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2017-10-10

anond:20171008232016

社会人になって、こういう状況になる人は実は多いのではないの?

学生までは、自分から動かずボンヤリしてても親とか先生とかの周囲が何かとお膳立てしてくれた。やるべきことも分かりやすかった。

でも社会人になると、面倒見てくれた人たちはいなくなって、一気にたくさんの自由が与えられて、そこでどこに進めばいいのかわからなくなる人は多そう。

増田は多分、理想とする休日の過ごし方のイメージがあって、それと現実が違うことに悩んでるんじゃないか

自己肯定できずに迷ったときは、国民の三大義務を思い出すよ。

納税の義務勤労の義務教育義務

これを果たしているなら、胸を張って生きればいい。増田は働いてるっぽいし、それで充分だと思う。

2017-10-07

生きる上で一番重要スキル空気読めることだと思う

キモい、痛い、非モテセクハラ

この辺りの原因って結局全部「空気読めない」せいだと思う。

女性男性よりも協調性を重視する生き方をしてることもあり、多くの女性は「空気が読める」男性を信頼するし好きになる。

ブサイクでも周囲から羨ましがられる夫って大体すごく空気読むのが上手い人だったりする。

恋愛だけに限らず、空気が読めると人に好かれるから人間関係もよくなるし、仕事でも信頼されるから出世し易いと思う。

その場の雰囲気客観的に把握できていれば、気持ちに余裕もできるから自己肯定できる。理不尽な怒りを抱えることもなくなるし、人を怒らせることも少なくなる。つまりめちゃくちゃ生きやすい。

空気なんて読めないから全部言葉しろという人がいるけど、世の中には言葉にすると逆に事を荒だてたり、大ごとにしてしま場合結構あって、だからこそ空気読んで穏便に収束させてくれる人が重宝されるし好かれるんだと思う。

世の中にはエスパーじゃなくても人の気持ち想像できる人はたくさんいる。

もちろん本当に言わなければわからないことも沢山あるとは思うけれど、空気なんて読めなくて当然だと開き直ってしまうと、結局読める人に全部持っていかれてしまうし、人が離れるばかりだと思う。

友達ほしいのに好かれたいのに、友達ができない、好かれない、なぜかわからない、この状況って誰よりも本人が一番不幸だと思う。

ということで、子供空気を読むスキルを身につけさせるには、どうしたらいいんでしょうかね。

2017-09-29

商業同人を比べてマウント取ってくる商業作家がめんどくさい

ここ1年の間に商業同人を比べてマウント取ってくる商業作家に何人も出会ってる。

同人はヘタクソww技術クソwwこだわってないwww時代考証してないw何人ものチームでやってるのを個人かいてるみたいにズルしてるwww

背景アイレベルおかしいw顔漫画w背景無し楽すぎw画面密度がともなってないww別の仕事しながら片手間でやってるwwww等々

生きる為作家業してる人と、同人で食う為に、又は趣味作家やってる人とで根本違うものを比べて自分頑張ってますあいつらとは違います!!!!ってアホかよ。

その度に人を踏み台にして自己肯定するやつめんどくせぇな、と感じてる。自分の中で思うのは構わないがもっと情報共有して楽しめる相手とだけに話して欲しい。

自分はそういう人間は好まない旨伝えているのに、そういううやつに限って、自分性格いから、と必ず前置きしてから

同人比較商業はつらいよすごいよのマウント発言連発してくる。アシスタントもこんな話聞いてんのかと思うと可哀想で仕方がない。

早く恋人作ってそっちに依存して欲しいと思う。

というか、いっそ商業なんかやめて同人一本で食えばいいのにそうしない。

商業同人兼業でも上記のマウント発言しながら300部しか刷ってなかったり、

あ~!仕事が~!本当は80P構想のところ36Pに無理矢理まとめたから話わかんないよな~!あ~今度はしっかり考えたヒューマンドラマかきたい~(尚この発言から3年ほどだが一向にかかない)

