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はてなキーワード: 抗生剤とは

2021-06-27

もう三時間近く、キンタマを強く打った後のような痛みが続いててヤバイ

膀胱か、睾丸か、大腸

追記

睾丸に菌が感染してたらしい。

にしては白血球値が特に増えてないそうな。

一応、痛み止めと抗生剤を処方してもらい、1週間でほぼ痛みが治まった。

治っても半年は陰嚢内に固いものが残るという話だったんだけど、ないんだよな、それ。

2021-05-12

うちの猫が歩けなくなった

もうすぐ11歳の雄。

11年前、生後すぐ数匹で公園に捨てられていたのを近くに住む人が保護して、3ヶ月くらいになってから地域広告里親募集した。

私はそれをたまたま見つけて、連絡した。

私が連絡した時には、広告に載せていた子達は既に皆譲渡されていた。

残った1匹がその子だった。

風邪がひどくて目も濁っていたので、どうせ貰われないだろうと、保護主はそのまま自分が面倒を見るつもりでいたとのこと。でも一目見た瞬間、私が引き取ろう、と思ってしまった。譲っていただいてもいいですか、と聞くと、ちょっと驚いた様子で、承諾してくれた。

うちに来た当初は怖がって、家具の後ろに潜ってなかなか出てこなかった。ドライフードを出すも一向に食べず、缶詰を開けたらようやくムシャムシャしだした。

トイレは教えなくても始めから砂でしてくれた。

家族最初は猫がくることにちょっと抵抗があったみたいだったが、対面するとすぐにメロメロになった。

猫もそのうち慣れて、いっぱい食べて、一緒に寝て、ゴロゴロ甘えて、後輩猫たちもすんなり受け入れてくれて、面倒も見てくれてうちの家族みんな癒してくれた。

今までいろんな猫を見てきたけど、群を抜いて性格が穏やか。人のことが好きで、いつもちょっとだけ誰かに体を触れてくるように座ったり、休んだりする。

体はやっぱりあまり丈夫じゃなくて、しょっちゅう外耳炎になって病院にはかかってた。

あと食には頑固で、ちょっとでも気に入らないと頑として食べずにハンストする。

でもなんだかんだいっても順調に暮らしていた。

8歳過ぎた頃、後肢が微妙な感じの動きをするようになった。あんまり力が入ってないというか、歩き方がひょこひょこしてた。

病院検査をしたけど、血液では何も悪いところはないと言われた。

そのうち、壁に突っぱって立ててるキャットタワーは、登れても降りられない、という感じになった。登ってから助けを呼ぶのだ。

そして、次第に登らなくなった。

それから10歳を超えて、歩き方はヨタヨタしてきたが、それでも普通に自分で動いてご飯を食べに皿まで行ったり、トイレはしてた。

GWが明ける日曜の夜、いきなり様子がおかしくなった。ガタン!と体を揺らしたかと思ったらひっくり返ってワタワタして、オナラをした。トイレに連れてってやるとゆるいウンコをしたけど、下半身が踏ん張れないようだった。猫のお尻を拭いて床に置き、トイレの片付けをしていると、床に尿の水溜りができていた。

そこからはもう、グッタリして動けないようだった。ご飯チュールどころか水も飲まない。横になって、息も荒くなって、不安そうにずっと小刻みに鳴いてる。たまにワタワタと暴れようとしていた。

私も家族心配心配で、一晩交代で寄り添って背中をさすったりしてた。

朝一番病院行って、そのまま入院した。

血液検査と点滴。脱水症状と神経系細菌性の炎症があるという疑いで、抗生剤と消炎剤投与。

3日経って状態がだいぶマシになったので退院となり、今日家に連れ帰ったけど、まだ自分じゃ歩けない。これから歩けるようになる保証もない。神経系の疾患は治るかもしれないし、治らないかもしれないことを聞いた。

ただ、猫にとっては住み慣れた家にようやく帰ってきたという感じがすごく伝わってきた。ずっとゴロゴロ言ってるし、自分でも頑張って動こうともしている。家族にくっついて今は安心したように眠っている。

これからどうなるんだろうという不安と、やっぱり帰ってきてくれて嬉しいという気持ちと、いやがおうにも迫る覚悟と、ぐちゃぐちゃしている。

とりあえずケージを組み立てて、ペットシートを敷き、おむつを買ってきた。

私も家族仕事学校で、まるまる24時間そばにいられない。また倒れたら?ご飯が食べられなくなったら?この3日にかかった入院費は検査治療費含めて6万とちょっと保険は年間3万かかっていたわりに使わなかったので解約したそばからこの出費。次入院したら?…いっそもう延命しないと決めて静観する?でも目の前で苦しそうにしてたら、きっと放ってなんかおけないだろう。なるべく猫が楽な気持ちになる選択は?家がいいの?病院で点滴なの?家族の腕の中でスヤスヤしている猫は幸せそうだ。月曜入院させてほんとうによかった。でも。いろんなことが頭の中でぐちゃぐちゃだ。

ぐちゃぐちゃなまま書いた。

読んでくれた人がもしいたらありがとう

2021-05-09

42才コロナ事例

28日に入院

30日に容態悪化し人工呼吸器

1日に発熱抗生剤投与

6日に血圧低下、人工心肺

7日血圧の維持ができず、救命手段なし

陽性発覚から死ぬまでわず10

2021-05-04

anond:20210504223938

この症状ならPCR検査対象にならなさそう

適当な咳止めと抗生剤を出されて終わりかも

2021-04-27

千分の一のコロナ訪問看護


今の神戸の実情です。

神戸訪問看護藤田愛さん投稿コピーして皆様にご紹介させていただきます

自分事としてどうぞ皆さんお考え下さい。



敗戦中の従軍看護師はこんな気持ちだったのだろうかとか、毎日ぼきぼき心が折れてゆく。1日回れても8人、重症者が増えてきたので1件ずつの訪問時間が長くなる。

「せめて入院までの間、訪問してくれる訪問看護ステーションをご存じないですか?」

うそ保健師さの声が悲鳴である

知っているけどないとは言えなかった。「行きますよ」と返事してしてしまうのが、自分の弱さだと分かっている。

有料道路を乗り継いでいく初めての土地、真っ暗だからここは県外か?どこに向かうのかとか訪問先のことなのか、自分のこと何か分からん問いがわいてくる。

到着が21:00になった。家のドアを開ける時に心が定まる。できることをする。

待たせてごめんね。病院廊下でもいいですから入院させてほしいとお母さんに手を合わされても、私にはどうすることもできない。咳き込んでいるので、窓全開でも気が散りそうになる。集中して血管を探す、よし入った。ステロイド入りの点滴、焼け石に水でもないよりまし。来てくれただけでも命が見捨てられてないと感じて希望が持てます

こんなこと誰が知っているのか、どう発信すればいいのか。

今ここに居合わせている私でさえ、信じたくなさの気持ちが反発しているくらいなのに。

呼吸数54回、酸素吸入72L、39度台の発熱が続く。

病院で陽性だけ検査して帰宅後、1週間。おいおい、これはこのままじゃ今夜死ぬかも。持病の薬が床に散乱してる飲めないよね呼吸数54回じゃ、まだ30代できることは正しく、危機感が伝わる報告をすること。

保健センターに、数値と判断を伝える「早急な入院治療必要です、そうでなければ感染症呼吸不全心不全かで急死の可能性があります。」

どれだけ同じような報告を保健師が聞いているだろう、悲鳴の向こうにまた悲鳴がある。

訪問を終えての帰路、保健センターから電話が入った。

10分後に救急送できることになりました。」

「もしよろしければ搬送先を教えていただきたい。」

「○○病院です。」

おー、重度者治療病院である。救えるかも。

「ああ、よかった、ありがとうございます。」

保健師とほんの数分言葉を交わし、一緒に悲しんだり喜べるのが支えとなる。

コロナ訪問100件を超えただろうか。入院調整中の数の増加に1000分の1と思う。急変を見つけても頼るかかりつけ医入院もないなら私のやっていることに意味があるのか。いや、あるからやっているのだ。信じたくなくても、一丸となって本気の緊急事態宣言を皆でがんばるしかない。飲食観光、私の人生の一部だ、絶対に守りたいと思う。だけど今の命なくして、未来はない。

全例入院治療がいいに決まっている。でも叶わないなら、医師コロナ特例で免責されて、対面なしで在宅酸素ステロイド抗生剤、解熱剤、点滴をコンフォートセットにして処方できるようにしてほしい。まだ私自身は実施例は少ないが、これで救える命もかなりある滞在時間も30分以内に留められる。

でも回復約束できるわけじゃない。何もせずにいつとも分から入院を待つよりいい。それを離れた家族は知っておいてほしい。たかがそれでも引き受け手がない中で全力を尽くしていることを理解してほしい。この事態について全国民理解必要である。県外に住む家族に「おいこらオマエ、治療せんか、入院させろ」とすごまれたってできんものはできん。

心配でしょう、そうですよね。私たちが生まれて、急病なら医師の診察、救急車があたりまえでしたね。残念ながら今の神戸はその状況にありません。静かに強く現実を伝えてゆく。もう何回目か覚えていない。30分から1時間はかかる。10しか担当していない私でさえそれだから保健所電話がそんな電話で埋まる。保健師が次々倒れて、より人が減るのもあたりまえだ。倒れなければ休めない。

1000分の1のコロナ訪問看護を綴ってゆきます

今、酸素飽和度85%だった方、あかんかと思ってたら酸素ステロイド抗生剤3日目、94%にあがったと電話。そんな会話できる人だったことを今初めて知ったわ。私、こう見えて商売人やもの。話得意やねんで。うれし泣きで始まる今日の朝。

2021-01-07

anond:20210107224105

施設入所中、認知症あり、90歳みないな老人が肺炎になっても

そりゃあいつかはなるよねって感じで

抗生剤点滴して、体が持ち堪えられなければあの世Gotoするだけだから

ワンチャン回復可能性があるコロナみたいに

人工呼吸器つけたりECMO回したりしない。

2020-12-13

anond:20201213163815

何で公共インフラとしての役割果たしてないと言えるの?

