はてなキーワード: 体育大学とは
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
顔が可愛くて声が特徴的で、でもおとなしくて。今でもあの子に勝る可愛い子は出てきていない。
最後に見かけた18の夏、何故勇気を持って話しかけなかったのだろう。あの子は今、どこで何をしているのだろう。
もう40歳が見えて来ている年で何をやってるんだと自分でも思うんだが、過去の記憶を頼りにFacebookやInstagramを掘り起こして何とかあの子にたどり着けないか奮闘してみた。
その過程で地元の女たちの情報も得られたのでここに残しておこうと思う。実際に最近(と言っても数年前)に会った人の情報も含む。
・好きだった子
10数年前の誕生日に取ったプリクラだけアップされてたのだが、ギャルギャルしく加工されており、もはや面影はなく悲しかった。
あのときのあの子はどこへ。。その年でその見た目は大丈夫なのか。。
元々おとなしくて人付き合いも少なかったからか、地元の人から近況を聞いたことはない。
・その次に好きになった子
高校から進路は別れたけど、大学、就職後もちょいちょい連絡をくれてた唯一の人物(好きになったのはそういう思わせぶりなところだ!)、だったのだが、ここ数年は連絡が途絶えていた。
海外を渡り歩いて帰国したあと、結婚して首都圏に住んでいるようだ。
・1番頭が良かった子
医者になってた。子供ももう小学生くらいになるみたい。確か親が医者で、中学の時から医者を目指していた記憶。医者って目指しててなれるもんなのか。
・2番目に頭が良かった子
こいつも医者になった。ど田舎の公立小学校の同級生で2人も医者が出るとは。
ITベンチャーに勤めているらしい。大学は留学していたらしい。そういえば親が金持ちだったな。
・1番モテてた子
数年前地元ののみ屋でばったり会ったが、そのときはまだ独身で、仕事も男もとっかえひっかえという状況だった。
その後どうなったかは知らんが頭は良かったから、うまいこと人生収束させたんじゃないかな。
・だんだん書くのめんどくなってきた。
・地味な子 中堅国立大に行ってた。地元で名前だすと普通にスゲーってなるレベル。妹も大学言ってるし、こいつも親がまともだったのかな。
・いじめられてた子1 妊娠して高校中退した後、結婚して離婚して、再婚したらしい。幸せそうな写真をうpしていた。
・スポーツ万能子1 体育大学行ってた。ある競技で県大会上位は常連だったから妥当か。その後は知らん。
・スポーツ万能子?2 中高でそれほど実績ないけどこいつも体育大学行ってた。割りと普通の進路なのか?
・部落の子1 ナースになってた。ボーナススゲーもらえるって自慢してた。
・部落の子2 いい年してドギャルの風貌だったがちゃんと子育てしてるっぽい。
・バカ1 数年前飲み屋で再会したが、こいつと結婚したいやつおらんやろという感じ。兄弟も全員ヤバかったし。
・バカ2 バカ1とつるんでおり、ほぼ同上。兄貴は優しかったんだけどね。
感想:親がまともならそれなりに育つ。ま
紺ブルマー崇拝教団とは、神奈川県内に本部を持つ宗教法人である。通称は「KB教」。
KB教は東京都府中市にある旧東京体育大学のキャンパスを拠点としている。2020年10月時点の信徒数は6700名余りで日本最大級の規模を誇る宗教団体でもある。
この団体は学生時代から一貫してスポーツ活動にのめり込んできたメンバーによって結成されたもので、同団体の活動は体操着(主に紺色)を神聖視しこれを着用する女性の肉体美を称えるというものが中心となっている。そのため入信には健康な男女であることが条件となり、特に20歳未満の女性に対する勧誘行為が禁じられているという特色がある。
なお紺色の服装をしていると身体が良くなるというのはあくまで迷信であり科学的根拠はないとされる一方で、会員たちは熱心に修行を行い信仰心を高めることでその加護を得ると信じており、実際に入信者の中には怪我や病気を克服した者もいるとされる。その一方で性的嗜好に基づいた不純異性交遊への助長を目的とした悪徳商法ではないかという指摘も時折行われているため注意を要する。
またKB教では紺ブルマと呼ばれる独自の制服を制定してこれを着用した女性が活動する光景も見られることから、これは元々は同校の学生用体操服であったものの名称を転用したものと見られている。
KB教の歴史は古く、1974年に学生有志による同好会という形で発足している。当時は学祭における出店のような扱いであったが、徐々に本格的な活動をするようになり、1998年には教義に基づいて新たな運動部を設立するに至っている。設立時の名称は『体操文化研究会』であったが、2002年ごろに現在の名称に変更されたとされている。
