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はてなキーワード: 対岸の火事とは

2024-03-04

anond:20240304035341

大企業に行ってみな。別に現状を肯定しているわけじゃないんだが実態はそんなもんだ。希望退職企業の規模に比べれば大したことないことが多い。多くの社員にとっては対岸の火事

いや大企業勤めなんだが…。

そりゃ来年クビになる可能性は低いだろうけど、10年後に在籍してられるかというと相当怪しいと思うぞ。

まあ10年も先のことはよく分からいから考えないことにするという発想なのかもなとは思うが。

anond:20240303234240

大企業に行ってみな。別に現状を肯定しているわけじゃないんだが実態はそんなもんだ。希望退職企業の規模に比べれば大したことないことが多い。多くの社員にとっては対岸の火事

2024-03-02

当事者意識が高すぎるのか無視すればいい対岸の火事みたいなことまで自分ごとのように戦ってる人こわい

まぁ当人が辛くなければ別にいいけど絡まれてもろくなことにはなりそうにないから荒れそうな(荒れている)界隈には関わらない方がよさそうだ

2024-02-23

ふと正月頃の記事読んでて思い出したんだけど、そういや能登半島って地震食らってたんだな

不思議だなあ。

職場テレビNHK流してるからちょくちょく「避難所物資を取りに来てください。物資をくれる人はこの住所にお願いします」ってのを見かけて、まるで冒険者ギルドネトゲクエストみてーなこと現実でやってんぜ……DIVISIONの世界じゃん……と驚いてたのに、次の瞬間には忘れてたっぽいな。

対岸の火事なんてこんなもんか。

いやはや人間の薄情さには恐れ入るな。

これは本当に大変なことだよ。

なにせ、いざ自分被災した時、助けてくれるのは愛着のある人間行政ぐらいってことだからね。

東京地震が起きたら大阪の人は助けに来ないし、大阪地震が起きたら東京の人は助けに来ないわけだよ。

いやはや自助努力自己防衛だね。

世知辛い

2024-02-09

対岸の火事エンタメである

これそろそろ常識になってほしいんだけど

人は、というか動物は遠くで起こっている悲劇エンタメ化するもんなんだよ

草食動物サバンナで仲間が食われてるのを遠くで見物してるのとか知らない?

これってたぶんだけど、そうやって悲劇から情報を得ようとする者が生き残った結果だと思うんだよね

 

エンタメ化って言っても、分かっててやってる人と無意識でやってる人が居ると思うけど

 

これがSNS時代になっておかしくなった

エンタメ消費している人の声が届くようになってしまった結果

当事者は怒るし、その取り巻き不謹慎だと騒ぎたてる

結果「配慮」が必要になってしまったんだ

 

でもSNSだとしても何らかの距離存在するようで

配慮しなくても問題ない事象と、配慮必要事象に今度は濃淡が分かれてきた

それに、距離が変容することで、前は皆がワイワイやってたのに突然炎上みたいなことも起きるようになった

例えば昔のアメリカでは広島長崎核爆弾のことを「平和な核」とか呼んでたらしいじゃん

今やったら炎上するよね

 

エンタメ化は別にいいと思うんだけど

その濃淡がきれいに別れればいいが混ざった時どうなるかを想像して対策を打たなきゃならない時代なのかもしれない

ただやりすぎると息苦しくなるし困ったもんだね

やっぱ全部SNSが悪いのでは

2024-01-31

短期制作大量生産コミュニケーション不足

セクシー田中さん』見てなかったし、原作も未読。でもあの一件以降、原作者やクリエーターたちが同じような経験をしてるという話をポストしているのを見て対岸の火事ではないと感じた。みんな同じことを経験してるんだ。

私も制作する立場にいる(偉い人じゃないです)。どちらかというと原作側。

とにかく短期制作大量生産コミュニケーション不足。複数現場経験したけどどこも同じ。

基本的原作側と制作側、そこの末端の制作者、顔を突き合わせる機会は少ないと思う。

とにかく時間がないし、脚本はわからないけど単価も労力に追いついてないと思う。

その中で私たちはどうにか軌道修正しなきゃいけなくて、それが本当に辛い、めっちゃストレス

みんなひとりひとり、人格のある人間なので我が出てきてしまうけど、複数人でひとつのものを作る時は作品を一番に考えて、原作者がいる場合原作が目指すところを一番に考えてやらなきゃいけない。我を出してくる人を止めなきゃいけない。

