はてなキーワード: 千と千尋の神隠しとは
「おじさん」という言葉はたいていネガティブな意味で使われる。私自身も、良くないと思いつつ「おじさん」という単語を使ってしまう。
ただ、一定の年齢を過ぎた男性すべてが「おじさん」と呼べるかと聞かれるとそうではない。「おじさん」とされる人たちは、多分「名前を呼ぶに値しない」と思われている気がする。「千と千尋の神隠し」で千尋が湯婆婆に名前を奪われているけれど、そういうノリに近い。仮想敵のような群衆感もある。「◯◯おじさん」と呼ぶ時、多くの人が「いるよね〜w」となるのは、それがもはや個人ではなく群衆的存在だからなのだろう。「おじさん」の対義語は「イケオジ」なのかもしれないけれど、おそらく「おじさん」と呼ばれない人は「個人名で呼ばれている」が正しい気がする。
では「おじさん」と「個人名で呼ばれる人」の違いは何なのだろうか。
多分、その差は「努力の値」なのだと思う。「おじさん」は、なんとなく努力が不足しているように見える。少なくとも自分の場合はそうだ。
例えば、会社で新しいツールを使い始めたときに、おじさんはすぐに「無理」と音を上げる。そして私がツールを使いこなしているのを横目で見て「さすが若いからすぐ慣れるよね」とか言う。「いや、違うから。自分でこのツールの使い方をググってYouTubeでチュートリアル動画を見て今に至ってるの。努力してるの」と思う。面倒くさいのでこの言葉を口に出さず「あはは〜」と受け流していると「今度レクチャーしてよ」とか言ってくる。まだこのように言ってくる人はマシな方で、プライドが高いおじさんは、結局新しいツールを使えずまじで窓際で何もせずに時間を潰すだけになる。
「若い子向けの施策を打ちましょう」という話をしているのに、出してくるアイデアは「野球」みたいなものばかりで「リサーチしてます?」と問いただしたくなる。「若い子の間で流行ってるものわからないんだよね〜」みたいなことをマジで平然と言う。「トレンドとかYouTubeの急上昇とか見てます? そんなの30秒あればできますよね? やる気ある?」。この手の苛立ちを感じた時、私は東京五輪の開会式を思い出す。
そして、こういう中年男性は私よりも給料をもらっているのだ。勤続が長いとか、年齢を重ねているからとか、そういうどうしようもない理由で。
実力とか成果が反映されて無能おじさんが「無能」としてそれなりの処遇を受けているなら納得感もあるのだけど、日系企業だとなんだかんだ年功序列の慣習が残っている場合が多い。おじさんたちは自分たちの立場があやうくならないように、うっすら群れては、似たような価値観をもった人間たちで足場を固めてたりする。この群れは合議で有利に働くから組織にとって悪質な場合もある。外資系企業で働いている中年男性がなんとなくシュッとしているように見えるのは、無能だとレイオフされるからかもしれない。なんというか緊張感が違う。「おじさん」はすべてが弛緩している。
いくら働く女性が増えたと言っても、すぐに社会全体が変わることは不可能で、世の中には今も「努力と処遇が見合っていない中年男性」が多い。それは給料の面だけではなくて、社会的信用とか、無意識レベルの「格差」がやっぱりある。「いや、私の方がこいつより努力しているんだが?」となったときに、「こいつのことは名前で呼んでやらぬ」となるような気がするのだ。
外見だってそうだ。ハゲたならAGA治療すればいいし、太ったならばビールをやめてジムに行けばいい。かわいい女の子から対等に扱ってもらいたいなら、洋服に気を遣えばいいし、美容室に行けばいい。
書く。
[コナンが超人すぎる。普通の人にはラナを助けられない。ダイスとモンスリーはずるい] ← 古代人の生き残りだから理由があるだろ(全部は見てないけど)足指の動きがおもろい。昭和の少年のふとももと足指を鑑賞するアニメ。
[クラリスがピュアすぎる。あんな娘存在しない。ルパンが奇麗すぎる。五右衛門がナンパすぎる] ←アニメファンは気づいていたのに上映館が少なくテレビの金ローで枠とった。999やヤマトなどはタイアップ曲がものすごく浮いていてバカにされてるのにカリシロは歌までしっかりよくて全体のヨーロピアンな雰囲気がよい。わざわざヨーロッパ(今より円が安いころ)いかなくても実写や特撮と戦えるところをじっくりみせてもらった。ハイジでためてた高原ヨーロッパの清涼感からするとあれくらいはキレイじゃないとダメだろ。人は添え物。というか地上波でモンキーパンチのセックスアンドシーフみたいなやつだせるわけねえだろが(原作レイプ1)
[死んだのに生き返るなんて原作と全然違うじゃん。あと、土鬼どこいった]←原作派のいいぐさじゃん。まあ俺も原作の後半のきれいなジャイアンみたいなやつらをたたきのめす現地民ナウシカ好きだけど。映画は、ほぼクロトワの映画やぞ
[パズーがホストかってくらいホスト。見張りの時飛行船の上でやってるよあれ]←今のホストってあの程度でいいのか?なら50代男性マジで全員おまえらより男子力たかいわ…おまえら全員誘い受けなんだな…
[声優。トトロの息臭そう]←25年たってもスキャンダルおこさない声優っていいよね(鈴木なんとかとか櫻井なんとかとかだったら今頃大変なことに)トトロはおまえら世代でいうピカチュウ。ちょっとおぼえて書いてやるとめちゃ絵が上手い人っていわれる
[ニシンのパイは実際見るとグロいよねぇ。あと、パンツ]←宮崎駿のパンツ罪を直視したければパンダコパンダを見ろ。あいつはロリ。あとこの辺から堂々と原作レイプしはじめるの巨匠とはいえどうかとおもう。
[なんで豚になるんだよ] ←書いてる宮崎の自画像1。鳥山明とおなじで一生フィギュア・ジオラマつくっていたかった性癖がでてて割と好きだが。それより、併映が問題。覚せい剤スキャンダルをおこしたチャゲアスのOnYourMarkが封印されてるの解せぬ。オタクだの表自戦を名乗って「作品評価と作者の行状は切り離せ」いうならまっさきにこいつを騒ぐはずなんだが?性犯罪ばっかりなのおかしいよな。
[タタラ場で働く女たちの服装が乱れているのが気になって集中できない]←若者のリビドーがあれで騒ぐならおまえら日活ロマンポルノみたら爆発しちゃうんじゃねえの。緊縛そば打ちでも見てろ。26年前の映画がいまだに歴代興行収入7位にいる。ちなこれつくったときの宮崎57。女性から異議なし。ジャージでもどうでもいいんだよ。働く女性の表現、トロフィーワイフ化されてない女性表現として宮崎にしてはとても正しいほうだ。
