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2019-01-11

新元号に「安」が入るべきでない理由

左翼の難癖のように思っている人も多いようなので

偏諱授与」からその問題性の解説を試みてみる。

まず「諱(いみな)」について。

諱とはざっくり言って本名のことである

織田信長で言えば「信長」が諱である

諱は「忌み名」に通ずると言われ、おいそれと呼んでいいものではない。

から織田信長には「上総介」という通称仮名)があり、

家臣や他の大名たちは「上総介様」「上総介殿」などと呼ぶわけである

ちなみに、これは実際に「上総介」という官職に任官されたわけではなく、官職風の呼び名にすぎない。

後に「右府様」「織田右府」などとも呼ばれているが、こちらは正式右大臣に任官されたから。ややこしいね

次は「避諱」について。

もともと中国に「避諱」という慣習があった。

これは偉い人の諱を使うことを避けるというもの

たとえば唐の二代目皇帝李世民の諱「世民」を避けるため、

その部下だった「李世勣」という武将が「李勣」に改名したり、

「民部」と呼ばれていた官庁が「戸部」に変更されたりしている。

一説には「観世音菩薩」が「観音菩薩」と呼ばれるのも「世民」の避諱だとか。

一方で、日本では「避諱」の習慣はあまり定着しなかった。

古代の「大伴」氏が淳和天皇の諱「大伴」を憚って「伴」氏に改姓したことや、

国家安康」で有名な方広寺鐘銘事件などは日本での「避諱」の一例と言えるが、

それよりも日本で広く行われたのは「偏諱授与」の慣習だった。

これは「そんなにも大切な諱を可愛い家臣にあげちゃうよ」というもの

たとえば松平信康長宗我部信親らの「信」や、

浅井長政黒田長政らの「長」は、

織田信長から偏諱と言われている(家臣だけでなく同盟国の嫡子かにも与えている)。

文字ある諱のうちの一文字だけを与えるので「偏諱授与」、あるいは「一字拝領」という。

ちなみに、偏諱でもらった字は、名前の上のほうに置くのが基本である

もっとわかりやすい例が伊達政宗さんところの家で、

政宗自身一族中興の祖の名前をもらったものだが、

その父親の「輝宗」は室町幕府第13代将軍・足利義輝の「輝」、

その父親の「晴宗」は室町幕府12代将軍・足利義晴の「晴」、

その父親の「稙宗」は室町幕府10代将軍・足利義稙の「稙」、

その父親の「尚宗」は室町幕府第9代将軍・足利義尚の「尚」…

と代々の将軍から偏諱をもらっており、

それだけ幕府との結びつきが強いということを示している。

さらに言うと、天皇から臣下への偏諱授与は極めて少ない。

後醍醐天皇の諱「尊治」から「尊」を授与されて足利高氏足利尊氏改名したくらいである。

さて、ようやく今回の新元号についてなのだが、

現在日本は「一世一元の制」ということで、

一人の天皇につき一つの元号しか制定されず、

その元号天皇の「諡号(死後に贈られる尊称)」になることが決まっている。

この諡号というのも、そもそも皇帝天皇を諱で呼ばないためのものだったりする。

そして、この元号を決定するのは内閣なので、

いわば天皇名前内閣首長である総理大臣が決めているに等しい。

まり新元号に「安」や「晋」の字が入った場合

偏諱授与ときわめて似通った構図になるのだ。

たか総理大臣が新しい天皇陛下に偏諱を与える」。

これは左翼よりもむしろ右翼問題視する事態だろう。

もちろん安倍晋三の諱は「晋三」なので、

名字である「安」はまだマシなのだが、

それでも安倍首相真の愛国者、真の勤王家であるなら、

自分名前が含まれるような元号は避けるのが当然だと思われる。

以上、長くなっちゃったけど、新元号に「安」が含まれることを危惧するのは、別にギャグでも難癖でもないよという話でした。

いや、まさか含めるわけがないじゃないか、本気で心配するなんて馬鹿馬鹿しいよ、という意味ではギャグだけどね。

2015-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20150518191230

こうして見ると高く評価されるにはいくつかの条件があることが分かる。

兵法書が書かれていること…孫武呉起・孫臏・曹操李靖・戚継光

中華統一に貢献していること…白起・王翦・韓信・劉秀・李靖李世民・徐達