2017年以降は大規模な布教活動を行うようになり、2019年現在で各地に支社を置くまでになっているほか、2020年の時点では海外にも進出する計画を立てていたとしている。
2020年時点で約1万人弱の会員を擁しているが、主な構成員の出身校として首都圏にある私立・国立高校の名前が列挙されることが多く、その多くは私立の女子高だと言われている。また入退会の自由はなく、事実上の軟禁状態にあるのではないかと指摘する声もある。
KB教に入信するにはまず最初に男性であれば入会金2万円を支払い、その後指定口座へ会費を振り込むことが必要となる。入会の儀を終えた者は手製のロザリオを受け取ることになっており、これが教徒であることを周囲に示すための身分証となるのだという。また教祖の肉声を収録したカセットテープを購入しそれを携帯することも義務づけられているが、テープの内容は毎回異なるとのことなので信憑性については不明だという。
そして入信の儀式の際にはブルマーを着用した上で専用の座布団に座って正坐をし、講師役の導師の指示に従って礼拝を行うことになるのだが、その際は両手両足を大きく広げたままの状態で静止するよう求められることがしばしばあるらしい。さらに儀式後は全員揃って合掌しながら聖詞を唱えつつ感謝の言葉を述べることになっているようだ。こうした一連の行動は全て経典に記されている通りのものなのだという。ちなみに教団内の宗教行事においてはこれらの行為は性器を露出させるよりも重要であるとされており、この点に関して前述の生徒は「破廉恥などとはとんでもない!」と語っているという。
なおこれらの行法が行われる部屋は元々使用されていた体育倉庫を改造したものであるらしく、2018年時点では4畳半ほどの小部屋に机などが並べられているだけの部屋だったものが次第に拡張されていったとみられている。
2021年現在も入信者の増加が続いているとされ、「まだ未熟ですが教団の拡大のために頑張ります」「自分の力を活かして皆様のお役に立てるよう努めて参りたいと思います」といったメッセージがSNSなどで発信されているという。しかしその中には特定の人物に対して勧誘が行われていることを示唆する内容のものもあったといい、真偽は不明ながら一部では問題視される動きが見られるという。
KB教の特徴はなんといってもその会員の多くが体育会系の出身であるということだろう。実際に2017年ごろの段階でも全国各地にある支部の支部長の多くはスポーツマンであったという証言があり、中には甲子園に出場した経験のある選手もいるといわれている。2020年現在でも数多くの部員を擁する部活動が存在するという情報もあり、そうした観点から見れば他の新興宗教団体と比べても格段の規模を誇っているといえるかもしれない。
一方で組織運営に関してはあまり資金的余裕がないのか、活動費用に困った信徒たちが銀行から融資を受けようとし断られているという情報がインターネット上で散見されるが、これについてもあくまで噂の範囲に留まるもので確証はない。
またKB教には独自の信仰形態に基づいたいくつかの禁忌事項が定められているものの、その詳細は不明であり入信者であっても詳細を知らない者が多いとされる。例えば性行為禁止の項には「不浄な肉体で行うことによって神様からの天罰を受ける恐れがあります。それを防ぐために男性の入信を禁じています」(原文ママ)と書かれているとされるが、これに対しては過去に一部の男性が抗議を行ったこともある(もっとも教義の内容的に考えて実行可能かは疑問視されていたが)。
他にも性的な表現を含む創作物や言葉の使用が制限されており、例として小説や漫画などの出版物はもちろんのことネット上においてもそのような表現が用いられることは禁じられているとされているほか、『体操文化研究会』に関連するサイトへのリンクも禁止されているようである。ただしこれらはあくまで『体操文化研究会』に対するものであり、その他の関連項目ではそういった制限は特に設けられていない。2019年時点では主に男性を中心として入信希望者が殺到しているため、特に若い女性の間ではこの教団の存在が一種のステータスとなっているのではないかという指摘がある一方、男女間のトラブルが発生しているという報告もある。具体的には男子生徒が女子生徒に対し性的暴行を加えようとしたり下着類を奪い取ろうとしたりして逮捕された事例が少なくとも3件発生しているそうで、いずれも未遂に終わったもののうち2名は起訴猶予処分となったそうだ。
かなり不気味だったから昨年の11月に作成してからずっと増田に投稿できてなかった。
こちらも。
「大学いってないから大学ネタやれない」って悲しんでる人あつまれ!オレが大学ネタおしえてやるから一緒に書こうぜ!
