「インタラクション」を含む日記 RSS

はてなキーワード: インタラクションとは

2017-04-21

Orarioとスクレイピング大学側の対応について

すでに学生でもないのになぜこの件について書いているか自分でも分からないが、例の穏便でない大学教授発言ブーストされた感がある。

まず前提として、ID/パスワードを用いてスクレイピングを行うサービスのものは、特殊というほどではない。そのようなサービスはすでにいくつも存在するし、最も有名なところでは口座アグリゲーションサービスMoneyForward等)だ。彼らは業としてそのようなサービスをおこなっている。セキュリティのこと少しでもわかる人間ならそんなサービスやらない、というほどでもない。ただし、セキュリティが分かる人間であればあるほど慎重になる、というのは確かではある。通常ID/パスワードを渡すということは、全権委任とおなじだ。また、ログイン後の行動について、自分がやったか第三者がやったか、全く判別できない状況になる。さらに通常のWebセッションと同等だとすると、パスワードリセットから完全なアカウント乗っ取りまであり得る。つまりサービス事業者に対してよほど強い信頼関係がなければ厳しい、ということになる。

クラウド上で動いているかスマホ上で動いているか、という話は、それほどは重要ではない。クラウドしろスマホアプリしろ、すべてサービス事業者側の組んだプログラム意図に従って動くものであることは確かだからだ。

ただしクラウド上ではユーザが想定していない動作を行っているのかどうかという検証しにくいという問題があるとはいえる。とはいユーザが予め意図した行動から外れることをしてないのであれば、クラウドからアクセスでも別にそれは問題ないわけで、その点で、Orario側の主張であるスマホで動かしているのだから」という主張は、ちょっと見当はずれではある。

なお、ユーザインタラクションを介さな自動的アクセス自体サービス要件に含まれ場合スマホでは厳しいためクラウドアクセス主体が置かれる、というのは、まああり得る。口座アグリゲーションはその典型的ものだろう。Orarioの場合は、たぶんその必要はないのだと思う。

正規手段として学認があるのになぜしない?という主張は、マジでひどいと思う。普通に考えて、ぼっと出の1ベンチャートラストサークルに加えてもらえると思っているのか。このような主張は、Google/Facebookレベル自由APIクライアント登録ができるようになっていて、初めて言えるものだろう。通常は、世に受け入れられるサービスが出て初めて実行力を認めてもらえる、にわとりたまごの話ではないのか。そもそも、学認のShibboleth仕様で、そのような履修情報のやりとりがそもそもできるようになっているのか疑わしい。ホントSSOできるだけではないのか?

大学側にお伺いを立てるべき、という筋論は、そりゃそうかもしれないけど、やっぱりにわとりたまごだと思う。ビジネスの筋論っていうやつは、内輪だけの論理になっている場合が多いし、正直ステークホルダー既得権益側だったりするわけで、話が通じるとは思えない。そのようなもの破壊していくのは常に外部からだろうし、それを単なる破壊行為ではなくDisruptionにできるのは唯一ユーザからの支持であるわけだけど、Orarioは最低限そこはできていたようにもみえる。例の教授はどうも内側のメンバーの感じがひしひしと出ており、傍目から見ると、そりゃそのポジションじゃあね感が強い。

事業モデルがわからいから怪しい、事業が成り立つとしたら収集したデータ第三者への販売ぐらいしかないはずだ、という主張は、気持ちはわかるもの論理として弱い。怪しいサービスに預けるな、というのは、意見の表明ではあるかもしれないが、普遍的に怪しさを証明するには根拠が足りていない。利用規約レベルではまだなんとでもいえる。逆に言うと、Orario側は、そういう色が少しでもあったのでは?と思わせるような内容を否定してさえいけば、その点では勝てるが、やっぱりそこは何らかの形で検討して行きたかったのでは、とも思えるので、そういう将来の自分たち制限することはことはあまりやりたくないだろうなとは思う。

結論を言うと、とりあえず大学側はもうすこしトーンを落としてほしい。このままではFUDだといわれても仕方ない。単位云々の脅しは傲慢以外の何物でもない。少なくとも卒業生にとってそのような大学いたことを恥じるレベルである。嫌なのは分かるが、銀行とかだってそうだったはずだ。もうすこし長い目で見てあげられないのか。ID/パスワードを預けることのユーザへの注意喚起は、もちろん正当だが、それを認識して預けていることについてとやかく言うことは得策でない。