プロデューサーにはその手腕が必要だけど、制作時間の短さに対するそれに見合わない物量のせいで『妥協』が発生する。

本当は作ってる側は完璧にやりたいけど、直す時間がない。結果妥協するしかなくなる。理想から程遠いものを作られた時、それを直すのに同じくらいの時間がかかるので。

消費者が思ってるよりも一つの作品を作るのには時間と労力(そして資金)が必要なんだよね。日本だけじゃないかもしれないけど、それをあまりにもケチってる現場が多いように思う。本当に余裕がない。

昔、知り合いのドラマ制作に関わっていた人は過労死してしまった。

だいぶ前の話だけどそのときからまり現場改善されてないのではないか

何を望んでいるかというと、もっと余裕をもって妥協せずに制作できる業態になってほしいということ。

労働者の身を削らないとクオリティの高いもの理想とするものが作れないのなら、いったん全てを見直さなきゃいけないと思う。

それができているところもあれば、できていないところもあるし、現状ではそれが主流ではないと感じている。

2024-01-30

芦原先生に思いを寄せすぎてしにそう

どうしてだろうという思いをずっとしている。

私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。


一番最初出会ったのは「砂時計」という作品だった。

本屋さんでなんの気なしに手に取ったこから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。

読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。

でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。

多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム

幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。

主人公記憶追随たかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。

幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。

砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。

帰りに主人公母親に買ってもらった同じサイズ砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。

大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。

そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。


それから以降の作品pieceBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。

正直めちゃくちゃ泣いた。

自分感情ドンピシャだった。

これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしま漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事作品だった。

女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。

それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。

正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングイメージが違ったからだ。

キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)

それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。

知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。

から本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。

芦原先生アカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。

知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。

でもその時もこうなるとは思わなかった。

思うわけないじゃないか

そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。

私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。

それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。


火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。

そして私が芦原先生自死を知ったのもSNSだった。

本当にやるせない。やるせないでしかない。

もちろん誰かを責めるつもりはない。

SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。

先生最後ツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。

本当にたらればを考えてしまう。

ドラマ化の話がなかったら。

テレビ局最初約束を守ってくれたら。

作者ではなく出版社が戦っていれば。

最後に選ぶのが自死でなければ。

どうしてどうして。

どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。

同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、

SNSを開いていてもそれがどんどんレコメンドされてくる。

同じ気持ち(と言っていいかからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。

特定の誰かを責めたり正義を振りかざすのはよくないと思う。

よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。

特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。

人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。

放つ言葉責任を持って仕事をするのはメディア仕事範囲に含まれないのだろうか。

(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。

問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)


どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。

何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。

ああこれから先、芦原先生作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、

セクシー田中さんが未完で終わってしまたこと」「先生が死んでしまたこと」を思い出してしまうんだなぁ。

島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。

先生どうして死んでしまったのですか。

残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ち必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。

先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。

天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。

私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたか世界であることを願います

そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます

一読者の私でしたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます

どうか、上から見るこの世界がもう少しやさしくなりますように。

2024-01-16

anond:20240116003349

しないための言い訳しかないし、現場が切迫していたりする際には一番先にはじかれる考え方だな

平時においてでしか使えない、対岸の火事を見ている人の愚鈍な考えでしかない

やらならないならそのまま黙って目と耳をふさいでいればいい、としか言えない

2024-01-01

Q:地震が起きたら何をしますか?

A:はい、まずツイッターで「井戸 毒」などで検索し、ヒットしたツイートの全てに文脈 文意無視してコピペでお説教文を送りつける自慰行為します。

Q:それ何か意味あるの?