・年度と年齢
通常の大学は卒業に4年かかるので1年生(19歳)~4年生(22歳)が混じって生活している。関西では1~4回生とも呼ぶが、関東では1回生が学校創立直後の入学生をいうぞ。
短大は2年(20歳まで)、医科大学は6年(24歳まで)。卒業後に大学院にいけば修士2年(24歳まで)、博士は修士+4年(28歳まで)。その後も大学にいられるのは助手・助教授・教授と採用されつづけて進めれば最短あたまよさげコースだが、職にあぶれて学生っぽい「ポスドク」になって大学に居残るひともいる。30歳くらいだな。
算数と理科を専門でやろうとしてるのが理系学部。医学部とか理学部とか工学部とか情報学部とか。それぞれ医者とか工場とかITとかで働くぞ。男が多く女との出会いは少ないぞ(数少ない理系女子を特別にリケジョとよんでほめたりする)
国語、英語、社会が中心になってるのが文系学部。普通にサラリーマンとかいろんなとこで働くぞ。女性が得意な分野も多いぞ。図書館学とかもあるぞ。
他にもどっちにもわけられない芸術大学とか、体育大学とか、音楽大学とかもある。さがせばたいていの好きな科目を専攻できる学部が日本のどこかにはある。残念ながら地方大学にはすくないので単身上京してバイトしながら好きなことをやる若者もいるぞ。
すきな進学先を探したら大学じゃなくて専門学校しかない場合、入学はしやすいが卒業後の就職先が少なくて狭き門だったりするから、よほど地元でその特殊な業種が流行ってるのでないかぎり、少子化ではみな大学のほうを選びがちだぞ。
サークルという部活動みたいなのがあって、体動かすのが体育会系、インドアが文化系だぞ。グラウンドにいるのが体育会系で、文化系サークル会館とかにいるのが文化系サークルだぞ。現代視覚文化研究会(アニメ・漫研)が大人気だとおもうだろうがそうでもない(癖がつよい)
・コマ・限
90分1コマで午前2コマ(1限と2限)、午後が3コマ(3~5限)だ。
もし5限の授業を選択せずあいてたら4限まででたあと帰ってバイトにでもいくか、サークルの部室にでもしけこんで漫画読んでる。
2限・3限の空き時間があると食堂でだべってたりするが、先生もその時間帯に授業を開くのが好きなので、意外と人数が少ない、というか留年して去年2~3限だけとりおわってるやつとかがメインだったりする。
理系は空きコマ自体が少ないぞ。理系に多い実習単位は単位数が少ないので集めるのにせっせと働かなきゃいけないのだ。
・学費
高いぞ。国立大は比較的安いが私大は遠慮なしに高いぞ。奨学金はもらいっぱなしでいいのと、借金として返さなきゃいけないのがある。就職先によって借金が返さなくてよくなるタイプのもあるが、それの一つが教職なので、「でもしか教師(しょうがなくやってて子供を導く意欲がない)」が多くなるんじゃないかとオレは思う。国によっては大学全員全額無料にしてる国もあるから留学したほうが却って安い場合があるぞ。
以上!あとはぐぐってくれ
そいつは一つの国語表現に固執するあまり、不特定多数に自説を吹聴して回り、
あまつさえ特定の国語学者のアンチまで務めるという壊れっぷりであった。
流石に目に余るのでそいつのプロフィールを見たところ「発達障害」という文字列が入っていた、
ああそういうことね、と冷たくレスを返してみると、案の定相手がいきり立ったものである。
ひたすら自説の正当性と大義名分を主張しヒートアップしていく一方、
私はそれを見て、かわいそうなやつだなと思った一方、
「なんのためにこいつは発達障害を自称しているのか」と思ったものである。
自分も素人なので詳しいことは知らんが、ネットでちょっと調べた限りでは、
「発達障害はどうでもいいことに固執する傾向がある」というような話があった。
(下手に曲解するといけないので、そういうふわふわした理解にとどめておく。)
その性質を自覚しているなら、そうなっていると指摘された時に、
「すまんな」「ええんやで」とならなくては意味がないのではないか。
