はてなキーワード: ドライアイスとは
スミーッス
本日はキリスト教では公現節、日本では小寒、六日年越し、色の日、消防出初式が行われるところもあるそうです。
小寒ということで、寒さが最も厳しくなる大寒の前の時期だそうです。
まだ寒くなるらしいですけど、なんか天候不順しまくりでもしかしたらもう寒い時期越えたんじゃないかって勘違いもしてしまいますね。
自然って本当に怖いですね、地球規模で考えてもまだまだこれより寒い地域はあるのに、宇宙規模で考えたら太陽に感謝する他ないレベルの異常気象のオンパレードで笑います。
しかも人間ってそこまで強くないんですね、この前も葬式の棺桶に首突っ込んでたらドライアイスで死んじゃったみたいな話を聞きました。あまりにも端折りすぎですが。
呼吸って割と繊細なんですね。
暖房で部屋の空気が悪くなりがちな昨今、少し気にかけていただけますと幸いです。
ということで本日は【部屋の換気よいか】でいきたいと思います。
部屋の換気よいか!部屋の換気ヨシ!
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
親戚が裕福なので支援もしてたし、もうちょっとなんとかならんかったか、とも思ったが、悔やんでも仕方ないのでどこかのタイミングで割り切れたことが救い
父は他界しており、母も高齢なので喪主が回ってきた(残った兄弟で一番上だったので)
大往生まであと一歩というところ。最後は風邪こじらしてしまったらしい。ホームから連絡来た。
当日まで元気だったし話もしてたのでちょっと理解が追いつかなかったが90超えてたのでまあしゃーないか
喪主は色々案が出たし初めは頼まれて引き受けるつもりだったけど最終的に叔父に任せたが、兄と同じところの会館だったので、勝手もわかってるからとサポートに回った
打合せとかは同席して
ほんとあっという間。遺品とか全然片付いてないし、兄の手続きも全部は終わってない
祖父は増田兄弟に負担をかけないように後見人つけててくれたので、葬儀以降はほとんどすることないけど、
祖母のほうは、叔父が遠方で仕事もしてるということもあって、頼まれて市役所とかは済ましたけど、まだ銀行とか相続関係とかほとんど手をつけてない
葬儀費用はケチらなかったのと、父の意向もあって、200万弱、150万、300万とか
祭壇とか馬鹿高い
とりま流れで元々会員入ってた葬儀やとかホームが紹介してくれたとことかで他を調べずにやってみたけど
まず会員入ってたところはお勧めしない。安くなるよーって耳障りのよい営業で年寄に契約(予約)させるけど。
部屋のサイズとかも選べなかったり。入会から式まで何十年も経てば参加者の数も大幅に増減(大体減だろうけど)するし、
コロナとか色んな事情も変わってしまう。ただサービスとかは良かったので、いきなり葬儀社選びから始める面倒さを無くす意味では助かった。
ホームの紹介のところもめちゃ高かった。こちらは打合せすることがほとんどなかった家族葬だったので楽だったが。
(花のランク決めるぐらいで、オプションの選択がほとんどなかった。こだわりたい人にはちょっと物足りないだろう)
基本パックに入ってないこまごまとした追加料金が発生することもあるし、棺桶ひとつとっても5万が基本プラン込のやつで、三面彫りとかになると30万とかもっと上のランクがあったり、しょぼしょぼ葬儀を回避しようとするとあっという間に何十万という金額足されていく
あと俺が喪主しそうな人とは話して、最低ランクで簡素に済まそうということになった。
それだけでも、霊きゅう車の手配とか棺桶やらドライアイスやらなんだかんだで何十万円になるだろうけど。お寺高いし、高齢の親戚への体裁とか考えたら初七日もやらんとだし。
そんで、市役所からは5万円しかもらえないけど。(あー、健康保険かなんかの5万といっしょに暮らしてたらまた数万年金のほうから出たんだっけ。手続き多すぎて忘れた)
しばらく葬式はしたくない
自分はASD、ADHDの気がある人間なんだけど、ちょっと長めに語らせてほしい。
一度敬体で書こうと思ったけど、面倒くささが勝ったのでこの語り方で。
先日、「お隣さんに届いた荷物を渡す」件で色々あった。
とはいえお隣さんと共用みたいなもんで、一歩外に出ればお互いの玄関先は覗ける程度。
