はてなキーワード: 信頼関係とは
徳力基彦氏がYahoo!ニュース個人に書いた長文にもあったように、ステマは撲滅されず、まだ生きている。
もはや当たり前かもしれないが、これは新興のウェブメディアに限ったことではなく、伝統的なメディア企業にも根深く残る問題だ。
俺が今在籍している、長い歴史を持つメディア企業も、広告部門から編集部に金銭が渡って書かれた記事をウェブ上に多く出している。
その記事をYahoo!ニュースにも配信している。
あれは結局、ステマではなかったが不信感を持たれないように留意する、という話で終わった。
岩手放送からBPOに提出された報告書では、「この放送に関して、乳酸菌の商品を製造販売する企業から金銭が支払われことはなく」、ステマではないという説明がされたようだ。
ひとつ、明確にしておきたいことがある。
メディア業界には、コンテンツ(番組や記事)自体への対価は発生しないものの、暗黙の了解で成り立つ「忖度によるステマ」とでも呼ぶべきシステムが存在し、それが数多くの提灯記事を生んでいる。責任ある報道を担う企業が運営する媒体でも。
実際に何が行われているか。
まず前提として、一部のスポンサー企業では、広告を出稿する媒体を選ぶ上で、その企業が開いた記者発表へ取材に来ていることや、広告でないコンテンツとして商材等を取り上げていることが重視される。
そこで、メディア企業の広告営業は、出稿を獲得するため、何かしらのかたちで編集部や番組制作にアプローチし、記者発表の取材や、記事での紹介が実現するよう努力する。
この広告営業から編集部へのアプローチがあくまで情報提供にとどまり、編集部員が純粋にネタの良し悪しで判断して取材したりコンテンツにしたりするのであれば、それはまあラインを越えてはいない(と俺は思う)。
ただ、編集部が上記の出稿媒体選定の事情をわかった上で忖度してコンテンツにした場合や、広告営業から編集部に社内的に金銭が渡っていた場合、それは純粋なステマではないにしろ、読者への不誠実さではそれと同等だろう。この「忖度ステマ」は撲滅されるべきものだ。これはメディアと受け手の信頼関係の問題で、人の健康に関わるものでなければOKというものではない。
この方法がまかり通っているのは、まさに岩手放送が主張したのと同じく、スポンサー企業は記事に対価を支払ってはいないのでステマにはあたらない、という判断がメディア企業内でなされているからだろう。
だが、実際には、スポンサー企業はこの図式をわかっているはずだ。だからこそ、記事が出なければ広告を出稿しないという態度によって取材を促す戦略をとるのだ。
もう一度書くが、俺が今いる会社でも、広告営業から編集部に金銭が渡って書かれた記事をウェブ上に出している。
(「金銭が渡って」というのは、個人の懐に入るのではなく、PR表記のある記事広告と同じく、その編集部が運営するメディアの売上になるということ)
こんなところで吐き出す前に社内で問題提起し撲滅したいが、直接対価が発生する狭義のステマ記事ではない、雑誌ではふつうのやり方だろう、売り上げが減るのは困る、というようにやめない理由はいくつも用意できるので、社内で主張しても大きなムーブメントは起こせそうにない。
ちなみに、ワセダクロニクルが報じ続けている共同通信での疑惑と図式が近いので、何か変化があるかと思ったが、今のところない。共同通信での「成功報酬」のようにある意味わかりやすい対価ではなく、あくまで記事掲載が、PR表記のある広告が出稿される条件の一つになっているという話なので、問題が表面化しづらいのだ。
特定のメディアに着目し、記事を一覧から見ていけば、他の記事から浮いた提灯記事くさいものを見分けるのは困難ではないし、そういった記事が多くあるメディアも見えてくるはずだが、なぜか今のところステマとして炎上することもなく運営されている。
ネットには鼻が利く人が多くいるからいつ炎上してもおかしくない、むしろいっそ炎上してほしいと思っているんだが、もはやメディアによるステマなんて当たり前すぎて、怪しい記事を掘り出して炎上させる面白みもなくなっているのだろうか。
うちの子は小学2年生。今の小学校は昔とだいぶ変わっているので、基本的なことから。
小学校には1〜6年生の普通学級と、特別に支援が必要とされた子が入る特別支援学級(支援級)がある。うちの小学校では1〜6年生まで合わせて全部で20人くらいのクラスだ。おなじクラス内に5,6人の先生がいて、個別に教えている。一見、とても手厚い。
小学校の支援級の子はふつう、障害の程度は軽い。知的障害が重い子は、専門の特別支援学校へ行くことが多いからだ。うちの子が通う支援級はほぼ100%が自閉症スペクトラムの子のようで、いわゆる「発達障害」の子どもたちだ。
支援級の子が普通級で健常児といっしょに授業を受ける形態を「交流級」と言う。うちの子は国語と算数についていけていないので、それ以外の音楽やら生活やらの授業を交流で受けている。支援級を卒業して普通級に移る子も、毎年ひとりふたりいる状態だ。
で、その支援級の先生を、「普通の教員免許をとった普通の先生たち」が年交代でやっていることをご存知だろうか?
毎年毎年、特別支援教育の経験がない、普通の、ド素人の先生にほぼ総とっかえになるのだ!
私は支援級制度じたいはとてもいいと思っている。だがこの人事システムは絶対おかしい。効率が悪すぎるし、子どものためになっていない。
ほとんどの先生は、望んで支援級に来るわけではない。単純な持ち回りか、担任として普通級を運営する実力が低いとされた先生などがやってくる。やりたくもない仕事にがっくり気落ちする先生もいるらしい。
が、私は意欲うんぬんよりもまず先に、経験者が少なすぎると思う。
どんな新米の先生だって、子どものころ小学校に通ったことはあるだろう。なんとなく小学生というものや、授業の様子はわかる。でも支援級の先生は支援級に通ったことさえないのだ。学級担任として培ってきたスキルの多くも、役に立たない。
どんなかんじかというと、まず生徒の特性や学習進度を把握するのが遅い。去年は入学してから1学期まるまるかけて、やっとうちの子の性格などが分かり、信頼関係が築けて、授業の進め方ができてきた。
まあうちの子も1年生だからしょうがいないか…などと思っていたが、今年の先生に変わったとたんに逆戻り!6月になっても適切なプリントさえ出せず、ノートもろくに進まない現状だ。ほとんど勉強が進んでいる様子がない。
発達障害児に勉強をさせる技術もそうとう低いのでは……と思っている。
うちの子は自閉症スペクトラムでIQは80前後だが、さいわい好奇心旺盛で学習意欲はまあまああるので、民間の教育施設にも3つ通わせている(本人も行きたがる)。
そういうところでは生徒の発達のぐあいを調べる専用のカリキュラムやテストが用意されていて、学習進度をすぐ把握してくれる。途中で先生が変わっても、子どもの特徴についての連絡ができている。週1なのに、よっぽど適切な学習進度の問題を出せている。
べつだん費用の高い施設ではない。働いてる人の給料だって学校の先生よりずっと低いだろう。でも何年かやっているスタッフなら、支援級の先生より勉強をさせるのがずっとうまいのだ。発達障害児の感情や行動を読むのもうまい。
まあハズレの学習施設もあるのですべてではないが、小学校の支援級はもろにハズレレベルなのだ。そこに週5回、通わせているのである。
学校に文句はない。私が文句を言いたいのは制度だ。学校の先生より上の人たちに言いたい(どこに意見するのが効果的か、なぜこうなっているのかご存知の方がいたら教えていただきたいです)。この人事システムはどうかしてる。うちの子にかけられている税金の額を思えば非常に手厚い教育だと言えるが、内容はお粗末だ。
解決策を提案できるほどの知識はないけれど、私の支援級への希望は、特別支援教育を5年以上経験している先生の割合が5割を超えること。そのくらい、いてもいいでしょ!? ほとんどの先生が実務経験1年未満ってどういうこと??