とかほざいていて、お前らもそこまでの規模や中途半端さなら片手間の趣味じゃん、と思っている。

こうなる背景に商業作家が恐らく孤独だったり、自分作品世間でどこのレベルなんだろうか…と不安になる人が多いのが原因なのかもしれない。

編集の人も社交辞令でもいいからちゃんと作品を褒めたり、駄目な所は駄目と言ったり、特にファンレターアンケート等の反応を作家本人に伝えてあげて欲しい。

他人踏み台にして俺TUEEは聞かされる方が面倒だが、なろう系の異世界転生話の事考えるとマジで今の時代需要供給合致してるんだろうな。

マウント取ってくる面倒臭い商業作家も10年後商業一本で飯食えてたらいいな。

自分は面倒だからもう二度と相手したくないけど。

2017-09-26

「好きになったらしょうがない」ロジック

本当に怖いわ。

法を犯しても、罪のない人を傷つけても、「好きになったらしょうがない」で不倫できる。

結婚相手がいて相手に特段の不満点がなくても、他に、より魅力的な人が現れたら「好きになったらしょうがない」で自己肯定

苦しい自己弁護だと考えるわけでもなく、本気でこの行動指針を「良いこと」だと考える人一定存在することも信じられない。

まだ体目的だと自覚して、事後に罪悪感を感じる人のほうが理解できる。

なんでこんな人が発生するんだろう。

育て方の問題か。それとも遺伝的に道徳を教えても理解できないのか。

スマホゲームに対する論調が変わった気がする

最近、感じることであるスマートフォンゲーム課金通称ガチャ)に対する擁護が増えたこである

以前はコンシューマー機の方が良いなどと言う声が多かった感覚だ。

数年で世の中というのは変わるのだということだ。

消費社会でこんな感じなのだから政治的雰囲気などというものも変化していくのだろう。

怖いと思うのは、かつては批判的だった人間がすっかり嵌っていることだ。

そして、批判的な意見を言うと怒り出す人間もいる。

自分の考えが変わっていることに気づかない。

財布の中のことだから問題はないが、戦争など人々の命が関係することでも簡単に変化するのではないかと思うと震え上がる。

スマホゲームSNSが無ければここまで流行ることは無かっただろう。

SNSには、こんなキャラを○万円かけて引いたとかいう消費自慢がある。

これが人々の自己肯定につながるのだろうか。

フリマアプリ落札というのも、人々の承認欲求に応えているという話を聞く。

都内の小さな映画館職員が「今の人間映画に知っていることを求める 以前は知らないことを求めていた」と言っていた。

消費社会も人も変わり続けるということなのだろう。

ただ、やはり容姿が悪いと人間は生きるのが苦しいというのは変わらないというのが実感だ。

ネット社会現実と変わらなくなり、顔が悪いと肯定感を得にくくなっている気がしなくない。

顔がいい人間が顔出ししたりして持て囃されるからだ。

容姿が醜くとも自己肯定やらを得られる仕組みやらコンテンツ必要なのではないかと感じている。

別に意識が高いわけではなく、容姿が醜くてセックスができないから考えているのだろうと感じる。

2017-09-25

今の消費者は既に知っているものコンテンツに求める

扁桃腺が腫れて入院したために、ハワイ旅行が中止になった。

退院旅行予定日の2日前とかだったので行こうと思えば元気一杯で行けたのだ。

リゾートの海に浸からないで、京都大学でやっていけるのか不安だ。

仕方がないので週に2日しか授業がないのを生かして一人で色々と行くことを考えている。

一人でリゾートも悪くないかもしれない。

点滴のおかげかスグに唾液が飲めるようになって、ずっと考えていたことがある。

容姿が悪かったりする人間自己肯定優越感を感じることが出来るコンテンツシステム必要だということである

それが課金で有利になるゲームであるという言説は割とよく聞くし、説得力もある。

SNSがなければ、カードを引いて自慢することなどできないからだ。

しかし、それだけのままでいいのだろうかと考えてしまう。

一つはある小さな映画館職員が言っていたことで、「以前の観客は知らないことを映画に求める 今の観客は知っていることを映画に求める」というのを思い出した。

知っていることでない何かを見せられなければいけないのではないかということだ。

SSRと書いてあるおっぱいが大きい女の子カードだけでいいのだろうかということだ。

新たなコンテンツやらシステムは反権力的であって欲しいというわがままである

まぁ、考え付いたのが顔が悪い女の子容姿を獲得するための闘争に明け暮れるゲームだったりするので自分に呆れるものだ。

2017-09-23

大森靖子かい音楽アイドル

大森靖子感情劇場的な入れ物につめて発散しているだけで、別にすぐれた音楽家でも詩人でも芸術家でもなんでもない。共感型のアングラアイドルSNSで補完するダウナーっぽいエンタメ自己憐憫世界は終わっているがあなたの愛だけはある型。ちゃんと現代向けにアップデートはしている。ファンサ、マメエゴサーチリアクションかわいい自撮り情緒不安定ポスト音楽に命をかけているように自分演出して、自己承認の増加に命をかけている。ターゲットにとても配慮したわかりやすインスタントリサイクルかつエコな病んでる歌詞


音楽真摯に作る人々にとって不幸だったのは、この人にとって自己承認ツールの最たるものたまたま音楽だったこと。きっと小説を書いて新人賞をとれば小説家で、絵を描いて売れれば画家ツイッターブログはどの道必須媒体にこだわりはない。そこに「わたし」がいればいい。この人は音楽を語るけど音楽自体に愛はない。自己愛音楽混同している。レコメンドできるほど掘り下げてもいないし、そもそも音楽素養がない。明確な音楽ポリシーはない。本当にインディペンデントアーティストなら欅坂を歌えない。自分音楽ルーツプライドがないからできること。だから音楽に命をかけているのではなく、自己肯定に命をかけているというのが正しい。


大森靖子音楽魔法じゃない。というか大森靖子の言ってる「音楽」は音楽好きな人たちの考える「音楽」ではなくて単なる「自己世界」だから何にもならない。自己世界なので大森音楽と人格を分離できない。人格自分にとってそぐわなければ同時に音楽もクソとなる。でもそれは違う。人格がクソでも作るものは素晴らしいということは多々ある。どんなに憎んでいる人の音楽でも好きになっていい。どんなに愛している人の音楽でも嫌いと言っていい。そういう軽薄さは芸術において許される。


いま日本では面白いバンドとか若くて良い音楽家がたくさん出てきてる。ちゃんと音楽好きで、自分たちで曲作ってるやつらがこういうアイドル音楽否定されるって、マジでアホらしいだろうなと傍から見てても思う。不毛で何にもならない。日本音楽業界ってもっとクソな人間システム問題が山積してるのに。なんか悲しくなる。お笑いとかでもようあるけど、上に噛みついてた底辺出身ちょっと大きくなって、下のやつを叩いているの見ると、怒りというよりは悲しくなる。結局、生活大事なんよな。上から来たストレスを下にぶつけて溜飲を下げて。そういう人が世界を変えるとか美辞麗句並べて。事務所の弱い方はもう何も言えない中で、しれっとSNS再開。そんな暇あったら音楽魔法にするために時間使った方がええんとちゃいますか。音楽アイドルさん。