逆に言えば、それができないのが発達障害なのかもしれんが。
いずれにしろ、彼が発達障害と診断された意味が微塵も感じられなかったのである。
そういえばもう一つ、「病気の診断」に関して思うことがあった。
一昔前に「新型うつ」という概念が流行ったころ、それを否定する風潮が強かった。
お茶の間にとって「うつ」とは「常に気分が落ち込んでいるべきもの」という偏見があった時代で、
(あるいは今もそう変わってはいないのかもしれないが、少なくともメディアの扱い方は違う気もする)
「やるべきことに直面すると落ち込む、解放されると嘘みたいに明るくなる」という新型うつを見て、
「甘え」や「仮病」の二文字が頭に浮かぶ人は少なくなかったであろうと思われる。
その様子を見ていた自分は当時まだ子供であったが、子供なりにその風潮を憂えたものであった。
いざ自身が大人になってみると、うつ病の人が周囲にちらほら出てくるようになる。
私の交友関係はだいぶ狭いほうだが、それでもあんな人やこんな人がカウンセリングを受けている。
仕事で心を破壊された気の毒な人もいれば、体育大学に通いながら精神を病んでしまった人もいる。
健全な精神は健全な肉体に宿れかし。そう思わずにはいられない。
無知の知ではないが、うつ病とはわからぬものだなという事だけがわかってくる一方、
彼らが日々己の心身と闘っている様子が切実に見えてくるものである。
しかしながら、うつ病患者だからといって100%同情されるわけでもない。
知人のとあるうつ病患者は、日々の体調管理すら苦労している様子が見て取れる一方、
もともと愚痴が多いうえに「かわいそうな自分」に酔うタイプであった。
それを日々聞かされる周囲の人はだんだんと耐えられなくなり、距離を置くようになってしまっていた。
うつ病であることそのものではなく、自分に酔うことを苦々しく見られていたのである。
子供のころから見ていた自分は「こいつ病気なんじゃね」と思っていた。
私が大人になるにつれて傾向は見えてくるようになり、
どうやら忙しいだとか面倒なことが控えると機嫌が悪くなり、
思うようにならないことがあると、それをしばらく引きずる形でまた機嫌が悪くなるようであった。
頼れるものに頼ろうとしても結局文句ばかりで一向に楽になろうとせず、
そうして忙しくなるとまた機嫌が悪くなるというマッチポンプばかりをしていた。
ネットを通して「そういう人もいる」という知見を得て、そういう人なら仕方ないなと思っていた矢先、
本人からうつ病であると打ち明けられたのである。診断書を見せられるでもなく。
そのとき私が抱いた感情は「かわいそう」とか「お気の毒」ではなく、
申し訳ないが「それ見たことか」「何を今更」「で?これからどうする?」という気持ちであり、
正直言って同情は一切わかなかったものであった。
なぜなら自らを病に落とし込んでいるようにしか見えなかったからである。
近年は様々な病気、あるいはナントカ症というものが多数生まれてきている。
先日某ラジオでも取り上げられていたが、とくに恐怖症になると枚挙にいとまがない。
「お酒恐怖症でーす!なぜなら目の前にあったら飲んじゃうから!違うかw」という投稿には個人的にムカついたが、
ほとんどは「落ち着きをなくす」「立っていられなくなる」のような割と切実な訴えであったし、
自身の友人知人からもそういう話は聞いたり、あるいは付き合ってきたものである。
そうした新たな病気やらなにやらというものの周知が試みられているのもまた現代であるが、
じゃあすべて見て聞いて覚えられるかと言えば、そんな余裕は多忙な一個人にはないし、
公の場で突然異変を起こした人を「あ!これネットで見たやつだ!」と100%適切に助けられる自信もない。
ましてや「病気」認定が差別的なものになりうることは過去も現代も同じであり、
無垢なマイノリティの方々が切実な訴えをなさっては、様々な人間が入り乱れて大騒ぎになるところである。
では「病気」という診断は何のために存在するのか?百害あって一利なしなのか?