そして、Orario側は、自分たちがやっているサービス説明に少し時間を割いてもいいと思う。特に何をどのように取得しているのか、明確にすることは重要だ。大半のユーザたちはそういうこと気にしないとしても、自分たち自身自分たちサービス定義するのに役に立つし、今はEvilでなかったとしてもいつかEvilになってしまうのを防ぐという意味合いもある。面倒かもしれないが、取得範囲を明確にすることは信頼を得るということであり、最終的にユーザの獲得に寄与するだろう。

2017-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20170309140136

基本的にはこれまでの各種オープンワールドゲームを良く研究したうえで良いとこ取りをした総集編みたいな感じではありますね。

その上で、誰もが思いついたであろうが、調整やマップデザインゲーム進行上の都合で実現できなかったであろう「ほぼどこでも壁登り」をゲームメカニクスの前提としたうえで、マップデザインから、各種 POI の配置まで再構築し、しかも滅茶苦茶高いレベルでやりきっているところがエポックだなーと感じます

単にシステム的にどこでも登れるようにしただけでは、デバッグモードで遊んでるようなもので、攻略もクソもなくむしろ面白さを削いでしまう結果にすらなりかねないと思うんだけど、それを恐らく「300人での通しプレイ」を通じて、徹底的に磨き上げたんだろうなあ。

かつて時オカで、初めてエポナに乗ってハイラル平原を駆け回った時、ただ馬に乗って走り回っているだけなのに何でこんなに楽しく気持ちいいんだ!と感動したものだけど、今作では起伏に富んだフィールドをうろちょろしているだけでもなんかアスレチック的な楽しさがあって、意味もなくあっちを登っちゃこっちを登っちゃしたくなる。地形とのインタラクションレベル尋常じゃない。

マリオクリボーとかノコノコとか敵も出てきますが、実は8割くらいはあれ、地形とのインタラクションですよね。敵の存在は、そこに加わるスパイス的なものというか。やっぱりファミコン時代からそこを長年やっているという地力の部分が、出てるのかなあーと思います

(グラビティデイズとかも、重力を操ってどのようにでも動けるのって、システム的には目新しいんだけど、「新感覚レベルまりと言うか、ギミックまりというか、マリオ64に感じたような、動かしてるだけでなんかわからんけどとにかく楽しい!というところまで到達してなかったなー、って余談)

これを一回体験ちゃうと、例えば Fallout の移動とか、非常に平坦な "作業" で、なんてダルいんだと感じてしまうのではないだろうか。(いや、Fallout は好きですよ!)

今作を持ってアクションオープンワールドの水準は完全に一段上がってしまったので、これからこのジャンルのものを開発するデベロッパーは、かなりしんどいんじゃないかなあ。しかもそれが、単にシステム的に真似ればいいってものじゃないところがまた大変。がんばれがんばれー!

褒めるばかりではアレなので要望も書いておくと、ウチでは Switch 入手できなかったんで Wii U 版やってますが、セーブアカウントごとに1つってのがね、めんどくさい。俺もカミさん子供たちもみんなゼルダハマってるので、交代するときにイチイチ Wii U 本体アカウント切り替えまで戻るの、すごいダルいんですよ!

アカウント切り替え後にまたソフトを起動するのでロードが入って、コレの待ち時間がもう全くのムダ! 普通にセーブデータ複数作れるようにしてくれれば、タイトルに戻って自分セーブデータロードするだけで済むはずなのにさあ!

任天堂はわりと 3DS なんかでもセーブ1コだけってのが多い (ポケモンとかな) ので、この辺はホントどうにかして欲しいなと常々思っております

あと Switch 版と Wii U 版あるので、欲を言えばソニー的なクロスセーブ的な仕組みもあったら嬉しかったですね。いやまあ Switch 自体が据置であり携帯であるので、PS4/Vita のような役割分担にはならないんだけども、今もう Wii U 版で始めちゃってるので、あとで Switch 入手できても移行できないなーって。Wii USwitch への一方向引継ぎだけでもあったら嬉しかったなあ。まあ完全に個人的かつ贅沢な要望ですが。

