はてなキーワード: 戦略爆撃とは
https://anond.hatelabo.jp/20231007213757
戦争とは何かといえば、古典的定義はクラウゼヴィッツ的な「政治の延長線上の実力行使」だし、
当世の建前としては国連憲章的な「現状変更を企図した武力行使というルール違反行為」になるのだろう。
定義の仕方は文脈により様々あれど基本的にはユニフォームを着た戦闘員同士の戦闘が戦争であるはずだ。
その限りにおいて戦略爆撃や無制限潜水艦作戦や無差別ロケット攻撃は戦争ではなくその副産物としての戦争犯罪だ。
いまイスラエルとハマスがやっているのは戦争ではなく純粋な「相互虐殺」だ。
なんともいいようがない。
まあしかし。ここ数十年少なくとも我々日本人は戦略核による抑止のもたらす平和に浴して来たわけで、とっくの昔に戦争は「ユニフォームを着た兵士の戦闘」などではなくなっていた。
22年2月開戦時、ウクライナの「非ナチ化」「非軍事化」がロシア政府のナラティブだったことを覚えているだろうか。そのために『わが闘争』の本がウクライナ軍陣地跡から出土した、というような馬鹿げたプロパガンダをしていたことも。ウクライナを含めたロシア圏を西側の影響(文化的なそれを含む――LGBTの排除が典型)から守るというナラティブであった。それが「戦争」ではなく、「特別作戦」というネーミングにつながっている。これは不戦条約および国連憲章による武力行使禁止への言い訳に過ぎないかもしれないが※、ここではそれを思想的に少し本気に受け止めておこう。
今は違う。ロシア政府は「戦争」と言い出した。悲喜劇となっているめちゃくちゃな動員も行い、ウクライナ国内への容赦ないインフラへの打撃――戦略爆撃など、本格的な戦争にいちおう移行しつつある。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022102300113&g=int
では、NATOが本格的に軍事介入(空爆にせよ、陸戦にせよ)すればカタがつくかと言うと、そうでもないように思われる。実は、それこそがロシア政府の望んでいる事態なのではないか。上記記事では、現時点でもロシア政府が「戦争の責任を負うのは北大西洋条約機構(NATO)側と主張。ロシアが仕掛けたにもかかわらず、「被害国」だと訴えている。」という認識を示していることが語られている。これは、どう考えても欧米諸国に向けられたメッセージではない(彼らも、本気でこういう認識を欧米諸国が認めてくれるとは思ってはいるまい)。ロシア国民に対する敗戦の言い訳である。そしてNATOが本格的に軍事介入すれば、この言い訳をNATO自らが裏書きすることになる。
この戦争の思想的原動力になっているのは、要するにロシア民族優越主義であることが指摘されている(例:イリインの思想についてhttps://book.asahi.com/article/14612140。小泉悠氏の著書やフォルカー・ヴァイスの『ドイツの新右翼』を読むと、かのドゥーギンの思想は、シュミットのグロースラウム論の応用のようだ。それも結局一言でいえば自民族優越主義だろう)。他方で、この戦争の敗戦の原因になっているのもロシア民族優越主義である。弱い(ということになっている)ウクライナ如きに敗北するから、国民の士気が下がる。士気が下がるからまた負ける。
NATOが軍事介入した場合、NATOが完全に結束し続ければいずれすべての戦場で優勢となるだろうが、ロシア人は、強いアメリカと戦っているから負けているのも無理はない、と考えることができるようになる。これは1941年12月8日の状況と似ている。弱い(ということになっている)中国に全然勝てず、不平不満が鬱屈していた日本人が、相応の知性あるはずの者も含めて対米開戦に快哉を叫んだ※のは、もちろん主力艦を奇襲攻撃で大破して望外の大勝を得たこともあろうが、他方で戦場での劣勢への言い訳が見つかったからではなかろうか。
※ 「一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」(坂口安吾35歳)。「みんな万歳を叫んだ」(井伏鱒二43歳)。逆に、理性を失わなかった例として、「僕達が努力しなかったのが悪かった」(ジャーナリスト・清沢洌51歳)。
https://book.asahi.com/article/11852364
