はてなキーワード: 医療ミスとは
表現の自由戦士でリベラルなオタクと自認している私が回答します。
>性的表現が原因で性犯罪が発生しても、性的表現は規制されるべきでないと考えますか。その理由を説明してください。
そして性的表現が原因で起きた性犯罪と、性的表現のおかげで防げた性犯罪のどちらが多いかは調査が行われておらず比較不能。
であれば、少なくとも「表現の多用性」というプラスポイントのある性的表現促進の方に肩入れします。
>性犯罪の被害者や家族が性的表現の規制を求めたとしても、あなたは性的表現の規制に反対しますか。反対の場合、どのように反論しますか。
ミクロの出来事を、マクロの施策に直結させるべきではありません。合成の誤謬にハマってはいけません。
様々な医療ミスは起きても社会全体で医療機関は育てるべきですし、交通事故が起きても移動手段は発展する方が、人々の幸福度は上がるのと同じです。
医療ミス被害者、交通事故被害者、性犯罪被害者、それぞれ同情に値しますし心身の治療支援は受けるべきですが、個人の被害経験の辛さを社会全体の規模に広げて議論するのは合理的ではありません。
・かつて安倍晋三に保険行政裁判を訴えた資料、宗教2世で苦労した記録 →安倍暗殺事件あり、統一教会が注目された
・家族が病院で虐待された記録 →医療ミス死亡や保育士虐待事件が公になった
・明治時代の損害保険会社の悪行の記録 →裁判所が記録目録に書かない →裁判官忌避 →海上保険業界がロシア制裁
・現代の生命保険会社と宗教団体の共謀の記録 →どうしてかリアクションがない(とても報道できないのか)
なお、昔の裁判では
・東京弁護士会の保険会社工作員弁護士を訴え →東日本大震災・原発事故 →東京の弁護士たち臨時収入を得る
その他
・東京高裁判事に裁判官訴追請求 →判事引退につき却下 →岡口基一という高裁判事が分限処分 →判事、高層ビルの大手事務所にご就職
裁判所や法曹やメディア大手がディープ・ステート(アメリカロシア)の末端かと思うほどだw
そもそも自分も事故と見せかけて暗殺されかけたからこうなっている
しかし巻き込まれ裁判も暗殺者側の掌の上、司法関係施設では、ほぼ怪しげな人物にしか出会わない
工作員弁護士らは懲戒請求時効3年を逃げ切ろうと、カモった客に、3年間はガンガン妨害工作をする
法律業者・医療業者は殺人すらいとわない駒ばかりだろうし、先読み先回りして罠を仕掛けてるだろう、と予想だけはしてる
ヌルヌルした上から目線のニセ市民活動団体は知らない振りを決め込むだけだ
群馬大学のアカハラが文集で取り上げられているけど、OBとして個人的お気持ちをつらつら書きたいと思う。
自分は学生時代に非医学部の学生として服部教授の「性と死と家族の倫理学」という授業を履修しており、また2016年にアカハラを受けた学生とも顔見知りである。
個人情報や現在進行中の裁判にもある程度影響しそうな話も知っているので詳細は伏せながら書き連ねたい。
まず、非医学部の学生から見えた服部先生は「気難しくて厳しいけど、面白い先生」という印象であった。
倫理学という観点から自分の中にあった(授業で取り上げられたテーマについての)価値観を切り崩され、また、再確認する機会となった。
あの経験があったことで、より視野が広がり、弱者やジェンダーの問題について考えることが増えたように思う。
あと、授業中に正しいコンドームの付け方を教えてくれたのは結構役に立っている(セクハラのような雰囲気はなかった)
次に人から聞いた、医学部生視点の服部先生の印象であるが、概ね「『医療倫理』の授業に比べたら『性と死と家族の倫理学』の授業の先生は相当優しい」という意見であった。
また、「医療倫理」の授業について、当時は「真面目に授業を聞いて、教授に噛みつかず、圧倒的量のレポートをこなせば単位はもらえる」という声が多数であったと思う。
噛みつく学生や変に拘りの強い学生、頭の硬い多浪生は単位を貰いずらく、また、生徒と先生が対立すると授業が進まないから険悪なムードが漂うことがあったと言う話も聞いた。
ちなみに、「医療倫理」授業は医学部生だけでなく、医学系の院生も必修に入っているため履修していた友人がいたが、その人曰く「医学部の学部生」以外にはゆるい評価である、とのことであった。
(個人的には「医療倫理」の授業では外部講師も招くことが多く、ジェンダーの観点で生き証人のような研究者が招かれていたのでモグリをしたかった)
記事にもある通り、単位が降りるのが厳しいため、病院実習が始まるまで(群大医学部では病院実習が始まると卒業まで難なくこなせるという風潮があった)の各学年におけるマイルストーンとなっていた授業の一つだった。