現状の支援級も、いいところはある。特別支援教育にはどうしても「介護」的な側面があるけれど、そちらは問題ないようだ。集団で楽しむことにも力を入れていて、そこでできた友達に会うことをうちの子は楽しみにしている。普通級もイヤではないそうだが、支援級が学校に通う目的のひとつになっている。
しかし上で書いたように、支援級に通う児童の障害は比較的軽い。もっとうまく勉強を見てほしいというほかの保護者の声もよく聞く。
この人事システムでなければ、うちの子はもっといい教育を受けられたはずだ。おそらく小学校卒業までに改正は間に合わないだろう。高校にも行けないかもしれない。しかし大人になると知的障害と認定されるほどではないので「普通の人」として生きていくことになる……。これから小学校に上がる数多くの子どもたち、普通級にはまだ通えないが障害の軽い子たちを、人事システムの犠牲にしないでほしい。
なかなか分かりにくい国会の委員会の開催のルールについて少しご説明します。
これが大前提です。閣法の場合は、政府が提出する法律を、国権の最高機関である国会に審議をお願いすることになります。与党は勿論、野党もそういう位置づけです。なぜかというと憲法第41条で定められている通り、国会が唯一の立法機関だからです。内閣は、国会に頭を下げて審議をお願いしているわけです。そして基本的には過去のどの内閣も、野党にも議論に参加してもらうための努力をしています。なお国権の最高機関という言葉の意味に関しては優先説は美称説で、国民に一番近いという意味で単に名称上そのように読んでいる、というのが多数説だと思われます。統括機関説は現在では多数見解ではないので、別に国会が政府より偉い、という訳ではないとするのが一般的。これは当然に政府、内閣が国会より偉いことも意味しません。
規則上委員会の開催日程を決めるのは委員長です。しかし慣例上委員長は、公平中立にふるまう事とされており、実際は委員の互選によって(実際には議院運営委員会で定められた割振りに応じて各会派が決まった人数を推薦する)選ばれた理事によって構成される理事会が委員会の開催を協議します。ここも慣例上、委員会の開催は、理事会の全会一致によって決められることになります。これはただの慣例ですが、与野党が互いに「貸し借り」をすることで、全会一致の努力をします。たとえば与党は、野党が追及したい総理大臣入りの質疑、野党理事の地元での地方公聴会の開催などの提案をしながら、委員会の開催を打診します。それに対して野党は、参考人招致や証人喚問、集中審議などを要請して、理事の間でお互いの条件を出し合いながら開催を模索することになります。特に大事なのは、与野党の筆頭理事間の交渉です。これはいわゆる取次ですから、お互いの立場を尊重して、お互いのメンツを立てあいながら慎重に交渉が行われます。「森友の事を聞くな」という条件で首相入りをお願いした田村憲久厚生労働委員会の筆頭理事と、柚木道義筆頭理事間の例でいえば、田村さんとしては、お願いベースであっても、首相入りについては譲ったのだからわきまえてほしかった、というような気持ちが出た結果だといえますし、柚木さんとしては「常識的な範囲で行なう」と答えたと報道されていましたが、これはすれ違ったまま拙速に審議入りしたので、お互いの信頼関係が崩れたわけです。いったんこういう状況が起きると、委員会の開催は普通はいったん止まります。お互いの信頼関係が正常化するまで様々な交渉を行う訳です。また今期の中川政務官の不倫や今村復興大臣の失言のような、政務三役の不祥事があった場合も慣例的に、質疑が止まります。政務三役というのは法案を委員会に付託し、法案の審議をお願いしている立場なので、常にその資質が問われている、という理解です。
普通はこういう時は国対委員長同士で交渉が行われます。森友の事を聞いたので強行採決したあの件に関しては、結局国対委員長の竹下亘議員が、謝罪することで、野党のメンツをたて、さらに野党案の審議をするという譲歩を行うことで、審議が再開されました。こういう貸し借り、というのが政治の世界では大事な話になっています。国会対策委員長というのは大事なポストで、各委員会の日程も含め、実質的な国会の運営を決めています。規則的には議院運営員会が担っているのですが、国対委員会という党の機関が「本国」と呼ばれ、議院運営委員会は「出先」と呼ばれるように、本質的には国会対策委員長同士の交渉が一番大事になっています。ちなみに国会対策委員会の基本的な役割のもう一つのものが、議員の派遣です。これはバカみたいな話なんですが、委員会の開催は委員の過半数がいないといけないことになっています。しかし委員を務める国会議員も複数の委員会に出席していたり、その他の政治日程により参加できないこともありますので、その空いたスケジュールに一年生議員を中心とした暇な議員を派遣する役割を担っています。国対委員長の管理が甘いと、頻繁に定足数割れが起きます。今国会はすでに3回ほど定足数割れを見た気がします。委員会審議の際に、野党委員から「定足数は足りていますか」と聞かれることがよくありますが、出席率わりーなーという嫌味なわけです。実際に割れていたら委員会が成立していなかったとみなされますので恥なわけです。話がそれましたが、国対委員長同士でもうまく交渉がまとまらないときは幹事長の出番です。幹事長が出てきても話がまとまらないときに、審議拒否が起こる土壌が生まれるわけです。
ここに裏技があります。慣例を破って、理事会の合意抜きに、公平中立に運営するという与野党の申し合わせを無視して、委員長が開催を宣言することです。これをやると与野党の信頼関係は最低ラインまで落ちます。与党がどうしても通したい、なんとかあと数回の開催をしたい、というときに使われます。ふつうこれを使うと野党はヘソを曲げますので、割と奥の手です。通常でいえば、国対→幹事長まで行く話です。ベジータ戦での3倍界王拳ぐらいには。4倍程ではないと思う。今回の共謀罪法案では、衆参両院の法務委員会では、職権ではない開催は衆院の最初の2回だけです。残りは全て職権で開催されています。これは異常事態です。普通なら審議拒否一直線コースです。
野党が何を求めても与党が反応しないとき、信頼関係は地に落ちているけれども、それでもどうしても法案を通したいとき、与党は委員会質疑を開催し、野党は出席を拒否します。これを「空回し」といいます。何の質疑も行われず時計だけが進んでいくからです。これが狭義の審議拒否です。今期民進党は、参考人招致をしても無視され、資料請求しても無視され、集中審議を要求しても無視され、予算委員会の開催を求めても無視され、委員会は職権で開催され、政府参考人の登録を委員長に行われ、かつてないほど愚弄されているわけですが、それでも出席拒否をしていません。例えば自民党が野党時代に、特例公債法を人質に審議拒否をしたときは、当時の野田政権は空回しをやりました。安倍政権でもTPPや安保法制の時にありました。私は出ても出なくても同じなら、出席拒否して、同メンバーで国会前で演説をする、市民との公開討論会をする、などでもやってみればいいじゃないかと思っているので、別にそのことを褒めるつもりはないのですが、先日の安倍総理のラジオ発言に反発して、「審議拒否も議論の妨害もしていない」と言いたい気持ちはよくわかります。現民進党執行部は審議拒否をしてみても、与党は屁の河童で空回しして来るだろうし、そうした時に読売、産経などを中心に大きく非難されることを恐れているのだろうと思います。しかし無抵抗で審議に出席して、「十分な審議をした」というアリバイ作りに加担しているということも自覚していただきたいし、そういう意味で厳しい目で見ている人もいるとは思いますよ。
保守速報やら痛いニュースやらが「審議拒否」と言っているのは、先決事項である不信任案の採決による休憩、流会、与党側の不祥事に伴う、竹下国対委員長の出した譲歩条件による流会、さらには交渉段階での発言しかありません。このレベルを仮に広義の審議拒否としましょう。今期国会に関しては、そういう意味での広義の審議拒否は与党側の方が多く行っています。野党側は3月からずっと予算委員会での集中審議を求めていますが、与党はほぼ全てを無視をしています。また重要な参考人、昭恵夫人や前川次官などを交えた集中審議も無視しています。さらに質問にまともに答えない、資料を提出しない、和泉補佐官や北村滋明内閣情報官らの政府の高官の参考人要求も理由なく拒否しています。また財政金融委員会も野党が求めているのにもかかわらず、森友学園のことを聞かれるのを嫌って開催が流れ続けています。ここで大事なことは、与党が法案を通すために、審議を要求することと、野党が法案の疑義や政府要人の資質をただすために必要な資料を要求したり、参考人を招致したりしたうえでの審議を要求することの間には本質的な差がないということです。ですから野党の「審議拒否」をあげつらう方々は、ぜひぜひ与党にも「資料を出せ」、「参考人を呼べ」、「集中審議で方をつけろ」とおっしゃっていただければと切に願う次第であります。
以前、「目を覚ませ、ジャニーズ事務所 ( http://anond.hatelabo.jp/20170517121507 )」というタイトルで投稿したが、自分で見返してみてドン引きした。感情的になりすぎ。
というわけで、少し頭を冷やして、今回の規約改正に、なぜ私が頭を悩ませているのかを書いていこうと思う。
まず、今までジャニーズ事務所が定めたチケット販売規約では、「営利目的で第三者へ譲渡する行為」、つまり高額転売は禁止事項として明文化されていた。そして、購入者にも同様に、「販売代金以上の金額での購入」の禁止を明示していた。つまり、定価でのチケット取引は、暗に認められていたということである。
チケットを申し込む時に、友達と協力して友達の名義と自分の名義で別々に申し込むことがあるかと思う。もし、同一日程の公演が重複してしまった場合、今までの規約であれば、重複した分を定価で第三者に譲渡することが暗に認められていた。
また、身内に不幸があった場合や病気、仕事など、様々なやむを得ない理由でコンサートに参加することが出来なくなったとしても、チケットを定価で譲渡することができた。
さて、今までのジャニーズタレントのコンサートで本人確認が行われることはほとんどなかった。つまり、どのチケットが定価で取引され、どのチケットが営利目的の高額で取引されているかを知る手立ては、もちろん存在しない。
この「抜け穴」に目をつけた転売ヤーやダフ屋が、こぞってチケットを入手するようになった。ネットの普及とともに次第にその母数は膨れ上がり、チケットの入手が困難を極めたグループも増えてきた。アリーナやスタンドの前列、いわゆる「おいしい席」は言わずもがな法外な値段で販売された。その他の席も、需要が増えるにつれてどんどん相場が釣り上がっていった。
「おいしい席」をどうしても欲しいファンが、法外な値段で購入する。落選してしまいどうしても行きたいファンが、やむを得ず高額転売者より購入する。もちろん本人確認などほとんどないので、値段を出せば必ず入れる。そして、転売ヤーやダフ屋の需要が増える。この繰り返しで、高額転売行為はみるみるうちに加熱していった。
ネットの普及により、特別な知識や情報を握っていなくても、簡単に高額転売行為をすることができるようになった。つまり、転売ヤーやダフ屋だけでなく、お小遣い稼ぎの感覚で高額転売行為に加担するファンが増えた。チケットを入手し、高額転売を繰り返し、さらにおいしい席を手に入れるために。または、遠くの会場まで行く交通費を稼ぐために。
こうして、今まで持ちつ持たれつでやってきた我々ファンと事務所との信頼関係が壊れてしまった。
2017年6月1日より、ジャニーズファンクラブの規約が改正されることが発表された。新しいチケット販売規約の「禁止事項」には、このように追加された。
「チケットを、(中略)正式な販売場所以外の第三者から購入する行為」
「目的・手段の如何を問わず、(中略)有償無償問わず譲渡し、転売または譲渡を試み、転売または譲渡のために第三者に提供する行為」
ジャニーズ事務所は基本的にチケットの払い戻しや返金には一切応じていないので、これにより、「友人と重複してしまった場合」「やむを得ない事情がある場合」のチケットの行き場所が完全に無くなった。完全に空席にするほかなくなってしまった。
ダフ屋・転売ヤー・転売に手を染めた者のおかげで、正直者が迷惑を被る結果となった。
「そんなの書面だけの規約でしょ」と思う方もいらっしゃるかもしれない。しかし、コンサートスタッフは近年のコンサートで、入場時または開演中にランダムで本人確認を行っている。もし本人確認に引っかかり、定価高額問わず第三者より譲渡されたチケットだとわかった場合、新規約に則れば1発レッドカードで退場、ということになる。
そして、ここからが私の考える今回の規約改正において、最も改善すべき点である。
コンサート事務局は、チケットの申し込みの際に必ずこのような注意書きを入れる。
「抽選の結果ご当選でも、お支払い期限までに正しいご入金がない場合は、当選無効となります。また、次回から会員としての優先受付ができなくなることがあります。」
当選しても入金がなければ、チケットが無効になるのは、イープラスやぴあなど、どのチケットサービスでも同じであると思う。しかし、「会員としての優先受付ができなくなる」というのが非常に我々にとって不利益なのである。
整理すると
・重複などで入金しなかった場合、自動キャンセルの他、次回よりその名義でチケットが取れなくなる可能性がある
→チケット代は必ず支払わなければならないし、行けなくなってしまったのならチケットの行き場所を諦め、空席にする以外の方法がない
いくら信頼関係が破綻したとはいえ、まともにやっている会員から見てみれば、少しばかり負担が大きすぎるように感じないだろうか。あまりにも救済措置が足りなさすぎる。というより、無い。だからこそ、私はジャニーズ事務所公式のチケットマッチングシステムの設立を切望しているのである。
マッチングシステムがあれば、重複させてしまったファンややむを得ない事情が発生してしまったファンの元にチケット代が戻ってくる。また、落選してしまったファンにもう1度チケットを手に入れるチャンスが巡ってくる。空席がなくなる。事務所にはしっかりチケット代が入る。まさにwin-winなのではないだろうか。
現状のままでは、年会費を払っているはずのまともな会員が全く得をしない。不利益だらけだ。今回の規約改正で新しい禁止事項を追加するだけではなく、メスを入れなければならない部分もある、ということに、どうか気づいていただきたい。
と、チラシの裏に書いているだけでは何も変わらないので、ジャニーズ事務所公式サイトのお問い合わせフォームより意見を送ってみようと思う。もし、この記事に共感して頂ける方がいらっしゃるのであれば、面倒がらずに是非声を上げてほしい。私たちの声で何かが変わることを信じて。
よく、「夫婦はくだらない理由で離婚する」と聞くが、だいたいその認識は間違ってる。
「くだらない理由で離婚するくらい信頼関係が破綻しており、そこに至るまで積み重なってきた不満が山のようにある」
というのが正しい。
正直、飯が熱いとかくだらねーと僕は思う。冷ませばいいじゃん、そんなの。目くじら立てることか?アホか?と思うし、それで叩かれていちいち反論してる元増田面倒くせーって思う。でも、夫婦の信頼関係が拗れるって、そんな簡単な話じゃない。
「飯くらい冷ませばいい」という簡単な提案も受け入れられないくらい、嫁との信頼関係を保つために何かしようという気が起きない・・・ということだ。
結婚に至るくらいだから、最初は深く愛してたであろうに、嫁のためにはどんな苦難も我慢しようと、本気で思っていたであろうに。
それが許せなくなったのは、いつからだろうな?