みんなちょっと肌が荒れたくらいで皮膚科に行き

ちょっと膝が痛いだけで整形外科に行き

ちょっと仕事が辛いだけで心療内科に行って安心

ちょっと熱が出れば内科抗生剤をもらうよね

これぜーんぶ開業医仕事だよ

立派に社会を支えているよ

からこういうのに保険が効く仕組みなのが悪い

全額自己負担なら誰もこんな使い方はしない

2020-10-16

妊娠から初期流産までの費用と流れ

妊娠が確定し安定期前後母子手帳が配布されると、検診時に助成があったり、12週以降の流産や分娩時には出産一時金を受け取れる。

自分場合母子手帳を受け取る直前の10週に流産をしたため、10万円近い金額があっという間に飛んで行った。

初期流産母体が若く健康でも1020%は起こることなので、今後誰かの参考になればなあと思い、経験感想を交えながら具体的な費用を残しておきます

クリニックでの初診/計 ¥10,000

 結婚数年目にして子作りを始め、初の妊娠発覚。検診は全て保険外。

2回目健診/計 ¥15,030

 初期の稽留流産となる。(胎児心臓が止まったまま子宮に留まった状態

 流産が分かった時点から保険適応となるようです。ただし手術に向けての血液検査等で保険外がこのうち¥13,200-かかっている。

 胎児が小さければ自然排出されるまで待つ場合もあるが、今回は胎児が大きくなってきており自然流産となると自宅で大量出血の恐れがあり手術を選択

手術前処置抗生剤/計 ¥1,140

 手術前日の前処置で、水分を吸収し時間をかけて子宮を広げる棒(ラミナリア)を入れられます

 拡張器で膣をつまんで無理矢理広げられ針のような物をグリグリ奥まで刺される。

 痛みには個人差あるようだが、私の場合子宮頸管が狭く角度もあったため上手く入らず時間もかかり、経験のない激痛が走り悶絶。人生で一番痛い経験だった。

 抗生剤を受け取り帰宅。ラミナリアを挿入している影響で重い生理痛のような鈍痛が続く。

手術中止 麻酔、各点滴、抗生剤等/計 ¥1,300

 掻爬手術という方法で、匙のようなもの子宮から胎児を掻き出す手術だ。

 中絶場合保険外となりおよそ10前後かかるが、流産保険適応内。

 手術着に着替え分娩台に上がり麻酔意識を失うが、20分程経ち麻酔が覚めた頃にはまだ手術が続いていた。痛い。怖い。

 どうやら子宮口がうまく広がりきらず器材が入らなかったようで、手術中止となった。

 恐怖や悲しみと戦いながら手術に挑んだのに、まさか中止になるとは予想だにしていなかったので、泣いた。血も結構出た。

 担当からは、あなたの子宮口の問題で手術が難しいか自然排出を待って、胎嚢が出てきたら持ってきてと言われる。

 2、3週間~長ければ2、3ヶ月程かかるかもとのこと。2、3ヶ月も体に悲しみの時限爆弾を抱えて生活するのは精神衛生上よろしくなくないか

転院のための紹介状/計 ¥1,140

 通っていたのは近所でも人気のクリニックだったが信用を失ってしまい、近くの総合病院でのセカンドオピニオンを決める。

 紹介状を書いて貰う際に担当からは「何万人もの手術経験のある僕にできない手術なら、この病院行っても無理だと思うけどね~」なんて言われた。

紹介状初診、手術前検査/計 ¥7,250

 前回まで通っていたクリニックとは違い、かなり時間をかけて丁寧に内診をしてくれた。

 内診で見る限り異常もないし、手術もそこまで難しくはなさそうなので、当院で再トライしてはどうかと言われ、是非にとお願いする。

 血液検査性病検査心電図等、前回のクリニックで足りていない部分の検査をした。

手術入院1泊2日/計 ¥51,520

 うち個室代が¥14,000。

 大部屋なら差額はかからず総額4万円以内で済むのだが、幸せそうな妊婦や赤子と同室になることが不安精神安定のため個室にした。

 因みにこの病院でも手術前に海綿体の棒を入れる前処置があった。

 前回、激痛で死ぬ思いをしたので恐怖に震えながら挑んだが、今回はほとんど痛みも無く時間もかからず、

 え?もう全部入った?え???状態医師によってここまで痛みが違うとは、担当してくれた女医さんに感謝……感謝……

 手術も前回とは変わり真空手動吸引法というもので、体に負担が少なく手術による合併症リスクも少ない手術らしい。

 海外ではこちらの吸引法が主流だそうだが、日本医師の平均技術も高いことも影響してか、掻爬術のままの病院がまだまだ多い。

 手術自体麻酔があり怖がらなくていいものだが、自身は酒が強いせいもあってか、とことん静脈麻酔が効きづらいのがしんどい。手術中、寝たり目覚めたりを繰り返して唸っていた。

 手術は無事成功し、術後はベッドを血で汚してしまったりもしたが本当に痛みは全くなかった。

 中身がなくなってしまったお腹への違和感と切なさだけは残った。

術後経過観察、処方箋/計 ¥1,120

 一週間後の検診。血液等の残留物を出し切るために子宮収縮の薬を1週間服用したが、子宮内に血が残っていたので処方箋を変えてもらった。

 「サイトテック」という元々は胃薬なのだが、副作用として子宮収縮効果が強く出るらしく、妊娠可能性がある女性には禁忌の薬だ。

 この薬に変えたとたん血が下からバドバ出た。胃薬なのに副作用怖すぎへんか。

術後2回目健診/計 ¥240

 胃薬のおかげで子宮回復。手術から約1か月半後に生理がきて、やっと全て一段落

総額/計 ¥88,740

それに加え今回私は¥5,000支払い診断書を出してもらい、個人で加入している医療保険に手術給付金申請し、10万円戻ってきた。医療保険、初めて入っていてよかったと思えた。

因みに自然流産で完全排出されたら手術給付金は受け取れない……

以上、ざっくりですがこんな感じ。転院がなかったり日帰り手術であれば、もう少し費用は抑えられると思う。

そして金額より何よりも、夫や家族や友人に頼ったり、難しければ病院カウンセラーを頼り、気分転換もしっかりして精神的なケアを怠らずどうか鬱にならないよう。

私は自身メンタルが強かったこに加え周りの支えもあり何とか持ちこたえましたが、流産によりホルモンバランスが一気に変わり産後うつに近い状態になることもあるそうです。

流産死産経験者の周りの方へ、どうか気持ち回復するまでは本人達を責めずに沢山話を聞いてあげてください。

2020-10-08

anond:20201008121439

マッチングアプリなんかより、

不況風俗堕ちした女が乱用したり風俗に持ってって生交渉するおじさんが居そう。

クラミジア蔓延したり抗生剤きかない淋病とかでそう。

2020-09-30

コロナでも黙っている人が多いだろうなと思った話

当方非常事態宣言範囲外の都市在住の勤め人。

その前からなんだか本調子でないなと思っていたが、朝、起きたらのどが痛かった。

とっさに家に飾ってある花の匂いかいだら、きちんと匂いがして、かなりホッとする。

次に悩んだのが職場に行くかどうかだ。

先に出勤していた家人電話してみた

「朝起きたらのどが痛くてさ・・」と説明しているうちに、休めと言われるに決まっていることに気づき「・・休もうと思う。」と言った。

家人にも「もちろんそうしな」と言われる。

このご時世、のどが痛いのに職場に行くのはバカがすることだろう。

でも、自分場合家人電話することでそれがやっと腑に落ちたというか、電話しなければへたすりゃ出勤していた気がする。

自分判断能力の低さにやや引いていたところに、もう一つ問題が起きた。

親の会話を聞いていた子供が、「私ものどが痛い」と言いだしたのである

自分がのどが痛いだけなら家でしばらく様子を見るつもりだったのだが、ここでもう一つの判断病院に行くかどうかを迫られることになる。

このご時世に、軽い症状で病院に行くのはバカだろう。

しかし、子供は2週間前、ウィルス性でない感染症にかかっている。

それが治りきっていない可能性があり、その場合抗生剤を変えて処方してもらう必要がある。

3分ほど考えた結果、病院に行くことにした。

次に悩んだのが、職場への連絡である

ネットで調べてもコロナの初期症状は強い倦怠感、のどの痛みである

この時期、自分ののどが痛いので休みますというのは、いいづらい。

勤め先では、コロナが出た場合、同室の人たちは濃厚接触者として2週間自宅待機だし、下手すると建物ごと封鎖される可能性もあるという通達が出ている。

周囲への影響を考えたら、最初の一人になりたくないというのが正直なところだ。

しか自分正規職員ではない。

また3分ほど考えた挙句

結局、子供の具合が悪いので休みます職場には連絡した。

嘘はついていない。

でも、なんとなくごまかしているような気がして(実際にごまかしている)、嫌な気持ちだった。

病院はとても空いていて、スムーズ検査できた。検査の結果、子供は以前かかった感染症が陽性だった。

自分子供と同じ感染症で陽性だった。病気の原因が分かってこんなにホッとしたのは初めてだ。

以前とはまた別の抗生剤を処方された。今度は効いてくれよな。

長くなったが、これで最後だ。

今回のことで、ウィルス性以外の感染症で、本当だったら抗生剤を飲んだ方が良い人が、結構割合で誰にも言わず我慢してる可能性があるんじゃないかなというのと、

実際コロナだったとして、病院にも行かず、職場にはその可能性を報告せず、家でどうにか過ごしている人は、結構いるのではないかと思った。

これからそういう人はもっと増えるだろう。

そしてその何%かは、運悪く死ぬ

2020-09-03

anond:20200903213325

歯医者いきな

抗生剤飲むだけでも痛みはだいぶよくなるよ

腫れがおさまらないと抜歯もできなかったはず

2020-08-30

流産記録

8日

出来たかも?

喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい

検査薬 陽性

んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかいかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜

出産育児自体には前向き

でもほんおいまら

と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない


22日

初診

の子出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ

胎嚢確認、中身は確認出来ず

ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度

来週また診てみましょうとのこと

帰宅後「胎芽 確認出来ない」でググりまくる

つわり?なのか午後から気持ち悪しんどくなる日々

夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……

体がしんどい思考ネガティブになったり普段は何てことな子どもの声にいちいちイライラしてしま

つらい

翌月8?9?日

胎芽やっぱり確認出来ず

そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)

なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子ども相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。

まぁまだ確定ではないんだけど

今回はだめだったかなー、という気持ちで過ごす

子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情

誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体問題がっていうより精子とか卵子かに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さな旦那しょんぼりしてたのはちょっと切なくなった

その後すぐ旦那通常運転(喜楽)に戻ったけども

改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた

女性特有の疾病が〜みたいな保険に加入してたことを思い出す

もし処置ってことになっても保険下りそうで不幸中の幸い

診察だけでも数千円かかるから……

なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………




8日

9:00

昨夜22時〜絶飲食

お腹すいた

最後の内診で胎芽が見えないことを確認(胎嚢は3センチ

「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち

出産した時とは全然違う、狭くて殺風景な部屋。

処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望

終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす

10:00

点滴&筋肉注射

点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。

なので痛いと噂の筋肉注射はあまり痛みを感じず。

その後処置室へ

10:25

処置室へ

寒い

処置室に時計があったのでぼんやり見てた

処置どうこうより「全身麻酔意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた

10:40

処置開始

全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は

「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」

知らぬ間に数十分過ぎてた

運ばれてるんだろうなー

「捕まっててくださいね

ベッドに移動したんだろうなー

などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)

薬を嗅がされて…みたいなドラマアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる

気付いたら個室ベッドの上だった

血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)

そしてまた眠る

11:15

初めて目を開けながら喋れたのがこの時

「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」

たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた

たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず

とにかくいろんな夢を見てた

12:47

起きる

13時過ぎ

軽食

パンケーキフルーツ!!美味しそう!!!

フルーツほんとにありがたかった。水分万歳

しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー

痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む

食後診察

出血を抑えるために挿入していたガーゼを取る

本日処置終了

帰宅

お腹すいた

保険会社に電話

休日を挟むので数日後速達発送する、とのこと

こちらで用意するもの診断書保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…

帰宅後の様子

1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)

ごはん旦那オムライスをいつもどおり食べられた

でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝

翌日

再診

出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可下り

昼は外食で済ますが、食後駐車場までの道のりで倒れそうになる

貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー

翌々日

寝て過ごす

昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む

術後は大人しく身体を労ろう…と再確認

翌々々日

あれー身体かるーーい!と思って朝から家事バタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ

しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった

しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…

以降、まだ家事を頑張ると息切れはするものの、術後すぐの「どうやって生きていこう…」みたいな動けない絶望感はない。

2020-06-30

薬局今日はどうされました?」←これ

いったいなんなんだよ毎回!

客のモロくそプライベートどんな理屈があればそんなにカジュアルに聞けるの?あなたゲイですか?って初対面の人に聞くか?聞かねーだろ!

えーえー、こちとら病気知らずで医者嫌い、五体満足を持て余す健康優良不良中年10年やってますがなにか?新型コロナ禍が吹き荒れようが医者行くようなことは歯医者の定期検診と性感染くらいならものですよ。

ところが前日我が息子に並々ならぬ違和感を覚え(灼熱感という)、過去戦歴から光の速さで午前休を取得し、再登場時の赤髪シャンクスよろしく馴染みの泌尿器科へ直航したわけですよ。

そしたら案の定淋病orクラミジアだろうと(2年ぶり2回目)。まあいいですよそれは、想定内です。んで、抗生剤を処方され隣の調剤薬局入ったら冒頭のこれ!

2年前に全く同じケースで行った時に「今日はどうされました?」って言われそん時は驚愕しましたが、紳士たるものこの程度の横暴で心を乱してはならぬと思い、業界特有事情理由があるのかもしれないとスルーを決め込んだわけでした。

で、今回。さすがにイラッとして「それはどういうことですか?」聞いたら、「ええ、ですから今日はどのような症状でいらっしゃったのかと」なんて宣うものからちょっと考えて、強めに「それ、いう必要あります?」って言ったら「すみません」だと!すみませんてなんだよおい!他に客も居るんだよ!?

なにがどういう理屈でそんなこと聞けるわけ?医療関係者って最もそのあたりの事情に神経質になるべき人たちなんじゃない?そりゃあクソ田舎場末調剤薬局とはいえ、いやそんな場所からこそ余計にプライベートに神経質になるべきなんじゃないのか!?俺、なんか間違ってるかおい!

とまあそんな感じで怒り浸透、心のグランドラインは大荒れ、自慢の赤髪怒髪天どころかレッドライン凌駕する勢いで本稿をしたためているわけである投稿をもって私の心の海賊船は概ねカームベルトへ到達したので、願わくば増田諸兄の体験談や、薬局勤め増田のご意見なぞ拝聴できれば幸甚の極みである

2020-06-15

無痛分娩+鉗子分娩レポ

出産前日 39w3d

今夜は産まれないとタカを括って、いつもは湯船に入るけど、シャワーのみ。

マタニティヨガもまあいいやとお休み

↑振り返ると自分で大量にフラグを立てまくってたw

今日は前駆陣痛ないなあと思いつつ、3時くらいまでゲーム

超過ランド入園するつもりで、のんびり構える。

出産当日 39w4d

寝付きが悪い。寝る前にやってたゲームを夢の中でもプレイしてる。

今振り返ると、前駆陣痛本陣痛?)でお腹が張ってたから寝付きが悪くて夢を見てたのかもしれない。

6:55 破水

目が覚めてTwitter巡回してたら、どぅるんって胎動が下の方であった直後にシャバっと破水

お股を手でガードしてトイレまで辿り着くも、便座に座る前に盛大にバシャっと床に落ちる羊水😂

8:00 病院着、NST開始

検査破水確定。

この時点で子宮口2センチ

8:30 抗生剤飲む、少量のおしるし有🆕

陣痛の痛みはなし。

規則に張る程度。

10:00 背中に無痛の針を刺すための麻酔処置

麻酔投入①

足、下腹部、腹部に保冷剤を当てられて、麻酔の効きをチェック。下腹部は本当に何も感じない(°_°)

4cmのバルーンを挿入。麻酔が効いてるため違和感程度の痛み。

麻酔がないとかなり痛いらしい、と先生から聞いて、麻酔の効きに感謝する。

11:00 やっと朝ごはん。そういえばたまに痛いか!?程度の痛み。

11:30 お昼寝。蒸気でホットアイマスクつけてすやぁ(´-`)💤

12:00 昼ごはん

陣痛ご飯かわいいサイズおいなりさん1つとお味噌汁一口ゼリー3個。

陣痛が激しくなったら、これしかご飯食べられないのかとびびる。

持参のお菓子を追加してお腹を満たす。

13:00 陣痛(腹部鈍痛)5分間隔に。

ゲームイベントが14時〆だからひたすらリズムゲームに熱中。ゲームに気を取られてたら、結構痛くなってきた。

麻酔②追加。

痛さレベル10段階の2〜3。生理2日目程度。

これくらいのレベルで毎回麻酔入れていこうね、とのこと。

13:45 陣痛2〜5分間隔に。

麻酔③追加

14:15 内診。4センチバルーン挿入入れたところ、なんと子宮口5センチに😲

バルーン分よりもより開いてる‼️

ずっと上向きで寝てたら、👶の心拍が80位まで落ちる。

(正常域は110〜160程度)

助産師さん3〜4人がバタバタと駆けつけ、ちょっと異常な雰囲気

横向いて深呼吸したら、👶の心拍は正常域まで回復

14:50 促進剤を飲み薬タイプから点滴タイプに変更。

麻酔④追加

この麻酔から助産師さんを呼んで注入してもらうのではなく、自分で手元のボタンを押して任意タイミング麻酔入れられるタイプに。

無痛分娩代(+10万円)払ってるから絶対に痛くないお産にしようと意気込み、躊躇なくボタンを押すことを決意。

15:30 やっぱり上向くと👶の心拍が下がっちゃう酸素マスクつけて横向きに。

\\\深呼吸で👶に酸素を届けるよー!///

やることなくて暇だから、「新鮮な空気美味しいねえ」とか「あと何時間で会えるかなあ?」とかひたすらお腹の中に話しかける。

陣痛から分娩室に移動。

陣痛の間隔は8分おきだったり3分おきだったり。

16:30 陣痛の間隔2分おきに。👶の心拍も安定してるから酸素マスク外す。

17:00 内診。子宮口は変わらず5センチくらい。子宮口をやわらかくするための注射をお尻に打つ💉

17:30 導尿。全然痛くない。よかった😌

導尿ついでに内診したら、👶の頭の位置が下がってきてるとのこと!

