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はてなキーワード: 抗癌剤とは

2019-09-01

anond:20190829001112

言及ありがとうございます。母をがんで亡くしているので、治る見込みの無い抗癌剤治療を行って「ただ、亡くなるのを待つ」辛さも体験しました。

今回は、父がボケてしまっていることで、父親の"延命"まで行かなくとも寿命を決める行為を私が行わなければならない所に葛藤があります

父親喫煙者で1日1箱吸っていたのを、主治医から禁煙の勧めに従い無理やり禁煙させました。酒も管理して、問題ない量に調整しています。でも本人は「わしはぽっくり死ぬからいねん」とボケる前に言ってました。果たしてタバコを止めさせた事が正しかったのかもよくわかりません。心臓内に血の塊があり、それが流れ出せば命の危険がありましたが、きちんと治療を受けさせることで、体調的には健康にさせてしましました。

から文句をつけられない行動を取っているのですが、父にとってそれで良かったのかがよくわかりません。

2019-08-02

親友が癌になった話

高校生の時、僕には親友がいた。

彼と僕は三年間とも同じクラスに属し、同じ部活に入っていた。部員数はとても少なかったため、必然的に僕達は仲良くなった。授業が終わったら部活が始まるまで、二人で教室に残って宿題をした。部活が終わったら、夕暮れの中、自転車を押して二人で他愛もない話をしながら帰っていた。

高校二年の冬、彼は肩が痛いと言い出した。僕達は皆、ただどこかでぶつけただけの軽い打撲だろうと思っていたが、その痛みは次の年の夏まで続いていた。さすがに何かおかしいと思った彼が病院に行き、検査をうけると、骨の癌だということがわかった。

彼は、一言でいえば、人望があった。筋骨逞しく文武両道で、理知的だった。それでいてユーモア冗談が好きで、いつも周りの人々を笑わせていた。何よりも、彼は優しく、思い遣りのある人だった。だから、彼の周りにはいつも人が集ってきた。それは彼の入院中もそうだった。抗癌剤副作用にもめげずに、面会に来た友人達に気丈にふるまい、退院した後はどうしようかなど、将来の希望を語っていた。実際、彼は退院し、志望していた大学に入って大学生活を楽しんでいた。彼女もできたようだった。

しかし、子供の癌は進行が早い。化学療法殲滅できなかった癌細胞が他の組織転移し、彼の癌は再発した。癌切除手術、抗癌剤退院、再発して入院、手術、抗癌剤退院入院、その繰り返し。筋骨隆々だった彼の体は段々と痩せ細り、頬もこけていった。抗癌剤副作用は彼の精神をも蝕み、面会をする度にぽつぽつとネガティブ言葉を吐くようになっていった。誰が見ても、彼の予後絶望的だった。

僕にできることは何もなかった。衰弱していく彼を真横で見ていてもなお、死相の出てきた顔を間近に見ていてもなお、僕にできることは一切なかった。そのことが僕はとても悔しかった。だから何か僕ができることを探して、考えついたのが、生命科学研究者になることだった。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、僕は死後の世界について考えていた。人が死ぬとどうなるか、僕達は知りえない。だからこそ、死後に天国のような世界があり、そこに彼がいる、そんな可能性が存在する。死んだ後、無に帰すならばそれでいい。だが、天国のような世界があった場合、僕は生前こんな風に頑張ったと、彼に報告したい。生命科学の発達は、かつては治療する術のなかったような病気に対する治療法を確立させてきた。だから僕は生命科学の発達に貢献し、それを彼に報告したいと考えた。今振り返ってみると、なんて馬鹿馬鹿しい考えなんだろうと自分でも思う。

博士課程を卒業し、がむしゃらに研究活動を行い、数年が経った。どうやら研究者の道で成功するには、情熱、実力、コネ、運の全てが必要らしい。生命科学の発達に貢献したい、という漠然とした動機でやっていけるほど甘い業界ではない。それに最近、ある致命的なことに気づいてしまった。

僕は彼のことが好きだった。片思いだった。高校生の時にはただの憧れだと思っていたが、大学生になり、自分同性愛者だと気づいてから、彼への想いを認識した。もちろんそのことは彼には伝えていない。伝えないまま、彼は数年前に死んでしまった。しかし、死んでもなお、彼を慕う気持ちは変わらない。僕は、死後の世界で彼と逢えるという一粒の可能性に賭けて、辛い研究生活を送ってきた。

しかし、最近致命的なことに気づいてしまった。なんで今まで気づかなかったのだろう。

それは、もし死後の世界で彼に報告できたとしても、彼は僕のことを気味悪く思うだろうということだ。彼は彼女と一緒にいる方が楽しいに違いない。

彼への想いは今も変わらない。ただ、目的を失った僕は、宙ぶらりんのまま、見えなくなった将来を悲観している。

読んでくれた人へ最も伝えたいことは、大切な人には定期的な検診や人間ドックを受けさせた方が良いということだ。特に子供には。

2019-05-29

anond:20190529002229

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.d3b.jp/media/5418

このブコメ欄にて

https://b.hatena.ne.jp/entry/255679421/comment/shufuo

手術や抗癌剤にはメリットもあればデメリットもある。積極的緩和ケアして元気なうちに旅行食事文化を楽しんで死にたいという人がいてもいい。人生いろいろだよ。自分はたぶん戦わないと思う。