異民族撃退していること…李牧・衛青・霍去病・班超・李靖・郭子儀・岳飛・戚継光・左宗棠

この中で三つの条件を全て満たしているのは李靖だけである

中国名

中国の名将について検索をかけたときによく挙げられている人物を紹介する。

春秋
孫武世界史上に名高い兵法書孫子」の著者。伍子胥と共に呉王が覇者となるのに貢献した。
戦国
呉起孫子と並び称される兵法家。いわゆる「呉子」。魯・魏・楚などに仕えたが、強引な改革で周囲の恨みを買って殺された。
孫臏「孫臏兵法」の著者。友人に裏切られて罪人となり脚を切断されたが、逃げ出した先の斉で将軍となり、「馬陵の戦い」で復讐を成し遂げた。
白起秦の名将。包囲殲滅戦の名手にして虐殺者。「長平の戦い」では四十万もの捕虜を生き埋めにした。そのあまりの強さから王に恐れられて賜死された。
李牧趙の名将。匈奴に大勝を収め、秦の大軍を退けたが、離間の計によって王に疑われて殺された。趙が滅亡したのは李牧の死からわずか三ヶ月後のことだった。
王翦秦の名将。趙や楚を滅ぼし、始皇帝中華統一に多大なる貢献を行った。猜疑心の強い始皇帝に誅殺されることもなく天寿をまっとうした。
楚漢
項羽秦軍の中心となり西楚の覇王と号す。戦では無敗を誇ったが、それまでさんざんに勝ってきた劉邦最後になって敗れ、自害した。
韓信建国の功臣。漢の三傑。「背水の陣」で有名。魏・趙・斉を降して劉邦天下統一を大いに助けたが、皇帝即位後は冷遇され、謀反を企んで処刑された。
西漢
李広匈奴戦の名将。弓の名手として知られる。若い衛青が台頭したのち、その下で不甲斐ない戦いをし、それを恥じて自刎した。
衛青匈奴戦の名将。苦労人で人格者。低い身分から取り立てられ、匈奴と戦って連戦連勝し、その功績により大将軍にまで出世した。
霍去病匈奴戦の名将。衛青の甥。天才肌で直情径行。若くして匈奴との戦いで活躍し、衛青を凌ぐ名声を得るが、24歳で夭折した。
東漢
劉秀東漢の初代皇帝。「昆陽の戦い」では100万と号する軍勢わずか1万の兵で撃破した。皇帝としては一代にして創業と守成を成し遂げ、功臣を粛清することもほとんどなかった。
班超中央アジアを平定し、東漢の最大版図を現出した。西域に三十年間も留まったのち、洛陽に帰還して一ヶ月後に亡くなった。
三国
曹操東漢末における群雄のひとりから三国鼎立中の最大勢力にまでなり、後の魏・晋の礎を築いた。兵法家詩人としても名を残す。
周瑜呉の名将。美男子で有名。「赤壁の戦い」において魏の大軍を破った。
南北朝
韋叡梁の名将。身体が弱かったため、戦場では鎧を付けず輿に乗り、竹杖で指揮していた。南北朝最大の決戦「鍾離の戦い」にて百万の大軍を破る勝利立役者となった。
陳慶之梁の名将。わずか7000人の「白袍隊」を率いて北伐を敢行、連戦連勝で洛陽まで陥とした。「千軍万馬も白袍を避ける」と賞された。
李靖建国の功臣。内戦においては中華統一に貢献し、外征しては騎馬民族騎馬戦術によって滅ぼした。中国史上屈指の名将とされ、李靖に仮託して兵法書李衛公問対」が書かれた。
李世民唐の二代皇帝。李淵の次子として、隋末唐初の戦乱において多大なる軍功を挙げ、そのまま兄を追い落として皇帝となった。政戦両面における名君として知られる。
郭子儀安史の乱を平定し、吐蕃ウイグルの侵攻を撃退するなど、幾度にも渡って国を救った。子孫、財産長寿に恵まれ万民から敬愛された。
岳飛対金戦の名将。忠臣として名高い。私兵を率いてたびたび金軍を破るも、和平派によって冤罪を着せられ殺された。
常遇春建国の功臣。常に先陣を切って戦った猛将で、日頃から10万の兵士を率いて天下を横行したい」と語っていたため「常十万」と呼ばれた。
徐達建国の功臣。謹厳実直にして冷静沈着。総司令官として北伐を行い、元をモンゴル高原へと追いやった。朱元璋からは功績第一と称賛された。
朱棣明の三代皇帝。甥の二代皇帝に反発して挙兵、圧倒的不利を覆して正規軍勝利し、帝位を簒奪する。皇帝となった後も、自ら軍を率いて積極的な外征を行い、明の最大版図を築いた。
戚継光私兵を率いて倭寇討伐に功を挙げ、また北方に赴いてモンゴル侵入を防いだ。倭寇に対抗するため、中国全土の武術をまとめあげ、日本剣術研究したことでも知られる。
左宗棠自らを今孔明と称した。太平天国の乱の鎮圧に貢献し、洋務運動を推進した。さらには回民蜂起の鎮圧、捻軍の鎮圧新疆奪回など、清軍の大黒柱として活躍した。