戦争の哲学者クラウゼヴィッツによれば、攻撃にとって最も重要なのは敵の重心(Schwerpunkt)への打撃である。重心とは、敵軍のすべての要素がそこでバランスを保っている一点である。それは戦場の軍勢とは限らない。敵国首都とも限らない(ナポレオンはこれを誤った)。クラウゼヴィッツの洞察が正しければ、今回の場合、ロシア民族優越主義が破滅するような道筋をつけるべきなのだろう。つまり、「弱い(ということになっている)ウクライナ※がロシアを倒した」というナラティブ、これである。NATOの介入はかえって害悪になるかもしれない。帝国日本は対米開戦から3年半以上持ちこたえた。むろん、ロシアの軍事力は当時の帝国日本よりもアメリカに対して不利だとは思うが、それのみならず、「中国に負けた」ことを受け入れられない日本民族優越主義者がけっこう多いことにも注意したい。このような観点からすると、バイデン大統領――彼は連邦議会議員としては上院外交委員長を長年勤めた老練政治家である――がロシアと直接交戦はしないという態度を開戦前から決め込んでいるのは、きわめて適切な対応のように思われる。さすバイ
※客観的に考えればウクライナは別に弱い国ではない。中東欧では最大クラスの軍事大国と言って良いのではないか? ヨリ客観的にみれば、この紛争の根源は地域大国ウクライナと地域大国ロシアの、ロシア語地域圏におけるシマ争いという風に考える余地がないではない(なお、武力衝突に至った責任は大方ロシア政府にあるから、ウクライナ政府を非難するつもりはない)。
広島原爆の日に、日本とアメリカがなぜ戦わなければならなかったのか、色々な解釈がなされているけど、今回はアメリカの西方へ・環太平洋への領土拡大思想の面から考えてみたい。
2.1867年:アラスカ購入
3.1889年:ハワイ併合
6.1950年:朝鮮戦争
7.1960年:ベトナム戦争
独立戦争や南北戦争を経て国家として安定したアメリカという国は、18・19世紀以降は領土を西へ西へ拡大する歴史をたどってきたといえる。
アメリカとメキシコとの戦争ではカルフォルニア州を割譲させて、北米大陸のほぼ全土がアメリカの領土となった。
ハワイやグアムの現地人の国を転覆させて、アメリカ領に取り込み、フィリピンとは武力戦争を経てアメリカに併合させた。
そしてアメリカにとっては、環太平洋諸国の中で最後に残された、最大の難関が「日本」である。
日本は一億人の人口を有し、中華文明から取り入れた文化を独自にアレンジして日本文明に昇華させた世界でも優秀な民族の国であり、この日本を落とすことは大抵のことでは出来ない。
世界史上にないほどの戦略爆撃を仕掛けてきたり、原爆を2発も投下してきたりと、なぜ日本人から恨まれることを覚悟でやってきたことは今まで疑問だった。
アメリカにとっても、日本と戦争することは総力戦になることを覚悟して臨んだことなのだろう。国の威信がかかっていることは、あちらさんも同じだったのだ。
第一はオカルトというか、聞くに値しないと判断しました。北朝鮮がいくら馬鹿でも軍事に関してそんな楽観主義じゃあり得ないと思うんだよ。実際にミサイルで人が死んだらタダではすまないことぐらいわかるでしょ。あと、関係ないけど日本は唯一戦略爆撃のみ云々は幾ら何でも信じられないよ。
第二はごもっとも。多分アメリカが日本に核攻撃されようが核攻撃での報復はしないだろうって考えるよね。北朝鮮は別に石油産出国でもなければ植民地化したところで韓国とアメリカがさらに仲良くなるくらいのメリットしかないしね。しかも核なんて撃った日には中国とロシアが黙ってるはずないし、デメリットを考慮するとまずはない。というのは正論の気がする。
第三、これもよくわかんないね。
まとめると、まず後背地と言っても、日本はすでにあからさまに北朝鮮とは対立してる訳で、北朝鮮と対立するかどうか決めあぐねてる国と違うんじゃないかな。韓国と日本が仲良くなる事はまず無いとしても、北朝鮮との対立がミサイル1発で変わるっていうのは本気で核を東京に撃つぐらいの事が起きない限り想定できないんじゃ無いかなと思いました。そういう意味でなんの宣誓も無しにいきなりミサイルを日本に撃ち込むのはもう最後の捨て身であって、戦略もクソもないと判断するしかないし、今のところ北朝鮮政府がそこまでヤケクソだとも思えませんね。
まず、戦術的にも後背地を襲撃するのはセオリーだ。彼らの唯一の戦訓は朝鮮戦争のそれで、すなわち緒戦に奇襲を以てすれば劣悪な装備でも南側を蹂躙でき、増援を断てばそのまま勝利できたはず、という代物である。増援の出撃基地は今も当時も日本なわけだ。ここを直接に叩き潰す誘惑は捨てがたい。
戦略的には、第一に日本が「弱い鎖の輪」であることだ。日本は異常に戦争忌避が強く、かつ自発的な第五列が何の見返りもないのになぜか反戦活動をすることが十分以上に期待できる。さらに法的な問題もこれあり、交戦・反撃能力はない。つまり攻撃を加えるにあたって一番リーズナブルなのである。総力戦時代にあっては敵国の世論を破壊することも十分に戦略目標たりえる。出血の強要によって厭戦気分を盛り上げて日本を対北連合から脱落させれば、後背地を無力化するという目標は十分に達成できる(日本はほぼ唯一戦略爆撃のみによって降伏した国でもある)。