A:気持ちいい

文脈 文意どころかそもそも読んですらいなくてただ目の前に存在するというだけでギャォーン突撃していくのさ

お前みたいな奴こそが、かつて井戸デマ虐殺を起こしてんだよ。情報判断しようとしないか

これって考え方色々あるよね

「いや緊急時にツイッタなんて見てんなよ」ってのも正しい意見

「なので別に、そうでないところはいつも通りでいい」とも言えるし

「それでももしかしたら貴重な情報がツイッタから入ってくる可能性はゼロではない」も正しい意見だしね

どのポジションでも尤もらしいこと言えるから、結局、各々の自由にすればいい

ただ一つだけ言えることは

何の足しにもならん「気遣えるアテクシ」というのが、3か4番目くらいにクズムーブだと思う。

それするくらいなら、リソース節約のためにツイッタお休みがいい。これは非常に無難だよね。

しょせん対岸の火事、知らんがなって日常でもいいし、

不謹慎ネタで遊ぶのも、それが好ましいかどうかはともかく、法の範囲内なら自由

でも、ここぞとばかりに「気遣えるアテクシ」アピールに利用するのはわりとクズムーブ

大きめの地震が起きたらいつもぼくは

右翼側:つるのの「大地の怒り」の嘲笑

左翼側:「井戸 毒」で検索してコピペ連投してる奴らの嘲笑

をやってる。

でもね、「地震に便乗して遊ぶな」ってジャスティス説教してくる奴らが、「大地の怒り」の嘲笑批判してきた回数は、ゼロなんですよ。

もちろんこれは、どっちもしょせん、地震に便乗して嘲笑して遊んでるだけで、好ましいものではないと思う。…

2023-12-06

anond:20231206101614

対岸の火事にすぎないことを「おまえらやす」って書名で出版したらそりゃ反発食らいまくって死ぬわな 

炎上商法ギリギリねらって死んだんだろ

2023-10-29

すごく機会を得るのが上手い子がいる

言い方変えると上に媚びるのがうまい

そのおかげで昇進も早かった

けど残念なことに実力は確実に不足しており

いろいろボロが出始めている

このあとどうなるのかなと対岸の火事を眺めている

火消しに呼ばれないことを祈るばかり

2023-10-17

なんか欧米人って思い込みめちゃくちゃ激しくねぇか???

っていう思い込みなんだけどさコレも

いやまぁなんていうか、対岸の火事じゃねぇけども

日本人の(ここもまた大きな括りで言うのは良くないんだろうけど)感覚だと

「え?それ信じちゃうの?」みたいなことがすっげー多いように思う

そういうのが海を超えてこっちまで届いてるんだから、たぶん現地はもっと多いんじゃねぇかなぁって思う

地動説天動説の話やら、そもそもソレを信じる前提の宗教に対する入れ込み具合やら

あと最近オイル反対派の言い分やら、某元大統領こそ救世主だと信じる層やら

なんというか、ただ話として信じてるってんじゃなくて、実際に行動に移すほど思い込んでるってのがすげぇ多いように見える

これだけ思い込めるからこそ、白人至上主義みたいな考え方とかできんのかなぁって感じるし

他の人種なんて虫と同じだしぶち殺しまくるぜみたいな気持ちに本気でなれるから強いのかなぁとも感じる

思い込み力こそが奴らのパワーなのではないか

なんて適当言ったわ

でも俺はそう思い込んじまってるよ

2023-10-05

ジャニーズ潰れたら次はAV業界だけどいいの?