そこに反論

https://b.hatena.ne.jp/entry/255689381/comment/ublftbo

“、体力が著しく弱った患者には、今では抗がん剤治療はやりません。末期がんの患者ともなると緩和ケアに努め、患者に無理を強いる治療はしないように医療のやり方は変わっているのです。”と記事に書いてあるのに。

https://b.hatena.ne.jp/entry/255689381/comment/shufuo

id:ublftbo 他人人生にいちいち干渉するんじゃねえよ。おせっかいなんだよ。おまえ、死ねばいいのに

他人にサラッと死ねばいいと言える人。

2019-05-19

20代半ばで癌になった。

社会人になって3、4年経過して一人暮らしにも慣れ始めた頃だった。

休日の昼下がりに食器を洗いながら大きなくしゃみをしたら肋骨に激痛が走った。

ほどなくして痛みが引いたので気にもしなくなった。

それから2ヶ月後、くしゃみをしたら同じところに激痛が走った。

さずがにこれは何かあるよな?と思ったが、また同じように痛みが引いたので、気にしなくなった。

この痛みとは別に寝違えた痛みが長引いたので近くの接骨院に行った。

ついでに肋骨あたりも見てもらおうと医師相談したら、後日、影が見えると電話をもらいすぐに病院に向かった。

これまで大きな病気もなく健康に関してさほど気にしたことはなかったが、影が見えるって癌か?と漠然と思いながら電車に揺られた。

とはいえまりにも現実感がなくて何も考えられない。いや、まさか。そんな訳ないだろうと楽観的に考えていた。

それから話はどんどん進み、検体手術を受けることになった。

治すのではなく何の病気であるのか調べるための手術らしい。

前日病院に泊まってから手術だった。

ここでもまだ楽観的だった。手術は全身麻酔ですぐに眠ると聞いていたし、何とかなるだろう、それだけしか考えられなかった。

手術後はとても辛かった。

痛みと精神的な圧迫感、孤独感がひどかった。

ここで初めて自分に何か良くない事が起きていることを実感した。

痛みを感じることでしか実感できなかった。

手術して2日後には退院した。

病院から一歩出て、初めてこの件で大泣きした。

初めての手術を無事に終える事ができた安堵感とこれから自分はどうなってしまうのかわからない不安感でめちゃくちゃだった。

退院後、すぐに親と彼女に連絡を送った。

親はもちろんのこと心配してくれていたが、何より彼女心配させてしまうのが申し訳なかった。

である事が発覚したのは付き合った数ヶ月後だった。

それから2週間くらい経ってからだろうか。病名がわかった。神経系の癌だった。

とても珍しい癌でどうしてなったのか、完治する方法はわからない事がわかった。

抗癌剤を投与する選択肢もあったが、幸い日常生活に支障はなかったので、様子見のまま生活している。

病気がわかってから2年ほど経過した。

幸いというかこれまで通りの日常生活を送れている。

自分告白しなければ、まさか私が癌であるとは誰も気づかないであろうほどに普通に暮らしている。

1つ悲しい事があるとすれば彼女と別れた事だ。

とはいえこれは仕方ないというか、そうするべきだと納得できるので、受け入れている。

しかし悲しい。

あとどれくらい自分が生きられるのか、全くわからない。

癌になったり、交通事故ニュースを見ると、どうも他人事に思えなくなって、この日記を書いた。

病気や死がこんなにも近くにある生活は何とも言い難い。

小さい頃から人生っていうのは、学校に入って、就職して、結婚して、子供が生まれて、子育てをして、仕事をやめて、老後をゆっくりと生きていくのかなと思っていた。

そんな平凡だと思えた生活も難しい。もちろんそれだけが人生じゃないのはわかっているが、どこかそれが正しいと思えてしまう。

死ぬ前に何が食べたい?どこに行きたい?どう過ごしたい?なんて考えた事があるかもしれないが、実際に死を身近に感じるとそれらの答えなんて思いつかない。

ただ生きたい。とにかく生きたい。それだけだった。

癌になったのは不幸な事だと思う。

ただ癌で無くてもそれぞれの不幸を感じながらみんな生きているのはわかっているが、どれだけ考えても自分が一番可愛い

これからも辛い事がたくさんあるだろう。

それでも生きていく。

2019-02-02

癌になった。

その事をツイッターで呟いたらFF内外から怪しげな抗癌を謳う食品治療法を薦められた。

本当に抗癌作用があるならいち早く製薬企業特許とって治験して製品化してると思うんだけど。治療だって研究が進められてると思う。

1本数十万円する薬がある。それは開発費が莫大だったから「とりあえずこの適応、この価格で」という設定だ。

抗癌剤特許シェア拡大、開発費の回収などとにかく一秒でも早く売りたいものなので、

とりあえず一つの適応で発売してから追加または同時進行で治験をしてどんどん適応を追加していく(特許も延びるしね)。

そんなわけで暴利な薬価の設定をしてまであれこれ売られている現状で特許すら無い無防備治療法達が何故現場採用されないのか?

暴利な薬価の薬を使うよりもずっと安上がりで済む、膨らみ続ける医療費救世主となるのに?

