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はてなキーワード: 前漢とは

2018-05-21

深慮遠謀か深謀遠慮か遠謀深慮か遠慮深謀か

どの組み合わせでも成り立つのはすごいと思うけど、そもそも最初はどれだったんだろう。

辞書によると「深謀遠慮」は前漢の人・賈誼による「過秦論」が初出だそうで、さすがにこれが一番古いのかな?

http://fanti.dugushici.com/ancient_proses/70567

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709154334

前漢

魏呉蜀

後漢

 

ぐらいおさえておけばOK

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170629234043

出典『老子道徳経

(中略)

馬王堆帛書では「大器免成」であり大器に完成はないという意味だった。本来前後の句とともに「道」は無形無限のものであるということを表していた。

大器晩成 - ウィクショナリー日本語版

馬王堆帛書ってなんじゃらほい。

馬王堆帛書

1973年12月、馬王堆三号漢墓から出土した帛書(はくしょ)で、12万余字に及ぶ厖大な量である。帛とは絹のことで、紙が普及するまでは竹簡木簡などの他に絹が使用されていたことを証明している。絹は保存が困難で伝来するものは稀であり、重大な発見となった。内容は、天文星占に関するもの医学に関するもの、陰陽五行に関するものなどで、これらは前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物とみられている。これに書かれた文字は、「篆書から隷書に至る過渡的な段階にあるもの。」といわれているが、「篆隷中間書というはっきりしないものではなく、正しく整形した一書体に定着した新書である。」との見解もある。

馬王堆帛書とは - ウィキペディア小見出し辞書 Weblio辞書

まり馬王堆帛書老子道徳経いちばん古いの?

出土資料としては、郭店一号楚墓から出土した残簡(郭店楚簡)が最古である。それに次ぐものとして馬王堆漢墓から出土した2種類の帛書(『老子帛書』甲・乙)がある。

老子道徳経 - Wikipedia

じゃあ最古である郭店楚簡では大器晩成はどうなってるの。

郭店楚簡『老子』は、「大器晩成」(第四十一)を「大器免成」(大いなる器は完成することがない)に作る旨が述べてあり、これは腰巻にも紹介してあるから、本書の「売り」の一つなのかもしれないが、蜂屋前掲書によれば、帛書乙本が「免成」であって(帛書甲本は缺字)、楚簡は「曼城」となっているという(p.199)。もっとも、「曼」は「無」に通じ、「城」は「成」の通假字とのことだから、「免成」と「曼城」とは同義なのであろう。

http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20140412

どっちにしろ完成はしないわけだ。

「『大器晩成』の句はとくに有名であるふつう、『大人物の完成には時間がかかる』として、不遇な人を励ましたりするのに使われるが、それは『老子』の真意ではない。『晩成』ということばは、文字どおりには『できあがるのがおそい』であるが、前後の句との関係で考えると、むしろいつまでも完成しない、その未完のありかたにこそ、大器としての特色があるということであろう。できあがってしまうと形が定まり、形が定まれ用途も限られる。それでは大器でなかろう。」

金谷治老子』(講談社学術文庫1997年)136-137頁

http://cgi.shinkyaku.com/p.cgi?130317a/40

総合すると、晩成だろうが免成だろうが「大器は完成しない」が真意だが、もちろん老子は「完成しないかダメだ」と言っているのではなく、「完成しないからこそ大人物なんだよ」という意味合いになるのだろう。

そもそも、該当部分ってまるごと「故建言有之」だから「昔からこう言われてるよね」という引用にすぎなくて、老子自分自身言葉で語っている(いやそもそも老子存在自体が怪しいけど)のは「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡 下士聞道 大笑之 不笑不足以爲道」、つまり(追記:自分なりの解釈を書いていたけどやっぱり難しいので削除するね)みたいな話で、それの例示なんだから「大器にはこれと決まった形がないんだから完成することもない」といったところなんだろうね。