[カオナシって結局何だったん] ←ネットで強いくせに人前では「ア」しかいえなくなるおまえらそのものだよ
[動く城のハウルでよかったんじゃない?タイトル] ←もはやそこしかケチがつけられんのか… まあ観客全員ハウルが抱くから(開始3分で)あとは多少カエル化しても宮崎と大泉洋と経験豊富なばあさんズがなんとかしてくれます
多少原作レイプみがあって重病女性をおこらせたがゲドではもっと盛大に怒らせている
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原作をいい方向にレイプ。というかわりと文章通りなんだがデコの可愛さは民衆にはまだ早かったんや
キャラデザと声優と二人乗りの自動車が最高。原作は馬車だから原作レイプだけど。唯一ブロマンス的深読みができる宮崎作品だが完全ヘテロで夫人に全員メロメロいっちゃうのでワトスンヒロインにしてあげてほしかったんよ(cv内海賢二だけど)…。(完全ヘテロでメロメロ、ではないドリカム編成という意味でオンユアマークはよいぞ)
(ここから追記)バロンと豚猫の階級差がすごいんだけど実は豚猫のほうがかっこいいというこれも宮崎の自己投影がここちよい(そう、俺たちは怠け者が実は好きだ。あれっオレなんかやっちゃいました?の元祖だろあの豚猫)。元増田原作未読だけどもはや東京西部の田園都市線あたりに生息していたラクロス女子を伝える文化遺産として永久保存したほうがいい。バロンはのちのハウルというかわりと連荘ででてきて急にどうしたとおもった
(追記ここまで)原作レイプだけど黒歴史に共感性羞恥をおぼえる腐女子多数。聖司の解釈がブレすぎて最近実写がでてしまう
昔でいうモーションキャプチャーかスターシステムにちかい。男性側アイドルが実はヘテロではないお方だったような気がしてヘテロ役として固定されてしまうのが今みるとちょっと気の毒(龍が如くもジャニー報道でそういう気の毒がまじるんだけど)追記 ギバちゃんが界隈に人気だったのは人気だっただけらしいや、よかったな…
顎でパワセクハラのいやらしさをいっぱつ表現。さすがやで。最後飛びまわるのはちゃんと性交比喩してます。たのしいね。
鴨を鬱にしちゃった。原作が息継ぎないけどこれはいい原作レイプだったとおもう(だって下痢たれてやせほそって死ぬ子供なんか地上波で放映できないじゃん)ちなみに原作者を妹のミルクを盗みのみしたことを一生悔いていた。それを宇野に挿絵かかせて夢野久作がごときまがまがしさですごいからおまえら骨餓身峠でも読んでろ
鈴木色強め
跡継ぎィ… 一番原作レイプがひどかったのはこれ。原作ファン俺も怒ったし原作者が怒るのもやむなし(主人公をホワイトウォッシュしちゃってる)。
原作は2巻が至高。名前が大きな意味をもつ世界で名前をうばわれ意味のない神々に仕える巫女。その庭に遠くから使命を帯びて忍びこんだ黒人おっさんを閉じ込めて飼ってるうちに実在をうたがっていた神の怒りが黒人の上に具現化、なんと巫女をつれて脱出し、…てのを日本人の秘島あたりに翻案したほうがずっとおもしろかったんじゃなかろうか。まあもう二度と許可がおりない(原作者死亡)ので新海が別の方面から達成しちゃったので満足するしかないわな。
映画化は13巻の王子とのブロマンス的なやつなんだけどあの心理描写はなかなか映像化できんとおもう。あと1巻師匠との修行のくだりはぶかれてるのも世界説明がなくて意味がわからんだろ。
のちに巫女とゲドは原作で結ばれるんだが、それも非常にいい話でポテンシャルがあった。
なんで息子にやらせたんだよ…。
宮崎に少女漫画ごときつくらすな感。京兄か新海がやれ(のちの京アニスタッフだったらまことにすまねえというか近藤さんか…)
自画像2。日本には地震とか地震とかあったけどずっとスタジオ入りして毎日絵をかいてた宮崎であった。
原作レイ…、もう名前つかわんでええやろ。おもろいけど。ヒチコックの鳥くらい鳥がこええ。
基本宮崎駿は「ヨーロッパの風景」「多摩の風景」に「世界童話全集」「聖母的スーパー女性像(ババアからロリ、人妻まで幅広く)」と「ダメ男のダメこだわり」をのせてすごいパースと動きでごらんくださいと調理する腕前が世界に誇れる巨匠で、だんだん女性像とかがこなれてきておもろくなるばかりなので次もマジがんばってほしい CGとアイフォンはつかえないけど鉛筆と紙で何億稼ぐ男だからゆるしてやれ
おまえらの新海はどうなるんだろうな
庵野は人間的成長したけどその分特撮部分が不評だったのでもう人間ドラマはあんまりつくらんでええとおもう 庵野は青春の日の幻影
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増田じゃないけど、やってみるか。
代表的な宮崎駿作品。ネタバレとともに内容の納得いかないところを書く。
作品名 | 感想 |
---|---|
未来少年コナン | コナンが超人すぎる。普通の人にはラナを助けられない。ダイスとモンスリーはずるい |
カリオストロの城 | クラリスがピュアすぎる。あんな娘存在しない。ルパンが奇麗すぎる。五右衛門がナンパすぎる |
風の谷のナウシカ | 死んだのに生き返るなんて原作と全然違うじゃん。あと、土鬼どこいった |
天空の城ラピュタ | パズーがホストかってくらいホスト。見張りの時飛行船の上でやってるよあれ |
となりのトトロ | 声優。トトロの息臭そう |
魔女の宅急便 | ニシンのパイは実際見るとグロいよねぇ。あと、パンツ |
紅の豚 | なんで豚になるんだよ |
もののけ姫 | タタラ場で働く女たちの服装が乱れているのが気になって集中できない |
千と千尋の神隠し | カオナシって結局何だったん |
ハウルの動く城 | 動く城のハウルでよかったんじゃない?タイトル |
崖の上のポニョ | 狂気 |
自分の宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初で最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。
さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したときに期待感はMAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。
美術、アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリーは感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督のキャリアハイとしての作品は千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。
しかしながら、君生きはストーリーっぽいものや感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体の根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公の自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷はもっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度は要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段を必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後にパヤオだけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次で想像してもらいたい)。
あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない。
もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督が過去、インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである。
※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理の証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車で子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親が病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情は理解できるだろう。事情が分かれば感情を了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。
なお、この流れで養老は他人の気持ちが理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性が大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー的芸術に理解を示す人はいるかもしれない。
こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督はホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分だけがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画、私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。
ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったことから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督のインタビューがあった気がする。ジブリブランドが確立するまではコケたら次はない状態であったろうから、興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才は大衆に合わせてくれていたわけである。しかしブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけである(ジブリの体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかったこと」を我々は目にしているのかもしれない。
過去、パヤオ的感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆は天才の現実的な妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去の珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才にちょっと付き合ってもらったという感じ。天才はちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。
この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白い作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望から生まれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督だから面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説を必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである。野球の大谷がいくら凄いからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督の場合、次があるかは分らんが)
さて、作品の表題に立ち返ってみると、これは疑問形である。作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。
しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分が勝手に期待して、勝手に失望しているだけのことである。
最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。
あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!