本当に効果があるならお墨付きがもらえるし、もっとたくさんの人が救われるし、特許お金も入るのだ。

冷静に考えればわかることなんだけど、お金に余裕があったり藁にもすがる思いの末期の人ならば試したくなってしまうのもわかる。

告知されときはやっぱガーンってなったもん。

からそそういう人たちに漬け込むクソ共が許せない。

2018-09-04

民間療法に頼る人の気持ち

昨日夜中にすごい腹痛に襲われた。ただの下痢だったんだけど、痛みで30分くらい寝ることも座ることも出来ずずっと悶えていた。もういっそ殺してくれって感じだった。ただの下痢なのに。

抗癌剤副作用がどんなもんかは知らんが、民間療法に頼る人の気持ち分からんでもない気がした。

2018-07-23

anond:20180723225953

それならできるんじゃないかな。

うちの父は余命半年になってから抗癌剤治療はしなかったよ。

2017-10-05

お母さんが3度目の癌になった

離れた実家に暮らすお母さんが、癌になったらしい。3回目。

1度目は8年くらいまえに大腸がん。親が死ぬかもって初めて思ってすごく悲しかった。

手術が成功して、抗癌剤治療も終わって?また元気になった。

それ以降、親はい死ぬかわからないと思って、たくさん帰ったり、たくさん写真を撮ったり、喜ぶことを出来る限りしてみた。

2年前にまた肺がんになった。リンパにも転移していた。今度は場所的に手術ができないかもとか言っていた気がするけど、手術か抗癌剤治療かで、また完治した。

この時私は結婚したばかりで、やらないつもりだった結婚式を母の希望でこじんまりやることにした。

しかし結果、結婚式きっかけで離婚したのでやってないw)

自分離婚するときはすごくお母さんに心配もかけて、おとなになって初めて喧嘩もして、お母さんから「うまく言えなくてごめんね」ってメールが来たのを覚えてる。

それでもまた前向きに、元気になったと思っていて、通院もずっと定期的にしていたけどまた癌が見つかったらしい。

しか全然私知らなくて、地元にいる姉と何気なくLINEしていたら「そういえば聞いた?」という感じで聞かされた。

今回は、もう完全に手術できないくらい多数肺に転移していて、今日から抗癌剤治療が始まったらしい。

なんで私に言ってくれなかったんだろう、と言ったら、姉が「離れてるし、お母さんもまだ整理がついていないんだと思うよ」と言ってた。

自分もまだ頭の整理がついてない。ビールも飲んじゃってたし。整理もなにも無いんだけど。

泣けてきた。髪は抜けるって。

まじで自分死ぬかもっていう病気を3回やるって身体的な症状0でも精神的に相当つらいと思うんだけど、加えて手術とか、抗癌剤治療とか、いろいろあって、それでもなんか前向きらしいという情報を聞くと、自分ももっと頑張って、何かできることすべてやらないとなと思う。

2017-10-03

つかじ俊さんの訃報を聞いて

全く知らない人だし不謹慎かもしれないが物凄くうらやましい。普通はこんなスパッとタヒなないから。ダラダラ抗癌剤続いてジワジワ弱るし、指先が頻繁に出血するし指先の皮膚が薄くなって玉ねぎ刻むだけで指が痛い、大腸弱ってるのかロペミン飲んでも下痢を繰り返すし、抗癌剤副作用で禿げるとかは序の口で、顔に吹き出物が大量に出て日に何回もステロイド塗ったり枚挙に暇がない。転移した肝臓が夜ジワリと重かったり、先生転移や部位の拡大について説明が減ってきたり、まあ耐えられなくなった時に動けたら電車に飛び込むかもしれん。あんまり迷惑かけたくないか飛び降り方面で考えてはいる。耐えられない時点でもう動けるわけ無いか。本当に羨ましい。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-05-07

医者として働き始めて不思議なこと

今年から研修医になって実際の医療現場の渦の中にいると不思議に思うことがいくつもある

最初に感じたのが医療行為不思議さだ

自分経験した科が内科からかもしれないが毎日パソコンを弄っているだけで患者が治っていくのである

外来で経過を見ていた患者肺炎を起こし呼吸困難になったので入院した

私は取り敢えず点滴のための静脈路確保のため患者さんに針を刺した

針を刺したら逆血が来たので静脈と針先が繋がったことが確認できたら否や、ナースさんは「あとはやっておきます

といって交代してくれた

その間に私は電子カルテで「オーダー」を出す

呼吸困難なので酸素マスクの指示を入れる。 発熱があるので一応血にばい菌がないか血液培養」を取る。培養を取れたことを確認しだい「抗生剤食塩水に混ぜて点滴に入れて下さい」と指示を入れる。

その後、他の患者さんの作業があって入院患者さんの元を離れたのだが、その数十分後に入院患者さんの病室へ戻ると

もう綺麗に点滴装置が設置されてバッチリ抗生剤が入っていて、バッチリ酸素マスクを吸った患者さんがいる。ナースステーションには培養ボトルバッチリ血液が取れている。

私がやったことは最初に針を刺したのとパソコンで指示しただけである。それなのに患者さんのもとには様々な器具が装着され次の日にはすっかり患者さんは元気になっていた。

実はこの時、私は点滴装置のつなげ方も、抗生剤食塩水に溶かす方法も、食塩水の点滴バッグを点滴装置に繋げる方法も、酸素マスクの付け方も、血液培養方法も知らなかったのである

ここまで酷い研修医は私くらいかもしれないが、実際ナースさんが優秀で救急医療経験がないと、医者のほうが実際の器具扱いを知らないというのはままある現象ではないかと思う。

