はてなキーワード: 登山道とは
登山道というほどではないけど山の道って感じの道はあるじゃん?舗装されてて車も通ってるけど、道の外側に建物があったり誰かの庭だったり軒先だったりとあからさまに誰かの土地感があるわけじゃなくて、藪や木が果てしなく広がってる感じで突き進もうと思えば進めるようになってる道。
かりにそうじゃないとしたら、誰かが持ってる山の部分に国だのなんだのが勝手に道を敷いていることになるんだから不自然だ。
で、仮に森林地帯のうちの、道も、道じゃないところも、公共の土地という点で共通なのだとしたら、なぜ道は自由に通行してよく、そうじゃないとこは入っただけで違法なんて扱いをデフォルトにしたのだろうか?
どっちも公共の地面なんだから、原則自由に通行できるようにすればよかったんじゃないの?
自然保護目的で踏み荒らされたくない場合に限って国だのなんだのが個々に決まりを作るというブラックリスト方式のほうがルールとしては素直でシンプルだと思うのだが。
地面自体、人が移動するために存在しているという側面があるのに、道以外の地面を移動のために利用してはいけないとは不自然だろう。地面による二次元的な移動ではなく、そのうちのごく一部分の道による一次元的な移動しか許していないのはただ不便さを増しているだけだろう。
そもそも、すべての土地に所有者がいるという前提に立っているのがおかしいと思う。
「国有林」という概念があって、これは明治維新の際に藩有林、社寺有林、所有が明確でない森林を継承して成立したという。
「所有が明確でない森林」というところに注目してほしい。あたかも不明なだけで所有者がいるみたいな言い方だけども、これには正真正銘「誰の土地でもなかった土地」が含まれていたのではないか?
つまり誰も存在を認識していなかった土地があったはずで、これを伊能忠敬が作った日本列島の海岸線の地図という、日本の土地全体を俯瞰的にとらえる手段のおかげで、その地図から誰かの土地だと確定している部分を全て取り除けば、それ以外の場所は全て所有が明確でない土地として間接的に存在を把握できるようになったというところだろう。実際は誰も見ても足を踏み入れてもいない土地(誰に帰すべき実効支配性がない土地)なのに。
(もし全宇宙の地図があったら、その何万光年先の直接見たこともない空間について「ここは俺の土地だ」と主張するようなものだ。伊能忠敬は日本列島においてこのバカげた主張を形式的に可能にした。)
そういう土地を無理に国有林化しただけの話ではないか。もっと素直に「誰の土地でもない土地」と別区分にすればよかったのではないか?
誰の土地でもない土地というのは、誰にも占有する権利はないということだ。ゆえに誰が移動の用に足を踏み入れても問題ないということになる。
誰の土地でもないので、ぶっちゃけそこに勝手に家を建てても問題はない。早い者勝ちだ。ただし別の人がその家を打ちこわししても問題ない。問題ないというのは語弊があるなら「その家を建てた人がその土地での所有権を根拠に狼藉を主張することはできない」ということだ。
つまりこの場合器物破損だし、この公有の空間のなかで先にいた人を後から来た人がそこを自分のお気に入りの場所として見出し喧嘩になったら暴行罪だし、というように、個々の事例に合わせて既存の法律で裁くべき問題ということになる。
頭でっかちに「すべての土地は誰かの土地だ」という固定観念ありきで法律を作ったために、はっきりいってスマートじゃない法体系になってると思う。
なぜ「誰の土地でもない土地」と別に難しくもなんともない概念を素直に受け入れられなかったのだろう?