2017-01-04

WEB博物館で働いてるけど、もうだめだ

31歳、WEB博物館学芸員大学の専攻はソフトウェア考古学

行ったことのない人のために説明しておくと、WEB博物館WEB150年周年を記念して設立された博物館で、WEB歴史を振り返るとともに

時代サイトデザインインタラクション体験できる日本唯一の博物館。古くは平面ディスプレイでのWEBページから、主流の空間3次元MRの流れを体験できることが売りなんだけど、

まだ2010年~2020年代の展示が用意できていない。暫定的に、展示パネルスクリーンショットを展示している。

この展示の担当者は俺。正直な所、ちゃんとした展示が開始できる見込みは立っていない。というのも、ソースコードはあるけれど、当時の技術背景がはっきりしないため、サイトを動かすことが全くできないためだ。

今時、平面ディスプレイなんて骨董品屋に行かないとお目にかかれないが、なぜか自宅の地下に眠っていた。

りんごマークが描かれた物理キーボード搭載の、所謂ノートパソコンってやつ。金属ボディでかつ核シェルターに入ってたので、核戦争の時のEMPにやられずにかろうじて残っていたみたい。これを高校生の時に見つけて以来、徐々に二次元派になっていった。レトロPCマニアという区分人間だ。

当時のソフトウェアを発掘、解析していくうちに、古い技術ソースコードを集めるのが趣味となり、大学ではソフトウェア考古学を専攻した。

大学時代にやってたことは、未処理地区に入ってストレージを発掘、残っている当時のソフトウェアを解析、当時のものを修復・復元などだ。

その後は技術博物館に勤務し、2年前にWEB博物館に移った。

ここでは研究員がそれぞれの時代WEB技術で作られた製作物を復元するプロジェクトに携わっていた。

で、俺の担当が暗黒の時代と言われた2010年~2020年代だった。

当時のブラウザパソコンに入っていた。

ソースコードは、骨董から譲ってもらった。当時のサーバークラウドサービス核戦争でほぼデータ消失しており、100年以上前ソースコードなんて絶望的だったが、ある企業が当時の中国ハッカー集団に抜かれたソースコードを保存していたストレージがたまたま現存していた。

問題は、それを動かせる環境構築だ。

開発に使われたJavaScriptという言語は、AIの解析によってバージョンが判明し、なんとか仕様が分かった。大学近代プログラミング言語史の授業を取っておいてよかった。

しかソースコード依存するパッケージが手に入らない。

とにかく、この時代フロントエンドの開発環境の移り変わりが激しく、それぞれのパッケージが使われていた期間がとても短く、バージョンも多様に渡ることから、正解のパッケージ現存していない。

この時代は、まだIT教育ほとんどされていなかった時代でもあり、ソフトウェアエンジニアほとんど独学で技術を身につけるのが普通で、そのためソフトウェアに対する価値観が多様であった。どんどん新しいパッケージが開発、公開され、そのため開発環境の移り変わりはとても激しく、特にフロントエンドは1~2年でガラリと変わっていたようだ。

すると、1~2年しか使われなかったパッケージなんて入っているピンポイント生存ストレージなんか見つかるはずもなく、全然開発環境復元が進まない。

バージョンパッケージが見つかることもたまにはあるので、それで代用を試みるけど、エラー文が多すぎてほとんど使えない。

当時の人は、やたら保守性にこだわっていたみたいだけど、こんなバージョン地獄でうまくやっていたのだろうか。

好きで始めた仕事だけど、もうこんな開発環境の構築だけで消耗する仕事は辞めて、普通WEBエンジニアになりたい。

2016-08-31

FF14感想

FF14パッチ2.5実装分までプレイしたので感想

MMORPGは初プレイ。フレンドと4人プレイ

良かった点

ダンジョンボス攻略

4人のパーティーを組んでダンジョンボス攻略する。

ロール (役割) 制やヘイト管理はやや窮屈だったが、仕掛けへの対策を考えながら攻略していく感じは楽しかった。

悪かった点

クエスト進行

インストリーとサブクエストソロ限定

ストーリーはそんなに悪くないのだが、クエスト自体は非常に退屈。

クエストマーカーへの移動、雑魚殲滅くらいしかパターンがなく、判断技量要求される場面が存在しない。

(稀に物探し、かくれんぼパターンも)