いずれにしても、当時の服部先生は賛否両論はあれど、個人的には一番もう一度授業を受けたい先生と思っていたので、どうしてこのようになってしまったのかという思いが強い。
あと、群大内で(学外に出ないものも含めて)やらかしが多いのは決まって医学部である(今回や前回のアカハラ、「私は学長です」事件・論文不正、附属病院であるが腹腔鏡の医療ミスなど)、という風潮があった。
そういった風潮は、(私が学生であった当時は)新入医学生が医学部の教授会に自己紹介を兼ねた一発芸を披露する必要があり、女子医学生も含めて一部は裸踊りに近いものを披露することがある、と聞いていたので、
醸されていったのだろう。そのような「昭和な雰囲気」が、医学部が不祥事の温床となる風土を作り出しているのだと思う。
医学部が大学としての稼ぎ頭であるのはわかるのだが、いちOBとしてちゃんとした風土改革が必要だと思う。他学部の方では「医学部だけ県立福祉大と合併すればいい」、「医学部以外宇都宮大学に合併すればいい」などといったジョークが出ることもあった。
そういったブラックジョークがなくなることを願う。
自分の身を守るため、名誉毀損や誹謗中傷にならないように、あえて肯定的なことと無難な伝聞や組織体制へのお気持ちしか書いていないから、擁護をするように読める文になってしまったけれど、書かれていない批判的なことが本当は知ってほしいことだってのは、読み取ってくれとは言わないけど、(立場を)理解してくれたら嬉しい。
群大の医学部は年齢差別が酷い、のような言説があるけど、むしろ医学部への再チャレンジが開かれたの大学だよ。
国立大医学部で編入制度のあるところがまず少数な中で、弘前大の20名についで15名受け入れている。
私に良くしてくた医学部の先輩複数名も編入組で、年齢もバラバラだった。
年齢差別裁判以後は変わったんじゃないかと思う(裁判以前を知らないからそこは語れない)
一発芸の話は私もドン引きしたし、当時は医学部に未練が残っていたけど、そんな気持ち一気に吹き飛んだよね。
今でも医療現場の人間関係の話聞く度に、医療職にならなくてよかったと思ってしまう。
ちなみに、私は授業中に(授業妨害にならないレベルで)噛み付いた側の学生だったけど、普通に(2ch文化のようなものではないちゃんとした)「論破」をしてくれたし、それによって下げられるようなこともなく良い成績で単位は貰えた。
水俣病が公害だと認知され補償を受けられるまでにとんでもなく時間がかかった
災害時は見過ごされ、後から医療ミスや因果関係が発覚するものが大きな話題になっていた
結核や天然痘などのワクチン普及を急ぐため、ワクチンの副作用について公告せず、全員に強制し、ワクチンで死んだ人について補償をしなかった過去がある
ちなみに水とか危険性や有毒性がないと言われるようなものを注射してもごく低確率で人が死ぬので、致死率0%にはならない
そのように、法や医療は不完全であったが、そして今も不完全だが、
少なくとも沢山の人が長い年月と金額をかけて研究し、ワクチンを強制せず、副作用と補償について明記し、医師法や薬事法などなどで丁寧に規制をかけて人の命を守るために長い年月をかけて築き上げてきたものだから、
よく分からないブログや動画を見てなんとなく否定するよりは、元々研究していたRNAワクチン技術を用いて試験や研究を重ねているワクチンを売る製薬会社や試験機関研究機関の方が信頼性はよほど高いと判断する人が多いだけだ
タンパク質を合成するために小さい設計図をコピーしてきて(DNA本体を核の外に出すわけにはいかないし不便なので)使用後にはすぐ解体されるRNA
このRNAで作られたRNAワクチンは、ウイルスのスパイク部分のみを作り出し、免疫を高める(人間の体にウイルスが入ること自体はよくあることなのでインフルエンザでもスパイクごとウイルスが体に入っている。その時はスパイクだけではなく中身も一緒なのでウイルスが増殖してるけど)
つまりRNAワクチンの中身のRNAも、その生成物のスパイクも、体内でいつもすぐ片付けられてるものである。
これが数年後長期的な影響を残す可能性を今の医師は思いつかないが、実際に長期的に観測したわけではないので、影響がないとは確定できない
と言っている
それら全てを受けて、
ワクチンを売る製薬会社や試験機関研究機関の方が信頼性はよほど高いと判断する人が多いだけだ
一応相手の言い分にも(かなり古いけど)一理あるんだよね。だいぶ昔の、50〜30年以上前くらいにあったような批判だよ。一理ある、っていうスタンスで話を聞けば、話が通じるかもしれないよ
「間違ってる」と言ってしまうと、別に完全に完膚なきまでに間違い、というわけではないからね