dorawiiより
蕎麦の手打ちってね😆、富士山🗻みたいに高い理想がアルんだケド😅、実際にやってみると、あれ?ってナルことが多いんダヨネェ😓。まず、粉と水の配合からして😤、富士山のようにピークを目指スわけダケド😌、混ぜる力加減一つで、あっという間に山崩れしちゃうんダヨ😱。
そしてねェ、伸ばす工程に入ると😣、今度は富士山🗻の斜面を滑り降りるスキーヤーみたいに🎿、テキパキと手際良くやらないと、生地が乾燥してシマッテ😵、頂上にたどり着く前に旅が終わっちゃうんダヨ😖。
切るときもサ😉、富士山のように一直線に美しく切りたいトコロだケド🗡️、ちょっと気を抜くと、登山道が曲がりくねってシマウように🌀、蕎麦も曲がったり、太さが不揃いにナっちゃうんダヨネェ😂。
でもねェ、最後に茹で上がった蕎麦を食べる瞬間は😋、富士山🗻の頂上から見る景色のように最高ナンダヨ👍。自分で打った蕎麦の味は、多少の山あり谷ありがあっても😝、それがまたいいんダヨ😊。だから、蕎麦打ちに挑戦するのは、富士山登山みたいなモノ🏔️。途中で挫けそうにナッテも😢、頂上を目指して頑張るンダヨ💪。
というワケで、富士山ジョークを交えながら😂、蕎麦の手打ちについて語ってみました😄。おじさん構文と富士山ネタ、意外と合うカモしれないネェ🌟。
山林で、人の両脚が発見されました。引きちぎられたような痕があり、道警は、前日から行方不明の70代女性が、クマなどの獣に襲われた可能性があるとみて調べています
7月15日に渡島管内松前町の自宅すぐそばにある家庭菜園で農作業をしていた82歳の夫と78歳の妻が1頭のヒグマに頭部や腕をかじられ、重傷を負った
男性1人の遺体が見つかりました。この登山道では、別の20代男性が10月29日から登山に行くと言って出かけ、行方不明となっていて、捜索が続けられていました。警察によりますと、遺体はかなり損傷が激しく、クマに襲われた可能性があるということです
何年か前に、山に登っていたら突然大粒の雹と目の前が見えないくらいの大雨が降ってきた。
痛かったし寒かった。
登山ルートの3分の1程度のところだったこともあり、引き返してる最中に
子供はおそらく未就学児。
彼らは
ごく普通のサンダルに手持ちの日傘(もちろん遮光はついてない)、近所に買い物に行くような運動向きではない格好で、
前述の天気の中、山を登ってくる。
当然止めるが、こちらの話を全く聞かない。
子供は雨でびちょ濡れ。
肩にかけているトートバッグには3人分の雨具が入ってるようには思えなかった。
「今からでも引き返したほうがいいですよ」
「はぁ…」
「この登山道はまだ入り口手前の方なので、今からでも引き返せますよ」
「はぁ…」
壁と話してるみたいだった。
父親らしき人は周囲に居なかった。
あの子達まだ生きてるのかなとたまに思い出す。
俺も今婚活してると会話の入口に趣味はなんですか?というものが出てくるとおもうんだけど、女の人の趣味って「それって趣味?」みたいなのが多い。
最近だとダイヤモンドアートとかいうのをやってる人が多いけど、あれは指示どおりにビーズ?を置いていくだけらしい。
あとフラワーアレンジメントとかみたいに教室に行くと材料がそろってて先生の言う通りにすればモノが完成するっていうのとか。
それは趣味とは違う気がする。
つまりレディメイドでお金を払えば材料があってマニュアルがあってだれでもある程度の出来が保証されてる みたいな。
そういうのは教室に通ってるとか習い事だとか表現が正しいと思う。
登山をやってるっていう女性と会ったことあるけど、その人は行きたい山に向けてランニングしたり登山道具を調べたり、自発的でアクティブな人だった。
俺は登山はしないけど、そういう人とだと「趣味って大変だけど楽しいですよね」みたいなトークが展開できて楽しかった。
でも女性の大半はそういう趣味を持っていなくて、かと言って仕事に打ち込んでるでもなくて、何を楽しみに日々生きてるのか?が分からにひとが多くて謎ではある。
・林の間に列車が見えた
公民館の広場で遊んでいたとき、標高300メートルの裏山の尾根付近の林の間に列車が行くのが見えた。
林業用のレールとかではなく、大き目な客車か舗装道路を行く揺れてない自動車が連なったみたいなもの。登山道はない。
・木が話してるのを見た
当時、NHK教育の着ぐるみが出てくる子ども向けの夕方の番組で木が話すキャラ(ゼルダの伝説のデクの樹様みたいな)がいて、こういうのがいたら怖いな、と思っていた。
姉と姉の友達と神社で遊んでて、自分一人だけ歩くのが遅れて階段から降りてると脇に生えてる木があって、これが話したら怖い怖いと思ってたら、2本の木が急に悪口を話しはじめた。
内容は覚えてなくてただ悪口の口調だとわかって、穴みたいな目と口があった。
先に行った姉に「なんて言ったの?(←木の声を私の声だと思って?)」と言われたから幻聴ではない感じがしてあれは何だったのか、と今も思う。
今ウチで所有してる檜と杉ばっかりな山が10か所以上あるのだけど、昭和初期以前は口約束で境界線を引いたり自分たちが勝手に作った紙切れで売り買いして、境界線があいまいで複雑になってる、そういう全国によくある山。
それで地籍調査を全国でやるってなって、10数年前もウチの山を地籍調査しますってなったわけ。地籍調査は隣接する境界線を相手と確認して自分で杭打ちとかする必要ある。