2016-07-13

 「明治」の出典は『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられました。明治改元にあたっては、学者松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号候補の中から明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました。

五経の一つ。儒家重要経典宇宙原理・万象の変化を陰陽二元をもって説き、人間道徳も陰陽消長して万物を生成する天道に従うべきだと説く。

※『書経五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典

※『五経中国古典である経書のうちでも代表的な五つの書物。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。前漢武帝時代に、この五書を五経と名づけ、それを専攻する五経博士を置き、儒教国教化したときに始まる。儒家基本的教科書であった。

※『史記二十四史の一つ。黄帝から前漢武帝までのことを記した紀伝体の史書。

ふーん。て事は、やっぱ漢文とか国語学者みたいなのと一緒に決めるんかな

公募はないよね

2016-01-14

中国歴代王朝対策と結果」に期間と補足を追記してみました。

http://anond.hatelabo.jp/20160113194003

元増田面白かったので期間と()で補足を追記してみました。

王朝期間対策結果
257王が諸侯領地を与え、諸侯世襲でその領地を治める 諸侯の力が強くなって群雄割拠となる
19領地皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める 中央集権に対して地方から反発が起こる(陳勝呉広の乱)
前漢225中央は直轄とし、地方皇族世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る 皇族の力が弱くなったことで外戚が専横(新朝建国
後漢161外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する(皇太后竇氏の垂簾政治外戚に代わって宦官が専横
後漢36宦官の悪政に対する反乱(黄巾の乱)を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する 地方豪族が強大化して群雄割拠となる(三国時代
19地方豪族の力を弱めるため、官吏地方人材推挙するよう改める 官吏人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する
26後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する 皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる(高平陵の変)
39皇族の力を強めるため、皇族優遇する 皇族同士の内乱が起こる(八王の乱
12皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる 異民族に滅ぼされて群雄割拠となる(永嘉の乱
南北朝 84異民族が国を建て、統治のために漢民族同化する 異民族の気風を残す辺境軍閥が反乱を起こして国が分裂する(六鎮の乱)
南北朝 66軍閥の代わりに徴兵制に改めて、辺境防衛を任せる 領土が拡大すると遠く離れた辺境兵士を送るのが難しくなる
29貴族解体するため、試験によって官吏を登用するように改める(科挙教養のみを重視して実務を軽視するような文弱化を招く
289徴兵制では辺境防衛が難しいため、募兵制に改めて辺境軍隊を置く 軍閥化して反乱が起き、群雄割拠となる(五代十国時代
167軍閥が力を持たないよう、中央官吏の力を強める 文弱化して異民族に敗れる
89漢化して弱体化しないよう、異民族の気風を保つ 差別された漢民族の不満が溜まって反乱が起き、群雄割拠となる(紅巾の乱)
276外戚排除して皇帝独裁体制を構築する 暗君が続いて弱体化し、異民族に敗れる
268漢民族統治するために漢化する 漢化して弱体化した国軍では反乱(太平天国の乱)を鎮圧できず、代わって活躍した義勇軍軍閥化して専横

中国王朝名の覚え方(アルプス一万尺版)