考えてみると、許せないことなんか、他人事だと結構くだらないことだよ。
続ける気があるんなら、「してもらえないこと」より「自分に何ができるか?」を考えろ。
職場の同僚(38歳、男性)が、息子さんを殴っているという話を度々していて、大丈夫なのか心配。
状況を話すと、彼の息子さん(中学生男子)が、一年以上不登校の状態。家庭内で暴れる事が多くて、包丁を持ち出したり、壁に穴をあけたり。好きなゲームに没頭していて、嫌な事は一切やりたがらない、と。
話を聴いていると、素人判断は危険なんだけど、何らかの発達障害かも、と思わせる部分がある。実は、その可能性は同僚もわかっていて、何度も受診をすすめてはいる、と。
でも、受診はしていない。本人はおろか、同僚の奥さんが猛反対しているんだとか。
奥さん的には、「息子を障者にしてしまうことで、彼が普通の人生を送る可能性が閉ざされてしまう」事が耐え難いらしい。
いや、その認識は違うだろう!と強く思うんだけど、同僚の話を聞く限り、説得は無理ゲーに近い。
奥さんはかなり疲弊してて、もう一人いる息子さんのサッカー部の活動に没頭することで平静を保っている状態。同僚は、不眠。
相手に「息子に向き合っていない」などと言って喧嘩しているそうな。
「いや、2人とも向き合い過ぎ(かつ、向き合う方法が間違ってる←カッコ内は当人には言ってないです、もちろん)、家庭内で決着つけようとしないで、支援の力を借りたりすれば、みんな少し息をつけるのでは?」みたいな事は伝えたんだけど、届いてないと思う。
あと、「殴ってしまうと、息子さんとの信頼関係はメタメタになる。仮に何らかの障碍なら、なぜ殴られているのか、理解出来てない可能性も高いし」とも何度も言うんだろうけど、それも届いてなさげ。
誰彼構わず(さほど親しくない俺にまで)「いやー、息子殴ってしまってね」みたいな事を口にする同僚は、相当追い込まれてるっぽいけど、息子さんはもっと気の毒だよな。なんか、部外者に出来ることがあれば、乞う情報。
先週木曜日(間違えた)総務委員会。籾井さんのときの質疑と比べて、別に新しい情報があったわけではなかったんだけど、高井議員はNHKと政権との距離の問題はかなりしつこく聞いてきています。学生時代NHKの集金のアルバイトをして生活の足しにしていたとか。指摘するのは大事だけど、特段有効打は出せてない感じですね。
こういう、政権の意向に反した奴を左遷させる、というある種の忖度のようなものは、かなり省庁、NHKなどの中で広がってるんだろうと思うんだけど、いかんせん証拠がないので、そういう例がどれだけあるのか、ということを示していくしかないんでしょうが。魚住昭さんが書いた、月刊現代に中川昭一、安倍晋三の両議員からのNHKに対する圧力についての朝日新聞記者の取材テープとされるものの中で、松尾武氏が答えていたようなNHKの内情からするとだいぶ変容してるんだろうな、と思います。
岩田明子さんは、NHKの解説委員で、今井尚哉首相秘書官のお気に入りとされる人で、田崎史郎、山口敬之氏らとならんだいわずと知れた寿司友ですが、週刊誌的には、彼女は政治部内での発言権が非常に大きく、人事にまで口出ししている、と噂されているところです。最近で言えば、籠池理事長の会見の最中に、安倍総理のぶら下がり開始の10分前にご登場あそばして、南スーダンPKO撤退について、政府見解のご解説をなさっていらっしゃったことが記憶に新しいところ。まぁそれに関する質疑もありましたが、唯一新味のあった話だったのが、前任の政治部長(山下毅熊本放送局局長)が、岩田さんの文芸春秋への寄稿に対していかがなものかと異議を申し立てたらしい、ということで、籾井氏の粛清とされる昨年4月25日発令人事で、通例2年の政治部長職ですが、1年で熊本に異動になった、という話が、どうもNHK内部では、岩田さんのインタビュー記事が原因なのではないかとされているというところでしょうか。
これももう何回も聞いてるけど、何を聞いてもまったく答えないので、ほんと聞いててむなしいだろうな、と。昨年11月のAPECでの日露首脳会談の事前協議の映像が、内容をNHKがスクープドキュメント北方領土の中で流れたことに対して、いったい誰が撮影して、どうやってNHKが放送することになったのか、という話。これを外務省や内閣官房に映像を撮影したのかと聞いても、「お答えを差し控えさせていただきます」、NHKに聞いても個々の取材についてのお答えは差し控えさせていただきます。という流れなんですが、撮影の事実があるかないかも答えられない理由が、「政府内部の協議は一般には公開していないから、撮影の有無を含めて答えることはできない」といってるんだけれども、放送の中で、「外交機密が含まれているから音声は流せない」といいながらNHKで放送されるというのなんでそんなもんが流出してんのっていう疑問に繋がるのは当然じゃないかしら。NHKにだけ撮影に入らせてるっていうのであれば、政府の機密的事項を話し合う場面にNHK記者が入っている、という時点で、コンプライアンスがぶっ壊れてるし、官邸が撮影して提供してるんなら、NHKに提供できるものを誰が撮影したのかについて、政府側が答えないっていうのは、国民の代表たる国会議員なめてる案件なわけで、どっち方面に転んでも頭おかしいとしか、っていう話なんだよね。(NHKがニュースソースを答えないのは仕方ないけど、政府は答えない理由はないはず。だってNHKに提供してんだから。)
「NHKが政権と距離を接近させすぎてまで、特ダネ、スクープを追い求める必要性はあるのか、政権が流したいものを、スクープをあげるから、ということで流す、というのは税金が入っている公共放送としてあってはならないと思うがいかがか」
「NHKは報道機関として、視聴者の判断のよりどころとなる情報を、正確に、そしてより早く提供することが重要であると考えております。そのためにも、取材や報道のあらゆる段階で、真実に迫ろうとする姿勢を徹底することが、大切と考えております。今後も社会に必要とされる情報をいちはやく伝えてまいりたいと考えております。」
「いちはやく、ということは否定しないが、NHKが、独占的に、他社が入手していない情報を追い求める、これ自体を否定はしないが、相手が政権の場合、当然見返りがあるから問題だと思っている」
この上田さんの答弁も、もう何回目、という感じで、ただの作文読み上げだけど、籾井がやめてもNHKの本質は変わってないなというのは思いますね。籾井に反抗するような幹部は粛清済みみたいだからしかたないのだろうけども。確か、オバマ大統領との首脳会談がセッティングできなかったときに批判の声があがったときも、NHKは独占映像として、オバマ大統領と安倍さんが2人で話してる映像を流してたよね。G7の首脳会合には海外勢含めてメディアは入れないからどこから出たっていわれたら官邸からしかないわけだけどね。
http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2017021700004.html
これね。これを読んで会長の感想を求めるが、「感想は差し控える」
「感想はいえないということでしたら、もう少し具体的に聞きますが、私はこの中にはちょっと問題だと思うところがいくつかあるんです。
(略)永田町での取材を通して思うのは、記者と取材対象者の関係においては、権力のチェックという側面と、信頼関係の確立の側面の絶妙なバランスが大切だということです”その通りだと思いますね。バランスが大事なんです。”取材相手に誠意と情熱を持って全人格で向き合い、その一方で私を超えた公の立場でチェックをする、と同時に情報はよい意味で、ギブアンドテイクであるべきだと実感をしました。権力主体が隠したい事実がわかり、それが不正だった場合、外交上やむをえない場合を除き、この事実を報じなければなりません”報じなければなりません、ってか報じる、当たり前ですよね。報じるに決まってるじゃないですか。”そのためには、日ごろから取材対象に肉薄し、情報を取る力と交渉をする力が不可欠です”こう書いてるんですね。つまり今回のスクープドキュメントNHKスペシャルの話もそうです、あるいは国会で何度か取り上げてきた、南スーダンから撤退するときの、情報をいちはやく入手して、しかし、その見返りというんでしょうか。夕方の放送でですね、ちょうどあのとき、籠池理事長の記者会見とあえてぶつける形で、記者会見をした、その後すぐにですね(事実誤認、記者会見がはじまる前です)、岩田明子さんが出てきて、長々と政府の立場を解説する。やはり。情報をとる、ということに対してですね、どうしても、政権よりの放送に、どうしてもなる、と。だからこそ政府も情報を出すんじゃないですか。ですからバランスが大事だといいながらですね、私は権力のチェックこそマスメディアの使命だと、ましてや受信料で成り立つ、NHK、公共放送として、大事な使命だと思いますが、会長、NHKとして、こういう考え方、この考え方、これでいいと思いますか。」(質問がわかりにくい、もっとストレートに、コレは癒着だと思いませんかとか聞いたほうがいいよ。岩田明子氏が権力のチェックを果たして、政権の思惑と違うことをしゃべったことがこの5年で何回あるか知らんけど、外見からは、政府のスピーカーとしての機能しか果たしてないと思うけどね。)