相手方はどこも高齢で後で確認するから勝手に杭打ちしといてくれと言うから親父は週末に一人で杭打ちに行くんだけど、ある日青ざめて帰ってきた。
夕方遅く、懐中電灯みたいな明かりが見えたから誰かいると思って近づいても離れていくし、離れても追ってくるし、手で持った懐中電灯の揺らぎもないし、足音もなく声かけても返事もない、道路に出るまで一定の距離で追ってきたから逃げてきたって。
ゲーム脳なんてインチキだ、って答えるだろうなあんたは。オレも信じちゃいない。それでもゲームで人間が狂っちまうことはある。あのときオレは復讐者になっていた。警告がてら、ちょっと思い出話に付き合ってくれ。
何年か前にIngressってゲームが流行っただろ。青組と緑組にわかれて陣取りゲームやる、ポケゴーの元になったゲームだ。ポケゴーのジムやポケストップをIngressではポータルって呼ぶが、占拠したポータル同士を直線で繋ぎ合わせて三角形をつくると自分の色の陣地にできて、ヘッドフォンからは「素晴らしい成果です」とお褒めの言葉が流れてくる。シンプルに見えて奥の深いゲームだったからオレはやる気になって青色の三角をつくりはじめた。
Ingressは誰かがポータルを占拠したり三角を作ったりするたびに行動ログが流れるから、オレの成果はすべてのエージェント(プレイヤー)に筒抜けになっている。はじめのうちは会社帰りに大きめの青い三角やきれいな三角をつくって帰宅し、風呂からあがってビールを飲みながらパソコンの画面で自分の成果を確かめてドヤ顔していた。遊べば遊ぶほど成果が可視化されて他のエージェントにそれを誇示できるゲーム。それがオレが遊びはじめた頃のIngressだった。
エージェントレベルがA8になる頃には夜遅くまで近所をうろつきまわるようになった。他の娯楽はどうでもよくなってIngressだけ遊び続けた。ビールのかわりにプロテインを飲んで寝て、早朝からIngressをやった。ヘッドフォンからは絶え間なく「素晴らしい成果です」というお褒めの言葉が流れてきた。実際、最盛期の成果はほんとうに素晴らしくて自宅から会社までの約5kmが青色の三角で数珠つなぎになっていた。パソコン画面から眺めるとオレの成果は神龍のようなかたちに見えて、たくさんの青色の三角が龍のうろこのように輝いていた。緑組のエージェントが襲ってきてポータルを占拠するたびに青色のうろこが剥がれ落ちたが、そのたびオレは現地に向かってポータルを再占拠し青色のうろこを保守した。
ここまでは良かった。オレがおかしくなっていったのはここからだ。
そうやって半年ほど遊ぶうちに緑組のエージェントが2~3人で襲ってくるようになった。車に乗り合わせて襲ってきたり北側と南側から同時攻撃されて包囲されることもあった(Ingressは三角の内側では三角が作れないルールなので包囲されたらほとんど行動不能になる。だから当時は日本列島を丸ごと三角で包んで日本じゅうのエージェントを行動不能にするようなスーパープレイもあった)。緑組のエージェントのなかには、ニートなのか夜勤なのか昼間のうちにオレの自宅や会社のまわりを緑色の三角で包囲してしまうやつがいた。オレはだんだんイライラしてきて夜中までIngressをやるようになった。物資が足りなくなったら隣町のファーム(武器などが補給しやすい状態のポータルが集まっている場所)に出かけて補給した。それでもオレの通勤圏内は少しずつ緑組優勢に変わっていった。たまに隣町の青組メンバーが遠征に来てくれたが焼石に水だった。頭がどうにかなりそうだった。
いや、その頃には頭がどうにかなっていた。青色の三角を創造するIngressが終わって緑色の三角に復讐するIngressが始まった。緑色の三角を壊すたび全身に快感が走って、強い酒を飲んでいるみたいに胃が熱くなった。緑組のカップルが街全体を包み込む巨大三角を作ろうと暗躍しているのを邪魔しきった時には笑いがこらえきれなくなって、真夜中の公園のベンチでオレは笑い転げた。警察がいたら職務質問されていたと思う。
それと当時のIngressにはガーディアンポータルという仕様があった。同じポータルを守り続けていると、日数におうじて銅→銀→金→プラチナ→オニキスの「ガーポメダル」が貰える。自宅や会社のまわりは緑組のエージェントがうようよしているのでオレは20㎞離れた山間部のポータルをいくつか占拠し、ガーポメダルが手に入るのを待っていた。ところがプラチナのメダルがもらえる直前の日、山間部のオレのポータルが全部焼かれてしまった。行動ログによれば、襲撃犯のひとりは例のニート野郎でもうひとりは山間部に近い地域で活動している知らないエージェントだった。生まれてから今までであんなに怒り狂ったことはなかった。オレは復讐を誓い襲撃犯たちのガーディアンポータル探しに夢中になった。