殷周 東周 春秋戦国前漢 新 後〜漢

アル プス 一万尺 こ やり の うーえで

魏 蜀 呉 西晋 東晋 宋 斉 梁 陳 隋

ア ル ペン 踊り を さぁおど り ま しょ

五胡十六 北魏 東魏 西魏 北斉 北周

ラーラララ ララ ララ ラーラララ ラララ

隋 唐 五代十国 宋 金 南宋 元 明 清

ラーラララ ララララ ラ ラ ララ ラ ラ ラ

anond:20160113210058

もっと雑にしてみる

春秋戦国時代の戦乱を治めて統一王朝を作る農民反乱(陳勝呉広の乱)を切っ掛けに滅亡
前漢秦滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る王莽簒奪禅譲)により滅亡
古(千年前)の周の政治理想として無理矢理適用する 農民反乱(赤眉の乱)を切っ掛けに滅亡
後漢新滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る農民反乱(黄巾の乱)を切っ掛けに滅亡
三国時代の戦乱をほぼ治めてほぼ統一王朝を作る司馬炎簒奪禅譲)により滅亡
三国時代の戦乱を治めて統一王朝を作る劉裕の簒奪禅譲)により滅亡
南北朝時代の戦乱を治めて統一王朝を作る大規模公共事業と大規模軍事遠征負担が原因で各地で反乱が起き滅亡
隋滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る農民反乱(黄巣の乱)を切っ掛けに滅亡
モンケ死後の戦乱を治めて統一王朝を作る農民反乱(紅巾の乱)を切っ掛けに滅亡
元滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る農民反乱(李自成の乱)を切っ掛けに滅亡
明滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る農民反乱(太平天国の乱)を切っ掛けに衰退・滅亡

http://anond.hatelabo.jp/20160113194003

2016-01-13

中国歴代王朝対策と結果

王が諸侯領地を与え、諸侯世襲でその領地を治める諸侯の力が強くなって群雄割拠となる
領地皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める中央集権に対して地方から反発が起こる
前漢中央は直轄とし、地方皇族世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る皇族の力が弱くなったことで外戚が専横
後漢外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する外戚に代わって宦官が専横
後漢宦官の悪政に対する反乱を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する地方豪族が強大化して群雄割拠となる
地方豪族の力を弱めるため、官吏地方人材推挙するよう改める官吏人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する
後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる
皇族の力を強めるため、皇族優遇する皇族同士の内乱が起こる
皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる異民族に滅ぼされて群雄割拠となる
南北朝異民族が国を建て、統治のために漢民族同化する異民族の気風を残す辺境軍閥が反乱を起こして国が分裂する
南北朝軍閥の代わりに徴兵制に改めて、辺境防衛を任せる領土が拡大すると遠く離れた辺境兵士を送るのが難しくなる
貴族解体するため、試験によって官吏を登用するように改める教養のみを重視して実務を軽視するような文弱化を招く
徴兵制では辺境防衛が難しいため、募兵制に改めて辺境軍隊を置く軍閥化して反乱が起き、群雄割拠となる
軍閥が力を持たないよう、中央官吏の力を強める文弱化して異民族に敗れる
漢化して弱体化しないよう、異民族の気風を保つ差別された漢民族の不満が溜まって反乱が起き、群雄割拠となる
外戚排除して皇帝独裁体制を構築する暗君が続いて弱体化し、異民族に敗れる
漢民族統治するために漢化する漢化して弱体化した国軍では反乱を鎮圧できず、代わって活躍した義勇軍軍閥化して専横

2015-07-14

Wikipediaに憤死したと書かれている有名人

李広

前漢武将。衛青に従って匈奴征伐に出陣したが遅参してしまい「慣れない搦手の部隊に回されたせいで道に迷ったじゃねぇか!」と逆ギレして憤死。

周瑜

三国志演義』に登場する呉の武将諸葛亮にことごとく策を読まれた上に「どうせ俺に勝てないんだから曹操に隙を突かれる前にやめたら?」と言われて憤死。

于禁

三国時代の魏の武将。有力な将軍であったが関羽に敗れて降伏した。のちに魏に送り返されたあと、関羽に命乞いしている場面の絵を見せられて憤死。

曹丕の項にて「憤死」を確認

王朗

三国志演義』に登場する魏の政治家。戦いの前に諸葛亮に論戦を挑むも「逆賊曹操に取り入って私腹を肥やしたくせにまだ手柄が欲しくて戦場に出てくるのかこのジジイ」と罵られて憤死。