表現の自由戦士対岸の火事だと思ってジャニーズ叩いてるけど、次はお前らのズリネタが無くなる番だぞ。

2023-09-14

芸能事務所の件で思い出した記憶、その認識の歪みと気持ちの置き場

まず最初に謝っておくとあんまり事務所関係ない、個人感情の吐き捨て場です

釣られた人はごめんな、他に良い言い方思いつかなくて…

要約するとクソみたいな自分語り

ちょっと生々しい表現あるかも

しかリアル知人の誰にも言えね〜って感情を吐いてるだけなので支離滅裂だと思う、その上長い。読みにくくってごめんな

最近巷で話題の某芸能事務所の元社長(故人)が少年セクハラ、というよりかは性的暴行を加えてたって話

私は小学一年生の頃にFF7主人公クラウド・ストライフ初恋を奪われてっきり

専ら2次元の美形に首ったけだった人間なので、ファンでも何でもなく

正直ゴシップ記事でそういう噂をよく聞くよね〜くらいの認識だった

性的暴行があったと一人の勇気あるタレントさんが告白して、ニュースが騒ぎ立て始めた位の時も私はまだ何処か他人事というか

事実だったら余りに酷い、大人子供にしていいことじゃないだろ…とか、いい年にした大人の正常な感覚として思ってたけど

言ってしまえば対岸の火事くらいに思ってた。

けどそんな酷いことする大人がいるのね、あんまりだねってニュースネット記事が目に入るうち、本当に突然フッと思い出した。

私も子供の頃に大人性的なことされていた、そのうえ相手は実父だった。

正確には忘れてなかったので思い出したというよりかは「あれはそうだったのでは??」という気づきを得た。

幸いにもと言っていいのか、私が受けた被害というのはそこまで深刻ではなかった

いやこういう事に深刻じゃないも何もないけど、所謂最後まで、というのは思い出す限りされてないし男性器をどうこうしろみたいなのも無かったと思う

ただ身体を触られてた、もっと正確に言うならお尻と性器を重点的に撫で回されてた。

親子なのだし、微笑ましいコミュニケーションの一環として子供の頃に一緒にお風呂に入るというのは割と一般的だと思う、その際に身体を洗ってもらうのも。

あと遊んでる最中に頭を撫でられたり抱き上げてもらったり。

私にも父とそうした記憶がある。

そういうことの延長線上に、私の場合1組の布団に一緒に入って身体を撫で回されることがあった、割と日常的に。

当時の私は4歳から7歳くらいで、それが性的な何かということは知らず

頭を撫でられたりお風呂身体洗われたりするのとの違いも分からなかったし

なんならそれはごくごく普通の親子のスキンシップなんだろ、と思ってた

少なくとも嫌!って思ってた記憶は無い

「なんかすごいこの辺触ってくるな…」とは感じてたけど、わざわざ母親相談したり周りの人に言ったりする事でもなかったし、そんな知識も無かった

そして私が8歳とかになると父親身体を撫で回すことも無くなったので、自分の中で掘り返すような記憶でも無くなっていた

それから数年経って、尻だの胸だの性器だのは他人に気軽に触らせる場所じゃ無いと知っても

私がぼんやりした性分だからなのか、その時のことが普通じゃないって気が付かず

エロい事を覚え出す年頃になっても、違和感すら抱かなかった

なんて言うんだろうな、親とエロを繋げる意識がまず無かったんだろうな

私の中でそれは普通の親子のスキンシップの思い出だった

でも中学生くらいになって、セクハラとか痴漢とかがどこかの遠い国くらい遠い出来事じゃなくなって

例えば電車の中でお尻を触ってくる人が居る、みたいな話を聞くと「最悪の変態がいたもんだな」って吐き捨てる気持ちになったし

の子供に性的に手を出す親が居ると知ると「とんでもないロリコン、最低な親だな」って認識してた

恐らく自分がされてたことを知り合いの誰かが同じようにされてたら「それって異常だよ!性的虐待じゃないの?」って(相手感情を慮らなければ)言ってすらいた筈で

社会通念でいうセクハラとか性的虐待認識は割とちゃんとあった、と思う

ただ自分がされてたって認識が全く無くて、それを今の今まで気が付かなかった。

そしてあれから20年近く経って、今気がついた、あれは異常なことだった。

見ないふりをしてきた、とかでは無く本当に今まで気が付かなかった。

そして今漸く気がついた私の心境について。

今まで私はドラマ小説なんかで子供の頃に実父に性的なことをされていた過去の場面や設定を見て

万が一にも自分がそういう目にあったならそれはさぞ強い怒りや憎しみが湧くのだろうと思っていた

しかし実際にはそんな事は無かった。

勿論全ての人がこうじゃないだろう

ちゃんと怒り憎しみ、絶対に許せないという人もいると思う。

そういう人達の方が余程健全だし、私の親しい人たちがもし同じ目にあったならそうあって欲しい、そして二度とそんな目に合わせた人間に近寄らず生きていってほしいと思う