で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか?
若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験やプレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身の体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分で図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代にゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分の感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品はちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。
視聴しながら、ぼんやりと宮崎監督がゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父は大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見の価値はあると思う。
インコの大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王と主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品の監督は宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年の作品なので絵のきれいさはどうしても現代の作品には見劣りするがアニメーションの面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王がラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白いカット増やした方が良かったろうにって思っちゃう。
使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル。久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対、名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為がちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。
ジブリ新作映画『君たちはどう生きるか』公開4日間で興収21.4億円突破 『千と千尋の神隠し』超えの初動で好スタート
釜爺と銭婆の関係ってなにか生かされた?
なぜハクは冷たくなるの?なんで豚になるの?
■謎展開
ハク→カオナシ
なんで千尋はハクを助けたいの?
■ヴィランの不在
カオナシ?湯婆婆?
現実世界に帰れるかどうかの最後の試験、なんで当てられたのか何も説明がないってどういうこと?なんでみんな千尋を応援してるの?
■結論
最近のパヤオの新作とか見て改めて確信したけど、天才って予算とかスケジュールとか内容とか色々鬱陶しい制約がある中で作品作らせた方が圧倒的に傑作生み出せる率高いよな。
パヤオの初期の名作を作ってたころは彼もまだ中堅で予算もスケジュールも充分でない中で「これコケたら次のチャンスはもうないかも?」っという緊張感で作品作ってたからちゃんと一般ウケしやすい傑作作ってくれてたけど、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」で興行的にも作品的にもピークを迎えた後は「もうあなたは巨匠なので予算とかスケジュールとか気にせず好きに作ってください」なんて甘やかすからどんどんわけわからん方向に行ってしまった。
皮肉なのはアーティストに多大なストレス負担をかけてるスケジュールやスポンサーなどの制約が、「この限られた条件下でいかに少しでも良くするか」っという構造を生み出して結果として万人にも受け入れられる傑作が生まれやすいってことよね。
古い例だと当時人気アーティストだったゴダイゴなんかは過密なツアースケジュールの中の限られた時間で一気に作り上げた「銀河鉄道999」がいまでも通用する名曲に仕上がったし、それこそ中世のイタリアのミケランジェロもスポンサーであるカトリック教会の過度な干渉や予算管理にもめげずにあの歴史に残る数々の傑作を作り上げたわけじゃん。
作り手としては予算とかスケジュールとか気にせずに好きなように作りたい!って想いは強いんだろうけど、結果的にはさまざまな制約の中で神経擦り削りながら作った作品の方が評価されやすいんだよな。
まぁパヤオなんて今更世間の評価なんて気にしてないって感じだからさらにタチが悪いんだけど。大嫌いな資本家様に首根っこ抑えられてた時の方があんた輝いてたよ。
まさか40代にもなって何にも実績ないのにパヤオを批判してるアホはいないよな?
