はてなキーワード: 三輪山とは
続けます。
そうめんの里 | 【揖保乃糸ホームページ】兵庫県手延素麺協同組合
蒸し鶏のトマトそうめんが美味しそう。そうめん巻き寿司8巻も気になる。
どこだから分からなかったので、ネット上で人気があったなかぶ庵にしてみた。食事は昼のみ要予約。小豆島のそうめんについてはこちらも参照。
ちなみに手延そうめん専門店束の会というのは、1つ前で挙げた「阿波や壱兆」とか、ブコメでも「熱海にあったけど閉店した」と書かれている「そうめん次郎」が加盟している(いた)よ。
サイト見て高そうかな、と思ったけど、案外そうでもなかった。本格黒つゆのネギをかきこみたい。
Since.1717・手延べそうめんの老舗|株式会社三輪山本
「細さ約0.3ミリの超極細麺「白髪」の冷やしそうめん」かな。未体験の喉ごしなんだろうなあ。
そうめんとクジラのコラボレーション⁉‘‘生うね’‘が入った地獄煮そうめん 食事処『かわむら』(長崎県・長崎市) | 耳ヨリくじら情報 | くじらタウン
古墳については、出現の当初から近畿を中心に分布することが知られている。
3世紀前半の邪馬台国問題と直接関係しないと考えられてきたが、
『もういちど読みとおす山川新日本史』 山川出版社 2022年
「ヤマト」を中心とするヤマト政権に邪馬台国連合が直接つながる可能性が高くなった。
史料2に倭の女王(卑弥呼)が魏から銅鏡100枚を授けられたことがみえる。
それに該当する可能性があるのが、前期古墳に副葬された三角縁神獣鏡である。
吉野ヶ里発掘のニュースで、自分の中の邪馬台国畿内説vs九州説へのロマンが盛り上がったので書く
まず自分は古代日本史や考古学の全くの素人であることをお断りしておく。
古事記・日本書紀が伝説として好きで子どものころから繰返し現代語訳で読んでいた。
学生時代、九州旅行で記紀に地名が出てくる場所を訪れロマンを掻き立てられたこともあり、自分は昔から九州説派である。
奈良県がまとめている古事記ゆかり地マップは全国のゆかり地がマッピングされていて親切だ。
だが、ここ5年ぐらいで専門家の間では畿内説がほぼ鉄板となったという話は何度も聞いていた。
専門家の意見に一定の価値を置く自分としては寂しさを感じつつ受け入れていたが、今回のニュースで改めてググってみると、やはり改めて九州説を自分は強く推したいと思う。
(因みにネット上の情報は圧倒的に九州説が多いので、ネット情報を中心に接種すると九州説派になる模様。)
こう書くとバカみたいだが、
⇒ 埋葬されている王は歴史に残る大王であったと考えるのが普通
⇒ 中国との交易品を考えると邪馬台国は大国であったはず。纏向にあったのが邪馬台国でないなら、中国は地方の小国と交易していたことになり不自然。
ということなので、考古学的証拠から邪馬台国=大和国で、纏向に首都があったと考えるのは納得できる。
・新版 古代史の基礎知識 (角川選書)の前半(倭の五王まで)
まず邪馬台国=大和国は自分も同意。「たい」なんて音は日本語の発音になじまない。
そのうえで、自分はこのYoutubeで関川尚功氏が指摘している「女王の住居が奈良なら、伊都国(大宰府周辺と推定されている)で女王への贈答品の確認はしないだろう」という意見に強く賛成する。
https://www.youtube.com/watch?v=dA3e14517Ek
現代にも通じる物流の常識感で、中国から奈良まで水路でこの後運ぶ荷物の確認は、一旦寄港した福岡でなく最終水揚港の大阪付近になるはずだろう。
伊都国で贈答品の確認をしたという魏志倭人伝の記載はこのリンクでも紹介されている。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~smkodai/25route.html
記紀ではうっかりか意図的にかの違いはあれ、三輪山の神に去られた百襲姫が女性器を箸でついて死んだとある。これはどう見ても性交または出産に関したトラブルで死んだように読める。