ただ私の場合は、最初に先ず動揺して混乱して、それからずっと困っている。

というのも私の父は10年前に脳梗塞で亡くなっているのだ

もう怒る相手がこの世に居ない。

しまだ父が健在で、のうのうと私の良き父のような顔をしていたのならもっと違ったかもしれないが、父はもう物言わぬ骨になっている

そのうえ私は未だに父にされた事が普通スキンシップでは無いのだとちゃんと正しく理解出来ていない様に思う

例えば他の家庭で同じことが起きたと聞いたら「虐待に決まってんだろ、子供から離れて二度と会うなよ!」と言えるのに、自分父親とになると途端に「虐…虐待……って程のこと……かな??いや、嬉しかった訳じゃないし、同意もクソもなかったけども…………」みたいな歯切れの悪い、どこか言い訳したいような感情になる

自分虐待を受けた、というのがどうにもすんなり受け入れられない

でもじゃあそんなこともあったけど私は元気です!!オールオッケー!と割り切って全てを許せるのかと言えばそうも出来ない、どこかで許せないなとも思う

子供が何も知らないのをいい事に大人性的意図でもって触れる事を許してしまえる社会は嫌だな、とも。

もし私の父が性的な触れ方をする以外にも暴力を振るったり金遣いが荒かったりする、どうしようもない父親なら

そうしたら私はきっともっと簡単に恨めたし「クソ親父」と口汚く罵り、彼の墓に狼藉も働けただろう

けど、確かに物心もつかない年頃の娘の性器を撫で回し、目の前でエロ動画を見て

母親浮気を見て見ぬふりしてもらうようなどうしようも無いドスケベ親父だったけど

それでも陽気で楽しい父親だったと思っている、思いたい自分が居る、未だに。

距離トラック乗りだったから一緒に過ごした時間はそれ程多くないけど、クソオタクの娘にも理解のある

娘の手作りとも呼べないような卵焼きで1日機嫌が良くなるような

自慢でも無いけど悪し様に罵るほどでは無いそんな父親だったのだと。

生きていれば、一言「とんでもないことをしてくれたな」と吐き捨てられたなら、こうも複雑な気持ちにならずに済んだのだろうか

それとももっと苦しんだんだろうか

想像してみるけれど、やっぱりまだよく分からず、気持ちの置き場に困っている。

いつかハッキリスッキリ、私の中で答えが出る日がくるんだろうか、来ない気がするな。



芸能事務所タレントさん達はどうしてもっと早くに被害を訴えなかったのかという声を聞くと

きっとそれぞれの立場や考え、いろんな要因は多々あれど、その中には私のように自分がされたことをどこかで正しく認識できない人もいるのでは無いかな、なんて愚考したりする。

子供大人のことを、決して間違えない生き物だと思っている節があって

自分に近しい大人であればあるだけ、自分を傷つけるわけが無いのだと信じたい

から何か酷いことをされても「無かった」ことにしたい、あるいは本当に「無かった」のだと思い込む

いつか正しく事実認識することがあっても、与えられたもの苦痛だけじゃないと憎みきれなくてでも無かったことにして許しきれるわけもなくて、どうしたらいいのか分からないままずっと苦しむ。

からこそ、今矢面に立っているタレントの皆さんがこれ以上傷つくことがなければいいな、とファンじゃないなりに思うし

大人子供を傷つける、いつか傷つけられたまま大人になった人達のことを黙殺する社会であって欲しくないと願っています

2023-09-12

ジャニーズ問題に関心があるのは「権力者による性加害はダメ」というレベル問題すら、今の世の中ではまともに扱われないからだ。

当然その背景には、一般企業におけるパワハラセクハラ法律違反やさまざまな加害が横たわっており、ジャニーズレベルの大問題にすら向き合わなければ、日常にある小さな問題にまで日が当たることがない。

ジャニーズ問題対岸の火事ではなく、自分たちに降りかかる害悪との戦いの一歩に過ぎない。

2023-07-28

anond:20230728223147

都市部在住はてなー自動車のらずに暮らしてるから対岸の火事として眺めるのにちょうどいいんやろなあという話

洗脳には必ず裸踊り儀式がある

中古車販売店の恫喝LINEなんかを見ると、またこパターンだなと思う。

あらゆる洗脳によって身近な人間が何人も姿を消していった増田なりに考えた洗脳についての話です。

洗脳と聞くと誰か特定ターゲットに行うものと思われがちだけど、実はそうでもなかったりする。

例えばカルト宗教を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのだけど、来た人間全員を洗脳しようとは思ってはおらず、間口は広くしておいて洗脳に引っかかった人間けが残るような仕組みになっている場合の方が多い。