「NHKの姿勢に関しましては、取材・政策のルールブックであります、放送ガイドラインがありまして、そのなかで、取材相手との関係については、放送倫理や公平・公正な姿勢を意識し、節度ある距離を保たなければならないと定めております。また国民の知る権利や、公共の利益のために、密着取材が必要な場合でも、相手の利益を図ったり、癒着と受け取られる行動を取ってはならない、と定めております。この冊子を全職員に配布いたしまして、周知の徹底をいたしております。また真実を明らかにするために、取材相手に食い込むことと、いっぽうで、取材相手と一定の距離を保つことは、ジャーナリストが必ずわきまえなければならないことであると認識しておりまして、現場ではこのことを十分に踏まえて、日々の取材・制作に取り組んでいるものと承知しております。」
「会長まだ就任されたばかりでね、まだ、まぁ監査委員やっておられましたけども、昔のNHKはそれを守っていたかもしれませんが、そうじゃない実態が、だんだんそうじゃなくなってきているということを、皆さん、NHKの内部からも、皆さん危惧されて私のところにも情報を下さる方がいる。この委員会でも取り上げました。去年ですかね(5月24日衆院総務委員会)、あのーこれもまた岩田明子さんが、文藝春秋に安倍総理のお母さんのロングインタビュー、4時間半のインタビューを書いたと。これも内部ではですね、なぜNHKの記者が、解説委員が、文藝春秋に、自分たちが集めたリソース(NHK記者として安倍洋子氏との人脈を築いたわけだからね)を使って、集めた情報を、文藝春秋に出すんだと、反対した方がね、部内にもいらっしゃるそうですよ。しかしその方はね、定期じゃない人事異動で地方にいってしまったそうですよ、政治部長がね。異動になったと、これはもうNHKの内部では有名な話ですが、会長がご存じなかったというのなら、この機会に是非知っておいて頂きたいと思います。結局、NHKの組織が権力をチェックするというバランスに対して、鈍感になってしまっているのではないか、これは前の会長の籾井さんの体制の悪い影響がでているんではないかと思います。これ以上聞いても堂々巡りの議論に・・・(略)
高井さんはここでとまっちゃだめだよ。わざわざNHKが籠池理事長の記者会見に合わせて、前から持っていた情報を流し始めるというのは癒着だと思いませんか、岩田さんが会長賞を受賞されたそうですが、彼女のどの報道を評価されたんですかってしつこくしつこく聞いて欲しいわ。この、寿司ともを利用して適度にスクープを読売、産経、日テレ、フジテレビとかに与えながらやっているメディアコントロールと、桜井充さんの質疑で出てきたような、国家戦略特区に関して、変に便宜を図るようなことはしないほうがいいって発言したら、次官経験者から脅しの電話がかかってきて、地方の大学に飛ばされた、みたいな人事権を使った官僚コントロールが安倍政権を磐石にしてるものだと思うから、ここをしつこく突っつくのは、ホントに大事なとこだと思うんで、ここでやめちゃいけない。、
一応時系列を整理しておくと、岩田氏のインタビュー記事、「晋三は「宿命の子」です」の取材は当該記事によると取材の申し込みは昨年3月、当該記事の出版が5月10日、NHKの定期人事は例年6月で山下毅氏を含む籾井氏の粛清人事があったのが4月25日、山下毅氏の熊本異動後の記事によると、内示を受けたのは、熊本地震の前日、4月13日ということです。まぁ一応筋道としては通った話なのかな。真偽は知らんけど、こういう話は、この政権ではごろごろ聞く話ではある。
だから妻と向き合い終わったのなら、別れるなら別れろと言っている
離婚が悪と言ってないぞ
今考えるべきことは家庭の改善への努力を継続するか、終結して離婚に向かうか、決断することだ
逃避でしかないが、全員を呪う覚悟があるなら不倫もひとつかもしれないな
妻も、子供も、女の子も、自分も、全員不幸にする覚悟があるならやってみろ
神はいるかもしれんが、神は試練以外のものは決してくれることはない
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増田、ごめんな
追記も読み直すと、やはり別れた方がいいと思う
もういっぱいいっぱいだ
つらかったな、増田
下準備は勿論しても良いが、出し抜いたり復讐したりは考えず、正攻法の提案をするのがいいと思う
今は離れてみることが一番だと思う
あとな、増田
やっぱり、その天使ちゃんとは、まだ近づかない方がいい
そして何より、誰かに不義理をしながら誰かと信頼関係を築くことは無理だ
不倫して別れたら、また不倫するのでは、自分も捨てられるのでは、って思ってしまう
だからこそ、天使ちゃんとの幸せを夢見るなら、天使ちゃんと結果結ばれなくなる可能性も覚悟して、あえて順番を守って筋を通さないといけない
状況を逐一報告するのは構わない
幸せを求めるのは何も悪くないんだ
でも、やり方を間違えると、幸せどころか不幸を寄せるだけになってしまうんだよ
増田には、そんな失敗はして欲しくない
なあ増田
今年から研修医になって実際の医療現場の渦の中にいると不思議に思うことがいくつもある
自分が経験した科が内科だからかもしれないが毎日パソコンを弄っているだけで患者が治っていくのである
外来で経過を見ていた患者が肺炎を起こし呼吸困難になったので入院した
私は取り敢えず点滴のための静脈路確保のため患者さんに針を刺した
針を刺したら逆血が来たので静脈と針先が繋がったことが確認できたら否や、ナースさんは「あとはやっておきます」
といって交代してくれた
その間に私は電子カルテで「オーダー」を出す
呼吸困難なので酸素マスクの指示を入れる。 発熱があるので一応血にばい菌がないか「血液培養」を取る。培養を取れたことを確認しだい「抗生剤を食塩水に混ぜて点滴に入れて下さい」と指示を入れる。
その後、他の患者さんの作業があって入院患者さんの元を離れたのだが、その数十分後に入院患者さんの病室へ戻ると
もう綺麗に点滴装置が設置されてバッチリ抗生剤が入っていて、バッチリ酸素マスクを吸った患者さんがいる。ナースステーションには培養ボトルにバッチリ血液が取れている。
私がやったことは最初に針を刺したのとパソコンで指示しただけである。それなのに患者さんのもとには様々な器具が装着され次の日にはすっかり患者さんは元気になっていた。
実はこの時、私は点滴装置のつなげ方も、抗生剤を食塩水に溶かす方法も、食塩水の点滴バッグを点滴装置に繋げる方法も、酸素マスクの付け方も、血液培養の方法も知らなかったのである。
ここまで酷い研修医は私くらいかもしれないが、実際ナースさんが優秀で救急医療の経験がないと、医者のほうが実際の器具扱いを知らないというのはままある現象ではないかと思う。
勿論指示を出したのは自分であるが、自分はパソコンの前でカチカチしているだけで患者さんがみるみる治療され元気になっていくのだからなんとも不思議で新鮮な経験だった。
よく「医療ミス」や「患者取り違え」が話題になるが、本当にそういうリスクの高いことをやっているなあと実感する
一度ナースさんがやってくれている朝の採血を代わりにやらせてもらったことがあるが
ナースさんたちは一人で5~10人の患者さんの採血を担当するのだ
「その程度でミスするなよ」と思うかもしれないが、現場はそう簡単ではない
血液検査はその項目ごとに採血管の種類があるため、患者さんの病気によっては一人につき7本も8本も採血管に血をいれなければならない状況もままある
効率よく採血しようものなら自分の手元には30~50本もの採血管があり、それらに一本も患者の取り違えミスも無く入れなければならない
私も気づけたから良かったもの、別の患者さんの採血管に別の人の患者さんの血を入れてしまったことがある(幸い外のラベルを張り変えるだけで解決できたが)
採血程度なら良いがこれが抗がん剤なら大変な問題だ。 患者や量を間違えたら命を奪う可能性だって十分にある
勿論、医者側も毎日この抗癌剤をこの患者さんに入れます というのをナースと一緒に確認する。するはするが
実際に抗がん剤を点滴バッグにいれ、それを患者さんに入れる部分を目で見て確認しているわけではない(それを患者全員分しているほど暇でもないし)
そう考えるとナースさんの責任というか、日々やってくれていることの難易度と凄さを改めて実感する
大変失礼かもしれないがナースさんは治療に関してはそこまで大学で勉強していないはずで、抗がん剤の種類や内容(ある意味、危険さやおっかなさ)も完全には把握していないだろう
にも関わらず、そんな危険なものの「投与」という超重要で取り違えたら大変なことになる高リスクな部分を確実に遂行してくれていあるのだ。
勿論投与の相手や内容を間違えれば、患者さんの命があぶないし、そんなミスをしでかしたナースもドクターも「医療者人生が終わる」自体だ。
そんなヤバイことをやってのけてくれている。 それも一人で何人分も。 なんと恐ろしい作業なことか
こんなヤバイことを分担しているのだからさぞかし信頼関係があるのか と言われるとそうでもない
ナースさんたちは医者の名前や性格を把握して毎日こちらのオーダーもチェックしてくれているように思う
しかし、大変申し訳無いが多分、多くの医者はナースさんの名前を全員分把握してはいない
リーダー格は覚えているが、ナースさんは医者の三倍近く居ることもあり(医者は1日じゅう患者の担当をするが、ナースは日中、夕、夜間の3交代制のため)中々覚えきれない
そして自分の患者がどのナースさんが担当してくれているかも余り把握していない どんな人材が薬の投与などのおっかない作業をやっているか把握しようとすらしない