また、その墓は夜は神が昼は人が作ったとある。この表現は緊張関係にある2つの部族が彼女のために距離を置きつつも協力して墓を作ったように読める。
卑弥呼が何歳で他界したかはわからないが、魏志倭人伝から長い治世だったと考えると性交出産トラブルで死ぬような年齢だったのか疑問がある。
次に、魏志倭人伝に卑弥呼が死んですぐまた国が乱れ台与を女王にたてたとあるので、争いあう二つの部族が卑弥呼の墓を一定期間協力して作ったというのが想像しにくい。
九州の大和国が卑弥呼を女王に立て勢力を伸ばし、彼女の在位中に近畿に東征し、奈良の三輪山周辺に拠点を持っていた大物主一族と姻戚関係を結びながら(神武天皇の皇后も大物主の姫)、最終的には大物主一族も亡ぼしたのではないかと思う。それが記紀で神武東征伝説として書かれた内容だろう。
卑弥呼が自分の兄弟である神武(または崇神)(※二人とも「はつくにしらすすめらみこと」)と共に近畿に移動したかわからないが、中年女は引越しを嫌うので九州に残ったかもしれない。
だが、ある程度近畿で大和国が勢力を持ってから即位しただろう台与は近畿で生活していただろう。
彼女が死んだとき、大物主一族と大和国の間は既に緊張がありつつ協力して墓を作るぐらいの関係性はあったのではないか。
その後、大和が謀略か戦争かで大物主一族を滅亡させたため、その祟りを恐れ、記紀にあるように一緒に祀っていた大物主と天照(卑弥呼か?)を分けて、それぞれ三輪山と伊勢神宮に祀ったのではないか。
吉野ヶ里で今発掘中の貴人の墓は、卑弥呼の墓として魏志倭人伝に書かれている径百余歩の大きさに到底及ばない規模らしい。自分は吉野ヶ里は卑弥呼の墓ではないだろうと思う。
卑弥呼の墓はまだ発見されておらず、台与の墓は先代と同じ規模にということで箸墓が径百余歩の大きさなのではないか。
魏志倭人伝にある邪馬台国の場所の説明は、神武東征が始まる前、または、まだ卑弥呼が九州に残っている時のものなのではないか。
ご機嫌はいかがでしょうか。今日はわたくしが思う最近の邪馬台国でありがちなこと8選を書いていこうと思います。
渡来人がとっても来てます! すごいです! 漢国(カラクニ)のまつりごとがずっと不安定で、昔から来てたみたいですけど最近ほんとに多いです。漢のような大きな国はもう興らないのでしょうか。
渡来人の人はいろいろな技を持っています。鍛冶だったり陶芸だったり機織りだったり。我が下女(はしため)たちの機織りも最新の技を学ばせています。
漢ってほんとすごい国だったんですね。漢a.k.a.KAMIって感じです!
でも問題がいろいろあります。移住者が多く、かつ彼らに頼る部分も多いですので、もともと我が国に由来のある者の中でネトウヨみたくなってる人がいます。また、早くから邪馬台国や他のクニにきた渡来人の子孫、すなわち在日漢国人の2世や3世と最近きた人とも文化に違いがあったりしてまつりごとの際には注意を払わねばなりません。基本的には皆さん仲良くやっているんですけどね。
1と関連するんですけど、漢国では文字を用いてまつりごとの決め事や指示を伝えます。すごいです! 文字は残りますから遠くに伝えることができます。我が国も相当大きくなりましたからね。
伊都国の一大率に命令を伝える時とか相当楽になりましたよ。私も論語や孝経を読んでいます。ちょっとずつわかるようになってきてます!
このきっかけになったのってやっぱり卑弥呼おばさんが魏に使いを出したことだと思うんですよね。我が国にいた渡来人の人にかなり手伝ってもらって魏に送る手紙の文章作ったんですけど。
卑弥呼ば様ったら気に入ってしまって外国の言葉ばかり使うようになっちゃったんですよ! 占いの結果とかにも。稲作はソリューションとか、部民ファーストとか、狗奴国との戦はワイズスペンディングとか言ったそうです。
これも完全に卑弥呼ばのせいなんですけど、最近の古墳はデカすぎる! 完全に卑弥呼ばさんがアホみたいなデカさの古墳に祀られたせい! これが各地で流行っとる!