最近はよく、うちの頼む届け物と一緒に、そのお隣さんの荷物もまとめて頼んで、後で渡している。
普段は親がやり取りしてるんだけど、仕事で不在なのでその日の荷物を渡すことを頼まれた。
普段こういう荷物のときには、親が電話なりインターホンなりで合図を入れて、
向こうが受け取りとか、代金の支払いをすることになっていた。
でも今回は互いに合図をする必要がないように、
親が「玄関先に置いておかせますので~」と前もって電話してくれていた(し、それを自分も聞いていた)。
「夕方ごろに何度か様子を覗いてもらえれば置いてあるかと……」とも。
親の指示はこうだった。
「メモも一緒に渡しておくから、これに書いてある向こうの荷物を玄関に置いておいて。
冷凍・冷蔵品は特に気を付けて、発泡スチロールに入れておいてね。」
で、自分はうちの玄関先に、冷やすものと常温のものを別にまとめて置いておいた。
発泡スチロールの中にはドライアイスを入れておいたし、そもそも外気温は低い地域だ。
向こうに渡すためのメモ書きも、風で飛ばないようにと、濡れも冷えもしていない保冷剤で重しをしておいた。
しばらくして陽が沈んだ頃。
メモ書きは風で飛んではいないようだけど、荷物はそのままだった。
お隣さんも忙しいのかと思って、外気温も下がっているし特に気に留めず放っておいた。
朝になると荷物はなくなっていた。
「普段は合図をしているけどそれをしなくていいように、と電話を掛けたのに!
何で"うちの"玄関の前に置いておくの!!」
聞いてしばらくして、ああなるほどと思った。
同時に、それを言われていないんだから分からない……とも戸惑った。
こういう事態は一度や二度ではない。
頼まれごとをするたびに2回に1回はこういうすれ違いでやらかしている。
つまり親は「お隣さんの荷物なのだから、お隣さんの玄関先に置いてきなさい」
ただ、自分の中にその考え方はまるでなかった。
お隣さんの家にお邪魔したことはないし、まして敷地にすらほとんど足を踏み入れていない。
「玄関先に置いておけば、お隣さんが様子を見て持って行ってくれる」
お隣さんに電話をしなくていいように、という気遣いに甘えて電話での確認もしなかった。
「もうしばらく口も利きたくない」と言われた。
何度もやらかしてそのたびに失望されているので当然と言えば当然の仕打ちなのだが、
こういう事態になるたびに「その当たり前をどこで察すればいいんだ」とモヤモヤする。
「暗黙のルールが分からない」とか、「指示が正しくこなせない」とかの特徴からして
ASDなどの発達障害の気がある、というか結構強いと自覚している。
親はこうした自分の障害について学んで理解してくれている(と、恐らく親本人も思っている)人なのに
いざその特性を発揮してしまうと、こうして関係が崩れるほどに怒られる。
今回は特に、お隣さんという第三者が巻き込まれて迷惑を被ったので、
叱られるのは理解できるというか納得できるし、反省も大いにしている。
ただ、任務を「分かってる」側の人間が「分かってないし、理解にも難がある」人に仕事を依頼して
その後でやらかしに気づいてこっぴどく叱られる、というこの図式は
「指示する人が気を付けよう」
つくづくこんな適当な世界の回し方で上手くやってきた人類という生物が
勝手に期待して勝手に怒って、結論は「"お互いに"気を付けましょう」にしかならないのだろうか。
気を付けられればそれはもう障害じゃないと思う。
どうすればいいんだ。
小松「何言ってるんですかトリコさん!牛宮城は高級焼肉屋ですよ!」
小松「ここですよ!ここ!このビルの5階!あそこが牛宮城です!」
トリコ「何ィ!?こんな渋谷のど真ん中に高級焼肉屋があるのか!?」
小松「これから高級なお肉が食べられると思うとよだれが止まりませんよ〜〜〜」
トリコ「よし!思い立ったが吉日、その日以外は全て凶日だ!早速中に入るぞ!小松!」
〜
小松「うわっ!!」
小松「いまから食べる物の顔を見せられるっていうのはなんだか…」
トリコ「あぁ、気分が悪いな…」
トリコ「あぁ…」
〜
トリコ「ここにも牛の絵か…」
小松「ト、トリコさん!とりあえず注文は店員さんにお任せしますね!」
〜
トリコ「……内装はどうあれ、食材には感謝して食わねぇとな!」
パカッ
トリコ「よし、じゃあ食べるか!