そんな信頼関係で「患者と医療者両者の命がけ」の治療は分担され、成立しているのである
医者は一般的なサラリーマンとは異なり、働く場所が固定せず転々とする例が多い
(それは、病院毎に入院患者さんの病気の内容が違ったり、所属医局の病院ごとの人員運営だったりといろいろな理由があるのだが)
その為、日々の診療も実は知り合って数日の医者同士で行われたりする
性格やプライベートや経歴もお互いよくわからない状態のままでも、分担作業を平然とこなすのである
勿論、誰かが失態を犯せばチーム全員で責任を負わねばならない。にも関わらず 案外ケロッと任せてしまうのだ
そうしないと時間内に治療が回らないとは言え凄い信頼関係(?)だなと思う
病院経営として仕方ないとは言えこれだけ危険な作業を希薄な信頼関係で成立させている現状は私にとって非常に奇異に感じるものであった
普通、サラリーマンならずっとその会社で生きるため、そして年を取り昇進をすれば多少は楽になるから
若いときに苦労をする。上司も若い人材がその先会社を支えてくれるように一生懸命に指導をする。
有名な病院に居る若手医師は「ずっとここで最前線で働きたい」という人はそこまで多くなく
「ここは勉強になるけどキツいから若い内だけでいい、修行だけ積めたら他に居場所を探す」という考えの人も多い
(それは有名病院ほど帝大出身の医者じゃないと昇進できなかったりと幾つか理由はあるにはあるのだが)
ずっとそこに居たいわけでもないに彼らは本当に一生懸命に働いている
そして指導者もある程度彼らが一生自分の手足として働いてくれはしないことを知りつつも、一生懸命指導する
すでに学生でもないのになぜこの件について書いているか自分でも分からないが、例の穏便でない大学教授の発言にブーストされた感がある。
まず前提として、ID/パスワードを用いてスクレイピングを行うサービスそのものは、特殊というほどではない。そのようなサービスはすでにいくつも存在するし、最も有名なところでは口座アグリゲーションサービス(MoneyForward等)だ。彼らは業としてそのようなサービスをおこなっている。セキュリティのこと少しでもわかる人間ならそんなサービスやらない、というほどでもない。ただし、セキュリティが分かる人間であればあるほど慎重になる、というのは確かではある。通常ID/パスワードを渡すということは、全権委任とおなじだ。また、ログイン後の行動について、自分がやったか第三者がやったか、全く判別できない状況になる。さらに通常のWebセッションと同等だとすると、パスワードリセットから完全なアカウント乗っ取りまであり得る。つまり、サービス事業者に対してよほど強い信頼関係がなければ厳しい、ということになる。
クラウド上で動いているかスマホ上で動いているか、という話は、それほどは重要ではない。クラウドにしろスマホアプリにしろ、すべてサービス事業者側の組んだプログラムの意図に従って動くものであることは確かだからだ。
ただしクラウド上ではユーザが想定していない動作を行っているのかどうかという検証しにくいという問題があるとはいえる。とはいえユーザが予め意図した行動から外れることをしてないのであれば、クラウドからのアクセスでも別にそれは問題ないわけで、その点で、Orario側の主張である「スマホで動かしているのだから」という主張は、ちょっと見当はずれではある。
なお、ユーザインタラクションを介さない自動的なアクセス自体がサービス要件に含まれる場合、スマホでは厳しいためクラウドにアクセス主体が置かれる、というのは、まああり得る。口座アグリゲーションはその典型的なものだろう。Orarioの場合は、たぶんその必要はないのだと思う。
正規の手段として学認があるのになぜしない?という主張は、マジでひどいと思う。普通に考えて、ぼっと出の1ベンチャーがトラストサークルに加えてもらえると思っているのか。このような主張は、Google/Facebookレベルに自由にAPIクライアントの登録ができるようになっていて、初めて言えるものだろう。通常は、世に受け入れられるサービスが出て初めて実行力を認めてもらえる、にわとりたまごの話ではないのか。そもそも、学認のShibboleth仕様で、そのような履修情報のやりとりがそもそもできるようになっているのか疑わしい。ホントはSSOできるだけではないのか?
大学側にお伺いを立てるべき、という筋論は、そりゃそうかもしれないけど、やっぱりにわとりたまごだと思う。ビジネスの筋論っていうやつは、内輪だけの論理になっている場合が多いし、正直ステークホルダーは既得権益側だったりするわけで、話が通じるとは思えない。そのようなものを破壊していくのは常に外部からだろうし、それを単なる破壊行為ではなくDisruptionにできるのは唯一ユーザからの支持であるわけだけど、Orarioは最低限そこはできていたようにもみえる。例の教授はどうも内側のメンバーの感じがひしひしと出ており、傍目から見ると、そりゃそのポジションじゃあね感が強い。
事業モデルがわからないから怪しい、事業が成り立つとしたら収集したデータの第三者への販売ぐらいしかないはずだ、という主張は、気持ちはわかるものの論理として弱い。怪しいサービスに預けるな、というのは、意見の表明ではあるかもしれないが、普遍的に怪しさを証明するには根拠が足りていない。利用規約レベルではまだなんとでもいえる。逆に言うと、Orario側は、そういう色が少しでもあったのでは?と思わせるような内容を否定してさえいけば、その点では勝てるが、やっぱりそこは何らかの形で検討して行きたかったのでは、とも思えるので、そういう将来の自分たちを制限することはことはあまりやりたくないだろうなとは思う。
結論を言うと、とりあえず大学側はもうすこしトーンを落としてほしい。このままではFUDだといわれても仕方ない。単位云々の脅しは傲慢以外の何物でもない。少なくとも卒業生にとってそのような大学にいたことを恥じるレベルである。嫌なのは分かるが、銀行とかだってそうだったはずだ。もうすこし長い目で見てあげられないのか。ID/パスワードを預けることのユーザへの注意喚起は、もちろん正当だが、それを認識して預けていることについてとやかく言うことは得策でない。
そして、Orario側は、自分たちがやっているサービスの説明に少し時間を割いてもいいと思う。特に何をどのように取得しているのか、明確にすることは重要だ。大半のユーザたちはそういうこと気にしないとしても、自分たち自身が自分たちのサービスを定義するのに役に立つし、今はEvilでなかったとしてもいつかEvilになってしまうのを防ぐという意味合いもある。面倒かもしれないが、取得範囲を明確にすることは信頼を得るということであり、最終的にユーザの獲得に寄与するだろう。
受けてきた。
覚えているうちにメモ。
午後Ⅰ
<問2>
設問1
……ユーザは正確な時刻は覚えていないものなので「日時」にしてみた。
担当者は、この時点では、XSRFでなく不正ログインを疑っている。
設問2
(1)a.クロスサイトリクエストフォージェリ
(2)b.3
(4)e.confirm f.submit
設問3
(1)イ、ウ
……適当。onmouseoverとかでもイケるらしい。ダメだこれは。
(2)g.セッションハイジャック
<問3>
設問1
設問2
(1)a.ウ b.エ c.ア d.イ
(2)e.1 f.3
(3)g.オ
(4)h.IdP i.改ざん
(5)事前にIdPとSP間で情報共有し、信頼関係を構築しているから。
ここだけ設問に『具体的に述べよ』って書いてないので、。
抽象的なやつかなと思ってこれに。
設問3
社外から社内IdPへの通信は、ファイアウォールで禁止されているから
接続元IPアドレスを制限する機能によって、社外からアクセスできないから
……地味にFWという略語はでてきていないので、ファイアウォールと記載。
ここの説明はすごく問題に出そうだったので、ぐりぐりとマークしていたからすぐに気づいた。
午後Ⅱ
<問2>
設問1
(2)b.ウ d.ア
設問2
(1)e.プロキシサーバ f.URLがC&Cサーバである通信
(2)g.外部メールサーバ h.外部サーバに転送が成功している通信
(3)外部DNS: 内部DNSサーバからの再帰問合わせを許可しない
……よく分からないけど、TXTレコードってSE作業とか以外で問い合わせあるの?
と思ったので、これを問い合わせるのはマルウェアYかなと。
設問3
(2)ウィルススキャンで異常が検出された場合に、システム部が即時検知できること
……「調査及び着手の早期化」の機能要件=システム部が迅速検知できる、かな。
A社の問題点として、セキュリティパッチ適用の遅さ(どこの会社でもあるよね~)も
あるけど、今回、社員PCのフルスキャン(毎日12:00。これは頻度高い。)から、
連絡受けてシステム部が検知する13:10まで時間かかっているのも問題かなと。
設問4
設問5
業務LANのサーバ間通信は、日次データ転送で用いるプロトコルのみを許可する
……『日次でデータ転送』もぐりぐりマークしていたので使ってみた。
以上
http://anond.hatelabo.jp/20170412
【簡易的な流れ】
野党<OK!
↓
安倍<再三委員会で言っているとおりです。貴重な質問時間大丈夫?
委員長<中断する!
↓
委員長<再開!
柚木<安倍首相!森友学園について答えてくれなくて失礼だ!じゃあ法案について話す!