これって戰が少なくなったのが関係してると思う。戦わない分、でけえ古墳に労力を回せる。
特に大都会吉備はすごいって話だ。わたくしあんまりお部屋から出られない(出るとめっちゃ怒られる)のでよくわかんないこともあるんだけど、確かに吉備からの貢物のレヴェルはダンチで高い。
だから大都会吉備の古墳も相当なんだろうと思う。わたくしもそれなりの大きさの古墳に葬られるんだろうと思います。
卑弥呼ばの時と明確にトレンド変わったなーと思うのがこれ。卑弥呼ばさんの頃ってまだ戦の名残がかなりあって、偉い人が死んだら、その墓に生きた人間を一緒に埋めてたんですよね。あ、殺してから埋めることもあったみたいです。あの世でお世話させるのですから当然と言えば当然です。でも最近の働き方改革でこの考えもだいぶ変わってきました。生きてる間はコメ作りとかやってもらった方が生産的なんじゃないかって。んで、代わりにと言ってはなんなのですが、古墳には須恵器で作ったモノを置くんです。昔はシンプルなデザインが多かったんですが、最近はこれを人型にできないか、つまり本当の人間じゃなくて須恵器で作った人間を置いてあの世で世話してもらう考えにしようじゃないかってソリューションが出たんですね。面白い話ですよね。それで、まだ現段階では実用化まで至っていないんですが人間とか犬とかの須恵器を作る研究が始まってます。ペッパーとかアイボみたいなもんでしょうかね! 漢国ではその昔、地面に土で作った人形をアホみたいに置きまくってマジカルな水で川を造って墓にした帝がいたらしくその辺りも参考にしてるらしい。温故知新ってやつ。
邪馬台国は長い時をかけて周りのクニを従えてきました。時には戰をして力で従えることもありましたが、最後は大戰をせずクニとクニとを束ねる中心として振る舞うことでここまで大きくなったのです。
平和外交ってやつですね。ま、やばくなったら戰をいくらでも仕掛けられるんですけどね〜。占いの結果で、男たちに戦うのが吉! と出せばいいわけです。
いずれにせよ平和が長く続くと身分が固まってきて格差社会になります。強い者の意図も汲みつつ、クニを支える弱き民にも優しく振る舞わねばなりません。漢国の書物にもそんなこと、かいてあります。
平和になってきたせいかそういう格差を感じることが多くなってきたようです。邪馬台国では偉い人が道を通るときに身分の卑しいものは退けて草むらでひざまずくんですが、その時の作法とか声かけとかに細かいルールを言い始めるマナー講師みたいな人が出てきてるようです。姫巫女の私がいうのもおかしいですがそもそも敬意を払いかつ効率よくすれ違えればいいのではないでしょうか?
邪馬台国は長い年月をかけて稲作と交易でここまで大きくなり他を従えるようになりました。奈良盆地以外でここまで大きく灌漑して稲作できるところ日の本にありますか。ねーだろ。他の地域は河川が大きすぎかつ交わりすぎなんですよね。排水良くなったら他の土地が都になるんでしょうけど。あと邪馬台国はいい場所にあるっぽい。東にも西にもいきやすい。
んで、稲作って大勢の人間が連携とって一年かけてやっていきますので非常に指揮系統を複雑にかつ大規模に行うんですね。とった米を屯倉(ミヤケ)に収める税の計算や市場で売る計算やそれに伴う運搬も複雑。人間をたくさん動かす。この仕組み、そっくりそのまま戦にも使えるんです。それで邪馬台国は戦にも強くなってここまできた。
ようやく本題で、稲作万歳! みたいな感じになってて、最近邪馬台国では稲作に携わらない人を下に見る風潮かなりあるんですよね。どんぐりとってる人とか、猪や鹿とってる人を卑しいって考える。みんな肉食べるのに。米と一緒に肉食ったら美味しいのに、そういう仕事は馬鹿にする。これ2000年くらいしないと解決しないかもしれませんね。
今邪馬台国の男のトレンドはアズマ! 東にみんな行ってる。狗奴国との戰がひと段落して、東に邪馬台国の人間が行きやすくなった。それ以前も貢物や商人の往来はあったんだけど、クニとして遣わしやすくなったってこと。サキタマってとこが熱いらしい。我がお兄様もサキタマ行って向こうで拠点を作っている。なんかすげえでかい川が何本もあって、下流は川と川が入り乱れて湿地になっているそーだ。これを全部水抜いてたんぼや畑にできたら、とんでもねえ。男のロマンってのがある。みんなサキタマサキタマ〜って言ってて、まだ奈良盆地で消耗してるの? とか煽る連中も出てきてる。そのうちサキタマでも古墳造ったりして。ベッドタウンってやつだ。
今までは邪馬台国の三輪山だけ拝んでればよかったんですが、邪馬台国もかなりでっかくなりましたからね、これからはもっと大きい、この島全体の神社を作らねばならないという話になってきてます。場所はどこがいいのでしょうか? 私も実は出張して調べることがあったのですが、邪馬台国の南側にとんでもなくでかい森があるんです。ここは神域であの世につながっているという話がある。ここがいーんじゃないかって。こんな感じでとにかくでかい神社を建てようという話があちこちで起こってます。そしてそこには鏡を置く。昔はもっと違った神器もあったみたいなんですけど、卑弥呼おばさんが魏から鏡もらいまくったのが決定打になってほぼ今は鏡ですね。剣とかもいいと思うんだけど。あと銅鐸使ってた人たちは邪馬台国に負けたので忖度して今は鏡使ってるみたい。銅鐸はどうしたの? って聞いたんだけど、埋めちゃったらしい。いいんだろうかねこれで。仕方ないか。
いかがでしたか? やっぱり卑弥呼ばの世って色々あって、そこから少し経つと世もだいぶ変わってきてると感じます。この国は一体どうなっていくんでしょうかね。それではまた。
素麺といえば、個人的には島原半島産のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のものが品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。