トリコ「ユッケに絡みつくウニとキャビアの芳醇な旨味… たまんねぇぜ!」
トリコ「おいおい小松、お前も早く食べてみろよ!これ美味いぞ〜!」
小松「……ってあれ?」
小松「ほら、見てください」
小松「箱の中のドライアイスで肉が固まって、お箸が刺さりません」
トリコ「嘘だろ……」
トリコ「な、なんだァ?」
小松「金箔と銀箔のせいで逆に見た目が損なわれちゃってますね…」
トリコ「まぁ、とりあえず食ってみるか」
トリコ「ムシャムシャ……おい、これ味が無いぞ」
小松「ムシャムシャ……本当だ、味が全くしない!」
トリコ「おう!ありがとな!」
小松「ペロッ……」
店員「牛の舞ですッ!」
小松「わぁ〜っ!……え?」
トリコ「水の上に肉が…?」
トリコ「しかも一緒に浮かんでるこの花、見るだけで食欲を減衰させるぜ…」
トリコ「誰だ…?」
宮迫「なので、今グルメ四天王のトリコ様に悪い評判を流されたら、もうこれからここで焼肉屋をやっていけなくなるんですッ!」
宮迫「これから近江牛のシャトーブリリアンをお出ししますのでッ!せめてそれだけでもッ!」
トリコ「たとえシャトーブリ“リ”アンなんてふざけた名前をつける店だとしても、」
トリコ「こうやって経営者が自分で店員をやってる時点で、この店が大変なのは分かる」
宮迫「ならッ…!」
トリコ「だがな、お前が大変なのはお前自身の食材への対応が原因だ」
宮迫「そんなッ…!」
トリコ「とりあえず、お前の服から臭う怪しいコンサルタント臭だけでも取っ払うんだな」
トリコ「……。」
トリコ「お前のとこの悪い評判は広めないでおくことにする」
宮迫「えッ……?」
トリコ「今度来た時は、美味い肉、食わせてくれよ!」
小松「ご、ごちそうさまでした…」
〜
トリコ「口直しに牛牛でも行くか!!」
大学生。意識が低いので近所のスーパーでバイトしてる。仕事は毎日同じ。客の持ってきたカゴから商品を取り出して、バーコードを打って、それを別のカゴに入れる。会計は機械がやってくれるので、「〇〇番どうぞ」と言いながらカゴを動かし、たまに「ドライアイスください」「駐車券押してください」などの要望に応える。「〇〇どこにありますか?」と聞かれても知らないので、ほとんど同じ時給のパートさんを読んで助けてもらう。食品のレジの打ち方は覚えたし、2.3の敬語も使えるようになったが、基本的にはなんの能力も身に付いていない。
しかし、最低賃金だが都内なので時給1000円以上もらっている。休憩もしっかりしているし、交通費も出る。今のバイト先に何も文句はない。
こんなふうになにひとつ能力のない私と、ディズニーやルピシアで働いている愛想のいいお姉さんが同じ給料(もちろんバイト以外もいるだろうが)なのは、端的に言っておかしいと思う。
長期的な目で見れば、大学の間だけのバイトなら、後者の方が色々な能力が身について、たとえ同じ給料でもメリットがあるのだろう、とは思う。だがなんとなく納得がいかない。スタバの接客などを受けたり、LUSHのぐいぐいくるお姉さんと話したり、適当な服屋や靴屋のバイトっぽい若者を見ていても、「彼らは2000円ぐらいはもらうべきでは」と思う。私は制服が支給されるが、彼らは綺麗な私服を着ているっぽい。用意するのにもお金がかかると思う。
コンビニはスーパーのレジ打ちと似ているが、覚えることは500倍ぐらいありそうなので1500円ぐらいでいいと思う。
とここまで書いていてやはり大学生でスーパーのレジ打ちをしているのは勿体無いのではないかという気がしてきた。人付き合い苦手だし、愛想もないけど、他のバイトに挑戦してみようかな…。
コンビニでポテトを注文したのに、中身を確認したらコロッケが入っていたらしい。
