はてなキーワード: 北周とは
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
・曹丕
3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明な彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女を皇后に立てた。
・劉駿
・宇文邕
北周の皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女は出家し、常悲に改名した。
・煬帝
占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后と結婚した。聡明な彼女は外遊の度に付き従い、度々煬帝の暴政を諫めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・李克用
後唐の太祖。3歳年上の劉夫人と結婚。武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・世宗
遼の皇帝。12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟に暗殺された
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・織田信長
6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・ウィレム4世
オラニエ公、オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女は国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
・アルカポネ
1歳年上のメアリーと結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
1 『北京大学版 中国の文明』掲載の「大事年表」をベースに、wikipedia「中国の歴史年表」「夏商周年表」その他の記事で補った。
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前1600頃 殷(商)の創建(殷(商)・太乙(成湯)) <殷(商)>
前453 三晋(趙、魏、韓)成立(諸侯に列されたのは前403) <戦国(時代)>
前350 秦が咸陽に遷都する。秦において商鞅の第二次変法が実施される
前256 秦が東周を滅ぼす
前221 秦が燕・斉を滅ぼし、秦による中国統一が成る。秦が貨幣・度量衡・文字を統一する <秦>
前206 秦滅亡。鴻門の会。漢の高祖元年
前154 呉楚七国の乱
前136 儒教官学化 ※異説多し
前115 均輸法(漢・武帝、桑弘羊)
前110 平準法
18 赤眉の乱
25 劉秀が皇帝を称する(後漢・世祖、光武帝)。後漢が洛陽に遷都する <漢(後漢・東漢)>
200 官渡の戦い
208 赤壁の戦い
220 後漢・献帝が曹丕(魏・文帝)に禅譲(後漢滅亡、魏成立)。九品官人法制定 <魏>
263 蜀漢滅亡
265 魏・元帝が司馬炎(晋・世祖、武帝)に禅譲(魏滅亡、晋(西晋)成立) <晋(西晋)>
291 八王の乱
304 劉淵が大単于・漢王を称する(前趙成立) <五胡十六国(時代)>
316 西晋滅亡
485 均田法発布
613 楊玄感による反乱、隋の統治が崩れる
619 租庸調制の実施
668 唐が高句麗を滅ぼす
845 唐・武宗による宗教弾圧(仏教、景教、祆教、マニ教)、会昌の廃仏(~846)
875 黄巣の乱(~884)
904 朱全忠、唐の実権を握る
907 朱全忠への禅譲(梁・太祖)。唐滅亡。梁の建国 <梁・五代十国>
1004 澶淵の盟
1069 宋において王安石の新法が行われる
1125 金が遼を滅ぼす
1126 靖康の変、金が北宋を滅ぼす
1206 モンゴル部のテムジン(ボルジギン氏)、ハンを称する(チンギス・ハン、元の太祖) <モンゴル帝国>
1229 オゴデイがモンゴルの大汗として即位する(オゴデイ・カアン)
1234 モンゴルが金を滅ぼす
1236 モンゴルのバトゥ(チンギス・カンの孫)らによる西征
1260 クビライがモンゴルの大汗として即位する(クビライ・カアン。セチェン・カアン。元・世祖)
1264 アリクブケ、クビライに降伏する
1271 クビライ・カアン、モンゴルの国号を元に改める <元>
1279 元が南宋を滅ぼす
1281 弘安の役
1351 紅巾の乱
1371 明で海禁令が出される
1388 北元の滅亡
1399 靖難の変
1435 この頃より宦官の専政がひどくなる
1449 土木の変
1616 女真族のヌルハチ、満州(中国東北部)に後金を建国する <後金(清)>