最近では、女優の満島ひかりが南島原市の公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。
島原半島の素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府が肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内の小豆島出身の人々がいたことから、彼らが島原半島に素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。
史料の有無や民間伝承の真実性は、専門家ではないから判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。
中央部にある雲仙普賢岳や高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地が半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島は瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定の説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである。
この島原半島の南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市と半島の北部〜東部〜南部を結ぶ、左右反転のC字形に半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部の島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である。
現在は市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名・西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかったからである。
「そうめんの町」という文字が建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島の南側地帯には、海の近くで小高い丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。
別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もない小さな神社である。境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神は菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である。確認した。技術革新、すごい。
よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神・配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。
配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮の境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。
神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県・三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺の祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初に我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺は三輪山へ通ず」といったところか。
それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術が島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである。
しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである『肥前国風土記』にある、次のような記述を思い出した。
景行天皇が、現在の熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。
この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社の島原半島に分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しかし最近、自分の記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店・日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである。確認は大事。
残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。
もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山の祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代に島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社が島原半島に分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたから安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由な妄想とは魅力的なものということである。
さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳の登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。
件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前国風土記』には記されている。日本古典文学大系の注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代や御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山の神体山信仰と類似しているので、面白い話である。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。
このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島の地名「南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島が島原市・雲仙市・南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。
しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰そのものは、これからも人々の精神の地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。
【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603
(程度の差はあり、中には最適な温度で地表に湧いている温泉もたくさんあります)。これは地面から湧いてくる灼熱の水を人間に適した温度まで水で薄めて利用していると言えます。ここで注目すべきはやはりマグマが関係していることと、熱い流体が地下から湧いてくる現象であるということ。そして温泉は火山の近くに形成されるということ。温泉はそれこそ風呂なんて概念を人類が運用する前から自然には存在していて、人類以外の動物も利用してきました。猿が風呂に入っているイメージなんかし易いですが、鹿や熊なんかも温泉に浸かるらしいですよ。それで火山の噴火による被害も昔からあったと思います、そりゃ地震も火山が原因で起こるので、「地震は人類が地球上に留まる限りその被害に遭い続ける」と言われるように火山の噴火も似たようなもんです。地震ほどもたびたび起こりませんけど(そうだったら人が土地に住めません)。何が言いたいかというと星の中にはマグマが流れていて、これは時に地上に激しく噴出しては火災などの致命的災禍となって人類を脅かしてきたという事実があり、そして鉱石や宝石や温泉といった、人類の利益になるものも火山の活動によってもたらされてきたので、人類がいままで継続してきた人類らしい生活を続ける限り、火山の脅威から完全に逃れることはできないってことです。マグマに焼かれる可能性を完全にゼロにしたいならば、既存の資源が採れる地上を捨てて空の上に逃げるしか道がありません。キリスト教では人間は人間である為に原罪というものを抱えていたので、神の子イエスさまは磔刑にかかるという形で人間の原罪を御許しくださったそうですが、罪を抱いたら落ちる先の地獄が灼熱の世界であることと、人類の文明が依存する金属資源が地下世界に流れる灼熱のマグマに由来することはなんだか面白い話に思えています。あとは、火山活動は間欠泉の他にはしばしば人間に有毒な気体を地面から吐き出させることがあり、この毒ガスにまかれて人が死ぬ事件なんかも昔からあります。ドラゴンは火を吐く他には毒の息を吐くなんて話もあるので、地獄が火山に由来するものであるならば、ドラゴンの活動とはすなわち火山に由来を見出すことができます。これで宗教的で、地理的で、人類学的なドラゴンの話は終わりです。
結びに、あまり触れられなかった気象的なドラゴンの話に急ぎ足で触れたいと思います(こっちは語れるほど詳しくないので一番最後になりました)。
ドラゴンもしばしば気象を操り、毒の息や火を吐く他には雷を吐くなんて言われます。怪獣映画のゴジラに出てくる怪獣キングギドラは雷のようなジグザグに飛ぶ光線や、ずばり雷そのものを吐き出しますがあんな感じです。
これは山の天気が変わりやすいという話と関連づけられて話されます。高い山の上は気象学的に雷雨が発生しやすいそうで、ここで発生した嵐がそのまま人里まで降りてきておそろしい災害をもたらしたこともヨーロッパでは珍しくなかったそうです。西洋の山々は高く険しい秘境で、ドラゴンの他には魔法使いが住んでるとか言われ、その険しさゆえにとても道路として利用できるような場所ではないので、いまよりも適切な登山道具や技術が普遍化されていない昔の時代に住んでいた人が山越えをするとなると、それは決死の覚悟で臨むものでした。つまり山の上には滅多に人が行き交うことがなかったので、空想のドラゴンやお伽話の魔法使いが住んでいてもおかしくないと言われたのでしょう(そう言われても嘘か本当か確かめるのが現実的ではない)。