ポテトとコロッケを聞き間違うだなんてそんな事があるのかと驚いたが、自分も似たような経験があったことを思い出した。大学時代、自分は花屋にドライアイスを運ぶバイトをしていた。2人1組で車に乗り、街の花屋を回って巨大なドライアイスを店の冷凍庫まで運ぶ仕事。自分は運転もしなかったので、1日の実働は40分くらいだった。それで6時間ぶんの給料を貰っていた。その時一緒にペアで働いていたのがジンノさんという人で、大学院の博士課程で比較文明学を研究している学生だった。その職場は変わった人が多い職場だったけどその中でもジンノさんは特に変わった人で、自宅でエ
死死死死死体操〜♪
不倫も横領も性病もパワハラもセクハラもパソコンやスマホの中身がバレると〜
死死死死死体操〜♪
お前みたいな奴はこんなこともトロトロトロトロやってっからウチぐらいでしか雇えないお前は他人の十倍やんのが当たり前で他のところ行っても雇ってすらもらえ〜
死死死死死体操〜♪
今日はパーティーだからみんなでプールに入って遊ぼうぜそうだドライアイス50キロぐらい手に入れたし一緒に入れて遊ぼ〜
死死死死死体操〜♪
寝転んでる人にサッカーボールキックをしたら〜
死死死死死体操〜♪
死死死死死体操〜♪
内臓がズッタズタ
心がボロボロ
大多数に怨まれる
お金が惜しい〜♪
死死死死死〜♪
死死死死死〜♪
死死死死死体操〜♪
こんな事を書いてる間にも 細胞は少しずつ死んでいってるよ
祖母の死に関連して、自分の感じた後悔と、自分の気持ちに対する懺悔を、ただでさえ持ちの悪い僕の記憶が風化する前にどこかに残しておきたくてここに記す。
祖父が死んでから10年目のあの夏、言い換えればばあさんの一人暮らしが始まってからの10年目の夏。ばあさんももう結構参ってしまっていたんだと思う。
家からばあさんの家が近かったこともあって、何かあったらばあさんの家に遊びに行くほどのおばあちゃんっ子だった僕は大学に入って一人暮らしをしてからも暇を見つけてはばあさんに電話を掛けたりしていた。
そんな僕から見ても電話をするたびにばあさんがやつれていっている気がしていたのを今でもなんとなく覚えている。
そんな夏のある日に、いきなり親父から電話がかかってきたのを覚えている。
つい数日前にばあさんと電話をして、来週帰るからその時にあいさつに行くねなんて言っていた僕はその電話を聞いて信じられない思いだった。
その直後に教授とのミーティングの予定だったのだが、それをキャンセルしてすぐに帰省の準備を始めた。……はずだ。
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すごいね、人間の記憶ってのは大事なことに対してもすごく曖昧で、ここに帰省の準備を始めたって書いた瞬間に、帰省の準備を始めた記憶とその実感がわいてきてしまう。
出来る限り覚えている事実を元に書きたいけれど、あいまいな記憶をもとに手探りで書いていくからたぶん事実と違うこともたくさん書かれてしまうと思う。
なるべくあいまいな記憶をもとに書かれた文章には「はずだ」とか、注釈だったりをつけて対応していきたいと思うよ。
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そして帰るまでだったか帰ってからだったかのどこかで、父親から追加で連絡があったはずだ。
いつ連絡が来たかの記憶すら定かではないし、どのような媒体で連絡をされたのかも定かでないけれど、知らされた内容だけは覚えている。
「ばあさんが死んだ。それは自然死ではなくて、自殺だった。そしてこのことは秘密にしておいてほしい。」
どうやら、ばあさんは自殺を試みて、無事死ぬことができたらしい。今の僕の価値観だと自分で死を試みるほどにこの世界から去りたくて、これを完遂できたのならそれはもう僕がとやかく言えることじゃないのかなという気もするけれど、この時の僕はまだそこまで割り切ることができていなくて純粋に悲しんでいたのだと思う。
僕の叔母(つまりは父の姉)の元にばあさんからまるで最後の挨拶かのようなメールが届いたらしい.