ストーリー進行の合間には時間稼ぎのための無意味クエストが大量に挿入されており、さすがに途中から会話はスキップするようになった。

RPGでお使いクエストは仕方がないとしても、仲間NPCとの打ち合わせのために何十回も僻地に呼び出されるのはどうにかしている。

ソロ雑魚戦闘

雑魚敵のAIは1種類しかない (PCにまっすぐ接近し、静止して攻撃を繰り返す) ので、プレイヤーのすることはたまの範囲攻撃を避ける以外は攻撃スキルを連打するだけ。

クエストの単調さと相まってソロパートは辛かった。

最終ダンジョンムービー

フレンドと4人プレイだったためコンテンツファイインダーを使い残りのメンバー募集したところ、揃ってラスボス戦を締め出されるはめになった。

特にマナーの悪いプレイヤーと当たったわけではなく、よくあることらしい。

微妙だった点

ロール制

大筋は悪くないと思うんだけど、メンバー間で助けあうというよりはお互いのミスの尻拭いをさせられている感じ。

「敵の攻撃PC1が窮地に陥ったけどPC2の助けでリカバリできた」というパターンではなく、「アタッカー攻撃対象を間違えたのでヘイト分散してタンクが被タゲを維持できなくなり、被ダメージが増えてヒーラー負担が増す」とかそんな感じ。

敵とのインタラクション

キャラ対処するための情報は敵モーションからでなく主に床の範囲攻撃予告表示から得られるため、プレイしていると光る床を避けるゲームをやっている気がしてくる。

感想

自分場合はフレンドとプレイ出来たので、なんだかんだで楽しくはあったが、野良で進めるとしたらいまいちだっただろうなあとは思う。

2016-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20160303000422

その理不尽さが、かえってリアルインタラクションを感じさせるからだ。

文脈上選択の余地がないからといって、選択肢が一つしかなかったり自動的に受け答えするのは、つい色んな応答をしてしまいたくなる人間心理に反する。

2014-05-06

civBGにおける敗者選択

civBG(『シドマイヤーシヴィライゼーションボードゲーム』の略称日本語公式サイトはこちら:http://hobbyjapan.co.jp/civ/)において「自分が勝つ可能性は消えたが、他の誰かを勝てなくさせることは出来る」という状況がしばしば発生するのは、プレー経験がある方なら大抵同意して貰えるものと思う。

実際には大小様々な例があるが、最も典型的かつ極端で、かつ厄介なのは以下のような状況だろう。

A,B,C,Dの4人で対戦。

Aは軍備を放棄して経済勝利一直線。手に入れた文化も全て活版印刷コインに変換し、文化カードも一切引かないという戦略を採る。

それを見たBがAの勝利を阻止すべく、Bの首都軍隊差し向ける。

ところがAは一切軍備を行わず、他のプレーヤーCとDに「このまま私は一切軍備をしない。でもこのままだと私の首都が落とされて我々は全員敗北する。それが嫌なら私を全力で支援しろ」と要請する。

何もしないとCとDは負けてしまうので、仕方なくAに文化カード資源を送り続けて支援する。

その結果、支援が足りて耐えたために全力疾走したお陰でAが経済勝利した。

A「わーい!勝ったー!」

さて、このゲームは「楽しい」だろうか?

いや、少し質問を変えよう。「CとDにとって、このゲーム楽しいだろうか?」

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自分がAを支援すればBが勝てなくなりAが勝つ。支援しなければAが勝てなくなりBが勝つ。

また、支援しようがしまいが、全力疾走しているAより早く勝利条件を達成するのは困難であり、自分は勝てない。

出来ることは、ただ「敗者が誰になるかを選ぶ」だけである(この場合は、結果として勝者も選んでいるが)。

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この問題はかなり根深い。少なくとも

という条件がある限り、この状況は容易には覆らないように思える。

勿論「そういう自分勝手なのは禁止な!」という紳士協定を結ぶ、などといった対策が出来ないことはない。

しかし、このゲームは大なり小なり「他人は放置して全力疾走したほうが早い」という側面があるため、結局は程度問題となり、根本的な解決にはならない。

全員が他人を放置して全力疾走すればいい?それも一案だ。しかしそれではただのソロプレー合戦になってしまう。対人戦での醍醐味である、他人とのインタラクションが激減してしまう。

一体どうすればいいのだろうか?