1638 ホンタイジが後金のハーンとして即位し、国号を清に改める。
1644 清が明を滅ぼす(北京陥落)
1673 三藩の乱
1689 ネルチンスク条約
1696 ジュンガル部討伐
1716 地丁銀制
1728 キャフタ条約
1798 白蓮教徒の乱
1850 太平天国の乱(~1864)
1861 西太后の垂簾聴政(~1908)
1884 清仏戦争
1899 義和団の乱
1904 日露戦争(~1905)
1911 辛亥革命
1931 満州事変
1934 中国共産党による長征
1936 西安事件
1939 第二次世界大戦(~1945)
1946 国共内戦(~1949)
1951 三反五反運動
1957 反右派闘争
1958 大躍進政策の開始(~1958)
1978 鄧小平が中国の最高指導者になる。改革開放政策の開始
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選した。聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である。
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓昭明にして、萬邦を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代に全く同一の出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国の年号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。
http://mikado-bunko.jp/wp-content/uploads/2018/05/3025bcae9d232990ea364a15905396c4.pdf
安延, 安化, 安寛, 安観, 安慶, 安恒, 安治, 安長, 安徳, 安寧, 允徳, 永安, 永基, 永吉, 永光, 永康, 永錫, 永受, 永昌, 永世, 永清, 永大, 永貞, 永禎, 永同, 永寧, 永平, 永宝, 永命, 永明, 永隆, 延化, 延嘉, 延弘, 延寿, 延祥, 延仁, 延世, 延善, 延禄, 延祚, 応寛, 応観, 応久, 応元, 応平, 応宝, 応暦, 応禄, 応烋, 嘉延, 嘉享, 嘉恵, 嘉康, 嘉高, 嘉彰, 嘉仁, 嘉政, 嘉長, 嘉徳, 嘉福, 嘉文, 嘉猷, 会同, 皆安, 開成, 乾永, 乾亨, 乾綱, 乾天, 乾徳, 寛安, 寛応, 寛化, 寛久, 寛恵, 寛承, 寛寧, 寛裕, 寛禄, 漢徳, 監漢, 監徳, 観国, 観仁, 観徳, 含弘, 喜慶, 喜元, 喜文, 義同, 久応, 久化, 久治, 久承, 久長, 久徳, 久保, 久暦, 久和, 休祐, 休和, 享安, 享延, 享応, 享久, 享寿, 享正, 享長, 享封, 享宝, 享明, 協中, 協和, 恭明, 興化, 興徳, 興文, 欽永, 慶永, 慶延, 慶治, 慶仁, 慶成, 慶徳, 敬徳, 継天, 継明, 堅永, 建安, 建嘉, 建光, 建功, 建寿, 建初, 建承, 建正, 建聖, 建太, 建大, 建中, 建貞, 建定, 建福, 建文, 建平, 建万, 建明, 建禄, 建和, 顕応, 顕嘉, 顕祥, 元安, 元延, 元化, 元嘉, 元観, 元喜, 元吉, 元功, 元康, 元初, 元聖, 元長, 元貞, 元寧, 元宝, 元万, 元竜, 玄通, 光文, 功永, 広運, 康楽, 康承, 康長, 康徳, 康寧, 康文, 康豊, 康万, 弘永, 弘応, 弘建, 弘元, 弘徳, 弘文, 弘保, 弘暦, 恒久, 洪徳, 高克, 祉長, 至安, 至元, 至治, 至正, 至聖, 至平, 治延, 治応, 治建, 治昌, 治政, 治定, 治徳, 治平, 治万, 治和, 寿延, 寿考, 寿長, 寿徳, 修文, 柔嘉, 俊徳, 淳紀, 淳仁, 淳徳, 順安, 順応, 順享, 順治, 順明, 承延, 承寛, 承慶, 承天, 承統, 承寧, 承宝, 承禄, 昭応, 昭化, 昭建, 昭長, 昭徳, 祥応, 祥久, 祥見, 祥和, 章明, 紹明, 慎徳, 神化, 神和, 仁永, 仁応, 仁化, 仁興, 仁厚, 仁昭, 仁成, 仁政, 仁正, 仁長, 仁保, 仁宝, 仁豊, 仁養, 垂拱, 瑞応, 成功, 成治, 成徳, 成和, 政化, 政教, 政至, 政治, 政善, 政徳, 政平, 政和, 正永, 正化, 正観, 正吉, 正建, 正弘, 正仁, 正万, 正禄, 盛徳, 斉治, 斉泰, 斉徳, 斉万, 戴徳, 泰和, 大安, 大応, 大嘉, 大寛, 大観, 大喜, 大亀, 大亨, 大慶, 大元, 大康, 大弘, 大初, 大承, 大仁, 大政, 大中, 大長, 大寧, 大武, 大平, 大万, 大暦, 大禄, 地寧, 中興, 長育, 長永, 長応, 長嘉, 長観, 