私はそうは思わない、というか、「病気」だけが特別である必要がないと思う。
彼はかなり前に、声帯ポリープが発見されたことがあったらしい。
声を出すお仕事の人にとっては特に厄介な病気であり、切除をしてしばらくお休みをいただくのが常である。
しかし彼は「付き合っていけば味になる」と割り切り、手術をしなかったというのである。
そのせいもあってか度々喉の不調で活動休止ということもあったようなのだが、
2011年の時には「プロとして情けない」とツイートした履歴もある。
身体と心の不調では話が違う、と言われるかもしれない。
しかしながら私が言いたいのは、彼はある種の病を「個性」として受け入れたということである。
病気とまでは言われないものや、単なる性格に過ぎないものも細分化されつつあるように感じる。
「あなたはこだわり屋さんです」とか「あなたはネガティブです」とか言われても、
それは正式な病気や障碍ではないし、なんらかの公的な援助が受けられるわけでもない。
あるいは病気や障碍とまでは言い切れない「グレーゾーン」なるものも存在するようである。
そういう「個性」が明らかになったときに、自分はどうするのか?
自分がその個性とどう「付き合ってい」くか考えていくべきなのではないか?
もちろん病気や障碍には「どうにもならない」「仕方がない」部分はあるし、それに伴う人並み以上の苦労もある。
自身の身体をコントロールできない病なら、どんなに偉そうにして厚かましい要求をしてもいいのか?
自身の精神をコントロールできない病なら、コントロールを諦めて好き勝手罵詈雑言を吐いてもいいのか?
一般人にとっては、大義名分があるから批判することは難しい。でも人として嫌な思いはする。
そうして直言を受けることなく、一部の優しい人に甘やかされ続け、他の人からは疎まれ、
傍若無人にしてある種の孤独なモンスター、言い換えれば「裸の王様」が生まれる。
とくにマイノリティにおける過激派は、どいつもこいつもこうなってはいまいか?
大学の授業に通えていない現状を憂えてのことであったと思われる。
当時の自分は「怠けているだけなのに病院に行かせてくださいだなんて…」と、
今思うと「たとえ病気でなくても」医者にかかったほうがよかったのではないかと思っている。
結局二度と機会は訪れなかった私であるが、
大学生時代におけるリアルとネットの交流を通じて多くのことを学び、
時には大きなトラブルを起こして教訓を肝に銘じ、
また時には友人からの諫言も受けつつ自分を自分なりに成長させることができた。
かつては絵に描いたような「メンヘラ」だった私も、
今では精神疾患を冷静に分析し、自身を客観的に見られるようになり始めた、と思う。
そうか?と思われるかもしれないが、少なくとも昔よりはマシである。
なぜなら今思い返すと「昔の自分」が恥ずかしくて仕方ないからである。
未だに昔の自分に同情する部分もないわけではないが、
一方で人の振り見て我が振り直すことも多くなった。
それだけ人の、自身の「醜さ」というものをより理解できるようになったのである。
自身の気分の落ち込みも「これは見苦しいな」「こうすればおさまる」と自己分析し、
専門家によらないセルフコントロールを自分なりに築き上げてきた。
そんな自分から見ると、コントロールそのものを放棄している人が理解できないのである。
現代は科学と西洋医学の時代であり、「病気を治す」ことに邁進しているものと思う。
しかし一方で、「付き合っていく病気」というものは決して無くなるものではない。
今のコロナ禍においてもワクチン接種が進む一方で感染は防げない!と言われたり、
新たな生活習慣においては鳴りを潜めたことで、日々の感染対策の重要性が浮き彫りになった。
ワクチン打てばかからない!でもなければ、タミフル飲めば大丈夫!でもなく、
自分ができることをして病気と付き合っていくことこそが大事であると改めて示されたものと思っている。
以前ネット上で「自分の機嫌は自分で取る」という言い回しが話題になった時には、
それができるかどうかはさておき、やろうと思わなければ始まらないのである。
不機嫌な自分を正当化するだけでは、だだをこねる子供と変わらないのである。
自分の心をなだめてあげること。
心の不調の原因に向きあうこと。
それをやらずして「病気」に甘んじていては何の意味もないのである。
人はたいてい、何かしらのハンデを抱えている。
病気や障碍を隠して生きるよりかは、カミングアウトできる世の中であってほしいが、
カミングアウトを免罪符と誤解している人間は、その秩序を乱してしまう。
自分に対しては、病気や個性を認め、なるべくコントロールしてみよう。
他人に対しては、病気や個性を認め、なるべく受け入れてあげよう。
それらが並立して初めて、やさしい世界を体現できるのではないか。
無料版。シングルプレイヤー。マップは「The World」。時間は無制限。
アメフトのスタジアムのフィールドの中。こんなのもあるんだな。
「FLORIDA ATLANTIC OWLS」と書かれている。ちゃんと中も見て回れる。
スタジアムから出てみると「FLORIDA ATLANTIC UNIVERSITY」とある。
しかしどこの都市かわからん。とりあえずフロリダの大都市を巡ってみるか。
と思ったらマイアミであっさり見つかった。「FAUスタジアム」。
誤差は30m。5000ptだった。
自然豊かな農村という感じ。しばらく北に進むと大きな道路に出た。
道路標識。「UPPLANDS VÄSBAY」「VALLENTUNA」。北欧系っすかね。
いま来た道のほうにも標識があって「SKÅLHAMRA」とある。
緑色の「E18」と青色の「268」という道路番号が並んでいる。
みたいなことで区別できる?