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ここで筆者が提案するのは「チーム戦の導入」である

4人戦の場合に、以下のようにするのである

  1. 対角線にいるプレーヤー同士を同一チームとする。
  2. 先に勝利条件を達成したプレーヤーがいるチームを勝ちとする。

これだけで、前述したような「敗者選択」をさせられることはなくなる。

Aとチームを組むCは全力で支援するのが自らの勝利に繋がるので意味がある(※1)し、Dは当然Aを支援しない(むしろBを支援する)。

また、チームを跨いだ交渉が無くなってしまうかというと、そうでもないだろう。条件次第では取引は成立し得る(※2)。

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「敗者選択」しか出来なくなってプレーを続ける時間は、私は楽しくないと思う。

ただでさえ1ゲームが長時間になりがちなcivBGでは尚更である

もし、敗者選択に辟易した方がいるのであれば、この「チーム戦」のアイデアを導入してみることを提案する。

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※1:「サポートプレーを強制されるのは楽しくない!」という意見もあろうかと思うが、それはチームとして同意を取ればいい話であって、もしチームとして同意を取れないような相手が一緒に卓を囲んでいるのであれば、多分チーム戦をやろうが個人戦をやろうがこの問題は回避出来ない。

※2:そもそも、普段は「全員が敵」という条件下でも取引が成立しているわけで、チーム戦になったらからといっていきなり「有り得ない選択肢」に成り下がるわけではないだろう(優先度は落ちるかも知れないが)。

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追記:誤解の余地があったようなので補足。冒頭の例において、Aは「交渉の余地が無いプレーヤー」だとする。すなわち、交渉材料には「自身の敗北回避しか出さず、自身の勝利を遅くする交渉には一切応じないプレーヤーだとする。

2014-01-27

他の人には絶対知られたくないあるコンテンツがある

1日に数回更新をチェックしてしまうほど、楽しみにしているネット上のある種の「コンテンツ」がある。

それは現在のところは、限られた人々によってのみ消費されていて、衆目に晒されていない。

(他のネットコミュニティに比べれば)情報強者の多いはてな民ですら、『ソレ』について言及したりブクマしたりしているのをほとんど見たことがないからマイナーと言っても差支えないだろう。

だが、それは確実に、数万・数十万単位の人々に消費されても不思議ではない『面白み』を持っている。ポテンシャルと言い換えてもいい。適切なメディアによって適切な紹介がされれば、たくさんの人々が『ソコ』に集まって、『ソレ』について多くのことを語り合い、TwitterFacebookでそのニュース拡散されるだろう。ニコニコ動画には『ソレ』についての動画が大量にアップされ、ゲーム実況歌ってみたレベルの一大コンテンツとしての地位を築くに違いない。これは俺の思い込みでは断じてない。今の状況は、本当に先述した予想を裏付けるのに十分なのだ

そんなに面白いなら何で瞬時に広まらないのか、おかしいじゃないか、という意見もっとなのだが、実は一般的な人々が『ソレ』にアクセスするには、飛び越さねばならない、ある『壁』がある。

俺はその『壁』を飛び越える方法たまたま所持していたため、そのコンテンツ100%とは言わないまでも享受することができている。しかしその壁は、一般的な人々もその気になれば飛び越せる程度の高さである。一端大々的にその存在が知られてしまえば、その壁は悠々と壊されて、玉石混交の『消費者』たちがそのコミュニティに土足で上がり込むことになるだろう。

から、俺は『ソレ』が衆目に晒されることを望まない。

ソレについて、まとめブログが話題にし、優に2,300を越えるはてブがつき、ネットに触れていれば一度は名前を聞くようになる、そういう状況を望まない。

そうなれば、『彼ら』には少数ながらも心ない言葉が投げつけられ、素直な『彼ら』はその一つ一つに丁寧に反応してしまうだろう。

そしてやがて、彼らはそんな不毛コミュニケーションに疲れてしまい、そもそもの活動自体をやめてしまう可能性だってある。

俺は本当に『ソレ』を見たり聴いたり読んだりすることを大切に思っていて、そのコンテンツに関わる人々の人格や、彼ら同士のインタラクションを愛している。

からこそ、多くの人にそれについて知られたくない。

好きなマイナーロックバンドMステに出るようになったら嫌だ、という心理にも似ているかもしれない。

有吉の有名な言葉に『有名になるということはバカに見つかること』というものがあるが、俺はこの愛すべきコンテンツが『バカに見つかって』欲しくないのだ。それは考えただけで寒気のする、すごくいやなことなのだ。