37歳 未来少年コナン
38歳 カリオストロの城
43歳 風の谷のナウシカ
45歳 天空の城ラピュタ
47歳 となりのトトロ
48歳 魔女の宅急便
51歳 紅の豚
56歳 もののけ姫
60歳 千と千尋の神隠し
63歳 ハウルの動く城
67歳 崖の上のポニョ
72歳 風立ちぬ
82歳 君たちはどう生きるか
今作は千と千尋以上にメタファーの連続だから、メタファー込みで読み解く必要がある
例えば以下の様なメタファーがあると俺は思ってる
これでもまだ一部だけど
青鷺⇒鈴木敏夫
真人⇒宮崎駿の分身、少年時代の駿/未来を生きていく若者達の象徴
・俗世に背を向けて内的世界に耽溺し少女に母性を求め続けた表現者としての宮崎駿の自己否定
・この先の未来を形作っていく若者達へ向けた「俺(たち)の真似をするな、自分自身の道を切り拓け」っていう警句
・「鈴木さんは嘘つきです」
の3本にまとまっている
ちなみに石の塔っていうのはユング心理学的には深い意味があって、今作ともめちゃくちゃリンクしてると考える
石の塔のユング心理学的な意味については以下URLがわかりやすい
http://www.j-phyco.com/category2/entry54.html
人生の経験を凝縮した、メタフィクション(メタファンタジー)として読む。
異界での経験は、誕生→頼れる大人(親)との出会い→世界の仕組みの理解→友人との出会い→親との別れ→友人との冒険→敵との対峙→異性との出会い→呪い(真の困難)に直面→人生を決める決断 とステップを踏んでいく。
物語全体の構造は、千と千尋の神隠しと一緒。異界へ踏み込み、親(的な人)と別れ、ボーイミーツガールがあり、自分の力で成長し、元の世界に戻る。
異性が自分の2人の母である点が奇妙だが、これも「子どもにとって、恋人との関係性は想像し辛いが、母親との関係は想像しやすい」からだとすると納得はいく。母親との別れは辛いのだ。
なぜ現代を舞台にしなかったのか。千と千尋と近くなることを避けたかったのか。真人の軍国少年ぶりの中に、アシタカのような武人性を込めたかったのかも。しかしこれはキャラクターに共感しにくい弱点にも見える。
ジブリ作品が好きだから初日に見に行ったけど出涸らしのような出来で大変がっかりした。
・やたら動きがもっさりしていて展開が遅い。異世界に行くのに何分かかってるんだよ。
・主人公が移動しているだけで手に汗握るようなアクションがぜんぜんない
・キャラクターにぜんぜん個性がない。インコをそのまま擬人化しただけ、よくあるフワフワの可愛いキャラなだけ。
・異世界の造形がすべてどこかで見たような借り物でオリジナリティがない。これより元ネタのドゥニ・ヴィルヌーヴ作品見たほうがいい。
・キャストが話題性のみで選ばれているだけで庵野秀明を主役に起用、荒井由実の曲を起用みたいな芸がまったくない
これに比べると千と千尋の神隠しが以下に傑作で、密度が高くオリジナリティもあったかがよくわかる。
特にキャラ造形や異世界のディティールのオリジナリティのなさは致命的で、ファンタジー好きの中学生が考えたんじゃないかと思うほど。
過去作品のパッチワークのような絵が並ぶけど、総じてどれも薄まった出涸らしのような出来。
出涸らし感がよく出ているのはパンを食べるシーンで、それっぽいねっとりしたバターが出てくるけど、それだけで、ただ塗って食う。以前の駿ならパンの持ち方や頬張り方にもこだわっていたはず。そういうものがまったくない。
戒厳令を敷いたのはこれがバレたくなかったからで、しばらくは空気に流されたバカが絶賛コメントするだろうけど興行収入で結果は出るはず。
すべての面において息切れ感を感じてしまって見ていて悲しくなってしまった。
見た人ならこれわかるよな?