(中略)
柚木<安倍首相!森友学園についてちゃんと答えなよ!では終わる。
http://www.buzznews.jp/?p=2107714
まずこの委員会が始まる前提として、与党側は審議は十分なされたとして採決提案をしようとしたら、
野党側から「審議時間が短い!」という意見が出され、質疑をして採決は14日にすることとした。
「森友」質問に反発、与党が採決強行 介護保険法改正案(朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00000093-asahi-pol
>自民の田村憲久前厚労相は通告のない質問はしないことを条件に首相の答弁時間を長く確保することで野党と合意していたとし、「信頼関係を損なうことが起きた」と話した。
野党側がもっと審議をしたいとの提案だった為、この「介護保険法改正案」の委員会で『法案以外のことは質疑せず充分に審議しよう』と『与野党で事前合意』していた。
それを蓋を開けてみたら、民進党 柚木議員は出席した安倍首相に対して「介護保険法改正案」に関する質問するどころか、森友学園問題を何度も質問。
委員長から何度も法案に関する質問をしなさいと指摘受けても、森友学園問題を質問する。
その為、委員長が「時間与えたのに、野党側は森友ばかりでもうこの法案に対しての質疑はするつもりがない」と判断し打ち切ったという流れ。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-rules.htm#8-4
>第百三十四条 発言は、すべて議題外に渉り又はその範囲を超えてはならない。
>第百三十四条の二 質疑は、同一議員につき、同一の議題について三回を超えることができない。
民進党 柚木議員側が規則違反とも受け取れることをしています。
ではなくて
が正解です。
ほとんど言及されないけど、けものフレンズは、アニメ業界としてもターニングポイントになる。
ブラックな体制が当たり前の業界に、大きなインパクトを与える。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。有象無象の低品質アニメが量産されすぎている昨今、あまりの内容に呆れることも多い。
制作側も駄目なのはわかって作ってるんだと思う。当然そんなアニメが指示されるわけなく業界自体がジリ貧になっていってる。
けもフレは、どれだけ低予算でも質を高めれば視聴者はちゃんとついてきてくれることを証明した。
1話から一切無駄がない脚本は見事としか言いようがない。オタクを馬鹿にするクリエイターもいるけど、ちゃんと質を見抜いているんだよ。
(脚本の話で言えば、30年以上続く棒ロボットアニメがほんんと酷いことになっている・・・。)
インタビュー記事を読むと分けるけど、たつき監督がほとんど一人で考えてる。
細部まで考え抜かれた演出や伏線を仕込めるのも、全てのコントロールが効くからだろう。
才能を持った人が最大限その能力を発揮できる環境を整えれば、ここまでのものができるということだ。
今の多重下請けが当たり前の業界構造をやめて、優秀な人達がのびのびできる環境が必要だ。
全ての層を否定せずに受け入れ、真摯に作成する姿勢を崩さなかった。
それが信頼関係構築に繋がったんだと思う。
食事にしてもカフェにしてもそこは相手によって変えればいいと思うよ。
まぁこれから歳を取っていくと同じ会社の中でも同級生でも正社員同士でも同じ収入でも金銭感覚が違う人がでてくるよ、
将来自分よりお金を持っている人なのにおしゃれには興味がないとかコーヒーなんでどこで飲んでも同じとか、
他の友達と会うときに自分の意見も反映されるだろうし、他に友達がいなければ一人で行けばいい。
学生時代の友達は最初に金銭感覚が合うことから始まる関係ってあまりないでしょ。
話が合うとか信頼関係とか人間的なもので嫌でなければ大切にしたほうがいいかとは思う。
何から何まで合う人ってそんなに出てこないよ。
そういうのを社会学とか政治的には「分断」とか「断裂」って読んでいて、それこそ100年以上まえから様々な議論が行われてきたのだ。
彼らに話を聞いてもらおうと思うなら、まずは信頼関係を取り戻すことが第一で、それもないのに正しさだけ説いたって無意味じゃないだろうかと思う。
しかし、そもそものはなし、信頼関係というものは双方向のものだ。相手に話を聞いてもらうのは、両方の陣営がお互いにしあうべきもののはずだ。そして、話し合い(説得)という関係では、説得のための理屈が強度につながる。
そして現在格差的に上の側にいる層(現実世界に生きていて、収入や資産がそれなりにあり、安全で豊かで幸福な生活を送っていて、知的な教育を受けていて、おおよそリベラル)はその戦場で、相対的に強力な武器を持っている。誤解を恐れずやや露悪的に云うならば、彼らは概ね正しいのだ。今しきりに批判されているグローバリズムですら、そのグローバリズムで世界全体の格差は縮小し、餓死者は減り、疫病は随分少なくなった。もうそれだけで倫理的には正義だ(もちろんこれは相当強い表現なので、国内格差とか言い立てる人はいるかもしれないが、それは「一番弱い人を救わずに俺に金をよこせという意味?」という批判に耐えられないのだ)。
そういう状況で「互いに話し合うべき」というのであれば、格差上の側が下をフルボッコで試合終了だ(それがこの40年位の世界の動きだった)。
一方で「下が弱いので、上が一方的に理解すべき、一方的に譲歩すべき」では、弱者の居直り強盗だ。そんなものに付き合うバカは二種類しかいない。ひとつは付き合うふりしてバカの上前をはねようとする「下流の味方のふりをする上流」であり、もうひとつは後述する「暴力」に対してを憂える人だ。
そもそも、弱者は知的訓練の不在の結果「適正な落としどころ」を見つけられないので、「ぱっと見得に見えるけれど実は損」のような強者のつくった商売に騙されて現在がある。税制から携帯の縛り契約にソシャゲまで、全部そんなもんだ。交渉面で弱者というのは、もう「損をする」か「得している気分で損をする」かの二つしかないのだ。それひとつじゃねえかというツッコミもできない。なぜならその二つが本当は「損する」という一種であることを見抜けないというのが、この話の本質だからだ。
なので、結局交渉面での弱者は、暴力面で強者にカウンターするしかない。革命だ。これまた露悪的に書くが、革命や暴力は必要なのだ。交渉面での弱者が強者を牽制する方法って本質的にはこれ以外ないからだ。
日本はこの暴力に対する忌避感が強い。暴力良くない!って思ってる。それそのものは悪くないんだけど、それがあんまりにも広がって、自分が暴力を奮ってることに気がついてないことさえある。暴力=社会的に悪=僕は悪じゃない=暴力は奮ってない、みたいな理屈で。いいやとんでもない。暴力は下流の武器だし、日本人だって様々な暴力を奮ってる(なんせ一般的な生活者が権力者や富裕層に反抗するためにはそれが必要なのだから)。「経済格差が広がると治安が悪化しちゃうよ?」ってネットでよく見る言説なんだけど、あれは「これ以上俺が貧乏になるとお前らの家に火をかけるとか、襲撃して殺すぞ」という脅迫をオブラートに包んだ、れっきとした暴力だってことを認識した方がいい。別に暴力だからって責めてない。バランスを取るために必要な武器だからだ。でも、「それを暴力と認識しないしたり顔で云う」のは危険だから認識すべき、って話だ。
強者の側だって雇度留めとかお祈り手紙とか暴力奮ってるんだから、そういう意味で公平な社会なのだ。
「互いに話し合うべき」なのはわかるんだが、それはせめて両者が、そういう自分の暴力性に自覚持ってからじゃないとそれこそ話にならない。自分が暴力奮ってる自覚のない人間の集団が結論する平和条約とか、怖くて仕方ないっしょ?
貧民を捕まえては、お前らはリベラルに投票するのがお似合いだと言うのが、ここ最近のブームだ。
そして、そういうのを見聞きするたび思い出すのが、二次元とそれにハマるオタク叩きである。
もちろん、オタクに種類があるように、オタク叩きにもいろんなバリエーションがあるのだが、
「二次元は単なる逃避先でしかなく、三次元の方がずっといいだろう」とかいうアレを思い出す。
負け組がポピュリズムに走ったせいで、強いこと言ってるだけの奴が政権取っちゃうと困るし、
みんなが二次元に行くと少子化が止まらないから、どちらも一定のもっともらしさは備えている。
しかしそれは、今ある社会で虐げられている、社会から切り離されていると感じる人にとって、
「そんなものにハマってないで、ここで負け組やっていろよ」というメッセージに聞こえてしまう。
大きなお世話なわけだ。
リベラルや三次元を敵視する者、それから空飛ぶおっさんに傾倒してサリンをまいた若者や、
自爆テロの実行犯までおそらく共通するのは、とにかく今あるものに対する不信感だろう。
三次元の異性は信用できないし、今持ち上げられている同性がなんぼのもんじゃいという思いもある。
トランプ支持者がそうであったように、それらは得てして自己責任ということで片付けられる。
ポピュリストも二次元も、おそらく彼らの根本的な苦しみをどうにかしてくれるわけではない。
彼らに話を聞いてもらおうと思うなら、まずは信頼関係を取り戻すことが第一で、
それもないのに正しさだけ説いたって無意味じゃないだろうかと思う。
アイドルマスターミリオンライブのプロデューサーの皆様、まずは4thLIVEお疲れ様でした。3日間どの公演も本当に素晴らしいものでしたね。3日目の最後には嬉しい発表や一歩一歩進んだ先にあるものを期待させるようなPVの公開もあり、ミリオンライブのこの先への希望を与えてくれるライブだったと思います。
私は運良く3日間全て現地でライブに参加することができました。そして演者である小岩井ことりさんの体現する天空橋朋花を観て、ライブ後に様々な朋花Pの方々のツイート等を拝見して、また自分の中の「天空橋朋花観」の大きな変化を感じたので、それをこの時の考えの記録として、はてな匿名ダイアリーという人の目に触れる形で文字に起こしたいと思います。チラシの裏にしない理由はこれを読んで皆様がどう思ったかをURL付きツイートやブクマコメなどを通して知りたいから、ツイッターにしない理由は直接繋がりのある方々に知られるとちょっと恥ずかしいからです。
まずプロデューサーと子豚ちゃんの話をします。以前の私は朋花の担当プロデューサーであることにこだわり、子豚ちゃんであることをよしとしていませんでした。ゲーム内でも朋花はプロデューサーに対して高い意識を求め、それに応えられなければ罰やお仕置きが仄めかされたり、応えられれば聖母に相応しい者として認めてくれたりする訳です。私はそんな朋花とプロデューサーの信頼関係がとても好きで、そんな関係を築けるプロデューサーでありたいと思っています。それは今も変わりません。