だが、そのコミュニティもしくはコンテンツはココ数年で、一度火が付けば大々的に爆発してしまうほどに成熟している。

いつかは見つかって、心ない人々が彼らの心を傷つけるのは避けられないことなのかもしれない。

その日が今からできるだけ遠くなることを祈るばかりだ。


追記:

絶対来ると思ってた反応に返答。

だったら、ひたすら何も言わない方がいいのでは?

全く正論なんだけど、実際知られたら楽しいことになるのかなという期待もなきにしもあらずだからジレンマなんだよね。(もちろんバカに見つかる恐怖の方が何倍も大きい)

好きだったマイナーロックバンドも、有名になったら切ないけどちょっとしかったりするでしょ。

そういうコンプレックス吐露したいという目的での増田投稿でした。

2013-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20130809120058

横だけど、本能本能でしょ。もちろんその本能にもとづく行動選択を取ろうとする個体同士のインタラクションで、環境リソースを制約とした複雑なダイナミクスが生まれるのは確かだけどね。

2012-05-26

うーん。Google先生巨大企業お金もたくさんある。優秀な技術者も山ほど抱えているし、優秀なマネージャーも山ほどいる。

当然、リリース前にフールプルーフテストとか、ユーザーインタラクションテストとかやってるに決まってるし。

やらないのは手抜きと言われても仕方がないから、やらざるを得ないだろう。

 

と言うことを考えると、GoogleUIは洗練されまくり、多重なテストをくぐり抜け 熟慮に熟慮を重ねた上で出されたもの。ということで

それが使いにくいと感じるということは 逆にGoogle先生にお前がアホだって 言われてるってことなのかなぁ。

2012-04-19

武雄市Facebookページ分析から見られる~ を分析してみたよ

佐賀県武雄市が市のホームページを廃止し、Facebookページに移行したのは去年の8月のことだ。

ソーシャルメディア活用した先進的な取り組みとして賞賛される一方で、本当に市民サービスにつながるのかという懐疑の声も多かった。

今回、Facebookへの移行に関する分析レポートが発表された。

武雄市Facebookページ分析から見られる、自治体ソーシャルメディアで実現できること

http://archive.is/46Fh6

このレポートの内容は妥当なのかを分析してみる。

移行後半年目的を達成

武雄市が市のホームページFacebookページに移設した目的は、以下の4つだそうだ。

1.市職員と市民コミュニケーションを取る機会を設け、両者をつなげていく。(インタラクション性)

2.市の活動や施策などの情報を、素早く発信し、市民に限らず広く拡散する(拡散性)

3.SNSを使って広く誰でも見せることで「常につながっている」ということを意識させ、職務に対する意識も向上させる。(職員の意識の向上)

4.生まれたつながりを最大限に生かして、社会に貢献する(意見活用や、市民暮らしへの貢献)

武雄市民に対する市民サービスの向上を目的としてFacebook活用する」と理解してよさそうだ。

ホームページからFacebookへ移行した事で市民サービスが向上しているかどうか」は何を基準に判断するのだろうか。

レポートでは、コメントと「いいね!」とシェアの数を合計した「インタラクション数」を測定していて、「インタラクション数が多い」=「市職員と市民コミュニケーション活性化している」と定義している。

月平均1万件以上のインタラクション(反応・声)が発生しており、応援メッセージいいね!の数で、どのような施策が評価されているのかの一つの指標を持てたという評価がされている。

まりFacebookに移行したことで、いままでは聞くことができなかった市民の声や反応を月平均1万件以上聞くことが出来るようになった上に、市の施策がどう評価されているかまでも把握することができるようになったというのだ。