それは物を知らないだけだ、騙されてる、どうしてちゃんと考えないんだ、って相手は理解されてない感を憶えるかもしれない。
しかも大昔の人権無視の貧乏な日本が行ったワクチン政策は、お金が払えない人に対しては注射の使い回しもしていたらしいから、感染症にかかったり死んだ人もいただろうね。
そこら辺が色々すっぽ抜けて、不信感が混ざって、ボンヤリと概念が尾鰭くっつけて生まれた感情にアメリカの悪徳弁護士や悪徳医師が乗っかって金儲けを始めたのが反ワクチン教だと認識してるんですけどどうでしょう。
いま「パーソン・オブ・インタレスト」っていう海外ドラマを最初から見てるんだけど、レズビアンカップルが普通に出てきた。
シーズン2の第7話、初回放送日は2012年。ほぼ10年前だ。
「パーソン・オブ・インタレスト」はアメリカNYが舞台のアクションサスペンスドラマ。
さる重要人物のオペを控えた優秀な女医さんのところに謎の男が現れて、「そのオペはわざと失敗しろ」と迫る。
つまりその重要人物を医療ミスに見せかけて殺せというわけ。さもなくばお前のパートナーを殺すぞ、今もスナイパーが狙ってるぞ、と脅してくる、というストーリー。
まだこのエピソード見終わってないからわからんけど、おそらく彼らが同性カップルでなければならないストーリー上の必然性はない。
このカップルのどっちを男女どっちに入れ替えても筋書きは普通に成立するだろう。
俺が住み暮らしている地域では同性カップルはまだ物珍しいので、同性カップルがドラマに登場したらそこにはそれなりの理由があるはず、とつい思ってしまう。
同性カップルならではの制限や障壁であるとか、同性カップルであることの懊悩とかが物語に重要に関連してくるのだろう、そういった「使われ方」をするはずだろう、と身構える。
少なくとも、俺が住み暮らしている地域で制作され放送されるドラマだったらそうなる。
でも「パーソン・オブ・インタレスト」にはそういうのがない。登場人物のカップルがたまたま同性。それだけ。
あー、普通なんだ。と思った。
魔法が解けた と逆の経験をした。今も私は魔法の中にいて、不便さと面白さと両方感じている。
昔、私は真面目な性格だった。
書類仕事は得意な方で、記入ミスがあるのを見ると「ここに指示が書いてあるのに、目が見えてないんですか?」ぐらいに思っていた。
大した病気では無かった筈なのだが、なぜか手術後に連日連夜、激痛に苦しめられた。
医療ミスだった。
このままの状態が数日続いたら死ぬな、と思った頃に別の医者に交代して再手術を行って何とか生還した。
退院するまで大分かかったし、退院後も当分の間は本当にしんどくて、ソファーでぐだぐだ過ごす時間ばかりだった。(幸い、今は良くなった。)
しかしそれ以降は、自分の仕様が書き換わったのかと思うぐらいに出来る事が変化した。
まず書類仕事が苦痛になってしまった。書いてある筈なのに目が滑ってしまう。
それ以前に書類を見ようという気力が沸かず、封も切る事も出来ない。
最近はどうにか気力を溜めて、締め切り直前に自分を追い込んで処理する感じだ。
旅行の準備も非常に苦手になった。昔は難なく出来ていたのに。
持ち物リストを見ながらでさえも、丸一日かかってしまう。それに非常に疲れる。
また以前から散らかし屋だったが、それも拍車がかかってしまった。
他にも日常生活でやりにくくなった事は沢山ある。
ただ、嬉しい変化もあった。
ちょっとした出来事、ニュース、子供の頃の宝物などから設定が浮かんでくる。
お話がするすると頭の中で流れ出す時はメモ帳にまとめていく。細部を詰めていると、カチッとパズルがはまったように感じる事もある。
登場人物の言動がご都合主義すぎると「いや、私はこう動きたいから」と彼らは勝手に動き出す。
こういう時は頭の中がフロー状態というか、集中して頭も回転していてとても楽しい。
書いていて気がついたら昼休みが終わっていたり。
体調がギリギリセーフの時だけ起こる魔法なので、書き留めるにはかなり頑張らないといけないけど。
この状態は、魔法にかけられたとも思うし、大規模メンテナンスでリニューアルしたのかなとも思う。
いずれにせよ何か新しい扉が開いた感じがする。そして違う扉が閉じたのだろう。
そのせいで日常生活では不便な事も多々あるが、貴重な体験が出来たのは面白かった。
もう病気にはなりたくないけど、なったらなったで別の新しい扉が開くかもしれない。
認知症になったらある扉が開き、麻痺が起きたら別の扉が開くだろう。
自分以外にもこういう事が起こるのなら、どんなふうか是非知りたい。
将来、その開いた扉の中身を人にそのまま伝えられるデバイスが出来ていたらいいな。
読んでくれてありがとう!