勿論指示を出したのは自分であるが、自分パソコンの前でカチカチしているだけで患者さんがみるみる治療され元気になっていくのだからなんとも不思議で新鮮な経験だった。

よく「医療ミス」や「患者取り違え」が話題になるが、本当にそういうリスクの高いことをやっているなあと実感する

一度ナースさんがやってくれている朝の採血を代わりにやらせてもらったことがあるが

ナースさんたちは一人で5~10人の患者さんの採血担当するのだ

「その程度でミスするなよ」と思うかもしれないが、現場はそう簡単ではない

血液検査はその項目ごとに採血管の種類があるため、患者さんの病気によっては一人につき7本も8本も採血管に血をいれなければならない状況もままある

効率よく採血しようものなら自分の手元には30~50本もの採血管があり、それらに一本も患者の取り違えミスも無く入れなければならない

私も気づけたから良かったもの、別の患者さんの採血管に別の人の患者さんの血を入れてしまったことがある(幸い外のラベルを張り変えるだけで解決できたが)

採血程度なら良いがこれが抗がん剤なら大変な問題だ。 患者や量を間違えたら命を奪う可能だって十分にある

勿論、医者側も毎日この抗癌剤をこの患者さんに入れます というのをナースと一緒に確認する。するはするが

実際に抗がん剤を点滴バッグにいれ、それを患者さんに入れる部分を目で見て確認しているわけではない(それを患者全員分しているほど暇でもないし)

そう考えるとナースさんの責任というか、日々やってくれていることの難易度凄さを改めて実感する

大変失礼かもしれないがナースさんは治療に関してはそこまで大学勉強していないはずで、抗がん剤の種類や内容(ある意味危険さやおっかなさ)も完全には把握していないだろう

にも関わらず、そんな危険ものの「投与」という超重要で取り違えたら大変なことになる高リスクな部分を確実に遂行してくれていあるのだ。

勿論投与の相手や内容を間違えれば、患者さんの命があぶないし、そんなミスをしでかしたナースドクターも「医療人生が終わる」自体だ。

そんなヤバイことをやってのけてくれている。 それも一人で何人分も。 なんと恐ろしい作業なことか

こんなヤバイことを分担しているのだからさぞかし信頼関係があるのか と言われるとそうでもない

ナースさんたちは医者名前性格を把握して毎日こちらのオーダーもチェックしてくれているように思う

しかし、大変申し訳無いが多分、多くの医者ナースさんの名前を全員分把握してはいない

リーダー格は覚えているが、ナースさんは医者の三倍近く居ることもあり(医者は1日じゅう患者担当をするが、ナース日中、夕、夜間の3交代制のため)中々覚えきれない

そして自分患者がどのナースさんが担当してくれているかも余り把握していない どんな人材が薬の投与などのおっかない作業をやっているか把握しようとすらしない

当然、担当ナース指名したりすることも絶対ない

そんな信頼関係で「患者医療者両者の命がけ」の治療は分担され、成立しているのである

医者同士の信頼関係も誠に不思議である

医者一般的サラリーマンとは異なり、働く場所が固定せず転々とする例が多い

(それは、病院毎に入院患者さんの病気の内容が違ったり、所属医局病院ごとの人員運営だったりといろいろな理由があるのだが)

その為、日々の診療も実は知り合って数日の医者同士で行われたりする

性格プライベートや経歴もお互いよくわからない状態のままでも、分担作業を平然とこなすのである

勿論、誰かが失態を犯せばチーム全員で責任を負わねばならない。にも関わらず 案外ケロッと任せてしまうのだ

そうしないと時間内に治療が回らないとは言え凄い信頼関係(?)だなと思う

病院経営として仕方ないとは言えこれだけ危険作業希薄信頼関係で成立させている現状は私にとって非常に奇異に感じるものであった

また医者人生というのもこれまた奇異なものである

普通サラリーマンならずっとその会社で生きるため、そして年を取り昇進をすれば多少は楽になるから

若いときに苦労をする。上司若い人材がその先会社を支えてくれるように一生懸命指導をする。

しかし、医者帰属精神は思いの外希薄

有名な病院に居る若手医師は「ずっとここで最前線で働きたい」という人はそこまで多くなく

「ここは勉強になるけどキツいか若い内だけでいい、修行だけ積めたら他に居場所を探す」という考えの人も多い

(それは有名病院ほど帝大出身医者じゃないと昇進できなかったりと幾つか理由はあるにはあるのだが)

ずっとそこに居たいわけでもないに彼らは本当に一生懸命に働いている

そして指導者もある程度彼らが一生自分の手足として働いてくれはしないことを知りつつも、一生懸命指導する

病院に居るとお互いのことをよく知らない中で、ものすごくリスクのある連携作業が平然とこなされている

非常に奇妙だがそれを実行させているのはやっぱり医療者個々人の責任なのだろうか?

2016-11-05

生きることは食うことだ!!!