しばらく走って出てきた標識が「STOCKHOLM」だったのでやはりスウェーデンだなあ。
地図のほうでも見つけた。ストックホルムの北のほうに「UPPLANDS VÄSBAY」が。
その東に「VALLENTUNA」も。ということはその中間に「SKÅLHAMRA」が。
ただ目印がないんで正確な位置は難しいなあ、と思いつつ適当に解答。
誤差は891m。4997ptだった。
林の中の小道。少し進むと東側に海が見える。向こう岸が見えない。大海って感じ。
観光案内板かなにかに島の地図が描かれているのが遠目に見える。
道路標識「Matxitxako Itsasargia」。アルファベットだけど何語かわからん。
だいぶ進んでようやく市街地まで辿り着いた。
何かの店のウェブサイトが.esドメインだ。どこだろ。espana?
やはり固有名詞の語感がかなり変わってる。
そしてときどきスペイン語っぽいのが出てくる。「San Migel Agirre Manu」とか。
EUSKAL HERIIA
BASQUE COUNTRY
ビルバオのあたりを探してみて、どうも「Bermao」という街らしいということが分かった。
特に「東側に海」が見えるのはこのあたりだろうという予測ができる。
というわけでそこから道を辿っていって出発点らしいところで解答。
誤差は622m。4998ptだった。
けっこう広めの道路が南北にまっすぐ伸びている。両側は木々しか見えない。
霧注意の看板があったがこれは英語だな。んで左側走行。てことはオーストラリアかな。
北に進んでいくと「BADEN PAWELL DR」「CATARACT SCOUT PARK」「Cataract Dam」という標識。
Cataractは地名なのか?
「B69」「Bulli Wollongong」「Appin Campbelltown」という標識。
ここがオーストラリアならB69という道路番号から調べていくかなあ。
というわけで探し回って発見。シドニーの南西部。「Campbelltown」も見つける。
道を辿っていってこのあたりかなというところで解答ボタン。
誤差は330m。4999ptだった。
少し進むと交差点があり、「蘆洲」「五股」「新北三行園区」「疏洪八路」「疏洪一路」といった道路案内標識。
走り回っていると、土手みたいなところに「NEW TAIPEI METROPOLITAN PARK」ってでっかい白文字が置いてあった。
Google Map上のCGかと思ったけど物理的なモノだな。面白い。
ともかく台北だ。
「疏洪八路」というのは「疏洪周辺の8番道路」みたいな意味らしく、その「八路」と「一路」の交差点を探した。
そこから駐車場を参考に初期地点を割り出して解答ボタン。誤差は15m。5000ptだった。
先週末は、かなり注目の配信があった。
土曜日の相羽ういはと、日曜日の桃鈴ねねの3Dお披露目である。
どちらもアイドル志向の配信者で、初の3Dで見せた「歌いながら踊る」という恐るべき離れ業が、圧巻の一言だった。
暇な人は最初の1曲だけでも構わないので、リンクをたどって視聴することをオススメする。
ご覧の通り、ういはろーは豪華ゲスト勢揃いのミュージカル仕立て、ねねちは遊園地でのソロアイドルイベント仕立ての内容。
ういはろーは体育大学の新体操専攻ですか?と言いたくなるレベルのフィジカルお化けダンス。
ねねちは楽しさいっぱいのステージで観客が元気をもらえるというアイドルの見本のようなパフォーマンス。
これだけ多くのファンを惹きつける結果になったのだから、今後はこういう「動きで魅せる3D」もどんどん出てきそうである。
■この記事のテーマ:私の母校の薙刀部が漫画のモデルになった事実を基に、運動部漫画と現実の運動部の違い、運動部の光と影についてを書いた。
(文化部にも言えることとは思う)
その2:部活の活動時間・日数(あくまでも一般論として親のサポートと部活熱心な顧問の実態についても書いた)
■書いた目的:小中高校生とその保護者に「部活選びは将来の進路のことも見据えて慎重に考えて欲しい」と伝えるため