2017-09-10

anond:20170910153902

先に言った通り、ジャンルに限らず女側に感情移入するのが多いって言われてるから

男がキモおっさん描写になっただけで例外になると考えるのは難しいか

自己肯定手段として自分と似たキモおっさんを受け入れるロールを演じることで

自分を癒やしてる面もあるかもしれない

まあそんなマジな話がしたいんじゃなく「ホモじゃん」から「そうだよ全部ホモだよ」ってネタなんだけどねこ

追記:ブコメへ。ネタで「ゲイ」って使ったほうが失礼だろ

リアルゲイホモ呼びしないのと同様にネタゲイって使わないよ

2017-09-06

また仕事をサボったわけだが

通勤中の電車内でめまいと動悸が起こり職場に行けません

みたいな内容で上司メールした。電車内だからメールで失礼しますっていう文言もくっつけた。

御察しの通り仮病である

言い訳をすると過去に実際にめまい、動悸、過呼吸仕事に行けなくなった事が何度かあり、その時と似た精神状態だなと思ったので、めまいが起きたことにしたのだ。信憑性が無いのは知ってる。

こういう社会的クズの話でよければこのまま読んでくれ。

今回は短期仕事に就いた。過去半年以上同じ職場で働けたことが皆無で、長期予定で雇用されても結局半年働けないなら最初から短期で働けばええやんかと、自分なりに閃いて職を探し、仕事をもらった。

2年以上引きこもっていたため例え短期でも週5フルタイムは無理だと思い、できる限り短時間勤務ができるところを探していたはずなのだが、うっかり週3、1日7時間仕事を1ヶ月することになってしまった。

正社員とかフルタイムバリバリ働いている人にとっては十分短いのだろうが、週1、1日4時間ぐらいがいいなと思っていた自分には長時間すぎた。

決まった時点では「まあ12、3日間ぐらいなら7時間でもなんとかなるだろ」と深く考えなかった。考えないようにしていた。

今日が4日目の勤務日だった。初日問題なかったのだが、2日目に聞いていた内容と全く違う業務をすることになった。非常に体力と気力を使い2年引きこもってた体は業務に追いつかずボロボロ

以前の自分ならこの時点で「もう無理…死にたいODしてやる…」と過激ブッチかましてたところだが、多少成長したので「今回の業務は体力が持たないので続けられません」と申し出て、変えてもらうことができた。すごいぜ俺、ダメになる前に申し出ができたぜ、変わったなあ!

問題は3日目だった。

結局あまり変わらない内容の業務に就いて、まあこんなもんか…と思いつつ必死に体も頭も動かして働いた。頑張った。めっちゃ頑張ってた。

しかリーダーに注意された。

「ねえ、この程度ならもっと他のことも同時にやれるでしょう?やって?頑張ってよ、頑張って?頑張れるよね?」

「その手順は知りませんでした」とか「まだ難しいです」とか言えるわけもなく、ただ「はい」としか言えなかった。

この程度よくあることでしょ〜?と自分でも思わないわけじゃ無いんだ。ただ。

その後手を止めるわけにもいかずとにかく言われた通りに必死こいてたら、同じく必死こいてる別の新人さんに対して「頑張って」とベテランおばちゃん達が声をかけていた。

さっきのリーダーがその様子を見て「頑張ってる人に頑張ってって言ったって仕方ないでしょう!」と言ったのだ。

胸のあたりにどす黒く重いものがズドンと落ちた。

そうか俺、側から見たら頑張ってないのか、そうか〜。

とりあえずその日は最後までやりきった。

リーダーが近くに来ると体がこわばってミスをし、また注意された。過去仕事毒親トラウマが蘇り発狂するかと思った。

そして4日目の今日

前の晩から弁当を用意し、緊張して眠れないので筋トレストレッチをして無理やり眠りにつき、6時に起きてバスで最寄り駅に行って電車を待っていた。

リーダーが身につけていたピンクネームストラップが脳裏にチラつく。

頑張れるよね?の声が何度もなんども再生される。

から来る電車に乗ってXX駅で降りて会社まで歩いてロッカーで着替えてチャイムが鳴ると業務が始まる。リーダーもやって来る。リーダーがいる空間作業をする。リーダーが他の人と何かを話している。リーダーこちらまで来て何か言って来るかもしれない。どれだけ頑張ってもまた頑張れと注意されるかもしれない。またミスをするかもしれない。今日は前よりずっと怒られるかもしれない。リーダーの目を気にしている自分がいる。頑張らなければならない。注意されてはならない。失敗してはならない。認められなければならない。ずっとずっと頑張らなければならない。今から夕方家に帰るまでずっと、いや残りの10日間ずっと、リーダーのいる空間で…

もうダメだった。冒頭に挙げたメールを送った。めっちゃ怖い顔をしていたと思う。浅く呼吸しながら改札を出てバスに飛び乗った。家に着いて冷蔵庫弁当を投げ入れた。飼い猫が寄って来て何か訴えていた気がしたが無視して寝室のベッドに潜った。