まり、「Aを洗脳しよう!」ではなくて、「A、B、C、D、E、Fにそれぞれ洗脳を試してみて、B、Eが洗脳に引っかかったから次はより強い洗脳を試そう。」といって絞り込んでいくような感じだ。

なので、洗脳というのは割りと結果論的な側面が強いパターンが多いよというか、むしろほとんどですよということをまず知ってもらいたい。

言い換えれば、誰にでも効果が期待できる洗脳を追い求めるよりも、洗脳にかかりやすい人を探したほうが早いよということ。

中古車販売となんの関係があるの?と思うかもしれないけど、恫喝典型的洗脳手段だと思ってください。

洗脳とは、簡単に言えば相手自分の意のままに言うことを聞くようにすること。

逆を返すと、どのような状況であれ自分の意のままに言うことを聞くようになっていれば、それは洗脳成功しているとも言える。

この違いは何かというと、そこに本人の納得は必要ないという点。

宗教のように心から相手を信頼してしまパターンもあれば、自分は納得していないけど大きな借金があるから言うことを聞かざるを得ない状況というのも、等しく洗脳されている状況といえてしまうのだ。

手段関係性はどうであれ言うことを聞く状況になってさえいれば、それは洗脳において成功と考えてなんの差支えもない。

恫喝というのは世間一般で考えればどう見ても間違ってる行動だ。

なのにあえて大勢社員の前で恫喝をしてみるとどうなるか。

それによって離れる人間もいれば、自分が悪かったと受け入れる人間が出てくる。

さらに言えば、恫喝された他の人間の反応を見て自分恫喝する側に回れば支配する側に回れると考える人だっている。

一度くらいなら自分が悪かったと思ってこらえる人間いるかも知れないが、それが当たり前に何度も続けば結局は残った人間恫喝を受け入れた人間だけということになる。

まりこの状況は、恫喝という非常識的な行為を繰り返すことによって、それでも言うことを聞く人間だけに絞り込めた状況と考えて差し支えがない。

そこに言うことを聞くようになった理由必要ない。言うことを聞くという事実こそが重要なのだ

洗脳する側にしてみれば言うことを聞く人間だけ残ればいいのだから、まともな判断力を持った人間はむしろ不要で、恫喝を受け入れた人間だけでなくそれを理解した上で利用する側に立った人間だって必要人間だと言える。