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今年2017年に舞台化、映画化された漫画『あさひなぐ』の薙刀部のモデルとなったのは私の出身高校の薙刀部だ。
私は『あさひなぐ』を読んでない(観てない)けど、ネットであらすじを読む限りは爽やかで熱い運動部漫画という印象を受けた。
野球にせよサッカーにせよ何にせよ運動部漫画は、運動部のきれいな部分しか見せない。
■飲酒について
時々ニュースになる先輩から後輩への暴力、指導者から生徒への暴力(いわゆる体罰)、生徒の飲酒喫煙などはまず扱われない。
先輩後輩間の暴力と顧問やOGの体罰というのは聞いたことはないが、薙刀部所属の生徒複数人は高校生(未成年)のうちに飲酒していた(喫煙は聞いたことがないし見たこともないが)。
私が知っているのは学校行事の打ち上げ(夕食会)のことであり部活関係で飲酒があったかは知らない。
しかし時・所が部活とは関係なくても未成年の飲酒は犯罪だ(軽犯罪だが)。
私も含めて先生にちくる人が誰もいなかったから彼女達は退学や停学にもならないどころか部活も引退まで続けていられた。
彼女達が飲酒していた証拠はない。少なくとも私は持っていない。
私は母校の薙刀部もしくは母校全般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。
「部活を頑張っている高校生(未成年)が裏で飲酒や喫煙、いじめや後輩への暴行をしているというのは、特定の学校や特定の部活に限った話ではない」ということを言いたかったから書いたのだ。
部活の活動時間の長さ、活動日数の多さについても、部活漫画で触れられることはほとんどないと思われる。
(ちゃんと調べたことはないが)
多くの教師がTwitterなどで発言したり、マスコミが報道するようになって段々有名にはなってきたけど、今の部活の活動時間はとにかく長いし、活動日数も多い。
土日のどちらか1日は休みだったのか、土日両日が部活だったのかまでは知らない。
先生にも親戚付き合いはあるだろうし。
正直なところ、大学進学を目指すならこういう部活と勉強を両立させるのはすごく大変だ。
両立して、学年トップクラスの成績を維持するような生徒もいたが稀な存在だった。
薙刀部の部員ではなかったけど、同じぐらい忙しい部活に入っていて、勉強は試験1週間前から慌てて始める生徒達も高校にいた。
そういう生徒はさほど珍しい存在ではなかった。
『あさひなぐ』に限らず部活を扱った漫画等の影響でその部活をやりたがる小中高校生は多いだろう。
それ自体は悪いことではないけど、自分が卒業後(または将来)どうしたいのか(具体的に言うとどんな職業に就きたいか。高校受験や大学受験の場合はどんな学校に行きたいか)きちんと考えて、親ともよく相談して入部するか否かを決めて欲しい。
部活って、一度入ると辞めたくなっても辞めづらいので。
そうして悩んでいる間に勉強が疎かになって行きたい高校や大学に受かりにくくなってしまったら、時間の無駄なんじゃないかなと思う。
AO入試またはスポーツ推薦入学という手段もあるので、卒業さえすれば勉強できなくてもいいかもしれない(極論だが)。
私は今の入試のことは何も知らないので、入試のことも含めて親と相談してから入部を決めて欲しい。
■親のサポートについて
話は逸れるが親(ほとんどの場合母親)も子どもが運動部に入ると、朝練や土日の練習に間に合うようにお弁当作ったり、ユニフォーム洗濯したり、部費を支払ったり、大会の送迎・応援に行ったりと、子どもの部活関係の仕事が増える。
そういう意味でも生徒の皆さんは忙しい部活に入る場合は必ず親(ほとんどの場合母親)に相談して理解を得てから入部して欲しい。
母親が外で働いていようが専業主婦だろうが、母親にも母親の人生がある。
大抵の親は子どものやりたい事をサポートしてくれるものだが、だからといって甘えないように(既に理解していたらお小言すみません)。