また「雨を降らせる」とか「気候を操る」とか言われるとピンと来る方もいると思いますが、東洋の龍はもっぱらそういうことをする存在で、火よりも水と関連づけられていることの方が多いようです。川の化身なんて言われることもあって、こういう姿はジブリ作品の千と千尋の神隠しに登場したハクという人物のテーマにもなっています。水は高きから低きに流れるとか言う通り、山から人里に向かって川が形成されている様子をじかに確認することが日本では現実的であったので(日本の山でも人死はたくさん出ていますが、山越えに臨めばほぼ間違いなく死ぬと言われるほどではなかったようです)、川の神である龍は山の神もまた兼任することがあり、日本人の昔話的世界観において山と川とは切り離せない親しい関係にあります。というか、ずばり川の中に竜宮城がある(浦島太郎の話に出てくる、海の中にあったというあの竜宮城とほとんど似たようなものです)場合もあります。山の中にあるという鬼の居城もこの竜宮城が零落して悪評に貶められたと考える向きもあり、有名な鬼の祖に龍神が数えられていることもあります(酒呑童子という鬼の祖は伊吹山の神であると言われ、これは素戔嗚尊という英雄に退治された龍神のことだと言われています)。それで「山の気候は変わりやすい」なんて言い回しは日本人がよく口にする言い回しなので、山の神である龍が雨を降らせて川を流すという話はそういう思想が背景にあると思われます。奈良の大神神社に坐す大物主なる神はたいへん好色の蛇神として知られ、イケメンの男性に化けてから人間の女性と夜な夜な逢引をしていたというロマンチックなエピソードがある一方で、機嫌を損ねた時には疫病を流行らせて人を大勢殺したので時の天皇を困らせたとも言われています。この大物主が住むというのも三輪山という名山で、奈良のその周辺は川と山とに囲まれた肥沃な土地であったと言われています。今でも風景が綺麗なので、近くに住んでいるなら見に行くのも悪くないと思います。話が脱線しましたが、疫病が流行るというのはいろいろ理由がありますけど、川の氾濫といった水害が原因でも発生します。川から水が溢れて街が水に浸かると、下水道という設備がなかった昔はトイレの汚物が街中にぶちまけられるというのも珍しくなく、川の底のかき混ぜられた汚泥と一緒に環境を汚染するのでたいへん不衛生でした。なので的確に対策をこうじなければそこからあっという間に病気が流行り始めるのです。川が溢れると畑がダメになって作物…つまり食べ物もとれなくなるので、飢えて体が弱り病気になりやすくなるというのもあります。川がなければ水を畑や田んぼに引くことが難しく農業が瀕するので全く無いというのは困りますが、川が溢れ出しても人間は困るのですね。なので川と龍が縁深い日本では、川の工事(水害対策)に従事していたと言われる仏教の僧侶が悪さをする龍神をこらしめて改心させるなんて話も結構あります。西洋における聖ジョージやジークフリートなんかが、日本においては偉いお坊さんになってしまう訳です。すこしがっかりするような話ですね。そういったように、悪者のイメージが根強い西洋のドラゴンに対して、日本の龍というのは非常に気まぐれな存在で善悪両方の属性を持ちます。人間を助けることがあれば人間を脅かすこともあるし、人間に助けられることもあれば人間に倒されることもある。ところで東洋の龍という括りでいうとそもそも「龍」という漢字と考え方自体は大昔の中国にあったというたいへん豊かで大きな国からやってきたとも言われますが、中国文明は三大文明が一つ黄河文明と数えられている通り黄河という大きな川が育てた土地を耕して発展していったので、そりゃあもう川の整備には手を焼かされたそうです。大洪水で国中が水浸しになってみんなが困ったので、見かねた仙人が龍に乗って山から降りてきて洪水を治めたのでたいへん感謝され、皇帝の座についたという伝説もあるくらいです。というか、日本の坊さんがどこで川の整備技術を学んだかと言われれば当時の中国で学んできました。もっと正確に言えば、治水技術に秀でた仏教の僧侶が日本に布教するのにやってきて広まったのです。ユーラシア大陸から、「龍」という漢字や東洋龍のイメージと一緒に、「龍」と形容されるほどの荒れた川を治める技術もやってきたのです。お互い川を見ながら川の周辺で農業やって生活してきた民族なので、当時から生活風景がそこそこ似通っていたのでしょう。なので龍神は今日に至るまで日本の思想世界に受け入れられ親しまれ、日本独自の派生も見られるほどになりました。
誰かの空想からはじまった存在が、国を渡って話されどんどん遠くまで伝わって、その国でしか見られない風景や生き物の姿を継ぎ足して、そこに住む人々の固有の文化におさまっていく様子を前から後ろへと辿ってみるのは大変面白い娯楽でありました。今回は特にドラゴンについて言及しましたが、とてもキメラテックな話だったでしょう? キメラテックなのもたまには悪くないという気持ちに僕はなってきました。
更なる余談ですが、東洋の龍の「胴体が長く、翼を持たず、身体をくねくねさせて空を飛ぶ」イメージ(アニメ日本昔話のオープニングのようなやつです)なんですが、胴体のところは蛇をモチーフにしてあるのは一目瞭然ですよね。完全なる受け売りなんですが、この龍の顔の部分は馬をモチーフにしているという説があるそうです(髭があるところとか)。確か神武天皇だったと思うんですが、彼の皇が長旅をされた時に愛馬に水を飲ませようと泉に立ち寄って、その時誤って剣でその馬の首を切り落としてしまったそうです。自分が殺された側なのに、自分が死んで大泣きして悲しむ皇の姿をあまりにも気の毒に思った馬は、首だけで泉の中を泳ぎ始めてやがて馬のような顔を持つ魚になった、なんて伝説があります。空を泳ぐ龍が馬の首を持つ一方で、馬の首が泳ぎ出して魚になったという伝説もあるのは面白く、たまに関連づけて語りたくなります。ただ学問的な裏付けのないこじつけなので、こういう笑い話の場でしか言及しないことにしています。
ここまで読んでいただいた方がいらっしゃるなら、たいへん貴重なお時間をいただきました。あなたに御礼さしあげます。ありがとうございました。
(追伸、語り口調で一行が長かったり、誤字脱字が多くて申し訳ありませんでした。ちゃんと推敲する習慣をつけようと思います。重ねて、ここまで読んでいただきありがとうございました。)
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56