これが今日の午前中の出来事だ。あれからメールの返事も電話も来てない。弁当レンジで温めて昼に食べた。美味かった。

なんでこんなクズ増田を書いたかというと、誰かに聞いてもらって自己肯定して安心たかたからだと思う。「カウンセリング 今すぐ」とかグーグル先生めっちゃ聞いたりした。良さそうなところは施術10万とかしてあきらめた。

2年以上引きこもってる間、環境がずいぶん変わり、自分他人との向き合い方も少し上手くなったかなと感じて、また仕事を始めたいと思った。

しかし結局自分は変わらず社会に馴染めないクズ野郎だった。さすがにもう昔のように「俺は悪く無い!社会が悪い!親が悪い!」なんて拗ねたりしないが、拗ねなくなっただけで、社会に適合できる人間になったわけではなかった。たった3日で辛抱たまらなくなる社会不適合者のままだった。自分キャパを正しく測れず、結局追いつかなくなり周りに迷惑をかけるんだ。俺って想像以上に自意識過剰でデクノボウなんだな。

こんなクズでもなんとかなる仕事を見つけるか、対人、対社会への耐性の無さを根本的に改善するか。精神科心療内科ももう行きたく無いよ。

さて、残りの10日間、どうするかなあ……

2017-08-25

自己肯定って、やっぱり子供のうちから植えつけられてないと難しいの?

大人になってから自己肯定を持つのって難しいの?

2017-08-24

増田を書くというデトックス

最近文章を書くと辛い気持ちや嫌な気持ちが癒されるということに気づいた。

人に見せる前提で書いた自分文章が好きだ。例えブクマトラバが0件でも自分にとっては唯一の自分文章であり、見返すと自己肯定があがる。

今日自分が書いた増田酒の肴に読み続けたらまた明日頑張れそうな気がした。

もしこの増田を読んでくれた人がいるならありがとう

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822000046

抽象的なポイントだけ取り出して話をしたかったけど、私の頭では難しかったので具体的に書くね。相当長くなると思う。

言ってくれたのは、大学卒業してから5年以上会っていなかった先輩で、現旦那さん。

大学在学中からその先輩のことは恋愛的な意味ではなく尊敬していたけれど、同時にすごい人すぎて雲の上の人だとも思っていた。

そして大学卒業直後くらいのタイミングでなぜかその先輩は私のツイッターフォローしてくれて、相互フォローになった。なんであんなにすごい人が私をフォローしてくれたのか全くわからなくてただ不思議だった。

でも、相互フォローになったからといって特にやりとりが発生するわけでもなく、淡々と5年以上の時が過ぎて行った。

私は大学在学中から精神病んでたんだけど(つまり、先輩に会った頃にはもうメンヘラだった)卒業してからもなかなか良くならなくて、数年の引きこもりの末ちょっと働いてはすぐに辞めるのを繰り返し、なんていうか人生ボロボロだった。何をやってもダメで、自己肯定感なにそれおいしいの状態。本当に自分を無価値だと思っていた。常に自分の頭の中に自分否定する言葉が渦巻いていた。

それでも、自分メンヘラなのを自覚してるからツイッターにはなるべくネガティブなことは書かないように気をつけてた。特に死ぬ死ぬ詐欺とか構ってちゃんみたいなのは絶対にしないように心がけていた。

でも、ある日ついに限界がきて、ツイッターにすごくネガなことを書いた。自分否定してくる自分に殺されそう、みたいな話。こんな変な話、きっと人は理解しないし優しくスルーしてもらえるだろう、そう思っていた。けれども違った。その先輩が声をかけてくれた。

あなたが大切です。生きていてほしい」って。

こんなことを言ってもらえたのは初めてで、もうボロ泣き。本当に張り詰めてたところに思わずかけてもらえた言葉だったから、ものすごく心に沁みた。

で、それがきっかけで再会してお付き合いを始めて結婚して今に至る。

旦那さん、話を聞いてみると在学中からずっと私のことが好きだったらしい。ツイッターフォローしたのも好きだったから。当然卒業してからの5年以上ものあいだ恋焦がれるみたいな熱量ではなかったけれども、それでもずっと幸せになってくれたらいいな、って思ってたって。

でも、私のツイッターでの様子を見て私が死んでしまうのではと考えたら、生きていてくれた方がいいからあの言葉を言ってくれたそうで。

旦那さんは本当に優しくて、お付き合いを始めてからもずっと優しい言葉をかけ続けてくれていた。

一方の私は、あの一言だけで全ては解決というほど単純な話でもなくやっぱりどこか精神的に不安定だったのだけど、でも旦那さんの優しい言葉は疑わずに受け取ろうと心に決めた。そうしたら少しづ自己肯定感が育ってきて、今では自分が無価値人間だなんて露にも思わなくなった。あんなに頭の中に響いていた、自分否定する言葉の数々もすっきり消えたよ。

これが、私に起こった奇跡の大体のところ。

旦那さんに、私のどこが好きだと思ったの?と聞いてもなんか好きみたいな曖昧な答えしか返ってこないし、私自身も前述の通りの状況で特に優れたところがあるわけでもなく容姿も人並みという以前に旦那さんが人の容姿で何かを決める人じゃないし、本当に何がどうなって今こんなに幸せなのか、その理由はわからない。

から

そのために、何をどうすればいいのか、または、何がどうなればいいのか。

説明できないんだけど、でもいくつか言えることはある。

私も自己肯定ができなくて、でも自分自分肯定できるようにならなきゃと思って何年も頑張ったつもりだったけど、結局それは無理だった。私を肯定してくれる人が現れて、それでようやく自分自分を認めることができるようになったということ。