18:30 促進剤やめて明日にするorつづけて今日産む会議

今日中に産みたいと懇願

→つづけるに決定!👶頑張るよー!

19:00 隣の分娩室にいきなり経産婦さん(破水まりの子宮口全開?)はいってくる。叫び声にびびる。

隣の妊婦さんと助産師さんの「はーーー」の呼吸に合わせていきむ練習する。

廊下助産師さんが旦那さんに電話してて、「ついたときに生まれてるかもしれません」って言ってるの聞こえる…。

こんなに叫ぶほど痛くなるのかと震えて、「この人は無痛じゃない無痛じゃない」と心の中で念仏のように唱える。

19:30 隣の妊婦さん大人しくなる。無痛麻酔効いたか??

隣の人の叫び声にびびって麻酔ボタン押しそびれたから、この日一番の痛みが2分毎に。

キリキリ系痛さじゃなくて、鈍痛系痛さ。

痛さとしては、2日目の生理痛で「今日はもう仕事休んでしまおう」と心が折れる数年に一度の憂鬱生理の日レベル

20:00 導尿②

 内診で子宮9cm

やったあー!!!

旦那さんを呼んで良いとの許可がでる👊

(新型コロナのため立ち会い出産は分娩直前1時間程度とのルール。)

でも相変わらず上向きで寝ると、👶の心拍が90くらいまで下がる。

場合によっては(心拍下がる状態が続くようなら)帝王切開or鉗子分娩かもしれないと医師に告げられる。

ただ、もう鉗子できる位置まで下がってきてるから、あとは鉗子で引っ張るだけとのこと。

このあたりから、ずーーーーんっとお尻の骨が内側から押される感じ。(痛くはない。違和感。)

21:00 旦那到着🚕

待ち望んだ子宮口全開(((o(*゚▽゚*)o)))

ただ、このあたりから陣痛の波が来ず、微弱陣痛に。

助産師さんからもらったクラリセージ(分娩促進成分あり)のアロマを嗅ぐと、ちゃん陣痛の波が来る。

ロマのパワーすごい(°_°)‼️

22:00 微弱陣痛なっちゃってたから、頑張っていきもう、次に👶の心拍下がったら鉗子分娩にしよう(帝王切開はしない)と医師が決める。

でも無痛で微弱陣痛から、いきむタイミングがなかなか掴めず。

NSTの数値が上がったタイミング陣痛がきたタイミング)でぎゅっとお腹&お尻に力を入れてみる。

この時点でもお腹の痛みはなし、お尻の骨をズーンと押される違和感しかなく、旦那助産師医者冗談言いながら笑って話せる程度。

ハイテンションになって、しょうもないことをよく喋る私。笑

10回位いきんだところで、これ以上なかなか降りて来ないからと鉗子分娩に切り替え。

いきむタイミング助産師さんにグイグイお腹を押されたけど、麻酔のおかげでその痛みもなし。

「なんかお腹の上をめっちゃ押されてるなあ」程度。

押してる助産師さんは大変そうだけど、痛みがないか結構他人ごと。笑

ただ、何回目かのいきんだタイミング助産師さんが、何かをさっと拭き取ってポイッとゴミ箱に投げ入れる動作をしてたから、💩を漏らしたんだと思う。

そんな状況も冷静に観察できるくらい痛くない。

いきむタイミングで、肛門に指を入れられて、内側から押してもらう。

このとき推しカプの姿がふっと脳裏をよぎり、わたしは無痛の麻酔が効いてるから全然痛くないけど、いつも痛い思いをさせてごめんね、となぜか懺悔気持ちになる。

分娩台に上がって、人生一番の頑張り時でも腐った思考は健在。

23:00

会陰をチョキンと切開する。痛くない。

鉗子の挟む器具をつけてもらう。

微弱陣痛とともに5回くらいいきんだら、つるん!で頭が出てきて、にゅるん!で肩から下が出てきて産まれてきてくれた。

体力全然余ってたから、大きい声で「おつかれさま、よくがんばったねー!かわいい!!!」を連呼

23時以降

胎盤ニュルンと押し出し、会陰を縫う。

「会陰縫う回数なるべく少なくしてください」ってお願いするも、「細かく塗った方が綺麗に縫合されるよ」的なことを言われ、体感8針〜10針くらい縫われる。

縫われてる最中もまだ麻酔が効いてるから全然痛くない。

麻酔が切れる前に縫合おわりますように」とひたすらに願ってたから、この時間が一番長く感じた。

あとは麻酔が切れるのを待ち、部屋に戻って就寝。

お産は無事に終了して、翌日からの子育て生活スタート

生後1週間たった今は、よく寝て、よくおっぱいを飲んで、布団をキックで蹴り飛ばす脚力強い子を育ててます

出産時より、今の方が授乳等の肩こりおっぱいの張り、抱っこの腱鞘炎で体の節々が痛い。

ロママッサージ受けたい…。

兄弟出産祝いとしてエステ券を要求たから、届くのが楽しみ。

無痛分娩の痛みについて

破水まりで、病院到着後すぐに麻酔を投入したこともあり、「痛い」とは1度も言わなかった。

これは病院が「麻酔で、生理レベルの痛みをMAXにする」との方針で、すぐに麻酔を入れてくれたおかげ。

また、わたしが「無痛分娩代の元取るぞ!麻酔入れまくるぞ!」と気合十分で挑んで、全然痛くなくても麻酔投入のボタンを30分〜40分に1回は押したおかげ。

痛みがないことで、ソフロロジー式呼吸やお腹の中の👶への声かけに専念することができて、結果穏やかな楽しいお産につながった。

ちなみに一番痛かったのは、38w頃の前駆陣痛

寝てたら急にキリキリ系の痛みがきて、「痛い💢💢💢」と半ギレ状態で目が覚めて、身体中汗びっしょりだった。

子分娩について

38w時点で96mmと頭が大きかったので、帝王切開可能性もあると言われていた。

帝王切開、鉗子分娩、吸引分娩についてはさらっと予習。

自然分娩じゃないことに対する申し訳なさ等は予習段階から一切なし。

無事に健康で生まれてきてくれたら、分娩方法は問わないよってお腹の中の👶に言い聞かせてた。

インスタで鉗子分娩で生まれてきた頭の長い👶の写真をあらかじめ見てたため、頭が引き延ばされて生まれてきた👶を見ても、「まあそうだよね!」という気持ち

頭の長さは生後2日で元に戻った。

ただ、やっぱり頭は大きい笑

だっこしてると頭がかなり重い笑

すでに腱鞘炎になりかけてるため、バンテリンの手首サポーターのお世話になってる🙏

総括

分娩時間11時間、鉗子分娩もしたか一般的に「最高の安産!」というわけではないけれど、個人的には最高に楽しくていいお産だった。

痛みを感じることがなかったから、心に余裕を持てたことが一番の要因かな。

無痛分娩=時と場合によってはかなり痛い、とは知ってて、かなり運要素が強いものだと思ってたけど、幸い当たりを引くことができてよかった。

本当、私はたまたま今回運良く麻酔がきっちり効いてくれたおかげで、今後あるかもしれない第二子出産に対する恐怖まで取ってくれた。

自然分娩+10万円かかって、お財布には痛手だけど、お金を払っただけの価値があるお産でした🌸

2020-04-15

[]