本当にそうなのか

では、本当に市民とのコミュニケーションがとれているか検証してみよう。

レポートでは、市民向け情報提供成功例として、2012年2月水道管凍結に関する注意情報が挙げられている。

実際のウォールのイメージとともに、『こうした情報は、ホームページでは市民が見に行かないと行き届かず、「いつも情報ありがとう」「シェアします」といった感謝コメントが続いて発生していた。』とキャプションが付けられている。

では、6件のコメントを一つ一つ見てみよう。

全国的有効なので喚起意味シェアさせていただきます

佐賀寒いんだなぁ」

鹿児島の今朝大変な事態になりました」

名古屋でも勤務先でプラスチックの管が破裂して・・・

と、武雄市民ではなさそうな方々のコメントが4件続いていて、市民の方とおもわれるコメント

「いつも情報ありがとうございますはい気をつけます!」

の1件だった。

ちなみに、残りの1件は武雄市役所からの内容訂正(ウォールに書き込んだ水道課の電話番号が間違っていた!)のコメントである

市役所からのウォール投稿数は月100件以上にのぼるとのことなので、市民向けの暮らしに役立つ情報も数多く提供されていると思うのだが、その中から成功例として選んだものがこの調子で、本当に成功していると言えるのだろうか。

ひょっとしたら鹿児島名古屋出張中の武雄市民の方がコメントしたのかも!と思い、ウォールで当該の投稿を探したが、確認することができなかった。

残念ながら本当に情報提供がされていたのかどうかも確認できない状況である

その他の成功例も見てみよう。

武雄市ではFacebookを通じて積極的意見募集も行っているようだ。

レポートには2012年3月投稿された食育の計画案に対する意見募集投稿が紹介されていて、『ファンからコメント付きで友達に広める目的とみられる「シェア」3件が実行されていた。』と書かれている。