第二には、史上核戦争が起きていないこと。まあ当然なんだが。
核保有国同士では核の投げ合いになって両者死ぬから、基本的には自制が働くし、それはコンバットプルーフを得ている(印パを見よ)。しかし、いわゆる「核の傘」はどうか。これは実証されたことがない。ましてや米は米自らも民主国家である。ゆえに、数百万の自国民を掛け金にして他国(同盟国とは言え)のために核戦争を起こすことが果たしてできるのか。ましてスイッチを握るのは自国優先を唱える男だ。
第三には朝鮮半島は南北は一応同一民族(たまたま南北の反対側は叛徒が制圧しているのであって、住んでいるのは成分最悪であるとはいえ国民)であるという建前があるうえ、北韓南鮮さらにはその後背に控える中共は反日国家だ(現状の政策はもちろん、建国神話が反日であって路線の修正はあり得ない)。最低限の大義名分は立つ上に、南に対する強力な正統性のアピールとして使えるだろう。
現実の日中戦争がどういう戦争だったかといえば、蒋介石率いる中国軍は装備、練度ともに日本軍に勝っており、しかし蒋介石は戦略的後退を続けることで日本軍の補給線切れを狙ったというものだった。そして蒋介石が重慶にまで逃げたとき、日本軍はついに地上戦力による攻撃を断念し、貧相極まる爆撃機での戦略爆撃に切り替えた。この攻撃は蒋介石を心理的には追い詰めたものの、中国軍の装備する高角砲は性能抜群であり、また中国歩兵の練度は高かったのでここで日本軍は爆撃機とその搭乗員に大損害を出し、この爆撃は 5 年間続いたものの得るところはほとんどなく最終的に日本軍は撃退された。
そのような情勢下で中国各所で歩兵戦が続いたが、ここでも装備、練度ともに優れる中国軍に対して日本軍は勝利を得ることはほとんどなかった。領土的な意味で勝利を得た局面でも逃走する中国軍を捕捉できたことはほとんどなかった。
ようするに日本軍は当初から優勢な中国軍に鼻面を捕まれて広大な中国をいいように引き回された末に徹底的に敗北に追い込まれたという話であったから、整然と指揮された日本兵による大虐殺などというものも重慶爆撃を除いて存在しなかった。むしろ中国軍こそが黄河に人口大洪水を起すなど組織だった民間人虐殺を含め焦土作戦を行なったといえる。
では南京戦をはじめとした各種戦闘において日本人による民間人に対する虐殺、強姦などが存在しなかったかといえばそうではない。それはソ連軍がそういうことをやっていたぐらいにはやっていた。古来軍隊とはそういうものだし、同性愛に対する規制が厳しかった日本軍では残虐行為は水準よりも多かったと評されている。
そうした、兵士個々人の残虐行為がなぜ南京大虐殺のような「デマ」にふくれあがったかといえば、軍部におもねるメディアがそういう嘘を垂れ流したからだったし、戦後中国がそうしたデマ報道を日本兵処断の証拠としたり、対日宣伝の道具としたからであった。
南京大虐殺など存在しなかった、それはそうだ。だからといってそれを日本人が中国人に対してマウンティングの道具にしてもどうにもならない。実際に日本軍が中国に侵略したのは事実だし、また南京大虐殺というデマを産んだのは日本の未熟な社会体制、報道体制、メディアリテラシーが原因だからだ。身から出た錆としか言いようがない。
というような話は 40 年ぐらい前に延々議論していたはずだが当時の議論が現代参照されてるようにはみえないし大丈夫ですかね。
学徒兵つながりで書きますが戦争の悲劇の代名詞とも言える特攻隊ですがその総数は4000名いません。(回天、大和の沖縄出撃を除く)米国でも学徒兵の多くを空軍で使います。
対独戦略爆撃を行った米空軍の戦死者は最低でも6万人強です。彼等は25回の出撃で国に帰れるとされてましたが一回の出撃の損害が半端じゃない、初期は平均で2割近かったといいます。計算してみるといい、2割の損害で25回、最初の何割が残りますか?
計算してみた。25回出撃は、1回当たり20%の損害で0.4%、15%の損害でも1.7%しか生存できない。
兵隊を使う戦術なんて指揮官が兵隊の命を賭けに使って戦果を出しているに過ぎない。
四方八方を飛び交う銃弾や周囲何十メートルも吹き飛ばす爆弾を回避できる人間なんてそうはいない。
個人ではどうしようもない確率的な問題だから特攻と他の戦術は本質的に同じだと思う。
話題になってたので。http://spotlight-media.jp/article/177393058109443530