どう~~しても刺身がたべたくて出かけた

とりあえず処方された吸入薬と抗生剤一式と生理痛よう鎮痛剤もモッておいた

マスクコートも当然やで

でも息が切れるから自転車ギアは最軽で

まず銀行ATMにいったがキャッシュカードなかった、存在のものを忘れてたわ

そのあとスーパー

7時すぎでも人はい

かえってきてパーオキシメーター

ちょっと目視でもチアノーゼっぽいんだが

「97%」

はいいつもどおりw壊れてますねw

2020-04-08

コロナでも黙っている人が多いだろうなと思った話

当方非常事態宣言範囲外の都市在住の勤め人。

その前からなんだか本調子でないなと思っていたが、朝、起きたらのどが痛かった。

とっさに家に飾ってある花の匂いかいだら、きちんと匂いがして、かなりホッとする。

次に悩んだのが職場に行くかどうかだ。

先に出勤していた家人電話してみた

「朝起きたらのどが痛くてさ・・」と説明しているうちに、休めと言われるに決まっていることに気づき「・・休もうと思う。」と言った。

家人にも「もちろんそうしな」と言われる。

このご時世、のどが痛いのに職場に行くのはバカがすることだろう。

でも、自分場合家人電話することでそれがやっと腑に落ちたというか、電話しなければへたすりゃ出勤していた気がする。

自分判断能力の低さにやや引いていたところに、もう一つ問題が起きた。

親の会話を聞いていた子供が、「私ものどが痛い」と言いだしたのである

自分がのどが痛いだけなら家でしばらく様子を見るつもりだったのだが、ここでもう一つの判断病院に行くかどうかを迫られることになる。

このご時世に、軽い症状で病院に行くのはバカだろう。

しかし、子供は2週間前、ウィルス性でない感染症にかかっている。

それが治りきっていない可能性があり、その場合抗生剤を変えて処方してもらう必要がある。

3分ほど考えた結果、病院に行くことにした。

次に悩んだのが、職場への連絡である

ネットで調べてもコロナの初期症状は強い倦怠感、のどの痛みである

この時期、自分ののどが痛いので休みますというのは、いいづらい。

勤め先では、コロナが出た場合、同室の人たちは濃厚接触者として2週間自宅待機だし、下手すると建物ごと封鎖される可能性もあるという通達が出ている。

周囲への影響を考えたら、最初の一人になりたくないというのが正直なところだ。

しか自分正規職員ではない。

また3分ほど考えた挙句

結局、子供の具合が悪いので休みます職場には連絡した。

嘘はついていない。

でも、なんとなくごまかしているような気がして(実際にごまかしている)、嫌な気持ちだった。

病院はとても空いていて、スムーズ検査できた。検査の結果、子供は以前かかった感染症が陽性だった。

自分子供と同じ感染症で陽性だった。病気の原因が分かってこんなにホッとしたのは初めてだ。

以前とはまた別の抗生剤を処方された。今度は効いてくれよな。

長くなったが、これで最後だ。

今回のことで、ウィルス性以外の感染症で、本当だったら抗生剤を飲んだ方が良い人が、結構割合で誰にも言わず我慢してる可能性があるんじゃないかなというのと、

実際コロナだったとして、病院にも行かず、職場にはその可能性を報告せず、家でどうにか過ごしている人は、結構いるのではないかと思った。

これからそういう人はもっと増えるだろう。

そしてその何%かは、運悪く死ぬ

2020-04-03

1月に引いた変な風邪メモ

  • 1/15 雨。就寝中、湿度のせいか汗だくになり体が冷えたため、風邪を引きそうと感じた。
  • 1/17 喉の違和感。だるさ。
  • 1/18 咳が出ると困る用事が翌週に控えていたため、早めにと思い近所のかかりつけ内科受診。喉の違和感、空咳。喉は腫れておらず、普通風邪と診断。医者は「この程度で来たの?」という反応。聴診器で胸の音を聞くも、肺炎の疑いなく、レントゲン撮影等はなし。通常の抗生剤と咳止めを処方。夜、微熱
  • 1/19~ 咳止め効かず咳が悪化。空咳。平熱。
  • 1/22 大量の目やに。咳止め効かず、再び内科受診。引き続き抗生剤と咳止めを処方。
  • 1/23~ 咳悪化。咳以外の症状なし、喉の腫れ等もなし。日中は咳が出ない時間もあり、たまに発作のように咳き込むときあり。発作は5分程度で収まる。夜、就寝前と明け方に激しく咳き込むようになる。再び内科受診
  • 2/3・4 症状変わらず、咳収まらず。日中の発作のような咳が酷くなる。胃の内容物を戻すほど強く咳き込む。
  • 2/5 やや倦怠感あり。咳収まらず、呼吸器内科受診聴診器で胸の音を聞くも、肺炎の疑いなく、レントゲン撮影等はなし。咳喘息の疑いありとのことで肺機能検査を行ったが、検査結果はさほど喘息らしい所見ではないとのこと。症状だけならほぼ喘息と言えるため、喘息治療方針で様子を見るとして、内服薬と、ステロイドの吸入剤を処方。
  • 2/6 下肢に強い倦怠感。咳止まらず。かなり強く咳き込み肋骨付近を痛める。
  • 2/7 5日間吸入してから再度受診する予定だったがまったく改善する様子がなく睡眠に支障あり、予定を変更して再び呼吸器内科受診ステロイドの内服薬を処方。並行して吸入を行う。倦怠感はなくなる。
  • 2/9 やや咳がましになる。
  • 2/10 再々度呼吸器内科受診。やや症状が改善したためステロイドの内服薬はストップ。吸入とその他の内服のみに切り替え。目やにが減ってくる。
  • 2/25 2週間経ち、経過観察のため受診。かなり症状は落ち着いたため、残りの吸入薬を吸入しきって症状が出ていなければ再度の受診不要との診断。


あり

喉の違和感

空咳

目やに(起きたときのみ)

倦怠感(2日間のみ)

なし

喉の痛み、腫れ

鼻水・鼻づまり

声嗄れ

頭痛

食欲不振

吐き気嘔吐

筋肉痛・関節痛

胃腸の不調

下痢便秘

呼吸困難

味覚障害嗅覚障害

耳の聞こえづらさ

2020-03-16

コロナっぽかったか医者にいったよ

昨日めちゃだるくて寝てた、熱は昨日は37.0~37.1度。動悸がひどいし息苦しいアラフィフ女性。一昨日以前もだるさがなかったが一瞬熱っぽい気がしてはかったらそのくらい遭ったと思うが36度台と37度台をフラフラしてて測り間違いかとおもうくらいにブレが大きい。

同居家族だるいというが生理が来てるからかも、わからん若いからとりあえずいつもどおり引きこもっていれば移し移されもなく大丈夫だろうというので

とりあえず症状(微熱)がはっきりとある自分から医者にいった。

ちなみに自分普段から喘息持ちで常備薬つかって低空飛行でいきてる。熱が少し低くても濃厚接触したなら医者にかかっていい範疇の人。連れ合いジム会社外食に通っていて何ら自粛しない。PCR陽性だったらさすがに行動が一変するだろうという目論見も有る。

 

濃厚接触者云々の都道府県ごとのサイトをしらべる。9時から電話で問い合わせできるが24時間窓口も一応ある。

息苦しくて眠れず朝5時頃からかけようかかけようかとおもってたけど夜番って疲れててつっけんどんだよね我慢して待とう

でもそうこうしてるうちに熱がちょいと上がった(37.2)し息苦しさがどうにもならんので我慢できずに七時半に24時間窓口へ。

状況をいろいろ喋ったけど熱が37.5ないのでとりあえず「かかりつけの医者」へかかれという指示。

 

9時から電話で受付に問い合わせて指示をうけていると書いた上かかりつけの医者へ。めちゃ混んでる。当院はPC検査はしないと入り口あたりに書いてあった。

医者はかかりつけだけあっていろいろ話をきけた

・(聴診器)音はキレイ

・(S02)95%あるからいつもくらい。肺炎だともっと低い。でも脈が100こえてるのはアレだ

・(受診態度)あっマスクは外さないで(×3回いわれた、喉をみるときもはずさず顎にひっかけろといわれた)喉はキレイだな

・(受診態度)熱が4日つづかないかぎり家でじっとして療養するしかないってテレビニュースでもいってるでしょ(テレビ一切見ないです)ネットにもほら(出てないです)

・(受診態度)濃厚接触じゃないかぎりいいんだって県内でスプレッダが出た2箇所のジムがどことどこかはどこのサイトでも具体名ふせられてます)A区のとか・・・。出てるはず(出てないと思うけど知ってれば予診名前あげられてるし反論はしなかった)

・(検査)とりあえずインフル採血するね

・(検査結果)インフルはない、採血白血球が正常範囲の上限くらいまで上がってる。ウィルス性ではなく細菌性のなにかっぽい。動悸もいつもの薬にベータ入ってるからそれじゃないの

・(処方)抗生剤出すね(いつもの風邪セット。なんとかチームとなんとかマイシンと胃薬、咳どめ)

こんな感じだった

ちなみに親世代に20年間質性肺炎でここ数年も酸素吸入していきており、介護保険でどうにかなってるけど長期停電コロナにあったら一発死亡する人がいるので知っているのだが

その人も微熱白血球がはじまりだったのでいやだなぁ

コロナだったら旦那がこれからスプレッダーになるんだと思うんだけど

医者大丈夫だってうからそうなんだろう

めっちゃ食料品買って帰った

おわり

 

https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20200304-CORONA-Jimunosyosai.html 

ジムの詳細公表感染防げた可能性も…新型コロナ感染者41人は“全国2位” 問われる愛知県名古屋市姿勢

3月 4日

 新型コロナウイルス、3日は愛知県で新たに9人の感染確認されました。

 そのニュースについて、視聴者の方から次の様なご意見いただきました。

愛知県に住む50代女性

「新たな罹患された方の情報がありました。『尾張地方』の2人とのことですが、なぜ市町村名を公表しないのでしょうか?他府県では市町村名や立ち寄り場所なども公開していて、愛知県の少なすぎる情報に憤りを感じます

 この女性のご意見の通り、愛知県名古屋市感染者が暮らす市区町村や具体的な立ち寄り先は公表していません。その対応に街でも疑問の声が上がっています

 3日、新たに9人の感染者が確認された愛知県

名古屋市内で確認された感染者は5人。

市はこのうち80代の女性3人は3月1日に感染確認された80代の女性と面識があり、同じ場所いたことがわかっていると発表。

しかし、会見では接点となった「同じ場所」がどこなのかは、明らかにしませんでした。

名古屋市の会見の様子>

記者

「もう少し具体的に発表していただきたいんですけど」

市の担当者

今日現在お答えできる内容というのが、大変恐縮です、分かりづらいかもしれませんけれども、こういう説明のところまでが精一杯ということでございます

今日現在旦那はスプレッダかもしれないけどしらね~わ

2020-02-05

流産記録

8日

出来たかも?

喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい

検査薬 陽性

んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかいかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜

出産育児自体には前向き

でもほんおいまら

と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない


22日

初診

の子出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ

胎嚢確認、中身は確認出来ず

ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度

来週また診てみましょうとのこと

帰宅後「胎芽 確認出来ない」でググりまくる

つわり?なのか午後から気持ち悪しんどくなる日々

夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……

体がしんどい思考ネガティブになったり普段は何てことな子どもの声にいちいちイライラしてしま

つらい

翌月8?9?日

胎芽やっぱり確認出来ず

そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)

なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子ども相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。

まぁまだ確定ではないんだけど

今回はだめだったかなー、という気持ちで過ごす

子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情

誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体問題がっていうより精子とか卵子かに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さな旦那しょんぼりしてたのはちょっと切なくなった

その後すぐ旦那通常運転(喜楽)に戻ったけども

改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた

女性特有の疾病が〜みたいな保険に加入してたことを思い出す

もし処置ってことになっても保険下りそうで不幸中の幸い

診察だけでも数千円かかるから……

なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………




8日

9:00

昨夜22時〜絶飲食

お腹すいた

最後の内診で胎芽が見えないことを確認(胎嚢は3センチ

「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち

出産した時とは全然違う、狭くて殺風景な部屋。

処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望

終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす

10:00

点滴&筋肉注射

点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。

なので痛いと噂の筋肉注射はあまり痛みを感じず。

その後処置室へ

10:25

処置室へ

寒い

処置室に時計があったのでぼんやり見てた

処置どうこうより「全身麻酔意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた

10:40

処置開始

全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は

「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」

知らぬ間に数十分過ぎてた

運ばれてるんだろうなー

「捕まっててくださいね

ベッドに移動したんだろうなー

などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)

薬を嗅がされて…みたいなドラマアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる

気付いたら個室ベッドの上だった

血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)

そしてまた眠る

11:15

初めて目を開けながら喋れたのがこの時

「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」

たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた

たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず

とにかくいろんな夢を見てた

12:47

起きる

13時過ぎ

軽食

パンケーキフルーツ!!美味しそう!!!

フルーツほんとにありがたかった。水分万歳

しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー

痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む

食後診察

出血を抑えるために挿入していたガーゼを取る

本日処置終了

帰宅

お腹すいた

保険会社に電話

休日を挟むので数日後速達発送する、とのこと

こちらで用意するもの診断書保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…

帰宅後の様子

1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)

ごはん旦那オムライスをいつもどおり食べられた

でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝

翌日

再診

出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可下り

昼は外食で済ますが、食後駐車場までの道のりで倒れそうになる

貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー

翌々日

寝て過ごす

昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む

術後は大人しく身体を労ろう…と再確認

翌々々日

あれー身体かるーーい!と思って朝から家事バタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ

しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった

しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…

以降、まだ家事を頑張ると息切れはするものの、術後すぐの「どうやって生きていこう…」みたいな動けない絶望感はない。

2019-12-05

初めて患者さんの前で泣いてしまった話

 突然だが、私は看護師をしている。同業者ならお馴染の入院期間が長く介護度が高いとされる内科の混合病棟。そこに私は新人で配属されてから今まで4年間勤務している。日々腰痛に悩まされ、終わらない業務に鳴り止まないナースコール土地柄なのか文句を言った者勝ちだとでも思っているかの如く多いクレーム。正直、毎日疲弊しているし帰っても何もする気になれない。

 そんな私が1年目の時、先輩看護師からふと「患者さんの前で涙を流してはいけないよ」と言われた。詳しい理由は聞いていないし、正直今でもあまりよくわかっていない。調べてもみたが、『時には涙を流すことも必要ですよ』なんていう謎のカウンセリング的な言葉最後に出てくるばかりで明確な理由はわから仕舞いだった。ただ、何となく自分のなかでは「私たちプロ医療従事者として、感情を露わにしてはいけないんだ」「患者さんやその家族の方には今まで歩いてきたその人たちの人生があって、私たちが関わっているのはそのうちのほんの数ヶ月。そんな短い時間関わっただけの看護師が、一番苦しくて大変な想いをしている患者さん、家族の方の前で涙を流すことはきっと何か違うんだ」と思ってきた。

 内科系、特に私の所属する病棟は残念ながら亡くなってしま患者さんが少なくない。4年間働くなかで看取りをした経験は数えきれないほどあるし、何度も「本当に私のしてきた看護は間違っていなかったのかな」と疑問に思うこともあったし、「もっとああしてあげればよかった」と後悔もした。自分母親と年齢の近い患者さんと、色んなお話をした夜勤明けに、「また明後日ますね」なんて言いながら別れたのに、次に勤務してきた時にはその人は亡くなってしまっていた、なんてこともあった。それでも私は涙を流さなかったし、どこかで自分に泣いてはいけないんだと暗示をかけていたように思う。

 そんなある日、ひとりの患者さんが検査目的入院してきた。

 ADLは自立、今まで入院経験もなく普通に自宅で過ごしてきた60歳代の上品女性。病室は詰所から一番遠い場所で、きっとそのうち検査が終われば退院するのだろうと思っていた。入院当初に発行する入院診療計画書にも、入院期間は2~3週間と書いていたように思う。

 けれど、検査の結果すぐに治療必要である疾患が見つかり、その患者さんの入院期間はどんどん延びていった。何号室の何番ベッドの人、と言えば全員が「ああ、〇〇さんね」とわかってしまうほど長い期間入院することになったその患者さんは、点滴、内服など様々な治療を代わる代わるうけていた。それでも文句の一つも言わず、「先生看護師さんには本当によくしてもらってるからね」といつも笑顔だった。

 その患者さんは、毎朝起きると持参の電気ケトルにお湯を入れるため給湯室までやって来る。夜勤だった私はその日、担当するチームではなかったものの偶然給湯室に居合わせ挨拶をして少しだけ給湯室前のソファで話をすることになった。

先生退院まだですか?って聞いたんだけどね、まだもうちょっと、って言われちゃった」

「色々と治療も頑張っていらっしゃいますもんね」

「もう一ヶ月になるかしら。そろそろ家に残してきた旦那のことも心配で」

旦那さん、いつもお見舞いに来てくださってますね」

「そうなのよ。何だかんだいって、心配してくれて。今までも色々と迷惑かけてるけど、まだもうちょっと、お世話になりますね」

 そんな会話をしたと思う。

 この頃、既に病名は本人にも家族にも告知されていたし、きっと自宅に帰るベストタイミングだったんだろうと思う。けれど、主治医はその決断を下さなかった。どうして、と聞きたかったけれど、それを誰も聞かなかったし、聞いていたところで教えてくれなかったと思う。

 それから更に一ヶ月が経って、その患者さんは酸素が手離せない身体になってしまっていた。疾患そのものではなく、合併症により呼吸状態が著しく低下したことは本人にも伝えられた。ただ一つ、予後があまり長くないことだけは、家族の方にのみ伝えられたらしい。急変時はどうしますか、という質問に返答はなかった。当然だ、ほんの数ヶ月前まで自宅で普通に生活をしていたのだ、入院だって自分の足で歩いて、普通に話ができていたのだ。

 合併症治療のため抗生剤が開始となった。すると、今度はその抗生剤の影響で感染症罹患。個室隔離することになった。

「こんなことになって、人にうつしてしましまうかもしれないなんて、孫にうつしてしまったらどうしよう。またみんなに迷惑をかけてしまう」

 そう言いながら涙を流す患者さんに、決してあなたのせいじゃない、あなたは誰よりも頑張っていますよ、としか伝えることができなかった。

 きっとずっと前から、心は限界だったのだろう。どんどん気力をなくしていくのが目に見えてわかったし、同時に、投与する酸素の量は増えて行った。

 そして、ある日の朝。その患者さんの担当だった私は、朝の内服薬を持って病室を訪れた。おはようございます、お薬を飲みましょうか。そう伝えると、閉じていた目がゆっくりと開いた。

「もう、いらない」

 そう返された時、私はすぐにどうして、と言えなかった。いつかこうなるんだろうな、とどこかで覚悟していた自分がいたのだ。

「ずっと頑張ってきたの。それでもこんなにしんどいの。どうして?もう疲れた今日死にたい。今すぐ楽になりたい。わかってるの、みなさんには本当によくしてもらってるの。先生にも、看護師さんにも。けど、もう疲れちゃった。もう何もしたくない。お父さんも、息子も、私に生きてほしいって言うの。でも、もういい。お願いだから楽にして」

 腕や足だけじゃない。指先、眼球にまで浮腫が及んだ身体で、整わない息で、そう伝えられた時、私は溢れてきた涙を我慢することができなかった。既に投与している酸素の量は限界、これ以上の酸素化を望むのであれば人工呼吸器をつける必要がある。逆に言えば、人工呼吸器をつければ身体強制的酸素を送ることはできる。今の医療は先を望めば生き永らえることができてしまう。家族から急変時の対応に関する返答はまだない。急変時の確認ができていない患者は、原則何としてでも助ける必要がある。けれど今、この患者さんは自分意思を私に伝えている。浮腫パンパンに腫れ上がった冷たい手を握った。

「今まで頑張ってきたんですもんね。しんどかったですよね。お薬は、今はやめときましょうか」

 そう言うだけで精一杯だった。

 しばらく何も言わず、ただ黙って付き添って、患者さんの息が整ったタイミングで病室を出た。その足でトイレに駆け込んで、心を落ち着けから業務に戻った。それでもその日、どれだけ他の患者さんと笑って話をしても、家に帰っても、あの患者さんと過ごした30分程度の時間が忘れられなかった。

 それから一週間後、その人は亡くなった。私は勤務時間ではなく、申し送りでそのことを聞いた。やっと楽になれたんだね、としか思えなかったし涙を流すこともなかった。身体を綺麗にして数時間後にはお迎えがきたし、その更に数時間後には新しい患者さんがその部屋に入院してきた。自分がどこにいるのかもわからないほど忙しい業務に追われ、代わる代わる入院退院を繰り返していく中で、それでもあの患者さんの言葉が忘れられない。あの時掛けるべき言葉が、すべきことがもっとあったように思う。けれど後悔している暇もなく毎日を過ごしていて、正解がわからないままここまで来てしまっている。