それから色々あって奴らのガーディアンポータルをついに突き止めた。ニート野郎が占拠するポータルでいちばん息が長かったのは5㎞ほど向こうの神社の鳥居だったのですぐに遠征して焼き払った。もうひとりの知らないエージェントの最長ポータルは和歌山県の山中、登山道入口から5㎞ほど登った場所にあるお地蔵様で、これを一年近く守り続けている様子だった。ある土曜の早朝、オレは復讐するために和歌山県に出発した。新幹線と特急を乗り継いで近くの駅でレンタカーを借り、登山道に着く頃には霧雨が降りはじめたが頭に血がのぼっていたのでずんずん進んだ。今思えば危険な判断だったが当時は彼奴のガーディアンポータルを焼き尽くすことしか考えられなくなっていた。目標のお地蔵様に辿りついてバースターを撃ちまくるとガーディアンポータルはあっけなく占拠できた。ずぶ濡れになったままオレはゲラゲラ笑った。帰りの新幹線で寒気に襲われて高熱を出した。熱にうなされながら、あのお地蔵様をちゃんとお詣りしなかったから罰が当たったんだとか、とりとめのないことを考えていた。それからゲームのために和歌山県の山中まで出かけてずぶぬれになり、高熱にうなされながら帰る自分はどうかしていると思った。それで気持ちが醒めてきてオレのIngressは終わった。
あんたにはこの話、バカみたいに思えるかもしれないな。だがあの頃の復讐心を思い出すとオレは今でも身体がざわつくしN社のゲームはもうやりたくない。ARが拡張するのは喜びや驚きだけじゃない。憎しみや復讐心だって拡張する。当時のオレはそれがわかっていなかったし、あんたの顔をみるに、あんたもわかってない様子だな。N社のゲーム、それからARには気をつけろ。あんたはあのときのオレみたいになっちゃ駄目だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221211182240
これに70ものスターが集まって(12/13時点では100以上)上位ブコメになってるが、このおかしなブコメ書いた人とスターつけた人たちの考えを聞きたい。
まずブコメ主が二番目に挙げている「登山道からはみ出るな」は、学級会的なお気持ちマナーではなく、登山する上での安全確保(命に関わる)と環境保護の点から広く周知され当然皆が守るべきとされているルールである。
整備された道から外れれば、植物の限界以下なら踏みつけで植物を痛め降雨時に洗掘で環境を壊す原因となるし
https://www.yamamoritai.com/ホーム/登山道の問題
植物限界以上の裸地では地面に落ちている浮石を蹴飛ばし下を歩く登山者に落石となって襲うリスクとなる
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=164
ルート外れは自らが遭難する原因となるし(山岳遭難の主原因が道迷いで、自ら登山道から外れるなど自殺行為)
https://toyokawa-ac.jp/map/map_sounan
一人が作った道外れの踏み跡を後に続く者が辿ることで登山道のようになり、登山者を遭難に誘い込む罠ともなりうる。
https://ameblo.jp/isekuro/entry-12686614789.html
「登山道から出るな」は参加者から自然発生的に生まれ各々で押し付けあってるマナーではなく、多くの山岳会等が定めて呼びかけている安全・環境確保のためのルールであり、
これをブコメ主が言うとおり「圧倒的に男性」ばかりが呼びかけていて、女性登山者が呼びかけてない、守ってないなら、そっちのほうがよっぽど問題だ。
次に一番目と三番目の「熊鈴がうるさい」「(登山行き帰りの)バスで喋るな」は、
んなもん聞いたことねえ!
誰が言ってんの?それを「圧倒的に男性」と言えるほどの事例があるの?本当に??
俺自身そんなの見たことも聞いたこともないし、俺の行ったことのない地域ではあるのかとネットで検索してみたけどそんな意見見当たらないぞ。
(むしろ熊鈴はみんなつけて鳴らそうとか、(* ̄(エ) ̄*)とニアミスしたので次から付けますみんなもつけよう的なブログ・サイトばかりだ)
このブコメ書いた人が登山経験豊富な人で「バス車内会話と熊鈴うるさいと言うのは男ばかり」が実体験からだったとしてもn=1に過ぎずそれで断言するのはおかしいし、
ブコメ主の過去ブコメたどってみると、普通の旅行系の記事へのブクマは散見されるものの、他に登山系のブコメはつけておらず、過去話題になった登山愛好家向けの記事もブクマせずスルーしてて、特に登山をこなしてる人でもなさそうで、そもそも実体験ですらなさそう。
いったい何を根拠に、「熊鈴がうるさいとかバスで喋るなとか、気にするのは圧倒的に男性」なんて断定したのだろう。スターつけた人たちは何を根拠にこれに賛同したのだろう。
そもそも、登山人口では男性のほうが多く、「声の多さ」を見れば声を上げるのが男女同じ割合でも声の数で男性が多くなるのは当然の結果となる。
https://www.stat.go.jp/data/shakai/topics/topi961.html
政府の統計での「登山・ハイキング」人口でも男性のほうが多く、これはハイキングも含めたものであるが
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2212/09/news031_3.html
本格的に登山する層が愛用するアプリ(ヤマップ)のユーザーでは「男女比は6.5:3.5ほどで男性が多い」となっている。
ブコメ主はこのそもそもの人口の男女比まで含めて「気にするのは圧倒的に男性」と書いたのだろうか?