そして、絶望を吹き飛ばす奇跡存在するということ。どうやらその奇跡には理由なんていらないらしいということ。

この話が何かの役に立てば嬉しい。

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820154806

お返事ありがとう

私が最初意味がわからなかったのは、私の中に自己肯定ポリコレ関係という概念がなかったからだと思います

そんで今は、なんかそうかー!自己肯定ってそういうことかー!というのが私もよくわかりました。

あーなんか大体ほとんど理解できてゲーム上がったー!楽しかったー!!!っていう気持ちします。ありがとう

タイトルもちょびっと過激だったから私も「?」って思ってここに来たのだし、結果オーライだったような気もします。えへ。

https://anond.hatelabo.jp/20170820111359

私の意見が間違っていても、増田申し訳ながらなくていいんだよ。私は増田の言いたいことを理解したいだけだから

ありがとうございます

しかしながら自分の元の文が悪文であるが故に話がなかなか伝わっていないと思うので、その点で本当に申し訳なく思います

もうちょっとゲームを続けてもいい?

あんまり頭のいいプレーヤーじゃなくてこっちの方が申し訳ないんだけど。

はい、続けましょう。そして、私の言葉が足りていないのでそちらが申し訳なく思う必要はないと思います

まず、私の立場としてはポリコレの事自体を憂いているのではないということを念頭においていただければ幸いです。

私が憂いているのは、正しさで自己肯定をしてしまったが故に、他者不寛容にならざるを得ない人のことです。

ですので、

この増田主題は、自己肯定していない人間ポリコレを実行するのは危険を伴うから注意が必要だよってことかな。

ではなく、ポリコレなどの正しい価値観に準じることで自己肯定をするのは色々な意味で辛いのでやめましょう、ということです。

ネットポリコレ棒ブン回してる人たちはみんな、自分で考えたことを信じられないから(自己肯定してないから?)他人の考えを丸呑みにして準じようとするからそうなってるよね、それって本質理解してなくて、ただその教えに従ってれば自分絶対正しいんだって安心してるだけのポリコレ聖典信者だよねってことかな。

ポリコレじゃなくても、逆にレイシストであっても自己肯定がなければ、同じようにレイシズム聖典を抱えている可能性もあるってことよね。(ただレイシズム場合は元々相互理解不要であるという考えだからポリコレみたいにそれが本質でなくても内部矛盾する機構を持たないけど。)

前者、後者ともにその通りです。絶対に正しいことに従えば自分絶対に正しいという姿勢は、盲目的な信者しかない。そして、その絶対に正しいことというのは必ずしもポリコレである必要はなく、レイシズムであることも、フェミニズムであることもあります

自己肯定って確かに難しいよね。

小さい頃からずっと事あるごとにお前はいつも間違っているって言われて、その度にずっと脅されたり叱られたりしてくれば、どうしたらそのストレスから逃れられるのかなって考えた時に、じゃあもう自分で考えたことはみんな叱られるなら、みんなが正しいって言ってることを信じたらきっと叱られたり脅されたりせずに済むだろうって、まあ普通にそうなるよね。

だいたいその通りなのですが、最後の段だけ微妙に違います。みんなが正しいと言わなくても、絶対に正しく見えるロジックがあれば良い。時に聖典レイシズムであるのはそれだからです。そしてそれを信じれば叱られたり脅されたりせずに済むのではなく、叱られたり脅されたりしたときに無条件で悪いのは相手だと思うことができるので、ストレスから逃げることができるのです。

そんでポリコレの真髄とは、どんな反対意見を持った相手にも、どんな人種相手にも、どんな性別相手にも、どんな身分相手にも敬意を払って、失礼なことをしない努力をするってことなんだけど、そうなると相手意見尊重してよく耳を傾けなければならないし、自分がそれでもし何か間違っていたことがあったとしても、その間違いを正すことを恐れてはならない。自己肯定の塊よねこれって。

ポリコレの真髄ということまで私自身が理解できているとは思わないのですが、こうした他者を本当に尊重する態度は、自己がしっかりと確立していないとできないものなのでしょう。

そして単にポリコレ聖典にしているだけの人は、多分そこまで実践することができないのだと思いますポリコレ的な態度を取れない人をむやみに攻撃してしまう時点でポリコレから外れてしまうのはすでにご指摘のあった通りです。

自己肯定をするのはすぐには難しいかもしれないけど、でもきっとそれができればもっと楽チンに平和ポリコレできるよ!ピース

って感じ???

ここがまた私の考えとは違う部分です。この文章最初の方で述べた通り、私はポリコレ自体を憂う立場にはありません。だから、正しいポリコレのために自己肯定ができるようになろうと考えているわけではないのです。

憂いているのは正しさで自己肯定をしてしまったが故に他者不寛容になってしまう人です。

そうした人に、正しく生きることで自己肯定をするのはやめようと言いたい。自分が間違っていてもそういう自分を認められるようになろうと言いたい。

それができれば、信じるべき正しい聖典がなくても安定した自己を手に入れることができるよ、安定した自己が手にはいれば無闇に他者不寛容になってしまうこともなくなるよ、と思うのです。

安定した自己が手に入った結果、他者尊重できるようになり結果的ポリコレ的な態度を正しく実践できるようになることはあるでしょう。しかし、それは結果であって目的ではない。

重ねてになりますが、ポリコレを正しく実践するために自己の安定を手に入れようという話ではなく、ただ単に本当に楽に生きるために自分を認められるようになりましょうという話なのです。