曹真

三国志演義』に登場する魏の武将。陣中で病にかかり重体となり、それを察した諸葛亮がここぞとばかりに送った挑発的な内容の手紙を読んで憤死。

陸遜

三国時代の呉の武将老害と化して後継者問題引き起こし孫権が周囲の讒言を信じて何度も問責してきたため憤死。

蕭衍

梁の武帝。当初は名君だったが仏教に傾倒して国を衰退させ、宇宙大将軍が率いるたった1000人の反乱軍に敗れて首都を包囲され降伏幽閉中に蜜を求めたが与えられず憤死。

侯景の項にて「憤死」を確認

ベリサリウス

東ローマ帝国武将東ローマ帝国の最大領土を築き上げたが、皇帝から必要ときに呼び出されてこき使われるだけの不遇な人生を送り、最後には無実の罪で逮捕されて憤死。

早良親王

兄・桓武天皇から藤原種継暗殺事件関係した疑いをかけられて流罪に処され、無実を訴えて絶食し憤死。

ボニファティウス8世

ローマ教皇フランスフィリップ4世対立して監禁されて「異端者」と罵られて殴られて身ぐるみ剥がれて憤死。

2015-05-19

anond:20150518191230

前漢の名将で低評価なのが呉楚七国の乱という皇帝一族が国を二分させて起こした反乱を1年で鎮圧させた周亜夫。

2014-05-07

中華料理

中国料理調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的ものとして社会的公認されている料理山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国大料理”と称されている。これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方歴史と切り離して語ることはできない。またその地方地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面江南美人山東安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理風流典雅な貴公子四川湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである

一 山東料理(魯菜)   

宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京天津東北各地に対して大きな影響を与えた。現今の魯菜は済南、膠東両地方地方料理が発展したものである。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られ、コンソメ(清湯)とクリームスープ(奶湯)の調理法に長じ、コンソメは淡白上品クリームスープは純白で濃厚である。済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、有名な料理には“糖酢(甘酸っぱい味付け)黄河鯉魚”、“九転大腸”、“湯(スープ)爆(煮炒め)双脆”、“焼海螺(ホラガイ)”、“焼牡蠣”、“烤(焙り)大蝦”、清湯燕巣“などがある。

  

二 四川料理(川菜)   

秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり現在では世界中四川料理レストランを見出すことができる。正統四川料理成都重慶地方料理代表される。精選された原材料、規格の重視、主従明確な盛付けの彩り、鮮やかなハーモニーを誇っている。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。他地方には余り見られない辛味、酸味、痺れ感のある料理として人口に膾炙し、四川料理独特の風格は“一皿一味、百皿百味”と賞賛されている。調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じる。四川料理総合的な味付け、濃厚なだし味に特徴があり、塩味、甘み、痺れ感、辛味、酸味の五味を基本として、さらに各種の調味料を配合し基本的家庭味、巧みな塩味、魚香味、レイシ味、複雑な妙味など23種類の複合味付けが) 確立されている。代表的料理には“大煮干絲(干し豆腐の千切り)”、“黄燜(醤油と酒の煮込み)鰻”、“怪味鶏塊”、“麻婆豆腐”などがある。   

三 広東料理(粤菜)   

前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。広東料理広州、潮州、東江の三地方料理代表として形成されている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。一般に夏秋には淡白を求め、冬春には濃厚に傾く。味付けにはいわゆる五滋(香り、歯ざわり、臭み、滋味、濃厚さ)、六味(酸味、甘み、苦味、塩味、辛味、旨み)の別がある。調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、盛付けの彩りは重厚で、その滑らかさは飽きが来ない。蛇、ハクビシン、猫、犬、サルネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。 

四 福建料理(閩菜)   

福建料理福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州アモイなどの地方料理代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。調理法は油炒め、餡かけ、ソテー、煮込みに長じ、特に“酒糟味”は独特である。福建は東南の沿海に位置しているため、ハモ、アゲマキ、イカ、イシモチナマコなどの海鮮が豊富で、それらを原材料とした調理法に独自のものがある。有名な料理には“仏跳墻”、“酔糟鶏”、酸辣爛魚“、“焼片糟鶏”、太極明蝦“、清蒸加力魚”、“荔枝(レイシ)肉”などがある。 

五 江蘇料理(蘇菜)   