(先に書いた通り、「圧倒的に男性」の具体的な数値も根拠も全く示されてないので、それ以前の話ではあるのだが)
まるで女性界隈のおかしなルールが取り上げられたのに対して反射的に「男だって同じだ」とDD論(ドッチモドッチ論)に持ち込みたいという結論が先にあり、それに都合のいいエピソードが作り出され、ブクマカが無責任に乗っかってデマを拡散してる構図のように見えてしまう。
https://gyao.yahoo.co.jp/episode/636257de-a14f-41cf-a54d-26d3fe68c2d7
https://youtu.be/I84Y-mFG4Ls?t=401 上下同じ動画です。
※ネタバレ注意※
今年のM-1グランプリ東京予選3回戦で大事件が起きた。歴史的な無風を喫したコンビが現れたのだ。
M-1グランプリ3回戦といえば毎年300組前後しか進出しない狭き門。今年は参加組数が激増し7261組がエントリー。倍率が24倍を超えるという厳しい戦いだった。
しかし3回戦とは言えスベってしまうコンビも多数現れ、とりわけスベったコンビは毎年ネタにされる(2021年のEverybody、2019年のちゅんま等)。
そんな中これ以下は今まで無かったと言える驚異的なゼロ笑いを記録したコンビが今年現れた。ビクター所属のきつね日和である。
なんと無観客で行われた2020年の1回戦よりスベってる(5~6人の審査員は会場に入っていたので時々笑い声が入った)。
全体的に客が重く低調な会場だったとは言え、なぜこんな事になってしまったのか。ネタを考察する。
このネタはツッコミのおいなり達也(以下おいなり)が定番の質問である「遊びに行くなら海か、山か」という2択にウンザリし
「もう答えは決まってるんです!山っ!山一択です」と主張する。
即座にボケの松本が「海のほうがいいけどなぁ」と返し、おいなりは「お゛ーっ!?こんな近くに敵が居たか お゛ーっ!?」と急沸騰。
松本に対し「じゃあディベートで決着つけようじゃないか」と勝負を持ちかけるというものである。
以上が導入であり、ここまでの問題点はおいなりが2連続で甘噛した程度である。
おいなりはまず「山は頂上からの景色が綺麗」とアピール。松本は「景色が綺麗と言っても辺り一面 白一色。代わり映えしないでしょ?」と否定する。
条件を真冬の降雪時にしている。しかし、確かに今は11月。初冠雪を記録した山も既にあり違和感はあるが極端に変なことは言っていない。
おいなりも「あ、そう?」と相槌を打つ。
続いて「しかもその山さ、頂上に登るまで1ヶ月はかかるからね?」と言う。ここで条件が一気に海外の8000m~7000m峰になっている。
明らかに理不尽な条件のすり替えではあるが、何故かおりなりは「そんなにぃ?」と流す。
松本は何食わぬ顔で海をアピール。「一方海は綺麗に透き通っていて、サンゴ礁が見えて、海の周りにはハイビスカスの花が咲いているんだよね」と言う。
するとおいなりは「ダメだろー!!お前の海、多分、沖縄だなっ!お゛ーいっ!!!海の最高峰沖縄を出してくるなっ!こっちは平均的な山でやってんだ!!!!」と
叫喚の全力ツッコミ。視聴者は松本の言った条件が沖縄かどうか、なんてこと全く気にしていない。
そもそも海派が"沖縄の海"を挙げること自体なにも問題ないように思えるし、勝手においなりが自分ルールで沖縄を持ち出された事にキレている。
何より問題なのは松本が勝手に「その山は頂上まで1ヶ月はかかる」と不利な条件をすり替えた事、現時点で視聴者が抱く最大の違和感に対してはおいなりがノータッチな点だ。
「あとっ!山はですよ、空気がおいしい!とにかく空気が透き通っております!」とおいなりが山をアピール。
返す刀でまたしても松本「空気がおいしいと言ってもさ、氷点下だから肺が凍っちゃうよ。しかもその山さ、今まで300名以上が亡くなってるからね」と条件をすり替えながら否定。
この時点で松本が勝手に山派の条件をヒマラヤ山脈にしている事は全視聴者が察する。にも関わらずおいなりは「あそう?」「あそんなにぃ?」と特に関心を持たない。
そして松本、海の魅力主張のターン。「一方海は焼きそば、焼きとうもろこし。文字通り美味しい空気が楽しめるからね」と言う。
「ダメだろーっ!!!お前の海、海の家ついてるなっ!!!お゛ーいっ!!!!!」
なぜか海の家がある事についてブチギレるおいなり。意味がわからない。