この点も、信仰の強い信者だけでは宗教が広がっていかないのと同じで、同じような手段理解した上で行使できる宣教師必要だということと非常に近しい。

当然、ただ恫喝をするだけで人を洗脳できるわけではない。

なぜ恫喝を受け入れざるを得なかったのか、その部分を説得や集団心理などを利用して騙していくことを洗脳だと考えている人も多いだろう。

しかし、それが最初にいった洗脳に対する誤解が多い部分でもある。

そこを自分たちで説得するよりも、注文の多い料理店しかり、正常性バイアスで受け入れてしま人間を探したほうが早いと言うのが現実だ。

それならば、まずは相手がどのような考えを持っているかを知るよりもさっさと恫喝してしまったほうが結果は早いのだ。

中古車販売店で言えば、その点において用意したものと言えば高い報酬人間的成長くらいであろう。

ただし、人間的成長は逆説的に行なえない側を幼稚とするものだったと思われるが。

それでも納得しない人間たちを説得するよりは、ついてきた人間だけを選んでいったほうが遥かに効率がよいのだ。

今回はたまたまトリガーになったわかりやすい例が恫喝だったが、増田自身勝手にそれを裸踊り儀式と呼んでいる。

裸踊りは、普通人間なら人前ですることはない。

しかし、洗脳されている人間にしてみればありとあらゆる理由をもって裸踊りをする自分肯定できてしまう状況にある。

まり裸踊り儀式とは、洗脳手段ではなく洗脳度合いの効果測定を目的としている。

はじめから裸踊りをさせるわけではなく、最初もっとさなことから行われる。

人前で大声を出すとか、駅前掃除させるだとか、普通ならやらないようなことに何かと理由をつけてやらせてみるのだ。

それでもし言うことを聞くようであれば、次のステップへと進む。

離脱してしまえば仕方ないし、迷っているようであれば背中を押すような理由を用意する。

そうして少しずつ洗脳効果測定をしては、思い通りに動く人間を選別していくことが洗脳本質であると考えている。

そういう意味では、落ち葉掃除のために誰もが犯罪だとわかるような枯葉剤をまいてしまうという行動も、すっかり洗脳が浸透している状況だったとも言えよう。

裸踊りには、周囲から奇異の目を向けられることによる社会的孤立という副次効果もある。

洗脳したい側にしてみれば、邪魔もの良識ライバルだ。

社会的孤立によってその2つから遠ざけることができれば、より洗脳をしやすくなるのだから選ばない手はない。

まりは、ここが洗脳から助け出せる最後分水嶺だとも言える。

もし何か怪しい方向に進んでいる近しい人がいるならば、突然社会的孤立につながるような行動が増えたときは要注意だ。

距離をおいたが最後、助け出すことは不可能だろう。

おわかりかもしれないが、教育とは洗脳である

それが公序良俗に反していないだけであって、誰もが最初おかしいと思うようなことでも、いつかは望んでするようになるし人に勧めたりもするものだ。

一部の体育会系運動部が好んで行う人前での奇行なんかはまさにこれだ。

過去体育会系大学出身人材就職に好まれたのも、すでに洗脳されやすい土壌が学生生活の中で作られていたことが理由であろう。

そして何もこの話は対岸の火事ではない。

しろワンマン経営者中小企業に多いし大手学習塾でも当たり前のように見られる。

それ自体を悪だとは言わないが、仮にこの裸踊り儀式兆候が見られたときはそれより先に進むべきかどうかは必死で悩むべきだろう。

人間自分意志だけですべてを決定できるとは思っていないが、誰かの欲を満たすための道具にされることを望んでいる人なんていないはずだからだ。

洗脳を行った側をいくら責めても何も帰ってはこない。近寄らない、近寄らせないことが最も効果なのだ

2023-07-23

anond:20230723181923

そのツイ主がどういう意図で言ったのかわかりかねるけど、増田の言うとおりね

2008年年末ごろはまだ対岸の火事ちょっと補正予算くんどきゃ問題ないだろって空気だった

問題はその時ねじれ国会で...

2023-07-05

荒廃していく「ように見える」時代の流れと、遥か古代から続く「世界はより悪くなっている」の思い込みの興味深さ

興味深い、というような気がしてくる。

.

ええと、どこかの段階では自分場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。

.

今起きているフランス暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本コメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。

.

他者への不寛容排斥対立。分断。

トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。

.

ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国拡張主義の速度は緩んだと言える。

そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。

.

新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?

.

答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人主観による感想から

そして客観的研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、

世界はより良くなり続けている」のだという

https://www.gentosha.jp/article/23545/

他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前古代シュメール人粘土板にすら書いてあるという。

エジプトピラミッドにも「最近若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。

https://newspicks.com/news/6972076/body/

.

世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?

すなわち、世界乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率乳幼児ワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。

.

そして、人間の脳には本来世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。

より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。

いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。

生存率を上げるための合理的本能である

.

その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、

ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。

.

まり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものしかない」のだとすれば?

.

たとえば戦争ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。

だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。

1980年代イランイラク戦争では約100万人以上。しかし、世界人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、

人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。

まぁ、世界人口総数あたりの戦死比率は間違いなく減少している。

.

世界改善され続けている」――これはとても興味深い。

何故なら、本能直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。

.

もちろん、日本経済人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。

しかし――それでも世界改善されているのだとしたら?

.

一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。

そもそもが、一つ前の時代悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別暴動テロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。

歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。

.

冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。

それなら、耐えていれば次にまた幸福時代が訪れるわけだ。

.

とはいえ、それは「誰にとって」幸福時代なのか?

冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国人間だろう。

日本もまた、高度経済成長からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。

.

だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?

.

西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。

それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。

まぁ、その理屈になる場合アフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。

.