南北朝時代発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。江蘇料理蘇州揚州南京、鎮江の四大菜代表として構成されている。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である調理法は煮込み、遠火焼き、蒸し焼き、油炒めに長じる。調理する時には原材料を厳選して配色、盛付けを重視し、四季の別がある。蘇州料理は甘みに特徴があり、彩りのハーモニーが素晴らしい。揚州料理は淡白で口

当たりがよく、主食材の味がうまく引き出され、切り込み法に優れて味がよく滲みこんでいる。南京、鎮江料理は濃厚な味付け、精緻な造りで、特にアヒル料理はその名が高い。有名な料理には“清湯火方”、“鴨(アヒル)包魚帳翅”、“松鼠桂魚”、西瓜鶏“、“塩水鴨”などがある。   

六 浙江料理(浙菜)   

杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。浙江は魚、蝦類の産地であり、また山紫水明の有名な観光名勝地であるため、民間伝承の有名料理も多く、造りも精緻で変化にも富んでいる。調理法は油炒め、揚げ物、揚げ炒め、餡かけ、蒸し物に長じている。盛名を誇る料理には“西湖酢魚”、“生爆鱔片(タウナギ)”、“東坡肉”、“竜井(竜井茶)蝦仁(エビの剥き身)”、“干炸(粉衣揚げ)響鈴”、“叫化童鶏(若鶏)”、“清湯魚圓(魚のすり身団子)”、“干菜(乾燥野菜)燜肉”、“大湯黄魚(イシモチ)”、“爆墨魚(イカ)巻”、“錦繍魚絲”などがある。 

七 湖南料理(湘菜)   

湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部山間地帯料理代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子燻製肉を多用する点にある。味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。調理法塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じる。有名料理には“腊(塩漬け肉)味合蒸”、“麻辣子鶏”、“紅煨魚翅(フカヒレ)”、“湯泡肚(臓物の胃)”、“氷糖湘蓮(蓮の実)”、“金銭魚”などがある。   

八 安徽料理(徽菜)   

長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。安徽料理は山海の珍味で名高く、南宋の頃には早くも“沙地馬蹄鱉、雪中牛尾狐”が有名料理として知られている。調理法は遠火焼き、煮込み、煮物に長じている。有名料理には“符離集焼鶏”、“火腿(ハム)炖甲魚(スッポン)”、“腌鮮桂魚”、“火腿炖鞭笋(竹の地下茎)”、“雪冬焼山鶏”、“紅焼果子狸(ハクビシン)”、“奶汁肥王魚”、“毛峰燻鰣魚(ヒラコノシロ)”などがある。

中日对照烹调食品用语  北京料理 

北京烤鸭:北京ダック 北京式鴨の丸焼き

宫爆田鸡:かえる唐辛子の炒め  

羊肉:羊肉のしゃぶしゃぶ  

炸虾球:えび肉団子のフライ  

酱爆鸡丁:鶏肉味噌炒め  

蛰皮鸡丝:クラゲ鶏肉のあえもの   

烧三白: 鮑、鶏肉アスパラガスの煮物 

牛尾汤:牛尾スープ  

香茹玉米汤:とうもろこしとマシュルームのスープ  上海料理  

酱烧青蟹:蟹の味付煮    

西湖醋鱼:淡水魚の蒸しあんかけ  

生炒鳝鱼片:田うなぎのこまきり炒め

糖醋排骨:骨付スブタ  

黄焖鸡块:鶏肉唐揚げの煮物

 红烧甲鱼:スップンの甘煮

  四川料理  

鱼香肉丝:魚の味を出した豚肉唐辛子炒め  

回锅香肉:豚肉香り炒め  

麻婆豆腐:マーボーどうふ  

豆瓣鱼:魚の唐辛子味噌    

成都子鸡:鶏肉成都風炒め  

樟茶肥鸭:楠の木と茶の葉でいぶした鴨

 