ですが朋花の担当プロデューサーでなければ見られない朋花の姿があるのと同じくらい、子豚ちゃんでなければ見られないものもある、と思うようになりました。このような考えをもったのは、武道館で天空橋朋花として聖母の愛を振りまく小岩井ことりさんを見てからです。正直一撃で子豚ちゃんになりました。以前小岩井ことりさんが最初の挨拶で「子豚ちゃんたち」と呼びかけたことに少し思うところがあり、担当プロデューサーとして武道館に行こう、と決めていたのですが、サプライズとあまりの天空橋朋花っぷりにやられてしまいました。ですがこの経験が、より様々な側面から天空橋朋花について考えてみるきっかけとなりました。
ここらへん本当にまとまりなくて何が言いたいのかよく分からないですね。要はこだわりを持つのもいいけど色んな視点から見てみると発見があって楽しいなぁってことに気づいたってだけです。当たり前のことですがこの時やっとこんなことに気づきました。
余談ですがそんなことがあっての二日目の最初の挨拶、プロデューサーでも子豚ちゃんでもいいからとにかくめいっぱい楽しもうと思って望んだら小岩井ことりさんと朋花に「プロデューサーさんと子豚ちゃんたち」と呼びかけられて死にそうになりました。小岩井ことりさんと天空橋朋花に自分の考えを全て肯定されたような気分になりました。本当に余談ですね。
ここからプロデューサーと従者の話をします。先に断っておきますがこれらは全て私独自の解釈で、ゲーム中ではプロデューサーという立場に聖母という世界観の上で従者という言葉があてがわれている、という感じだと思います。(パっと見つかった「プロデューサーさん、従者以上の存在に〜」から考えていますが、他も大体そんな感じだったはずです)
以前私は、「より多くの人を子豚ちゃんにし、救済するという朋花の願いを叶えるために朋花を聖母として完成させる」というプロデュース方針を打ち出しました。これは彼女の中に聖母たろうとする朋花と、15歳ありのままの朋花が共存している、と仮定した上で、前者を推進していく、というものです。聖母になるという使命を完遂させることで、そこから解放してあげたい、という意図も多少は含まれていたと思います。過去の私が決めたこの方針は「従者」としてのものであって「プロデューサー」的ではないなぁと最近思うようになりました。
では「プロデューサー」的なプロデュース方針とどのようなものでしょうか。私は「聖母としての朋花も、15歳の朋花も、丸ごとひっくるめて『アイドル』天空橋朋花としてプロデュースする」ことだと考えます。先日ツイッターで「#天空橋朋花こんなところもあるんだ選手権」というタグを見かけました。もし私が天空橋朋花を聖母としてプロデュースしていくとしたら、こんなにも沢山の天空橋朋花の魅力を取りこぼしてしまうのかと思い、それは天空橋朋花の担当プロデューサーとして見過ごせないと思いました。
ですが、どちらの方針が正しいか、私は未だ結論が出せずにいます。朋花は聖母として子豚ちゃんの上に君臨するためにアイドルになっています。その一助となりたいという思いも私の中に確かにあります。子豚ちゃんの求める姿が理想の聖母、というのは本人談ですが、15歳のありのままではしゃぎ、笑う彼女の姿を子豚ちゃんたちが求めているかは子豚ちゃんの視点を獲得したての私ではまだ判断ができません。朋花自身が聖母として振る舞おうとする上でそういった姿を子豚ちゃんたちの前に出したがるかという疑問もあります。皆様はどうお考えでしょうか。皆様のプロデュース方針はどちらに近いものでしょうか。
以上で本文は終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章はまた朋花に関する文章を書きたいという衝動に駆られて勢いで書き殴ったものなので、誤字脱字や読みづらい部分などあったかと思いますが、これが今の私の考えです。
多くの方にこの文章を読んでもらい、意見や感想を聞いてみたいので、よければURL付きツイートやブクマコメ等していただけると嬉しいです。
散々以前とかまたとか言っているように過去にもはてな匿名ダイアリーで朋花について書いたことがあるのですが、恥ずかしくて自分では読み直せないような文章なのでリンクは乗せません。興味がおありでしたら適当に検索すればヒットするかと思います。
小学校では2018年度、中学校では2019年度から道徳教育が「特別の授業」として教科化する。道徳科の指導・評価方法も変わり、文部科学省はその在り方の一例としてノートやワークシートを用いた教員と子どもとの人格的対話を挙げている。
このような対話では子どもが教員に自らの感性や価値観、普段は口にしない本音などをさらけ出すことになるため、教員と子どもの間の信頼関係が欠かせない。しかし、教員もまた一人の不完全な人間であることから、両者の相性によっては子どもの人間性、道徳性の否定につながりかねないと感じる。とりわけ狭い世間に生きる小学生は教師の考えを絶対視しやすく、「先生の価値観」と「自分の価値観」を相対的に捉えることが難しい。そのため、子どもに「自分の価値観や感性は間違っている」という自己否定的な感情を抱かせてしまうかもしれない。
また、前述のような対話的指導では、子どもが「先生に読ませることを想定した文章」を書く可能性もある。子どもは大人の世界に本音と建前が存在すること、学校で教わる自由や平等などの理念を大人がかならずしも重んじていないことを知っている。彼らがその矛盾に気づいていながら教員の求める「模範解答」を汲み取り、自らの感想として書き記すということになると、子どもが早くから欺瞞を覚え、言葉を信じない態度を身につけることにもなりかねない。
もちろん授業中の活発な議論で多面的な視点を養い、自己と他者への理解を深める点で道徳の授業は意義深い。しかし、そこで得たものは子どもひとりひとりの胸のうちで咀嚼されるべきものであり、生徒に感想を書かせて評価するやり方は危ういと感じる。
教員の指導力向上を含め、新しい道徳教育の導入には慎重を期さなければならない。素直な子どもが素直なまま育ち、同時に素直でない子どもが否定されることのない社会であってほしい。(N)
http://anond.hatelabo.jp/20170207224412
昨日(エントリを書いた次の日)の昼休みにパンかじりながらスマホをチラ見したら、エントリがすごいことになっててうろたえた。目に入ったコメントに泣きそうになったからそれ以上は見なかったよ。
仕事から帰ってきてセブンイレブンのおでん食べながら、ざざーっとコメントとか関連エントリを読みました。セブンイレブンのおでんは白滝が好きです。
読みながらちょっと感動して、いろいろ書きたくなって書いたんだけど、疲れすぎてて気づいたらソファで寝てた。書いたものは消えてた。スマホめ、グーグルアプリめ。
で、仕切り直してもう一回、今日、いま帰ってきて、書いてます。揚げ鶏食べながら。
長くなってしまうかもしれないけど許してほしい。
エントリをたくさんの人が読んでくれたみたいで、東洋経済の教育困難校シリーズも読んでくれたかな。そうだったら嬉しい。
こんな状況があるってことを、少しでも多くの人に知っててもらえるだけでも、同じようなしんどい思いをしてる同業者たちにとっては、きっと心強いと思う。
単純な感想としては、まずこんなにたくさん反応をもらえるとは思ってなかったというのと、その中でも好意的というか、問題をすごく深く捉えてくれている人たちが多くて驚いた。あと励ましも。嬉しかった。
自分頑張ってるアピールうざい、みたいにもっと言われるかと思っていた。意外と言われなかった。なんかごめんなさい。
実は、あのエントリの中で書いたことには、私の経験だけじゃなく、私が教員として信頼している人、尊敬している人の経験も混ざっている。全部が全部、私が現在進行形で抱えている事象ではないのでご安心を。まぁ、じゅうぶんしんどいけどね。
だまされたと感じた人がいたらごめんなさい。いろんな形で頑張って、生徒と向き合っている人たちがいることを伝えたかった。もちろん勤務時間外の対応は別に義務でもないし、勝手にやってるだけと言われればそれまでなんだけど、生徒の大変な状況を目の前にして放っておけないって人が多いんだと思う。うちの旦那さんとかね。
私はどちらかといえば、職業教員というか、仕事だから、って割り切っているほうだと思う。だから、同じようにしんどい思いをしていた旦那さんに肩入れし過ぎだって言ったこともあるし、熱い前担任からクラスを引き継いだときは、やりにくいと思った。
私が生徒に時間をかけて関わるのは、そうしないほうが大変なことになるということを経験してるから。どんなに罵詈雑言を浴びせられても、授業以外でも生徒たちと関わる時間を最低限とって、個別に声をかけて、あなたのことをきちんと認識しているよ、見ているよ、ということを相手にわかるように伝えてあげないと、今よりもっと大変なことになる。そこで少しでも信頼関係がつくれたら、そこを拠り所としてなんとかやっていける。うまくいけば、その子の拠り所にもなれる。
でも、罵詈雑言を浴び続けて、心が折れて、生徒と一切関わらなくなった人もいる。気持ちがわかるだけに、本当につらい。けど、本当にしんどい。
そうなると、その人の授業はさらにひどい地獄絵図になる。その指導や巡回を他の教員がすることになって、自分のために使う時間がさらに削られる。職員間の関係性も悪くなるという負のスパイラル。
つらい。
私が首都圏、都市部で勤務しているのでは?という声を見かけた気がするんだけど、地方の公立高校国語科教員です。都市部で働いたこともありますが、いまは担任も分掌の仕事や、その他の主任業務も当然かけもちくらいの規模の学校にいます。分掌っていうのは、教務とか進路とか、生徒指導とか生徒会とか、授業そのもの以外の学校の業務もろもろ。大規模校だと、担任業務か分掌業務かどっちかだけで良いパターンもある。
ちなみに、学校で絶対にやらなければならない授業以外の業務ってほぼ一律で、絶対量はどんな規模の学校でもほとんど変わらない。
だから、職員数と授業以外の仕事量はほぼ反比例する。規模が小さくなれば職員数が減るので、単純に一人当たりの仕事量が増える。あと、受け持つ授業の種類も増える。小規模校の先生はどこも大変だと思う。情報共有がしやすいというメリットはあるけど。
だから大都市の大規模進学校に行きたい教員が多い。生徒はおとなしいし、仕事量は少ない。自分の得意な分野で勝負できる。定時で帰れる人も多い。
ある程度の進学校にいた人たちは、高校の先生って楽そうだな、そんなんでお金もらえるなんていいな、って思ったことあるんじゃないかな。私は思ってた。バカにしてた。
でも全然違ったよ。世の中にはいろんな学校があって、いろんな先生がいた。進学校にも、進学校の良い先生がいる。
脱線した。
私は、辞めようと思ってる。決心したのは本当に個人的な理由なんだけど、流産したから。
誤解しないで欲しい、別に生徒に何かされたわけじゃないよ。私の体の問題なんだと思う。
でも、それをきっかけに自分の生活を大事にしたくなった。自分の子どものことを考える生活をしたくなった。それだけ。ありがたいことに、私が無理して働かなくても生活はしていける環境もある。