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「元々私は“コロナは存在しない”、“ワクチンは人口を減らすためのもので必要ない”と信じていました。身の回りにコロナに感染したという人がいたら、雇われた“工作員”だと考え『新型コロナのワクチンを打ったら、死んでしまうからワクチンは打たないほうがいい』と周囲の人を説得。その結果、学生時代の友達をみんな失ってーーー。わかった気になり偉そうに語っていた自分が、今では本当に恥ずかしいと思っています」
ZOOM越しでこう語る一人の女性。一見すると普通の女性だが、実はネットではちょっとした“有名人”。ピンクドルフィンというアカウント名で、反ワクチンを唱える“陰謀論”からの目覚めの経緯を語ったツイートが4万回以上リツイートされ、話題を呼んだのだ。
なぜピンクドルフィンさんが陰謀論にのめりこんでしまったのか。そのきっかけは、彼女の幼少期にまで遡る。
「私の祖母が、医療ミスで亡くなったのが原因で、母が医療を信じていなかったんです。だから、母は私にワクチンを1本も打たず、真っ白な母子手帳を自慢げに私に見せ“あなたはナチュラル”と褒めてくれました」
パラリンピックの出場選手が有する各種の障碍は、医療ミスが原因である者が少なくない。
例えばボッチャ。脳性まひを有する障碍者の競技だが、脳性麻痺は胎児期~乳児期の医療ミスで起こるケースが大半だ。特に陣痛促進剤の使用ミスによるものが30%を超えるというデータもある。
他にも難病の診断や処方を間違えて症状が悪化して体が動かなくなったとか、そういうケースが多い。
パラリンピック日本勢の活躍を通じて、出場選手個人に注目が集まり、「なぜその障碍になったのか」をマスコミから深く掘り下げられてしまうのを医療側、特に日本医師会は恐れている。
自分達のミスが晒されてしまい、強い批判にさらされてしまうのが嫌なのだ。
ただでさえコロナ患者の受け入れ拒否で維新とかから責め立てられている中、更なる炎上要素の追加は何としても避けたい。
だからパラリンピックに強く反対していたのだ。その分の医療リソースは別途確保されているのに関わらず「何かあったら対応できない」などの無茶苦茶な理論を使って。
その思いむなしくパラリンピックは開催され、一番活躍されたくなかったボッチャ選手団が奮闘しているという皮肉な結果が出ている。
1994/10/25に東京都品川区の京浜急行電鉄京急本線・青物横丁駅で発生した、或る殺人事件を思い出した。
被害者は、医師の男性。加害者は、腰のヘルニア手術治療を被害者の医院で受けた経歴がある、元・患者の男性。
手術を受けてからしばらく経ち、全身の倦怠感や食欲不振を感じた加害者は「腰のヘルニア手術を受けた際、医師(被害者)が体内に手術器具を置き忘れた医療ミスが自分の体調不良の原因ではないか」と訴え、レントゲン写真検査を受けた。
しかし、レントゲン検査で異常は認められず、手術器具の置き忘れという事実も無いという説明を医師から受けた加害者は、これを「手術ミスを隠蔽している」として立腹。被害者に対して恨みを募らせた加害者は、暴力団からトカレフ拳銃を購入して、事件発生現場で被害者を射殺するに及んだ。
なお「手術ミスにより体内に異物が埋め込まれた」というのは、事件当時の加害者が罹患していた精神疾患の影響による妄想であった。
高校生のワクチンに対する誤解に驚いた…!若い世代の「ワクチン不信」の根にあるもの
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85833
筆者の稲葉 可奈子医師、自身で運営するみんパピサイトによると京大医卒(厚労省サイトではH20)、東大で学位取得。
卒後市中病院・大学病院等での勤務を経て現在は関東中央病院産婦人科勤務とのこと( https://minpapi.jp/staff/ )。大きな病院、名のある病院にいる間なら
そのネームバリューにより、見ず知らずの若い医師でも通院してくるぐらいには信用されていたことだろう。また、自身も研鑽に励んできたことだろう。
わたしは産婦人科医なので、HPVワクチンの説明をする機会も多いのですが、「なんとなく不安」な人というのは、正確な情報が届いていないため判断材料がない、もしくは、自分で調べてもネットにはあまりに多くの情報が氾濫しており、どれを信じてよいか分からない(往々にして不安な情報の方が印象に残ります)ため、判断しきれないまま接種をためらっています。そういう人の中には、かかりつけ医に質問し、正確な医学情報に基づいた説明を受けることで不安が払拭される人もいますが、医師に質問する機会がない人もいます。
まるで、「正しい情報」をあなたが話すれば必ず信用され不安が払拭されるでもといわんばかりだけど、あなたが一人の医師として見ず知らずの高校生に話したとして、どうして信じてもらえると思うの?