  广州料理  

腰果虾仁:クルミとえびの炒めもの  

脆皮鸡:広東式揚げ鶏  

锦绣排翅:ふかのひれのうま煮  

鲍鱼香茹:鮑とマシュルームのあんかけ  

豉汁蒸鱼:マナガツオとモロミの蒸し物  

生炒鲜干贝:生貝柱の炒め物 

广州炒饭:中国式ベーコン焼肉入りの五目チャーハン 

中国についてアナタはきっと強く好奇心を持っていますね~(^ω^)(^ω^)(^ω^)まあ、もっと詳細の中国基本情報は下のサイトをご参照ください。

http://www.japinchina.com/

メールアドレス:cs1@japinchina.com

2008-04-15

「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる天下三分の計

※書き手は赤壁の戦い以前の劉備玄徳

ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっと言い訳をするのが好きで、理屈を説明するのが好きだったんです。

でまぁ、当時も今と変わらず領土がないんで、

孔明と飲みながら「領土がない、だから天下統一ができないんだ」と文句言ってたのです。

江夏で。

したらまた、この孔明が「じゃあ、わかった」と言うのです。「今から赤壁に行こう」と。

水上戦なんかしたことないオレは焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。

でも孔明は、少し遠くで飲んでいる孫権周瑜を指さし、「あそこ行って同盟を組もうぜ」と言い、席を立ちます。

オレは「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがにうざいっしょ」とか言って止めます。

孔明は「襲われたら小舟をつけて趙雲を待機させておけばいいんだよ」と言ってましたが、オレが動こうとしないので行くのをやめました。

「じゃあ、孫権と組まずに、曹操と組むか?」と孔明は言います。

「逆にそっちの方が難易度高いだろ」とオレは顔をしかめます。

「でも領土がないんだろ? だったら作るしかないだろ」と孔明は口調を強めます。

「そうだけど、もっと普通に漢中王を名乗りたいっていうか」とオレ。

「なに、普通って?」

「帝の詔とか、実は前漢の血筋とか、そういう…」とハッキリ言えない自分。

「じゃあ、オレが今から上奏してきて、それでお前を漢中王にしたらいいか? それも漢朝の勅令だよな」という孔明

「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。大義名分のない戦でついてくる武将って反骨の相が多いとか」

「は?」

「その…」

「…反骨の相じゃねぇよ。ノリが良い将だよ」

「あ、そうだったね。…でもオレ、ノリの良い将、少し苦手だし。そこまでして領土が欲しいってわけでもないし…」

孔明はオレの顔をじっと見つめながら、一言、

「だせぇ」

と言いました。

ちゃごちゃ言ってるけど、勇気がないだけじゃん

彼は言います。

言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、

勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。

天下を三分する勇気もないやつが、領土がないとか言うんじゃない。

どうせ荊州に行けば「劉表には跡継ぎがいるから…」って言うし、

赤壁につれていけば「ああいう水上戦は苦手だし、東南の風も吹きそうにない」とか言うだろうし、

蜀のかわいい劉璋を狙えって言えば「いや、劉璋とは同姓で義に背くし」って何かにつけて言い訳するんだろ?

だったら「自分には他国の領土に侵入する勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。

そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、

つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。

あれは恥ずかしかったなー。すげぇ。恥ずかしかった。

その場は言い訳もできず笑ってごまかしたけど、家に帰ったら孔明の顔とセリフが思い浮かんで、

新野城の中で「でもさ、でもさ」と必死に言い訳考えてた。

オレにはオレの事情があるんだ、しょうがねぇじゃんかよって。孔明の「天下三分の計」聞きながら(笑)

ひとしきり考えたら、そんな自分を「だせぇ」って思った。

インスパイヤ

「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる太平洋戦争 - ARTIFACT@ハテナ系

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20080414/startpacificwar

「要は、勇気がないんでしょ?」で飛び込む赤きサイクロン - welchmanの日記

http://d.hatena.ne.jp/welchman/20080414/1208183341

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

 
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