世界改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。

もっと言うなれば過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代労働時間は2-3時間だったらしいのだし。

サピエンス全史』は「農業人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。

.

事実はどうなのか? そもそも事実などあるのか?

「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?

.

つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。

からそれが、興味深いと思った。

.

この先、世界はどのように「荒廃」し、「幸福」になるのか?

その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代なのだろう。

それは、面白いと思わなければ損だ。

.

相対主義的な捉え方だという自覚はある。

だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ

.

迫害される黒人アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、

彼らの暴動を受ける側は「彼らは極めて攻撃的」であり、

そのどちらでもなく平穏母国で暮らす黒人アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。

そもそもが、そんな区分意識さえしないだろう。

.

幸福だと思う人にとって世界幸福で、悲劇だと思う人にとって世界悲劇的だ。

ならばどこまで行っても、最初からそんな世界喜劇なのだろう。

.

興味深く、楽しむべきなのだろう。

世界の次のターンは悲劇か? 幸福か?

.

それは、ただ自分自身が決めることでしかないのかもしれない。

荒廃していく「ように見える」時代の流れと、遥か古代から続く「世界はより悪くなっている」の思い込みの興味深さ

興味深い、というような気がしてくる。

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ええと、どこかの段階では自分場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。

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今起きているフランス暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本コメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。

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他者への不寛容排斥対立。分断。

トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。

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ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国拡張主義の速度は緩んだと言える。

そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。

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新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?

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答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人主観による感想から

そして客観的研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、

世界はより良くなり続けている」のだという

https://www.gentosha.jp/article/23545/

他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前古代シュメール人粘土板にすら書いてあるという。

エジプトピラミッドにも「最近若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。

https://newspicks.com/news/6972076/body/

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世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?

すなわち、世界乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率乳幼児ワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。

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そして、人間の脳には本来世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。

より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。

いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。

生存率を上げるための合理的本能である

.

その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、

ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。

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まり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものしかない」のだとすれば?

.

たとえば戦争ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。

だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。

1980年代イランイラク戦争では約100万人以上。しかし、世界人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、

人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。

まぁ、世界人口総数あたりの戦死比率は間違いなく減少している。

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世界改善され続けている」――これはとても興味深い。

何故なら、本能直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。

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もちろん、日本経済人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。

しかし――それでも世界改善されているのだとしたら?

.

一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。

そもそもが、一つ前の時代悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別暴動テロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。

歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。

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冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。

それなら、耐えていれば次にまた幸福時代が訪れるわけだ。

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とはいえ、それは「誰にとって」幸福時代なのか?

冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国人間だろう。

日本もまた、高度経済成長からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。

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だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?

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西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。

それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。

まぁ、その理屈になる場合アフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。

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世界改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。

もっと言うなれば過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代労働時間は2-3時間だったらしいのだし。

サピエンス全史』は「農業人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。

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事実はどうなのか? そもそも事実などあるのか?

「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?

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つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。

からそれが、興味深いと思った。

.

この先、世界はどのように「荒廃」し、「幸福」になるのか?

その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代なのだろう。

それは、面白いと思わなければ損だ。

.

相対主義的な捉え方だという自覚はある。

だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ

.

迫害される黒人アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、

彼らの暴動を受ける側は「彼らは極めて攻撃的」であり、

そのどちらでもなく平穏母国で暮らす黒人アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。

そもそもが、そんな区分意識さえしないだろう。

.

幸福だと思う人にとって世界幸福で、悲劇だと思う人にとって世界悲劇的だ。

ならばどこまで行っても、最初からそんな世界喜劇なのだろう。

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興味深く、楽しむべきなのだろう。

世界の次のターンは悲劇か? 幸福か?

.

それは、ただ自分自身が決めることでしかないのかもしれない。

2023-07-02

anond:20230702140128

から怖いのです

はてなはい意味でも悪い意味でも変わりませんでした

なので気づけなかったのです

対岸の火事ではありますが、Twitterが変わったことで気づくタイミングが訪れてしまった

それが怖いのです

もう10年は戻ってこない

そして、10年は戻ってこないので、戻ってこれる場所もここしかない

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