事前情報なしで見たから俺も感想を自分で作り出して放流する。超ネタバレだけど許して。適当にたたき台にでもして。
ジブリで見たことのある◯◯を色々な場面で感じ取れたので良かった。それを書いてたら長くなったからそれ単体で放流。ネタバレ怖い人は今日の夕食でも残してってよ。
はじめに、絵が超ぬるぬる動くからびっくりした。最初、空襲で町が混沌とする様子は印象が強すぎて忘れられない。急いで外に出るために着替えるシーンは、ただ服を着てるだけなのに焦る気分になった。火事の燃えカスや灰が舞うシーンですらヌルヌル。火事に騒然としてて、街の人みんなが動いているようなシーンは、見るところが多すぎて目が足りない。主人公視点の走っているシーン(人混みを分けつつ進む、火が強すぎて目が開けられない、危ないから下がって!と叫ぶ大人の手が映る)はアニメーションなのにリアルだった。予約できた席がドルビーアトモスの高い席しか無かった(そこしか残ってなかった)が、ここのシーンだけで掌を返した。
はじめにあ〜〜ジブリ見に来たな……と実感が湧いたのも空襲警報のシーン。何かが起きている事に気づき、思わず廊下を走り出すシーン。廊下を裸足で全力で駆けるシーン(カメラは正面)はジブリ。(自分調べ)
お屋敷の婆さんたちの描き方は千と千尋の神隠しを思い出した。シワが多く腰は曲がっていて集まると話が止まらないという特徴も、監督が抱いているイメージなんだろうなと勝手に思った。サバ缶やコンビーフ、砂糖で盛り上がるのもめっちゃすき。
対照的に、塔の世界における姉御肌の人もジブリではおなじみだった。力強くヨットを引くシーンは迫力があった。キビキビ漕ぐ、魚もさばける、「あんたも手伝いな!」は正直聴きたかったやつ。
手作りした弓矢が勝手に加速するシーン。ちょっともののけ姫のシーンを思い出したからか、本気でアオサギに当たらないかドギマギしてしまった。加速して迫ってくる感じ、風切り音が恐ろしい。
ジブリ序盤における「今日からここが君の部屋だよ」概念、あるよね……長年使われてないけど、綺麗な状態なのがポイント高い。柄付のベッドが本当にすき。閉まりが悪い窓がだいたい悪さをしている。
ジブリにおける別世界で、大変な目にあいながらも運良く転がり込んだ先で、べらぼうに美味い飯を食う概念。これも好きすぎてたまらん。「あんた、どこから来たのさ」「かくかくしかじかで……」「ふーん……頑張りなよ」みたいなやつ。救われる。
飛行機のコックピット?の骨組みを父親が「綺麗だろ?」って言ったときに「美しいですね」が出てきた部分は風立ちぬを思い出した。飛行機の持つ、工業製品らしからぬ曲線美は見る人が見ると魅力があるのだろうと思ったり。
バスのエンジンをかけ直すシーン。バカうるさい振動と焦げ臭そうな匂いを強烈に感じた。正直今の世界では二度と見ないだろうけど、昔の人にとっては大事な原風景だろうなと思う。
禁忌の間における紙、紙垂の表現も畏れ多くてゾクゾクした。入り込むと露骨に態度を一変させ、まとわりついてくるのもどこかで見た景色でニヤついてしまった。シーン的には、それどころじゃないシーン。
インコ王が積み木をぞんざいにして謎の石が癇癪を起こすシーン(破裂したのかよく分からん)があるけど、あのシーンにはもののけ姫の祟神らしさを感じた。おどろおどろしい液体が顔にまとわりつく感じが堪らない。
最後に理想郷を壊して帰るのはラピュタぽくもあった。隣に居た女の子はお母さんだし、破壊の発端は手が出るのが早い傲慢な王だし色々条件は違うけども。なにげに一緒に行動した可愛い女の子が若い頃の母親なのやばくない?母性……というか性癖出ていないか?