ここまでのトラバリーの話の中で、私自身が自分が本当に訴えたいことを理解していなかったことに気づきました。最初は単に、正しさで自己肯定をしてしまう人は他者不寛容で息苦しい、そしてそういう人はポリコレ界隈の人だ、と思っていました。

けれども、ここまで様々な方とお話をして、自分自身の考えが深まっていきました。

結局言いたかったのは、正しさで自己肯定をしてしまうのは一見楽に見えるけれども実は辛いからやめよう、という話でした。

ポリコレ界隈の人全てが正しさで自己肯定をしているわけではないし、ポリコレ以外の正しさで自己肯定をしている人も、私が憂う人であったのです。

それなのに過激さを狙って「ポリコレとは現代聖典である」という上段に構えたタイトル元増田につけてしまい、反省をしています

これから元増田をどうするのかなど、ちょっと考えたいと思います

https://anond.hatelabo.jp/20170820021553

私の意見が間違っていても、増田申し訳ながらなくていいんだよ。私は増田の言いたいことを理解したいだけだから

綺麗事じゃなくて、えーとでも友愛とか博愛とかそういうことでもなくて、ただの興味本位なんだけど。

どれだけ私が他人の話を理解して自分言葉で置き換えることができるかっていうゲームみたいな。

から面倒臭くなったら付き合わなくてもいいし、それなのにお疲れのところちゃんとお返事をくれてありがとう

もうちょっとゲームを続けてもいい?

あんまり頭のいいプレーヤーじゃなくてこっちの方が申し訳ないんだけど。

で、もうちょっと考えたんだけど、この増田主題は、自己肯定していない人間ポリコレを実行するのは危険を伴うから注意が必要だよってことかな。

ネットポリコレ棒ブン回してる人たちはみんな、自分で考えたことを信じられないから(自己肯定してないから?)他人の考えを丸呑みにして準じようとするからそうなってるよね、それって本質理解してなくて、ただその教えに従ってれば自分絶対正しいんだって安心してるだけのポリコレ聖典信者だよねってことかな。

ポリコレじゃなくても、逆にレイシストであっても自己肯定がなければ、同じようにレイシズム聖典を抱えている可能性もあるってことよね。(ただレイシズム場合は元々相互理解不要であるという考えだからポリコレみたいにそれが本質でなくても内部矛盾する機構を持たないけど。)

自己肯定って確かに難しいよね。

小さい頃からずっと事あるごとにお前はいつも間違っているって言われて、その度にずっと脅されたり叱られたりしてくれば、どうしたらそのストレスから逃れられるのかなって考えた時に、じゃあもう自分で考えたことはみんな叱られるなら、みんなが正しいって言ってることを信じたらきっと叱られたり脅されたりせずに済むだろうって、まあ普通にそうなるよね。

そんでポリコレの真髄とは、どんな反対意見を持った相手にも、どんな人種相手にも、どんな性別相手にも、どんな身分相手にも敬意を払って、失礼なことをしない努力をするってことなんだけど、そうなると相手意見尊重してよく耳を傾けなければならないし、自分がそれでもし何か間違っていたことがあったとしても、その間違いを正すことを恐れてはならない。自己肯定の塊よねこれって。

自己肯定をするのはすぐには難しいかもしれないけど、でもきっとそれができればもっと楽チンに平和ポリコレできるよ!ピース

って感じ???

あっでも、増田最初文章言葉が足りなかったとか、そういうことが言いたいんじゃないよ。

そういう自己肯定ポリコレ関係について私はあんまり考えたことがなかったから、最初ちょっと何を言わんとしているかからなかったんだけど、対話させてもらって新しい考えがインプットされたので面白かったです!ありがとう

https://anond.hatelabo.jp/20170820001105

ポリコレに準じることで安心して、それに沿わない人が間違い!って言ってすぐ叩く人がいるけど、自分ポリコレを正しいと思うのはいいけど、もしかしたら他にも正しいことはあるかもしれないなっていう謙虚な態度でいた方が、より相互理解に近いしいいんじゃない?ってこと?ポリコレの見た目だけを宗教みたいに盲信しないでちゃんと自分の頭で考えて理解しなよっていう。

申し訳ないながら違います

まず前提条件として、ポリコレに準じることで安心して、それに沿わない人が間違い!って言ってすぐ叩く人は、実は自分に自信がないためにそのような言動に走るのだ、と私は考えています

自分に自信がない人は自分価値観を持っていない。だから絶対に正しく見える他人価値観に沿って生きることで自己肯定をする。他人価値観を正しいと思っているから、それ以外の人の価値観を認めることができなくなり、他の人にも自分が正しいと思っている価値観を信じるよう求め始めてしまうのです。自信がない人が絶対に正しく見える他人価値観として採用する価値観は様々ありますが、その中の一つがポリコレです。

ポリコレに準じることで安心して、と表現されていますが、なぜポリコレに準じると安心できてしまうのか?そこがポイントです。ポリコレ絶対に正しいことだから、それに準じた自分もまた正しい。そう思えるから安心してしまうのです。

そして自己肯定のためにポリコレに準じるようにした人たちにとって大切なのは、人を尊重することではありません。正しいことです。つまり自分の考えとしてポリコレに準じているのではなく、正しく見える他人の考えに乗っかっているだけです。そういう他人の考えを心に据えてしまった人は、それ以外の人の価値観を認められない構造に陥ります。だから自己肯定のためにポリコレに準じる人たちはポリコレを認めない他人攻撃し始めてしまうのだと思います