 私は、もうすぐ今の勤務先を退職する。理由は色々あるし、それはあの患者さんが亡くなる前から決まっていたことだった。新しい職場は決まっていない。けれど、きっとまた看護師としてどこかの病院で勤務しているのだろうと思う。私は、看護師仕事が好きだから理不尽なことを言われるし、後悔だって沢山する。それでも、看護師という仕事が、患者さんのことが好きなのだ。もしかするとこの先、同じように患者さんの前で泣いてしまうことがあるかもしれない。プロ失格だと言われてしまえばそれまでなのだけれど、でも、きっとその時も私は後悔して、また働き続けるのだろう。結局、正解なんてないと思うから。それでも自分にできることはあると思うから

2019-08-29

親知らずを抜いた

「いやぁこれやばいですよ」と歴代歯科医に言われ続けて幾年月。

初夏に親知らず付近の強い痛みを感じて改めて受診

痛み自体顎関節症のもので、親知らず由来のものじゃなかったのだけど

これも機会じゃ、と抜歯してきました。

https://anond.hatelabo.jp/20190508063336 の経過日記的なものに大変励まされたので別例も挙げてみます

まぁ今更情報溢れてるでしょうが書いてみたくなったので。

抜歯

上記エントリにあるとおり麻酔後は痛くない。

ただ私の場合は寝そべっている親知らずが顎の骨に癒着していたようでちょっと大変でした。

ぐいぐいメリメリ器具に力をかけるので患部より、負荷のかかる顎が痛い。

舌の上にコロッと抜けた歯がころがったところで試合終了。その後何針か縫います

麻酔が切れる

そりゃもう痛い、という事だったので痛み止めを受け取った薬局で即2錠飲む。その後も5時間おきに2錠。

これは用法用量ギリギリなので後で怒られました。(けど怖いので飲む)

ズキズキじんじんしてくるものの、耐えられない感じではないかなぁと思いました。

口が痛みで開かないので、ウィダーインゼリーをあらかじめ買っておいて本当によかった。

あとはレトルト雑炊も。最後おすすめ食事をまとめます

基本柔らかいものをすする感じです。

この日は痛いし疲れるしで、仕事?何いってんだという感じ。

2日目

コブ取り爺さんの様に頬が腫れる。おもしろがってぱしゃぱしゃセルフィーを撮ったのだけど

この後の経過を見るためには意外に有効だった。おすすめ

この日は抜歯した総合病院ではなく地元歯医者さんで術後の消毒/検診。

とにかく血餅(患部にできるかさぶた)がとれちゃうドライソケットという

激痛状態になるらしいのでそーっとそーっと生活する。

とはいえ痛み止めが合うのか?結構余裕。ちょっと仕事しちゃったり。

3日目

舐めてた。患部の痛み、腫れもさることながら喉が腫れ上がって唾液を飲み込むだけで激痛。

喉の皮膚を触るは勿論、顔をひねって腫れた部位が伸びるだけでも痛い。

脂汗だらだらで何回か熱も上がってたように思う。とにかく動かず痛み止めに希望を託して微動だにしない日。

4日目

腫れは継続。痛みで覚める断続的な睡眠を終えて朝一地元歯医者に。

化膿はないが炎症してる、とのことでしっかり消毒清掃してもらい、追加の抗生剤をもらいました。

その後、午後にはあれ?痛くない!と思えるほど急に回復時間が経つにつれ少しずつ腫れも引いてきた。

痛み止めを飲まなくても大分楽になってきて家で仕事

夜寝ようとしたら抜歯箇所が少し疼くのと同時に猛烈にかゆい!痛み止めで飲んで就寝。

5日目

腫れはさらに軽減。少し頬がアザっぽく色がついてきた。

痛み止めは飲まなくてもほぼ大丈夫夕方頃疼いたので一度だけ飲みました。

夜にはまた痒くなってきた…

6日目

ほぼほぼ回復おっかなびっくりなので食事歯磨きに神経使うけど、

通常生活に戻れるかなという感じです。

痛みもかゆみも治まりつつあるなか、口開かないのがわずらわしくなります

大口開けて白飯かっこみたい!

抜糸

麻酔もなく痛みもそんなない(ちょっとはある)のがほんと謎。ずるって抜くんじゃないのかな…。

まとめ

ご飯類は事前に用意しといたほうがいいです。と、仕事学校などはある程度休める状態でやったほうがいい。

私の場合は3日目がピークだったので人によって山場はずれるが概ねキツイのは1日だけっぽいです。

ドライソケットは怖い。

抜歯後オススメ適当めし

ウィダーインゼリー

抜歯前に2,3個用意しておく。

レトルトおかゆ

上に同じ

レトルト雑炊

上に同じ

お湯をかけるタイプのやつ。私はアマノフーズファンなので色々試してちょっとしかった。

プリン

すする

茶碗蒸し

すする。

豆腐

すする。

試す機会がなかったのですが、湯豆腐的なものを色んな味で作るのもいいかも。

バナナ

細かくちぎってボウルにいれてすりこぎ棒で潰す。

ヨーグルトいれても。そしてすする。

パン

キャンベルスープ作って食パンの白いとこを細かくちぎって煮る。

今回はじめて作ってみたけど美味しかった。

まり細かくならないので少し口が開くようになってから

命日の決まっていた猫のはなし

の子は命日が決まってるんだな。


安楽死を決めた時、私はそう思った。


うちのかわいいかわいい猫のはなしをしようと思う。

疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。

「猫なら手がかからないよ」

あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。

結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。

いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネット検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。

買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。

残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。

メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。

ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。

ただ、私の猫はとても朗らかだった。

人間が大好きで、友人たちのアイドルになった。

「猫は好きじゃないけどこの子は好き」

積極的に会いに来てくれる人もいた。

7歳の時にアレルギー改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。

10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものから対症療法しかないとのことだった。

13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。

近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。

私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。

朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。

向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。

タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシー運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。

採血レントゲンCT、様々な検査をして酸素が投与された。

原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。

今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。

妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。

ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。

酸素投与とステロイド抗生物質の点滴を続けた。

猫は三日間何も口にせず、病院許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。

どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。

毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。

内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。

猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓肥大していた。

「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃん重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります

うちの猫喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。

近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。

ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。

その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。

これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。

二週間後、先生が言った。

「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫可能性があります

そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。

右側からしか出ない鼻水、瞬膜、大きくなってきたおでこ

「顔の悪性リンパ腫はどうなりますか」

「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います最後は悪液質で亡くなることになります

私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療選択した。

けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。

25mg/日を10間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。

副作用による空腹感で、猫は鳴いて鳴いて、可哀想だった。

ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。

苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足しか思えなかった。

薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。

ステロイドを中止した翌日から、猫は昏昏と眠るようになった。

ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。

から鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。

カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。

視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。

トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。

2週間が経った。

ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。

最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口から出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。

当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血浸出液ピタリと止まった。

このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。

けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。

別れたくない。悲しい。寂しい。

それと同じくらい、楽にしてあげたい。

戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。

自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。

動物病院に状況を報告した。安楽死選択ひとつだと思うと先生は言った。

苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。

の子は命日が決まってるんだな。

翌日は動物病院休みだったから、一日中猫と過ごした。

苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。

愛しさと諦めが交互にやってきた。

安楽死の当日。予約時間ギリギリまで悩んだ。

行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。

猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。

やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。

猫は起きて、苦しそうに叫んだ。

看取りたいというのは自分エゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。

病院は昼休みだった。着いたときから先生看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。

点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。

けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。

猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。

大丈夫もっと話す?」

顔を出した先生に、私は言った。

「お願いします」

病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。

早く連れて帰りたかった。楽にしてあげたかった。

最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。

数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。

そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり心拍が止まった。

二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。

先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。

「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」

先生は私も、猫も褒めてくれた。

帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。

たっぷりシャンプーリンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。

体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。

帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。

「どうして」

体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。

すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。

猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。

「もう大丈夫だよ」

妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。

いつかはと思っていたから、その後の段取りスムーズだった。

猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズダンボール箱を用意したりするのはつらかった。

でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。

それから、死後の処置自分でしてよかったと思う。

鼻血浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。

大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。

処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。

けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。

どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。

姉が言った。

「いっぱい愛してもらったね」

そう。猫に愛されていたのは、私だった。

家猫のあの子にとって、世界で一番愛しい相手は私だった。

安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリー記事がとても参考になった。

自分ペットに対して安楽死選択したことは、あまり口にできないことだと思う。

感謝気持ちを込めて、私も書き残そうと思った。

それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。

目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。

もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。

ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。

ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。

対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情対処する方法は見つからなかった。

結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。

とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。

自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。

離れている間にしんでいないか毎日戦々恐々としていた。

最後お金の話をしようと思う。

7万円を最初に出したのはそういう意図だ。

4日間の入院で15万円ほどかかった。

酸素ハウスを3ヶ月レンタルして6万円。

薬代が月に1.5万円~3.5万円。

採血レントゲンが1.5万円。

CTが4万円。

そして安楽死処置が3万円で、葬儀が2万円。

治療11ヶ月に及んだ。がんばった私。

もっともこれはミニマム治療だった。良心的な動物病院だった。

抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。

お金がない人はペットを飼ってはいけない。

これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。

最低賃金上がればいいのに。

雑然と書いたけれど、私の猫の話はここでおしまいです。

いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。




8/31追記

twitter感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。

自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉ありがとう。とてもうれしかった。

今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。

安心してるんだ。もう苦しんでいないって。

でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。

この感情はそれぞれ別のものから、ずっと抱えていくと思う。

話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。

便宜上妹と言っているけれど、血縁関係はないんだ。

今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。

姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。

姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。

飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護問題ペットショップの不適切販売を知ったんだよね。

私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。

妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。

その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。

妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。

「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ

姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。

実際のところ来てくれたから、わかったことがある。

それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。

妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。

最初ちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。

妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶ひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。

亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。

兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。

きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。

別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。

いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。

姉猫も兄猫も妹猫も、どの子世界一かわいい

世界一ひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。

生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。

の子もみんな世界一だよ。

あとな、創作って言ってた人な。

文章力があるって受け取っとく。ありがとうな。

創作だったらいいな。

そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。

キーボードダイブしてもいいよ。叱るけど。

ずっとずっと愛してるよ。

ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)

2019-05-19

anond:20190519181013

そのあと抗生剤の強いのつかったから腸内細菌が死にまくってるからって医者乳酸菌飲まされるだろ?