離れて暮らす両親の話。

親父が癌だ。今は食道癌

最初の癌は15年前。白血病抗がん剤→骨髄移植で一応元気になった。

次は皮膚癌発症は顔のほっぺた。小さかったのと初期に見つかったので薄皮一枚削った。

次は今も闘病中だが食道癌。見つかった時はステージ3。皮膚がんたまたま見つけやすいとこだったか医者が気づいたわけだが、白血病で毎月検査しているからかあんまり他の癌に注意してなかった模様。まぁアホな親で困る。一度治療を終えたが、再発が見つかった。また抗がん剤が待っている。

食道癌は喉に出来たこともあり、切ろうと思っても声帯ごととる大手術になる。最初白血病の時にだいぶ体力を失っていたこともあり、手術に耐えれる体力が無いと医者判断され、抗癌剤放射線治療のみ。

抗癌剤治療副作用は凄まじい。巷では副作用が少ない抗癌剤がとか、科学進化がとか色々言っているけど、親父は白血病の頃から数えて10回以上抗癌剤治療を行っているわけで、傍からみててもう限界に近い。一回一回痩せていくその姿はとても痛々しい。元々痩せ型〜普通くらいの体型のくせに、体重は15kg前後落ちた。髪の毛が再生するのは最初のうちだけで、骨髄移植後はなかなか生え揃ってくれず、陰毛みたいな白髪がうっすら生えてくるだけだ。カツラをつけるって言っても、留める毛すら揃わない。大手保険会社部長を勤めたイケメンの姿はもうない。

抗がん剤治療を乗り越えるには、それなりに体力が必要。手術する体力が無いと言われた親父は、本当なら10日で退院できる抗がん剤治療でも1ヶ月半くらい軽く入院してる。色んな病気を併発するからだ。白血病の時は肝臓ウイルスがどうとかで1年以上入院した。前回の食道癌の時は肺炎になり、元々肺気腫気味だったけど悪化した。おかげで現在は5分も歩けないし力仕事なんてできない。

また、これだけ抗がん剤うてば、口の中も荒れ放題になる。もともと虫歯一つない歯だったのに、今では奥歯はほとんどない。入れ歯抗がん剤後には合わなくなり、調整してもまた治療したら微妙に合わなくなり。次の抗がん剤を間近に控えて、現在は痛くて使わなくなってる。

味覚も狂う。最初抗がん剤治療後(骨髄移植前)は、何を食べてもまずく感じるなか、唯一ラーメンけが美味しかったらしく、街中のラーメン屋を片っ端から食べ尽くしたらしい。骨髄移植後は割と味覚も戻り、美味しいものを美味しく感じれる生活を送っていたが、食道癌になってからは何を食べても美味しく感じないらしい。喉に引っかかるから飲み込むのも辛いとかなんとか。

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おかんは熱心な宗教家でもあり、エセ科学とか大好きだ。もともとそんな人なわけだが、抗がん剤治療で日々弱っていく親父を見るとなんとかしたいという一心から、様々なエセ科学を調べる。俺自身、身近な友人を抗がん剤治療関連死(まだ元気だったけど治療開始後一週間で亡くなった)とかあったので、抗がん剤を心から信じているわけじゃないし、おかん気持ちはよく分かる。

んで、最近食事療法的なよくわからんやつにご執心だ。体にいい食べ物、悪い食べ物に分類してあれはダメだ、これはダメだっていうやつ。これは良さそうに見えて本当は良くないとか色々ある。興味本位で色々聞いてみたら、おかんに入れ知恵している先生的な人曰く、坊さんの精進料理的なものしか本当に体にいい食べ物はないらしい。肉もダメ野菜も大半ダメ、魚もほとんどダメ。なんだそれ。

はいっても夫婦で食べる料理はそんなに極端に変わっていない。あからさまに体に悪そうな食べ物ファストフード的なやつとかポテチとかそういう系)は元々食べないし、別に我が家食卓でそんなに大幅な変化はない模様。二人とも元々同郷の農家だし、昔ながらの食い物ばかりな感じ。

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生きることはとどのつまり食べること。病人だって美味いと思えるものをしこたま食べれば体力も少しは戻ってくるだろうさ。少なくとも運動もできない体になった以上、食う以上に大切なことは思い浮かばない。

おかんにはそのことを話した。抗がん剤治療を信じない、食事療法で内側から治すという考え方は大事だと思うけど、病気を倒す体力や元気を身につけるには、体に良い悪い食事よりも親父が食べる事に喜びを感じる方が遥かに大事って。俺はさすがスピリチュアルおかんに育てられただけあって、スピリチュアルに伝える技術はいくらでもある。割と簡単に納得してくれた。ちょろい。

問題は本人。つまり親父だ。何食べても美味しいとは思ってくれない。そもそも奥歯がなくても食べやすくて美味しいものなんて俺にはなかなか思い浮かばない。刺し身と鍋は比較的いけるっぽいけどあまり楽しんでくれない。クソ。

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最近一つわかったことがある。

親父はおかんと二人の時より、俺がいた時の方が美味しいと感じるらしく、俺の嫁がいる時の方がもっと美味しく感じる模様。同様に姉家族が孫を連れて帰って一緒に食べる時などとても美味しい模様。

前回俺が嫁と一緒に帰った時に4人で外食したわけだが、その時に食べた鍋焼きうどんがとても美味しく気に入ったらしい。で、後日一人で食べに行ったみたいなんだけど、全然美味くなかったとかなんとか。

姉には子どもがいるが、俺にはまだいない。俺がガキつれて帰った方がご飯は美味しく感じるのだろうか。たぶんそうなんだろうな。

確かに孫と囲む食卓だったら、何食っても美味いだろうな。

贅沢な親父め。クソ。

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あれだけ弱っていて、かつ自分の死期が比較的近いと考えている人間が、あと何回抗がん剤治療を乗り越えられるのか、あと何年生きられるのか。