それを見た叔母は父に連絡を取ってばあさんの家に行ったとのことだ。
そこでばあさんが首を吊っているのを見つけたという。
ばあさんをおろした時はまだ、ばあさんの体は温かかったらしい。
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あぁ、たぶんこの話を聞いたのはまだ実家に帰る飛行機に乗る前だ。飛行機の中でどうしようもなく自分に問いかけていた覚えがある。さっきと一緒でもう今の自分の中には飛行機の中で自分に問いかけていた記憶ができてしまっているけれど、たぶん飛行機に乗る前だ。
当時の人との連絡の記録を後で見返そうかなとも思うけれど、自分がそれで死んじゃわないか心配。
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どうにかして実家に帰った後、ばあさんの家に遊びに行った。
ばあさんの家の机の上には遺書が置いてあって、そこには涙の跡もついていた。
この時、本当に涙の跡ってつくんだって思ったのを覚えている。
多分この涙の跡は叔母の涙の跡で祖母の涙の跡ではないのだけれど、それでも涙の跡のある遺書というのはなかなかに来るものがあった。
そのまま遺書を読み進めると、もう、一人でこの世界で生きていくのが辛かったらしい。
遺す人たちに対する謝罪のあたりで読んでいた僕まで泣いてしまった。
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遺書の内容は要確認。ほかにどんなことが書いてあったかは確認しておきたい。
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遺書を読み終えた後はばあさんの遺体*が安置されていた祖母宅の近くの葬儀社に向かった。どうやら叔母がばあさんの近くに付き添ってくれていたようだった。
*最初、無意識のうちに死骸と書いていた。どうやらあれだけいとしく思っていた祖母でも、死んでしまえば等しく死骸であるみたい。
丁度、父の従姉妹たち(つまりは祖母の姪)が到着したところみたいで、ばあさんを見てみんな泣いていた。僕が到着するのを見ると、みな僕がばあさんっ子だったのを知っていたみたいでせっかくだからと僕とばあさんを二人きりにしてくれていた。どうやら、泣かない僕を見て「他の人がいる状態では僕が泣くことができないだろうから」という思いやりかららしい。
せっかく最後にと僕と祖母を二人にしてくれたのに僕は全く泣けなかったのだ.
それどころか, その時の俺の心にあったのは, [首を吊った死体の首には本当に縄の跡が残るのか]という好奇心だった.
せっかくの首を吊った死体と僕しかいない状態で, 僕が部屋から出てくるまでは誰も部屋に入ってこないと約束されている状況である. そんなの今後の人生で二度と来ないであろうチャンスじゃないかと.
そこで死体の様子をうかがうと, やすらかな顔をして化粧をされている. そして肝心の首は, 状況が状況だからかしっかりと隠されていた. ここをめくるだけで僕は僕の好奇心を達成できる.
ただ, どうしてもなけなしの倫理観が邪魔をしてその覆いをとることはできなかった. やはり遺体を、それも僕が生前一番なついていたばあさんの遺体を自分がいじることはできない……と。どうしても僕の記憶に残すばあさんとの最後の二人きりの思い出をそんな穢れた好奇心で汚すことはできない……と。
せめてもの抵抗にと最後に祖母の頬を触った. ドライアイスに冷やされてとても冷たかった.
ただ, どうしても俺は, 祖母の首に縄の跡が残っているかいないのかを確かめたいという好奇心を消すことはできなかった. あれだけ僕を愛して, かわいがってくれていた祖母に対して孫が抱く最後の望みが, その死にざまが残す跡を見せてくれという穢れた好奇心で本当にすまないとは思っている. ただ, 本当に僕はただ好奇心のケモノとしてここまでの時を過ごして来てしまったからか, どうしてもその欲望を消すことができないんだ.
ばあさんの眠る部屋を出て叔母にあいさつをして実家への帰路に就いた。このとき、泣くことができた?という質問に対して僕は苦笑を返すことしかできなかった。きっと叔母は僕が照れていたと思っているのだろうけれど、僕としては泣けてないんだよなぁという思いしかなかったわけだから。
実家に帰った後は通夜と葬式に関する準備をすすめ、親族として葬儀の受付などを行い、最後に棺に花を添えてばあさんを見送った。この時、火葬場に送り出されるばあさんをみて泣けて少しだけほっとした。
そして火葬場で焼かれた祖母が出てきたときに俺が思ったのは, やはり[もう, 祖母の首に縄の跡が残っているかどうかを確かめることはできない]というおもいだった.
父と叔母に[祖母の首に縄の跡が残っていたか]ということを聞くこともできない俺にはもう, これ以上事実を確かめるすべはない.
この後悔は一生ついて回るだろうし, 祖母の死骸を前にそんな穢れた好奇心が湧き出してきたということに対する懺悔も一生続くことだろう.