「沖縄のビーチ」と「海の家がある海」なら圧倒的に後者の方が身近である。「一般的な海」を想像して海の家が無い情景を浮かべるほうがレアケースだろう。
むしろ松本はおいなりに「沖縄のビーチ」というリゾート地を最初に挙げた事にキレられたので、おいなりに合わせて庶民的な海の楽しいところを挙げたように思える。
なのにキレるおいなり。自分の条件をヒマラヤ山脈にされているという理不尽にはノータッチで、理不尽なツッコミ。視聴者の頭の中はぐちゃぐちゃである。
もうこの辺で「まさか終盤でこれを伏線回収してオチに使うつもりなのか…」と不安がよぎる。
恐ろしい事にこのブロックはまだ終わらない。
おいなり「人の手使うなよ!こっちは人の手使ってないんだからっ!!さあっ!!」
山が自然そのもので人の手は全く加わってないかのような言い様である。言うまでもなく、おいなりの主張する「平均的な山」の場合…
というかレジャーを前提にした「平均的な山」だからこそ、登山道が整備され安全に登山が楽しめるようになっている。
草木が登山客の妨げにならないように伸びたら随時刈ってるだろうし、第一「山小屋」や「自販機」は富士山の頂上でさえ置いてある。
違和感に次ぐ違和感。ここで視聴者はある可能性について考える。ヒマラヤ山脈の場合、おいなりの言う事の筋が通るからだ。
「エベレストなどには整備されてないルートもあるはずだ。山小屋も多分無い。まさか、おいなりが最大の違和感にツッコまないのも、おいなりもエベレストを想定して言っているのか…?」
などと想像を巡らせながら漫才を見ている。笑えるわけがない。そして怒涛の展開が始まる。
おいなり「あと山はですよっ!とにかく美味しいものが沢山っ!もう山菜とか取れますからねっ!」
おいなり「あそう?」
おいなり「そんなにぃ?」
松本「一方海はスパムむすび、ロコモコ丼、なんでも食べれますからね」
おいなり「ダメだろーっ!!!お前とうとう、ハワイで来たなっ!!お゛ーいっ!!!!!」
大問題である。ここで遂に「山派の条件がエベレストになっている」という可能性も崩れてしまった。
頂上まで1ヶ月、300名以上が死亡、入山料が100万円という条件は疑いようがなくエベレストだ。しかしこれらの条件に「フキノトウ」が加わってしまった。
一応、調べてみた。日本語だけではなく英語でエベレストにフキが生えているか。案の定なかった。
なお、ヒマラヤユキノシタというヒマラヤ山脈原産の植物があり、これは氷点下46℃でも生きていけるという事は分かったが分類上はフキと全く関係がない。
多分これは単純な情報のミス、リサーチ不足だろう。というより視聴者がすぐにウソか本当か判断できない情報を無闇に出すべきではない。
フキノトウという100%生えてないとは即座に判断できない植物を出してしまったせいで「エベレストにフキノトウってあるの?」と視聴者は思ってしまい、余計な想像をする。
違和感の蓄積と「まさかこのままエベレストオチで終わらないよな?」という不安で視聴者の緊張はピークである。
そして恐れていた事態が起きる。
おいなり「お゛いっ!!ハワイ行ったじゃないかお前は!海外の最高峰を出してくるんじゃないよ!こっちなんてフキノトウ一本なんですからねっ!」
おいなり「…ダメだろーっ!!!俺の山、ずっと、冬じゃないか!!!お゛ーいっ!!!!冷たい景色に冷たい空気にフキノトウ、なんで俺は冬で戦ってんだよ!!!!」
おいなり「…ダメだろーっ!!!俺の山もしかしてエベレストだな!!!お゛ーいっ!!!!入山料めちゃくちゃ掛かって人が死んで一ヶ月かかる、これエベレストしか無いんじゃないか!!!!」
間髪入れない連続ツッコミ。これが最大のネタバラシであり盛り上がりどころと想定したと思われるが、視聴者は全員エベレストである事に気づいている。
ここまで引っ張ってエベレストじゃないパターンを期待していた。そして問題のフキノトウも全く処理されていない。それどころか畳み掛けでフキノトウというワードが繰り返し出たことで
違和感がいっそう強まっている。「エベレストにフキノトウってあるの?」という疑問がチラついてしようがない。まだフキノトウが無ければ幾らかマシになっていた。
そして終盤30秒を切ってようやく条件をすり替えられた事においなりがキレる。
おいなり「世界一の山でもレジャーとして厳しすぎるぞっ!もう反則負け!海の負け!山の勝ちでいいですかっ!?」
松本「いや絶対海の勝ちですから。だって海は水着美女たくさん見れますよ」