出来るだけ美味しいご飯を食べさせてやりたいなと思うところです。

2016-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20160120181607

そういう勘違いも良く聞くな。

死ぬよ。

スティーブ・ジョブズも、

デヴィッド・ボウイもガンで死んだ。

中村勘三郎は、

抗癌剤による免疫力低下での感染症で死んだ。

知りもせず簡単に「治るからな―」って。

風邪とは違うんだよ。

2016-01-19

医療ドラマがつらい。

結構好きだったのに素直に見れなくなった。

母親にガンが見つかったから。

急に見なくなるのもアレかと思って普通に観てるが、

なかなかつらいものがある。

患者が死んでいくシーンを、

抗癌剤打ちながら観てる母はどういう気持だろう。

だって気まずい。エロシーンの気まずさの比ではないぞ。

なんか自然医療ドラマスルーする方法ないかな。

裏に強力におもしろ番組あったらいいんだけど。

2クールぐらい医療ドラマなしにしてくんないかな。

テレビ局さん。あ、あと健康番組も。

2015-10-21

ほっといて欲しい

ホメオパシー」とかい疑似科学をどうにかしたい。

http://potatostudio.hatenablog.com/entry/2015/10/21/073000

メディカルスタッフの知り合いにホメオパシーにハマっている友人がいる。

こういうドヤ顔ツッコミは、ホメオパズに無意味であることを知らない。

例えるなら、牧師に「神なんていませんよ」と説教するようなものだ。

ホメオパシー死ぬ人もいれば、助かっている人もいる。

末期癌の患者抗癌剤治療を続けるかどうか。

それは増田次第だ。

2015-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20151003211623

うちの親父も七年前くらいに三年生存確率50%かいわれてたうえにリンパ転移してたからほんと覚悟してたけど今も生きてるわ。

まぁ二年前に大腸に新しいガンが見つかったんだけどさっくり切って(本人曰く前にリンパまで転移した時より手術も手術後も楽だったらしい)まだ生きてる。転移してなけりゃ五年生存確率20%くらいだったかな?

ただうちの家系難病指定病気があって、抗癌剤とか放射線治療きっかけでそっちがでてきちゃって二年生存確率50%だってさ。治療法もないので今度は本気で覚悟しなきゃならんが、しかし二年後もうちの親父は生きている気がしなくもない。とりあえずガンは治療法もあるし着れば結構確率生存できるのでガンって言ってくれたほうが家族としては気が楽なのだが、ガンになった人が知り合いにいないと重く受け止めてしまうのかなーと思う。昔は家をうるくらい大変だったらしいからねぇ

http://anond.hatelabo.jp/20151003211623

ガンのニュースが多く、抗癌剤を使うか否かが議論されているが

予防法の情報が全く流れないのが異様に感じる。

知人に教えても興味ないようだが、せっかく勉強したので自分は取り入れさせてもらってる。

2015-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20150927154601

思い込みで決めるなよ。

切除手術にしても抗癌剤にしても、それぞれ医者から話聞いてメリットデメリット比較検討した上で、だろ

抗癌剤を使わない事について、世間とは反対の事を思った

多分反対だと思う。

あ、抗癌剤使わなければ死亡する17日前まで仕事できるんだ。もし自分ががんになったら抗癌剤は使わないでおこう。

と思った。

日常的に吐血されていたようだし、苦しかったのだろうと思う。

それでも抗癌剤で髪が抜けて吐き気に襲われて苦しみ抜いて…というより、トータルで苦しむ量が少ないように思えた。

実際は体験したわけじゃないから想像なんだけどね。

なお数年前、少しだけご縁のある目上のかたも末期がんになり、回復の見込み無しと判断されたあと民間療法に嵌った。

周囲の人達は「騙されている!」と民間療法を辞めさせようとしたけれど、本人も効果が無い事はわかっていると言っていた。

ただただ、気持ちが少しでも楽になると。

麻薬みたいなものだったのだろう。

もちろん、治療が可能な時点で効かない民間療法に行ってしまうのは問題だ。

絶対に治る!」と高いカネをふんだくる療法は逮捕されろ。

でも末期症状で、余命宣告されていて、あとは延命治療のみになった時、

治療拒否や怪しい民間療法をやるのは、いいんじゃないかなと思うようになった。

2015-09-04

読書メモ代替医療トリック

代替医療トリック

http://www.amazon.co.jp/dp/4105393057

代替医療:主流派医師の大半が受け入れていない治療法(この本の中での定義)。

ホメオパシー※1とか鍼とかハーブとかその他得体の知れない代替医療は数あれど、それらを冷静に論じた研究は意外に少ない。盲目的に信じ込むか、逆に根拠のないたわごとから皆殺しにすべきとか、ヒステリック物言いは割とあるのだけど。

この本では、医薬品では実際に行われている二重盲検法を同様に用いて、代替医療各々は効果があるのか、何にどれくらいの効果があるのかというところを冷静に検証している。第一章では、経験ではなく根拠に基づいて医学を発展させてきた歴史を大まかに説明している。二重盲検法について知っている人でも医学史として楽しめること請け合い。壊血病の対策をいち早く発見できたイギリスの躍進とか激アツ。

※1:ある物質が持つエネルギーを水に記憶させることで治療薬を作成する。溶液は百万分の一以上に薄められて有効成分の分子が含まれてないかもしれないけど、希釈されればされるほどエネルギーは増幅されるから大丈夫だよ(大丈夫じゃない)。材料植物鉱物生物など様々。ベルリンの壁材料にしたものもあるよ。