親にとって部活関係の仕事が大きな負担で、やりたくてもできないケースもあるのだから。
どこの部活の顧問かは書かないけど、部活が教師という職業のやりがいになっているかのような顧問は何人かいた。
そういう先生方は生徒・学生時代からその部活をしていて、部活の顧問になりたくて教師になった様子だった。
うち2人は体育教師。
母校に限らず、体育教師には部活の顧問になりたくて教師になった(体育大学に入った)人が全国的に多いんじゃないかと思う。
近年ネットでもそういう体育教師がいるって話を読んだことがある。
いや、体育以外の教師にも特定の部活の顧問になりたくて教師になった方もいるようだが。
しかし、国語や数学、英語なら入試に関わるから生徒や保護者から分かりやすい授業や学力向上や進学実績を求められるけど、体育は違う。
小学校ならまだしも、高校ともなれば生徒本人も運動ができない事を改善しようとしなくなるし(少なくとも私の目にはそう見えた)、保護者もそういう要望を体育教師にはしない。
部活以外の生徒及び保護者からあれこれ言われないから、部活の顧問に力を入れるなら教科は体育(もしくは音感や技術家庭など実技全般)が適任なんだろう。
そういう部活の顧問は、部活を生き甲斐にするタイプであることが多いだろう。
(部活にあまり興味ないけど保護者や生徒の要望で活動日数を増やしているケースもあるだろうが)
先生にとって部活が生き甲斐なら土日や夏休みが練習でも平気、それどころか嬉しいのだろうけど
活動日数や長時間の練習が負担になり苦悩する生徒もいるし、子どもの部活をサポートするのを負担に思う親もいる。
そういう生徒や保護者は珍しくはない。
私は『あさひなぐ』のモデルとなった薙刀部を(部員ではなかったが、同じ学校に在学して)知っている。
だからこそ漫画で描かれる運動部と、現実の運動部の違いを(運動部の光と影と言ってもいいが)、小中高校生に知って欲しい。
母校の薙刀部に限らず、運動部・文化部を問わず、部活に入る前は活動日数や時間の長さ、先輩達が飲酒喫煙や暴力に手を染めていないか、先生のパワハラ(体罰含む)を可能な限り調べて欲しい(生徒だけでなく保護者も)。
入部する前に親子でよく話し合って欲しい。
私個人的には部活をする学校生活は良い物だと思うし、本人にやる気があって部活に打ち込む中高生を悪くは思わない。
部活で勉強が疎かになり受験や就職試験に落ちたら、その人にとって部活は弊害だったと言わざるを得ない。
すぐには答えが出ないことだが、中高生のうちに「自分は将来何になりたいのか、どんな人生を送りたいのか」をよく考えて欲しい。
将来の目標や卒業後の進路に、特定の部活が必要なのかよく考えて、親ともよく相談して欲しい。
部活でやった事を将来の仕事(スポーツ選手や演奏家など)にできる人は少ない。
しかし、部活をやることで勉強が疎かになったり、健康を損ねること(多すぎる練習や飲酒喫煙などで)になるんだったら、その部活には入らない(続けない)方がいいと個人的には思う。
繰り返しになるが、私は母校の薙刀部もしくは母校全\般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。
多くの漫画では描かれることがない「部活の実態」を伝えることで、小中高校生とその保護者に後悔のない選択をして欲しいと思い書いた。
(『忙しい部活に入るな』って意味ではありません。プロ野球選手になりたい少年には野球部が必要であるように、部活が子どもの将来に必要なら是非入部して欲しいと個人的には思っています)
なお、母校の名前は書かないでおく。
今の薙刀部のことは全く知らないし、現役の生徒達がかわいそうなので。
都立校、とだけは明かしておく。
学校の公式サイトの薙刀部のページにも『あさひなぐ』の薙刀部のモデルはウチだという主旨のことが書かれているし、検索すればすぐに分かりますよ。
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。