そしてそういう人に、正しさで自己肯定をすることを止めようと言いたい。ポリコレを信じなくなってもいいから、正しくても間違っていてもそのままの自分を認められるようになれたらいい。それができるようになったら、その時初めて他の人を受け入れることができるようになるのだと思うのです。

正しさで自己肯定をしていると、自分が間違えた時に辛いです他人の間違いを認めることもできず、それも辛いです。それに、ものごとに接して現れる自分気持ちが「正しくない」気持ちだった時に、自己肯定ができないジレンマに陥る。その上、自分の正しさを守るために「正しくない」人を正さなければならなくなってしまます。これらは本当に辛い。

でも、正しさで自己肯定をするのはそれらの辛さを背負うためではありません。本当は自分アイデンティティを守るために正しさの盾を求めたはずなのです。

だとすればどうしたらいいのか?

それは、自分を認められるようになることです。正しさで自分を守るのではなく、自分自身で守るのです。正しくても間違っていても、自分評価しないことが自分を認めることにつながります

そもそもなぜ自信がなかったのか?これを考えると自分評価しないことの大切さがわかります。自信がない理由は、自己否定をしてしまうからです。自己否定をしてしま理由はたくさんあります。両親に肯定感を育ててもらえなかったパターンや、いじめパワハラにあって尊厳を奪われてしまった場合、日々の中で少しづつ自信を失ってしまうこともある。しかしいずれにせよ、自己否定をしてしまう時は必ず自分自分を悪い方向に評価しているのです。

一方で、自己肯定自分自分を良い方に評価することです。健全に使うこともできますが、これも極端に走ると困ったことになります。常に良い自分、正しい自分でいないと自己肯定できなくなる場合です。正しさで自己肯定をする人々は、常に極端に走った状態にあります。この状態では、間違えた時などに辛いのは前述の通りです。

から、この問題根本的に解決するために必要なのは自分を良いとも悪いとも評価しないことです。それがありのまま自分を受け入れるという意味であり、自分を認めるということなのだと思います

そしてそれができた時に初めて他人も受け入れることができるようになるのでしょう。

2017-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20170819230223

ポリコレに沿ってない奴は悪!って叩いちゃったらそれはもうポリコレではないよね。

それも確かにその通りなのですが、私は彼らがポリコレ的に正しくないか批判しているのではありません。それではポリコレの正しさを持って人を批判するのと同じ話になってしまます

そうではなく、一番最初増田最後に書いているのですが、自分に自信がないが故にそれを正しさで補っている人に、正しさで自己肯定をすることは止めようと言いたいのです。自分は正しい生き方をしているから正しいという自己肯定の仕方をやめて、正しいことも間違っていることもあるそのままの自分をそのまま認められたらいい、そしてそれこそが他者を認めることにもつながると思っているのです。

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818213126

増田はそれを見てどこもかしこ批判に溢れているように感じ、これほどの攻撃はやりすぎだと感じ、まるで批判者たちは己の正義を信じてAを責め立てているようだと感じる?

説明たかぎりでは、そして恐らくは実際にも、各々一回〜数回くらいしか批判してないけど。

正直な話、批判者たちは己の正義を信じてAを責め立てているように感じますね。

一人一人の声は少なくても、それが大きな波になって誰も抑えられない流れになってしまっていると思う。

その声を上げている人たちの中で、いったいどれほどの人が本当にAの差別発言を心から憂いているのか、疑問に思います差別があったときに、まずするべきことは被差別者に寄り添うことなのではと思うからです。

そういうそぶりもなしにただ単に間違っている人を叩くだけの正義は、欺瞞だと思います。回数の問題ではない。

そしてそういう流れが起きた時に、大勢の中のほんの一人でしかない顔をしてA叩きに参加する人は醜悪です。

そして何よりも私が批判したいのは、そういう流れの中でAを批判しない人を批判する人です。Aを批判することは正義であると信じ、Aを批判しない人を間違っていると決めつけ、その人まで叩き始めるような人です。

もし自分自身の確固たる考えからAを批判しているだけだったら、Aを批判しない人まで非難し始めることはないのではないかと思います。けれども、Aが叩かれているからAを叩くことは正しいと思うような人は、自分で考えてAを批判しているのではなく他人の考えに乗っかってAを批判しているだけです。だからこそ、Aを叩かない人まで間違っていると非難する。自分が乗っかった正義他人も乗っかるべきだと考え、それに沿わない人まで間違っていると思ってしまう。

自分が正しいと思うと自己肯定ができます。でも、自己肯定をしたいのに自分価値観を持っていなかったら、他人の考える正しさに乗っかって自己肯定するしかないし、他人の考える正しさに乗っかってしまったらさらにほかの人の考え方を認める余地がなくなってしまう。

そんなことはしないで、自分自分を認めることができるようになれば、自分自身価値観を持つことができるようになったのならば、他者容認することもまたできるようになるでしょうし、そうなればいいと思っているのです。

https://anond.hatelabo.jp/20170818171654

自分自身踏んでるところがあるから他人不寛容ポリコレの人を息苦しく感じるのか、ものすごく考えています

ポリコレの展開活動の上で正義は我にあり、みたいな態度をとっている人を息苦しく感じるし、そういう人は実は自己肯定ができないから正しさにすがっているのだ、という考えを持っていますが、踏まれる側にとってはそういう人ですら頼もしく見えるのかもしれない。

あなた自身にはポリコレ界隈の人ってどう見えますか?