この本の中では、具体的なエピソードは読んで欲しいので省きますが、多くの代替医療科学的な検証を経てプラセボと同等の効果しかないという結果が繰り返し提示されます効果があるものも、検証する立場の人が中立じゃなかったり、認知的なバイアスによるものなんじゃないかという検証がなされます一時的に悪い状態(風邪とか)が平均への回帰でほっといても治ったのを、代替医療を施したせいだと思ってもらう工夫とか。

作中でも、また世の中にも「プラセボでも効果があるのならそれでいいじゃないか」という意見がしばしば出されます。著者はこれに対し、以下のように反論していました。

プラセボ効果を最大にするために、医師意図的患者を騙すことになる

=水平的な立場ではなくなり、患者自己決定権を阻害する、不誠実な関係を築くことになる

医師プラセボ効果を守るために薬効の真実について口をつぐむことになり、医学進歩ストップする。製薬企業も金のかかる新薬開発を投げ出して砂糖玉販売に終止するようになってしま

代替医療自体に害がなかったとしても、代替医療を選択することで主流派医療を受ける機会損失となり危険

予防接種を受けさせない親とか)

治験でもプラセボ効果が出やすい分野とかはあるそうです。軽度・中等度のうつとか。でも抗癌剤とかだと明らかにプラセボは駄目なことが多いっぽいので、そっち方面までプラセボでもいいんだの民に駆逐されるとやばそうな。▲

などなど。このあたりがヒステリックじゃなくエレガントに書いてあって感じが良かったです。

アメリカでは代替医療の一つであるホメオパシーが、昔から有力者に好きな人が多いとかでFDAアメリカ食品医薬品局。医薬品臨床試験とかする。つよいきびしい)の審査抜きでガバガバ売られてたり、イギリスではチャールズ皇太子代替医療大好きでその効果の程を知らしめるための機関を作って研究者から批判されたりとか、日本とは違う実情があるみたいです。日本でもやってる人はやってるみたいですけど。

巻末には30種類くらいの代替医療効果のほどが簡略にまとめてあるので、代替医療概論としてもおすすめ

代替医療についてまとめて学ぶのが初めてだったので興味深かった。「多次元DNA手術はチャネリングテクニックを用いて、DNAレベル問題のある配列を取り除き、神のような完璧配列で置き換える治療法です」とか最高にキてる。▲

代替医療呪術構造が似ていると思った。

呪術がその効力を発するには、以上の条件を満たさなくてはいけない。呪術それ単体で存在するのではなく、呪いにかかったと信じる人がいて、それが呪いにかかったからだと信じる社会があって、呪いをかけた人間がいて、はじめて呪術が成立する。呪いにかかったと思わなければ呪いは成立しない。

以前『医療人類学のレッスン』でも書いたんだけど、プラセボあるいは代替医療効果を発する状況には、似たような構造があると思う。

代替医療を受ける人が居て、それが効果があるものだとする社会存在して、そのコミュニティでは権威のある施術者が居て。施術者と患者関係が非水平的(知ってる人と知らない人、授ける人と助けを乞う人)という構造も似ている。実際には何もないのに、なにかあるように見せかけることができるってほんとに魔法のようだと思う。呪術代替医療プラセボ類似性が私の中で熱いので、今後も追いかけていきたい。▲

2015-01-09

ピロリ菌すげえ怖いな、の続き

http://anond.hatelabo.jp/20130516114022増田です。あれから1年半は経過してたのかと。

母親胃癌が発覚し、摘出手術を行う予定でしたが…手術でお腹を開けたけど癌の進行が早すぎて摘出不可という結果でした。

この時点で余命数ヶ月も無いと診断されたけど、定期的に抗癌剤の投与を行ったのと、癌細胞転移が思ったほどでもなかったこともあって先日まで元気に過ごしてました。

ただ、この2か月ほどで食はどんどん細くなり、点滴での抗癌剤投与を拒否するようになり、闘病生活に入る前から比較すると体重がみるみる落ちていき、表情は白くやつれているのを見ると、死期はもうすぐそこなんだなと自覚せざるを得ませんでした。

今思うと親孝行らしいことなんにも出来てなかったな…。

2014-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20141028030857

うちの家族膵がん(ステージ4)で、放射線治療は出来ない、転移してて手術も無理、抗癌剤も正直効くかどうか分からないし、体力は打ったほうがなくなるスピードが早いとのことで、所謂先進医療なしで発覚から4ヶ月ちょっとで亡くなった。

でも、亡くなる2週間くらい前まで通院しつつも普通に家族みんなで一緒に暮らせたし、一緒に旅行も行けたし、食事制限もほぼなかったからご飯も食べに行ったり出来た。

本人も悩みながらも好きなことして過ごしてたし、結果抗癌剤打たなくて良かったと思うよ。亡くなる時も苦しまないで旅立っていったし、家族としては、実りのある4ヶ月だったな。

勿論、見つかる場所によっては先進医療有効場合はあるから、癌になった時、近い物同士でどれだけ実りのある話し合いをするかとか、そうなった時に向けてどういう指針で動くかっていう意思確認家族同士でしておくとかしておいた方がいいだろうね。