おいなり「ダメだろーっ!!!じゃ~あ、海の、勝ちでーす!!!来年一緒に行こうなっ!!どうもありがとうございました!!」
ここまで異常なまでに山に熱量を見せていた男が水着美女でコロっと白旗を上げる妙に気持ち悪いサゲで漫才は終わる。
■結論
漫才はツッコミのテイストに関わらず、基本的にボケが違和感の残る発言をし、それをツッコミが適切に指摘・解消する事で笑いに繋げる。
きつね日和は一度も適切に違和感を解くことが出来ず、最後まで違和感が蓄積し続けて笑いにならなかった。
「的はずれなツッコミを続けるおいなり」に笑うというケースも考えられ、もしかしてそれを意図して作ったネタの可能性もあるがM-1予選で使うにはあまりにリスキーである。それにだとすれば松本の指摘も少なすぎる。
とは言え特徴的なツッコミや同じパターンの反復で多少の笑いが起きても良いと思うが… 板の上の魔物
■きつね日和はどうすればよかったのか
・おいなりが「俺の山もしかしてエベレストだなっ!」と言った後に松本が矛盾点をつつき追い詰める展開を作る(「エベレストにフキノトウなんて生えてないよ」「山好きなのにそんなことも知らないの」「一般的な山だって登山道は人の手で作られてるよ」「山一択のくせにアピールポイント弱いな」等)
おいなりが海の家にブチギレたくだりですが、20回ほど視聴したところで
もしかして、おいなりは 「山は空気がおいしい!とにかく空気が透き通っております!」と自然の空気の良さを主張したのに
松本が「焼きそば、焼きとうもろこし、文字通り美味しい空気を楽しめる」という人工的なものをアピールしたので「人の手を借りるんじゃないよ!!」と言った可能性に気づきました。
それならば「海派か山派か」という大きな括りの議題の他に「"自然を"堪能できるのは」といった細かが議題を冒頭で言う必要があります。
おいなりが主張する前にそれぞれ「どっちが綺麗か」「どっちが自然を堪能できるか」「どっちがグルメがおいしいか」といった議題を言ってけば混乱を免れる事ができました。
昨日の土曜日。
数は10人ほど。
露出度は低かった。
俺は邪魔だなと思いつつ、コスプレを追い抜いて、山頂に立った。
山頂には結構な人がいた。
それでも何とか場所を確保して飯を食っていた。
そこでやんややんやの撮影会。
とくにかく邪魔だと思った。
マナー違反だと言ってやろうかと思ったが、コスプレするな、騒ぐな、写真を撮るな、というマナーは登山には無いか。。。と思いとどまった。
そんな時、道中にある展望台に、コメントノートが置いてあった。
そこには当日の日付で「山でコスプレするな!邪魔だとわからんのか!」と書かれていた。
さらに「いろんな人がいていいんじゃない?」という返信も書かれていた。
「私も迷惑だと思いました」という返信もあった。
俺は色々考えた。
その結論として「やっぱりコスプレ登山はダメだ」という結論になった。
山は自然を楽しむところ。
たいていの登山者はそれを求めている。
みんな静かだし、存在を主張しない。
マナー違反と言っていいだろう。
子が自閉症スペクトラムと診断された。
いわゆるアスペルガー症候群というやつだ。
2013年に診断の世界基準とされるDSMが改定された(DSM-5)ことで、アスペルガーは自閉症の一形態ということになっている。
診断と言っても、傾向があり可能性が相当に高いという話ではあるけど。
自閉症スペクトラムがその名の通り連続体(スペクトラム)なので個人差が大きく、
その上血液検査みたいなもので数値判定することもできず、症状が広範で明確に区別できないので診断も難しいと思われる。
今のところ知的障害はないように見える。
自閉症は他人と関わりを構築するのが苦手・或いはできないだけであって、知的障害を伴わないものがある。
幸いというか、数ヶ月前にあるきっかけで自分自身がアスペルガーではないかという疑いを持ち、
田舎であり心療内科の数がほとんどなく予約が取れないこと、主訴(実際に生活で困っていること)がないことから
心療内科にかかることもできなかったけど、思い当たることが多すぎて100%間違いないと確信している。
そしてその才能(アスペ)をいかんなんく発揮し自閉症スペクトラムについて無駄に広範な知識を手に入れ
診断がくだる前から知識武装がされていたこと・パートナーにその事実を伝えておいたことで
それで困難と感じていないのであれば障害ではなく個性と認識される。
その意味で高機能自閉症は「自閉症スペクトラム」であって、「自閉症スペクトラム障害」ではない。