最後のCGぽさが残る岩がめちゃくちゃ怖かった。全部の事象を筆致のあるアニメーションでやる中でのフルCG謎岩はまさにこの世のものではないような雰囲気があった。アニメの線画と比べて、明らかに解像度も高いんだけど、それもこの世の物とは粒度が違う(物質が違う)ような雰囲気を感じられた。CGと手書きの両立が一番引き立つシーンだと感じた。考えすぎかもしれん。
●強引に締める
何が言いたかったかとか意味を見出すとするとすごい偏った考えしか出なかったのでこれは別の機会に書きたい。一言で表すと「やっぱ神は下々の存在に興味ないよな」に尽きた。どう生きたいかって話なら、俺はアオサギみたいになりたいよ。
自分はもののけ姫くらいからリアルタイムで見て、振り返ってカリオストロ以降は全作見て、本やインタビューもそれなりに追っているまあまあの宮崎駿ファンです。
千と千尋の神隠し、風立ちぬあたりがフェイバリットです。箇条書きで感想書いていきます
その未来など、どこにもない。
「嗚呼」
私は手で顔を抑えても、抑えきれぬ涙を指の端から零していく。
私は知った。
皆が、自分の事などどうでもよくても、自分の子には、目の前の子の境遇には激怒をした。
生け垣が影おとす道をいく
ずぶぬれで泣きながらすれちがう
いまは 埋もれてしまった川まで
小さな渦にまかれて消える
心をおおうチリが晴れる
目をかくすくもりが消える
手は空気に触れ
足は地面のはずみを受けとめる
誰かのために生きている私
私のために生きてくれてた誰か
人は自分の為にはどんなことでも耐えるというが、一方で他者の為には幾らでも残酷にも愚かにもなれるという
人間を始めとした社会的な動物が持ちうる「社会性」「互恵性」という特性を日常的な表現にした、それだ
受け渡そうとする者の、何と一方的な事だろうか
「与える」という名の「母親的な性質のもの」の、如何に暴力的で支配的なものか
受け渡される側の、それをいずれは拒否をして一人で立つことの難しさよ
体内バランスを極限までに不安定にして得られる「反抗期」の莫大なエネルギーを以てして、ようやく離れられる程の力だ
地球から発せられる強大な重力を振り切り、宇宙という孤独で茫漠な空間へ飛び出すためには、相応の速度を要するという
その速度に耐えるだけの強度を備え、行き先を間違いのないように計算装置を積み、空の果てを越すための燃料を積む
人の成長で獲得するそれと同じである
そう、人は愛情という名の甘やかな「支配」を抜け出し、自分だけの地球を探しに行く旅に出る
あるいは、つくるしかないのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを
一生の間、そこから抜け出せずにいる人もいる
ああ 虹がかかっている空 きれいと思いたくて
焦がれては逃げられないこと
みんなにはくだらないこと
もう どうしようもないの
わたし きゅうくらりん
――いよわ「きゅうくらりん」より
@Gesu_Masuda
ここ最近、ツイッターで「ハク様」とか「ハク」で検索すると、急に羽生結弦さんに関連するツイートが引っかかるようになりました。
何だ?と思って調べてみたら、羽生さんが滑る曲に「あの夏へ」を使ったそうで、その衣装を着ている羽生さんや演目のことを「ハク様」と呼ぶようになったっぽいですね。
ジブリファンというか、千と千尋の神隠しファンというか、「千と千尋の神隠しに出てくるハク様」ファンとしては、有名な人が曲を使ってくれたのはびっくりうれしいんですけど、いや普通にうれしいにはうれしいし羽生さんきれいだな~確かにハク様っぽいよね~とは思うんですが!!「ハク様」という呼び方をされてしまったことで、本来の「ハク様」に関するツイートを探しにくくなっている状況です……。
単刀直入に言うと、検索汚染されているので、羽生さんに対する「ハク様」呼びをできればやめてほしいです!!汚染という言葉を使いましたが、決して羽生さん自身を貶しているわけではなく、検索に無関係な結果が表示されてしまうことを「検索汚染」と言うみたいです……。「羽生」や「羽生結弦」というワードをマイナス検索しても引っかかってしまうので、羽生さんのハク様についてのツイートしているアカウントをミュートしたり、ブロックしたりしています。羽生さん自身に問題はないのに、なんだか残念というか、申し訳ないなっていう気持ちになってしまいます。
あと、阿修羅ちゃんも同じく、Adoさん関連のを検索しようとするともれなく羽生さんの話題ばっかりでてきます……。
迷惑というレベルではないんですが、羽生さんは大人気なのでファンの母数も多くてそういうことになっちゃうのかなと思います。