・こういうの学校で教えてくれたらいいのに
という声が多数届きます。
っていうけど、あなたの話聞いて「うさんくさ」とか思った人がわざわざ「いややっぱり接種しません」とか声を届けに来ると思う?もうその時点で入ってくる情報にバイアスかかってるよね。
ワクチン不信の根底にあるもの? そりゃ医療や保健行政に対する不信感そのものなんじゃないのかね。私が卒業したころは医療におけるエラー削減など掛け声ばかりで、現場では各医師テキトーな
医療やってて看護婦(当時呼称)が何か意見しようものなら烈火のように怒りだす人もいた。ぺいぺい(PayPayじゃないぞ)が疑問を口にできるような雰囲気ではなかった。そのような環境で
「医療ミス」は割かし頻繁に起こっていた。大事に至るのは少ないが、それをエラーの防止に役立てようなどという意識は低かったように思う。製薬業界との関係ではプロパー(当時呼称)に
たかるのは当然で、ことあるごとに薬の説明会と称して、製薬企業もちの昼食付き講演会、飲み会が行われていた。つまりはもうべったり「もちつもたれつ」みたいな意識だった。COIなにそれ?状態だった。
世間が白い目で見るのも当たり前と言えば当たり前で、こんな過去があって今に至るのに、最近マシになってきた上澄み部分しか知らないような人が「医者がちゃんと説明ればわかってもらえる」とかナイーブすぎて苦笑してしまう。
たとえば死刑しかない外患誘致罪で起訴された裁判って被告はもちろん弁護士のほうも詰んでない?
弁護にしようがあるとすれば、外患誘致罪ではない別の罪に該当することを立証するか、責任能力あたりを問うかだろう。
しかしそもそも有罪率99%となるように検察側が用意周到に準備するこの国においてそもそも弁護士は圧倒的に不利だ。
外患誘致罪など今まで適用例がなかったような罪状の場合ならばそんな小手先の弁護をしようと思えるような隙などないだろう。弁護される余地があるぐらいならそもそもその罪状は選ばれないはずだ。
たとえば医者が末期がんの患者に処置なしとして特に治療を施さないことがあるだろう。そしてそれが医療ミスとして糾弾されるようなことではない。
上のような刑事裁判において弁護士が手を拱くのまたそれと同様に妥当なことではないかと思うのだがどうなのだろうか?
そもそも最善弁護義務には例外はないのだろうか?圧倒的に弁護側が不利なのに?
数理的には不完全性定理が関係するのか知らないけどとにかく論破不可能な主張はないということらしいが、もし弁護義務に例外がないとすれば、それはきちんとそういう証明がなされていることを踏まえて取り決めされたことなのだろうか?そうではなく「理屈と膏薬はどこへでもつく」のような、まさかことわざなどを拠り所して「どんな裁判にも絶対弁護の余地はあるはずだよね」みたいに楽観視の結果決められた義務などだとしたら不条理に極まりないと思う。民衆のことわざなど矛盾だらけなわけで厳格さを要求する立法においてあてにしていいはずがないのだから。
(まあ責任能力から攻めるという手法ならどんな罪状のどんな裁判に対しても有効だということは直観されていたのかもしれないけれど。それでも裁判という体系の中で本当にそうなのかは証明しておくべきではないのか)