いかに「障害」にしないか、がこれからもっとも重要なところだと思っている。
保育園も含めてどうこれから「介入」していくのかということを考えているときにふと気付いた。
本人を社会に順応させるのが目標ならば、家族は本人を取り巻く環境の一部であって、本人に合わせて介入される側だ。
ある程度知識を得たとしても、それは生半可なもので、臨床経験が豊富な人の意見に従う必要はあるだろう。
子供の教育に介入するのは、プライベートに土足で踏み込んで来るようなもの。
それなら我々が用意しておくのは雑巾(掃除道具)なんだろうなと。知識よりも心の準備の方が大切だなぁと思った。
未満児の段階で自閉症スペクトラムを診断される。
自分が同じように診断してもらえていたら、おそらく全然違う人生を歩んでいたんだろうなと思う。
障害を個性だと主張しても、やはり障害は障害なのだ、目が見えない人はどう頑張っても本を読めないように、
僕はどう頑張っても普通の人のように円滑な人間関係を築くことはできない。
努力で解決すべきか、諦めて他の道を探すかの選択をするときに、
「これは障害であり、自分には不利である」と分かっていたら、どれだけいい選択ができたことか。
姿勢が悪いのを物差しを背中に当てられて強制されるようなこともないだろうし、
(姿勢が悪いのもアスペあるあるらしい、おそらく同じ姿勢をとることがあまりなく自然に体幹が発達しないのだろうと推測)
時間の多くを長所を伸ばすことに当てられたらどれだけ良かっただろうか。
アスペルガーのもう一つの特徴は興味の局所性と集中であり、興味がないことはとことんできないということだ。
人との関係を構築する能力を失う代わりに得ているものがあるそうで、多くは数学的能力(論理的思考)か、言語的能力だそうだ。
自閉症スペクトラムの子供に調査を行ったアメリカの研究では、一人も自分の障害をなくしたいと思っている子はいなかったそうだ。
僕も同感だ。
障害が自分の能力の一部であり、危ういバランスの上にいることを自覚しているのだろう。
自閉症スペクトラムは遺伝性のものであるという強いエビデンスがあって、
自閉症の親から自閉症の子が生まれる確率は通常の50-100倍だそうだ。
そう、100%僕が悪い、と同時に、100%僕の親が悪い、と同時に・・・・遺伝とはそういうものだ。
妻には申し訳ないと思う。しかし生まれつき他人と違うというのは、メリットになりうる。
子にもそう思ってもらえるよう、色々模索して行きたい。
幸いと言っていいのか、僕も通ってきた道だ。
登山で延々藪漕ぎをするのはしんどいが、アスファルトで舗装されていても醍醐味がない。
ちょうどいい登山道を用意し、同時に登山道の作り方を教えて行けたらいいなと思う。
しかし楽観もできない。
知的障害がないとは言えないし、
これから発達が進むにつれて見えなかったものが見えてくるだろうし、
前途は多難だ。
ちなみに今のところ生活に何も困っていないが、特別児童扶養手当の申請はしておく。
困ってからではなく診断が出た段階で申請するのがベストだと思うし、
行政の用意してくれているセーフティネットには引っかかりやすくしておいた方がいい。
運よく検診で拾って貰えたのは本当によかった。
「必死にレベル上げしても全然強くならないし強くなっても同じことの繰り返しなゲーム」
「レベル上げはサクサクでレベルを上げる度に色々なことが出来るゲーム」
どっちの方がユーザーを惹きつけるかなんて考えるまでもないじゃん。
環境だったり才能だったりに恵まれて無い人はクソゲーを歯を食いしばりながらプレイして「もう無理だこのクソゲーもうやめる!」って投げ出しそうなのと日々戦ってる。
環境や才能に恵まれている人は「これマジで神ゲーだわ!」と日々のめり込んでいく。
そんな当たり前のことに対して何故か皆して「いいや、才能に恵まれているやつほど折れやすく、才能がないやつほど努力家なんやぞ?」と言い張る。
気持ちはわかるぜ。
生まれた瞬間に回したガチャの結果を生涯に渡って引きずり続け、どこまでも差がつき続ける惨めさに耐えなくちゃいけないんだからな。
才能がなくても些細な成功を楽しめばいいというのは簡単だが、いざ何かやりたいことが出来たとき、才能の無さや環境の悪さは残酷なほどに強烈に襲いかかるからな。
高い山に登りたいと思ったのに生まれつき手足が不自由で貧乏だから登山道具も揃えられない、そんなシチュエーションに人生のいたる所でぶつかることになるのだから。