ポリコレとは現代聖典である

ポリコレ界隈とか見ていると、正直息苦しいなと思います

まず、正しいことは絶対だと思っていることに息苦しさを感じます。それは、人は間違えることもある、という基本則を認めない息苦しさであるだけではなく、正しくある自分絶対であると思っていそうな傲慢さにも息苦しさを感じるのです。

なぜそんなに傲慢になるのか、私なりに分かるところもあります。私もかつてその類の傲慢さを持った人間であったからです。

前提条件として、自己肯定ができない人がこの傲慢の罠にはまります。なぜなら、自己肯定ができないということは自分の中に評価軸というものがなく、何が良いものか悪いものかを計るとき他人物差しを借りてこなければなりません。で、借りてくる他人物差しに正しさを求めます。その正しさが絶対的ものであれば、自己肯定ができない不安定自分が確固たるものになるからです。

絶対に正しい評価軸に沿って生きていれば、何か自分を揺るがす出来事などに遭遇しても「自分絶対に正しい基準に従っているのだから間違っているのはあいつらだ」と思うのが非常に楽になります。それは不安定からは程遠いものであり、生きるのには楽な姿勢ですが、でもやっぱり傲慢しかありません。

そしてこの傲慢人間は、他人価値観基本的に認めることができません。この傲慢を支える絶対的物差しそもそも他人からの借り物でしかいからです。加えてその物差し絶対だと思っているから、さらに他の人の価値観を認めることは構造的にできないのです。

次に、自分が正しいと思っていることを他人にも求めていることに息苦しさを感じます。先ほど述べた傲慢さは、「自分は正しくなくてはならない」という生き方であり、この時点でも自分が間違ったときにそれを肯定できなくなるため生きづらいです。

けれども加えて、「なぜおまえは正しくないんだ」ということを他人に問う生き方をする人もいます。これはハッキリと生きづらいです。なぜなら、自分が信じている価値観に沿った生き方他人にも求めているからです。それは、他人他人価値観があるということを認められないから起こる態度です。

ここで、自分が信じている価値観が無条件の自己肯定感から出てくる自分なりの考えであるのならば、他人価値観を認められなくなるところまで行くことはめったにありません。自分肯定している自己と同じだけのもの他人にもあると思えるからです。無条件に自分肯定できているからこそ、他人価値観を認めても自分が揺らぐことはありません。

けれども、自己価値観を持てず絶対的に見える他人の正しさを借りてきただけの人だったら、その正しさを絶対的だと思えば思うほど、他人もその正しさを身に着けるべきだという視野狭窄に陥っていきます。ここでもまた、他人価値観を信じてしまっているからそれ以外の他人価値観を認めることができないという構造的な問題があります

さて、ここまでで述べてきた、絶対的に正しい他人価値観とは何でしょう?かつてはそれが宗教でした。自己アイデンティティがなくそ確立宗教に求めてしまたからこそ、自己を守るために自分が信じる宗教以外の宗教が認められないという構造がありました。

けれども、今は宗教がそんなに絶対的ものではないということが明らかになってきました。絶対的でない神には意味がないので、そういう意味現代は神が死んだ時代です。

しかし、全ての人が無条件に自己アイデンティティを持てている時代になったのかというと、それもまた否であります

私にはポリコレというものは、かつての宗教にとって代わる現代聖典のように見えます

からこそ、あの界隈の人々は正しくあることに妄信であるし、他人にも正しくあることを求めます。それが自己アイデンティティを支える術だからです。

でも、正しくなくてもいいじゃないですか。自分だって他人だって間違えることはある。それを認めることができる強さを持ちたいと思います

それに、絶対に正しい他人価値観に沿った生き方はやっぱり息苦しいのだろうと思います。その他人価値観に沿わない自分を認められなくなるからです。自分を正しさで守るために他人価値観にすがったのに、その価値観に沿わない自分が現れたら苦しいなんて言うのは本末転倒しかなりません。

そうじゃなく、自分自分評価するのをやめて、自分が感じることをそのまま認められるようになるのが、自分を守り、他人を認める一番の近道だと思うのです。

https://anond.hatelabo.jp/20170818052630

いやだからそういう正しい公私の分け方みたいな発想も

他人がやってる気に食わないことは「パブリック問題だ!」ってあんたらが決めて吹き上がって

自分に都合がいいことは「プライベートことなんだから他人が口を出すのはおかしい」って黙ってるのを自己肯定してるだけじゃないですか

そういうお前みたいな口先だけで騙せると思ってるような輩にウンザリなんですよ

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170807223104

違う。全然違う。

童貞であることはつまり今までの人生でだれ一人として、自分に体を許してもいいという女性がいなかったということなんだよ。

これは男にとっては自分存在のもの否定といってもいいほどの大問題なんだよ。自己肯定問題なの。

男性同士はそのことがよくわかるから童貞であることはバカにされることなの。

女性童貞か非童貞かがどうでもいいとかそういう話じゃないの。そんな女性評価なんて心底どうでもいいの。

だったら一回ヤラせてくれよって話にしかなんないし、絶対ヤラせてくれないし、結局自分はどこまでいっても選ばれない側の人間なんだって気持ちしかなんない。

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731174006

プライドが高すぎるせいで自己肯定できないことを被害者ヅラ全開で言われてもなあw

理想が高すぎて現実が追いつかないことへの対処法って、本人が現実を受け入れる以外にあるんか?

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