辞めるって思ったら、ちょっと楽になった。逃げるは恥だが役に立つ。
最初のエントリ、言葉遣いもひどいし、差別的に感じるところもあったと思うけど、私の正直なところだった。
発達障害については色々思うところあるけど、長くなるからやめておく。
差別と言われればその通りだと思う。たくさんの発達障害の生徒や教員(旦那を含む)と付き合ってきた上で、私は差別というか、区別している。人間誰でも苦手なことはあるし、発達障害はその延長線上だし、フォローし合えばいいと思う。でも、コミュニケーション必須、むしろそれが全て、という教員という職業に就いていて、コミュニケーションが苦手なので自分の好きなように授業だけします、っていうのは許されないと思う。どんなに進学校でも、もちろん教育困難校でも。
長いですね。すぐ語っちゃう。
誰かに聞いて欲しかったんだな。
この職に就いたばかりの頃にお世話になった先生に、「誘ったらすぐ飲みに行ける異業種の友達がどれだけ居るか、が良い教員かどうかのバロメーター」って言われたこと思い出した。最近、飲みにも行ってない。狭いな。飲みに行きたいなー。
色々、わーわー言いましたが。
お子さんがいる保護者世代の方々、理解してくれている人たちがいると思うと心強いです。ありがとうございます。
エントリをきっかけに色々考えてくれた方々、心配や励ましをくれた方々、ありがとうございました。勇気付けられたり、気付かされたりしたことがたくさんありました。
教職経験者の方々、共感やアドバイスほんとに嬉しかったです。泣いた。
http://anond.hatelabo.jp/20170208200842
私はこの職に就いた頃にあなたのような尊敬できる教員と出会って、たくさんのことを教えてもらったから、ここまで続けてこられたし、教員という職に対して誇りも意味も見出せたと思う。女性教員だから難しいこともあるけど、女性教員だからこそ得意なこともたくさんありますね。
こういう素晴らしい教員も、現場にはたくさんいて、頑張ってる。それが少しでも伝われば嬉しい。
全国の教育困難校と言われる学校で、磨り減りながら頑張っている先生。
しんどいですよね。
でも、理解してくれてる人もいるみたいです。
ちょっとでも、これで心が軽くなる人がいたらいいなと思う。
教員でも、全然違う環境で、見えないところでしんどい思いをしてる人でも。
生徒と一緒で、大人も、誰かが自分の状況を理解してくれてるって思うと安心するよね。
そういう教員でありたかった。いろんな生徒の状況を理解したかった。でももう今はしんどい。
とりあえずあと1年、無理しない範囲で生徒と関わって、彼らの人生にとって少しでもプラスになることを残せればと思ってる。
もう絶対に教員なんてやらない、という気持ちではないです。いつか、他の学校でまたやるかもしれない。
でもとりあえず、いったん少し休もうと思ってる。今はね。
長くなってごめんなさい。
ありがとうございました。
以下の文章は、次年度いっぱい、つまり2018年3月で辞めようとしている方に向けて書いたものです。心身ともに変調を来して、すぐにでも辞めたいと言っている方を引き留めたものではありません。
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http://anond.hatelabo.jp/20170207224412
わかる。わかる。私も罵詈雑言を浴びせられていた。画鋲を投げられた。割れたガラスも撒かれた。
でもまだ教員を続けている。
それは少しずつうまくやるコツを身につけてきたから。
年を重ねるだけで楽になることがたくさんあるから大丈夫。これから毎年楽になる。
以下にコツのようなものをあげていく。
□学習に関すること
これは教員の年齢やキャラクターによって説得力が違うので、自分に合った言葉を真摯に探そう。響く子がいないと適切な言葉選びとは言えないが響かなくてもそういうものかと思わせることができるから、心の底から思っている信念のようなものをしつこく言おう。
・教えるポイントをしぼる
社会人として必須事項、親になった時に必要な事柄、将来の教養、入試基礎事項など教える目的を細分化し、そのクラスや生徒に合わせて優先事項から教えていく。
多くの範囲から抜粋する形式のテストはやめる。勉強したものは全部出るテストにしたほうが取り組む意欲が芽生え、正答率が高くなり、次の学習のモチベーションが湧く。一度良い点数を取ると落としたくないと生徒は思うもの。
1つ上と合わせて、「傍線部の漢字が全部出て15点!」などとと言うとなお良し。
難易度を工夫して問題数を減らす。とにかく採点のしやすさを重視して作問しよう。採点しやすいテストでも学力的に問題なかった。テストはたった1日のことだから、日々の授業の工夫のほうが重要だった。
□生徒との関係について
クラス全体として良好な関係を作ることはあきらめ、1人ひとりと良い関係を作ることに努めよう。
具体的にはまず変化に気付くこと。髪形、持ち物、顔色、傷、など目についたことを口に出そう。ほめなくても良い。「髪切った」、「いつもと違う」、「手の傷どうしたの?」で充分。
次に生徒の手に渡るもの、目につくものは大切に扱おう。回収した小テストの類いも折り目がつかないように、汚れがつかないように。その行動が、自分は大切にされているという気持ちにつながる。
最後に、生徒に対して日常的に感謝や謝罪を口にすることも大事。対等な立場にいることを実感させる。
・生徒との約束事は必ず守る
例え無くしたプリントをもう一度渡すといった約束だったとしても大事にする。「渡すの遅くなってごめんね」など。
あなたとの約束が大事=あなたが大事というメッセージにつながる。さらに大人として約束を守る姿勢を見せることにつながる。
・年齢は言わない
想定より老けていたら若作りと言われて、想定より若かったらなめられる。
子どもは変わるが、親は変えられないので注ぐエネルギーはそこそこ、を念頭に入れて粛々と対応する。
実際には親対応は教員の責務ではないので、時間があればその辺を法律的に説明している弁護士さんの話を探してみよう。
私たちは生徒と向き合っていれば良いのだ。生徒に影響を与える大きな存在であるから保護者の相手をしているだけ。
最後に。
教員を人間と思っていないのかと腹が立つし、毎日気持ちが削られていく様で苦しい。
ただ長く教員を続けていくと、子どもたちが、日々親や大人たちから同じように罵られ、脅かされていることに気付いた。
結局昔も今も変わらず、子どもはいたいけで、純情で、よりよくありたいと願っているものだとわかった。
だから、教員が人生を賭けて情熱を傾けるに相応しい職業だと確信をもって言える。私は教員で良かった。泣きながら続けてきて良かったよ。すばらしいものをたくさん見たよ。
どうかあなたの疲れが癒え、子どもとの良好な関係が少しずつ生まれますように。
あなたを見ている子が必ずいるよ。
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2/9追記
この文章を書いたのは、端的に言えば元増田先生に辞めて欲しくないからです。
教員にとって、生徒にあるべき大人像を見せることも仕事の一つだと認識しています。
特に女性は、働くことにより経済的に自立して、それが精神的な自立につながっているところを見せる、という大事な責務があると思っています。
教育困難校に通う生徒たちは特に同質的な狭い世界で生きがちです。
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。
http://anond.hatelabo.jp/20170129234459
すんごい叩かれるだろうなと思って書く。
婚活をして行く中で出会ったり、お相手の男性から聞いたライバル女性たちに対して、こうしたらいいのにと思ったことをまとめてみました。
私は31歳から合コン、街コン、婚活サイト、婚活アプリ、お見合いパーティーと一通りの婚活ツールを利用していて、いい出会いもたくさんあってカップル成立もたくさんした。
が、細かいことにぐだぐだ言ってるうちに1年たってしまい、それを自虐ネタとして公言していたらほとんど話したこと無い会社の憧れの先輩から「俺どう」と言われて付き合ってみてそのまま結婚した立場です。
この時点で喧嘩売ってるようなプロフィールである。そりゃあ上から目線でしょうね。
1 とにかく笑ったほうがいいと思う
好みじゃない男性や条件に合わない男性と話す時、露骨に態度を変えるのはよくないと思うし、周りからも見えています。美人だと余計に怖い。そこまで美人じゃなくても笑ってるほうがかわいい。
2 華やかな色の服を着たほうがいい
カップル成立しない子の集団を見ると黒灰色ネイビー茶色モスグリーンが目立つ。印象が暗い。真面目そうに見えるというより汚そうに見える。男と同じ色の服は色気がない。
3 鮮やかすぎる服はやめたほうがいい
かとってZARAみたいな攻撃色の花柄も引かれる。エスニック系も引かれる。ブランドも避けよう。没個性の柔らかそうな印象の服を着たほうがいい。パーティー後の女性の集まりで「パステルみたいなこびた服なんか着れなーい私は私!中身を見て!」っていう人が多すぎるけど、婚活にくる男性は初対面で中身見ない。
4 眉毛の角度が二昔前
30代後半に多い。おそらく最初に眉毛をいじった中学高校時代のままずっと整備してるせいなんだろうけど、今時めちゃくちゃ急角度の眉毛はない。単純に怖い。婚活している男性から見ればなおさら。彼らは最新の優しげなメイクをした芸能人の顔ぐらいしか間近で見てないんですよ。
結婚したらこうしたいああしたいと、初手で話してしまうのはやめたほうがいい。理想を語っていいのは、信頼関係が出来てから。理想どおりにしてくれる人が良くて、それ以外の人は来てほしくないから最初に言うの!という女性も多いけど悪手。たいていの男性は好きになるかどうかもわからない女性の理想は鬱陶しいと思っている。好きな女性の理想は叶えてあげたい男性はいるので後出しにしたほうがいい。
例え、お目当ての男性を持ち上げる目的であろうと、他の男性の悪口を言うと怖がられる。ただし男性は他の男性よりも勝っていると実感すると喜ぶので、他の男性も素敵だったんだけど、あなたが一番お話していて楽しいです、みたいな文脈で褒めるといい。
7 財布出すふりはしよう
出すつもりなくても財布出すふりはしよう。男性は奢るつもりでいても、女性が奢られて当然だと思ってるかどうかを見ている。奢ってもらったら素直に喜んで「次は出させてくださいね」でよい。全額でなくても多めに出してくれたらありがたいと思おう。そして年上なのに本当に1円単位で割り勘させられたら、ガチのケチか、「女は奢られて当然とか思っててクソ」「女尊男卑」みたいなまとめサイトの見すぎの人か、こちらの何かを試している人なのでやめればいい。
私の婚活は1年と短かったし、それで成婚したわけでもないけど、要するに、男性を怖がらせないのが一番いいなと思った次第です。