そもそも「その曲のファン」「その作品のファン」がいるうえで、演目の愛称?など考えてもらえたら、互いに共存しやすいのかな、と、思います……。
ラーメン二郎が気になったため、ラーメン二郎に行ってみる事にした。
愛車のGR86を快適に飛ばし、現地に到着する。
近所迷惑です。騒がないでください、タバコのポイ捨てはやめてください等、明らかに治安の悪そうな張り紙が貼られている駐車場を見て不安感が募る。
駐車中の車も、軽自動車を中心に古びた車種が多く、自宅周囲に駐車してある美しい車たちとは雲泥の差があった。
駐車を済ませ、店の正面を見る。
全体的に薄汚れ、シンプルで安っぽい黄色い看板にラーメン二郎とこれまた洗練されていないフォントの文字を見て、本当に食べて大丈夫なのか?と足が止まってしまう。
しかし、よく見れば開店直後だというのに5名以上の男性が店外に並んでいる。
男性たちは明らかな低所得、いわゆるヘコオス感が漂っており、全員がスマホを食い入るように見つめていて、怖気を覚えた。
店はドアが無造作に開けてあり、食券をその場で購入して並ぶタイプの店だと推測する。
食券機も古びていて、案の定、電子マネー等は対応していないようだった。手書きの汚い文字でわかりにくく書かれたメニューを解読し、初心者におすすめらしい「小ラーメン」の食券を購入した。
周囲の影響で自分の価値が下がっていくような錯覚を覚えながら弱者男性たちの陰鬱な列に並ぶ。
確かに春の陽気を感じるが、ここは日当たりすら悪く、うっすらと寒い。10数分ほど待たされて入店する。
待機中にも弱者男性たちがわらわらと集まり、どんどん列が伸びていくのを見て、日本の貧困はここまで…と驚愕を覚えた。
店内も外見と同様、薄汚れた雰囲気で、満員だというのに誰もがラーメンを食べるだけなため、異様な静けさが漂っていた。
無理もない。この店にくるような男性は、他人と喋るということがまず特別な体験で、食事は1人で摂るもの、黙食が当たり前なのだ。
ここで何度目か分からない驚愕に私は打ちのめされた。カウンターは、布が山と積まれ、拭いてくださいと書いてあるのである。
つまり、ここの店員はテーブルを拭くことすらしないのだ。衛生状態が気になるため、できるだけテーブルに手をつけないよう、意識して姿勢を正す。
することもないので、ラーメンの調理風景を眺める。覚悟はしていたが、分厚いチャーシューを素手で、手袋など一切せず皿に盛る様子を見て、帰宅したいという思いが強くなった。
5分ほど待たされて、ようやく注文したラーメンが到着する。
スマホで写真を撮ろうか迷ったが、全体的に薄汚れた茶色で「美味しそう」と全く思えなかったため、写真に残す価値を感じなかった。
衛生状態に不安を抱きつつ、テーブルの箸を取り、これでもかと盛られた野菜を一口食べる。
まず感じたのは異様な塩気と舌にからみつく脂だ。野菜にも味がついていて、異様なしつこさがある。
次は麺をすする。麺は、異様に太く、黄色く、もったりしていて、ボリューム感だけはたっぷりだ。
はっきり言って、豚の餌だ。
この時そう感じた。
外見から覚悟はしていたが、これは妻子がいる健全な人間が食べるものではないのだ。
一口食べるごとに、体の中に毒のようなものが溜まるのを感じる。
これほど塩気と脂身が濃いものを食べれば、血液は汚れ、腎臓は腐り、寿命は一気に消費されるだろう。
現世に絶望した弱者男性たちは、ラーメン二郎を啜ることで、現世からの解脱を求めているのだ。
箸を置きたい衝動と、吐き気を堪えつつ、豚の餌を胃に押し込む。
しかし、無くならない、無くならないのである。私が注文したのは小ラーメン、のはずだ。食券を確認しても小と書いてある。
しかし、そのボリュームは通常のラーメン店の大盛り以上であった。
これを全部食べろというのか、意識が遠くなった。
私が一体どんな罪を犯したというのか?
好奇心に駆られたのが間違いだったのか?
早くここから出たい。その一心で、口と手を動かし、豚の餌を掻き込む。
千と千尋の神隠しの両親のように、だんだん自分が豚に変身していくような錯覚を覚える。
私の努力は実り、水の助けも借りて、なんとか全てを胃に押し込むことに成功した。
その直後、私は店を飛び出していた。この空間にいる時間が1秒嵩むごとに私の寿命が減る恐怖に駆られたからだ。
いつもなら心を沸き立たせるエキゾーストが、この時は救いの福音のように感じられた。
私はラーメン二郎を実際に食べることで、日本が抱える闇、醜さをこれでもかと体感することができた。
政治家は、ラーメン二郎に是非行くべきである。これが日本の闇、政治が正すべき癌なのだから。
私の寿命は、今日のラーメン二郎でどれだけすり減らされただろう?窓を開け、春になりつつある陽気を肌に感じながら、私はGR86のアクセルを踏み込み、闇から逃げ出した。