人暮らし4年目にして携帯電話を買った。

もっと早く買うべきだったかもしれない。

さて、卒業してめでたく国家資格も手に入れて就職

引っ越し環境が変り筋トレダンスは中断。

仕事はつまらない。

想像していたような、仕事以外の付き合いはまったくなく、学生時代同様にやはり休日孤独で過ごす。

ネット出会いを求めて街に出ろって書いてあったから、居酒屋を転々としてみたり、クラブで朝まで踊り狂ってみたり。

少々肝臓の値が上がっただけだった。

トークスキルが必要と聞いたので、落語CDを聞き始めた。

まあ元々雑学は強いほうだし、化学屋さんとはコンドームの材質の話で盛り上がり、ギャルとはアイメイクの話で盛り上がり、調味料から犬の去勢術まで上げたり下げたりしながら話せるようになったが、話の守備範囲は広いんだが、なかなか電話番号交換ってところに辿り着けない。

教養を高めようと思ったけど、なにしていいかからいかTOEIC受験してみたり、高校の教科書を読み返してみたり。

なぜか宴会で役立つ一発芸をいくつも練習したり。

飲み会なんか呼ばれたことがないけれども。

この頃は迷走してた。

仕事二年目で筋トレ再開。

転属して仕事内容が変った。

新しい同僚二人と仲良くなれたが、(といっても電話番号を交換する程度)ほどなく二人とも会社を辞めた。

美味い料理や酒を知ってるといいと聞いて、食べ歩きするようになる。

こそっとスポイトでスープを採り、家に帰って分析が趣味に。

キッチンもない部屋なのにスケーラー、塩度計、糖度計がある。

キッチンがない、そう、思い起こせばトイレ風呂キッチン共同の社員寮に3年も住んで一人も友達を作れていない。

ここ数年、休日に人と話した回数なんて5回あるかないかだ

職務質問された回数とたいして変らない。

話し相手はリサイクルショップで買った熊のぬいぐるみ

暇なときは本を読むか、木目から女体を想像してみたり、コーヒー豆の割れ目から女性器を想像してみたりしてる。

骨を折った。

実家から親が来た。

誰も見舞いに来ない俺を哀れんでた。

さて、転職する予定がある。

モテいか転職ってわけじゃないけれども。

いや、閉塞感から転職って意味だと少しあるかもしれない。

年収は大きく減りそうだ。

470万→390万(後日追記 二年目で年収は500万超えたからよしとした)

それはとにかく、なにか気分転換しないとどうにもならない。

自分から待ってるだけでは?っと言われそうなので先に言っておくと、自分から誘ったことも告白したこともある。

正式な告白だけでなく、デートを断られたこともカウントすれば、10回程はふられてることになる。

一度くらいアクセプトされれば、リジェクトされても次があるさって思えるんだろうけども。

そろそろ限界

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