2014-10-28

父が亡くなった 膵がんだった

癌が発覚したのは約半年前だった。70歳の誕生日を迎えたばかりのことだった。

膵がん自覚症状がなかなか出ないために早期発見が難しく

発覚した時点ですでにステージ3だった。


そして本人の希望で間もなく手術をし、手術は無事成功した。

誰もが回復に期待した。

しかし、本人がその後の抗癌剤治療をすべて拒否してしまった。意外だった。

家族がいくら説得しても「自分で治すからいい」の一点張り

母はというと「癌は治せるってテレビでも本でもいってるじゃない」の一点張り

家族意見に対して全く聞く耳持たず、口論となるだけだった。

その後家族仲はどんどん悪くなり、実家に立ち寄る回数も減っていった。


その後はあっという間だった。

ある日突然倒れ、その日のうちに病院で亡くなった。

術後半年でほぼ全身に転移していた。

びっくりするくらい体は痩せこけ、足だけがパンパン浮腫んでいた。

それでも母は「良くなってると思ったのに…」しか言わなかった。

見た目がこんなにも変化していたというのに、それに気付かなかったのかということに驚くと同時に

自分でも冷たいと思うが、心底呆れてしまった。

それくらいに家族仲は冷えていた。


実家通夜の準備をする中、ふと本棚に目がいった。

「癌は治せる!」「医療が人を殺す」「癌で医者にかかるな!」といった本ばかりがずらりと並んでいた。

父も母も、こうして自分達が望む情報しか選別していなかったのだと思うと

たとえ親子の縁を切られたとしても、もっと説得すべきじゃなかったのかという後悔だけが残った。


父も母も、PCをまともに扱う事ができない。

情報源新聞テレビのみに頼っている世代だ。

この世代は説得が通じない。

自身の見るテレビ情報が何より正しいと信じているからだ。

また薬はすべて、一方的に体に悪いものだと思い込んでいる。

その「反医療」的な価値観は、いつ、何がきっかけで、どこから来たのだろうか…。

消化しきれないモヤモヤけが残ってしまった。


「適切な医療を受けないと、人は死ぬ

何より強くそう感じた。

混乱した自分の頭を整頓したかったので、ここに記す。

2014-05-21

身体に問題はありません

身体に特に問題はない、ちょっと運動音痴かな

勉強はがんばったら出来た、だから努力した。

真面目だけがとりえだった

3歳の時、小児がんにかかった。

よくわからないまま個室に入れられた

手術をしたらしい、それは覚えていない

経過を見るために骨髄注射は何度もした。背中に打つ、とても痛い。まだ覚えている。

打った後は気分も悪くなる。

抗癌剤も打っていた、髪の毛は抜けるし気分は悪くなるしで最悪だった。

機械検査する、仰向けに寝転がって上から機械が迫ってくる

目の前に並んでる点を見つめてた記憶がある あの機械はなんだったんだろうか、今思うと不思議機械だった

MRIPETではなかったと思うがなんだろう

病院のゴハンは美味しくなかった。嫌いなものも多かった。

家にいる時は卵かけごはんが好きだったが、身体が弱いので生卵は禁止だった

卵かけごはんが食べられないのがとても悲しかったのは覚えている。

最初は個室に入っていた、たぶん菌が少なくなるようにした部屋だったはずだ

ベットから降りるのもだめだったらしい 最初

段々制限が緩くなって、部屋から出ていいことになった

同じ病気の子供が同じフロアに何人かい

全く同じ症状の子が隣の部屋にいた、何度か遊んだ記憶がある

でも、ある日突然いなくなった

小さかったからよくわからなかった、ただ、いなくなった

から聞いた話だけど、亡くなったらしい 癌なんてそんなもんだ

完治するかどうかなんてわからない。。

私の場合はなんとか癌が治って退院した。5歳の時だったか

再発の危険があるので、数ヶ月に一回検査入院をしなければならなかった

その際抗癌剤の点滴をつけっぱなしにする。数ヶ月に一回病院に行くのが嫌だった

激しい運動は禁止されていた、風邪など引いた場合の抵抗力が弱っていたか

たぶん、クスリ治療をしていたから、白血球の数が少なかったんだと思う

小学校に上がっても通院はしていたが、回数は半年に一回、一年に一回と減っていった

三年生になってやっと病院から開放された、もう何をしてもよいと

自転車に乗れるようになったのは三年生になってから

泳げるようになったのも三年生になってから

雪合戦も三年生になってから、初めて経験した

うれしかった、その感情をなんとなく覚えている

ずっと運動してこなかったからなのか、病気になったからかわからないが

運動は今でも苦手だ、運動音痴

体格も、ちょっと小柄だ

なんのせいかはわからない、病気にならなくても元々そうだったかもしれない

でも現在、身体は特に弱いところはない。

みんなとあまり変わらない

なんか色々と病んでて死にたくなる人もいるみたいだけど

私も、満たされなくてもやもやする毎日だけど

生きてなにか取り組んでみたらいいんじゃないかな、なんとなくふとそう思った

2014-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20140202091834

大きな本屋医療の棚に行って、医師向けのがん化学療法の本を見てみるのはどうだろうか。

パラパラめくって、抗癌剤使用時の生存率と不使用時の生存率の差とか、抗癌剤を使った方がいい場合と使わない方がいい場合をどのように区別すべきかについての考え方がくわしめに書かえれている本を買って読むと、医者の判断に納得できるかもしれないし、医者に疑問点を聞くとっかかりができる。

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