長喜, 長慶, 長寿, 長祥, 長仁, 長正, 長寧, 長平, 長万, 長養, 貞嘉, 貞吉, 貞久, 貞亨, 貞勝, 貞正, 貞徳, 定業, 定保, 廷正, 禎応, 禎祥, 天嘉, 天寛, 天観, 天亀, 天久, 天求, 天享, 天興, 天業, 天啓, 天恵, 天健, 天建, 天弘, 天受, 天寿, 天順, 天叙, 天澄, 天成, 天政, 天静, 天節, 天聡, 天大, 天秩, 天貞, 天定, 天統, 天同, 天寧, 天佑, 天悠, 天祐, 天隆, 天烋, 天祚, 同徳, 同和, 得寿, 徳安, 徳永, 徳延, 徳化, 徳嘉, 徳久, 徳建, 徳元, 徳寿, 徳仁, 徳政, 徳斉, 徳善, 徳保, 徳暦, 徳禄, 徳和, 徳祚, 寧永, 寧延, 寧治, 寧長, 寧和, 能安, 能成, 武功, 福応, 文嘉, 文寛, 文観, 文享, 文建, 文元, 文功, 文康, 文弘, 文始, 文承, 文昭, 文祥, 文仁, 文長, 文定, 文同, 文平, 文邦, 文万, 文隆, 文熙, 平康, 平章, 平泰, 平和, 保嘉, 保貞, 保徳, 保寧, 保佑, 保禄, 保和, 輔徳, 宝安, 宝観, 宝承, 宝仁, 宝文, 万安, 万永, 万応, 万喜, 万弘, 万祥, 万長, 万貞, 万徳, 万寧, 万福, 万保, 万宝, 万禄, 万和, 明安, 明化, 明享, 明教, 明建, 明順, 明政, 明徴, 明長, 明定, 明保, 明宝, 明万, 靖寛, 有治, 容徳, 用保, 陽安, 養寛, 養元, 養治, 養寿, 養仁, 養万, 立成, 立徳, 隆治, 竜徳, 令徳, 礼道, 暦久, 暦長, 暦万, 暦和, 禄永, 禄長, 和元, 和政, 和同, 和徳, 和寧, 和平, 和保, 和宝, 和万, 和暦, 咸章, 咸定, 咸寧, 咸保, 咸和, 洽和, 祟徳, 秉徳, 綏禄, 遐長, 雍和, 熙康
元号の条件とされているのは以下。
さらに
あたりは追加して良さそう。
そのうえに
といった推測ができる。
過去の落選候補をこうした条件のもとで選り分けていくと、「永」「久」「仁」「文」あたりの漢字が単純で分かりやすい感じがする。
平和志向については、「平」「和」が既に使われており、「安」がNGなので、「康」「寧」あたりを(どちらも画数が多くて「寧」なんかは特に避けられる気も)。
半角スペース区切りで検索すると二つの漢字が近い位置にある文章が出てくる。
候補をいくつか並べていく。
永康兆民
可久則賢人之徳
久しかるべきは、すなわち賢人の徳。
君子体仁足以長人
君子は仁を体すればもって人に長たるに足る
君子の心構え系。
文王康之
いまどき文王って…みたいになりそう(でも五経とかで「文」っていうとだいたい文王なんだよな)。
文王卑服,即康功田功
文王服を卑しくし、康功田功に即けり。
同じく周の文王系。
いやあ、難しくない?
どれも一長一短でピンと来るやつがないわ。
検索したのは「経典文献」カテゴリのみだけど、「史書」のほうまで検索しないと良いのはないかもしれない。
落選候補以外かつ五経以外から個人的に考えるなら、史記の「偃武行文」から「行文(ぎょうぶん)」なんてどうだろうか。
というのも、書経の「偃武修文(武を偃せて文を修む=戦争をやめて学問を修める)」から「修文」というのが「平成」と並んで候補になったんだけど、昭和と同じイニシャルだから落選してしまったという話があり、それなら同じ意味の「偃武行文」から取ればイニシャル問題は解決できるんじゃねーかなって思ったから。
まあそれはあるんだけど読みを変えればセーフということにしたい。
あと前の候補の「修文」もそのまんま「学問を修めること」だから、それが候補になったということはありなのかなって。
ここまで頑張っても「天皇の諡号となるからには『徳』は避けられる」というとこに気付けない増田であった - mahalのコメント / はてなブックマーク
「徳」は祟りそうな天皇に与える慣習があり縁起が悪いから、明治天皇が倒した徳川の「徳」だから、皇太子が「徳」仁親王だから、の三つを考えたけど、どれのことを言っているのか分からなかった。
でもいずれにせよ確かに避けそうだと思ったので「徳」は無いのかなあ。
ざっとした流れ
青林堂子飼いのウヨブログ「余命三年時事日記」の主のジジイが、
佐々木亮弁護士(青林堂パワハラ訴訟弁護団)や北周士弁護士に対し懲戒請求を煽る
理由は朝鮮学校への適正な補助金交付を求める声明に佐々木氏が賛同したからというもの
尚、北弁護士が懲戒請求されたのは、闘う姿勢を見せた佐々木弁護士を応援したからというとばっちり案件
因みにこのブログ主は煽るだけ煽って自身では請求を出していない模様
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乗せられた馬鹿たちがコピペ請求乱発するも逆アップカマされ大変!(一部は謝罪→慰謝料10万支払いで和解へ)