そんで後日IBS(下痢型)になっちゃったのが俺

2019-05-14

追記しました】顔のほくろを手術して取った話

経過報告です→anond:20190522165250

先日、ほくろを取ったのでその話をしたい。

なんでしようと思ったかというと、仕事しなきゃなんだけどやること多すぎて現実逃避したいのと、

Twitterでほくろ取った~って言ったら「いいな」とか「自分も取りたい」といったような反応する人が結構たから。

顔に取りたいほくろがある人の参考になれば幸い。

【ほくろのスペック

まず場所だけど、鼻の下のど真ん中にある。人中?とか上唇溝とか言われるところ。

大きさ(直径)は2mm弱?くらい。ぷっくりしている。

まれつきのホクロではない。中学生高校生の頃、気づいたらぽつんとあって、最初は平たくて小さかったけれど、徐々に膨らんできた。

【取るに至った経緯】

場所場所だし、よく「ゴマついてるよ(笑)」とか言ってからかわれたので、

社会人になったら絶対取ると決めていたのだが、なかなか本気になれなかった。

2年くらい前、1度本気で取ろうと思って調べたら、形状によっては皮膚科保険適用で取れるというのを知ったけど、

そのあとの日焼けすると痕が残るとかで、ケア的に冬に手術するのがいいというのを知っていったん見送った。

それから気づいたら冬が過ぎ、そしてまた冬が過ぎ、取るタイミングを見失い続けていた。

先日、顔面を戸棚で強打し、目の周りを怪我してしまったのだけど、その時に「何科にかかればいいんだ……?」と調べたところ

形成外科というものを知る。その時見つけた病院ホームページを見たら美容外科も併設しており、

ほくろ除去もしているというので、とりあえず怪我を見せるついでに話を聞こうと思った。これがGW前の話。

【診察~手術まで】

診察のついでに「形成外科」のくくりでほくろについて相談してみる。

この時担当してくれた先生がすごい早口オタクみたいな話し方する人で、なんというか句読点がない話し方をするので話がイマイチからなかった。

が、図を描いてほくろの取り方を教えてくれた。

一つ目がレーザーなりメスなりでほくろをくりぬく方法。ほくろは根っこのように皮膚の中まで入りこんでいるので、表面を削るのではなく抉らなければならないとのこと。くりぬいたあとは自然治癒力に任せ、しばらくはぼこっと穴が開いている状態だか自然と皮膚が元の状態に戻ろうとするので平になるらしい。

二つ目が広範囲に(アーモンド形に)ほくろを切り取って縫合する方法。こっちの方が治りは早いけど抜糸の痕が残る。場所的にはお勧めできない。

保険適用で1万ちょっと。多分1つ目の方法になるので長期戦を覚悟すること(だから結婚式とか大切な予定があるならいったん手術を見送ってくれと言われた)

「ほくろ取るのは冬の方がいいとか聞いたことあるんですけど、どうですかね」と聞いたら「別に関係ないでしょ」という答えだったのでとりあえず手術を予約した。私が行った病院では手術を担当できる先生は常駐していないので、その日にあわせて予約を入れておくシステムだった。

【手術】

キドキしながら手術日。化粧していいかとか聞くの忘れていたので、日焼け止めを塗る程度にして一応日傘を持っていく。

Tシャツとロンスカみたいな適当恰好病院に到着。しばらく待合室で待たされたあと、診察の時のような軽い感じで名前を呼ばれ手術室に入る。

手術室は手狭だったが、医療ドラマで見るのとほとんど一緒だった。着替えもせず、そのまま靴だけ脱いで台に横になる。

最初に執刀する先生から説明がある。ほくろの状態・大きさからして、ほくろをくりぬいて縫合はしないパターンで行く、とのこと。おけまる。

歯医者さんで使うみたいなほっそい注射器麻酔をされるんだけど、とにかくこれが痛かった。もうアラサーなのに涙がでた。先生も焦って「痛かったよな~」とか声かけてくれるレベル。曰く唇周辺は一番感覚が鋭い場所なので、痛みもひとしおだと言う。ついで痛いのは掌らしい。

麻酔が効いてきたら、これまた医療ドラマで見るような、患部(?)の部分に穴が開いている青い布をばさっとかけられる。それからメスでほくろをえぐりとられるのだが、麻酔のおかげで全く痛みもなく、何なら触られている感じすらいまいちしなかった。

途中で先生が「うーん、切れ味悪いな……おーい、(看護師)さーん、11番とって」と言い出した時は言い知れぬ不安を感じたが、無事終わった。

手術が終わると鏡でほくろ(があった場所)を見せてくれる。グロ画像注意という感じだった。ほくろがあった場所にぽっかり穴があいている。

そのあと今後のケアについて説明。軟膏を塗って、ある程度傷口がふさがるまでとにかく乾かないようにする。一度かさぶたにししまうと治りが遅くなるしきれいじゃなくなってしまう。最初は赤紫色で、少しショッキングだと思うが、徐々にきれいになってわからなくなっていくので安心して、と言われた。

注射したあとに貼る小さい真四角のばんそうこうをベンッと貼られて終了。帰り道死ぬほど恥ずかしくてマスクを持ってこればよかったと思った。

【術後】

順調です。抜糸とかがないので病院に行く用事がなく、3週間くらいしたらほくろの検査結果が出る(一応本当にほくろか、悪性腫瘍じゃないか調べるらしい)ので、それくらいに着て~と言われた。それまでは軟膏を塗り、サージカルテープ?で蓋をして、乾かないように、そして紫外線さらされないようにする。

ある程度綺麗になったらテープは外して、UVコンシーラーなんかを使って保護して~とのことだが、まだ流石にその域には達していない。鼻の下に間抜けにもテープを貼って仕事している。

あと一応飲み薬(抗生剤、痛み止め)も出た。ただ術後麻酔切れたあとも全然痛くないので、痛み止めはもう飲んでいない。

反省点】

やっぱ冬にやった方がよかったな~!とは思う。日焼け面倒だし、あとこの季節にマスクするの暑いちょっと違和感

仕事結構社外の人間と会うことが多いので、冬場とか春先なら「花粉症が」とか「インフル予防で」とか言えるけど、そういう訳に行かないので鼻の下テープのまま話している。

それと、一応美容外科とかそういう専門のクリニックに相談してみてもよかったかな、と思う。料金高くなるだろうけど、説明もっと丁寧だっただろうし手術の仕方にもバリエーションあったかもしれないし。

あと手術の日は濡らしちゃダメ(顔洗っちゃダメ)と言われたので、本当にドすっぴんで行くべきだった。「だめ、ですか……」って言ったら先生「いや、うーんいいんだけどねえ、あんまりねえ、まだ(傷口が)ふさがってないしねえ、まあ……ねえ~」としぶしぶOKしてくれた。

費用

みんな気になるところだよね。手術だけなら保険適用で14,800円。手術の前のカウンセリング(?)というか、怪我して診察してもらった時に初診料とか診察料とかで2500円くらい払って、手術後の薬代で710円なので、総額2万円いってない。次に経過観察で行くときも大して取られないとのことなので、やっぱり2万はかからないだろう。

【その他】

一応美容脱毛ミュゼとかそういう系)で鼻の下も脱毛やってるのだが、患部にあたらなければ普通に続けていいよ~とのことだった。本当か……?ちゃんと「”鼻の下”を美容脱毛してるんですけど」と言ったかどうか不安になってきたので、次の経過観察の時にもう一度確認する予定。まあ、これまで脱毛してた時もほくろを避けるためにシール貼って施術してもらってたんだけど、同じような感じになるのかなとは思う。

【やってどう?】

このあと手術痕がどうなるかわからないけれど、穴が徐々にふさがってきて皮膚を形成しだしている今は「やってよかった!!!!」と声を大にして言える。ずっとコンプレックスだったし。化粧の邪魔になるし。生々しい話?だけれど、鏡に近寄って鼻の下シェーバーで剃ってるとき、ほくろあたりからちょっと太い毛がはえてるの見えて萎えてたりしたのがなくなるかと思うと本当に嬉しい。

別に劇的に人生変わらないけれど、いやだなあ、いやだなあって鏡や写真見るたび思ってたものがなくなるのはちょっとストレスフリー

ほくろ取りたいな、どうしようかな、と悩んでいる人には、上記反省点を伝えつつオススメしたいな、と思う。

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