2015-04-17

世界史人物概覧

世紀
前6孔子(前551儒教の祖)
孫子(前544・『孫子』著者)
前5釈迦(?・仏教開祖
ヘロドトス(前484・歴史の父)
ヒポクラテス(前460・西洋医学の父)
プラトン(前427・哲学者
前4アリストテレス(前384・万学の祖)
アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王)
前3アルキメデス(前287・古代最大の数学者
始皇帝(前259・最初中華皇帝
劉邦(前256・漢の高祖)
ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術確立
前2司馬遷(前139・『史記』著者)
前1カエサル(前100・ローマの終身独裁官
ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人
オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝
イエス(前4・キリスト教開祖
1プトレマイオス(83・天文学者
2ガレノス(130・古代医学確立
張仲景(150・医聖)
曹操(155・三曹の一人)
3
4王羲之(303・書聖)
アウグスティヌス(354・古代最大の神学者
5アッティラ406・フン帝国の王)
6ムハンマド(570・イスラム教開祖
李靖(571・『李衛公問対』)
李世民(598・唐の第2代皇帝
7
8アブー・ムスリム(700・アッバース革命立役者
李白(701・詩仙)
杜甫(712・詩聖)
カール大帝(742・フランク王国
9
10フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者)
イブン・ハイサム(965・光学の父)
イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化)
11
12朱子1130・儒教の中興者)
サラディン1137・アイユーブ朝開祖
インノケンティウス3世1161・教皇権最盛期のローマ教皇
チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝
13トマス・アクィナス1225・『神学大全』著者)
ダンテ1265・イタリア最大の詩人
ジョット(1267・西洋絵画の父)
14羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』)
イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者)
ティムール(1336・ティムール朝建国者
ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用)
グーテンベルク(1398・活版印刷発明者)
15ジャンヌ・ダルク(1412百年戦争聖女
コロンブス(1451・アメリカの再発見者)
ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才
ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路開拓者
マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者)
ミケランジェロ(1475・芸術家
マルティン・ルター(1483・宗教改革
スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝
16エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利)
セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者)
ガリレオ(1564・科学革命の中心人物)
シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人劇作家
グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術確立
デカルト(1596・合理主義哲学の父)
17ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王)
ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父)
ニュートン(1642・科学革命の中心人物)
康熙帝(1654・清の第4代皇帝
バッハ(1685・音楽の父)
18オイラー1707・数学者
曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者)
アダム・スミス1723・経済学の父)
カント1724・哲学者
ワシントン1732・アメリカ初代大統領
ワット1736・蒸気機関の改良)
ラボアジェ1743・近代化学の父)
モーツァルト1756・音楽家
ナポレオン1769・初代フランス皇帝
ベートーヴェン1770・音楽家
ガウス1777・数学者
クラウゼヴィッツ1780・『戦争論』著者)
スチーブンソン(1781・鉄道の父)
ファラデー(1791・電磁気学の父)
バベッジ1791・コンピュータの父)
19ダーウィン(1809・進化論提唱
ポー(1809・ミステリの父)
マルクス(1818・共産主義提唱
ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王
パスツール(1822・近代細菌学の父)
ヴェルヌ(1828・SFの父)
モネ(1840・印象派の祖)
ロダン(1840・近代彫刻の父)
エジソン(1847・発明王
フォード(1863・自動車大量生産
ライト兄弟(1867・飛行機発明
アインシュタイン(1879・相対性理論を発表)
ピカソ(1881・画家
ケインズ(1883・マクロ経済学確立
グデーリアン(1888・電撃戦確立
ヒトラー(1889・ナチス指導者

2014-10-11

中華四大皇帝

漢「光武」劉秀

宋「太祖」趙匡胤

唐「太宗」李世民

清「康熙」愛新覚羅玄燁

 
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