実際に投稿を確認してみると、3件のうち2件は武雄市民以外によるシェアで、残る1件は市職員自らシェアしているものだった。

この調子成功していると言えるのであろうか。

ただ、コメントシェアは心理的なハードルがあるのは事実であり、気軽に同意を示すことができるものとして、いいね!がある。

武雄市が指標としているインタラクション数にも、いいね!が含まれているため、いいね!の数が重要になりそうだ。

食育の計画案にも、100件以上のいいね!がついており、一見武雄市民に評価されていると判断できそうだ。

実際にこの投稿にいいね!を押している人の属性分析してみた。

武雄市職員13%
武雄市7%
上記以外80%

なんと、いいね!を押している人の8割は武雄市食育関係なさそうな人だった。

その次に多いのは、なんと武雄市職員で、武雄市民は7%しかいないのだ。

ただ、食育への取り組みは武雄市民以外にも興味を持つ人が多いテーマであるため、武雄市先進的な取り組みが全国的に評価されている可能性がある。

より正確に分析するには、武雄市民及び近隣の方に特化したテーマについても調べる必要があるだろう。

ほぼ同じ100件以上のいいね!がついている「楼門朝市5周年感謝祭」についても、属性分析してみた。

武雄市職員30%
武雄市13%
上記以外57%

武雄市職員によるいいね!が倍以上に増えてしまった。

武雄だけでやってくれ

このレポート(というか広告)の通りに、武雄市インタラクション=市民の声として受け止めているのであれば、かなり危険な状況である

かといって、いまさら何の参考にもしていないという訳にもいかないだろう。

4月から武雄市の全職員400名がFacebookアカウントを持つのだという。

民間企業では上司投稿に、部下たちが我先にといいね!をつける行為が今も行われている。

別に民間企業がやるのは害は無いが、自治体が「いいね!」で仕事をやってどうするのだ。

僕の住む自治体が間違ってこんなことに税金を使ってしまうと困るので、武雄市民の方には悪いけど「民意を聞いてるごっこ」は武雄市だけでやってほしい。

追記

だいぶ前に書いた自分エントリが忘れた頃にRTされてくるとは思わなかった。

いくつか指摘されている事項についてのコメントは以下のとおり。

ご丁寧に「移行を行った会社」の社長から、「武雄市の求める効果の最大化が目的で動いてるのだから筋違いな指摘だ」 とのコメントを頂いたのには心底驚いた。

そんなのは当たり前の話すぎて議論の対象ではないし、もしかして武雄市(not 市民)が満足しているんだからいいじゃないか」という開き直りなのだろうか。

武雄市の求める効果が最大化できていて、武雄市が満足してるんだったらそれで問題ないんじゃないの? わざわざコメントする必要もないと思うのだが。

でも、武雄市でなにが起きていようと、今のところ僕には関係ないのだ。

僕の払った税金は使われていないだろう(地方交付税考慮しても僕の分は1円以下だろう)し、武雄市民でもないし。

改めて僕の考えを示すと、「武雄だけでやってくれ」である

自治体は事例に弱い。あのレポート鵜呑みにして、似たようなことを始める自治体がこれから出てくるだろう。

しかし、あのレポート検証してみると、売り文句と実態とは大きく乖離していることがわかる。

他の自治体の方々は、自分たちの求めるものなのかどうかをしっかり自分で見極め、ハズレをハズレと見抜いてほしい。

そして、僕が願うのは、

僕の住む自治体が間違ってこんなことに税金を使ってしまうと困るので、武雄市民の方には悪いけど「民意を聞いてるごっこ」は武雄市だけでやってほしい。

ただこれだけである

2009-01-06

人権尊厳、知性と感情移入堕胎脳死

http://anond.hatelabo.jp/20090106154017

短い回答
  1. 俺は、知性あるものに最大限の尊厳を認める。
  2. また将来、知性を獲得すると見込まれるものに、一定尊厳を認める。
  3. 加えて、かつて尊厳を認められていたものにも、一定尊厳を認める。

長い回答 (誰が読むんだこんなの?)

原則

原則として、俺は知性あるものに最大限の尊厳(人権と同程度)を認めたい。ここで「知性」の基準は、言語的な(あるいはそれと互換性のある)意思疎通が可能であるかどうか。多少なりとも論理的な対話ができること、と言い換えてもいい。

(俺が捕鯨に反対しないのは、鯨に知性があるといっても言語的な意思疎通ができるほどではないからだし、喋る豚(ジブリ映画にいたな)がいたら多分俺はその豚を食べない)

堕胎人権

胎児はこの意味で「知性」をもたないから、俺は人権を認める必要を感じない。堕胎が「人権」の侵害だとは思ってない。

ただ、胎児は遠くない未来に「知性を獲得すると見込まれるもの」ではある。未来人権を獲得するもの、という意味で、なんらかの尊厳が認められるべきだと思う。ただしこの「胎児尊厳」が、例えば「無条件の生存権」を含むかどうかには議論の余地がある。(強姦による妊娠、重い遺伝性疾患、母体人権の扱いなど)

妊娠12週」や「胎内外」といった基準に合理的意味は感じない。「知性」という基準から考えたとき、いずれも「人権」を認めるには値しないと思っている。しかしその胎児乳児が将来知性(例えば言語)を獲得し始める時期にはばらつきがあるし、どこからが「知性」だと認めるか、あるいはその知性をどう測定・評価するか、確たる方法論は何もないのが今の人類だ。

から何がしかの基準を一律に適用して、「ある時期から人権を認めます」というのは妥当な判断だと考える。「妊娠12週」が最適な基準かどうかはわからないが、少なくとも今の人類には十分現実的な一つの基準だと思う。

脳死人権

医学的な定義はともかく、ここで「死」とは、知性の回復が見込めない状態、としよう。

脳死・昏睡した人間は、言語的な意思疎通が一切できないわけで、(観測可能な)知性はない。しかし生体組織としては機能する肉体は持つから、知性の回復が「まったく見込めないわけではない」という点が問題になると考える。結局のところ、評価基準は「どの程度知性の回復が見込めるか」という点に集約されるんじゃないか

ある程度以下しか回復の見込みのない脳死者に、人権(生存権など)が全面的に認められるべきだとは思わない。

しかしもちろんだからといって、いきなり生ゴミ焼却処分っていうわけにもいかないとは思う。なんらかの尊厳必要で、それは「脳死者のために」というより、その脳死者に尊厳を認めていた「遺族(?)らのために」認められる尊厳だと考える。

その具体的な内容はともかく、「知性」を対外的に(言語による意思疎通、という外部とのインタラクションの上に)定義した以上、尊厳もまた対外的に、外部とのインタラクションという枠組みを踏まえて考えられるべきだ。感情移入の問題、というか。知性ない胎児尊厳を認めるべき、という認識もこれに依拠してる。

 
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